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星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

『ルイーザ・メイ・オールコットの日記』に元気をもらって…

2020-08-31 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
前回の読書記と特段 関係はないのですけれど、、

およそ百年前のパリに漫遊していた若いアメリカ人女性のことから ふと思い出して、、 『若草物語』の作者 ルイザ・メイ・オルコットもパリやロンドンや、 欧州を一年くらい周遊していたこと、、 前回読書のパリが1929年だとしたら、 ルイザが行ったパリはそれよりさらに50年前、、 今から150年も前の19世紀半ばのこと。。 日本で言うなら幕末(!)

そんな時代に 独身女性が一人で(たった独りで、ではなくて 確か裕福な家庭の子女の付き添いとして一緒に行くことになったのでしたね) 、、ヨーロッパ各地を一年ものあいだ見て歩くことができたなんて、、 日本ではまだ考えられない時代だわ… と思って

そうしたら 以前、 図書館で借りたことのある ルイーザ・メイ・オールコットの日記をもう一度読んでみたくてたまらなくなって、、 図書館本ではなかなか読み切れないから 手元に置く為に取り寄せてしまいました。



『ルイーザ・メイ・オールコットの日記 ―もうひとつの若草物語―』 宮木陽子・訳 西村書店 2008年
(右は 『若草物語』 掛川恭子・訳 学習研究社 1974年)


ルイーザがヨーロッパに旅立ったのは 1865年(日本では慶応元年、 新選組が結成された年、だとな) 、、 ちなみに 勝海舟が咸臨丸でサンフランシスコに渡ったのは1860年とのこと。。 以前に書いたことのある 新島襄(>>)がアメリカ船に密航してボストンへ着いたのが、、 なんと! 今調べたら ルイーザが欧州に旅立った同じ1865年の7月。 ルイーザはボストンから、、 そして新島襄はボストンへ、、  奇遇ですね。。

ルイーザの日記は まだ買ったばかりでところどころ開いては拾い読みしているだけなのですが、、 一番興味があるのは、 ルイーザがヨーロッパで出会った ポーランドの若き紳士、 そののち 『若草物語』でジョーの永遠の友として描かれるローリーのモデルとなったらしい男性との出会い。。

彼の名は ラディスラス・ヴィシニェフスキというのだそうです。 「とても明るくて愛想のいい青年」(1865年11月の日記より) だそうで、、 翌5月にはパリで再会して二週間を観光やホテルでの団らんで共に過ごしている、、 ルイーザにとっては本当に楽しかったらしい、 そしてほのかなロマンスもあったらしいパリでの滞在。。

ラディスラス、、 どんな人だったんだろう。。 昨日から少し検索してみたのだけど、 詳しいことは何もわからない。 ルイーザとは その滞在で行動を共にしただけで、 その後は手紙のやりとりとか、 再会とか、、 何も無かったのかしら… ラディスラスはその後、 どんな人生を送ったのかしら… ポーランドへ帰ったのかな… そんなことを考えるときりがない、、(笑) ルイーザの日記は、 晩年に自分で処分したり、 一部を切り取ったりして残っていない部分も多いようで、、

ルイーザが生きた時代のボストンには、 ソローやエマスンや、 アメリカの文化、文学の歴史のなかでは著名な人物が多くいて、 だからかなり詳しい資料も残っているほうだけれども、 そういう有名人ではない人との出会い、、 ラディスラス・ヴィシニェフスキがどんな人だったのか、とか、、 前にも書いた新島襄がボストンに滞在していた時期に ルイーザはどうしていたのかとか、、 

またゆっくり ルイーザの日記を少しずつ読みながら、 いろいろ知りたい事、 考えたい事、 これからの楽しみです。。


 ***


1863年4月の日記より


南北戦争がはじまると、 ルイーザは従軍看護婦に志願して、 その体験が『病院のスケッチ』として出版されたことは 以前に書きました(>>
ルイーザの日記にも、 看護する奮闘ぶりが記されていました(↑) 


月曜日の朝、、 傷病兵たちの病室をかけまわって 換気のために窓を開けていく、、 ルイーザの姿が目に浮かぶようです。 その部分を読みながら、 今 このコロナ禍の世界に もしルイーザが生きていたら、、 やっぱり 窓を開けて換気をして回ったり、 マスクを配って歩いたり、、  同じように病人を守ろうとしたり、 家族を守ろうとして、 奮闘していたのだろうな、と想像してしまいました。 そして、 感染者が出てしまったお家があれば、、 バスケットにいっぱいの食べ物や贈り物やつめて玄関先に届けたり、、 きっと そんな風にしているのだろうな、、などと……

そんな想像をしていたら、 8月が終わる今、、 まだまだ終息の気配は見えなくて、 半病人の私のステイホームはこの先も続いていくけれど、、 気持ちは前を見て、 毎日を、 たいせつな家族とともに、、

なんだか頑張っていける気がしました。

 ***

今日の朝刊に、、 与謝野晶子がスペイン風邪流行のときに書いた評論のことが載っていましたね。。 感染防止の為に政府に物申す文章。。 子どもがたくさんいた晶子もまた、 奮闘していたのでしょう。。

その記事を見て、 ルイーザと晶子の肖像が どことなく似ている気がしました。 意志の強そうな口元のあたりが…。



ルイーザと 晶子に 元気をもらって、、


今週も、 そして9月も、 頑張って生きましょう
 

この先はまだ…

2020-08-05 | …まつわる日もいろいろ
8月になりました。

梅雨もあけたばかりだけれども、、 あさってはもう立秋ですね、、

先週あたりは 朝 窓を開けると、 どんよりした曇り空のもと なんだか困ったようにミンミン蝉がちいさく鳴いていて、、 (出てくるのがちょっと早すぎたみたいね…)  (あれではお嫁さんみつけられるかしら…) と思っていましたが

梅雨明けのとたんに 朝はアブラゼミとクマゼミの合唱になったみたいです。。 青空、 蝉の声、、 やっといつもの夏の朝のおとずれにどこかほっとしてる… 、、ミンミン蝉の声が隅っこに追いやられているのは少しさみしいけど、、




 ***

今年の夏は いつもの夏というわけにはいきません… それは無策の行政よりも 市井の人々のほうがよお~く分かっていることでしょう…

今年 大学に入ったばかりの一年生は本当に気の毒、、 誰も知り合いのいない都会へ出てきて 独りアパートでネット配信の授業を聴くだけ。 通信教育と変わらない大学に籍を置いて このまま前期が終わって、、 レポート課題をするにしても 図書館も使用できないとしたらどうやって取り組むのだろう、、

新しい友人も 新しいサークルの活動も出来なくて 精神的に追い込まれてしまって、、 それでもしこの夏 帰省もままならないとしたら? 余りに気の毒で…


、、 この感染症禍の日々は ひとびとの生き方を分断してしまいましたね。。 この先、 自分たちは何を生きるうえで維持していきたいのか、、 どんな暮らしを自分たちは守っていきたいのか、、

ひとつの感染症に向かう態度が、 ひとの生き方や 死生観や、 道徳観の問題になる。。

だから、、 理解できないことはできないし、、 相容れないことは どうしたって相容れない。。 それが 人と人とを隔てる。。


TVをつければ 飲食業や観光業界の方々がもう立ち行かないと困っていらっしゃる。。 それを見るのは誰だってつらい、、 でも、、 もともとの暮らしを思い出しても 外食も外飲みもほとんどしていなかった自分には そこまでの責任を負う気持ちはもう持たないでいいのだと思うことにした。 そうしなければ気持ちが持たない。。

観光や ショッピングや、 エンターテインメントに関しても、、 すべてに責任を負うことはできないのだもの。。。


経済活動を維持しなきゃと言いながら、 企業へはテレワーク頼みで 家から出るなと言うのだし、、

お友だちと情報交換をしてみても、 家族の誰かが電車で通勤や通学をしている人たちは 日々 感染予防にとても気をつかって 持ち物を消毒したり、 帰宅するたびにシャワーを浴びたり、、 とても会食や ランチ会や 旅行という話なんか出てこない。。

そうした暮らしのなかで、、

この先、 自分はどんな場所で どんなふうに生きていきたいのかと、、 だんだん そんなことを考えるようになってきている。。


このまま しずかに夏が過ぎ、、 秋もできることなら災害もなく何事もなく過ぎて、、 時が経過していくのをただ待っている。。 それ以外に 今年はなにができる…?


 ***


ここ最近 読んだ本が、 つづけて2冊ほど期待はずれな作品で、、 なんだか 80年代のB級娯楽映画みたいで、、 それならそれで2時間を楽しむには良いのですが、 読書というとやっぱり3、4日間はかかってしまうので、、 でも スカの読書も無駄ではないと思いたい、、 (レビューでは高評価だったのになぁ、、 単に 私の嗜好の問題なのかなぁ… とやや落ち込む…)


いま読み始めているものは 今度は当たりの予感、、





消えてしまった人、、  貴方の嘘、、 それとも…?


この先は まだ 何もわからない。


何もまだ。。