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星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

L'Apparition… 

2023-11-24 | …まつわる日もいろいろ
今度の日曜日まで視聴できるニコ響で 東響さんの名曲全集第193回を聴いていました。 

今回の公演の前半はとっても攻め攻めの4曲でしたね。 リゲティ、 ブラームス、 ブーレーズ、 アマン、 時代も国もばらばらの作曲家なのに 通して聴いてみると不思議な統一感もあって、、 4曲目のアマン作の Glut という曲では いろんな珍しい打楽器がいっぱいで、 きっとホールで聴いたならばいろんな音が飛び交って (いまの何の音?)と思ったでしょうし、 ニコ響の中継ではちゃんとスイッチャーさんがその珍しい楽器の部分を映してくださって(大きな鉄板がサンダーシートっていうのとか初めて知りました) 中継ならではの愉しみがありました。

最初に、 ノット監督が1曲目のリゲティ《アパリシオン》について 動画で解説をしてくださったのも良かったです。(https://tokyosymphony.jp/pc/news/news_6401.html

アパリシオン=出現、 という意味から原子、 生命の誕生、 そして音楽の誕生へと思いをめぐらすのも 理知的なノット監督らしくて、 それを実演と重ねてわかりやすく伝えて下さるのも嬉しいです。

ノットさんのお話からは少し外れますけれど、 アパリシオン=出現 という言葉で そういえば… と思い描いたのが、 ギュスターヴ・モローの絵画の「出現( L'Apparition)」 踊るサロメが目の前に洗礼者ヨハネの首が出現するのを見るシーン。
 The Apparition (Moreau, Musée d'Orsay) (ウィキペディア)

ノットさんが言うように、 英語で Apparition を引くと「幽霊、亡霊」と最初に出てきますから、 サロメの前に浮かんでいるのも 首を切り落とされたヨハネの亡霊、と私もなんとなくずっとそう思っていましたが、 ノットさんの原子~誕生というお話を聞いて、 あ、そうか モローの絵も「出現」というタイトルであって「亡霊」ではないのだ、とあらためて気づきました。

だからあれはヨハネの亡霊では無いのです、きっと。 ノットさんも物質と物質のあいだ、、 無の空間にも満ちているもの、 のようなお話をしていたように、 眼に見える物質のレベルではないなにかが集まってヨハネの首として出現した…? ん~~なにを言っているのか自分でもよくわからないですが… 笑

モローのサロメは 物体としてのヨハネの首を欲したのではなかったのでしょう。 少なくともモローはそう描かなかった。 ヨハネの首を空中に出現させたのは、サロメの「想い」であろうし、 預言者としてのヨハネの「言葉」も斬首によって消えてしまうものではない。。 言葉と音楽は似ていますよね。 無の中から音の分子が集まって生まれ、 眼には見えずとも存在して、 音として消えていったのちもひとたび生まれた言葉も音楽も 見えないヨハネの首同様に存在しつづける、、 それを想う人にとっては。。

 ***

折しも、 アマテラスとかいう強力な宇宙線も観測されたということですし、、

こういう宇宙線とか素粒子とかいう話は興味深くても私の脳みそではなかなか理解できなくて、、 宇宙の誕生における物質と反物質、なんていう話になるともうわからないことだらけで、 物質と反物質が合わさると宇宙も消えてしまう! なんて想像するともうパニックになりそうで…

でもこの前、 音にその波形の反対の音(逆位相)を重ねると音が消える、という実験をTVで見てびっくりして、、 それじゃ、物質と反物質もそういうことなのかな、、 プラマイでゼロになるのと同じなのかな… と。

でも、なんだかわからないけれど 宇宙のはじまりのときに、 ちょっとしたアンバランスが生じたおかげで物質のほうがたくさんになって、 そのおかげで今も宇宙は消えていないんだとか…? (私の脳みそで解るのはそのくらいまで…)


その(偶然の…? あるいは神の采配の…?) 不均衡でうまれた粒子は、、 やがて満ちて…
結局 このわたしであり…  あなたでもあり… この宇宙そのものであり… 



音になり…


言葉になり…



あなたとわたしの身体をとおりぬけて… 消えていって


 
だけど 消えない…


 ***


今夜から寒くなるそうです あたたかくして



よい週末にしましょう

ぬくもりを…

2023-11-10 | …まつわる日もいろいろ
 
 この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
    (エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・訳)


前回、 戦間期のパリのところで名前だけあげたエルザ・トリオレ、 1944年の仏ゴンクール賞受賞の本からの引用です。

この本のことはまた改めて書こうと思いますが、 エルザ・トリオレというロシア生まれの女性作家、、 裕福な家の出身で1920年代のパリでシュルレアリスムの芸術家や作家たちと交流し、 やがて詩人ルイ・アラゴンと出会い… 、、そんな経歴をかんたんに読んで、 つい「エイジ・オブ・イノセンス」――これも先日書いた、イーディス・ウォートンの本『無垢の時代』に出てくるパリに移り住んだ伯爵夫人のようなイメージを勝手に想像していました。 だから作品もパリの芸術家や社交界のことだろうかと…

でも、 時代がくだって第二次大戦下に書かれた、冒頭にあげた作品は、 ドイツ占領下のパリ、、 1944年の6月のノルマンディー上陸作戦から8月のドラグーン作戦に至る時期のことを、 パリの内部から見た強烈な抵抗の物語でした。


1年半前、 ウクライナへのロシア侵攻が始まった時、 ピエール・ルメートルの大戦三部作の『われらが痛みの鏡』を挙げて、 とにかく逃げて、 逃げて生き延びて、、 と書きましたが、、 上記の「最初のほころびは…」は、 逃げずにとどまった人々が描かれていました。 行くところのない人々もいたでしょうし… 逃げるよりたたかうことを選んだひともいたでしょう… そうしなければ占領され、奪われてしまうのですから…  ウクライナも、 ガザも…


 ……だが、妻や子供たちはどこだろう? どこにいるんだろう? どこに?

  それに答えることは差し控える。あまりにもむごい恐怖の入口から、これ以上すすむつもりはない……
 殺戮、略奪、強奪の的となった村は、恐怖で無気力になってしまった。ただ、人を呪うぐらいが関の山だった。……



 作品の末尾には 「一九四四年 十一月 パリにて」と書かれています。 パリ解放は8月25日だったそうです。 

いま、 この作品のことを検索してもほとんど何も出てきません。 ですが80年近く経った現在の世界でも まったく同じ状況なんだと、、 とても複雑な気持ちになります。 Wikiなどに載っているエルザ・トリオレの美しいポートレートからは想像できなかった、 強いレジスタンスの短篇でした。 

意外な思いもいだきつつ、 いま読むことの偶然をも感じています。。 エルザ・トリオレのもう少し前の作品も読んでいます。。

このつづきはまたいずれ・・・

 ***


立冬が過ぎて…  季節が急にすすみました。

お台所に立つのもずいぶんとらくになりました。。 夏の暑さはたいへんでしたから…




先日、、 お料理にあわせるのに ワインでも… と思ったのですが、 ワインはすぐに頭が痛くなってしまうので、、 そろそろ日本酒もよい季節かと思い立って 冷酒を買ってみました。 

上の写真、、 リキュールを飲むときの古いカットグラスにそそいでみました。 亡き父の持っていたグラス。 たぶん60年くらい前の…


古いものはなんとなくそれだけでホッとする趣きがあります。



心にもぬくもりが恋しくなる日々…



どうぞよい週末を…

戦間期のパリへ…

2023-11-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
11月になりました。 暖かいですね… 笑

昨日、 ハロウィンから一夜明けた街に もうクリスマスツリーが輝いていたと、お友だちが知らせてくれました。。

この時期になるといつも加速度的に年末感が押し寄せてきて、 もう少しゆっくりとこの美しい季節を楽しんでいたいのに そろそろ~を、、 いつまでに~を、、 と追われる感じに…

そして思うのは 今年はあと何冊本が読めるのかしら…

 ***

読むのが遅い私には 週に何冊もなどという読書はできません。。 月にせいぜい3冊くらい? もはや生涯で読める冊数にも限界が… でもそれは考えないようにしていますが、、

今年 ちゃんとした読書ができたかしら… と不安まじりに先程ふと振り返ってみましたが、 それでもなんとなく貴重な本、 今まで思いもしなかった本、 に今年も出会えた気がします。 そして、 意図したわけではないけれど読書の流れに不思議な共通項も…

昨年、 パトリック・モディアノさんの読書をきっかけに (パリのアパルトマンに棲んでいるような老女をめざそう…)などと思いついて、 そんな憧れが頭のどこかにあるせいか、、 今年はふしぎとパリと女性作家さんとの出会いがありました。

コレットの『軍帽』の時にも書きましたが(>>)、 自分がコレットの本などに興味を持つとは思いもしませんでしたが あの後、 コレットの代表作『シェリ』も『シェリの最後』も読みました、 とても面白かったです(現代の新訳はなんだか言葉ががさつで時代的に合っていない気がして、 古い訳のものを探して読みました)





その後、、 芥川龍之介や堀辰雄の読書をしていた春。。 片山廣子さんの『燈火節』を知り、 菊池寛さんがパリからロンドンへ洋行したい、と片山さんと話している「菊池さんのおもひで」という文章に出会いました(青空文庫で読めます>>)。

あの文章を読んだとき、 私も片山さんと同じ事を考えていたのでした、、 片山さんが「世界じう歩かせて上げたい」と感じていた《文学者》の事、、 誰とは書かれていませんが、 私も春、芥川龍之介の「彼 第二」を読んだときに、 (日本になど帰らずにパリにでも行ってしまえば良かったのに…)と思っていたのでした。 

芥川が上海に行ったのは1921年? 戦間期のパリは… コレットのいるパリです。 芥川はフランス語より英語の方が堪能だったでしょうけれど、 1920~30年代の世界中から画家や芸術家や小説家などが集まっていたパリの喧騒は 案外、芥川にも合っていたのでは…なんて勝手に想像していたのです。

そして先日読んでいたイーディス・ウォートン。 NY生まれの彼女が離婚後パリに移り住み、『無垢の時代』を出版したのも1920年のパリでした。


今は・・・
エルザ・トリオレというロシア生まれの女性作家の本を読んでいます。 彼女もまた パリに移り住み、 生涯をフランスで暮らした作家。 フランスの詩人ルイ・アラゴンの妻になったというのも知りませんでした。 (現在読める翻訳書がほとんど無いのが残念です)

 ***

なぜ 戦間期のヨーロッパやパリの文学に関心が行くのか 説明できるほどこの時代のことを知っているわけではないし… 

ちょっと検索していたら 国立国会図書館の「近代日本とフランス」というページが見つかりました。 その中の「1. 文学者の見たフランス」に、 この時代にフランスに滞在した文学者の著作などの紹介がありました。
https://www.ndl.go.jp/france/jp/part2/s1_1.html

でも画家レオナール・フジタのように、 生涯をフランスで暮らすような文学者も作品も日本では現れなかったようですね。。

、、この読書がどこへ繋がっていくのか… 自分でも予測はつかないし していませんけれど、、 パリのアパルトマンで暮らす代わりに 戦間期のパリと 戦乱のいまこの世界とを往還しつつ、、 慌ただしい年末のときのなかで自分の居場所を保とうとしているのかもしれません…


11月も 心しずかに…



げんきでね…