星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

久しぶりにケルアック。(ビル、ジャックとニールに宜しく。アルには逢えた?)

2005-03-30 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
   何という軽薄なフランス人であったか、
   ツィンメルマンの有名な作品について
   「孤独は美しいものである。しかしだれかに孤独は美しいものであると
   言ってもらう必要のあるものである」と言ったのは。

これはエドガー・アラン・ポー、『妖精の島』の中の一節。ポーは続けて言う。

   この警句に反駁はできないが、その必要は、じつは存在しないものである。
                   (『アメリカ幻想小説傑作集』白水社)

そう・・・そんな必要は、さらさら無いのさ。

 ***

R.E.M.が、老ウィリアム・バロウズにいい加減な詩を朗読させているのを聴いて()、、しかし、彼の狂気と天才の前には煙草の毒もクスリもウィルスも罪さえも霧消してしまうのだな、、。マイケル・スタイプがケルアックの詩を朗読する()より、バロウズがR.E.M.の詩を朗読する方が、はるかにGroovyでうわてでありました。マイケル・スタイプもあと50年位長生きして、天然のスキンヘッドで皺だらけになっても半身裸で、バロウズのようにどこかの若手バンドの詩を朗読してやるようなジイさんになって貰いたい。

そんなわけで、スタイプも好きそうな、ケルアックの言葉を。。。

 ・・・それで今やテレビにはお決まりのビートニクが登場し、黒い服の女の子とジーンズをはき飛び出しナイフを持ち、スウェットシャツ、脇の下には鉤十字の刺青という男たちがからかわれている、いずれブルックス・ブラザーズのジーン・タイプ仕立てとセーターでこざっぱり身をととのえた連中の登場する豪華ショーを企てる商業主義のお上品なボスどもの手にかかるだろう、換言するとそれはファッションマナーにおける簡素な変化で、歴史の上っ面にすぎない――理性の時代から、椅子に座った老ヴォルテールから月光に照らされたロマンティックなチャタートンまで――テディ・ルーズベルトからスコット・フィッツジェラルドまで・・・そう、興奮させられるものは何もないのだ。(略)今すぐにも合衆国ビート長官が生まれ、新しいぴかぴか光るものが生まれるだろう。もっとはっきり言えば悪意に代わる新しい理性、徳の新しい考え、許しの新しい考えだ・・・。
                     (『ユリイカ』1999年「ケルアック」P82)

()Star Me Ketten (featuring W.S.Burroughs) 「IN TIME:THE BEST OF R.E.M.」

()Kerouac: Kicks Joy Darkness写真(マイケル・スタイプの朗読は③My Gang)

R.E.M. on tour @日本武道館④ 世間は狭い(文章は長いデス)

2005-03-28 | LIVEにまつわるあれこれ
それにしても、何故マイケル・スタイプはあんなにも格好良かったのだろう。(photoはHong Kong公演のもの)

明りが落ちて、、、、マイケル・スタイプが出て来た瞬間は、、、よく思い出せない。。黒系のスーツに、(確か東京では)濃紺のシャツ、赤いネクタイ、、そして、彼の顔のペイントに眼が釘付けになった。あとで、人に聞いた所によると、、最初被っていたカウボーイハットをすぐに投げた、、、ということだけど、覚えてない。。
マイケルの眼がギョロっと見えた。・・・どんなLIVEになるんだろう・・・マイケルは疲れてやしないかしら、、、なんてナーバスになっていたのが完全に打ち破られて、凄い!カッコいい。なんてカッコいいんだろう。・・この冬、ジャン・ポール・ゴルチエでも、カルヴァン・クラインでも、ダークトーンのスーツに赤系のネクタイのコーディネイトが飾られていて、しっかり私も、赤系のネクタイをクリスマスプレゼントにしたんだけど・・そんなことはどうでもいいです、、マイケル・スタイプのスーツ姿、、完璧だった。

I Took Your Name でダークに危険に始まって、次がBad Day・・・このパンキッシュな曲が、彼らの中で№3に入るくらい好き。マイクスタンドを離れてマイケルが、ステージを右へ左へ、お客さんを煽りに歩く、、、。最後にハープを荒々しく吹きまくって、会場にポイっ。そのあとがAnimal、、この3曲の<煽り>が、ものすごくアグレッシヴ。マイケルの歌は、CDで聴くよりも、何倍もパワフルでSexyで、、。

マイケル・スタイプは素敵だとは思っていたけど、もっと穏やかな感動がくるものだと思っていたら大間違い。。実際、夢でうなされたり、熱出しそうな位の力がありました。カリスマ的とは、やはりああいう人を言うのでしょう。。あの場にいた事がどんなに貴重で、どんなにもう一度あの日を体験したいか、、、その気持ちが褪めて行かないのが不思議だ。でもあの場所にいられたのは本当に幸せ。

 ***

武道館が過ぎてから、ベスト盤をレンタルした。
ピーター・バックの解説を読んで、、そんなにもパティ・スミスの事が好きだったの、、、となんだか可愛らしいくらいに思えてしまった。New Adventures in Hi Fi(Amazon.co.jp)の中の「E-Bow The Letter」のVideoも、武道館へ行く前日くらいにやっと見たのだけど、さりげなくパティが出ていて美しいFilmだった。。とても解りにくい歌詞、、でも、きっとあれはマイケル・スタイプからの(彼らからの)Love Letterだ。

そして、パティのアルバムでは、Peace and Noiseの最後のナンバー、「Last Call」でマイケルとのデュエットが聴かれる。

95年、パティはボブ・ディランのツアーに同行した。そのことがパティの本「パティ・スミス完全版」の中に載っている。ディランと、パティ・スミス・バンドのメンバー、それに加えてトム・ヴァーラインまで、、、なんて凄い面子なんだろう。。マイケル・スタイプがこのツアーに参加したのかどうかは知らないけれど、ツアーバスの中でマイケルがお得意の料理を作ってくれた、、なんてことも書かれていた。武道館が終って以来、ずっと思っている事だけど、やっぱりR.E.M.に一番似合うステージはフジロックじゃないかな。。ぜひ一緒に戻っておいでよ、パティと一緒に!

 ***
ところで、R.E.M.のツアーのサポートにKen Stringfellowさんというアーティストが参加していることを教えていただき、、私は武道館ではマイケルに釘付けで、全くチェックできていなかったのだけど、、、
今日、たまたま上のようにパティのCDなど検索していたら、、Ken Stringfellowさんのアルバムで、パティの所のベーシスト、Tony Shanahanが参加していると知り、、まあ嬉しい。トニーがベースを弾いているのは、Touchedというアルバムです。

それでアルバムのサンプルを試聴してみて、、、あれ? この曲知ってる、、何故私が知ってるの?、、、と思ったら、ウチにあるオムニバス盤に入っていました。。ポップトーンレーベルのコンピレーション盤でよく聴いていたのです。
ポップトーンズ・プレゼンツ・レディオ4 ヴォリューム2

Ken Stringfellowさんの単独サイトも見つかったので載せておきます>>Ken Stringfellowさんのサイト

パティ・スミス・バンドのトニー・シャナハンも、とてもハンサムで素敵な人なのだけど、、私が感じるところでは、パティとはまた少し違ったポップセンスを持っていると思えて、、、(レニー・ケイがRock'n'Rollを大好きなように)、、だから、近年の、余りにメッセージ性の強いパティのRockに捕らわれてしまうのはちょっと勿体無い気もしていた、、、。
ケン・ストリングフェロウさんのようなアーティストと一緒にLIVEなどしてみるのも、私としては大歓迎なんだけどな、、、だから一緒にまた来て演奏しませんか、日本で。。。

新刊と、新譜のちがい。。

2005-03-26 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
家からひと駅の所に、品揃えを重視した大きな書店が出来た。
忙しくなってからは新刊書を買うのはもっぱらネットになってしまったが、たまにずらりと並んでいる書店の棚を見るのは必要。。ネットでは、すでに自分が必要としている分野しか検索しないし、ひっかかってこなければそれまで。でも、ずらっと並んでいる表紙を、さらっと目でひと撫でするだけで、心に引っ掛かるものは必ずある。。そして、その直感を、私はとっても信頼している。人間の目の情報検索能力ってスゴイと思う。

一昨日、夕刊のことを書いたけれど、新聞もそう。
記事と広告の見出しが、ずらっとほとんど秩序もなく並んでいるものを、ざーーっと斜めに見る。ほとんど「見る」、、という感覚。でも、98%必要外の情報の中に、2%くらい発見がある。

・・・ところで、最近、新譜CDの発売を知るたびに、「えっ? もう新譜なの?」って思ってしまう。Beck、ステレオフォニックス、オーシャンカラーシーンetc、、この前出たばかりじゃない?って思うのは自分があっちこっちつまみ食いばかりしているからなんだけど、<3年ぶり>とか言われても、そうかなあ、、、という感じ。。。全然自分がついていけてない。。ついてく、という積りもないけど。

その割りに、本の場合、新刊書、、といっても、あわてて買う必要も感じないし、本当に気になる本があったとしても、「まだ読んでないけど、いつか必ず読むよ」、、、で済まされる気がする。「いつか、必ず」、、、の<いつか>が、2年後であっても、5年後であっても、読まれてその価値が決して変わらない事が私にとっての良書でもあるし。

音楽だって、2年後でも5年後でもいいものはいい筈だけど、、ミュージシャンはLIVEに来るからね。。どうしても追い立てられる。。。いいんだよ、、、5年ぶり、10年ぶり、20年ぶり、の来日だって・・・って思うのは、自分勝手な論理か、、、

下に挙げるのは、今日書店で発見した本というわけではなくて、このひと月くらい、とても気になる本の情報が多いので、自分の備忘録として載せておく、、、いつかぜったい読む本。

『ガラテイア2.2』 リチャード・パワーズ みすず書房 ・・・『舞踏会へ向かう三人の農夫』のパワーズ邦訳第2作。。2001年って全然新刊じゃないですね、、、

『彼方なる歌に耳を澄ませよ』 アリステア・マクラウド 新潮クレストブックス・・・北方派の私には、マクラウドさんの本はとても落ち着く。。『冬の犬』も素晴らしかったから、こちらもきっと読む! 『ハイランダー』シリーズの映画も大好きだし(本書には全く関係ないデス)

『火を喰う者たち』 デイヴィッド・アーモンド 河出書房新社・・・先週、日曜読書欄を見ていて、作者名にぴんと来た。『肩胛骨は翼のなごり』の作者だ、、、というわけで、たぶんこれも少年の話のようだ。今いちばんこれが気になっている、、キューバ危機如何では、この世に存在していなかったワタシとしては。。

『壁の文字―ポール・オースター全詩集』 TOブックス(写真)・・・R.E.M.を聴いていることもあって、ポール・オースターの全部の本を読み返したくてしょうがない、、けどそんな時間は無い! R.E.M.とオースターは私の中で同じ分野に属するアーティスト。この本は、今日書店で現物を見てきた。英文と対訳が同じページに並んで書かれているのが良かった。詩集は全て対訳にすべし。。。これは高いけど買うだろうなあ、、手元に置かなきゃね。 

『半島を出よ 』 村上龍 幻冬社・・・ひさしぶりの村上龍、上下刊本。『5分後の世界』以来、龍サンのは読んでいない、、でも幻冬社でこれはいい!と思ったためしがないのが不安。

The Book of Illusions / Paul Auster・・・まだ翻訳されていないオースターの新作。。読みたいなあ、これ。『ティンブクトゥ』もまだ訳されていないし、、、。9・11以降、対イラク戦開戦以降に書かれたオースター作品が、何を目指すのかとても気になっている。『トゥルー・ストーリーズ』では事実、に目を向けたオースター、、、この作品は、イリュージョン。作家は虚構を描かなくちゃ。

R.E.M. on tour @日本武道館③ Swan Song

2005-03-23 | LIVEにまつわるあれこれ
でもね、、、やっぱりどうしてもどうしても思ってしまうんだ。
新作「Around the sun」への反応が、あまりにも悪かったんじゃないか、って。。

武道館から帰ってすぐ、買ってきたツアーパンフを見ていた。会場ではなぜか全然開かなかったので、そこに載っているワールドツアーの日程に驚嘆しながら、本数を数えた。昨年10月から今年の7月まで、、、10ヶ月で117本、、、凄い数だと思う。
普通、ツアーパンフって始まる前に印刷されるのだろうけれど、このパンフは今回のツアー序盤の写真が使われてて、マイケル・スタイプのコメントが読みにくい字で(笑)添えられている。読みにくいので、最初てきとうに読み飛ばして、でもその夜、何度か眺めているうちに最後のページを見て、ハッとした。

そのまま書いてはいけないだろうから、簡単に言うけど、それはNov.4のマイケルのステージ写真で、、、そこに「SWAN SONG」という言葉があった。白鳥の歌・・・それが何を意味するかは、辞書を引いてもらえば解ると思う。もう、、胸が、ぎゅぅぅううんと痛んだ。
米大統領選の投票日が2日、ブッシュの勝利宣言が4日、最後まで票がわからなかった州すべてが判明したのが7日、、、と、あとで調べてみた。
たぶんこのツアーパンフは、あの日の結果を待って作った物なんだ。。
R.E.M.にとって、ニューアルバムがどんな意味があって、このツアーがどんな意味を持って、始まったものなのか。。

「The Outsiders」でも、「マーティン・ルーサー・キングの言葉を広めたい」「ボクハコワクナイボクハコワクナイ」、、、って一緒に大声で叫ぼうと思ったのに、、、。

昨日書いた、「Orange Crush」のもの凄い拍手が鳴り止んだ後、、、マイケルは、「僕らはとてもおかしな場所から来たんだ」と言った。それが<奇妙な>という言葉だったか、<混乱した>という言葉だったか忘れたけど、「それはユナイテッドステイツオブアメリカという場所だ」と。。。そして、「その<政府>へ異議を唱えるための歌を2曲やる」と静かに言って「I Wanted To Be Wrong」と「Final Straw」を歌った。でも反応はとても薄かった(ように見えた)。

「Final Straw」の、、

  許しが僕の持っている唯一の希望
  愛、、愛が僕の最大の武器
  僕は信じている 独りじゃないんだと

という部分を聴きながら、私はどうしていいかわからなかった。そのことが残念でしょうがない。

マイケル・スタイプのあの顔のメイク、、、
最初出てきた時、メイクだとわからず、目隠しをしているように見えた。それですぐ、、、それは私だけかもしれないけど、パティ・スミスが国旗で目隠しをして平和を訴えたのを思い出してしまった。目隠しをしたまま、祈りを唱えて、ギターの弦を1本、1本ひきちぎっていたパティ。。でも、R.E.M.のオープニングはもの凄くワイルドでカッコ良かったから、マイケルのメイクは、仮面舞踏会のようにSexyなものにも見えた。
だけど・・・
「I Wanted To Be Wrong」を歌い終えて、、、マイケルがスタンドマイクの前に出てきて、両手を後ろ手にしてスタンドに寄り掛かるように立って目を閉じた時、、、その姿が私には、目隠しをして殺される人間に思えてしまった。本当の意味は、、、わからない、、、けど、LIVEの中心で歌った「Around the sun」からの曲を、、、ちゃんと大事に受け止めなきゃいけないと思った。
それだけが、、、どうしても心残り。

R.E.M. 「Around The Sun」
(私も前作「Reveal」より傑作だと思う)>>

R.E.M. on tour @日本武道館② Leaving New York

2005-03-21 | LIVEにまつわるあれこれ
武道館のLIVEのセットリストを見ながら、1曲1曲思い出して綴っていこう
なんて思ったら、とんでもなく長いものになってしまうことが判ったから、
好きな所から書いていく。別の事も書きながら、、、
これは音楽の話だけど、、そうでもない。。

「新しいアルバムからラブソングを」・・・とマイケルが言って歌い始めた曲。「Leaving New York」
あのギターのイントロ。一番聴きたかった曲。

 ***

R.E.M.の武道館公演の1週前、「新日曜美術館」でクリストを特集していた。
梱包アーティストとして知られるクリストが、ニューヨークのセントラルパークの遊歩道を、7500のサフラン色の布の<門>で飾るというもの。
パリのポン・ヌフ橋をまるごと布でくるんでしまうものや、日本の田んぼに何本もの巨大な傘を立てるような彼のアートは、余り好きではなかったけれど、<The Gates>は美しいと思った。そこをたくさんの人がくぐって、見あげて、散歩して過ごすことができるから。

伏見稲荷の千本鳥居みたいだね、、と言いながら、風に翻るサフラン色の映像をTVで観ていた。
上の写真は、私が此処、東京でまいにちまいにち見ている風景、、、本当にニューヨークみたいになったね、東京は。。私も、東京の公園を歩くのが大好き。It's easier to leave than to be left behind / leaving was never my proud / leaving new york never easy...

 ***

マイケルは、スタンドマイクの前で、じっと眼を閉じるようにして歌っているように見えた。。
そして、2番の歌詞、、、

  思い出は消え
  ガラスのように砕けた
  未来は頼りなく でも過去は忘れるんだ
  君がいることは
  確かだから

という部分だったと思う、、、それまで、着ていたスーツの上着をマイケルがかなぐり捨てて、ネクタイをふり解いて、それを放り投げて、、、
両腕を前に伸ばして、何度も何度も訴えるように、
前へ前へ手を伸ばして、、

  I told you, forever I love you forever I told you I love you I love you forever...

と。。。CDで聴いていた時にも歌詞カード見ながら泣いていたし、友だちに「あの部分を聴いたら絶対泣いてしまう」と言っていたけど、それ以上に、この静かなラブソングで、おもむろにスーツを脱ぎ捨てた姿に、、、尚更感動。
耳の悪い私は、泣くと自分の声で何も他が聴こえなくなってしまうから、じっとステージを観てるのに必死だった。

歌い終わったマイケルが、後ろの暗がりへ下がっていく。で、戻って来た手に拡声器! 
「Leaving New York」で胸一杯になっている観衆がどーーーっと沸く。「Orange Crush」。この晩のこの曲は、もう、U2の「Where the streets have no name」、クラッシュの「London Calling」に匹敵する曲になりました。
・・・ダカダカダッ!とドラムが終った、、、その後が凄かった。ウワーーっと湧き上がってくるどよめきと拍手。何か言おうとするマイケルが言葉を出せない。あとからあとから武道館中に割れんばかりの拍手が起って、何も聞えない。それが1分以上も続いただろうか。ただただ拍手の嵐。。。あんなのは初めてだった。素晴らしい光景だった。メンバー3人、いつまでも鳴り止まない拍手をじっと立って見つめて、、、小さくお辞儀をするように応えていた。
あんな美しい場面は、フジロックのパティ・スミスの、、、「Peace! Peace!」と会場中が叫んでいたあの時くらいしか私は知らない。

あれから、何度も、マイケルが上着を脱ぎ捨てる姿を思い浮かべる。この街の風景を見ながら、毎日毎日、R.E.M.を聴いている。・・・仕事へ行く途中、急にこの歌と、マイケルの仕草が蘇ってきて、電車の中で馬鹿みたいに涙目になってしまって困るのだけどね、、。

クリストとジャンヌ・クロードのアート<ザ・ゲート>のサイト>>

R.E.M. on tour @日本武道館 Mar,16,2005 ①

2005-03-20 | LIVEにまつわるあれこれ
今度の攻撃は「イラクの自由」作戦(Operation Iraqi Freedom)だそう。。
爆弾3000発落とされる下の人々が「自由」なものか・・・
・・・「暴君は倒れ、人々には平和が、新たな戦争はもうありません」
     (開戦時の米大統領の演説)

と、書いたのは2年前。2003年3月19日の自分の日記(706)。

その2年後の武道館で、R.E.M.を見た。でも、ライブレポはすぐには書かない。
私は、大勢の友がご存知の通り、パティ・スミスがずっと好きです。だからどうしてもその視点からしかR.E.M.(特にマイケル・スタイプ)の事を見られないから、偏った見方かもしれないです。でも、今年、彼らを見て、良かった、ほんとうに良かった。
昨秋の大統領選の開票以後、、、私の心にはぽっかり穴が空いてしまったのだ。

「2000人の兵士を射殺して、空港を制圧」・・・これはおととしの4/7の日記。それから何人のイラク人とアメリカ人、そして、他国のジャーナリスト、ボランティア、技術者、旅行者、、、が人質になって、また自爆テロで死んだ?

   Don't forget to keep your head warm
   Twinkle twinkle Uncle Floyd
   Watching all the world and war torn
   How I wonder where you are

このデヴィッド・ボウイの歌に胸が痛くなったのが、去年の3月の武道館。

「大学教育用の献体 米軍、地雷実験に利用」
この新聞記事に猛烈に怒りを覚えたのは、これも去年の4月の日記だ(919)。。そして・・・
 
「昨日のNEWS23の特集は、アメリカの『Vote For Change』についてでした。スプリングスティーンやR.E.M.やジェームス・テイラーなどが、大統領を<替える>ための投票を呼びかけるコンサート、、」・・・これが、昨年10月末の日記だった。
「Vote for Change Tour」のHPでは、ボスとマイケル・スタイプが、パティ・スミスの「People Have The Power」を歌っていた。
「人々が団結すれば、変えられないものはない」パティ・スミスも、マイケル・スタイプも、そう訴えていた。

そして11月になった。。変える事は、叶わなかった。。

ブッシュの二期目が始まって間もなく、12月28日、スーザン・ソンタグが白血病で亡くなった。スーザン・ソンタグは、パティのベストアルバムのライナーに記念の文章を載せている。それもあって、パティはソンタグへ惜別の詩を寄せた。朝日新聞に、その「惜別」の記事が載っていた。強烈なブッシュ政権批判を続けていた人だった。

年が明けて、、、米国生まれで東京在住の作家、リービ英雄が、1月23日朝刊の『時流自論』に、他界したスーザン・ソンタグについてこう書いた。。

   「双子の塔」と呼ばれていたその高層ビルが、2001年9月11日に倒された。
   マンハッタンのスカイラインに、黒いすきまがあいた。
   その直後に、被害者たちを思って「一緒に喪に服しましょう」、しかし、
   その破壊の原因については「一緒にバカになることをやめましょう」と書いて
   アメリカ中から罵声を浴びた「スーザン」・・・

   ソンタグの死とサイードの死によって、あのマンハッタンのIQは1点も2点も下がった。
   何かの抑制が効かなくなったという感じが、その分、さらに深まった。

IQうんぬんに重きを置きたいわけでは無い。<何かの抑制が効かなくなった>アメリカという国、そこの人々が、ブッシュを選んだ。最近になって、アメリカ州兵のドキュメンタリーをTVで見た。自分の暮らしている<地元>、それを守るために志願したはずの州兵。その気持ちは、日本の消防団が地域を守る気持ちとそうは変わらないだろう。その州兵が、しかも50代の、イラク前線に送られるには余りに可哀相な人々が、自分の本来の目的とは違う、意味の解らない任務に送られ、負傷し、元に戻らない身体になって還って来るのだ。そして、ブッシュが<自由>を与えたイラクでは、まいにちまいにち、自分の身体に爆薬を仕掛けて死んでいく人がいるのだ。
私の心には、こんな風に、ぽっかりと穴が空いた。

昨年、R.E.M.の「Around The Sun」が発表された後、彼らのサイトで全曲試聴をしていた。「Leaving New York」のプロモもあった。歌詞の載っているページを見ながら、そのVideoで「Leaving New York」を何度か聴いた。聴きながら涙がいっぱい零れた。。。
マイケル・スタイプの心に空いた穴は、私なんかとは較べものにならないほど大きく、深く、辛いものなんだろう、と思った。

R.E.M.のオフィシャルサイト(拝借したphotoは大阪公演のです)>>

慄えてた。

2005-03-17 | LIVEにまつわるあれこれ
一昨日の日記で、<明日>のこと、、、というのはコレ。

先週の最悪の体調が少し戻ったのに、今週はものすごくナーバスで、
そして、ここ数日は、、、夢でうなされている。

申し訳ありません。しばらく崩壊しています。。
日常的なメールも書けません、、、御免なさい。。
けれども、試験は近づいています、、身体の緊張がますますつのって、、、
サルトルの『嘔吐』では、レコードの音楽で、吐き気が消えたそうですが
私は逆です・・・

現実性・・・(前回のつづき)

2005-03-15 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
 どんな本でも思いを込めてページを開けば、そこに答えがある、、、
というのが、かつてリチャード・バックの『イリュージョン』にあったが、それは本当。
なぜなら、答えはすでに自分の中にあるから・・・

 ***

  人間をのせて天空を浮動するこの緑の地球上で、
  人間を支え喜ばすために、自然がそなえてくれる欠けることのない豊富なものを探求すると、
  人間の不幸などは、子供じみたむずかりのように見えてくる。
      (Ralph Waldo Emerson / Natureより「実利」について 斎藤光訳)

1830年代に「人間をのせて天空を浮動する緑の地球」を実感していたエマソンは素晴らしい。
・・そんなわけで開いた本に諭されたようです・・・いえ、私自身は自分に「不幸」を感じたことはない、、、本当に、未だかつて・・・。「子供じみたむずかり」は、、しょっちゅうの事だけれど・・

   しかしながら、美しいと見られ、感ぜられるこの「自然の美」は、
   美のうちで一番小さな部分である。一日のいろいろな眺め、露の朝、虹、
   山、花ざかりの牧場、星、月光、静かな水面に浮ぶ影、こういったものは、
   もしあまり熱心にこれを求めると、単なる眺めになってしまい、
   これが現実性をもっていないために、われわれは愚弄される。
        (同上 「美」について)

・・・たしかに・・・
自然に敢えて分け入ることで自然を得たと説く人の多くは、どこかで人間を、(自然を、ではなく)愚弄している、と私は思う。

・・・こういう事を考えている背後には、、、、明日、、、のことを考えているからなのです、、それはまた。。

リチャード・バック 「イリュージョン」
ラルフ・ウォルド・エマソン 「自然について」

スナフキンが行くところ、、帰るところ、、

2005-03-13 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前の日記以後、、体調が悪くて、、、
なんだか自分の身体が「イタコ」になったような、
どこかで誰かが私の人形を五寸釘で突いてる?みたいな、
それならそれでもいいのだけど、そうやって身動き取れない状態になることで、自分の時間を見直す事が出来るから。。

やはり少し自分の生活を整理しようと思う。90年代の自分に戻していく、ということかもしれない。理解されない部分もあるだろう。・・・でも、今年は父が倒れたのと同じ年。私は過信も悲観もしない。ただ時間には優先順位が必要。本当に必要なものは、わずかしかないし、大事なものは、もう、とてもたくさんあるから。。。その大事なとてもたくさんのものに優先順位をつける困難さを、痛感している。こんな気分でいた矢先、古い友人から新しい著書が送られてきた。ほとんど、原稿段階から読ませていただいたことのある、懐かしさを伴う作品。その頃を思い出すと、今の自分が別人に思える。。「クリアーしたら、再び虚構の世界へ…」と、お便りが添えられてあった。ええ、、、全てをクリアーしたら。
この著書についてはまた紹介したいと思う。
 
 ***
友だちから<スナフキン>のフィギュアを貰った!
山に向かって歩きながら、ふと振り返る仕草。素敵、良く出来てる。

  「きみはなにか計画しているっていったけど、なにを考えてるの」
  「うん、計画はもってるさ。だけど、それは一人だけでやる、さびしいことなんだよ。わかるだろ」
   と、スナフキンはいいました。  (略)
  「それで、長いことかえってこないの?」 
  「いや」
   と、スナフキンは答えました。
  「春のいちばんはじめの日には、ここへかえってきて、またきみの窓の下で、口ぶえをふくよ。ーー」   
         (たのしいムーミン一家 山室静訳)

 ムーミン谷では誰もスナフキンの行き先を尋ねない。そこが好き。私もスナフキンと同じように生きたい。私はどこかへ旅立つわけではないけれど。

 ***

どんな朝でも黎明のひとときは美しい。
たとえ一日じゅう青い空が望めなくても。
子供を背中におぶって水撒きをしている花屋の奥さんを見れば、
優しい気持ちになるし、
職場の手洗いに菜の花が生けてあれば、お掃除のかたに感謝する。

どこか遠くに行けば世界は正しくなる?
どこか遠くに行けば美しいものはある?

・・・人が創り、人が汚した場所には、人としての責任がある。

ひとやすみ。。

2005-03-08 | …まつわる日もいろいろ
数日前は雪、、、きょうは今にも花咲きそうな陽気。
今夜、お友だちがご飯を食べに来てくださるので、散乱したままの本やらCDやらをなんとか片付け、ピンクのお花を飾ると、私の部屋にも春が来た。

  永久に帰ってくる春よ、
  おまえは必ず組みになった三つ(トリニティ)のものを
   わたしのところに持ってくる、
  多年草の花咲くライラックと
   西に沈む星と、
  それと、わたしの愛するひとの思い出と。

   (「遅咲きのライラックが前庭に咲いたとき」第二節)

 ・・・たまたま手元にあった『ホイットマン詩集/思潮社』より、木島始訳で。


ホイットマン詩集海外詩文庫

リンゼイ・ケンプ版 『真夏の夜の夢』

2005-03-05 | アートにまつわるあれこれ
前回の『夏の夜の夢』の話で 妖精パックの夢を見た、、、と書いたけれど(>>)、その直後、このVideoに出会って、ちょっと驚き。。

いま、自宅の近く、職場の近く、大学の近く、、など何箇所も都内の図書館に出かける機会があり、しかも最近はビデオやDVDの貸し出しもしているので、たまに思わぬ掘り出し物に遭遇する。それがこの『真夏の夜の夢』。。リンゼイ・ケンプ・カンパニー版の舞台を映画化したもの。

リンゼイ・ケンプといえば、(もう一昨年か)、ミック・ロックの写真展の中で、強烈なお化粧&お衣装の写真があった。。デヴィッド・ボウイの、パントマイムのお師匠さんだとか、、、余り詳しくは知らないのです。
そのスキンヘッドのケンプが妖精パックを演じる、相当に妖しく、いかがわしい、一種グロテスクな感覚も含んだバレエ劇。これは<夏の夜…>ではなく、、、まさに<真夏の夜…>がふさわしいタイトル。

Amazonにも情報が載ってないし、レンタルにだって無いかも、、、と思いつつ、なんとか画像を探し当てました(写真)。抱っこしている方は、妖精の王オーベロン。。抱っこされている方は・・・? この役柄って誰なの・・・?
と、、思いつつ観ていたら、どうやら妖精王オーベロンと、妖精王女タイターニアとが取り合いっこするインドのお小姓の役、、。このお小姓、原作では台詞も無いし、前回書いた ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの映画でも、5歳くらいの男の子がただ手を引かれて出て来るだけだったと思う。しかしケンプ版では、ここのダンス・カンパニーの花形によって演じられている。

頭に薔薇の花冠をつけた彼は、Francois Testoryという人で、腰帯をつけただけの姿で踊りつつ、中性的なハイトーンヴォイスで歌をうたう。・・・誰だろう、この人・・・カストラートなのかな・・? 私はそれほど美少年趣味はないけれど、裸体で踊る彼は美しいです。人間の体とは美しいのだな、と思わされます。

でもでも、、ケンプ版のこの劇は妖しすぎる。。特にパック(ケンプ自身)。
恋の媚薬の物語も、目覚めて最初に見るのが、男は→男、女は→女、、ちがうでしょ! そういう戯曲じゃないでしょ。。
・・・という部分はあるものの、美しい声で<妖精のララバイ>を歌い踊る場面は、いちばんの見せ場。このお小姓、<Changeling>というのは、伝説でいう<取り替え子>のこと。妖精の世界はあまりに長寿だから、ときどき妖精は人間の子供をさらいに来る。そしてさらっていった代わりに、その子のベッドには棒切れなどを残していく、というもの。。だから森の妖精たちの中で踊るこの子は、じつは人間。。でも、人間界にはもう戻れない、永遠の命を授けられて、妖精として暮らさねばならない。。

そういう、人間から妖精への<Changeling>を、性差における<Chengeling>としての[彼]に演じさせているのかな・・・
喪失したものの大きさとひきかえの、、、夢幻(無限)の美。

・・・フランソワ・テストリーについて、余り情報が無いので、少し検索してみたら、、、
現在でも舞台で活躍している様子で、2002年(?)にCDが出ていました。試聴してみれば、今何歳かわからないけど(40代だろうか…)、美しいハイトーンヴォイス。。買ってみる勇気は、、、う~ん。
あ、、あと、トム・クルーズとブラピのお化粧が不気味(笑)だった、『インタビュー・ウィズ・バンパイア』にも、フランスの吸血鬼、という役で出ているそうです。覚えてないけど、きっと美しい人なんだろうな。。また機会があったら観てみよう。

リンゼイ・ケンプ・カンパニー 『真夏の夜の夢』(Video) 紀伊国屋書店>> 


春は眩暈の時。。。

2005-03-04 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
・・・あなたはあのすばしっこいいたずら好きの妖精、
   ロビン・グッドフェローでしょう。いきなり
   手臼を動かして村の娘をびっくりさせたり、
   おかみさんがバターを作ろうとミルクをかきまわすなり
   そばからその上澄みをすくってむだぼねをさせたり、
   ビールの酵母を泡立たなくしてだめにさせたり、
   夜の旅人を迷わせ、困るのを見て大笑いしたり、
   かと思うと、ホブゴブリンとかかわいいパックとか
   呼んでくれる人には力になって幸運を与えてやるとか。
   そのパックでしょう、あなたは?
       (シェイクスピア『夏の夜の夢』小田島雄志訳)

今月の初め頃? なぜだかパックの夢を見た。
春の空にはそろそろ、あの眠たげな、どこか気だるげな、霞みが漂い始め、、、私はまだ軽症だけど、わずらわしい思いでいる人も。。・・・パックが振り撒く、<恋の三色スミレ>の雫は、、、目覚めて最初に見た人を恋してしまうという媚薬・・・そのおかげで、人間たちも、妖精たちも、愛と笑いにつつまれるのだけど、、この空のもやもやが、そんな夢の花の粉であったらいいのに。。

シェイクスピアの 'A Midsummer Night's Dream' のミッドサマーは、日本の感覚で言う<真夏>ではなく、夜が最も短くなる日、6月24日の<夏至祭>を示す。伝承では、このころは妖精たちが最も活発になる時だとか。そして、人間の恋人たちが森の中でお祭りをする<五月祭>とは5月1日を示し、シェイクスピアは妖精たち、人間たち、この両方のお祭りの意味を結び合わせて『夏の夜の夢』を描いているのだそう。
人々が四季の移ろいを祝い、祈り、、自然の目覚めや息ぶきに身を預けるようにして暮らしていた時代、、、その頃の身体感覚が、、まだ自分にもたしかに失われずに宿っている気がする。
春は眩暈の時、、、死と生のあわいで魂が帯を解く危機感、、、。
だから、陽気な妖精パックに、そばに来て守っていてね、とお願いしたくなるんだ。。

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー 『夏の夜の夢』 (DVD)>>
ここの坊やがとても愛らしい。そして、ここに登場するパックが私は一番好き。。でも、この種のDVDって本当に高いのね、、、。またレンタルビデオのお世話になるのかな、、、。

『夏の夜の夢』 小田島雄志訳 白水社Uブックス