星のひとかけ

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本当の事実は人間の力で叙述できるはずがない…

2014-08-11 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
、、と、、 続けて 戸川秋骨先生と 漱石先生の話になるのですが、、

本当に秋骨先生には教えられること一杯です、 大感謝!です。
 
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今朝、 秋骨先生のエッセイ「自叙伝の面白さ」(『朝食前のレセプション』収載)を読んでいたら、、

 「…ハイネは、 人間に真実の告白なんて出来るものではない、 悪事にしても大抵は自分の都合のよいやうにばかり書いている、といったやうな鋭い皮肉をいってゐる」 とあった。。

 (あ!! これだ!!) とハタと気付いたのは、 漱石の『硝子戸の中』最終章

 「聖オーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、――それをいくら辿って行っても、本当の事実は人間の力で叙述できるはずがないと誰かが云った事がある」 

という一文。。 かつて此処を読んだ時にも気になっていたが、、 「誰かが」とは「漱石自身」の作った言葉なんじゃないか、、と漠然と思っていた。

、、で秋骨先生が言及された ハインリヒ・ハイネの、、『告白』という著作。 私は独逸語は読めないので英語のサイトからコピペしてみます、、

 And even with the most honest desire to be sincere, one cannot tell the truth about oneself. No one has as yet succeeded in doing it, neither Saint Augustine, the pious bishop of Hippo, nor the Genevese Jean Jacques Rousseau--least of all the latter, who proclaimed himself the man of truth and nature, but was really much more untruthful and unnatural than his contemporaries.
    (http://www.readbookonline.net/readOnLine/63359/)

秋骨先生が「ハイネは…」と言っているのはこの辺りの事ですね。 漱石全集の索引では、 英文学ノートの中にいくつか「Heine」への言及があるようなので、 著作に触れていたのかもしれません。

さらに、、 漱石が何度か 『思ひ出す事など』や『明暗』の中で言及している ドストエフスキー。 その「地下室の手記」にも ハイネが言った同じことへの記述があります。

 「ついでにいっておくが、ハイネは、正確な自叙伝なんてまずありっこない、人間は自分自身のことではかならず嘘をつくものだ、と言っている。彼の意見によると、たとえばルソーはその懺悔録のなかで、徹頭徹尾、自己中傷をやっているし、見栄から計画的な嘘までついている、ということだ。ぼくはハイネが正しいと思う」
        (新潮文庫 江川卓訳 10章より)

「聖オーガスチン」のことは↑此処には出てきていないので、 漱石はハイネの説を使っていると思われます。 或いは、 ドストエフスキーを通じてハイネをひも解いたのかもしれませんし、、 でもいずれにしても 「オピアムイーター」は出てきませんね。 しかし、、『告白=confession』と言ったら、 漱石にとっては「オピアムイーター」は欠かせません。 『思ひ出す事など』で、漱石が死の淵にあった時の記憶を綴っている箇所で、 ドストエフスキーの事が書かれますが、 それと同時に想起されているのも ド・クインシーの『オピアムイーター』で描かれた阿片幻想でした。(20章~)

ちなみに、、 5月28日に書いた「夏目漱石と戸川秋骨と、トマス・ド・クインシー」で言及されているのも 『思ひ出す事など』の23章です。 ド・クインシーの『告白』が何かにつけて漱石の頭に浮かんできていたことがうかがえますね。

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話が少し逸れました。
最初の 『硝子戸の中』の漱石の文。 、、「聖オーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔」 ここに 「オピアムイーターの懺悔」を加えたのは漱石自身なのかと思います。 だから「誰かが云った」というのは、 ハイネでもあり、 ドストエフスキーでもあり、、 漱石自身の「本当の事実」を著述することへの認識のあり方を示しているのかな、、と思います。

この『硝子戸の中』の前には、 先生の遺書(告白)を主題とする『こゝろ』があり、 自伝的小説とされる『道草』があり、、 「事実」を著述するとはどういうことかを、 漱石は考えていた筈なのですから。

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今ここに書いたことは、 本当に今朝見つけたばかりの、 ほんのとっかかりに過ぎない事なので、(でも貴重なとっかかりを与えて下さった秋骨先生に感謝!) 、、『心』の先生が、 何を「告白」し、 どんな「事実」を遺書という形で伝えようとしたのか、、 まだまだまだまだ わからないことばかりです。

でも いそがない。。 漱石先生は墓の前で百年待っていてくれる人ですもの。。 小さな星の片、、(手がかり)を また見つけていきましょう。

秋骨先生、、ありがと。 また教えて下さいね。

島崎藤村の『春』…『こゝろ』の時代

2014-08-11 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
藤村の『春』、、昨日読了。。

私、 藤村については『若菜集』の詩に親しんだくらいで、 小諸の記念館にも行った筈なのに、 藤村の小説はまったく無知、、(学科の必要性で『破戒』くらい目を通したか…?)

そもそも 『春』を読もうとしたのも、 前回までに書いた戸川秋骨先生が藤村と同級で、 共に『文学界』の同人でもあり、、 20代前半の彼らの交流が『春』に自伝的に描かれていると知ったから、、。

北村透谷については『著作集』の文庫を持っていて、 ロマン派詩人のことや、 文学のあり方など、 その錐のように鋭い論調に感心したりしていたものだけれど、、 その透谷と 藤村・秋骨・平田禿木などの 横のつながりが全くわかっておらず… (←近代文学やったろうに・恥)

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自伝的小説というか、 それぞれモデルの存在する小説を、 なぜにわざわざ名前を別につけて書かねばならないのか、 その辺が小説家でない私には解りかねるのですが、、 登場人物の名前がちっとも覚えられずに、 いちいち後ろの注釈を見ては、 誰のことなのか探しつつ読むのは面倒でした。。

たぶん、 当時(新聞掲載時)は、 そんなことより一編の小説として読まれたのでしょうけど、 現代から見る関心は、 当時実在した人物関係であって、 当時の実際の文学事情や、 交遊事情なのだから 読み方が変ってしまうのは仕方ないです。 

そして、 今、 『春』を読もうとした理由は、 何と言っても 今100年目として新聞掲載中の、 漱石の『心』で語られている 先生およびKが、学生生活を送ったまさに同じ時代が、 藤村の『春』だから。。。 漱石と北村透谷は同い年。 透谷が25歳で自殺することも 『春』の重要な題材になっていますが、 その同じ時代の学生の野望や情熱や恋や未来を 先生とKも背負っていた筈なのです、、 よね?

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『春』を読んですごく面白かったのは(面白い、は失礼かもしれませんが)、、 藤村を取り巻く『文学界』同人の仲間たちが、 じつに親身に、 常に互いを心配し、 苦悩であれ恋心であれ互いに包み隠さず打ち明け、 それを手助けしようとする者あり、 行き詰った時には(金銭面でも)なんとか手を差し伸べようとする者あり、、。。 自分で自分に刃を突き立てんとする程に苦悩している透谷でさえ、、 友の前では気遣いを見せる、、、 こういう密な繋がりというのは、 ある意味幸せなことだなぁ、、と。 どんなに藤村自身は追いつめられたり、 どん底の精神状態であるように描かれていても、、、 やはりそれは幸せな事なんだよ、、と思ってしまう。(現代の大学生の「ぼっち飯」とか、、 そっちの方が淋しいじゃないか)

最後のシーンでは、 やはり仲間が前途を祈ってくれるんだものね。。。

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『心』の先生にも、、 というか、 漱石にも 確かに友情を育んだ学友はいたと思うのです。 先生とKの関係だって、 同郷で幼少から仲の良かった親友なんですから。。。 だけれども、 漱石は学友との思い出は書かなかった。 唯一青春小説らしい『三四郎』ですら、 未知の世界との出会いは描いても、 友情は描かなかった。 、、子規という親友がいたのにね、、。 、、或いは子規を失ったからなのかな、、。。

それは、 小説に対する藤村と 漱石の認識の違いもあるでしょうし、 でも『心』の先生が、 「明治の精神」と遺書に記している裏には、 漱石の若き日への並々ならぬ想いがあるはずだと思うのです。

それを想いながら『心』のつづきを読むためにも、 『春』を読んでみて少しは参考になったかな、、と思うのです。

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蛇足として、、 個人的にすごく興味のあった 秋骨先生の若き日が知れたのは貴重でした。 そんな純愛があったなんて、、 晩年のすっとぼけたエッセイからは想像もつきませんが、 お人柄はよく想像がつきます。 ますます秋骨先生、、 好きになりました。