6月も早半ばになってしまいました。
ここのところ 病院通いで少々忙しくしております。 難病関係の検査とか お役所へ出す書類のことだとか、、 なかなかこれが面倒なのです。。 でも涼しいので助かるわ…♡
そんななかで 万葉集の本を読むと一気に古代に空想がひろがってホッとします。
『万葉集 いにしえの歌を旅する 』(洋泉社MOOK) 2016年
『古代史で楽しむ万葉集』 (角川ソフィア文庫) 中西進 著 2010年
『万葉の旅 上 大和』『万葉の旅 中 近畿・東海・東国』(平凡社ライブラリー)犬養孝 著 2004年
写真にあげた本、 どれもとってもオススメです。 洋泉社のムック本はカラー写真がいっぱい。 年表や、天皇や豪族の系譜図なども揃っていて便利です。 でもちょっと大判なので…
古代の歴史や政治の変遷を解説しながら、 その当時にどんな歌人がどんな歌を詠ったのかを 時代にそって教えてくださるのが 『古代史で楽しむ万葉集』。 ハンディかつ詳しいのでとても有難い本ですが、 地図とか図版がほとんど無いので、 地名が出てきてもどのあたりかピンと来ないのがもどかしいです。 だから私のような無知は、 近江朝とか書かれていてもそれが奈良ではなく 滋賀県の琵琶湖のほうだとか分からないんですよね、、 (地図って大事デス)
そして、、 あらかた時代の流れがわかったら、 犬養先生の『万葉の旅』は素晴らしい御本。 見開きページごとに一首、 その歌があらわす場所の地図と写真、 それから犬養先生ご自身がその場所に実際に行って その歌についてどんなことを想われたか解説されています。
「万葉全地名の解説」なども載っていて、 日本のなかのどんな場所がどれだけ詠われているかの分類もされていて とっても詳しいです。。 つい関心がこの関東周辺から先になってしまって、 まだ上巻の大和篇は開いてないのですけど…
***
奈良の都の貴族や 高官たちが、 いろんな行事や宴の席で歌を詠む、 それがまとめられて歴史に残る、 というだけならまだしも、 1300年前の京から遠く離れた東国で、 しかもそのころの庶民などはまだ 穴を掘って竪穴住居に住んでいたのに、 そんな人々が歌を贈り合って それを収集したものが歌集になって残っているなんて、、 なんてなんて素敵なことなんだろう…!! と、 名も無いひとの歌に触れるたびに感動してしまいます。。
そして あらためてすごいことだなぁ…と思ってしまったのが、 1300年の昔から、 地名って変わっていないんですよね。。 葛飾とか、 筑波山とか、、 福島の安達太良山もそのころから同じ安達太良山として歌に詠まれてると知って、、 この日本に住むひとびとがずっとずっとこの土地を大事に思って伝えて来たのね… と、 愛おしくなりました。
そんな中から、 今日はお馬さんの歌を・・・
足の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継ぎ橋 止まず通はむ
「真間」という場所は 今の市川市にありますね。 先月 母の日に「市川ママ駅」になって話題になったばかりです。 その市川の真間は 「真間の手児奈」という美女の伝説の残っている場所です。
上の歌は、 その美女を詠ったものかどうかはわかりませんが、 「足音をたてないで行く馬があったらいいな、 そうしたら真間の継ぎ橋をしょっちゅう渡ってあの子に会いに行こう」 という歌。
上記の犬養先生の解説によれば、 万葉の頃はこの真間近くまで海岸だったそうです。 その入江が川のうえに板を並べたような「つぎはし」があって、 そこを馬で渡るから音がするのでしょうね。。 音がしない馬が欲しい、 というのは 目立っては困る理由でもあったのかしらん?
馬の足音では こんな歌もあります…
馬の音の とどともすれば 松蔭に 出でてぞ見つる けだし君かと
「とどと」 というからには「ドドドっ」と駆けてくる音ですね。 なんか勇ましい。。 その音に「あなたかしら!」と飛び出してきて、 でも「松蔭」から見ているというのが恥ずかしげで可愛らしいです。
万葉集を読み始めて 気づいたことがあります。 この時代の日本は そうとうな騎馬民族の社会だったんだ、と。。 高貴な皇子さまたちも、 それからこの東国の読み人知らずの無名の人たちも、 たくさん馬で移動して、 こんな風に女性のもとへ通って来るのも馬でやってきたりします。
さきほど書いたように、 人が住んでいるのは竪穴住居でしょう? そこへ馬に乗って訪ねてくる… なんだか想像したら 「ダンス・ウィズ・ウルブス」のネイティヴアメリカンの世界みたいじゃないか…!(笑) と、 想像やら妄想やらが止まりません。。 どんな光景だったのかしら、、 真間の海ぞいを馬でやってくる1300年前の丈夫(ますらお)と、 その足音に胸ときめかせている手児奈(てこな)。
***
前回も 大好きな高橋虫麻呂さんのこと書きましたが、 虫麻呂さんは当時、 天皇の命令によって 地方の土地の名前や、 そこから産出される資源や、 植生や住んでいる動物や、 人々の暮らしの様子を調べて報告しなさい、 ということで派遣されて、 それで常陸の国々をめぐっていたんだと思われるんですよね、、 『常陸風土記』を書くのにも虫麻呂さんは大きく関わっていたらしいです。
それで そのころの東国の人々はまだ殆んど文字を書く人もあまりいなかっただろうから、 人々から話を聞いて、 その土地特有の風俗や、 口承でつたわる伝説など聞いて集めて、 それに対する自分の想いも込めて歌にして、 中央の都に住む人に報告をしていたんだと思います。
虫麻呂さんが この東国の市川の真間に来て、 伝説の乙女に想いを馳せた歌
葛飾の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児奈し思ほふ
虫麻呂さんも馬に乗って来ていたのかしら…? 筑波山や、 鹿島のほうまで行ったりしてたのだから きっと馬で移動していたのよね?
なんか西部劇のさすらいのカウボーイみたいだわ…… (妄想が過ぎる…)
今日も
明日も
お元気で。
ここのところ 病院通いで少々忙しくしております。 難病関係の検査とか お役所へ出す書類のことだとか、、 なかなかこれが面倒なのです。。 でも涼しいので助かるわ…♡
そんななかで 万葉集の本を読むと一気に古代に空想がひろがってホッとします。
『万葉集 いにしえの歌を旅する 』(洋泉社MOOK) 2016年
『古代史で楽しむ万葉集』 (角川ソフィア文庫) 中西進 著 2010年
『万葉の旅 上 大和』『万葉の旅 中 近畿・東海・東国』(平凡社ライブラリー)犬養孝 著 2004年
写真にあげた本、 どれもとってもオススメです。 洋泉社のムック本はカラー写真がいっぱい。 年表や、天皇や豪族の系譜図なども揃っていて便利です。 でもちょっと大判なので…
古代の歴史や政治の変遷を解説しながら、 その当時にどんな歌人がどんな歌を詠ったのかを 時代にそって教えてくださるのが 『古代史で楽しむ万葉集』。 ハンディかつ詳しいのでとても有難い本ですが、 地図とか図版がほとんど無いので、 地名が出てきてもどのあたりかピンと来ないのがもどかしいです。 だから私のような無知は、 近江朝とか書かれていてもそれが奈良ではなく 滋賀県の琵琶湖のほうだとか分からないんですよね、、 (地図って大事デス)
そして、、 あらかた時代の流れがわかったら、 犬養先生の『万葉の旅』は素晴らしい御本。 見開きページごとに一首、 その歌があらわす場所の地図と写真、 それから犬養先生ご自身がその場所に実際に行って その歌についてどんなことを想われたか解説されています。
「万葉全地名の解説」なども載っていて、 日本のなかのどんな場所がどれだけ詠われているかの分類もされていて とっても詳しいです。。 つい関心がこの関東周辺から先になってしまって、 まだ上巻の大和篇は開いてないのですけど…
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奈良の都の貴族や 高官たちが、 いろんな行事や宴の席で歌を詠む、 それがまとめられて歴史に残る、 というだけならまだしも、 1300年前の京から遠く離れた東国で、 しかもそのころの庶民などはまだ 穴を掘って竪穴住居に住んでいたのに、 そんな人々が歌を贈り合って それを収集したものが歌集になって残っているなんて、、 なんてなんて素敵なことなんだろう…!! と、 名も無いひとの歌に触れるたびに感動してしまいます。。
そして あらためてすごいことだなぁ…と思ってしまったのが、 1300年の昔から、 地名って変わっていないんですよね。。 葛飾とか、 筑波山とか、、 福島の安達太良山もそのころから同じ安達太良山として歌に詠まれてると知って、、 この日本に住むひとびとがずっとずっとこの土地を大事に思って伝えて来たのね… と、 愛おしくなりました。
そんな中から、 今日はお馬さんの歌を・・・
足の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継ぎ橋 止まず通はむ
「真間」という場所は 今の市川市にありますね。 先月 母の日に「市川ママ駅」になって話題になったばかりです。 その市川の真間は 「真間の手児奈」という美女の伝説の残っている場所です。
上の歌は、 その美女を詠ったものかどうかはわかりませんが、 「足音をたてないで行く馬があったらいいな、 そうしたら真間の継ぎ橋をしょっちゅう渡ってあの子に会いに行こう」 という歌。
上記の犬養先生の解説によれば、 万葉の頃はこの真間近くまで海岸だったそうです。 その入江が川のうえに板を並べたような「つぎはし」があって、 そこを馬で渡るから音がするのでしょうね。。 音がしない馬が欲しい、 というのは 目立っては困る理由でもあったのかしらん?
馬の足音では こんな歌もあります…
馬の音の とどともすれば 松蔭に 出でてぞ見つる けだし君かと
「とどと」 というからには「ドドドっ」と駆けてくる音ですね。 なんか勇ましい。。 その音に「あなたかしら!」と飛び出してきて、 でも「松蔭」から見ているというのが恥ずかしげで可愛らしいです。
万葉集を読み始めて 気づいたことがあります。 この時代の日本は そうとうな騎馬民族の社会だったんだ、と。。 高貴な皇子さまたちも、 それからこの東国の読み人知らずの無名の人たちも、 たくさん馬で移動して、 こんな風に女性のもとへ通って来るのも馬でやってきたりします。
さきほど書いたように、 人が住んでいるのは竪穴住居でしょう? そこへ馬に乗って訪ねてくる… なんだか想像したら 「ダンス・ウィズ・ウルブス」のネイティヴアメリカンの世界みたいじゃないか…!(笑) と、 想像やら妄想やらが止まりません。。 どんな光景だったのかしら、、 真間の海ぞいを馬でやってくる1300年前の丈夫(ますらお)と、 その足音に胸ときめかせている手児奈(てこな)。
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前回も 大好きな高橋虫麻呂さんのこと書きましたが、 虫麻呂さんは当時、 天皇の命令によって 地方の土地の名前や、 そこから産出される資源や、 植生や住んでいる動物や、 人々の暮らしの様子を調べて報告しなさい、 ということで派遣されて、 それで常陸の国々をめぐっていたんだと思われるんですよね、、 『常陸風土記』を書くのにも虫麻呂さんは大きく関わっていたらしいです。
それで そのころの東国の人々はまだ殆んど文字を書く人もあまりいなかっただろうから、 人々から話を聞いて、 その土地特有の風俗や、 口承でつたわる伝説など聞いて集めて、 それに対する自分の想いも込めて歌にして、 中央の都に住む人に報告をしていたんだと思います。
虫麻呂さんが この東国の市川の真間に来て、 伝説の乙女に想いを馳せた歌
葛飾の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児奈し思ほふ
虫麻呂さんも馬に乗って来ていたのかしら…? 筑波山や、 鹿島のほうまで行ったりしてたのだから きっと馬で移動していたのよね?
なんか西部劇のさすらいのカウボーイみたいだわ…… (妄想が過ぎる…)
今日も
明日も
お元気で。