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星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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焔の消えたあとで…:『イーサン・フローム』イーディス・ウォートン著ほか

2023-10-26 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前々回に少し書きました イーディス・ウォートンの『無垢の時代』という小説を読んだ後、

とても心を揺さぶられるものがあり、 続けてイーディス・ウォートンの本『夏』と、 『イーサン・フローム』の二冊を読みました。 前々回に書いたときにはまだ『無垢の時代』の読み始めで、 1870年代の同時代の『続・若草物語』と較べてみたりしていますが、 こんなにもイーディス・ウォートンという女性作家の作品に心揺さぶられるとは思っていませんでした。

岩波文庫の『無垢の時代』は今年の6月出版。 彩流社の『夏』は昨年の10月出版、ということですから、 いまイーディス・ウォートン再評価の時期なのでしょうか。 大戦前のアメリカ文学しかも女性作家については殆んど知らないということにも気づき、 イーディス・ウォートンのこれら三冊をほんとうに興味深く読みました。

『イーサン・フローム』は95年に荒地出版社から出ていますが 入手困難なので図書館から借りました。 この作品も再出版されて多くの人が読めるようになればと思います。




『夏』イーディス・ウォートン著 山口ヨシ子、石井幸子・訳 彩流社 2022年
『イーサン・フローム』  宮本陽吉、貝瀬知花、小沢円・訳 荒地出版社 1995年



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一体なぜ、 イーディス・ウォートン作品のどこに惹きつけられたのでしょう…

これら三作品は共に「ひとときの恋愛の物語」です。。 『無垢の時代』は映画(エイジ・オブ・イノセンス)にもなったNYの上流階級の社交界の物語。 『夏』はまったく違ってニューイングランドの忘れられたような小村の物語。 親を知らない複雑な出自の娘がたまたま村に滞在した都会人の青年に恋をする物語。
一方『イーサン・フローム』もまたニューイングランド辺境の村が舞台で、貧しい男の家庭の物語。

三作品とも予想外の(『夏』『イーサン・フローム』はとりわけ衝撃的な)結末をむかえる、という構成にも驚かされましたが、 その結末がもたらす余韻、、 その結末によって考え込まずにはいられない主人公のその後や、人生の意味というもの、、 自分の年齢のせいもあるのでしょうが、 ひとときの恋の行く末も興味深いテーマではあるけれども、 その恋が成就あるいは別離、 あるいは諦めなど、 燃え盛っていた焔を失ったあとも 人はそれぞれに生きていくのであり、、 物語の結末がもたらす主人公の生き様のほうに深く深く心が揺さぶられたのでした。

そして三作品とも、 主人公がみずからの置かれた境遇にあらがい、 (見つけた恋の力を得て) 新しい生き方、新しい夢を必死に追い求める その精神的葛藤の物語という点でも共通していました。 

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三作品のなかでも『イーサン・フローム』は最も悲痛な物語、と言って良いでしょうか…。 誰もが逃げ出したいと願うような貧しい村で 病身の妻と暮らす男の物語。

ストーリーを詳しく語るのはきょうは止します。 物語の冒頭ではイーサンが52歳になっているところから始まりますが、、 「人間の残骸」…と描写されているようなイーサンの、これまでの人生にさかのぼって物語は書かれていきます。

先に書いたように『イーサン・フローム』も「ひとときの恋愛の物語」であって、 その恋から24年後のイーサンは物語冒頭で52歳の「人間の残骸」と描写されている…  確かに絶望的な、衝撃的な物語なのだけれど、、 物語を読み終えてしばし呆然となったあとで、 もう一度最初の52歳になったイーサンを描いている箇所を読み返した時、 こう書かれているのに気づきました…

 鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。

「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに、 イーサンの「現在」を感じ取ってみようとすると、、。 悲劇と悲惨の人生を送ってきたイーサンの、、 矜持というのか、 屈してはいない精神というものが見えるような気がして…

作者はべつに物語が終わったあとの、イーサンのこのような「現在」を想像させようなんて意図はないのかもしれません。。 私がたんに物語の絶望ゆえに一筋の救いを見つけ出したいだけなのかも… でも、、

若き日、 イーサンは工業学校で研究を夢見る若者でした。。 その夢は家庭の不幸や貧困のなかで消え去ったけれども、、 (これも書かれてはいないけれど)、、 52歳のイーサンは 荷馬車で送り迎えをする雇い人の本、、 (雇い人が置き忘れた生化学の本)、、 あれをきっとイーサンは読んだだろう…。 もしかしたらそこからまた別の… もしかしたら…


作者イーディス・ウォートンは イーサン・フロームという男の悲劇的な人生の末路だけを描きたかったのではないかもしれない、、 そう想わせる余韻が、 ほかの作品 『無垢の時代』と『夏』にも共通して存在していて、、 


人生はいっときの焔のようなものではなく

燃え尽きてしまったように見える灰色のなかにも 幽かな熱は存在していて、、




このあとも人生は続くのだと、、。



三作品を読み終えたあともずっと、、 そんなことを考えていました。。 まともな読書記にはなっていませんけれど、、 イーディス・ウォートンの三作品、 いろいろ考えさせてくれる良い読書でした。



世界情勢もいろいろなことも、、 しんどいことがいっぱいです。。 



せめて自分を保って、、

永遠の…:イーディス・ウォートン著『無垢の時代』と『続・若草物語』の時代

2023-10-12 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
秋晴れの日々… 気持ちのよい青空がひろがっていますね。

先週のワクチン接種の後、 腕の痛みや頭痛の副反応が消えていったのに なんだか妙な気怠さとしんどさが続いて、、 インフルワクチンを打った時もなんとなくそうでしたが、 感染と似たような状態に身体がしばらくなるのかしら…

副反応なのか、 溜まっていた夏の疲労が出たのか、 それとも単なる老化現象…? なんだかわからないけど… というあたりがそれが老化なのかも…? 笑

まぁ 気にしないきにしない。。 そんな時こそ 今年の目標(ノンシャラン)という魔法のことばを思い出しましょう… 拘泥しない、 惑わされない…  nonchalant…

だいじょうぶよ、、 …昨日あたりからは動けるようになって、 夏じまいと冬じたくのお洗濯 たくさんしています。。 読書もようやく…


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『無垢の時代』イーディス・ウォートン著 、、この本のことはちゃんと読み終えてからにしますが…  、、このタイトル 最初なんのこと? と思って あたまの遠くに「エイジ・オブ・イノセンス」という映画があったな… と浮かんできたら その映画の原作だったのでした。

ダニエル・デイ=ルイス主演の、 華やかな上流階級の社交界を描いた映画、、 30年近く前の公開のころ たぶん観ているはずなのだけど 殆んど何もおぼえてない… 読み始めて、 舞台が(はじまりは) 1870年代のニューヨークだというのもぜんぜん記憶していなかったです。。

でも、 あらためて文章で読みはじめて、 そのオールド・ニューヨークという社会があのマンハッタン島に存在していたことにも驚き、、 だって「ギャング・オブ・ニューヨーク」で描かれた移民の島NYと、 とにかく厳格で品位ある上流階級の暮らしを守りつづける「無垢の時代」のNYが結びつかなくて、、

それで、 1870年代…? といったら、 私のとぼしい知識のなかでは 『若草物語』の第二部で、 ジョーが物書き修行と(ローリーの愛から距離を置くために) 家庭教師として下宿するのがニューヨークではなかった? そこでドイツ出身の貧乏教師ベア先生に出会う、 あれも同じ時代のNYだったはずでは…?

そう思い立って、 『無垢の時代』と『続若草物語』と ルイザ・メイ・オールコットの日記とを見比べて、、 いろいろ驚きながら読み進めているところなのです。。

そうすると 『無垢の時代』で描かれる一部の上流階級の、 夜な夜なオペラや晩餐会や舞踏会にあつまって華やかな社交を繰り広げている人々が ほんの一握りの社会で、 いかに閉鎖的なちいさな社会なのかが見えてきて、、(でも資産はうなるほど持っていて)

同じマンハッタン島の、 彼らの言う(いかがわしい)とか(下等な)とかいう地区には 若草物語のジョーが暮らしたような労働者も教師も学生もごっちゃに住んでいる下宿があったり、 新しい芸術家や作家たちが集まる場所ができたり、、 (それが今につながるNYのイメージだと思いますが) そういう新しい階層の進出を、 オールド・ニューヨークの御仁たちがいかに脅威を感じていたか、 というのもリアルに感じてくる。。 

じっさいオルコットは ニューヨークで 「過激主義者」(とか書かれている。トランセンデタリズムのことなのかな…)の集まりに参加したりしていて、、 それが当時どんなに進歩的というか過激なことだったのか、 『無垢の時代』と並べて読んでみると あぁ… なるほどとよく解ってくるのでした。

 ***

「エイジ・オブ・イノセンス」は 上流階級の若き弁護士(ダニエル・デイ=ルイス)が、 婚約のお披露目をした矢先、 ヨーロッパ帰りの自由な考えをもつ伯爵夫人(ミシェル・ファイファー)と出会い惹きつけられていく、、というストーリーですが

(手前勝手に…)『若草物語』と較べてみると、、 ジョーに想いを寄せるローリーは まさにこのデイ=ルイスに近い上流階級の立場であって、 ジョーたち姉妹は貧しくとも ローリーには上流階級なりの「社交界」での生活もあったはずなのです。。 …そう思ったら、 物語には描かれていないローリーの(大学生活とか実業家としての社交の)世界、というのも読んでみたいな~ と。。

ローリーはやがて 自分にふさわしい貴婦人となった末っ子エイミーを妻にするのですが、 そんな時になっても 「僕は君を愛することをやめようとは思わない」とジョーに語ったりする、、 兄として 友人として、 またそれ以上の存在として、、。 これって『無垢の時代』の青年ニューランドと同じ立場なのかも。。 『若草物語』では少女小説らしく深くは描かれませんけれど…


  あなたは現にまじめな良識ある実業家になって、お金を有意義に使い、富を積む代わりに、貧しい人たちからの祝福を積んでいます ・・・略・・ 私はほんとうにあなたを誇りと思っているのよ、テディ。 あなたは年をとるたびにりっぱになっていくわ・・・

『続若草物語』の最後のほうで ローリーはジョーからこんな言葉をおくられますが、 篤志家となってジョーの設立した自由学校をささえていくローリーと、 『無垢の時代』の弁護士ニューランドとを 合わせて読んでみるのもいいかな、、と興味深く思っているところです。


上流階級のローリーのことを べつに穿った見方をしているわけではないですよ。。 ローリーはジョーの自由な人となりを心から愛したのだろうし、 物語を書いたオルコットは、 現実にはそんなことは難しいのを知っていたけれども、 永遠の友そして永遠に誰よりも愛してやまない間柄としての二人を、 自分の理想として書きとどめたかったのでしょう… 


だから私も 永遠にローリーを愛するのです…


ローリーの愛した自由な精神や…


オルコットが苦しみながらも明るく描きつづけた少女たちのひたむきさを…




  ・・あなたが帰ってきたら、私の苦労なんかみんなどっかへ飛んで行っちまったようよ。 あなたはいつだって私の慰め手だったのね、テディ・・
           (『続若草物語』吉田勝江・訳)