今度の日曜日まで視聴できるニコ響で 東響さんの名曲全集第193回を聴いていました。
今回の公演の前半はとっても攻め攻めの4曲でしたね。 リゲティ、 ブラームス、 ブーレーズ、 アマン、 時代も国もばらばらの作曲家なのに 通して聴いてみると不思議な統一感もあって、、 4曲目のアマン作の Glut という曲では いろんな珍しい打楽器がいっぱいで、 きっとホールで聴いたならばいろんな音が飛び交って (いまの何の音?)と思ったでしょうし、 ニコ響の中継ではちゃんとスイッチャーさんがその珍しい楽器の部分を映してくださって(大きな鉄板がサンダーシートっていうのとか初めて知りました) 中継ならではの愉しみがありました。
最初に、 ノット監督が1曲目のリゲティ《アパリシオン》について 動画で解説をしてくださったのも良かったです。(https://tokyosymphony.jp/pc/news/news_6401.html)
アパリシオン=出現、 という意味から原子、 生命の誕生、 そして音楽の誕生へと思いをめぐらすのも 理知的なノット監督らしくて、 それを実演と重ねてわかりやすく伝えて下さるのも嬉しいです。
ノットさんのお話からは少し外れますけれど、 アパリシオン=出現 という言葉で そういえば… と思い描いたのが、 ギュスターヴ・モローの絵画の「出現( L'Apparition)」 踊るサロメが目の前に洗礼者ヨハネの首が出現するのを見るシーン。
The Apparition (Moreau, Musée d'Orsay) (ウィキペディア)
ノットさんが言うように、 英語で Apparition を引くと「幽霊、亡霊」と最初に出てきますから、 サロメの前に浮かんでいるのも 首を切り落とされたヨハネの亡霊、と私もなんとなくずっとそう思っていましたが、 ノットさんの原子~誕生というお話を聞いて、 あ、そうか モローの絵も「出現」というタイトルであって「亡霊」ではないのだ、とあらためて気づきました。
だからあれはヨハネの亡霊では無いのです、きっと。 ノットさんも物質と物質のあいだ、、 無の空間にも満ちているもの、 のようなお話をしていたように、 眼に見える物質のレベルではないなにかが集まってヨハネの首として出現した…? ん~~なにを言っているのか自分でもよくわからないですが… 笑
モローのサロメは 物体としてのヨハネの首を欲したのではなかったのでしょう。 少なくともモローはそう描かなかった。 ヨハネの首を空中に出現させたのは、サロメの「想い」であろうし、 預言者としてのヨハネの「言葉」も斬首によって消えてしまうものではない。。 言葉と音楽は似ていますよね。 無の中から音の分子が集まって生まれ、 眼には見えずとも存在して、 音として消えていったのちもひとたび生まれた言葉も音楽も 見えないヨハネの首同様に存在しつづける、、 それを想う人にとっては。。
***
折しも、 アマテラスとかいう強力な宇宙線も観測されたということですし、、
こういう宇宙線とか素粒子とかいう話は興味深くても私の脳みそではなかなか理解できなくて、、 宇宙の誕生における物質と反物質、なんていう話になるともうわからないことだらけで、 物質と反物質が合わさると宇宙も消えてしまう! なんて想像するともうパニックになりそうで…
でもこの前、 音にその波形の反対の音(逆位相)を重ねると音が消える、という実験をTVで見てびっくりして、、 それじゃ、物質と反物質もそういうことなのかな、、 プラマイでゼロになるのと同じなのかな… と。
でも、なんだかわからないけれど 宇宙のはじまりのときに、 ちょっとしたアンバランスが生じたおかげで物質のほうがたくさんになって、 そのおかげで今も宇宙は消えていないんだとか…? (私の脳みそで解るのはそのくらいまで…)
その(偶然の…? あるいは神の采配の…?) 不均衡でうまれた粒子は、、 やがて満ちて…
結局 このわたしであり… あなたでもあり… この宇宙そのものであり…
音になり…
言葉になり…
あなたとわたしの身体をとおりぬけて… 消えていって
だけど 消えない…
***
今夜から寒くなるそうです あたたかくして
よい週末にしましょう
今回の公演の前半はとっても攻め攻めの4曲でしたね。 リゲティ、 ブラームス、 ブーレーズ、 アマン、 時代も国もばらばらの作曲家なのに 通して聴いてみると不思議な統一感もあって、、 4曲目のアマン作の Glut という曲では いろんな珍しい打楽器がいっぱいで、 きっとホールで聴いたならばいろんな音が飛び交って (いまの何の音?)と思ったでしょうし、 ニコ響の中継ではちゃんとスイッチャーさんがその珍しい楽器の部分を映してくださって(大きな鉄板がサンダーシートっていうのとか初めて知りました) 中継ならではの愉しみがありました。
最初に、 ノット監督が1曲目のリゲティ《アパリシオン》について 動画で解説をしてくださったのも良かったです。(https://tokyosymphony.jp/pc/news/news_6401.html)
アパリシオン=出現、 という意味から原子、 生命の誕生、 そして音楽の誕生へと思いをめぐらすのも 理知的なノット監督らしくて、 それを実演と重ねてわかりやすく伝えて下さるのも嬉しいです。
ノットさんのお話からは少し外れますけれど、 アパリシオン=出現 という言葉で そういえば… と思い描いたのが、 ギュスターヴ・モローの絵画の「出現( L'Apparition)」 踊るサロメが目の前に洗礼者ヨハネの首が出現するのを見るシーン。
The Apparition (Moreau, Musée d'Orsay) (ウィキペディア)
ノットさんが言うように、 英語で Apparition を引くと「幽霊、亡霊」と最初に出てきますから、 サロメの前に浮かんでいるのも 首を切り落とされたヨハネの亡霊、と私もなんとなくずっとそう思っていましたが、 ノットさんの原子~誕生というお話を聞いて、 あ、そうか モローの絵も「出現」というタイトルであって「亡霊」ではないのだ、とあらためて気づきました。
だからあれはヨハネの亡霊では無いのです、きっと。 ノットさんも物質と物質のあいだ、、 無の空間にも満ちているもの、 のようなお話をしていたように、 眼に見える物質のレベルではないなにかが集まってヨハネの首として出現した…? ん~~なにを言っているのか自分でもよくわからないですが… 笑
モローのサロメは 物体としてのヨハネの首を欲したのではなかったのでしょう。 少なくともモローはそう描かなかった。 ヨハネの首を空中に出現させたのは、サロメの「想い」であろうし、 預言者としてのヨハネの「言葉」も斬首によって消えてしまうものではない。。 言葉と音楽は似ていますよね。 無の中から音の分子が集まって生まれ、 眼には見えずとも存在して、 音として消えていったのちもひとたび生まれた言葉も音楽も 見えないヨハネの首同様に存在しつづける、、 それを想う人にとっては。。
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折しも、 アマテラスとかいう強力な宇宙線も観測されたということですし、、
こういう宇宙線とか素粒子とかいう話は興味深くても私の脳みそではなかなか理解できなくて、、 宇宙の誕生における物質と反物質、なんていう話になるともうわからないことだらけで、 物質と反物質が合わさると宇宙も消えてしまう! なんて想像するともうパニックになりそうで…
でもこの前、 音にその波形の反対の音(逆位相)を重ねると音が消える、という実験をTVで見てびっくりして、、 それじゃ、物質と反物質もそういうことなのかな、、 プラマイでゼロになるのと同じなのかな… と。
でも、なんだかわからないけれど 宇宙のはじまりのときに、 ちょっとしたアンバランスが生じたおかげで物質のほうがたくさんになって、 そのおかげで今も宇宙は消えていないんだとか…? (私の脳みそで解るのはそのくらいまで…)
その(偶然の…? あるいは神の采配の…?) 不均衡でうまれた粒子は、、 やがて満ちて…
結局 このわたしであり… あなたでもあり… この宇宙そのものであり…
音になり…
言葉になり…
あなたとわたしの身体をとおりぬけて… 消えていって
だけど 消えない…
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今夜から寒くなるそうです あたたかくして
よい週末にしましょう