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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

淡路島で魚料理のあとは灘黒岩水仙郷へ

2009-01-20 18:50:19 | 旅行・ぶらぶら歩き
震災の日の1月17日、天気が穏やかでお出かけ日和だなと思っていたら家人に声をかけられ、灘黒岩水仙郷へ車を走らせることになった。「しあわせの村」から阪神7号線に入り、神戸淡路鳴門自動車道で明石大橋を渡り西淡三原ICで出た。お昼前だったので美味しい魚でもと気にかけていたら道ばたの看板が目にとまり、標識に従って「はぶ荘」に辿り着いた。



4台ほど駐められる駐車スペースが運良く空いていたので車を置き店に入ると、下の漁港からまだ主人が魚をもって帰っていないのでしばらく待って貰えるかと聞かれた。別に急ぎでもないので通された小部屋で膝を抱えて待つこと30分あまり、ようやく調理場で料理が始まった。おまかせ定食が1500円から。私はそれで十分だと思ったが2500円になると煮魚が付くという。そこでそれぞれを一つずつ注文することにした。どこがどう違うのか、見比べる楽しみもあったのである。上が1500円、下が2500円でこれに天ぷらが別に運ばれてきた。天ぷらは同じだったが刺身は微妙に違う。しかし材料は新鮮そのもので実に美味しい。また煮魚のメバルは小ぶりでそのせいか2匹盛られている。母がいなくなってからは食卓に煮魚の上がることが少なくなったのでまことに美味しく頂いた。もちろん私の取り分は一匹である。さよりだと思うが三枚に下ろて身の天ぷらは言うに及ばず、残りの頭に背骨を揚げたものはせんべいのような歯触りでシャリシャリと頂けてこれもなかなかよかった。次から次へと客が押し寄せてなかなかの繁盛であった。




食後は落ち着いて灘黒岩水仙郷に向かう。ところが水仙郷より遙か手前のところで係員が駐車場に入るように手招きをしている。どういうことかと思っているとこの第五駐車場から水仙郷へはマイクロバスで送迎すると言う。なんと2、3キロ離れているのである。それまでは車もまばらでのんびりとドライブを楽しんでいたのに、忽然と車と人が湧いて出たようである。水仙郷では水仙の原生している急な斜面を遊歩道に沿って登っていくのであるが、脚に自信のない人は無理をせずに下から眺めあげる方が良いのかも知れない。遊歩道は人が密集していて遠くから眺めた時はアリの行列のように見えた。風もなく海も穏やかで頂上付近では早くもほころびかけた梅の香りが漂っていた。



帰りは洲本ICから再び神戸淡路鳴門自動車道に入る。土曜日とあって通行料金はETC搭載車では半額となり、往復で5000円前後で、家を出てから6時間ほどの小ドライブであった。

銀座 音楽ビアプラザライオンで

2007-12-11 13:06:40 | 旅行・ぶらぶら歩き
東京に出て来ると一度は銀座をぶらつく。銀ブラである。今回は着いた一日目の夜をつばめグリルで過ごし、そのあと銀座4丁目の方に歩いていると、道を距てて「ALFRED DUNHILL」のネオンが目に入った。どうもビル全体がダンヒルのものらしい、照明が皓々として大勢人だかりがしているのでカメラを向けた。後で知ったことだが、翌12月1日の開店を前に最後の仕上げをやっていたようである。



四日目の夜も銀座7丁目の音楽ビアプラザライオンで過ごした。行くところがないとつい足が向いてしまう。といっても以前来たのはいつか思い出せない。銀座ライオンの五階にあって午後6時半から4ステージの生音楽を楽しむことができる。かならず歌のあるのがいい。まだ時間が早かったので銀座のあちらこちらを歩き回り、そろそろ行こうかなと並木通からみゆき通に入り中央通の方へしばらく歩いていると、後から「もしもし」と男性に声をかけられた。振り返ってみると私より遙かに立派な身なりの紳士である。客引きであるまい、と心を許して「はい」と応えた。

松坂屋の並びで銀座7丁目のライオンという店に行きたいが、とのこと、偶然に驚きながら「私もそちらの方にまいりますから、ご一緒しましょう」と申し出た。道すがらこの紳士、「若い人に何人か声をかけたのですが、はかばかしい返事ではなかったので、私と同年配の方にお訪ねしようと思ったらあなたが目に入りましたので」と仰る。つづけて「私は70歳です。実はたった今ロンドンから帰ってきたところで、直接やって来ました」に始まり、会社を定年後ロンドンで仕事をしているとかなんとか、絶え間なく話をなさる。お蔭で私は余計なことを話せずに済んだが、ひょっとして日本語のウオーミングアップかな、と思ったりもした。中央通に出て銀座ライオンを指差すと、有難うございましたと云いつつ、紳士はそちらぬ向けて足を速めた。私は銀座ライオンの裏にまわり、エレベータを待っていると、その紳士がまたやって来た。会社のOB会に来たのですが会場は6階だと云われましたので、との事である。紳士らしく私をまずエレベーターに乗せ、私は挨拶を交わして5階で降りた。

音楽ビアプラザライオンでは舞台に近いテーブルがまだいくつか空いていて、私は前から二列目のテーブルに通された。それからは携帯でアップロードしたとおりで、結局第三ステージまで腰を落ち着けていた。結構常連さんも多いようで、合間に出演者げテーブルを廻ってきて親しげに話し合っていた。当日出演者のリクエストリストにあるように、演奏曲目はポピュラーなものばかり、知っている歌は隣の女性三人客に習って演奏を邪魔しない程度に声をあげてきた。



音楽料は1050円であったが、これだけ払うと最後までビール一杯でもよいのだろう。また東京の人が羨ましくなってきた。


鼠小僧次郎吉のご利益

2007-12-06 20:00:50 | 旅行・ぶらぶら歩き
両国の江戸東京博物館を見物したついでに回向院に向かった。天明元年(1781)に境内で行われた勧進相撲が国技館大相撲の前身ということなので、以前にも朝青龍のことでブログで触れたこともあり、とにかく見てやろうと思ったのである。勧進相撲の場としての面影は消え失せていたが、思いがけなくも有名人のお墓に出会った。鼠小僧次郎吉なのである。

回向院は明暦三年(1657)の江戸大火(振袖火事)の死者を埋葬した無縁塚が起こりであるが、万治年間(1658-61)に刑死者を弔うために三仏堂が建てられ、さらに寛文七年(1667)には小塚原刑場に別院の常行庵が建てられたと言うから、この刑場で処刑された鼠小僧次郎吉のお墓があるというのも辻褄が合う。



もともと鳶人足であった次郎吉が身をもちくずし武家屋敷などに侵入して盗みをはたらき、一旦捕まえられて入れ墨・追放となった。しかしその後も盗みを重ね、天保三年(1832)、最後に大名屋敷に忍び込んだところで捕まり、江戸市中引き回しの上、小塚原で磔、獄門となったのである。

武家屋敷での盗みが多かったので当時から義賊との評判が高く、盗んだ金品を貧乏人に分かち与えたとの話が芝居や講談などで語り継がれて広まった。この次郎吉の墓碑の前に「お前立ち」という石塊が置かれていて、見ていると参詣人が小さな堅い石片でこの「お前立ち」を削っていた。立て札にそうするように書かれているのである。

削り取った粉をどうするのかと思って尋ねてみると、この粉包みをお財布に入れておくとお金が増えてくるとのことなのである。義賊の施しということだろうか。私も石塊を削り粉を集め硬貨入れに入れて持ち帰った。しかし今では札入れに収まっている。次はこのお札で宝くじを買ってみようかと思う。


PiTaPaとICOCAの東京での使い勝手

2007-12-05 15:40:03 | 旅行・ぶらぶら歩き
東京に出かける日、JR駅の改札口でPiTaPaをかざして通り抜けようとしたら、何か警告メッセージが出て扉が開かない。もう一度繰り返しても同じ、中に入れない。「複数のカード」とかの文字が目に入りそれで思い出した。カードケースにICOCAカードを予備に入れていたのである。このICOCAを取りだしたらPiTaPaが正常に働いてくれた。PiTaPaに入金をしておくとICOCAとしても使えるので、2枚のカードが衝突したのである。

羽田空港に到着して京急線で品川まで行くのにこのPiTaPaを使おうとしたら受け付けてくれなかった。PiTaPaにICOCA機能があり、ICOCAはSUICAと互換性があり、SUICAはPASMOと相互利用が出来るようなことだったので、このように辿っていくとPiTaPaでPASMOの働きをするのでは、と思ったのに駄目だった。そこで品川まで乗車券を買った。

次に品川駅でJRに乗ろうとしてPiTaPaを使ったが、今度も受け付けて貰えなかった。そこで予備に持っていたICOCAに念のために入金するとOKであったので、それで改札口を通り抜けた。ところがICOCAでも問題が発生した。

品川駅構内で荷物を預けようとしたところ、SUICAで操作できるロッカーが目に入った。説明に従い荷物をロッカーに入れて扉を閉じ、ICOCAを接触面に当てても作動してくれない。SUICAとの互換性がなかったのである。現金でも使用可であったので300円を投入した。



PiTaPaは関西でこそICOCA機能を持つがそれだけのもの、関東では一切使えないようである。またICOCAはSUICAと互換性はあるものの、運賃決済のみに限られるているようだ。PiTaPa一枚あれば関西でも関東でも用が足りるように早くなって欲しいものである。

カーナビより地図ソフト

2005-09-06 21:38:56 | 旅行・ぶらぶら歩き

思い立って湯村温泉に一泊のドライブに出かけた。中国自動車道から舞鶴若狭道に入り福知山で出て9号線を湯村温泉に向かう。経路を道路地図から頭に叩き込んでいたのでドライブは順調、何の問題もなかった。

翌日、温泉からの帰途は気分任せで道路地図を頼りに先ず浜坂に向かった。漁港があるので海の幸にありつければと思ったのだが、下調べもしていなかったので何が何処にあるのやらさっぱり分からない。JR浜坂駅に出て観光地図を見たがそこに描かれている道路と現実の道路がどのように対応するのか手元の道路地図では分かりづらい。そこで道路標識を頼りに車を走らせたが、同じ所を何回かクルクル回るだけなので嫌気がさして浜坂を離れた。海岸沿いに車を走らせて城崎まで行き、円山川沿いに下がろうと考えたのである。

178号線を走っていると思いがけず余部鉄橋が目に入ってきた。下調べをしなかった余得のようなものである。橋のたもとの駐車場に車を停め鉄橋の写真を撮ったり日本海を眺めたりして、この先海岸沿いに日本海をたっぷり味わえるとの期待感に胸を躍らせた。

香住を過ぎて小さな町に入り、曲がりくねった道を走っているうちに交差点に出た。城崎という文字が矢印と共に道路標識に現れたが、後で思えば千慮の一失、より走りやすそうな矢印と反対の道を選んでしまった。178号線の続きであるが50km制限が勿体ない道路が眼前に展開した。「誰の選挙区だろう」と思いながら鄙に見慣れた立派な道を疾走するうちにトンネルに入り、だんだんと海から遠ざかっていく気配である。そして豊岡という道路標識が現れた。

先ほどの分岐点で間違ったのである。引き返すのも億劫なので豊岡の先にある出石でお昼を摂ることに気分を切り替えた。私の道路地図には四分の一ページの大きさで豊岡市の地図が載っている。しかし道路の繋がりが私の頭に整理して入ってこないし助手席の妻は眼鏡をかけるのを面倒くさがって地図を見てくれない。仕方なしに道路標示を頼りにしたがこれが役に立たない。いつの間にか出石という文字も道路番号も道路標示から消えて仕舞うのである。ここでも二三回同じ道をクルクル回りながら修正を加えてようやく出石への道を取ることができた。

これに懲りて出石からは和田山に出て播但道に乗るまでの道筋を道路地図から頭に叩き込むことにした。ところが1999年発行私の地図では播但道は生野北止まり。否が応でも道路標示頼みにならざるを得なかった。

道路地図は最新のものでないと、とは前々から思っていたが、今回の出来事でその必要性を実感した。ところがそれでも不便なのは詳細図が限られていることである。調べたいところがその範囲外ということがザラである。となると選択肢がカーナビか地図ソフトか、ということになる。

私はカーナビのお世話にはなりたくない。カーナビを愛用している息子は便利だからと勧めてくれるが、ただでさえ人に口出しされるのが嫌いな私が機械ごときに指図されるのは真っ平である。地図と磁石もしくはお天道様を頼りに道を探し歩いてきたある種の動物的な『勘』をそんなことで失いたくない。時には息子の車に乗せられてドライブに出かけることのある妻もカーナビを勧める。ドライブを終えるとカーナビが「長時間のドライブ、お疲れ様でした」とか云ってくれるのがいいよ、とか。

となると自ずと選択は地図ソフトになる。インターネットからMapFan.netとゼンリンのits-moNaviの無料体験版をそれぞれダウンロード、インストールしてその性能などを比較してみた。要は目的地までの経路が分かればいいのであるから場所の検索機能と表示のズーム機能があれば私にはもう十分である。双方それぞれ特徴があって遜色がない。価格も前者が年間税込み2079円なら後者は1980円でほぼ同じ。ところがプリントアウトしてみると両者の違いが顕著になった。MapFan.netは画面に表示されたまま印刷されるのにゼンリンの方は画面通りには印刷されず、例えば幅のある道路がただの線になったりそのほか印刷されない部分がかなり目立った。それでMapFan.netが残ったがこのプリントアウトをこれまで使ってきた昭文社の道路地図と較べると、見慣れているこをと割り引いても私の好みは昭文社に軍配が上がる。

昭文社もSuperMappleDigitalという地図ソフトを発売しているが、こちらはCDもしくはDVDによる発売で、全国版は1万円を上まわる。ダウンロード版は用意されていない。試しようがないのでそこは冒険、従来の道路地図と同じようにプリントアウトされるであろうとの予測で結局この製品を購入した。前二社の製品に較べて割高のようであるが毎年更新するほどのことでもなし、ノートパソコンに2GBほどの全データをインストールしておくとオフラインで何時でも必要な箇所を参照できるなどのメリットがある。

同じ地域のプリントアウトを並べてみた。上からSuperMappleDigital、



MapFan.net、



its-moNavi



の順である。基本的にはデフォルトの設定で印刷をした。最新のマップが手には入って時はまさに秋、ドライブが忙しくなりそうである。

私の煙草遍歴から『煙草のめのめ』へ

2005-06-05 13:58:04 | 旅行・ぶらぶら歩き
私は煙草を吸わない。
しかし一時は一日に四十本以上吸うかなりのヘビー・スモーカーだった。

吸い始めは満二十歳を過ぎた大学生の頃、多分友人が吸っているのに好奇心から手を出したのがはじめてであろう。日本育英会から奨学資金の貸与を受けている身分、奨学資金は煙草を買うためではない、とか勝手な理屈をつけてその友人に煙草をたかるのが常であった。「禁煙なんて簡単なもの、何回でもできるからね」じゃないが、ほぼ10年にわたる学生生活の間、何回も禁煙を試みながら煙草からは縁が切れなかった。

大学院の頃は徹夜が多かった。冷房室なんて高嶺の花の1950年代、常温では傷みやすい『生もの』を使っての実験を夏の日中に行うことは出来ない。夕闇が迫る頃、近所の炭屋兼氷屋から十貫目の氷塊を手かぎに引っかけて運び込み、『生もの』を処理する機械装置など、冷やせるところををビニール袋に入れた『ぶっかき』で冷やしながら夜通し仕事をするのが常であった。その時、一番困ったのが機械の調子よりも夜中に煙草の切れることであった。外に出ると自動販売機があるようなご時世ではない。惨めにもあちらこちらの灰皿からしけモク(吸い殻)を漁った。しけモクからも見放された時に、思い切って煙草を止めようか、と思うことがあった。

1966年に渡米したときは煙草とはすっかり縁が切れていた。それがロスアンジェルスでさくら丸から下船し、大陸横断列車でシカゴ、ニューヨークを経由ニュー・ヘブンに向かう間にまた縒りが戻ってしまったのである。大陸横断には丸三日かかった。食事にダイニングカーに出向いたところ、案内されたテーブルの上にキャラメルの箱を引き延ばしたような洒落たパッケージが置いてある。何だと給仕に尋ねると、煙草の新製品で長い煙草だという。道理で煙草のパッケージに見えなかったはずだ。試供品だから試してみろ、と勧めるのでふと手に取ったのが運の尽き、それから2年間の滞米中に煙草浸りになってしまった。

スーパーマーケットに行く。驚くほど煙草の種類が多い。それを米国人はカートンで何本もショッピング・カートの中にほりこんでいく。銘柄は何十種類もある。そこで私は即刻決断、どうせ吸い始めた以上は全部試してみることにした。新しい銘柄にチャレンジするのがとても刺激的でスーパーやドラッグ・ストアにせっせと通い、私の好みは遂に「KENT」なる銘柄に落ち着いた。

2年間の滞米生活を終えて帰国後は「hi-lite」党になった。その頃から紙巻き煙草と肺ガンの関連が取りざたされるようになったかと思うが、愛読していた團 伊玖磨氏の「パイプの煙」シリーズに影響されたこともあってパイプ党に変身した。「ハーフアンドハーフ」のような輸入煙草や「桃山」を嗜んだと思う。いつも安楽椅子にどっかりと腰を下ろしパイプを燻らすことが出来れば問題はないが、仕事に追われる身なので不便を託つようになった。紙巻きとは異なり、パイプを口に咥えたまま両手を動かすような作業が出来ないのである。仕方なしに紙巻きに舞い戻ったが、驚いたことに『ニコチン』の強さの違いのせいであろうか、紙巻きの消費量がパイプ前の倍になってしまった。

「偉大な発見は準備された心にのみ可能である」というのはパスツールの有名な言葉である。たとえ小発見といえども、かねてからの問題意識があってこそ可能になることを、私は幸いにも何回か実感できた。同じことが『禁煙』にも当てはまると思うのである。私が永久的に禁煙できたのはほんのちょっとしたきっかけで十分であった。ある会合の最中に煙草が切れたとき、抜け出して買いに出かけるわけにもいかないし、そうだ、止めてやろう、とふと閃いたのが最終的に私にとっての『廃煙』につながった。何回も禁煙を繰り返し、でもやっぱり止めたいなとの思いがあったからこそ禁煙が可能になったのである。そこで、パスツールの言葉の「偉大な発見」を「禁煙」と置き換えて世の中の『禁煙願望症候群』の諸氏に送りたい。

やはり、禁煙は簡単にできる

煙草から遠ざかって30年にはなるが、でも時々夢の中で煙草を吸っている。不思議とこれは夢の中なのだと云うことが自分には分かっていて、だから安心して煙をふかすのである。この30年の間に喫煙が「肺ガン」をはじめとする多くの疾病の原因に一役かっているなどと云われだし、喫煙者の側でいるだけでも『副煙流』の害が強調されるようになり、『嫌煙権』なる言葉も生まれた。

自分が煙草を吸わなくなるといつのまにか煙草の煙自体を不快に感じるようになった。煙草を燻らす人に近づかないよう自衛策をとるようになった。禁煙席を選ぶのもその一つである。しかし喫煙者の気持ちも分からないわけではない。だからやむを得ない状況下で同席者から「煙草を吸ってもよろしいですか」と同意を求められたら、周りを見わたして影響を受けそうなのが私一人なら「まあ、一本ぐらいはどうぞ」と応じる。先方もその言い方で私の心情を察してくださる。しかし見ず知らずの間柄の、たとえばレストランのようなところで同席した人が、このような気遣いをしめすことは残念ながら皆無に近い。周囲に何の顧慮を払うことなく、そして悪びれることなく煙草に火をつける人がほとんどである。その時は煙そのものよりも喫煙者のマナーの欠如に心が苛立ち、『人を憎んで煙を憎まず』の心境になる。

喫煙はとどのつまり嗜好の問題だから、私が嫌な思いをさせられない限り、煙草をおやめなさいなんて他人にお節介する気は毛頭無い。肺ガンであれなんであれ病気になるのもご本人の勝手である。適当に病人を作るようにしておかないと、患者ゼロの病院が早々と実現したら手持ちぶさたの医者が何を考え出すのか、その方に気が散ってしまう。だから煙草好きはドンドン煙をふかせばいい。

先週東京に出かけて千代田区だったか「路上禁煙地区」とかの立て札を目にした。見つかると罰金をとられるらしい。嫌煙論者からみれば有難い処置であろうが、愛煙家は反対に閉塞感を覚えるのでは、と同情する気も生れた。私の常識では愛煙家のいるのも現実であるから、『公』が喫煙を禁止するのであれば、同時に喫煙者が周りに気兼ねせずに喫煙できる喫煙施設を同時に作らないと片手落ちになる。国家が喫煙者を事業として育成したのだから最後まで面倒を見ルのが当然である。現状では喫煙者を二階に追い立てて梯子を外すようなことになりかねない。でもその対策はこれこそ商売上手の『民』に任せるのが上策であろう。『喫煙窟』を作ればいい。必要とあれば法を改正する。もちろん禁煙者は立ち入り禁止のSMOKER'S HAVENである。ついでにこんな歌を流したらいい。「煙草のめのめ」、大詩人北原白秋の格調ある詞に中山晋平が節をつけている。

♪煙草のめのめ 空まで煙せ、
 どうせ、この世は癪のたね。
   煙よ、煙よ、ただ煙、
   一切合切、みな煙。

七番まである。その最後

♪煙草ぷかぷかキッスしていたら、
 鼻のパイプに、火をつけた。
   煙よ、煙よ、ただ煙、
   一切合切、みな煙。

岩波文庫「白秋愛唱歌集」から引用した。



大正七年に芸術座が上演したメリメ原作「カルメン」の劇中歌だそうである。
その『喫煙窟』で煙草工場の女工姿のウエートレスが、口紅と火のついた煙草をサービスしてくれるなんていかがであろう。

この歌、私の好きな藍川由美さんが典雅に歌っている。


「十八代目中村勘三郎襲名披露五月大歌舞伎」一幕見席にたどりつくまで

2005-05-31 13:09:01 | 旅行・ぶらぶら歩き
昨年11月、東京に遊びに出かけた折りに、たまたま歌舞伎座の前を通りかかった。「吉例顔見世大歌舞伎」がかかっており、人の行列が目に入った。よく見ると「一幕見席」というのがあって、そのチケットの売り出しを並んで待っているのだ。歌舞伎座の四階が全席自由席で、各演目ごとに開演の直前にチケットが売り出されるらしい。だから早めに並びさえすれば必ず観劇できることになる。これは有難いシステムだなと思い、その日は夜の部の「廓文章」を観ることにした。

発売開始の1時間ぐらい前には舞い戻ってきた甲斐があって行列は一番乗り。お陰で4階中央の前列の席に座ることができた。まさに天井桟敷。ところがいざ幕が上がると舞台全体を俯瞰できてすべての動きが目に入るのがなかなかいい。科白もよく通るし役者姿の小さいことだけを我慢すれば観劇になんの支障もない。気楽に鴈治郎、雀右衛門の「廓文章」を楽しむことが出来た。

今回は浅間温泉での高校のクラス会の後、東京に遊びに出ることにした。第一の狙いは歌舞伎座の「一幕見席」である。前もってインターネットで調べると、なんと勘三郎の襲名披露狂言がかかっている。しかし私が東京に着く翌27日が千秋楽なのである。一日のチャンスを絶対逃すわけにはいかない。27日の朝、宿を後にして歌舞伎座に向かった。昼の部の最後四幕目の「梅雨小袖昔八丈」か夜の部の最後「野田版研辰の討たれ」が狙いである。「梅雨小袖昔八丈」の売り出しが13:30からなので少々早いかなと思いつつ歌舞伎座に着いたのが10時半頃、ところが早くも長い行列が出来ている。その後尾に「夜の部 四階一幕見列 最後尾」の掲示板を手にした法被姿が立っているではないか。「夜の部」は即諦めた。残るは「昼の部」である。



嬉しいことに「昼の部」の行列は三幕目の「弥栄芝居賑」のためのもので、狙いの四幕目はまだ人がいない。ということを係員に確かめてまだ時間があるので早めの昼食を角のPRONTO東銀座店で済ませた。四幕目の先頭になることを期待して歌舞伎座に戻ってきた。念のため何処に並んだらいいかを係員に尋ねると、三幕目の行列の中に一緒に入って、チケットの売り出しが始まったら四幕目ということで新たな行列を作ればいいとのこと。そこで指示に従った。

チケットの売り出しが始まった。列が進むにつれて横に退く人がいる。四幕目への列ができはじめて、早いと思っていた私は辛うじて10番ぐらいになった。次の発売開始までまだまだ待たないといけない。そのうちに「座れる」「座れない」なんて話し声が耳に入り出した。先頭10人までぐらいだったらいいとかどうとか。いったいどういうことだろう、とちょっと不安になった。そして私の勝手な思い違いを悟ることになったのである。

私の思い込みではこうであった。四階自由席は各幕ごとに全席入れ替えなので、行列でその座席数分にはいっておれば必ず座れると。ところがそうでは無かったのである。三幕目のチケットの購入者の中には次の四幕のチケットを連続購入した人がいた。そのうえ既に入場している一幕見席の観客で、上で次の幕へのチケットを買い足しする人も居るとか。
そういうことを私は知らなかった。係員に行列のことで聞いた時に、三幕目と四幕目を引き続いてチケットが買えることを何故教えてくれなかったのだろう、と思ったのも後の祭り。さあ、座って観劇できるのかどうか心配になった。三幕目が終わり階段を下りてくる観客の数も思いなしか少ない。そしていよいよチケットの発売開始。席はほとんど空いていないから立ち見をご了承願います、との無情のアナウンスにガックリときた。

四階席に足を踏み入れる。入り口のすぐ前の端席が一つだけ空いている。空席!躊躇無く腰を下ろした。落ち着いて周りを見わたすと空席もある程度散在していたようだ。しかし後ろの手すりにもたれざるをえない人もかなり目立った。

そしていよいよ「梅雨小袖昔八丈」の開幕。勘三郎の小気味よい「髪結い新三」に『不良熟年』を重ね合わせてみたり、自分勝手な楽しみ方で大いに堪能した。でもその筋書きなどを述べるのは私の任ではないので話はこれでお終い。

『禁煙席』で煙責めの怪

2005-05-28 16:01:14 | 旅行・ぶらぶら歩き
勘三郎襲名披露狂言の千秋楽の一幕、「髪結い新三」を堪能した後、銀座をそぞろ歩きしていると「ルノアール」の前にさしかかった。最初に入ったのは2、30年前になる。久しぶりなので懐かしく思い地下階段を降りた。

店内は思いのほか閑散としていた。銀座のど真ん中にありながら、煙草のもうもうとした煙りさえ我慢すれば、時間を気にせずに坐っておれる有り難い喫茶室だった。ご時世か右手の少し高くなったところが「禁煙席」になっている。すでに2、3組の客が席を占めていたので、気に染まなかったが空調機の前の席に坐った。

ココアを注文し本を読んだりメールを打ったりしていた。しかしどうも様子がおかしい。誰かが禁煙席なのに煙草を吸っているようなのだ。ところが両隣向かいも勿論のこと煙草を吸っていない。盛大に煙を上げているのは少し離れた喫煙席の男性のみである。それにしても煙草の臭いが異常に鼻につく。腑に落ちないないまま店を後にした。

外の風が心地よい。胸に深く空気をすいこんだとたん、先ほどの謎が解けた。空調機の吸い込み口の前に私は坐っていたのである。風があたると嫌なのでそれは避けたつもりだったが、まさかその場所が店内の煙が集中して流れ込んでくる濃度の一番高いところだとは思ってもみなかったのだ。

愛煙家の諸氏にこっそりお教えしよう。「ルノアール」では思う存分プカプカしてはあの憎っき天敵嫌煙家を煙責め出来るんだということを。


浅間温泉の怪

2005-05-26 06:56:19 | 旅行・ぶらぶら歩き
高校のクラス会で浅間温泉にやってきた。JR松本駅からバスで20分。遠くにまだ雪を残した山山は見えるが、浅間山がどこにあるのかメンバーの誰もが知らない。それでも『浅間温泉』なのである。しかも『温泉』であるはずなのになんと『湯』が8階に湧いている。客室はその下にあるのだ。

以前ロンドンのB&Bで就寝中掛け布団の上に水がドサッと落ちてきたことがある。上の客が何かへまをしでかしたとのこと。その出来事を思い出した。

まさか『温泉』の底が抜けて湯が落ちて来ることは無かろうと思ったが、おなじ抜けるのなら、裸の天女も一緒に舞い降りて欲しいものと願いつつ…、だからなかなか眠りに就けなかった。


『JRおでかけネット』(JR西日本)の怪?

2005-05-23 13:14:03 | 旅行・ぶらぶら歩き
今週浅間温泉で高校のクラス会が催される。温泉で一泊してから翌日は松本周辺を観光して夕方に解散の予定なので、私はついでに東京に出て2、3日ブラブラしてから家に帰ろうと思った。そこで新幹線や特急の時刻などをインターネットの『JRおでかけネット』を使って調べることにした。

往きは新神戸駅から新幹線で名古屋まで行き、そこで特急しなのに乗り換えて松本まで行く。これは簡単に決まった。ところが松本から東京行きへの検索で問題が生じた。

往きと同様、マイ・ダイヤのウインドウから出発駅に「松本」を入力、到着駅に「東京」を入力して「GO」をクリックすると「検索条件入力」の画面が現れ、日付などを入力して検索をクリックすると第一経路から第五経路が表示された。しかしそのすべてが松本から特急「(ワイド)しなの」で一旦名古屋まで出て、それから新幹線で東京に行くことになっている。なつほど、これが一番早い行き方か、と納得しかかったがなんだか腑にに落ちない。私は松本から山間を列車が走ってそのまま東京に着くというイメージを持っていたからである。別に時間を急ぐわけではないので、そのような旅を愉しみたいのである。

ふと、検索の条件に不備があったのではなかろうかと思い、「検索条件入力」の画面に戻ってみた。すると使用路線として「新幹線」にチェックを入れたままにしている。松本から東京に出るのに新幹線が走っているのならそれに乗ってもいい、とぐらいに思ったのであろうか。そこで「新幹線」のチェックを外して再び検索をクリックした。

出てきたのは第一経路のみ。よく見たら夜20:22分に松本を発って翌朝06:42分に東京着となっている。所要時間10時間20分の大旅行である。特急「(ワイド)しなの」で名古屋まで出て急行「銀河」の寝台席に乗り換えるのである。寝台車の旅もいいなぁとは思ったものの、これはちょっと違うので、今度はマイ・ダイヤのウインドウまで戻った。

出発駅、到着駅入力欄の下に「線区名から検索」を選択できるようになっているのでこれをクリックした。「出発駅」から利用線区を選択できるので「JR中央本線(甲府-松本)を選び、「目的駅」からは「JR東海道本線(熱海-東京)」を選んだ。続いて「検索」をクリックすると「検索条件入力」の画面が出てくるので、日付を入力、出発駅に塩尻と出ているのを松本に変更、「新幹線」のチェックを外して再び「検索」をクリックすると出てくるのは第一経路のみ、それが前回と同じく「急行銀河」の寝台席を使った大旅行なのである。

『JRおでかけネット』のホームページの右端を見るとJR西日本のロゴが入っている。
ひょっとして、と思い今度はJR東日本のホームページを開いてみた。そこから「えきねっと」に入り「時刻・乗換案内」を選び「検索開始」の画面からようやくにして松本から「スーパーあずさ」で新宿まで出て中央線快速で東京駅にたどり着くことが出来た。

私は自分がしたいことをはっきりと掴んでいたし、松本から東京に行くのになにがなんでも名古屋経由はおかしいな、と思う判断力がまだ残っていたので、なんとか思い通りのルートにたどり着けた。でも実を云うと、ほとんど名古屋経由新幹線で東京行きの気分になりかけて、その際のおすすめ経路をプリントアウトしていたのである。

後でよく調べてみると『JRおでかけネット』で「検索対象エリア・列車」が以下のように限定されていることを知った。

・検索対象範囲
以下の線区、列車が検索できます。
[1] 東海道・山陽新幹線(東京~新大阪~博多)
[2] JR西日本全線
[3] のと鉄道、北近畿タンゴ鉄道、智頭急行、井原鉄道の列車
[4] JR四国の特急・急行列車(瀬戸大橋線の快速「マリンライナー」を含む)
[5] JR九州の特急・急行列車(九州新幹線を含む)
[6] JR西日本の営業エリアからJR東海・東日本・北海道へ直通する特急・急行 列車
[7] 上越新幹線の「とき」「たにがわ」(新潟~東京)

これでみると私のケースは[6]に該当していて往くには良いのである。『往きはよいよい帰りは怖い、とーりゃんせとーりゃんせ』を思い出した。それにしても利用に先立って『保険契約書』のようなものを読むのは難儀なこと、もっと使いやすいシステムにして欲しいものである。