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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

花村萬月著「たびを」を読了

2006-01-14 17:18:27 | 読書

午前5時、1000ページにもおよぶ花村萬月の大作「たびを」を読み終えた。ベッドに仰向けに寝て、厚みが57mm、重さが910グラムの本を両手で支えての苦行を物ともせずにである。布団から外に出た両腕はこの寒気で完全に冷え切っている。

何故この本を読む気になったか。一つは日本一周は私のまだ見果てぬ夢であり、それを垣間見たかったのと、もう一つは本の分厚さである。読み通す気力があるかな、と問いかけられているような気がしたのでチャレンジした。嬉しいことに正味4日ほどでの読了したのだから、還暦ローティーンとしては立派であろう、と自画自賛。

主人公は改造原付二輪車で日本一周する19歳の浪人生谷尾虹児君。一夏100日ほどかけてのツーリング紀行である。旅に出るからには動機もあるだろうしお金もいる。汗水垂らして稼いだわけでもない大金が思いがけなく舞い込む次第などは本書に譲るとして、とにかくそのツーリングを追っかける。

旅ともなれば新しい土地との出会い、人との出会いである。改造バイクで日本を一周するのであるから見ること書くこと山ほどある。著者の花村氏の実体験が下敷きになっているとは容易に想像つくが、目に入るもの、出くわしたことがらの綿密な筆致が臨場感を盛りたてる。だからついつい読み進んでしまう。

犬、猫、鳥のように身一つとはいかないが、最小限の持ち物で移動するのが潔くていい。私には少年時代に体験した『朝鮮からの引き揚げ』とイメージの重なるところがあった。しかし食べ物が無くなればコンビニを見付ければいいのだから気楽なものである。まさに平和な時代の物見遊山、なんたる贅沢を虹児君、である。

私が面白く感じたのは旅の途中で出会う人々との関わり合いである。単独ツーリングしているもの同士がどこかで出会い、場合によってはしばらくツーリングを共にする。道ばたですれ違った犬同士がお互いの様子を窺い臭いを嗅ぎ合ったりするように、相手の性格などを探り合う、動物と同じような行動をとるその描写が面白い。

お互いの探り合いに人間同士だから言葉の応酬がある。小説仕立てだからそうなるのかも知れないが、皆さんなかなかの饒舌家である。舌がよく回りギャグの連発である。そのスピードは小説には現れないが、たぶんテレビタレントも顔負けのもの凄いスピードでやり合っているのだろうななと思ったら、異星人同士の遭遇を連想してしまった。気が合えばしばらくの旅の連れ合いができる。すぐには仲間になれなくても相手を意識してまわりをうろちょろしているうちにくっついてしまう。駆け引きの呼吸を楽しむのも時間に追われないのんびりとした旅ならではのことである。

この虹児君、童貞喪失が旅立ちの動機と大いに関係があるのだが、それで女性開眼を果たしたのか、このツーリングの最中に大勢の女性と《棚ぼた式》に知り合う。『プロの女性』もおれば単独行女性ライダー4人のうち3人と懇ろになる発展ぶりである。喋々喃喃が花村式記述で延々と続くと還暦ローティーンも落ち着かなくなる。

レアリズムの圧巻は大麻の吸引シーンである。あるとき同行した男性ライダーが大量の大麻を持っていて虹児君も初体験をする。そして行き着くところ、ライダー仲間の男性3人と女性3人がマンションに閉じこもり数日かけて大麻を全部煙にしてしまう。その間になにが起こったか、心卑しき人の想像は外れてナイーヴな人はただただ呆然とする。

小説で人殺しの場面がおどろおどろしく語られたとしても、それが著者の実体験だと思う読者はまずいないだろう。しかしこのマリファナの吸引の描写も著者の単なる創作なのだろうかというと、私は著者の実体験と断じたい。何故そのように断じるのか。ヒントは「あとがき」にある。なかったことはなかったこと、と種明かしされているのであるが、マリファナの吸引はなかったこととは述べられていない、ただそれだけの理由なのであるが。では何がなかったことなのか、それを先に知ってしまえば読書の楽しみが半減するから、これから読もうとする方は絶対に「あとがき」を先に読まないように忠告する。

旅をしていると考える時間がたっぷりある。虹児君はなかなか自省的な青年であれやこれやよく考えるのである。これが19歳の青年の考えることなのか、はたまた壮年花村氏の地が出て来たことなのか、その辺りをあれやこれや想像しながら読む楽しみもあった。

私はまだ還暦ローティーンの身、虹児君のようなハイティーンまでにはまだまだ時間がある。近い将来なんとかして日本一周の夢を実現させたいものと切に思うようになった。

佐野眞一著「阿片王 満州の夜と霧」をどう読んだか

2005-08-24 18:03:08 | 読書

440ページになんなんとする本であるがほぼ一気に読み上げた。面白かった。

「阿片王」という刺激的な命名にもかかわらず、主人公の里見甫という人物をこの本を読むまでは私はまったく知らなかった。この本によると里見氏は《関東軍最大の闇の資金源となる阿片》(129ページ)を通じて「満州の夜の帝王」と呼ばれた甘粕正彦と固く結びついていったそうである。この二人が関東軍の闇の資金源を支える二本柱と描かれているが、甘粕氏の知名度と較ぶべきもない。

里見氏は《「魔都」上海を根城にアヘン密売に関わり、「阿片王」の名をほしいままにした》とのことであるが、それほど有名な人を今頃になって知らされるという知識の空白を撞かれたことが私の読書スピードを加速したような気がする。しかしこの「阿片王」なる称号はその当時からあったのだろうか。著者の記述からはそうとも受け取られが、『アヘンの取引による関東軍の裏金作り』がその当時から大っぴらに行われていたとは思えない。『機密事項』なのではなかったのか。そうだとすると「阿片王」なる称号はフィクションとして著者が主人公に献じたことになる。

このような理屈をこねるのは「阿片王」という称号から私が勝手に期待する破天荒な人物とか豪奢な生活ぶりがこの書では不在なのである。もちろん著者があの佐野眞一氏だからノンフィクション仕立ては当然のことであるが、それならそれでタイトルに「阿片王」は不要、「満州の夜と霧」で十分ではなかったか。「阿片王」はフィクション仕立てにして欲しいと思った。

「故里見甫先生 遺児里見泰啓君後援会 奨学基金御寄付御願いの件」という二枚綴りの『芳名録』には岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、佐藤栄作と云った錚々たる顔ぶれが発起人に名を連ねており、その総数は百七十六名になる。いわばこれが「舞踏会の手帳」で著者はリストの中で身元の判明した人物をインタビューして里見甫という人物の実像に迫ろうと試みたのである。

その取材の過程そのものがこのノンフィクションの主要な内容なのである。次から次へと人と人との繋がりが展開していく。佐野氏の筆致は冴え渡る。歴史上の人物も「モグラ叩き」のように出没する。同時代を生きてきた私に身近だった人物が思いもかけない形で舞台に登場してくる。そのようなことで私はゴシップを楽しむ読み方に徹した。

たとえば里見甫氏と東条英機元首相の繋がりが面白い。

《(里見甫は)大連では、東条英機さんともお付き合いがあって、満州に渡ってきた東条さんの息子さんを家であずかっていたこともあるそうです》(302ページ)。著者の考察ではこの息子が《長男の英隆であることはほぼ間違いない》そうである。英隆氏といえば時々テレビに出られる東条由布子氏のご父君である。

そしてこのような行がある。《里見の甥の里見嘉一氏によれば、里見と親しかった日本画家の父親は、里見本人から直接聞いた話として、「戦時中、東条には小遣いを随分やっていた」という話をよくしていたという。》
さらに細川護貞日記にも《(前略)里見某なるアヘン密売者が、東条に屡々金品を送りたるを知り居るも(後略)》とあるらしい。(174ページ)

要するにアヘン取引の上がりが東条元首相に流れている、というのである。

ところが後段で里見氏へのインタビュー記事が引用されている。
《[問]東条元首相に、多額な金額を贈与したという話もあるが。
 [答]アヘンの金は興亜院が直接管理していたので私はその行方については何も知らない。個人で贈ったことは全くない。》(251ページ)

著者は里見氏を一貫して正直で包み隠すというところがない人物として評価している。だから『伝聞』ではないこの里見氏の直接の発言が真実なのであろうか。

この東条元首相の私設秘書であった若松華瑤氏も『芳名録』に名を連ねる一人であるが、彼の娘さんがかって私の大好きだったタイガース土井垣武氏の夫人だった、なんて話に人の繋がりの不思議を覚えた。

人様ざまの読みようがあるが、関東軍とアヘンの故郷であった満州帝国を敗戦後10年足らずして起こった日本の高度経済成長のグランド・デザインと見なす著者にとって、「阿片王」は本題「満州の夜と霧」の下敷きなのであろう。


丸善心斎橋店閉店のニュースに接して

2005-07-31 15:48:46 | 読書

昨日(30日)の朝日夕刊に「さよなら『出版の街』 丸善心斎橋店閉店へ」の記事を見た。今日、7月31日で閉店だそうである。2年前に神戸から丸善が姿を消して今度は大阪でも、と一瞬淋しさを感じたが、記事をよく読んでみると9月に新装開店するそごう心斎橋店に現在の1.7倍の面積の新店がオープンするとのことなので安堵した。とはいえ私がかってよく訪れた青春の舞台が一つでも姿を消してしまうのは寂寥感を誘うものである。

手元に一冊の本がある。大きさは16.5 x 25.5 x 7cmで重さは秤量2kgの秤では針が振り切れてしまう。2.5kg前後はあるだろうか、タイトルは「ORGANIC CHEMISTRY BY PAUL KARRER」、有機化学の教科書で約980ページの大冊である。著者のPaul Karrerは1937年に「カロテノイド類、フラビン類およびビタミンA、B2の構造に関する研究」でノーベル化学賞を受賞したチューリッヒ大学教授。原書はドイツ語で書かれたものであるが英語訳も第一版が1938年に出版されて私の手元にあるのは1950年出版の英語第四版である。

この本にお目にかかったのが丸善心斎橋店で書棚に一冊だけ収まっていた。背表紙の一部が赤地になっていてORGANIC CHEMISTRYの文字が浮かび上がっているのが私の目を惹いた。手にとるとどっしりとした重量感と新知識を運んでくれる充実した内容に魅了されてしまった。無性に欲しくなったがおいそれと購入できる値段ではない。それ以来何回か店を訪れてご対面しては無事を確認しつつお金を貯め、ようやく手に入れたときは文字通り欣喜雀躍したものである。書き込みによると1955年2月18日でその後私の座右の一書となった。

大学では何人かの教授が手分けして有機化学の講義を担当していた。そのお一人がアミノ酸の研究で令名高き赤堀四郎先生で躊躇なくその講義を選択した。先輩たちからかねて耳にしていたことであったが、その評判通り講義される声がとても小さい。聞き取るだけで神経を消耗する。そこで先生の目を避けるようにしながらノートを取る代わりに講義をKARRERの本でチェックし始めた。すると当然のことながら『KARRER』のほうが遙かに分かりやすいのである。となるとわざわざ講義に出るまでもないということですっぽかし、それで試験を受けるだけでは失礼だからと単位を取ることを遠慮した。そして有機化学は他の教授の講義も受けることなくひたすら『KARRER』に親しんだのである。

今から思うとその頃の大学はとても自由で必修科目のような定めはなかった。学部に進学した最初のガイダンスで「せっかく生物学科に来たのだから修得した単位が数学ばっかり、なんてことにはならないように」と云われたのが今でも記憶に残っている。だから自分の思いのままに講義を選択できたのである。

大学4年の夏休みに天草にある九州大学の臨海実験所で実習することになった。私の大学の生物学科は戦後創設されたいわばアプレの学科で臨海実験所は他の大学のものを利用させていただいていた。それまでは京都大学の白浜臨海実験所が決まりのようであったが、化学科の学生が工場見学を名目に遠いところまで何泊かの遠征旅行に出かけるのが羨ましく思っていた。そこで級友たちと相談して出来るだけ遠いところ、例えば九州の天草の臨海実験所に行きたいと希望を出しそれが認められたのである。私もその前後あちらこちらを歩き回るべくルックザックを整えたが重さも顧みず『KARRER』をそのなかに忍ばせた。

長崎、熊本、鹿児島、宮崎などを二週間ぐらい歩き回ったが、その間『KARRER』はいつもルックザックに納まっていた。見物に忙しくて本を広げる時間はなかったが、絶えず背中を介して私の肌身に接していたせいで本の中身が私に浸透してしまったようである。その年の秋、大学院の入学試験で有機化学の設問にも自信をもって答えることができた。筆記試験のあとの口頭試問で赤堀先生が「君は有機化学を取っていないのによくできているね」と訝しげに仰ったのに「Karrerの本を何回も勉強しておりますので」と慎ましげにお答えしたものだった。

その後私が大学院に在学中の1960年代はじめに有機化学の教科書「L.F.Fieser,M.Fieser:Textbook of Organic Chemistry」が日本で学生たちから熱狂的に迎えられた。しかしこれはアメリカで流布している本そのものでなく日本で印刷製本されたもので丸善が刊行していた。一般に洋書そのもの値付けがべらぼうに高く学生が気軽に手を出せるものではなかったからそのような便法が取られたのであろう。Amazonを通して、場合によっては定価よりも安く購入できる今からは想像出来ない時代であった。


「花まんま」の楽しさ

2005-07-18 13:26:40 | 読書

この度第133回芥川賞・直木賞の発表があった。芥川賞受賞作品はいずれ「文藝春秋」に掲載されるのでそれでお目にかかることにして、直木賞の朱川湊人著「花まんま」はもし書店で見つかれば読みたいなと思った。というのは《受賞作は大阪の路地裏を舞台に、怪奇色をにじませながら子どもたちの心を丁寧に描く短編集》と新聞に紹介されていて、『大阪の路地裏』『怪奇色』『子どもたちの心』が私のノスタルジーを刺激したのである。

三宮の書店に出向くと話題作の棚に2冊だけ立てかけられていたので早速購入した。奥付に2005年4月25日に第一刷発行、6月30日に第二刷発行とあった。

『帯』の後ろ側に各短編が要約されている。

トカビの夜
 あの日、死んだデェンホが
 私の部屋に現れた

妖精生物
 大人を知らぬ少女を虜にした、
 その甘美な感触

摩訶不思議
 おっちゃんの葬式で霊柩車が
 動かなくなった理由

花まんま
 妹が突然、誰かの生まれ
 変わりと言い始めたら

送りん婆
 耳元で囁くと、人を死に
 至らせる呪文『送り言葉』

凍蝶
 墓地で出会った蝶のように
 美しい女性は今どこに

トカビの夜を読んだ。
面白い。
童心に帰る。60年を瞬時にして舞い戻る。
一編ずつじっくりと楽しみながら読んでいこうと思っていたのに、途中で本を置くことが出来ない。これこそ英語で言う『page turner』なんだと思いながら一気に読み終えてしまった。

紹介に『怪奇色』とあったので、この梅雨明けの暑気払いにとってつけたような『怪談』では承知しないぞと少々身構えたがそれは全くの杞憂、さすが直木賞受賞作、そんなちゃちな造りではないのである。『非日常の話』と『日常の話』がまったくシームレスに組み上げられているから『非日常の話』の迫真性が高まり『朱川ワールド』の抒情が深まる。古事記の世界でもある。

私の好みで云えば花まんま摩訶不思議。この本を「ブックオフ」に持って行くわけにはいかない。私の書棚に安住の場所を作った。

『パイプ』をくゆらせていた頃

2005-07-11 17:06:49 | 読書

昨日整理したフィルムに混じって白黒のプリントも沢山あった。そのなかに思いがけない儲けものがあった。私がパイプを燻らせているのである。その唯一の証拠写真だと思う。どのような状況であったかのか記憶にないが場所は間違いなく覚えている。現在大阪市立科学館の建っているところである。

第二室戸台風による高潮で研究室が水没してしまったが、実はその時に完成すれば移るはずであった新しい研究所の建設が始まっていた。株式会社壽屋(現社名をご存じの方は相当のご年配)の創業60周年記念行事の一環として、酵素化学を中心とした生化学研究のための研究所が大阪大学に寄贈されることになっていたのである。そして理学部の北棟の西方延長線上に建てられた4階建てのスマートな建物は鳥井記念館『酵素研究所』と命名された。一階が機械室に培養室で2、3、4階をそれぞれ分野の異なる研究室が占めることになっていたが、私の所属する研究室が2階に一番乗りした。全研究室が水没した事情が考慮されたのであろうか、高潮の翌1962年5月に早くも移転が完了した。

新しい研究室は夢のような環境であった。もちろん冷房室完備、摂氏5度にちゃんと保たれている。さらに生体材料凍結保存のための冷凍室まで備えられていた。また測定室は摂氏20度に保たれた恒温室で最新鋭の高価な測定器が部屋の主であった。

一方泣き所もあった。リフトが無いのである。大型の実験機器などはクレーン車を使って搬入された。しかし日常の物品はみな手で運ばなければならなかった。一番こたえたのが窒素などの入った『ボンベ』の運搬であったが、30代の私は多分50kgを超えたであろうボンベをひょいっと肩に担ぎ、弾みをつけて2階まで駆け上がったものである。幸い途中で落とすようなことは一度もなかった。

建物は出来たがメンテナンスの人員はゼロ、日常の保守点検は大学院生など若手研究者が分担した。クーラーの冷却水が屋上に送られてどう呼ぶのであろうか、かなり大きな箱形装置の上部からメッシュを伝わって落下する水流に大きな扇風機からの冷風が吹き付けられた。ゴミを取り除いたり貯めの水位を一定に保つように毎日のように点検していた。給水に排水、そして電気系統の保守など、ビルの保守管理のアルバイトなら出来そう、と冗談を言い合ったものである。そして手に負えない異常があるとやむを得ず業者に連絡してきてもらう。『須賀工業』という施工業者であった。

後年思いがけないところでこの『須賀工業』に出会った。
私はかねてから、数年前に亡くなったが、須賀敦子さんの書かれたものを愛読している。亡夫君がイタリア人でイタリア生活が長く、暖かいゆったりとした眼差しで眺めたイタリアの生活の描写がなかなか魅力的だからである。さらに筑摩書房から出版された「遠い朝の本たち」に出てくる昔に読まれた数々の本が私の思い出と重なるのがまた楽しかった。女のくせして(失礼!)少年講談集の「猿飛佐助」に「霧隠才蔵」、田河水泡の「のらくろ二等兵」や澤田謙の「プルターク英雄伝」を読んでいたとは、と親近感を抱いてしまった。

この須賀敦子さんがこの『須賀工業』のお嬢さんであったらしいのである。道理で優雅な話がさりげなく出てくるのも納得できた。《私が六歳のとき、父は、当時そう呼ばれた世界一周の旅をした》とか、《麻布に住んでいたころ、私と一つ違いの妹とは、二階の洋間に大きなベッドを二台ならべて寝ていた》等々である。不思議な因縁を感じたといえる。

ところで上の写真である。この建物の正面入り口の上に庇が横に長く張り出していたと思う。何故庇にわざわざ降り立ったのか記憶にはない。しかしその光景をカメラに収めるなにか特別の機会であったことは間違いない。まあ、それにしても暖炉の前の安楽椅子にどっかりと身を沈めてならともかく、私の庇の上のパイプ姿はどうにも様にならない。それでも本人は一端にダンディーぶっていたのだから若さとはこわいものである。

建物は消えてしまったがここに写っている8人全員が三十数年の齢をそれぞれ重ねて健在であるのが嬉しい。

曾野綾子さんに『絵文字』のすすめ

2005-07-04 19:53:51 | 読書
妻が図書館から借りてきた曾野綾子著「透明な歳月の光」を読み終えて私に廻してきた。著者を通して伝えられる夫君朱門氏の言動が、日頃私の『珍説』とよく符合することに妻が面白がって彼女の本を探し出してくるのである。もちろんわたしも曾野綾子さんの見解に賛同することが多い。六、七割は共通の感覚を持っているように思う。

でも時にはひっかかる文章もある。
「絵文字 個性豊かな文章を書く努力を」の一文もそうである。

ある日ファックスが間違って著者の家に届いた。返送するにも発信人の電話番号が見当たらない。ところが、そのさまよいこんだファックスが《最近ますます隆盛を極める「絵文字入り」の手紙》で、この種の手紙を現実に受け取ったのがこれまでなかった彼女に《別の感動》を与えたそうである。

《「★今日は手紙ありがと!!胸あつくなっちゃたよ◇◇しかたないよね、そういうこともあるんだから▽▽」》 ここで◇はハートマーク、▽は雨だれマークである。

しかし著者はものわかりのいい「年長者」になるのをやめる、と宣言してこのように宣うのである。

《昔から一芸に達するには、それぞれに一定の年月の修業が要った。(中略)毎日毎日文章を書き続けた。何万枚どころか何十万枚も書いたのだから、呼吸をするのと同じくらい楽に文章を書けるようになった・・・(後略)》
《一つのことを続ければ、一芸に達するだけでなく、いいか悪いかはわからないなりに個性ができる。だからわれわれ年長者はものわかりのいいことを言って若者の好きなようにさせるのではなく、絵文字でない文章を書ける人になることを若者に強制していいのだと思っている。》

なるほど、修業せいと仰っているのである。
でもこれは向ける矛先が違っているのではなかろうか。

一方は仲間同士の『会話』でもう一方は商品としての『文章』である。
ご自分は呼吸するように文章をお書きになるのはいいとして、皆が皆まで文章を売り物にするわけではない。この若者にレポートを書かせたら見違えるような文章でまとめるかも知れないではないか。問題の持ち出し方に無理がある。何十万枚も書くには時にこのような『こじつけ』がやむを得ないのかと思ってしまう。

数十年前に神戸の由緒正しき女子大のアメリカ人教師が、学生がジーパン姿で教室に現れたと激怒して授業を放棄したことがある。何故激怒したのか、ジーンズ姿の教師が伊達に見えるこの頃、それをわかる人が今どれぐらいいるだろう。それを思うと、絵文字、顔文字を巧みに操る『作家』が幅をきかす時代がもうそこまでやってきているのかも知れない。


「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」が何故売れる?

2005-06-27 11:33:47 | 読書
山田真哉著「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」(光文社新書)にふと手が出た。本屋には山積みされているだけならともかく、「さおだけ屋」という時代離れした商売が出てくるので、それに惹かれたのかもしれない。

あっという間に読んでしまった。

「身近な疑問」として取り上げられたのが七つのエピソード、その最初が「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」である。全編を通じて、誰でも常識として、また生活の知恵として身につけている『ものの見方・考え方』が、ここが著者の『冴え』であるが、会計学の用語に結びつけて語られているだけなので、なるほどなるほど、と抵抗もなく頷きながら読んでしまうのである。

たとえばあるところで《院長は会計に強いわけでもなんでもないが、経験からそのことを知っていたのである》(196ページ)と記されているが、《院長》を《読者》と置き換えればそのまま通用するようなエピソードばかりである。

会計学の用語といってもさほど特殊なものではない。各エピソード毎に記されている「利益の出し方」「連結経営」「在庫と資金繰り」「機会損失と決算書」「回転率」「キャッシュ・フロー」「数字のセンス」などの副見出しがそうである。

では「さおだけ屋がなぜ潰れないのか?」
もちろん本書にはその答が出ている。しかし私がそれをバラスわけにはいかない。推理小説の『トリック』を明かすようなもので、それでは著者に申し訳けない。

エピソード2「ベッドタウンに高級フランス料理の謎」、エピソード3「在庫だらけの自然食品店」、エピソード4「完売したのに怒られた!」・・・、みなしかり、それぞれに『トリック』が仕掛けられている。

私は新聞、通勤電車中吊りの週刊誌広告の見出しを連想した。「何だろう」と好奇心を上手に掻き立てて買わせる、あの『見出し』である。この新書の『見出し』はそれに決して見劣りはしない。

そこで読者が本に目を通すと、自分の身についた考え方とか行動が、会計学のちょっとした専門用語で語られているにに出会って、「あれっ、自分てけっこう高尚なことをやっているんだ」と呟いてニンマリとしたらこれで著者の勝ち。この仕掛けが全編に鏤められているから読者は快く自尊心をくすぐられる。2月20日に出版され6月20日にはやくも14刷を重ねているのも宜なるかなである。

ここで辛口を一言。エピソード5で回転率の重要性を説明するのに「トップを逃がして満足するギャンブラー」と題して、麻雀荘での「フリー麻雀」勝負の情景が2ページ半にわたって述べられている。が、麻雀に不案内の私には何のことだかさっぱり分からない。私と言わずす麻雀に不案内の読者も多いだろうに、このような話題を取り上げるのは思慮が足りない。分からないことに字面を追わされるだけで損をした気になる。

著者はその記述に続いてこのように述べている。
《私はギャンブルはやらない性質(たち)だ。まして、マージャンなどルールすら知らない》

オイオイちょっと待て、これこそ『ルール違反』じゃないか、と思わず声が出た。読者どころか著者自身からしてこれでは話にならない。もっともこのようにはさらに続く。
《この話は、知り合いのKさんがフリー麻雀で実際に体験した話である》。回転率を説明するのに適切なエピソードは他にいくらでもあるだろうに、と思った。このエピソードの扱いは杜撰である。

「金返せ」と言いかけてグッと言葉をのみ込んだ。
著者はちゃんと《商売の原則は等価交換》(51ページ)で予防線?を張っているのを思い出したからだ。少し長いが引用する。

《商売には原則がある。等価交換という原則だ。たとえば100円ショップで買ったものがすぐに壊れたとしたら、あなたはわざわざお店まで文句をいいに行ったりするだろうか?おそらく「100円だからいいや」と思ってあきらめるはずだ。しかし、これが100円ではなく、数万円のものだったらどうだろうか?「数万円もしたのになんで?」と、すぐにお店に駆け込むはずだ。》

この新書本は700円也、私は「金返せ」と叫ぶのを止めることにした。


「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」の読み方

2005-06-24 17:45:13 | 読書
この本の「はじめ」に著者の鳥居民氏はこう記している。

《アメリカ大統領ハリー・トルーマンと国務長官ジェームズ・バーンズの二人は、原爆の威力を実証するために手持ちの二発の原爆を日本の二つの都市に投下し終えるまで日本を降伏させなかった。これがこの本で考究する主題である。》
《ルーズベルトが急死して、トルーマンが新大統領となり、国務長官のバーンズが彼の新たな協力者となって、日本の二つの都市に二発の原爆を投下するまでの四ヶ月足らずのあいだ、この二人の間の論議はなにひとつ明らかにされることなく、二人が決めたことはなにも文字として残されていない。》

となると、この主題にどのように迫ればいいのか。鳥居氏は『豊かな想像力』と『説得力』をその武器とする。そして《そこで私の主張のある部分は推測を繋げることにならざるをえない。》と「まえがき」を続ける。

ルーズベルトの急死がトルーマンとバーンズに残した恐ろしい遺産が原子爆弾である。原子爆弾そのものが秘密であるのに加えて、『原爆公開』の方法が二人が共有する秘密であった、と著者は説く。

既に原子爆弾の製造に巨額の資金が投じられていて、いずれは議会にその正当性を示さないといけない。「一発で一都市全部を吹き飛ばす」ほどの威力を事実で示せば説明は要らなくなる。さらに戦後。スターリン支配の拡大阻止をはかるにはソ連の指導者を怖がらせ威嚇するに原子爆弾は格好の手段となる。

トルーマンには個人的な動機もある。ミズーリの田舎町の雑貨屋、エール大学の出身でもなかればハーバード大学の卒業生ではない。小物と映っている大統領であった。原子爆弾をしっかりと握り、ソ連の指導者を震え上がらせることが出来たら、もう誰にも後ろ指をさされることはなくなる。

二人にとって日本への原子爆弾の投下が至上の課題となる。

ソ連が早々と日本に戦端を開きその降伏を早めて、原子爆弾の効果を示す機会が失われると大事である。それに日本の戦後処理に大きな顔をしてこられても困る。原子爆弾の完成、日本への降伏勧告、ソ連参戦と原子爆弾投下、これらばタイミング良く練り上げられた筋書き通り進行しなくてはならない。

その筋書きの存在を読者に納得させるのが著者鳥居氏の技量である。
そして、とどのつまりそこまで話は進むのであるが、私には少々読みづらかった。
一つは鳥居氏が広範な資料の渉猟で『物知り』であることがその原因になっている。あれやこれや多くの知識があるが故に、自分の主張との『辻褄合わせ』を律儀に行おうとしている。それが一般読者を自認する私には煩雑すぎるのである。

記述方法にも問題がある。何遍も何遍も前の話に遡るのである。論考する立場ではそれでよいのだが、『読み物』を読むつもりでいるものにとっては、そこまで生真面目ににならなくても、という気になる。

「断章 六月二十六日、チューリッヒのグルー」はとても素直に読めた。というよりそこで紹介されるいくつかの挿話に感動を覚えた。2・26事件で殺害された斉藤実子爵の葬儀の場面などがそうである。ところが実はこの章は著者の隠し味なのである。ここではこれ以上触れるのを控える。

それで思ったのだが、もしこのテーマで私のお気に入りダン・ブラウン氏がフィクションとして書き下ろしたとしたら、グイグイ物語に引き込まれたことであろう、と。

主題から外れるので最後に述べるが、前章に記された大戦末期の中国大陸における日本軍「一号作戦」の解説は出色である。戦後の世界大局にも影響を与えたと言われる作戦にまったく無知の私は蒙を啓かれた思いがした。

そうして本当の最後。この本は一気に読むことをお薦めする。間を置くと頭が混乱して放り出したくなる。


書評欄にQRコードを

2005-06-24 11:47:51 | 読書
新聞・雑誌で書評を見るのは楽しい。

毎週日曜日の朝刊で真っ先に開くのが書評のページ、既に読み終えた本の書評が結構目立つが、それでも書評を読んで手を出す本が2、3冊は必ずある。

書名、著者名などをメモすればそれまでなのだが、なんとか楽はできないかと考える。
携帯で必要な箇所を撮影しようとしても、文字の配置がピッタリとフレームになかなか合ってくれないし、また携帯画面でも文字を読み取りにくい。

そこで提案だが、書評に取り上げられた本それぞれの必要データをQRコードで表示して貰えないものだろうか。極めて手軽にデータを持ち歩ける。また本の裏表紙にも同様のQRコードを表示していただくと、今すぐには手を出さないが考慮中ということでメモ代わりに携帯に保存できる。ぜひ出版各社に取り上げていただきたいものである。

一方テキストデータなどをQRコード化するフリーソフトが沢山出回っている。いろいろな活用法が考えられるが、今私が読んでいる本のデータを上のQRコードで表示した。ブログの予告としてご覧ください。