星のひとかけ

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『吾輩は猫である』十一章 寒月のバイオリン夜話と庚申講、および「クブラ・カーン」

2017-07-26 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
 ー Twitter 星の破ka片ke からの転記 ー

最終章で寒月さんは、高校時代にバイオリンを買って庚申山に登り、そこで「水晶の御殿」にいるような神秘的な体験をした話をします。「庚申山」という名称の意味、水晶の御殿とコールリッジのゴシック詩「クブラ・カーン」との関連を考えました。

【ヴァイオリン】
寒月とヴァイオリンの出会いは地方の高等学校時代。これは寺田寅彦も同じですが、初めて音色を耳にしたのは、物理の田丸先生のお宅へ、試験に失敗した同郷学生の「点をもらいに」行った時とのこと

#寺田寅彦「田丸先生の追憶」

星の破ka片ke
@salli_neko
·
2017年7月14日
【ヴァイオリン】
寒月とヴァイオリンの出会いは地方の高等学校時代。これは寺田寅彦も同じですが、初めて音色を耳にしたのは、物理の田丸先生のお宅へ、試験に失敗した同郷学生の「点をもらいに」行った時とのこと🎻

#寺田寅彦「田丸先生の追憶」http://aozora.gr.jp/cards/000042/files/2473_9316.html

(承前)
寒月はヴァイオリンを買う覚悟として「国のものから譴責されても、他県のものから軽蔑されても―よし鉄拳制裁のために絶息しても」と話しますが、実際、寅彦の熊本時代にも「土佐会」なる大変バンカラな同郷学生会があったそうです。
 (寅彦の随筆については、山田一郎著『寺田寅彦覚書』(1981年 岩波書店)から情報を得ました。寅彦の生い立ちから、高知、熊本での生活、文学的交流、そして結婚のこと、大変参考になる詳しい評伝でした。)

(承前) 山田氏の本には、学業不良の者や風紀に背いた者への処分、制裁などについても書かれていました。禁を犯した者が「制裁」への恐怖のあまり、自殺をしようとしたことなどもあり、そういう土佐士族から継承された気風は、都会育ちの漱石の経験とはずいぶん異なるものだろうと思いました。

(承前)
実際に寅彦は、バンカラ派の耳に入らないように《龍田山》へ登ってバイオリンを夜な夜な弾いたそうですが、『猫』では《庚申山》に登ります。
この「庚申山」という命名に何か意味があるのか?と考えてみました。

(承前)
『猫』でのバイオリン夜話の《庚申山》には「庚申講」の意味があったりして…。庚申講の晩には「庚申待」といって「会食談義を行って徹宵する風習」があり、平安貴族は「碁・詩歌・管弦」の宴で夜を過ごしたと。#漱石
庚申信仰 Wiki

(承前)
べつに苦沙弥らが平安貴族を気取って、という訳ではありませんが、人間の寿命を縮めるという「三尸の虫」を封じ込める為の夜の集まりが「庚申講」だというので、もしかして漱石先生が寒月=寅彦や友人、弟子らの長寿願いも込めて《庚申》の夜会を十一章で設けたのかな、などと想像…

(承前)
漱石自身が、「庚申の日」に生まれた為、災いを避けようと名前に「金」という文字を入れた、とのことですから、庚申の日の意味や、庚申講についてはおそらく漱石はよく知っていたのでは? とも思っています。

「何かわるい事でもしたんですか」
「是からしやうと云ふ所さ」
「可哀相にヷイオリンを買ふのが悪い事ぢや、音楽学校の生徒はみんな罪人ですよ」
「人が認めない事をすれば、どんないゝ事をしても罪人さ。だから世の中に罪人程あてにならないものはない。耶蘇もあんな世に生れゝば罪人さ。

(承前)
…好男子寒月君もそんな所でヴァイオリンを買えば罪人さ」
可哀相に寒月さんが罪人、とされてしまいますが、《庚申講》の三尸の虫は人間の《罪》を天帝に言いつけることでその人の寿命を縮めるのでしたね。その点を考慮すれば、この集まりは寒月を罪から守るための講ともいえます。

(承前)
人間の寿命を縮める「三尸」についてはこちら↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B0%B8

単なる想像ですが、庚申待のように迷亭らが碁をやる傍で、寒月のバイオリン話を聞いて、故子規に聞かせるように句を詠んで、そうして皆の健康を願っているのだとしたらいいな…

【おぼえがき】
「根岸庵を訪う記」寺田寅彦 (生前未発表)

(承前)
「西洋の音楽などは遠くの昔バイオリンを聞いたばかりでピアノなんか一度も聞いた事はないから…」

寺田さん、根岸庵でバイオリン弾いて聴かせて差し上げたら…と思うけれども、謙虚な寺田さんゆえそんな事もないままだったのかな…

ところで、有隣堂さんの情報誌「有鄰」過去記事のweb版に、「『吾輩は猫である』と漱石の俳句」というのを見つけました。#漱石 #子規
 かい巻に長き夜守るやヷイオリン
  秋淋しつゞらにかくすヷイオリン
この句について… https://t.co/fjCrc6HWLT

(承前)
ここに復本一郎先生が書かれているように、やはり十一章の皆が勢揃いして、寒月さんのバイオリン逸話に茶々を入れたりしているこの場面は、故子規の思い出を意識して書かれているのでしょうね。

(承前)
迷亭が「(故子規子とは)始終無線電信で肝胆相照らしていたもんだ」とわざわざ子規との霊の交感を持ち出すのも、この集まりには子規も一緒(だった)という意味を感じますし、畳の上の日が消えて寅彦が帰って行った事を考えれば、秋の日が暮れなければそれだけ話していられる意味に。

【庚申山】つづき
寒月の遅々としたバイオリン話に業を煮やして洋書を読む苦沙弥…突然「こりゃ何と読むのだい…Quid aliud est mulier nisi amiticiae」と迷亭に聞く。(意味は、女は友情の敵)
無関係のようだが《庚申講》が男性だけの講と考えれば…

(承前)
べつに苦沙弥らが平安貴族を気取って、という訳ではありませんが、人間の寿命を縮めるという「三尸の虫」を封じ込める為の夜の集まりが「庚申講」だというので、もしかして漱石先生が寒月=寅彦や友人、弟子らの長寿願いも込めて《庚申》の夜会を十一章で設けたのかな、などと想像…

(承前)
苦沙弥の突飛なラテン語は、あとの文明論中の「女の悪口」につながっていくのですが、ここではまだ寒月の結婚のことも知らないはずなのに。
こうした男仲間だけの《講》(無礼講の講もそういう集まりの意味でしょう?)それをとても漱石が楽しんでいた事の暗示として感じられます。

【水晶の御殿】
「二十分ほど茫然として居るうちに何だか水晶で造つた御殿のなかに、たつた一人住んでる様な気になつた…心も魂も悉く寒天か何かで製造された如く不思議に透き徹つて仕舞つて、自分が水晶の御殿の中に居るのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだかわからなくなつて来た」

(承前)
寒月さんがバイオリンを弾くため登った、八畳ほどの一枚岩の上での《神秘体験》。水晶の御殿の中で自他の区別がなくなる感覚…
この《水晶御殿》の体験には、英詩人コールリッジのゴシック詩「クブラ・カーン」の影響がみられると思います。コールリッジは漱石が多々言及した詩人。

(承前)
寒月さんの《水晶の御殿》と⇒クブラ・カーンの《氷の洞をもつ歓楽宮 A sunny pleasure-dome with caves of ice》
その場所は《百坪ほどの大平》⇒《5マイル平方の沃地 twice five miles of fertile ground》

(承前)
周りには《樟脳をとる楠》と、《香料の実をつける樹 incense-bearing tree》
そして《鵜の沼という池》と、《うね曲る細流 sinuous rills》
…いかがでしょう? 考慮してもよい共通項と思われませんか?

(承前)
寒月さんはこの岩の上へバイオリン(提琴)を弾くために登りましたが、クブラ・カーンの詩の最終連では氷の洞で、かつて見た、ダルシマーを弾く乙女の幻影を思い起こすのです。#漱石
 A damsel with a dulcimer
 In a vision once I saw

(承前)
In a vision once I saw=かつて見た、という点が要…
もし寒月の《水晶の御殿》がクブラ・カーンを想起するものならば、漱石が暗示しているのも「かつて見た乙女の幻影」のはず。そこで思い出すのが三章の「天女が羽衣を着て琵琶を弾いている」寒月からの絵葉書です

(承前)
「昔しある所に一人の天文学者がありました。ある夜いつものように高い台に登って、一心に星を見ていますと、空に美しい天女が現われ、この世では聞かれぬほどの微妙な音楽を奏し出したので、天文学者は身に沁む寒さも忘れて聞き惚れてしまいました」
三章のここへ繋がるのですね。

…朝見るとその天文学者の死骸に霜が真白に降っていました」
絵葉書では、天女の琴の音に聞き入ると死んでしまいます。
「もしこの状態が長くつづいたら、私はあすの朝まで、せっかくのヴァイオリンも弾かずに、茫やり一枚岩の上に坐ってたかも知れないです…」
…だからギャーと脅かれるのですね。

【琴と乙女の幻影】
寒月さんの庚申山でのバイオリン話…先週はコールリッジの詩「クブラ・カーン」との共通項を考えましたが、クブラ・カーンを抜きにしても、寒月がこの山で乙女の幻影を見るだろう、という想像は、続く迷亭の《サンドラ・ベロニと竪琴》の発言からも裏付けられますね。

「サンドラ・ベロニが月下に竪琴を弾いて、以太利亜風の歌を森の中でうたってるところは、君の庚申山へヴァイオリンをかかえて上るところと同曲にして異巧なるものだね。惜しい事に向うは月中の嫦娥を驚ろかし、君は古沼の怪狸におどろかされたので、際どいところで滑稽と崇高の大差を来たした」

(承前)
サンドラ・ベロニは森の中で竪琴(ハープ)を弾くのですが、寒月さんのように、山に登ってそこでバイオリンに似た琴を奏で、すると《乙女の幻影》が現れる、そういう話を漱石はメレディスのサンドラ・ベロニよりも先に、熊本時代に読んだ『エイルウィン』からも記憶しているはずです。

(承前)
エイルウィンは、結婚を誓った幼馴染みの少女ウィニフレッドと生き別れになってしまうのですが、ウィニーをよく知るジプシーの女と共にスノードンの山に登り、そこでバイオリンに似た〈crwth〉という楽器を弾いてもらい、生き別れになったウィニーの幻影を見るのです。

(承前)
同書より、戸川秋骨先生が「小琴(おごと)」と訳した〈crwth〉を説明している部分と、スノードンの山でウィニーの幻影(生霊と書かれています)を呼び出す部分。とてもファンタジックでスピリチュアルな物語なので、漱石先生の幻想性を知るにはとても興味深い物語だと思います。

【乙女の幻影】
『エイルヰン』で音楽が生霊〈the spirits〉を呼び出す科学的原理について《磁力的波浪 the magnetic waves》を活発化させるから、などとあります(昨日の写真左)。この辺りも迷亭の言う《無線の電信》《霊の交換》を考えるとき、面白いですね

(承前)
「音楽の節奏的顫動は、磁力的波浪を活動せしむるものなるが、この波浪の活動に依りてのみ、心霊、物質、両界の交通は保持せらるゝなり」
中でも、線弦楽器によって起る「顫動が、他の楽器のそれよりも微妙」で、バイオリン類の楽器が「最も微妙なるものなり」とあります(#戸川秋骨 訳)

(承前)
原文の一部を引用すると
the rhythmic vibrations of music set in active motion the magnetic waves… spiritual and material, can hold communication.

(承前)
漱石の執筆は7月27日。この7月寺田寅彦は熊本五高を卒業、一旦故郷高知へ戻り、8月26日東京へ旅出ちます
寅彦は小説『エイルヰン』を読んだでしょうか。もしか「エイルヰンの批評」はホトトギスで読んだ? バイオリンの磁力的波浪で心霊を呼び出す事、寅彦がどう思うか知りたいです

今日は #幽霊の日 だというので、もう少しだけ「クブラ・カーン」と寒月のバイオリン話を続けましょう
寒月さんが庚申山に登り「生きているか死んでいるか方角のつかない」状態
そのままでいたら「乙女の幻影」に囚われて死んでしまっただろうという暗示は、クブラ・カーンにも共通します。

(承前)
In a vision once I saw=かつて見た、という点が要…
もし寒月の《水晶の御殿》がクブラ・カーンを想起するものならば、漱石が暗示しているのも「かつて見た乙女の幻影」のはず。そこで思い出すのが三章の「天女が羽衣を着て琵琶を弾いている」寒月からの絵葉書です

(承前)
「かつて見た乙女の幻影」を想起した詩人は、
Could I revive within me
Her symphony and song
その音楽を再び蘇らせることを願いますが…

(承前)
And all who heard should see them there,
And all should cry, Beware! Beware!
その音楽を耳にした者は皆、気をつけろ!気をつけろ!と叫ぶ…

囚われたら何が待ち受けているかを警告します。

(承前)
漱石は「クブラ・カーン」の Beware! の警告の意味も、この詩がコールリッジが阿片夢で見たもので、途中で起きてしまった為この詩は未完である、という逸話も知っていたはずです。
寒月さんが「ギャー」という何かに脅かされて山を下りた理由も、ここにあるのだと思います。

「それから」
「それでおしまいさ」
「ヴァイオリンは弾かないのかい」
「弾きたくっても、弾かれないじゃないか。ギャーだもの。君だってきっと弾かれないよ」
「何だか君の話は物足りないような気がする」#漱石

さんざん話を引っ張って、ここでお仕舞😅 クブラ・カーン同様未完なんです

【おぼえがき】
📖青空文庫 寺田寅彦 「団栗 どんぐり」

(承前)
団栗のスタビリチー(安定性)…寒月さんの結婚で、団栗の安定性は達せられたわけです。そして文章上には表れてはいませんが、寅彦の亡き妻夏子さんへの思いは、水晶の御殿にいるはずの琴を奏でる天女の幻として暗示し、庚申講の集まりで寒月の幸いを漱石が願っていると私は読みます。




Roger Waters さんの新譜に、ジョナサンが…!

2017-07-22 | MUSICにまつわるあれこれ
おとといのことです、、

ここのところ音楽ニュースを余り見てなかったと先日書きましたが、 それで久しぶりに見てたら なんといつの間にか ロジャー・ウォーターズさんが新譜を出しておる、、 あれ? いつの間に?

で、 19日に公開されたというヴィデオが載っていたので早速見てみた。。
Roger Waters - Wait for Her

あぁ ロジャーの声だなぁ、、 ロジャーらしいメロディだなぁ、、と思って聴いていて、、 あれ? なんだかドラマーさんどこかで見た気が… その次に あれれ? え?! このギタリスト… もしかして… この音…

その瞬間、 検索~! 数分後にはCD注文~~!!

 ***

上の↑ チラっと映っただけの映像と音で んん?と思った自分をちょっとだけ褒めてあげよう、、、 ていうか

ずっとずっとジョナサンの動向は気にしていたのよ、これでも。。 本人のツイートもFBもちっとも更新されずに、 何やってるのかなぁジョナサン、、 誰かのプロデュースしてるのかなぁ、、 全然話題出てこないなぁ、、 とずっと思っていたのに…

そうしたらロジャーのアルバムでギター弾いていたなんて、、 そうしてもうすでにツアーも廻っているだなんて、、 全然知らなかった…(泣)


昨日とどいたアルバム、 Is this the life we really want? / Roger Waters

せっかくなのでジョナサン・ウィルソンさんの前作 Fanfare と ロジャーの前作 Amused to Death も一緒に。。

まだ2度ほどしか聴いていないので感想はまた書くかも… ストリングスアレンジがベックのお父君とあって、 かなりストリングス効果高い。。 そして確かにジョナサンらしいひゅ~ん♪というミュート気味のギターも。。 ギルモア直系の音も奏でられる人ですものね、、 あとジョナサンと言えばテレキャスのじゃきっ!とした金属系の音、、これも聞こえる。。 
どこからジョナサンとロジャー結びついたのかな、、 やっぱりジョナサンがロイ・ハーパーさんのアルバムをプロデュースした辺りからでしょうか。。

以前、 ジョナサンとDawes のメンバーらが Shine on you Crazy Diamond やっているのをココに載せましたけれど(>>) あれが一年半前か… そのころ、もうロジャーのアルバムに参加すること決まっていたのかなぁ… どうだろ…
でも 嬉しいだろうなぁ、 ジョナサンのデビューから聴いてきたけど、 本当にキミは60年代に生まれたかったに違いない、と思うほど Floyd 遺伝子ありありの人だったから。。

 ***

さっき、 ツアーの映像拾ったら、 ジョナサン、、カンファタブリーナム 歌ってますよ、、(声ギルモアに似ているものね) うゎぁ、、ジョナサン嬉しいだろうなぁ。。

、、 まさかギターソロまで弾くのかと思ったら、 メタル系のソロを弾いているのは Dave Kilminster さん、、 この方はウォールツアーからやっている人ですね。

なんだか Doyle といい、、 ロジャー関連には驚かされてばかりです。 




ジョナサンのことしか書いてなくてすみません。。 ロジャーの新譜、、 歌詞を読みながらじっくりじっくり聴きたいと思います。

とにかく、、 来日して欲しいーーーー!! ジョナサン連れてきて!

不忍池と東京国立博物館 つづき…

2017-07-20 | アートにまつわるあれこれ
ツイートの方にも載せましたけど、 先日の、東京国立博物館のおみやげに《文香》を買いました。

大好きな酒井抱一の四季花鳥図巻の絵柄で四季4種類あって、、 夏にしようか秋にしようか迷った末、「秋」の絵柄を…。 萩にとまった鈴虫や、朝顔のパーツは中に香木のチップが入っていて、 はずして手紙に入れたり、抽斗に入れたりできまるんです。



カードみたいにお部屋に飾っているとエアコンの風に香が涼やか…  
絵皿などを立てかける皿立てがどこかにあったはずなので探してそこに立て掛けておけば、 良い香りがすることでしょう。。 白檀を基調としたやさしい香りです。

 ***

不忍池で蓮の花を見た日には まだ知らなかったのですが、、 不忍池のほとりに 横山大観先生が明治41年から住まわれた家があって、、 現在は「横山大観記念館」になっているんですって。。

居宅は戦災にあったので新しく建てたものだそうですが、 以前の形を再現してあるそうで、 お部屋からは不忍池が眺められるそう…

大観先生、、 89歳と長生きされたので 昭和のTV映像の中で磊落に笑っておられる姿とか覚えていて、、 だから漱石などよりずっと年下のイメージを勝手に持っていたのですが、 明治元年生まれで漱石とほぼ一緒。。 漱石が『吾輩は猫である』を書いていた明治38年には 菱田春草とともに英国へ行って展示などしていたと…

東京文化財研究所 年譜 http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8862.html

「横山大観記念館」は夏季休業があるそうなので、 秋になったらぜひ行ってみたいと思っています。
http://taikan.tokyo/index.html

、、今、 菱田春草さんのwiki見てみたら、 大観さんとインド、アメリカ、ヨーロッパと回られたそうですね、、 ずっと仲が良くて帰国してからもしばらく一緒に住んで共に絵を描いていたのですね… 春草さん、 早く亡くなったけれども、 濃密な時間を大観さんと過ごしたことでしょう。。 春草さんの画をいつも見たい、見たいと思っているのだけど、 なかなか展示を目にする機会が得られなくて…

大観さんと春草さんの外遊記とかあるかしら… 今、検索したらなんか無いみたいだけど、、 なにか残っていないかなぁ。。

代りに出てきたのが、
『鼎談 餐 』(1983年) 横山 大観, 和田 三造, 谷崎 潤一郎 による対談集みたい。 大観先生、、 大酒のみのイメージですけど、、 どんなお話をしているのか今度読んでみましょう。。

 ***

最近、 ようやく日本画に目覚めてきた気がします。。 それは 東京での暮らしが長くなって、 日本はこんなにも雨の多い国だったのかと身を以て知ったことが大きいかもしれません。。  故郷はと言えば 日本のギリシャ並みに降水量の少ない、 青空が多くて、紫外線が強烈で、湿気の少ない山岳だったので、、 自分の知っていたのはあれはちょっと日本的ではなかったんだな、、と(笑)

今読んでる『猫』でも、、 鰹節が有名な南国育ちの寒月さんが、 「女もあの通り黒いのです」「だって一国中ことごとく黒いのだから仕方がありません」と、 みんな日焼けしている話をしますが、、 そういう画はきっと さっきの『鼎談』で 大観先生と対談されている和田三造画伯の「南風」ですね..
http://kanshokyoiku.jp/keymap/momat08.html

あ、、この絵 1907年、、これも『猫』の同時代の絵ですね、、
 

、、抱一の画からずいぶん話が逸れました(笑)


梅雨の緑も美しかったですが、、 からりと晴れ渡った夏空もまた、、 良いものです。


暑さにまけないよう…

蓮華の回廊を抜けて二千年のタイムトラベル

2017-07-17 | アートにまつわるあれこれ
上野の不忍池へ、 蓮の花を初めて見に行きました。 

蓮の花は午前中しか開いていないと聞いたので、出来るだけ朝のうちに行こうと… それでも 今は午前4時台に日が昇りますから、 そんなに早くは行かれず、、 上野に着いた頃にはもうすっかり陽も高く…

大通りから一本向こうの 蓮池が見えた時のびっくりしたこと。。 いちめんの蓮の葉、葉、葉、、、 そこからすっと顔を出しているピンクの大きな花、、花、、そして 宝珠のような大きな蕾。。

、、前回書いたみたいな、 水の上の葉と花が浮かんでいるのは「睡蓮」なのですよね。 ボリス・ヴィアンの、 クロエの肺に咲くのも睡蓮ですよね、、 



大きな葉が 日傘のように透けて、 水面の暗さとところどころ陽を受けて輝くコントラストが美しかったです。



 
今朝の「天声人語」に蓮の花のことが載っていました。 蓮の花が開くときに音がするのか、と… (http://www.asahi.com/articles/DA3S13041154.html
そこに 石川啄木の詩の一節が載っていました。

 しづけき朝に音立てゝ
 白き蓮(はちす)の花さきぬ

、、 新聞によれば、花が咲く音はしないそうですが、 上のような大きな蕾を見たら、 ほんとうに音がするような気がしてしまいます。。 

おやゆび姫が生まれるのは、 チューリップの花でしたか? でも 蓮の蕾の中にも ちいさな小さな仙女が眠っていそうな感じですね。



…ちょっとピンぼけ。。

 ***

そのあと、、 国立博物館の常設展を見ました。 開館時刻9時半ぴったりに着いたのですが もうかなりの人が並んでいました。 外国からの方とても多し。。 人気がある場所なのですね。

お目当ては 11室の「十二神将立像」、、 このように展示の配置も動きを感じさせるもので、 外国の方たちが盛んにカメラを向けていました。 



1室にあった飛鳥仏、 如来立像 (法隆寺献納宝物 7世紀)は、 とても小さなものでしたが、 柔らかな薄い体躯の飛鳥仏で おだやかで(あぁ、やっぱり飛鳥仏はいいなぁ…)と。。 そっと手に取ってみたくなるような仏さまなのでした。


ほかにも刀剣や、 能面や、 屏風や、 弥生土器や、 いろいろと目をひくものがありましたが、 埴輪の猿さんに会えたのも嬉しかったです。 ほんと可愛らしい、、。 古墳時代の人も、 きっと猿の愛らしい姿を親しみを抱いて作ったのでしょう、、


 ***

戸外は倒れそうなほどの熱波でしたが、、 二千年の時空を閉じ込めた堅牢な建物の中は、 しずかにひんやりと、、 そしてゆっくりと、 時が流れているようでした。






またタイムトラベルに行きたいな…



明日は七夕…☆

2017-07-06 | アートにまつわるあれこれ
7月になりました。。

、、どうもブログのほうはすっかり間が空いてしまっていけませんね、、
書きたいことはたくさんあるのですけれど、 なかなか向き合う時間が取れません。。 いえ、多忙というわけではないのです。 ただ、 気候に体調がついていかなくて、 動けるときにはやることが一杯で、 動けないときはひたすら休んでいるしかないので、 少々の読書くらい。。

読書記や、 美術展記録を書く代わりに、、 写真でごまかしてしまおう…(笑)

 ***

先週、 国立西洋美術館へ行きました。 「アルチンボルド展」
アルチンボルドの作品は けっこう詳しく書籍で見ていたものだったので、 驚きとかはそれほど無くて(すみません・笑)、 むしろ 同時代作品として展示されていた 玉(ぎょく)をくりぬいて金の縁取りや取っ手を付けて加工した盃など工芸品に興味をひかれました。

久しぶりの常設展のほうは、 展示作品がかなり入れ替わっていて、 もともと西洋美術館の常設展は、 宗教画などが多くて、 大好きな場所なので ゆっくりゆっくり見たかったんだけれど、 企画展含め 会場がとても冷房が強くて(これも体調をくずす要因に…)、 外は猛暑日で (でも長袖持参で行ったのだけど) もう寒くて耐えられずに、 常設展示 駆け足になってしまってすごく残念。。。

大好きなクールベ作品、 「波」は前と同じだったけれど、 雪景色の作品と、 馬小屋の作品が展示されてた。。 その代わり、 ジプシー娘はなくて、、 どこかへ貸し出し中かな、、

宗教画のところには、 教会で使われたのを再現するように、 木の祭壇のようにテーブルが置かれて展示されていたのが印象的でした。 前はそういうものはなかったから。。
また行きたい、、 常設展。





美術館前庭の 白い木槿とカレーの市民。

自己犠牲とひきかえに市民の命を救った六人のカレーの市民、、。 裸足で、 縄を巻かれ、、 城を明け渡す悲痛の姿、、という説明をサイトで読んだことがあるけれど、、 でも いつもあの前庭に立つと、 この片手を空に向けた姿が、 常設展の中にある演説をする洗礼者ヨハネのポーズと重ね合わされて、 力を失わない者の姿に見える。
(結局は 王妃の助命でこの者たちの処刑は行われなかったとのことだから、 やはり英雄なのだ…) ロダンは 絶望の姿をあらわそうとしたわけではないのだと、、 そう思うな。。

 ***


こちらは 目覚めるまえのアガパンサスの花。
この花は 都会へ来て知りました、、 彼岸花のなかまなのだそうですね。




西のほうの雨、、 はやくおさまりますように。。


天空の星の川、、 おだやかにかがやいていますように。。