星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

どうぞよいお年を・・・♪ 「STRAUSS WALTZES」

2016-12-31 | MUSICにまつわるあれこれ
日付変わってしまいましたが・・・

今夜(30日)は、 ラトル指揮 ベルリンフィルの第九を、 民放のBSで観ました。 楽章の変わり目にCMが入るのは、、 まぁ仕方ない。。。 ラトル指揮のは、 真面目な生真面目な 第九でしたね。

今、 ウィーンでは、 クシシュトフ・ウルバンスキ指揮による ウイーン交響楽団の第九コンサートがあるはずです・・・ 相変わらずTシャツ・ジーンズでリハしてます、、
https://www.facebook.com/wienersymphoniker/photos

ウルバンスキ君の 第九、、 聴いてみたいなぁ・・・

 ***

さて、 先日みつけた、、 パパのレコード棚シリーズ 第2弾



ニューイヤーを迎えるにふさわしく、 シュトラウスのワルツ集です。 指揮のスラットキン とは、、 フェリックス・スラットキンのことで、 1963年には亡くなっています。 現在、 N響などでも指揮をなさっているらしい レナード・スラットキンのお父様だそうです。

この録音は、、 レコードには書いてないので、 これと同じ物の外国版のサイトで見たら、 どうやら1958年みたいです(不確か)。

、、このレコードがあるのはわかっていたのですが、、 レコードを覆っていたビニール袋のあまりの汚さに、 一度も中身を見ることもなく、、、

、、ところが・・・!



じゃん!! こんな美しいレコードだったんです~~! すごく綺麗なワインカラー。 そしてレインボーカラーのレーベル、、、 は・はじめて見た~~~。。。

早速 音を聴いてみると・・・ 弦は艶っツヤ、、 ワルツの緩急のメリハリがすごくて、、 これは オーケストラを聴くためというより、 まさに踊るための演奏だわ~、、と思いました。 パパ自身がダンスをやっていて 一度だけクリスマスの舞踏会に連れて行ってもらった記憶が… (4歳ころ)、、 パパの脚の下をくぐれるくらい小っちゃかった頃にワルツのステップを教えてもらいました。。。

、、 音を聴いていると、、 くるっくる廻りながらワルツを踊る姿が目に見えるようです・・・ 残念ながら、、 パパが踊っている姿は、、私は全然記憶が無くて 残念なのだけど・・・

 ***

新年にはまた、 ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを観ましょう。 今年は誰の指揮かしら・・・ そして、、 毎年楽しみのバレエコーナーは、 誰のお衣装で どんな演出かしら・・・?

、、なんて、、 ほんとは この年末、 レコードを聴いてるひまも、 TVをゆっくり見ている時間も 全然無いのです。。。 早く寝なきゃ、、 で、、 明日 早く起きて お煮しめの用意しなくちゃ!


今年も、、 いろいろありました。 、、いろいろ、、 泣いたり、 絶叫したり(笑)、、 楽しんだり、、 とにかくも、 めいっぱい 生きました。。 生きれました・・・

たくさんのありがとうを、 愛する人たちへ。。


どうぞ よいお年を♪


(紅白は・・・ う~~ん、、 可能な限り 観たいと思います、、 可能なかぎり…)

(・・・JAM聴きたい・・)

おやすみなさい さようなら...

2016-12-29 | LIVEにまつわるあれこれ
昨夜の メカラウロコ27、、

私にとって 「愕」・・・の一文字で始まったこの一年の締め括り、、。 
ほんとうは 武道館に行けなければあっさり諦めて 今回は縁が無かったものとしよう、、 と考えつつも ぐずぐず迷っていた、、 のを お友だちが映画館へ誘ってくれた、、 それでほんとうは とてもとても観たかったんだと気づきました。。 誘ってくれて、、 そしてチケット手配してくれた友たちにも、、いろいろ感謝。。。


嬉しくもあり、、 ものすごく寂しくもある、、 3時間余り、、でした。

うれしさとは もちろん、 あの武道館のメカラを(間接的にせよ)目撃できたこと、、 聴きたかった歌 たくさん聴けたこと、、 チケット全敗のお友だちたちの中で 2人だけ武道館が当たった姐さんたちがいれたこと、、


以前 吉井武道館のときに書いた、 吉井さんの「若き日のブルース」(>>)も、、 それから、、 「少年のブルース」も、、 ほんとうのあの4人で聴くことができたし。。。

、、2010年のあのとき、、 「のに、、なんだろう、、、」…って、 ぼーっと考えていた 「FOUR SEASONS」も、、 4人なら 「のに、、なんだろう、、、」 … とは思わない。


映画館の良いところは、、 表情までじっと見つめていられることですね。。 歌うLOVIN のそばで、 じっとLOVINを見つめて タイミングを計っているエマさんの凛々しい表情とか、、

エマさんのギターも、、 ずっと ずっと じっくり観ていられたし。。 でも、 お初に聴いた ホワイトのセミアコの音色は、、 少し意外にも金属的な気がしました(映画館で聴く音と、 空気を伝わってくる音とは もちろん違うと思うけど) 、、もう少し「木」のトーンがするのかな、、と思ってた。

赤いレスポールが良かったなぁ、、。 ロンソンの音みたいで。。


でも、、 すごくすごく胸キュンになったのは、  アクティヴに動き回るときのキラキラな笑顔の一方で、、 ここぞの真剣な表情でリズムをキープするヒーセさんのきりりとしたお顔と、、

同じく、、 野武士のような表情で音支えに専念しているアニーのビート。。 ほんと 今年一年、、 ずっとアニーのドラムスには感動しきり、 だった、、 ほんとうにアニーはSUPERに素晴らしかったです。。 (え? 裏から・・・? にはずっこけたけど・笑)


鶴ちゃんのことは、、 ひとことも今まで書かずに ごめんなさい。。 それは・・・ 確実に、 三国さんの「音」とは別のものだと思うからです、、。 、、昨日、 開演前、、 お友だちとお茶しながら話していて、、 それが自分だけの感想ではないこともわかったので やっと書くのだけど、、 鶴ちゃんのピアノは 時に「ロックじゃない」音色だと感じることが 多々あって、、

、、、三国さんは完全に「ロックな」キーボーディスト、、でした、から。。。 だけど、 昨日、、 ええと どの曲だったろう、、 鶴ちゃんのエレピの音色によって、 初期の曲ががらっと「進化」したものになっていたと、、 そう感じることが出来た曲があって、、 あぁ こうして 新しい THE YELLOW MONKEY SUPER の「音」がきっと これから創られていくんだなぁ、、と ようやく感じることができました。。


 ***

寂しさは・・・


うまくいえないけど、、

、、 昨年の吉井武道館で、 「Beginning & The End」と銘打たれても、、 「GOOD BY」(e が隠されていたんだね…) と言われても、、 まったく気づきもしなかった、、 予想だにしなかった、、 そして 正直、 今を期待することもしていなかった 「わからなかった自分」への さびしさ、、と、、

ほんとうに これで 「The End & Beginning」になったんだ、、 と 納得する自分の、、 なんだろう、、 笑・・・ 娘を嫁に出す父の気持ち・・・? ←なんだかな・・笑


「一緒に冬を…」 の吉井さんの言葉、、 とても とても ありがたかった、、 その気持ちをものすごく嬉しく思うし、、 そう言って下さった吉井さんの気持ちの意味も よくわかっているつもり、、 だけど、

、、 ちゃんと 冬のあとに 季節はひとめぐりしたじゃない?

「風は名のみの…」のような早春の 「白部屋」~「MY FOOLISH HEART」ツアー、、 「GENIUS INDIAN 」や「Dragon head Miracle」ツアーは まさに「夏!」な感じのするツアーだったし、、

そして 実り多き 「宇宙」と 「花&力」ツアーの 「豊穣の秋」へと・・・

それらの季節をも 一緒に過ごさせてもらえたし、、 それらの時間がどんなにか 私自身の力につながっていたか、、、 とても感謝したい気持ちです。。。 


・・・ だから


季節はひとめぐりして、、 また、、 いいえ、 「まだ」、、 ほんとに「Beginning」の地点に立ったばかりなんだと思う、、 THE YELLOW MONKEY としては・・・。  かつて メカラ7 で吉井さんが 頂点だと一度は思われた山の頂の先には、 きっと まだ高い高い銀嶺が見えているはずなのじゃないかな、、 今。。 
だから、 SUPER になるのは まだこれからなんだよ、、、 と わたしは思っております、、、


 ***




SLS HALL TOUR に遠征できなかった私がお友だちに買ってきて貰ったリストバンド・・・ でかいよ・・・(笑

、、私には 肘の手前までいっちゃうんだけど・・・ (メンズ??)


・・・ヒーセ!! 直しておくれよ~~~ って叫んじゃおうかな。。 


お誕生日がきたよ。。。

2016-12-28 | MUSICにまつわるあれこれ


、、このミック・ロンソンの「SHOWTIME」

ボーナスCDつきのがあるらしい、、 っていう話を以前、 お友だちにしたら、 海外で見つけて送ってくれた。

、、 バンドも、 吉井さんも、 まだ 何も動きが無かった頃のこと。


いろんな話をしたね。。 貴女が日本に帰って来た時、 初めて会ったのに 夢中で話したね、、
LOVIN さんのこと。。 大好きだったんだよね、、。 もしも、 ライヴへ行ける日が来たら おばさんになってて恥ずかしくならないように、、 頑張って待っていなきゃね、、 って。


今日は貴女を一緒に連れて行くね。

武道館じゃないけど、、


LOVINさん 一緒に見ようね。

「クリスマス・ソング」 ベイツ短篇集より

2016-12-23 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
アドヴェントカレンダーの窓もほとんど開きました。

きょうはクリスマス・イヴのおはなし。。。


『クリスマス・ソング』 ベイツ著 福武文庫 1990年 より、 表題作「クリスマス・ソング」という小品。

 ***

はじめに ゴメンナサイ、しておかないと・・・ この短編のことを書こうとすると どうしてもネタばれになってしまうので、、 

この作品の出版は1950年とのことですから、 第二次大戦後すこし経って書かれたものですね。 舞台は英国のイーヴンズフォードという (たぶん小さな)町。

楽器店の娘クララは、 店の音楽教室で声楽を教えている美しい声の持ち主ですが、 「彼女は雪に向かってモーツァルトを歌うかわりに、 長い時間店に立って、 工場労働者にジャズの楽譜をばらで売った」、、 とあり、 クリスマス・イヴも願いとはうらはらに雪は降らず、 ひっきりなしに降り続く雨。。。

家族ぐるみの付き合いがあるらしいウィリアムソン家から、 毎年恒例のクリスマスパーティーに呼ばれているけれども、 騒々しいだけのパーティーに今年は行かない、と クララは 「そう固く心に決めていた」

夕方4時。 自分の音楽教室を閉めている頃、 妹が呼びに来ます、、

 「あら、そこにいたの。 いま下に若いお客さんがきていて、 買いたい歌の名前が分からないと言ってるわ」
 「ダニー・ケイの歌じゃないの? いつだってそうなんだから」
 「そうじゃないの。 その人はクリスマス・ソングだと言ってるわ」

、、、そうして クララは 「茶色いソフトをかぶり、 こうもり傘を持った青年」のところへ行って、 その歌のことを尋ねます。

 「歌詞を少しでも覚えていらっしゃるなら」
 「それがだめなんです」
 「どんな風な曲ですか。 それはお分かりですか」

、、、彼は歌おうとするものの、声は出てきません。。 クララはいろいろ彼に尋ねてみて、 シューベルトの曲を歌ってみせ、 次にブラームスの曲を歌ってみせ、、 また別のシューベルトの歌を歌い・・・ 

 「では、ラヴ・ソングですか」
 「ええ」

、、、それで悟ったクララは

 「その女(ひと)をお連れになれないんですか?」と彼女は訊ねた。 「そのひとなら覚えていらっしゃるかもしれませんわ」
 「ああ、それはだめです」と彼は言った。 「そうしないでさがしたいんです」

 ***

、、 じれったいお話ですね。。。 だけど、 この純情そうな青年はきっと切羽詰っているんですよね、、 もうクリスマス・イヴの夕暮れになって、 そのうろ覚えのレコードを (きっと彼女へのプレゼントに) 探そうとしているんですから。。

 「思い出しになったらまたいらしてください」 、、とクララに言われて青年は雨の中を帰って行きます。。 日がすっかり暮れて、 店を閉め、、 午後8時、、 両親と妹はウィリアムソン家のパーティーへ出かけて行きました。 残ったクララは、 ひとり店の二階でピアノに向かい、 青年のさがしていた歌のことを気にかけています。

、、夜9時。 ウィリアムソン家のドラ息子 (どら息子とは書かれていませんけど、どうやらそんな感じ) が、すでにほろ酔いで迎えに来ます。 大声でクララを呼び、 パーティーに連れて行くと騒いでいます。。 そんなとき、、 先刻の青年が・・・

 「どうもすみません。 おや、お出かけになるところですね。 どうも迷惑をかけて」
 「思い出せました?」

 ***

もうこの後は省略しましょう。。 親切な娘クララと、 純情青年と、 どら息子、、、 クリスマス・イヴの午後9時すぎの、 絶え間なく雨が降る店先の光景・・・

、、じれったいのだけれど、 なんかせつなくて、 なおかつどこか けなげな感じのするお話、、 私好きです。 以前、紹介した ベイツ短篇集も(>>)、 この文庫の短篇集も、、 登場人物たちは田舎者だったり、 愚かなことをしでかしたり、 滑稽だったりするものの、、 ベイツの描く人物には本当の「悪人」は出てこない、、 

、、それにしても、、 この純情青年クン、、 イヴも夜更けて やっと望みの音楽が思い出せたところで、、 彼女へのプレゼント (レコードを贈るのか、 自分でそれを歌ってみせるつもりなのか、、 そこまでは書かれていませんけど)、、 間に合うのかしら??  その恋のゆくへは・・・ 
、、書かれていない先のことまで なんだか気になってしまうお話でした。 


、、 もし、 この短編をお読みになったら、 ぜひとも その楽曲をググってみて下さい。 そして 聴いてみて下さいね、、 あぁ・・・ と思い出す筈ですから。。。



 ** ほんとうの ネタばれ **

どうしても、 その曲を聴きたい方のために・・・

Schubert Ständchen (Serenade) Peter Schreier


素敵なクリスマスをお過ごしください。。。

『ジェニーの肖像』 翻訳のはなし

2016-12-22 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
何かに誘われるように自分にプレゼントしてしまった レコードプレイヤーのおかげで、 しばし夢中に遊んでしまいました・・・ そろそろ本筋へ戻さないと、 年越してしまいます・・・

 ***

15日に書きました、 『ジェニーの肖像』について・・・

翻訳のことを ちょっとだけ書いておきましょう。

以下は、『ジェニーの肖像』の冒頭の部分、、 まずは ロバート・ネイサンの原文から


There is such a thing as hunger for more than food and that was the hunger I fed on. I was poor; my work unknown...(略)

When I talk about trouble, I am not talking about cold and hunger. There is another kind of suffering for the artist which is worse than anything a winter, or poverty, can do; it is more like a winter of the mind, in which the life of his genius, the living sap of his work, seems frozen and motionless, caught ― perhaps forever ― in a season of death; and who knows if spring will ever come again to set it free?


、、 何度か読んでみましたが、 ひとつひとつの単語はそんなに難しくはないのに、 日本語にしようとすると なんだかすごく難しそう、、 勿論 わたしの英語レベルが中高生レベルなせいもありますが…

 ***

次は、 創元推理文庫 大友香奈子 訳 から、、


 食べ物にたいするよりもっとひどい飢えというのがあるもので、その飢えを糧にしてぼくは生きていた。ぼくは貧しく、ぼくの作品は全く知られていなかった。・・・(略)

 悩みについて語るとき、ぼくは寒さや空腹のことを言っているのではない。芸術家にとってはまたべつの苦しみがあり、冬や貧乏がもたらすものより始末が悪いのである。それは心の冬とでもいうべきもので、そのなかでは芸術家の才能の源や、作品のはつらつとした生命力などは凍りついて動かなくなり―-もしかすると永久に――-死の季節に捉えられてしまったのだろうかと思えてくる。いつかまた春が来て、自由になれるかどうかなんて、だれにもわからない。

 ***

次は、 ハヤカワ文庫 井上一夫 訳から、、


 飢えのようなものだが、食物に対する飢えよりももっと激しいものがある。 わたしが悩んでいたのはそういう飢えだった。もちろん、わたしは貧しかったし、わたしの絵は知られていなかった・・・(略)

 わたしが悩んでいたのは、寒さや空腹ではない。芸術にたずさわるものにとっては、もっと違った種類の苦しみがあるのだ。冬だとか、貧乏などによる苦痛よりももっとひどい苦しみである。それは心のなかの冬とでもいうようなもので、そこでは才能の生命や制作の生気が凍えついてしまうらしい。この死の季節に永久にとらえられてしまったようで、解き放してくれる春が来るとはだれが知ろう。

 ***

次は、 偕成社文庫  山室静 訳から、、


 飢えというものには、ものを食べないための飢えよりもひどいのがある。そして、それがわたしにとりついていた飢えであった。わたしは貧しく、わたしの仕事は、世間からみとめられなかった・・・(略)

 わたしが苦しんでいるというときには、寒さや飢えのことをいっているのではない。芸術家にとっては、冬や貧乏があたえるものよりもちがった種類の、もっとたちのわるい悩みがある。それはむしろ心の冬に似ている。そういうときには、芸術家の才能のいのちが、芸術家の作品の生命の汁液が、こおりついてはたらかなくなり、死の季節にとらえられているかのように思われるのだ――-おそらくは永遠に。しかも、春がまたいつかやってきて、その氷をとかしてくれるかどうかは、だれにもわからないことなのだ。

 ***

最後の 山室さん訳の偕成社文庫は 青少年向けの文庫なので、 解説にも書かれていますが、 「少年少女諸君にも、多少読みよい文体にあらためて」… と、文体が変更されているようです。 もともとの、 第二次大戦直後に出版されたときの最初の訳も 読んでみたい気がしますが・・・

、、 それはともかく、、

もともとの ネイサンの文体をどう捉えたら良いでしょう。。 山室さんも書かれていたことですが、 私も なんだか 「散文詩」的な印象を受けました。 「詩」のようだと、、

、、 おそらく この「文体」も含めて、 読む人は この青年画家がどんな人となりで、 どんなことに心を痛める人物なのか、、 そして 彼が 「心の冬」と呼んで苦しんでいるものが 一体どのようなこと、、 どんな芸術のあり方を彼は求めているのか、、 そんな点までも読者は感じ取ることになるんじゃないかしら? と思います。

、、翻訳って ほんとうに難しい。。 論文とか、 トリセツのような、 「正確さ」だけが重要なのではないもの。。。 とりわけ、 この本のように ファンタジックな、 現実を超えたところに真実を求めるような、、 そして 情景のそこかしこに「詩情」が込められている文学には・・・。


ともかく、、

『ジェニーの肖像』・・・ 青年画家の 凍てついていた芸術の心を溶かしてくれる少女の物語。 、、いつまでも 胸に残るお話、、

、、(あくまで私的な好みでなら、、) また読み返すとしたら、 やっぱり 山室訳かなぁ、、。 日本にムーミンを紹介してくださった山室さんの、 この作品を愛する「心」がみえる訳文だと思うから。。

 
・・・あ、、そうだ
ナット・キング・コールの歌う 「ジェニーの肖像」という歌があります。 映画で使われたのかな?

Nat King Cole - Portrait of Jennie (Capitol Records 1948)

、、わぁ、、 このジェニーは…  大人過ぎません?(笑)



レインボー・アンサンブル「スーヴェニール」

2016-12-20 | MUSICにまつわるあれこれ
パパのレコード棚シリーズ 第1弾 (シリーズになるの??)




レインボー・アンサンブルによる 「スーヴェニール」という軽音楽集。
(YS-164 コロムビアレコード) 62・3 とあるのは 62年3月?  

、、パパが早く亡くなったので、 レコードにまつわる話はほとんど知らず、、 歌謡曲や演歌や小唄などの日本語の歌のレコードは 全部母のもとに置いたまま 今では処分されてしまって、、 あれらも貰っておけばよかった・・・

 ***

このアルバム、、 編成は、、 ハモンド、エレクトーンなどを中心に キーボードがメロディを奏で、 そこにエレキギターが伴奏を、、 曲によっては打楽器も入る 歌の無いイージーリスニング、、なのですが

ハモンドがとても表情ゆたかで、 ギターの生っぽい(箱っぽい)音色が 新鮮。。 昔の歌番組の伴奏って、 ジャズやクラシック出身のとても腕のあるかたがたが、 オーケストラのものを編曲して、 少人数で (オルガンとかアコーディオンで) 伴奏していましたが、、そんな懐かしい感じ。

、、演奏者のクレジットがなくて、、、

、、 ずーっと曲紹介を読んでいって、、、あ、、ひとことだけ 「道志郎」さんのピアノ・ハモンド… と書かれているので 検索したら、、 この方のアンサンブルのようです↓

道 志郎(みち しろう)Wiki>>

エレクトーンのパイオニアの方でしたのね。。 それで、、 没年を見て・・・びっくり。。
・・・なんと つい先月のこととは・・・  ご冥福を。 優しい音楽をありがとうございます。


・・・パパが空から教えてくれたのね。。


40年前の音盤・・・

2016-12-18 | …まつわる日もいろいろ
今朝 日記に書いたばかりの、、レコードプレイヤー
、、 もう届いてるし・・・




クリーナーが未着なのでどうしようかな、と思ったけれど、、

1976年の The Rolling Stones 'Black and Blue'

盤面がものすごく綺麗なままだったので、 そのまま初プレイ、、


宝物のように扱っていたんだね…


くるくる廻っているのを なぜかずっと見てしまう。。。


夜明けまえ・・・

2016-12-18 | …まつわる日もいろいろ
もうすぐ冬至、、 いまが一番夜明けの遅い時期ですね。

朝、目覚めるときはまだ真っ暗で、、 そのうちにだんだんと東の水平線上がオレンジ色に変わってきます、、 天頂はまだ闇の色、、 地球が少しずつすこしずつ回転しているのが実感できる、、 宇宙を感じるこの時間が けっこう好きです。。


 ***

しばらく前に 今年の漢字というのが発表されましたけど、、

わたしにとっての 今年の漢字は・・・ たぶんこれ、

  

「驚愕」の「驚」のほうでも良いんですけど、、 やっぱり「りっしんべん」の心があるこっちの漢字で、、、

その理由はもう、、 今年の始まりからでしたもの、、 言うまでもない。。 本当にいろいろと心みだれる、 心かきみだされる、、 心揺さぶられる、、 ことの多い一年でした。 涙もいっぱい流したし、、

、、自分に関連する物事ばかりでなく、 この世界、 この日本、、 この日常、、 「愕然」とすることの何と多かったことか。。 政治や選挙の世界にしろ、、 人々の関心のありどころにしろ、 事件や事故の悲しい・理解し難いような出来事にしろ。。。 
時には、、 なんだか もう自分とこの世の中とが同じベクトルを示していないんじゃないかと、、 ほんとうに ガク然とすることも多くありましたし。。

結果として がっかりさせられることも・・・

 ***

でも・・・
少し 心ゆさぶられ過ぎたかな、、 と反省もしてる。。。

若さゆえにアンテナを敏感にして、 貪欲にあらゆるものを摂取したいと思っていた時代ではもうないし、、 長い時間の中で培った 自分なりの価値基準を もっと信じてもいいのかな、と。。 それは 老化? 硬化? ・・・(ふふ・笑)

 ***

自分へのクリスマスプレゼントとして、 とうとうレコードプレイヤーを入手するのが 現実化しつつあります。。 ちっとも高価なものじゃないの、、 50年、 60年前のドーナツ盤が聴ければ、、と思って、、。

、、あと、 最近また 米オースティンのラジオも聴くようになりました。 今は レディオオースティンが聴けないので、 KUTXを聴いてます。 

、、 古い 音の擦れたドーナツ盤と、 遠い音楽の町のラジオと、、


アメリカ南部のおばあちゃんみたいになっていくのかしら・・・ わたし

ジェニーの肖像 / ロバート・ネイサン著

2016-12-15 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
先日書きました ポール・ギャリコの『スノー・グース』(>>)、、

孤独な青年画家ラヤダーと少女との心の交流の物語を読みながら、、 二十数年前に読んだべつの本のことを思い出していました。。 やはり、 貧しい画家の青年の前にあらわれた不思議な少女の物語、、 『ジェニーの肖像』。

、、ギャリコの『スノー・グース』のときに、、 結局、読み終えて・・・好きになれなかった、、と書いたけれど、、 それは 物語のラヤダーや少女が好きになれなかったのではなくて、 ギャリコの創作の意図を 私なりに感じ取ってしまった結果、 好きになれなかったのでした。。

、、それは、 物語の最終的な持っていきどころが、 障害を持ったラヤダーにとっての「アイデンティティ」の問題になっているように私には思えて、、 でも、物語の中で呼吸している人物ラヤダーのものというよりも、 結局、 作者ギャリコが求める = よしとする「価値」の追求だったのだと、、 そう感じられた部分が、納得できなかったんです。。

、、で、、 画家と少女、という設定だけの共通項で、、 だけどもう読んだ記憶も遠くなっていた『ジェニーの肖像』、、 どんなだったかしら・・・ と読み返したくなって、、

 ***



二十数年前に読んだのは、 一番上の 偕成社文庫、 山室静 訳 でした。 
、、2005年に 新訳で 創元推理文庫からも出ているのを知り、 今回は そちらも読みました。 (大友香奈子 訳) 、、 この創元推理文庫の中には、 もう一作品 『それゆえに愛は戻る』も収録されてて、 そちらも読みたかったんです。

、、 で、、 山室訳と、 あまりにも印象が違ったので、、 いったいどうしてだろう・・・と思って、 さらに 過去に出ていた ハヤカワ文庫の 井上一夫 訳、 のまで取り寄せてしまった、、と。。。

、、でも、 それぞれの訳についての話は、、 今しばらく横において置いて・・・

 ***

12月9日は 百年目の漱石忌でしたね。

、、 (墓の傍で) 「百年待っていて下さい」・・・ 「また逢いにきますから」
・・・と言う 黒い瞳の女性を、 漱石は『夢十夜』で書きましたね、、。

、、同じように、 『永日小品』の中の 「心」という作品の中でも漱石は、、

 「たった一つ自分のために作り上げられた顔」をした、、 「百年の昔からここに立って、 眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。 百年の後まで自分を従えてどこまでも行く顔である。 黙って物を云う顔である」

、、 そんな女性を描いていますね。。

どうしても、 そのことを想い出してしまったのです、、『ジェニーの肖像』を読み返しながら、、。

 「あなたが来てほしがってるんじゃないかって思ったの、イーベン」(第6章 大友訳)

、、 そんなふうに 画家の青年の部屋にあらわれ、、 そして 

 「できるだけ早く戻ってくるわ・・・」 「待っててね」(第9章) 、、と 告げて また時の狭間に消えてしまう、、少女。。


、、漱石がもし 『ジェニーの肖像』を読んだら、、 或いは(1948年の映画にもなっていますね) 映画をもし漱石も見たら、、 などと考えてしまいます。。 だって両作家とも、 作品に込めた思いは同じ、なのですもの。。。

漱石ばかりではありませんね、、 エドガー・アラン・ポーの詩でうたわれる女性や、、 今年の夏に読んだ、 ヨハン・テオリンのミステリー  『冬の灯台が語るとき』(>>)も、、 主題としては 最愛の人との時空を超えた魂の交流、、 というものがあったと感じています。

 ***

『ジェニーの肖像』・・・ 考えてみれば、 画家イーベンは、 ある日 ふいに少女と出会うのですが、、(言い換えれば 少女はふいにイーベンの前へ姿を現すのですが)、、 何故イーベンなのか、 という説明はどこにも無いんですよね。。。 イーベンは特別な男の人でもなんでもない、、 (特別な才能を秘めた駆け出しの画家なのかもしれないけれど) まだ全然絵も売れず、 家賃も払えない貧乏な画家、、  都会にはそんな男性は・・・ 山ほどいるはず、、 

何故 イーベンのもとへ・・・?

、、 漱石だって同じことです。 何の根拠も無いけれども 「たった一つ自分のため」だけに 現れてくれる女性・・・ 

 「あなたが来てほしがってるんじゃないかって思ったの」・・・  そんな文章を 臆面もなく書いてしまう男の人って・・・すごい、、(笑) 、、男の人ばかりじゃないのかしら・・・ でも 今まで読んだのは全部、男の人が書いたもの、よね? 

、、決して茶化しているのではないです・・・

創元推理文庫版の解説(恩田陸による)の中でも、 その点には触れられています、、 「愛するものを失うこと」 「予め喪われていること」、、の意味、、

画家イーベンの前に少女があらわれてくれるのも、 夢十夜の墓の前で百年待つ男の前に 白百合が咲いてくれるのも、、 まさに 「こんな夢をみた」、、という 「夢」の物語であり、 想像とも 理想とも 憧れとも、 幻ともつかない・・・ そんな儚いものがたり。。

だけど・・

・・・だから、、 ゆえに、、

、、ひとが 物語を永遠に求める意味も、、 そこにあるのではないかしら、、と・・・

 ***

先にあげた『冬の灯台が語るとき』の中で、、 クリスマスの本来の意味のこと、 書きました。 贈り物を介した〈今ここにいない人〉との魂の交流、、のこと。 
、、 夜中にトナカイの橇に乗ってやって来るサンタさんの為に、 窓をほんの少し開けて クッキーと紅茶を添えておく、、 という習慣が西洋にはあるようですが

それは もともとは、 子供たちにプレゼントを届けてくれるサンタさんではなくて、 もしかしたら天上の馬車が連れてくる〈誰か〉の魂のこと、、だったのかもしれないな と想います、、、 そのようにして物語がつむがれて 受け継がれて、 サンタさんがうまれて、、

、、だから、 今年は そんな本来の想いも込めて、、 クリスマスを迎えようと。。 星々になった魂を想って・・・


、、翻訳の話は、、 また今度ね。



アニミタス-さざめく亡霊たち

2016-12-11 | アートにまつわるあれこれ
東京都庭園美術館へ昨日行きました。

現在の展示は、 
「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス-さざめく亡霊たち」(内容はこちら>>) 
と、 同時開催の
「アール・デコの花弁 旧朝香宮邸の室内空間」(>>

「アール・デコの花弁」は、 旧朝香宮邸、、すなわち 庭園美術館の建築と室内装飾そのものがこの展覧会です。 一昨年まで改装工事で閉館していて、 リニューアル後に訪れたのは 今回がはじめて。
本館の構造や、 室内の調度品は、 基本的には変わっていませんでしたが、 ラリックのガラスの扉や、 各部屋の壁紙や照明器具など、 同じものでも以前より明るく、美しくなったように見えて、 かつて此処が朝香宮邸として使われていた当時の 生き生きしたかがやきが伝わってくるようでした。 以前は見られなかったお部屋も見られて、 朝香宮邸の当時のお住まいを訪れている、という雰囲気を味わうことができました。

もともと好きな美術館でしたが、 今回、 朝香宮邸を紹介するビデオを中で見ていて、 ここが美術館として公開されたのが 83年だったと知り、、 では美術館としてはずいぶん最初のころから何度も足を運んだのだなぁ、、と。。 思い出深い展覧会、、 いくつもありました。

今回、 新館がオープンになって、 そちらの方にも ギャラリーと、 それからカフェと、 ミュージアムショップがあって、、 (以前からあった、美術館正面入り口のミュージアムショップもまだあります) 、、 新館のショップは、 女性が好みそうな美しいグッズがたくさんあって、 アールデコ柄のクッキーや、 外国製の練り香水や リップバームや、、 素敵な品がいっぱい、、

あ、、 いけない… 本題から逸れてます(笑) 、、 今回カフェには寄りませんでしたが、 また平日に独りでぼーーっとくつろぎたい時に、 ぜひ行ってみたいと思います。

新館への通路にも こんな美しいガラスの装飾が(右)↓




 ***

ボルタンスキーのテーマは、 「アニミタス-さざめく亡霊たち」
アニミタスとは、、「小さな魂」という意味だそうです。  部屋から語りかけてくる 誰かの「声」、、 あるいは 室内に響く心臓の鼓動、、 たくさんの揺れるスクリーンに刷られた「まなざし」、、 風の大地で奏でられる「風鈴」の音、、 などなど。。

そのような 「さざめき」、、 この<亡霊たち>は、すでに失われた過去のものではなく、 「アニミタス」=「小さな魂・霊魂」、、 いまもこの世界に存在し あるいは これからやがて生まれ来るかもしれないものたち、、、なのだそうです。 その無数の 「さざめき」・・・

この ボルタンスキーさんの意味するものにはちっとも違和感をおぼえません、、なぜなら<亡霊たち>、、は、自分にとってはわりと常に感じていること、、 むしろ親密なものたち、、 といった気持ちがずっとあるのです。

上のフォト(左)は、 新しい作品 〈ささやきの森〉だそうです。 日本の香川県にある豊島という場所とのこと。。 風にちろちろと声を発するたくさんの風鈴、、、 その奥で虫が鳴き、 鳥がさえずる、、 

、、 とても心地良い空間でしたが、 このように作品化された場でなくても、 小さな魂のさざめきは いつでも どこでも 身近に感じていて良いのではないかな、、と。。。 今年も昨年も、 大好きな山の中の森を歩き回ったから、 こういう森の映像や音を聴けば 私の魂はすぐにあのときの森と同化することができるし、、、 都会のど真ん中にいても、 木漏れ日が落とす翳や くるくる舞う落ち葉の中にだって、、 小さな魂は感じることが出来るんですもの、、、

 ***

何日か前、、
マンションを出て買い物に行こうとして、 数歩あるいたら、 ふわっと足元にいつぞやの小鳥ちゃんが下りてきて (この辺りに棲むシジュウカラか何か、、前にも書きましたね)、、 わたしの足元の周りをちょこちょこ歩いて一周して飛んでいきました。。 なにかを伝えに来てくれたようです。。。

、、 今の季節の東京は、 木々の色が冬の日差しに映えて美しいですね。 街のすべてが優しい色合いに見えて、、 日差しがたっぷり注がれていると泣きたくなるような風景に出会えます。 、、けど、、 風は間違いなく冬を運んできていて、、 きのうの帰り道はとっても冷たい風に変わっていました。



落ち葉の散歩道も、、 あと少しの間だけ。。 


、、あたらしいベレー帽が欲しいな・・・

自由と美しい魂のために… : ポール・ギャリコ 著『スノー・グース』

2016-12-08 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
12月8日。

ジョン・レノンの命日、、 真珠湾攻撃の日、 ジム・モリスンの誕生日、、 山村暮鳥の命日、、 トマス・ド・クインシーの命日、、、

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この前、 画像をちらっと載せました(>>)、 ポール・ギャリコ 著/アンジェラ・バレット 絵 の 『スノー・グース』

表紙および、内容は こちらの出版社のページをご覧ください↓
あすなろ書房 http://asunaro.bookmall.co.jp/search/info.php?isbn=9784751525036

閉鎖され、 無人になった灯台にひとり住む 画家のラヤダー。 背中に瘤のある 片手も不自由な 孤独な青年、、 町へ出てくるのは買い物をする ほんのたまにだけ・・・ 人々は 「灯台に住む変わりもんの絵描き」、、とよぶ。。

自然を愛し、 ひと気ない湿地帯の水鳥たちを見守るラヤダーのもとへ、、 ある日、 傷ついた鳥を抱いた少女が たすけを求めて訪れる。。



これは、 絵本の裏表紙、、 表の少女の絵から この裏の水辺の風景へとつながっています。
淋しいけれど、 美しい しずかな海。。。

、、、 孤独な そして異形の青年と、少女のふれあいの物語、、 といえば 『Beauty and the Beast 美女と野獣』 『ノートルダム・ド・パリ』? ・・・そんな想像もうかびますが、、

ギャリコが 画家ラヤダーを この町から離れた灯台 = 「塔」 に住まわせたのは、 きっとそんな古典作品を踏襲しての意味もあるのでしょう。。 だから、 読む人は ラヤダーの魂の中にある「孤独」と「やさしさ」そして 「美しさ」を、 読む前から理解しているようにも、、 それで、 このアンジェラ・バレットさんの絵が、、 どこか淋しくて 静謐で 決して明るさは無いのだけれど、、 その中には 「やすらぎ」も 「あたたかみ」も ちゃんと感じることができるのです。。

、、 私、、 ポール・ギャリコは余りにも有名だし、 だけど 以前ある本を読んで ちょっと自分に合わなかったせいもあって、 『スノー・グース』を手に取ることはありませんでした。 だからほんとうに イラストが素晴らしくて、 この美しい本で『スノー・グース』を読めたのは とても嬉しかったのだけど・・

後半、、 あぁ、、 そうだったのか、、、
これは 戦争の物語だったのか・・・ と。

のちに出てくる 「ダンケルクの戦い」 「ダンケルクの惨劇」 「ダンケルクの奇跡」、、いろいろな表現がされているようですが、、 その戦史については 私、無知なので全然知らなかったんです。。 家族に聞いたら 知ってる、と言っていたので、 世界史ちゃんとやっていれば知っているんですね。。

奇しくも、 クリストファー・ノーランが今度 撮った戦争映画が 「ダンケルク」
予告編はこちら↓
映画『ダンケルク(原題) / Dunkirk』特報

、、、 『スノー・グース』、、 結局 読み終えて、 わたしは・・・ 好きにはなれませんでした。。。 絵本もとても美しくて、、 ラヤダーもとても愛することができた、、 たしかにそうなのだけれど、、 ギャリコが描きたかったのは、 結局 「戦争」なのだと。。

、、 そう思って、 上の本の裏表紙を見ると、、 海(これは英仏の海峡)の彼方に見える 船の影・・・ このときはまだ もしかしたら ただの商業船かもしれない、、 だけど、 この船影が、、 戦艦に見えてきてしまう。。
 
 ***

ギャリコが 描きたかった意図は、、 それぞれ読んだかたが 受け止めたら良いのだと思います。。 が・・・

戦争で失われるのは、 かならず 美しい魂と 自由な精神。。 そして引き裂かれるのは 純粋な心と愛。。。

12月8日に・・・


Thank you... 10years

2016-12-01 | …まつわる日もいろいろ
12月になりました。

昨夜も書いたように、 師走は地球の自転が一気に速度を増してしまいますので(笑) 忘れないうちに書いちゃお、、、


10年前の今ごろは、 このリストバンドをつけてライヴに走り回り、、 そして年明けてすぐに入院したときにも、 じつは このリストバンド、 つけてました。




毎日の検温で、 脈をとる看護師さんに、 (これなぁに?)、、と尋ねられることがよくあったけど、、 真正直に説明するのはちょっと恥ずかしかったので この「Thank You」の文字を見せて、、 (ね? こうやって脈とってもらったり、 採血してもらう時に、 ありがとうって見えるからなんとなくいいでしょ?) と、ごまかしてました。。。

10年前の、 わたしの大事なだいじな お守り。

、、術後、、 たっくさんの点滴チューブやら 心電計のコードやら ペースメーカーのワイヤーやらに 繋がれていた時には さすがに外さなくてはいけなかったけど、、(いろいろ巻かれたり、固定されたりしていて、 面会に来た家族もおっかなびっくり 手も握れず そうっと指先だけつまんでいましたっけ…笑) 点々と何箇所も残っていた 針やら管の痕も、 10年の間に消えていきました。

来月になると、、 生まれ変わってふたたび始まった命の、、 11年目が始まります。

、、心配してくれた 大切な人たちに、、 まだなんにもお返し出来ていない気がするんだな。。。  心配かけて ゴメンね。  これからも守っていてね、、、


そっと この手首を差し出します。



  Thank you...