前回のおわりに書いた 《暮らし》のことの続きです。 生活者としての《現在地》のこと…
『一汁一菜でよいという提案 』土井善晴 グラフィック社 2016年
(左はわたしのお汁椀です)
土井善晴先生のお名前は 私のような50代の者には 料理研究家、土井勝先生の息子さんとして記憶していましたが、 TVをたくさん見ない私はあまり良くは存じ上げていませんでした。
去年、 自分が救急車で運ばれて それから手術を待って自宅療養を続けて、 結局 緊急手術になって、、 そんなこんなの頃でしょうか、、 お家でTVを見ていて、 土井善晴さんが女性タレントさんと一緒に有名なレストランなどをめぐって歩く グルメ番組を何度か観る機会がありました。 有名な料理研究家の息子さんでもあるし、 きっとたいへんな健啖家で美食家のかたなのだろうと、 そんなふうに思っていました。
前にここに書いたと思いますが、 腹部の手術だったのと ずっと安静の生活だったことで筋肉がすっかり落ちてしまい、 退院のころは今までで一番体重が減ってしまい、 いったいどこまで痩せられるの… このまま死んじゃうのかな… と心配になるくらいでした(病気のせいで食べても吸収されてなかったみたいで)。
退院後、 病気の苦痛は取り除かれたけれど、 そこから大変だったのは日々のお料理でした。。 お台所にずっと立っていることが辛いので流し台の前に椅子を置いて、 野菜を切っては坐り、 お皿を取り出しては坐って盛り付け、 しゃがめないので冷蔵庫の野菜室も腰かけて出し入れ、、
そのことが苦痛だったわけではないのです。 前にも心臓の手術をしているから、 術後の回復がどんなに時間がかかるものかはよくわかってる。 身体がしんどければゆっくりやればいい、 人の3倍時間がかかってもいいじゃない、、 そう思うことは出来るのだけど、、 コロナによるリモート生活も重なって三度の食事の用意が欠かせなくなってくると 身体の負担も増してくる。。
誰かに助けをお願いするほどじゃない。 だって手術して退院して来たのだもの、、 回復してきているのだもの、、 ただ体力がまだついていないだけ。。 お肉料理も お魚料理も、 身体がしんどくなげればもっといろいろ作れるのに、 一度にいろいろを作ろうと思うとやっぱり身体がしんどい。。。 しんどいと思いながら作るお料理は やっぱり楽しくない。。。
そんなときに、 土井善晴先生が 「一汁一菜でいいんです。 具だくさんのお味噌汁だけでいいんです」
とおっしゃっているのをどこかで拝見して ほっと身体の重荷が融けました。 涙が出る想いでした。
あのグルメ番組の先生が… それで良いんだとおっしゃってるんだ… って。
***
土井先生の言葉をちょっと自己流に解釈させていただいて、、 (お汁ものを三食とれないので) 一汁一菜にならない時は、 一菜合菜(いっさいがっさい)サラダをつくっています。 冷蔵庫の野菜をなんでもかんでもと、 常備しているお豆類とかハムとかタンパク質のもの、 全部をスチームしていっさいがっさいのサラダに。
、、、 ほんとうに 身体がもとに戻るのは ほんとうに時間がかかります。
でも、 毎日毎日をふつうに食事して、 毎日毎日こつこつ簡単なトレーニングを続けていくうちに、 ほんとうに一年がかりでしたけど、 体重もちゃんと増えて、 食事もおいしく食べられるようになって、 今では食べればちゃんと身になるようになって(体脂肪もきになってきて、、笑)
そうしてようやく、、 コロナも落ち着いてきたこの秋に 晴れて外出してコンサートホールに足を運ぶことが出来るようになったんです。 自分の足で、、 自分の身体で、、
(でも結果的にリモート生活で家族が家にいたことで私自身の食生活も充実し、 お片付けもやってもらえて、、 なにより家事労働はいちばんのリハビリ。 これで良かったんです)
***
暮らしとは繰り返すこと。 と土井先生も仰っています。
いちばん大切なのは
一生懸命、生活すること。
だから、、 生活者としての私の《現在地》は、 繰り返すこと。 同じであること。。
きょうも 一生懸命
いっさいがっさい。
『一汁一菜でよいという提案 』土井善晴 グラフィック社 2016年
(左はわたしのお汁椀です)
土井善晴先生のお名前は 私のような50代の者には 料理研究家、土井勝先生の息子さんとして記憶していましたが、 TVをたくさん見ない私はあまり良くは存じ上げていませんでした。
去年、 自分が救急車で運ばれて それから手術を待って自宅療養を続けて、 結局 緊急手術になって、、 そんなこんなの頃でしょうか、、 お家でTVを見ていて、 土井善晴さんが女性タレントさんと一緒に有名なレストランなどをめぐって歩く グルメ番組を何度か観る機会がありました。 有名な料理研究家の息子さんでもあるし、 きっとたいへんな健啖家で美食家のかたなのだろうと、 そんなふうに思っていました。
前にここに書いたと思いますが、 腹部の手術だったのと ずっと安静の生活だったことで筋肉がすっかり落ちてしまい、 退院のころは今までで一番体重が減ってしまい、 いったいどこまで痩せられるの… このまま死んじゃうのかな… と心配になるくらいでした(病気のせいで食べても吸収されてなかったみたいで)。
退院後、 病気の苦痛は取り除かれたけれど、 そこから大変だったのは日々のお料理でした。。 お台所にずっと立っていることが辛いので流し台の前に椅子を置いて、 野菜を切っては坐り、 お皿を取り出しては坐って盛り付け、 しゃがめないので冷蔵庫の野菜室も腰かけて出し入れ、、
そのことが苦痛だったわけではないのです。 前にも心臓の手術をしているから、 術後の回復がどんなに時間がかかるものかはよくわかってる。 身体がしんどければゆっくりやればいい、 人の3倍時間がかかってもいいじゃない、、 そう思うことは出来るのだけど、、 コロナによるリモート生活も重なって三度の食事の用意が欠かせなくなってくると 身体の負担も増してくる。。
誰かに助けをお願いするほどじゃない。 だって手術して退院して来たのだもの、、 回復してきているのだもの、、 ただ体力がまだついていないだけ。。 お肉料理も お魚料理も、 身体がしんどくなげればもっといろいろ作れるのに、 一度にいろいろを作ろうと思うとやっぱり身体がしんどい。。。 しんどいと思いながら作るお料理は やっぱり楽しくない。。。
そんなときに、 土井善晴先生が 「一汁一菜でいいんです。 具だくさんのお味噌汁だけでいいんです」
とおっしゃっているのをどこかで拝見して ほっと身体の重荷が融けました。 涙が出る想いでした。
あのグルメ番組の先生が… それで良いんだとおっしゃってるんだ… って。
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土井先生の言葉をちょっと自己流に解釈させていただいて、、 (お汁ものを三食とれないので) 一汁一菜にならない時は、 一菜合菜(いっさいがっさい)サラダをつくっています。 冷蔵庫の野菜をなんでもかんでもと、 常備しているお豆類とかハムとかタンパク質のもの、 全部をスチームしていっさいがっさいのサラダに。
、、、 ほんとうに 身体がもとに戻るのは ほんとうに時間がかかります。
でも、 毎日毎日をふつうに食事して、 毎日毎日こつこつ簡単なトレーニングを続けていくうちに、 ほんとうに一年がかりでしたけど、 体重もちゃんと増えて、 食事もおいしく食べられるようになって、 今では食べればちゃんと身になるようになって(体脂肪もきになってきて、、笑)
そうしてようやく、、 コロナも落ち着いてきたこの秋に 晴れて外出してコンサートホールに足を運ぶことが出来るようになったんです。 自分の足で、、 自分の身体で、、
(でも結果的にリモート生活で家族が家にいたことで私自身の食生活も充実し、 お片付けもやってもらえて、、 なにより家事労働はいちばんのリハビリ。 これで良かったんです)
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暮らしとは繰り返すこと。 と土井先生も仰っています。
いちばん大切なのは
一生懸命、生活すること。
だから、、 生活者としての私の《現在地》は、 繰り返すこと。 同じであること。。
きょうも 一生懸命
いっさいがっさい。