星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ケアレスパワフル… 『イーサン・フロム』のその後…

2024-10-31 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
10月が終わります… 今日はまぁ なんて良いお天気なんでしょう…!

長いながい夏、がいつまで続くの?と思ったら、 秋雨&台風ですっきりとした秋の青空がちっとも望めない日々… だから漸く、 ほんとにようやく、 今日みたいな秋の日がほんと恋しかったです。。 

秋の日は恋しい… 

 ***

10月のはじめに書いてあった 新訳の『イーサン・フロム』イーディス・ウォートン著(白水Uブックス 宮澤優樹 訳)の事、 すこし書いておきましょう。。 新訳本の感想というより、最初に読んだときに感じていた事、 確かめるというか 考えてみたかった事、、 のその後… (以下、内容にも触れていますので未読の方はご注意ください)

最初に読んだ、95年荒地出版社発行の『イーサン・フローム』のことなど、 過去の日記はこちらに>>

新訳での感想は、、とてもすっきりとストーリーが理解しやすく感じました。 勿論、 二度目に読むわけですから内容を知っているせいもありますが、 登場人物の印象もずいぶん雰囲気が異なると感じました。 イーサンとマティの若い日の物語は まだ二十代という若々しいときめきや恋の熱情を前よりもくっきりと感じさせてくれましたし、
イーサンの妻ジーナの様子などもありありと…。。 彼女の棘のある言葉とか振る舞いが まるでホラーのように迫ってきます。 確かに、怪談なども沢山書いたイーディス・ウォートンなので、 ジーナの存在がホラーみたいな効果を示すのも作者の狙いのひとつかも知れないと思ったり、、

一方、 会話などは(出版された)百年前の日本語ではなく現代語の話し言葉なので 1911年という時代感はほとんど感じられなくなっています。 イーサンが自分のことを(52歳になっている部分でも)〈僕〉と訳してあるのには最初 それはちょっと違うんじゃないかな…と思いましたが、 考えればイーサンの過去、 本来持っている(農夫というよりも)学者的な性質を表現するには〈僕〉も良いかもしれないと思い直して、、 それはこれから書くことにも繋がるのですけど…

 ***

この物語は、 ただラストの〈衝撃的な展開〉へ導くためにこういう構成になっている、 それだけではないと思えて、、 まだ他にも〈語らせていないこと〉が沢山あるようにも思えて…

小説の冒頭は この村に派遣された技術者の語りで始まります。 そこで見かけた52歳のイーサンの印象を技術者は語るのですが、 でもそれは〈現在〉ではなくて〈数年前〉のことなんですよね、、 この物語を技術者が書いている(語っている)のは、 イーサンが馬橇で彼を送り迎えした冬の〈数年後〉なのです。 だから52歳より数年経った今のイーサンがいて、 その家族がいて、 それが〈現在〉で、、 でも技術者はそれは語っていない。。 読者にも知らされない…

その構成についてはひとまず置いて…
荒地出版社の『イーサン・フローム』を読んだときに引用した部分があります。 もう一度載せますと…
 
 鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。 

あのとき私は、 「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに… この物語を考えてみようとしました。。 何故かと言うと、 語り手の技術者は このイーサンの表情に引き付けられて彼に興味を持ったのですし、 この表情こそがイーサンという男を表しているからだろうと私も思ったから、です。 だから 新訳の本でもこの部分がどう書かれているのかをとても興味深く思って読みました。 新訳の文章は出版されたばかりなのでここでは載せません。 さらに私は原文がどうなっているのだろう… と興味を持ったのでした、、 (Project Gutenberg を参照しました) 原文では…

 it was the careless powerful look he had, in spite of a lameness checking each step like the jerk of a chain.

え…? とびっくりしました。。 私は英語が堪能なわけではないので、 〈the careless powerful look〉、、 ケアレス? 不注意な…? ケアレスでパワフル…??

何度も辞書を見ながら読み返して、、 結局、 この「ケアレス」を「気にしない、無頓着な」というような意味だと考えました。 引き摺っている不自由な足、 その足の事など全く気にかけていないような、 身体の不自由さを全く気にしていない=無頓着な、 そういうパワフル=生気に満ちた〈顔つき〉。 look はやはり〈表情、顔つき〉だろうと思います。 身体を含めた見た目、外見、ということなら looks になるみたいなので…。 だから此処では、 イーサンの身体の不自由さと それとは裏腹の力づよい表情との〈対比〉に技術者は眼を奪われたのだろうと…。。

だらだら書きましたけれど、 じゃあ そのイーサンの「ケアレスなパワフル」を支えているものって何なのだろう…。 そう考えると、 作者があちらこちらにしのばせた〈学問〉への繋がり、、じゃないかと。。 技術者が置き忘れた科学の雑誌。 イーサンがふと漏らした科学への関心。 家屋の一部を処分しなければならないほど困窮しているにもかかわらず残してあるイーサンの昔の勉強部屋。 もっと深読みすれば、 毎日今でもイーサンは新聞を郵便局まで受取りに来る。 そんなに困窮しても新聞だけは読み続けているイーサンの外部への関心。

ここからは 私の勝手な想像というか 願望…。
この技術者が有能な人物であればきっと、 嵐の夜にイーサンの家(その勉強部屋)に泊めてもらった事でイーサンの能力を知り、 ストライキを続けている労働者などよりイーサンを雇った方が 自分もわざわざこんな村に滞在しなくても済むし、 毎日イーサンに送り迎えしてもらうより イーサンにちょっと指導すれば彼なら仕事が出来るだろう… そう考えるのが当然じゃないかと…。。 あくまで想像(妄想)ですが…

そこに私はこの絶望的な物語のかすかな〈救い〉を見出したいだけで…

時代の変遷や、 都市と村の格差、 広い世界を知る者と閉ざされた知識との差異、、 そういうテーマに敏感だったと思えるイーディス・ウォートンだからこそ、 単に辺境の村に住む貧しい男の悲劇という物語のほかに、 外の世界との接点や新しい時代の兆し、 そんな仄めかしを読み取っても良いのではないか、と…。 それが科学知識への関心とか、 発電所とか、 些末なキーワードに過ぎないけれども…。 こじつけかな…?  

 ***

さらに、 先ほどの「ケアレスパワフル」から、、 イーサンの「プライド」という事を考え直してみました。 この小説には「プライド」という語が何度か出てきました。

若き日のイーサンは、 プライドの使い方というか 示し方というか、 それを間違えてしまっていたと…。 プライドゆえに追加の借金も言い出せず、 プライドが彼をいつも躊躇させた。 52歳のイーサン、、 今もプライドの高い男ではあるだろうけれど、 もうあの生活では見せかけのプライドなど示しようもない。 でも何も投げ出してはいないし、たぶん恥じてもいない。 52歳のイーサンは自分の貧しさを技術者に隠すこともしなかったし、 技術者が雑誌を貸そうか?と聞いた時、 昔のイーサンなら必要ないと言ってしまったかも…。 叶えられなかった過去の学問のことなど技術者に話さなかったかも。。

それらを含めての、、 careless powerful 無頓着な力強さ。 それがイーサンをさらに強く支えている…


ケアレス、 という単語から いろいろと考えさせられました。 よかったです。

 ***

しばらく前からじぶんが願望としてきた 〈ノンシャランな〉老女になりたい…。 それってイーサンの〈ケアレス〉に近いのかも… などと思いました。 気にしない… 頓着しない… でも、 自分なりの美意識や価値観は手放さない… やっぱり そうでありたい。。 やっぱね…


ひとりごとみたいな読書記になってしまいました…

今は、、 ずっしりと重い犯罪小説と(ちょっと内容から逃げ出したくなって)、、〈猫〉の本を読んでいます。。




美しい秋の日、、 雨が近づいているのが心配ですが



素敵な週末&連休をお過ごしください…

平らかであれ…:寛永寺天井絵奉納記念『手塚雄二展』に行って来ました。

2024-10-25 | アートにまつわるあれこれ
以前からお友だちと約束していたランチと共に、 横浜そごう美術館で開催されている 寛永寺創建四百周年 根本中堂天井絵奉納記念『手塚雄二展』を鑑賞してきました。

寛永寺は上野にある1625年創建のお寺。 日本画家の手塚雄二さんは平山郁夫に師事され、長年東京藝大の教授をされた日本画家で、 寛永寺からの依頼によってこのたび 6×12メートルの天井画を描かれました。 その大きな龍の天井画が 来年の奉納を前にまぢかで拝見できるというもの。。
また、 これまでの多くの作品も同時に鑑賞できました。


巨大な双龍の天井画は、 寛永寺の天井の板を外して、 その板に直接描くというめずらしい方法で描かれていました。 そしてその大きさの天井絵が床いっぱいに置かれているのですから すぐそばに立って鑑賞することも出来ますが大き過ぎてひと目では視界におさまりません、、 それで絵の近くに階段があって台の上に登り、 上から眺められるようになっています。 

上から撮影しても 全部は収まりきりませんでした…



龍の指は最高位をあらわす五本指。 阿吽の双龍が持っているのは 片方が宝珠で、 もう一方の龍の手には 寛永寺のご本尊である薬師瑠璃光如来を示す梵字が 青いラピスラズリを含んだ岩絵具で描かれているそうです。(上記の写真の右のほうの手の中で青く梵字が見えます)

上記の写真は露出をちょっと変えてあります。 館内で見たときは照明がやや暗いのでこんなにくっきりとは見えませんでした。 下に降りて近寄って細部を少しずつ見ていくと細かく良く見えますが 一度に全体を見ようとするとなかなか…
でも お寺の天井におさめられたのを見上げると きっと壮観でしょうね。

こちらを⤵ 奥の人影とくらべると大きさがよく判るかと…



 ***

ほかに これまでの画業のさまざまな絵も鑑賞できました。 チラシには載っていませんが、 しずかな海辺のひとすじの波を描いた屏風や、 ちょっと西洋の妖精のトンネルのような 森の樹々に囲まれた光のトンネルなど、、 多くを語らない静かな絵に私はとても惹きつけられました。





さきほどの龍の天井画の制作過程をビデオで拝見できるコーナーもあって、 お弟子さんと共に下絵を描くところや、 板に描いた墨絵をごしごしと布で擦っていわゆる「時代を出す」作業など面白く拝見しました。

龍の天井画といえば、 以前に 大好きな加山又造さんが京都の天龍寺の天井絵を描くビデオ展示を見たことを思い出します(そのときの日記>>) あのときは残念ながら実物は見られず映像だけでしたが、 今回は巨大な天井画の現物を拝見できたのは貴重なことでした。 そして、 板に直接描くということで 四百年前の木の木目や肌合いと 墨や絵具とが沁み込んで溶け合ってそうして共に絵となっていく、 その創造過程もひとつの作品であり、 祈りのような時間であると感じました。

上野寛永寺のご本尊、 薬師瑠璃光如来さまは病気平癒の仏さまだそうです。 じぶんの病気が治癒することは叶わないし 神さま仏さまにそう願ったことはこれまでも一度も無いです(治癒はしないと分かっているから) 、、でも 病気の症状がフラットでいてくれること、、 出来るだけ平らかなままでいて欲しいということは いま切に願わずにいられません…

薬師瑠璃光如来さまから遣わされた龍の手の青い梵字は、 来年の奉納のときにあらためて筆を入れて完成するのだそうです。



この世の中が平らかであること…



そして 病をもって生きているすべての人にとって



毎日が平らかでありますように…




双龍に願いをこめて

感動の背後に…不穏と、不安…:クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 名曲全集第200回/川崎定期演奏会第97回

2024-10-18 | LIVEにまつわるあれこれ
  ** 10/14 記 **

昨日は先週につづいて クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回を聴きに行ってまいりました。 

感想はまた前回とまとめてあらためて書こうと思いますが、 取り急ぎ 思いつくことだけ書き留めておきましょう… (いつものようにクラシック素人の感想です)

ウルバンスキさんの振るショスタコーヴィチは 2019年の東響さんとの4番を聴いていますが、 あの春の日のサントリーホールからの帰り道の、 緊張の余韻がずっと残ったままの 心臓のどきどきが治まらない苦しいような心地良さを今でも思い出します。

昨日のミューザからの帰り道では、 (あぁ ウルバンスキ氏が振るこの6番を、 5番でも10番でもなく6番を 東響さんとの演奏で聴けたのは本当に良かったな…)と とても貴重な演奏を聴くことが出来た感慨でいっぱいでした。

来期、 東響さんのラインナップにウルバンスキ氏がいなかったのは 多忙になる氏のことだからと納得していたのですが、 まさか都響で振ることになっているとはとてもびっくりしました。 都響で振ることになるのは5番。 この意味については今感じていることがやがて明らかになるのでしょう… 来年の5月、、 あっという間です。。 聴くことができると良いのですけれど…

 ***

前半のラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 たしかこの春のニコ響さんでも同曲を視聴させていただきました。 あの時の演奏も素晴らしかったですが、 またあの時とは全く異なる情感の2番でした。

デヤン・ラツィックさんの粘りやうねりのある変幻さを持ったピアノ、 (同行の友人がプログレファンだったこともあり わかる人にしかわからない喩えなんですが) ピアノ界のエイドリアン・ブリュー♪という表現に大きく頷いでしまった私。。 ウルバンスキさんとのコンタクトも的確、、(ウル氏もプログレファンみたいですし…)

前半、後半とも 東響さんのオケの各パートさんには感動しきりでした。 通して感じていたのは 東ヨーロッパの音色、、 ロシアでもない 西側ヨーロッパでもない、、 東欧の音色。 震えるような 揺らぐようなフルートさんの不安を誘う音色や、 憂いをおびた木管陣の音色や、、 

いつもながら見事なティンパニさんの音色が ピアノの打音(⁉)になっていたことも衝撃的な感動でした。

そして微細に 幽かに 消え入る寸前でふるえつづける弦の哀しさや、、


ウルバンスキ氏に導かれた東響さんの名演と ラツィックさんとの競演で、 今回の2曲が聴けたことは またずっとずっと忘れないでしょう。。



20日(日)までニコ響さんで視聴できることも嬉しいかぎりです。 また感動を再確認したいと思います。



三連休最終日、 どうぞよい休日を…




  ** 10/16 追記 **

東京交響楽団 名曲全集第200回 10月5日
 指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ

コネッソン:輝く者-ピアノと管弦楽のための
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
 ピアノ:小林愛実
アンコール:シューマン 子供の情景より「詩人のお話」

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」


小林愛実さんのピアノを生で聴くのは初めて。。 ショパンのしっとりと聞かせる印象が強かったので、 今回のような緩急の変化の激しい曲を聴くのは楽しみでした。 私はピアノの技術のことは何もわかりませんが、 愛実さんが沢山のリサイタルやオケとの共演を続けられる中で、 このコネッソンの激しい曲とラヴェルの2曲というのはなかなかチャレンジングな曲目だったのではないでしょうか…

ラヴェルはやはり、 愛実さんの奏でる第二楽章の ゆったりとした実に叙情的な部分がいちばん愛実さんのピアノには合っている気がして、、 また、第二楽章の表現力があまりに際立っていて、 第一、第三楽章では時にジャズのように大きく揺れ動くピアノとオケとのタイム感が 少し合っていない感じが多々あって、 ウルバンスキさんもタイミングを合わせようとしていた様子が感じられました…

アンコールのシューマンの抒情性は愛実さんの真骨頂のように思えました。

ところで、 (帰宅後)パンフレットを読んで知ったのですが、 この曲はラヴェルの母方のルーツであるスペイン、バスク地方の音楽を取り入れているということで、、あぁ なるほど、 冒頭のムチの一擲から始まる疾走感とか、 あの異国風の雰囲気はバスク、から来ているのですね。。(個人的に はつい先日、バスクの作家さんの読書記を書いたばかりだったので、 バスク繋がり! と嬉しくなりました。

後半の「展覧会の絵」
、、この夏 あぁ次回はミューザでこれを聴くのね、と思っていた頃、 ウクライナとロシアの間で越境攻撃が始まり、 プーチンが核をも辞さない などと言い始めたこともあり、 (これを聴く頃、キーウが破壊されてしまっていたらどうしよう…)と考えたりしていました。 今期のプログラムが発表された当初には、 (これが演奏される頃、もう戦争は終わっていたらいいな…)とも思いましたし、、

この日、 出掛ける前には 最晩年のマルケヴィチがN響さんを振る演奏を見ていました。 キレッキレの「展覧会の絵」、、 あの緊張感のある荘厳な演奏もとても好きなのですが、 たぶんウルバンスキさんは全く違う感じでなさるのでは…? とも思っていました。 

想像通り、 というか 想像していなかったほど 人間味のある、いろいろな絵をウルバンスキさんは見せてくださいました。 この曲が 友人の画家ハルトマンが見た旅先の風景であるということ、 その画家はすでに故人となっていて、「展覧会の絵」はじつは「遺作展の絵」なのだということ、、 今まで解説のなかでだけ理解していた事を、 初めて音としてありありと感じ取ることが出来ました。

冒頭のファンファーレのようなプロムナード。 思い切りの良いトランペットの響きは、 今は亡き友人の回顧展がとうとう開かれる、 そこへやって来たよ!という感動と高揚感なのだと気づきましたし、、

イタリアの古城のおごそかな佇まいや、 公園で遊ぶ子供たちの姿、、 市場の喧騒、、 東響さんの各パートさんの丁寧な演奏によって ほんとうに絵がうかぶ感じがしました。 

そして、 バーバ・ヤーガからキエフの大門にかけて、、 非常にゆっくりと想いを溜めるように、 それから いきなり大音響になるのではなくて 何度も 何度も こみ上げてくるように音楽が湧き上がってくる演奏には こちらも感慨がこみあげて来るようで涙が出そうでした。 

今回、 ウルバンスキさんの「展覧会の絵」を聴いて、 これが亡き友をしのぶ「回顧展」を歩いている、という意味を実感として音の中にしっかりと感じられましたし、 それと同時に現在のかの地を思い、 かの地への「祈り」のような意味もあるようだと、 最後にステージの左右から鳴り響く鐘の音を聴きながら 感じていました。 素晴らしい演奏でした。
 


定期演奏会について つづきはまた、、



 ::** 10/18 追記 **

東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回 10月13日
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18
 ピアノ:デヤン・ラツィック
アンコール:ショスタコーヴィチ 3つの幻想的舞曲より2.Andantino.

ショスタコーヴィチ:交響曲 第6番 ロ短調 op.54


クロアチア出身のデヤン・ラツィックさんが弾く、 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 大好きな曲ですし とにかく沢山の名ピアニストさん達が演奏される曲。 弾くのがとても難しい曲、と言われていますが…

今回聴いた第2番は ピアノばかりでなく音楽としての美しさを強く強く感じました。 なにか壮大な映画の名場面が迫って来るような…。 そんな大雑把は言い方ではうまく表せませんが、テンポは極めてゆっくりと、 微細な音も、超速弾きの部分もあくまでメロディの美しさを確かめるように、、

この楽曲の、どこか異国風の(ロシア的でない)旋律、、 オーケストラ全体の演奏と共に、 古代ローマとか、むしろ西アジアを想わせるような(?)情景をともなって美しく脳裡に広がってくるようで、、 自分でもとにかく不思議でした。 あとでラフマニノフ自身が弾いたこの曲も聴いてみたのですが、、コロコロキラキラとめくるめく速さで奏でられるピアノの音を追うことに耳が傾いて、、(思い込みかどうかはわかりませんが) 眼を閉じるとちゃんとサンクトペテルブルクの冬のような光景が感じられる…  とっても不思議。。(小さい頃からレコードを聴くと風景を感じてしまうのは自分でも何故だかよくわからないけど…)

ラツィックさんのピアノは 大きく溜めが入ったりして、 ウルバンスキさんが身体を斜め後ろに傾けてピアノを窺っている様子が何度もありましたが、 それが不安定なリズムの揺らぎではなくて、 なんと言うんだろ… 音楽的な揺らぎで 聴いていても不安定さは全然なくて…

この曲をラツィックさんは、 2008年にキリル・ペトレンコさんの指揮でライブCD録音をされていて、 そちらの方も聴いてみました。 こちらも素晴らしく情感豊かな演奏で、 最終楽章、ペトレンコさんがオケをぐいぐい引っ張って行くのに対して、ラツィックさんの溜めのピアノが少し遅れてついていく感じも、これもまた味がありました。
聴き直すと、 ウルバンスキさんとの演奏の方が、 さらにさらに溜めが入っていて、 年を重ねた分のラツィックさんの思いが加わっているみたいで面白く感じました♪
 (ちなみに、 ペトレンコさんとの演奏では、 第一楽章後のアタッカはありませんでした。 ウルバンスキさんが指揮棒を上げたまま、 弦か幽かに鳴り続けて 同じ音の第二楽章へ入っていく、、あれはとても素敵だと思いました)

演奏後、 大満足の表情でウルバンスキさんとガシっと抱擁したラツィックさん。 退場後 拍手に応えてステージに現れた時には、 ピアノの椅子をガーっと音を立ててどかして、ウルバンスキさんと並ぶスペースを作るあたり、、なんか勇ましくてエネルギッシュでした(笑)

2009年に王子ホールでリサイタルされた時のインタビューがあって(王子ホール>>) ウルバンスキさんとの意外な共通点を発見しました、 《サッカー》です。 オーケストラとサッカーってもしかしたら共通点あるのかも…。。 ハーフタイムはさんで45分+45分、集中力を保ち続けるところとか、 演奏者相互間のパス回しとかアシストとか、。 ウルバンスキさんもラツィックさんも、とても運動能力の高い音楽家さんだと感じましたし、、 なんだか妙に納得してしまいました。

youtubeにはデヤン・ラツィックさんのチャンネルもあって、、 モーツァルトやブラームスや本当に多彩な曲を演奏されるのですね。 ラヴェルのピアコンもあって、、 あとで観てみよう~ ♪


後半のショスタコーヴィチ:交響曲 第6番

初めて6番を聴いた時(他の指揮者さんで)、、 言葉が悪くてスミマセンなのですが、、 なんだかヤケくそみたいな曲だなと思って…。 
暗鬱な、とても不安定な感じのする長い長い第一楽章から、 性急な第二楽章になって、 第三楽章はもうヤケくそみたいに終わる、、 どうしてこんな構成なんだろう…と。。 ショスタコーヴィチ自身の説明では 「春、喜び・・・」などと書かれているけれど全然そんな感じはしない…。 明るい高音かと思えば マイナーな低音へどーっと下がるし、、。 ウィキとかに書かれているベートーヴェンの6番「田園」のショスタコ版、、みたいなことは私は全然そう思えなくて、、

ウルバンスキさんも始まりからずっと厳しい表情で指揮をしておられました。 第一楽章の不安をさそうような、心の震えのような フルートさんやピッコロさんの音色、、 配信で聴くとそんなに強く感じられませんが、 ホールの静けさの中ではとても緊張感のある、 憂愁を感じる第一楽章でした。 高まっていく弦の哀しい響きは なんだかバーバーの弦楽のためのアダージョみたいで… そこへ打楽器の砲撃みたいな打音が降って来て…

この曲が書かれたのは1939年。
1982年ポーランド生まれのウルバンスキさんにとって、その時代的な意味は欠かせないのでは… とあくまで私の推測なのですけれど…。 1939年のポーランド侵攻によって第二次大戦が始まる、、 ショスタコーヴィチにとっては、この後 あの3年にもおよぶレニングラード包囲戦へと繋がっていく… ソ連にとっても、ポーランドにとっても《地獄の始まり》、、 その時代的な意味と、現代のロシアと東欧をめぐる状況を重ね合わせないわけにはいきません…

ちょっと話は逸れますが、 村上龍さんの『海の向こうで戦争が始まる』という1977年の小説がありますが、 このショスタコーヴィチの6番の特に第二、第三楽章を聴くと、あの小説が思い出されるのです。。 海の向こうで戦争が起こっているのにこちらの浜辺では何事もなく、男女が幻影を見るように戦争を眺めている、、 現在でも、どこかで戦争が起こっていても少し離れた町では人々が賑やかに買い物をし、行楽をし、日常を送っている… どうすることも出来ない隔たりのようなもの…

この曲の第二、第三楽章へと高まっていく混沌、 カオス状態を聴くと、どうにもできない人間の右往左往にも聞こえます。 やっぱり〈春〉とか〈喜び〉なんて情感はまったく感じられなかったです。。 会場ではラスト、 わりとすぐにブラボーの声が起こったのですが、 私は固まったまま すぐには拍手も出来なかったなぁ… そういう緊張状態のかた、結構いらしたと思います。 
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演奏後は 絶賛の拍手が響いて 楽団員さんを称えるウルバンスキさんも笑顔、 指揮者を称える楽団員さんも足を踏み鳴らす大きな音、、 このひとときが大好きです。 
ひとつになって音楽を創り出そうとする皆さんに拍手を送れる喜び。。 コンサートホールへ足を運べる幸せ。。 それが出来るという状況を、しみじみと有難く思い、 その気持ちは年々高まっていきます。。 平和で、、そして災害の無い日々を…


 ***

来年、 都響でウルバンスキさんがショスタコーヴィチ5番と共に指揮する ペンデレツキ「広島の犠牲者に捧げる哀歌」、、 この作曲家のことを知らなかったので検索をしたら…

クシシュトフ・ペンデレツキはポーランドの作曲家で、 2013年に ペンデレツキの80歳を祝したコンサートが開かれ、 シャルル・デュトワさんやワレリー・ゲルギエフさんといった大指揮者と共に、 当時31歳だったウルバンスキさんが「 広島の犠牲者に捧げる哀歌」を指揮していらしたのですね。。 アンネ=ゾフィー・ムターさんのヴァイオリンの指揮もされている…

解説が載っていたので HMVのサイトにリンクしておきます>>『ペンデレツキへの捧げもの~80歳記念コンサート』

ゲルギエフさんも大好きな指揮者だったのに・・・


ひとりの指導者が世界を 音楽家を 変えてしまう… 嫌なことですね…



それにしても、 この2013年からウルバンスキさんを首席客演指揮者に迎えた東京交響楽団さんの慧眼は素晴らしいです。 来年は東響さんとは演奏されないけれど、、 また必ず東響さんを振って欲しいな… ウルバンスキさん。


充実した2週間をありがとうございました。

うつくしの週のはじまり…♪

2024-10-07 | …まつわる日もいろいろ
土曜日はミューザ川崎へ クシシュトフ・ウルバンスキさん指揮 東京交響楽団 名曲全集第200回を聴いてまいりました。

ご出産を経て復帰された小林愛実さんのファンのかたもとても多いと見えて、 満員御礼の会場。 ピアニストのお友だちにも逢えて、 楽しい、心躍る、 そしていつもながらの才人ウルバンスキさんの導く音楽の展覧会に、 終演後お友だちと大きく頷き 「流石ね!」と言葉を交わした 今回もまた印象に刻まれるコンサートでした♪

感想はまたあらためて書くとしまして、、 ウルバンスキファンにとっては嬉しく 次回の川崎定期演奏会のようすがニコ響で中継されます。 こちらもまたとっても楽しみです! きっとまたたくさんのコメントが画面に流れることでしょう。。 今度は クロアチアのピアニスト デヤン・ラツィックさんとのラフマニノフ ピアコン2番と、 タコ6番という 緊張感みなぎる演奏会になるかも… 楽しみです。


今朝は 夜明けの海上が木星色の美しいグラデーションになっていました。。 わずかな時間で消えていってしまったので フォトは撮りませんでしたが、 これから秋から冬にかけて、 夜明けの空をたのしむことができそうです。


うつくしい季節に…



うつくしい音楽と…



うつくしの人のしあわせを願って…



 ***


さて!   ダルビッシュさん観なきゃ…! (←天邪鬼…)


それでも… すばらしき日常。。

2024-10-04 | …まつわる日もいろいろ
昨日 スーパーに寄ったら、 10月4日は「いわしの日」とありました。 イワシは邪気を払うと言うけれど、、 それは 春の節分、よね…?

昨日 病院の金木犀は まだいちめん緑の生垣。。 心做し甘い香りを感じたような… それは私の期待かな…? とおくまで届く芳しい香りはやすらぎの贈り物。


昨日は通院日でした。 

あらかじめ想像していた通りの検査結果で、、 昨年よりもまた少し悪化しているとのことでした。 、、今 ふたつの手術を勧められていて、、 ひとつは心臓の手術、 もうひとつは眼の手術

きのうは心臓の検査。

、、すでに手術適用の状態であるという説明をしてもらって、、 でも 先生も分かっているらしく 「したほうが」とも 「しますか」とも 言わない。。 あまりに難手術なのは先生も承知のこと、、二度目だから。 だけど このまま治ることは無いし、 来年はまた少し悪くなっているだろう、、 悪くなるほどに手術のハードルは上がっていく。 リスクは上がっていく…   でも…

「やりません」 「ん、わかった。 じゃ、また半年後に検査…」 こうして診察は終わりました。。


とてもシビアな話だけれどこれが現実。。 だけど心配しないで。。 毎日苦しみに喘いでいるんじゃぜんぜん無くて、 まいにちご飯をつくって 美味しくいただいて 本も読んで ときどき出かけて 音楽も聴けて ギターも弾けて…

このすばらしき日常を どうして手放せて・・・?


宇宙飛行士が地球を離れて空へ飛び立てるのは、 リスクを冒してでも得られる価値のほうを信じているから。。 たぶん、、 綿密に準備した有人ロケットのリスクよりもわたしのリスクは高くなるんじゃないかな… そしてまた、 飛び立たないでいたとしても 地上での命のカウントダウンはゆっくりと続いていくのだけど…。

 ***

こうして かけがえのない日常は きょうも あしたも 続きます。






あらたな翻訳で出版されました… と7月にお知らせした本 イーディス・ウォートン の『イーサン・フロム』(白水Uブックス)を次に読もうと思っています。 昨年の10月に旧訳の本で読んだ時もたいへん心揺さぶられた小説でした。 あのとき まだよくわかっていないところ、 何かはっきりしていないもの、、 新しい翻訳でもう一度たしかめてみたい思いもあります。

イーサン・フロムの人生、、 艱難辛苦と言えるような 終わることの無い困難。 だけどその人生を彼は放棄してはいないし もう一度逃げ出そうとも思っていないだろう。。 それは慣れであるとか 諦めというものなのかしら… 絶望的な状況でさえ ひとは慣れていくこともできる、、 感じなくなるというか… でも イーサンの今はそういうものだろうか…?

イーサンの人生にも 美しいと思える尊さがきっとあると思う。。


困難や 苦しさは それはイコール 不幸というわけではないと思うし、、 だって、 苦しい あぁしんどい、、と言いながら 人は山道を登っているでしょう…? 山道の傍には美しいものがたくさんあるから。。 キツイ くるしい と汗をかきながら眼を輝かせている。。

 ***

というわけで


日常は、、 人生は、、 貴いものです。 



そんな日常を わたしは愛してます。





愉しい週末をお過ごしくださいね

言葉の翼がはこんでくれる…:『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』キルメン・ウリベ著

2024-10-01 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
   きらめく飛行機の翼は、まるでトビウオのようだ。
                         (p.98)



『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』キルメン・ウリベ著 金子奈美・訳 白水Uブックス 2020年


夏のあいだに読んでいた本です。 
ことしは何故だか〈飛行機〉のでてくる物語が 私をつぎの読書へとつないでくれているようです。

前回の読書記に書いたカナダの『ノーザン・ライツ』(>>)に出てきた郵便飛行機。 6月に書いた女性飛行家アメリア・イヤハートの『ラスト・フライト』(>>)、 今まで知らなかったアメリアという人へとつないでくれたのは、4月に書いたエルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』(>>)でした。 あぁ そのとき書いたように  「飛行機がまゐりました。」という言葉のでてくる片山廣子さんの随筆もありましたね…。

『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』という本は、 スペインのバスク自治州の作家によるバスク語で書かれた小説とのこと。。 小説、、といって良いのかな… どうだろう…

著者キルメン・ウリベさんは詩人としてデビュー。 この本は彼が講演のために自分の住むスペインのビルバオからアメリカのニューヨークへ向けて旅立つ、 その旅の過程で彼の脳裡に浮かんでくるさまざまな思索や思い出を(一見、思い浮かぶままにとりとめなく)つづったエッセイ、のようにも読める本です。

自分の父や叔父や、 祖母や大叔母たちが昔語りにきかせてくれた記憶のかずかず、、 そこにはスペインの内戦の歴史や、バスク地方という言語も民族も異なる今や失われつつある昔ながらの文化の記憶がいっしょに語られていく。。 そして現在に生きる彼がたまたま旅の途中で出会う人のスケッチや、 かつて出会ったひとびとの思い出などを振りかえりつつ、 これから自分が書こうとしている〈小説〉について思いを巡らせている。。 (でもじつはその小説そのものがこのエッセイみたいな旅物語なんです)

とりとめのないエッセイのようでありながら、 じつは本当によく考えられて、慎重に構成された本なのだとわかります。 なのに、ひとり旅のお供として飛行機や列車の座席でふっと開いて数ページを読む、、 そんな読み方もとても似合いそうな、肩の凝らないやさしさのある文章です。

昔のひとはじぶんの物語をたくさん持っていましたね。。 この本の漁師だったお父さんにまつわる物語のように、 自然や戦乱に翻弄された本当はとても困難であったろう人生の記憶も、 のちに語って聞かせるときには不思議さをまとった〈物語〉になっている。。 この本にも書かれているように、だいじなのはそれが本当にあったことかどうか、ではない。 お父さんや大叔母さんの心のなかに本当にあった、ということ。。 記憶はいつしか豊穣な樽酒のような物語になる…


冒頭にあげた文章と、 そのあとで本文中に書かれていたのを読んで、 トビウオは100メートルも空中を飛ぶのだと知って、信じられない気持ちで動画をさがしたりしました。 ほんとうにビューーンと波の上を何十メートルも飛ぶんですね、、鳥みたいに。。

そして、 かつて大陸間をむすぶ船の上からトビウオが飛ぶ姿を見た昔のひとの言葉と、 いまその同じ行程を数時間で移動してしまう飛行機の窓から、光る翼を見ている著者の思いが結ばれて、 そのようにして、 過去と現在のたくさんの物語が結ばれて、 ビルバオというバスク地方の港町と世界の今、とが結ばれていくのです。 さすが言葉と言葉を結びつけて普遍の驚きへといざなってくれる〈詩人〉がつむいだ、 とてもゆたかな物語世界なのでした。

それがこんなちいさく軽やかな〈Uブックス〉、というのも良いです。



携えて どこか旅に出かけたくなります。





でもなかなかそれも儘ならない私は、 物語の旅や音楽の旅にこころを舞い上がらせるのです…