星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

霧につつまれて…

2023-11-28 | LIVEにまつわるあれこれ
今年1年がんばった自分へのご褒美…(なにを頑張ったかよくわからないけど、ともかくちゃんと生きたから) すこし早いクリスマスプレゼント。

日曜日、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演を聴きに行って来ました。 いつものようにちゃんとした感想など書けませんから、 思い出だけのこしておきます。


思えば、 2020東京。 あれはオリンピック関連の特別な企画だったのですね、、 ドゥダメル指揮のベルリン・フィル@新宿御苑での第九、 という本当に夢のようなコンサートを夢見て、 コロナ禍で夢と消えたあの日以降…

今年、キリル・ペトレンコさん指揮での来日公演があると知って、、秋の旅行予定をキャンセルする気でチケット争奪戦へ。。 ほんとに瞬殺の勢いでした、、 求めるのはもちろんP席、、ただひとつ取れたのが最終日だったのはラッキーでした。 できたらBプログラムも行きたいと思っていましたけれども、それは神さまの思し召し。。 一夜かぎりでも至福の時でした。

キリル・ペトレンコ指揮 11/26 (日) サントリーホール

モーツァルト:交響曲第29 番 イ長調 K.201
ベルク:オーケストラのための3 つの小品 Op.6
ブラームス: 交響曲第4 番 ホ短調 Op.98





 ***

2020年、 コロナのロックダウン・自主隔離を経て大変な努力をして来てくださったウィーン・フィル、 その演奏を聴いた時の驚きは前のこのブログに残っていますが(>>)、 
今回、とっても不思議だったのが、 ウィーン・フィルとベルリン・フィル、どちらも世界最高峰のオーケストラ。 だけど、その音色をはじめて耳にした時の感じ方がそれぞれまったく違っていたことがとても不思議でした。 さらに言えば、 小澤征爾さんが指揮されたドイツ・グラモフォン・ガラ・コンサート、 あの時のサイトウキネンの印象とも、、それぞれみんな異なっていて…

ウィーン・フィルは以前の感想にも書きましたが、まるで光が目の前ではじけるような印象。。 そしてサイトウキネンは、喩えて言うなら波。 音の波がコンマ何秒かの差で右へ左へ動くようなさざ波。 もちろん、楽曲もそれぞれ異なるので音色がちがうのは当然なのかもしれませんが…

今回、 ベルリン・フィルは…?
1曲目のモーツァルトが始まった時にやっぱり驚きました。。 なんだろう… 私が感じていたのは「霧」みたいなもの。。 音が奏でられる、というより、湧きあがってくる…  生まれてくる… なんだかおおきな塊になって、、だけどかたい物質的なものじゃなくて霧のように私を包み込む、、形を自由に変えて、、湧きあがって、、全身を包み込んだかと思えばふっと遠ざかる…

特に音の立ち上がりが今まで聴いたどの楽団さんとも全然ちがっていました。 立ち上がり、って書きましたけど 立ち上がりじゃないの、、 湧きあがる感じ。。 その場所の空気のなかに音楽が湧きあがる。。 ウィーン・フィルの時にも、楽器を聴いているのではなくて 魔法がつぎつぎにあらわれているみたい、と感じましたが、 あのときのきらめく魔法とはまた違って、 深いゆたかな霧につつまれた大きな森にいるみたいで…


ぜんぜん音楽の感想になっていませんけど、、それが正直な感想でした。

キリル・ペトレンコさんの指揮は初めて。。 要所をおさえて余り大きな振りはされない感じで、 実際には拝見したことないけれどティーレマンさんに似た感じ…? 

ブラームス4番は 前に私の大好きなウルバンスキさん指揮の東響さんを聴いていて、 きっちり明確に指示をとばすウルバンスキさんとペトレンコさんでは 全く雰囲気は真逆みたいなのですが、意外とブラ4の表現には近いものがあるように私には感じられて… それも不思議でした。 緻密に細かく指示を出さなくても、 ペトレンコさんの指先やてのひらの微妙なニュアンスでこういう最高度の楽団員さんたちには伝わっているのかと… 素人の私にはそんなことも驚きで。。

特に弱音の抒情的な部分をゆっくりゆっくりと 繊細に聴かせて下さって、それがとても印象的でした。

低音弦の深み、、 金管隊の充足感、、 フルートさんのソロ、、 息をのんで聴き惚れていましたが、、 やっぱり思うのは全体から湧きあがってくる一体となった音楽の 霧のような深み、、柔らかいのに圧倒される重み、、

ベルリン・フィルは 壮麗な「霧」でした。





L'Apparition… 

2023-11-24 | …まつわる日もいろいろ
今度の日曜日まで視聴できるニコ響で 東響さんの名曲全集第193回を聴いていました。 

今回の公演の前半はとっても攻め攻めの4曲でしたね。 リゲティ、 ブラームス、 ブーレーズ、 アマン、 時代も国もばらばらの作曲家なのに 通して聴いてみると不思議な統一感もあって、、 4曲目のアマン作の Glut という曲では いろんな珍しい打楽器がいっぱいで、 きっとホールで聴いたならばいろんな音が飛び交って (いまの何の音?)と思ったでしょうし、 ニコ響の中継ではちゃんとスイッチャーさんがその珍しい楽器の部分を映してくださって(大きな鉄板がサンダーシートっていうのとか初めて知りました) 中継ならではの愉しみがありました。

最初に、 ノット監督が1曲目のリゲティ《アパリシオン》について 動画で解説をしてくださったのも良かったです。(https://tokyosymphony.jp/pc/news/news_6401.html

アパリシオン=出現、 という意味から原子、 生命の誕生、 そして音楽の誕生へと思いをめぐらすのも 理知的なノット監督らしくて、 それを実演と重ねてわかりやすく伝えて下さるのも嬉しいです。

ノットさんのお話からは少し外れますけれど、 アパリシオン=出現 という言葉で そういえば… と思い描いたのが、 ギュスターヴ・モローの絵画の「出現( L'Apparition)」 踊るサロメが目の前に洗礼者ヨハネの首が出現するのを見るシーン。
 The Apparition (Moreau, Musée d'Orsay) (ウィキペディア)

ノットさんが言うように、 英語で Apparition を引くと「幽霊、亡霊」と最初に出てきますから、 サロメの前に浮かんでいるのも 首を切り落とされたヨハネの亡霊、と私もなんとなくずっとそう思っていましたが、 ノットさんの原子~誕生というお話を聞いて、 あ、そうか モローの絵も「出現」というタイトルであって「亡霊」ではないのだ、とあらためて気づきました。

だからあれはヨハネの亡霊では無いのです、きっと。 ノットさんも物質と物質のあいだ、、 無の空間にも満ちているもの、 のようなお話をしていたように、 眼に見える物質のレベルではないなにかが集まってヨハネの首として出現した…? ん~~なにを言っているのか自分でもよくわからないですが… 笑

モローのサロメは 物体としてのヨハネの首を欲したのではなかったのでしょう。 少なくともモローはそう描かなかった。 ヨハネの首を空中に出現させたのは、サロメの「想い」であろうし、 預言者としてのヨハネの「言葉」も斬首によって消えてしまうものではない。。 言葉と音楽は似ていますよね。 無の中から音の分子が集まって生まれ、 眼には見えずとも存在して、 音として消えていったのちもひとたび生まれた言葉も音楽も 見えないヨハネの首同様に存在しつづける、、 それを想う人にとっては。。

 ***

折しも、 アマテラスとかいう強力な宇宙線も観測されたということですし、、

こういう宇宙線とか素粒子とかいう話は興味深くても私の脳みそではなかなか理解できなくて、、 宇宙の誕生における物質と反物質、なんていう話になるともうわからないことだらけで、 物質と反物質が合わさると宇宙も消えてしまう! なんて想像するともうパニックになりそうで…

でもこの前、 音にその波形の反対の音(逆位相)を重ねると音が消える、という実験をTVで見てびっくりして、、 それじゃ、物質と反物質もそういうことなのかな、、 プラマイでゼロになるのと同じなのかな… と。

でも、なんだかわからないけれど 宇宙のはじまりのときに、 ちょっとしたアンバランスが生じたおかげで物質のほうがたくさんになって、 そのおかげで今も宇宙は消えていないんだとか…? (私の脳みそで解るのはそのくらいまで…)


その(偶然の…? あるいは神の采配の…?) 不均衡でうまれた粒子は、、 やがて満ちて…
結局 このわたしであり…  あなたでもあり… この宇宙そのものであり… 



音になり…


言葉になり…



あなたとわたしの身体をとおりぬけて… 消えていって


 
だけど 消えない…


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今夜から寒くなるそうです あたたかくして



よい週末にしましょう

スパートっ…

2023-11-16 | MUSICにまつわるあれこれ
今年も残りひと月半・・・ なんて速いんでしょう

しばらく前の夏服から、 ブラウス&カーディガンの季節を飛び越して、 一気にコートの季節になってしまいました。。 一度しか着ていない秋服、 一度も出番のなかったお洋服…

あとひと月半の間に やりたい事もいっぱい。。

 ・ミステリ小説をあと4、5冊は読みたい。
 ・もうすぐ行くコンサートの予習したい。
 ・youtubeで新しく公開された、ウルバンスキ指揮のライブ映像(今年のPMF、キーシンのピアノのラフマニノフ、hr交響楽団との公演)3本ぜんぶ視たい。
 ・ARTE concert のまだ観ていないクラシック公演 ぜんぶ視たい。
 ・今年の冬服の準備したい。(まだ手をつけてない…汗)
 ・編み物したい。(なぜか冬になると…)
 ・お裁縫したい。( 同上 )

、、ん~~全部はきっとムリ。。 やりたいこと全部が出来るなんてムリでも、気持ちは前向きに。。

まずは昨日、ウルバンスキ&hr交響楽団の前半だけ見ました。 (母国ポーランドの風景を思い浮かべて下さい… ひっそりとしずかな山の風景… 映画でズームしていくように想像してください… そうすると…人々が夏の祭りでは歌い、飲み、騒ぎ、、大騒ぎで楽しんでいる様子がみえてきます…) 、、というような事を演奏前に英語で説明して下さっていた、初めてでも愉しい楽曲でした。 その次のマンドリンのソリストさんを迎えた民族音楽風の楽曲もすばらしかったです。 こういう風に未知の楽曲、 現代音楽の楽曲などもよくウルバンスキ氏は取り上げてくださるのも嬉しいです。

 ***

左サイドバーの音楽、 今回は最近聴いて胸にずきゅぅーーン ときた曲など。

Sharon Van Etten - "Close To You" (Official Visualizer)
最初、曲だけ聴いていいなと思っていたこの曲、、 こちらのサイトを見てなんとまあ… (https://amass.jp/170841/) つい先日 ブログに書いていた女性作家イーディス・ウォートンの作品をドラマ化したその主題歌なんですって。。 残念ながらこの小説「Buccaneers(海賊たち)」は、日本語の翻訳はありませんけれど、、もしかしてやっぱりイーディス・ウォートン 再評価の時期なのでしょうか、いま。

Tom Petty & The Heartbreakers - Help Me (Official Music Video)
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのアルバム「Mojo」は2010年でした。そのときの未発表曲。 あのアルバムが出来た時の、(シングルをラジオで聴いた時の)興奮はよく憶えています。 トムやマイクが還暦のときのアルバム。 最高にかっこいいオジサン達の最高にかっこいいアルバムでした。 このMVもほんとカッコいい。

Dhani Harrison - New Religion (feat. Graham Coxon) (Official Audio)
ダーニ・ハリスンの新しいアルバムはひと通り聴きました。ダーニらしい楽曲揃いで楽しめましたが、ちょっと小粒の印象かな。。 もっと冒険してもよかったかも。

Suede - The Sadness In You, The Sadness In Me (Official Audio)
スウェードも30周年だったのかな、昨年。あのアルバム「Autofiction」の未収録曲。 去年からスウェードはずいぶん見たり聞いたりしました。そのたびににんまりしてしまう… なんだか好き。。今でも新鮮。。30周年でこんな新鮮なアルバムが出来たのは素敵なことです。

The Voidz – Flexorcist (Official Audio)

ジュリアン・カサブランカスのバンドだそうです。 彼ももう45歳なのね。 彼の声が好きです。。年齢が高くなるにつれてよい声になっている気がする…

The Black Crowes - Miserable

彼らの30年前のアルバム「The Southern Harmony and Musical Companion」からの未発表曲。 ブラック・クロウズのサザンロックには時の流れとか新鮮さは必要ないものかもしれず、、この声、このギター、このピアノ、、 それはこのまま存在していて欲しいです。でもそろそろ彼らも還暦近くになって、ハートブレイカーズのMojoみたく驚きのガツンとくるオリジナルアルバムを創ってみてもいいんじゃない?

YOSHII LOVINSON - JUST A LITTLE DAY
吉井さんの20周年記念アルバムにもおさめられている2005年の楽曲。 「WHITE ROOM」のこの曲を聴いた当時は、ロビンソン君が変わろうともがいているような感じもしていたのだけど、今となって見るとこの荒野の時代もちゃんといまの血肉になっていると思える。 私にとっても私の血肉に…

Porcupine Tree - Harridan (CLOSURE/CONTINUATION.LIVE - Official Video)
特に脈絡なく。。いつ見てもはぁーー、とため息まじりに感心してしまう演奏。。 このバンドにリチャード・バルビエリがいるというのは去年あたりまで知らなかったですが、JAPANの中では一番プログレッシブなサウンドの位置に現在いる人ではないでしょうか… スティーブ・ジャンセンはバンドEXIT NORTHで今年来日したのでしたね。 トーマス・フェイナーさんのヴォーカル聴いてみたかった。。

Igor Levit - Ode to Joy (from Beethoven's Symphony No. 9, Op.125)

ピアニストのイゴール・レヴィットさんも前から公演を観たいとずっと思っている方で、この11月にもソロリサイタルで来日されるのに、、その日はムリ。。 去年はN響との公演もあったはずだけれど、コロナの影響で来日中止になったのかな…? いつかまたオーケストラと一緒の演奏を聴いてみたいです。 

イゴール・レヴィットさんの年末を感じる曲で…


今年の残りをスパートをかけずにでもスパートしたい…



風邪ひかないようにね。

ぬくもりを…

2023-11-10 | …まつわる日もいろいろ
 
 この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
    (エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・訳)


前回、 戦間期のパリのところで名前だけあげたエルザ・トリオレ、 1944年の仏ゴンクール賞受賞の本からの引用です。

この本のことはまた改めて書こうと思いますが、 エルザ・トリオレというロシア生まれの女性作家、、 裕福な家の出身で1920年代のパリでシュルレアリスムの芸術家や作家たちと交流し、 やがて詩人ルイ・アラゴンと出会い… 、、そんな経歴をかんたんに読んで、 つい「エイジ・オブ・イノセンス」――これも先日書いた、イーディス・ウォートンの本『無垢の時代』に出てくるパリに移り住んだ伯爵夫人のようなイメージを勝手に想像していました。 だから作品もパリの芸術家や社交界のことだろうかと…

でも、 時代がくだって第二次大戦下に書かれた、冒頭にあげた作品は、 ドイツ占領下のパリ、、 1944年の6月のノルマンディー上陸作戦から8月のドラグーン作戦に至る時期のことを、 パリの内部から見た強烈な抵抗の物語でした。


1年半前、 ウクライナへのロシア侵攻が始まった時、 ピエール・ルメートルの大戦三部作の『われらが痛みの鏡』を挙げて、 とにかく逃げて、 逃げて生き延びて、、 と書きましたが、、 上記の「最初のほころびは…」は、 逃げずにとどまった人々が描かれていました。 行くところのない人々もいたでしょうし… 逃げるよりたたかうことを選んだひともいたでしょう… そうしなければ占領され、奪われてしまうのですから…  ウクライナも、 ガザも…


 ……だが、妻や子供たちはどこだろう? どこにいるんだろう? どこに?

  それに答えることは差し控える。あまりにもむごい恐怖の入口から、これ以上すすむつもりはない……
 殺戮、略奪、強奪の的となった村は、恐怖で無気力になってしまった。ただ、人を呪うぐらいが関の山だった。……



 作品の末尾には 「一九四四年 十一月 パリにて」と書かれています。 パリ解放は8月25日だったそうです。 

いま、 この作品のことを検索してもほとんど何も出てきません。 ですが80年近く経った現在の世界でも まったく同じ状況なんだと、、 とても複雑な気持ちになります。 Wikiなどに載っているエルザ・トリオレの美しいポートレートからは想像できなかった、 強いレジスタンスの短篇でした。 

意外な思いもいだきつつ、 いま読むことの偶然をも感じています。。 エルザ・トリオレのもう少し前の作品も読んでいます。。

このつづきはまたいずれ・・・

 ***


立冬が過ぎて…  季節が急にすすみました。

お台所に立つのもずいぶんとらくになりました。。 夏の暑さはたいへんでしたから…




先日、、 お料理にあわせるのに ワインでも… と思ったのですが、 ワインはすぐに頭が痛くなってしまうので、、 そろそろ日本酒もよい季節かと思い立って 冷酒を買ってみました。 

上の写真、、 リキュールを飲むときの古いカットグラスにそそいでみました。 亡き父の持っていたグラス。 たぶん60年くらい前の…


古いものはなんとなくそれだけでホッとする趣きがあります。



心にもぬくもりが恋しくなる日々…



どうぞよい週末を…

戦間期のパリへ…

2023-11-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
11月になりました。 暖かいですね… 笑

昨日、 ハロウィンから一夜明けた街に もうクリスマスツリーが輝いていたと、お友だちが知らせてくれました。。

この時期になるといつも加速度的に年末感が押し寄せてきて、 もう少しゆっくりとこの美しい季節を楽しんでいたいのに そろそろ~を、、 いつまでに~を、、 と追われる感じに…

そして思うのは 今年はあと何冊本が読めるのかしら…

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読むのが遅い私には 週に何冊もなどという読書はできません。。 月にせいぜい3冊くらい? もはや生涯で読める冊数にも限界が… でもそれは考えないようにしていますが、、

今年 ちゃんとした読書ができたかしら… と不安まじりに先程ふと振り返ってみましたが、 それでもなんとなく貴重な本、 今まで思いもしなかった本、 に今年も出会えた気がします。 そして、 意図したわけではないけれど読書の流れに不思議な共通項も…

昨年、 パトリック・モディアノさんの読書をきっかけに (パリのアパルトマンに棲んでいるような老女をめざそう…)などと思いついて、 そんな憧れが頭のどこかにあるせいか、、 今年はふしぎとパリと女性作家さんとの出会いがありました。

コレットの『軍帽』の時にも書きましたが(>>)、 自分がコレットの本などに興味を持つとは思いもしませんでしたが あの後、 コレットの代表作『シェリ』も『シェリの最後』も読みました、 とても面白かったです(現代の新訳はなんだか言葉ががさつで時代的に合っていない気がして、 古い訳のものを探して読みました)





その後、、 芥川龍之介や堀辰雄の読書をしていた春。。 片山廣子さんの『燈火節』を知り、 菊池寛さんがパリからロンドンへ洋行したい、と片山さんと話している「菊池さんのおもひで」という文章に出会いました(青空文庫で読めます>>)。

あの文章を読んだとき、 私も片山さんと同じ事を考えていたのでした、、 片山さんが「世界じう歩かせて上げたい」と感じていた《文学者》の事、、 誰とは書かれていませんが、 私も春、芥川龍之介の「彼 第二」を読んだときに、 (日本になど帰らずにパリにでも行ってしまえば良かったのに…)と思っていたのでした。 

芥川が上海に行ったのは1921年? 戦間期のパリは… コレットのいるパリです。 芥川はフランス語より英語の方が堪能だったでしょうけれど、 1920~30年代の世界中から画家や芸術家や小説家などが集まっていたパリの喧騒は 案外、芥川にも合っていたのでは…なんて勝手に想像していたのです。

そして先日読んでいたイーディス・ウォートン。 NY生まれの彼女が離婚後パリに移り住み、『無垢の時代』を出版したのも1920年のパリでした。


今は・・・
エルザ・トリオレというロシア生まれの女性作家の本を読んでいます。 彼女もまた パリに移り住み、 生涯をフランスで暮らした作家。 フランスの詩人ルイ・アラゴンの妻になったというのも知りませんでした。 (現在読める翻訳書がほとんど無いのが残念です)

 ***

なぜ 戦間期のヨーロッパやパリの文学に関心が行くのか 説明できるほどこの時代のことを知っているわけではないし… 

ちょっと検索していたら 国立国会図書館の「近代日本とフランス」というページが見つかりました。 その中の「1. 文学者の見たフランス」に、 この時代にフランスに滞在した文学者の著作などの紹介がありました。
https://www.ndl.go.jp/france/jp/part2/s1_1.html

でも画家レオナール・フジタのように、 生涯をフランスで暮らすような文学者も作品も日本では現れなかったようですね。。

、、この読書がどこへ繋がっていくのか… 自分でも予測はつかないし していませんけれど、、 パリのアパルトマンで暮らす代わりに 戦間期のパリと 戦乱のいまこの世界とを往還しつつ、、 慌ただしい年末のときのなかで自分の居場所を保とうとしているのかもしれません…


11月も 心しずかに…



げんきでね…