星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

バルコニーから 空見上げて…

2024-04-19 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
雲ひとつない青空。。 良いお天気です。

2月に、 エルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』については またの機会に… と書いてからそのままになってしまっています。。 今日も『ルナ=パーク』の読書記とは言えないのですが、、 少しだけ…




『ルナ=パーク』の内容をごく簡単に紹介すると、、 
映画監督ジュスタンは作品を撮り終えて 次回作までのあいだの休養のつもりで空き家になっている館を借りる。 以前そこに住んでいた人の生活のあとがそのまま残っている館。 ジュスタンはその家のもと主の読書室の本を開いたり、 書き物机のなかを覗いたりしているうちに、 もと主への関心が芽生えてくる。 そしてある日、 この館の主への沢山のラブレターを見つける。 ジュスタンは誘惑にさからえず 手紙を少しずつ紐解いていき、 ラブレターを盗み読むことによって この館の主だった女性ブランシュに次第に魅了されていく・・・

小説は べつべつの7人の男たちからのラブレターと、 ジュスタンがこの館の周辺で出会う奇妙な人物らの描写などで進んでいくのですが、 なかなかわかりにくい小説です。 エルザ・トリオレがこの小説によって何を書こうとしたのか、、 その辺りを考えていくととってもいろいろな読みが出来そうな、、 物語も謎めいていて、 ときにシュールで、、

なので そのへんのことは置いて、 ブランシュへのラブレターから判って来るのは(以下ネタバレになってしまいますが)、、 彼女は女性パイロットであり、 さらに宇宙飛行士も目指しているらしい、、 ということ。 

『ルナ=パーク』は1959年の作品。 ブランシュが宇宙飛行士として月を目指している、、 というのは ソ連の《スプートニク計画》が進められていたまさにその時代、、 米ソの有人月旅行計画が進められていくのは60年代に入ってからなので、 エルザ・トリオレが『ルナ=パーク』で月をめざす女性宇宙飛行士を登場させるというのは、 とっても先進的な視点だったのかもしれません。

そんな読書をしたのち、、 また? と言われてしまうかもしれないのですが、 前にもたびたび書きました片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』が発売されたのが2月。。 それを読んでいてそのなかに、、

 ***

 「飛行機がまゐりました。」
  茶の間から若い女中が教へに来てくれた。



これは 『ともしい日の記念』の四月の章、 「かなしみの後に」という随筆の後半に出てくる文章。。 「かなしみの後に」は青空文庫でも公開されていないので内容は控えますが、 1920年の3月から5月までの思い出がつづられています。

その片山さんの「かなしみの後に」、、 「飛行機がまゐりました。」

読んだとき、 いったい何のことだろう… と思いました。 若い女中さんのこの言葉はまるで 「タクシーがまいりました」と呼びに来ているみたいで、、 飛行機に乗るの…? どこから…? なんて、 一瞬考えてしまったのでした。 大正9年のことなのに、、

それは 続きを読むとわかるのですが、 片山さんは女中さんに呼ばれて、 庭へ降り立ち 東京上空を飛んでくる飛行機を見上げたのでした。。

 ***

かなしみの後で見上げた飛行機。。 この随筆の印象があまりに鮮烈だったもので、 このとき片山さんの空を飛んでいた飛行機はどんなだったのだろう… と検索しました(本文の注釈も参考にして…)

それは 1920年5月末日、 ローマから東京へ飛んできたアルトゥーロ・フェラーリンの飛行機でした(>>wiki アルトゥーロ・フェラーリン)

wikipedia の記述からわかりますが、 きっと大々的に新聞に載ったりして、 その日 東京へ飛行機が飛んでくることは大きな話題になっていたのでしょうね。 それで若い女中さんは 今か今かと気にかけていて、 それでエンジン音がきっと聞こえてきて 「飛行機がまゐりました。」 とあわてて奥様を呼びに行ったのでしょうね。

 ***

エルザ・トリオレの『ルナ=パーク』の女性飛行士ブランシュは、、(これもネタバレごめんなさい…) 長距離飛行に出たのち消息を絶ちます。 おそらく砂漠のどこかで…

上記の片山さんの随筆に出てくる長距離飛行のことなど検索しているうちに、 アメリア・イアハートという女性パイロットの記述に辿り着きました… この方のことは全然存じませんでした。。 女性として初の大西洋単独横断飛行をした人。 そして 赤道上世界一周飛行の挑戦中に消息を絶った人…

ウィキに載っていたポートレートにも魅了されました。 かっこいい美しい人(>>アメリア・イアハート

エルザ・トリオレが『ルナ=パーク』の女性飛行士ブランシュを創造した背景には  アメリア・イアハートの存在などもきっとあったのでしょう。 

アメリア・イアハートについては いろんな本も出ていて、 その謎の失踪についても日本軍に捕らえられただとかいろいろな憶測などもあったのだそうです。 『アメリア 永遠の翼』という映画にもなっていて、 出演がヒラリー・スワンクとリチャード・ギアですって。。 想像できそう、、 ヒラリ・スワンクはそっくりな気がします。

 ***

片山廣子さんのかなしみの空を飛んだ飛行機…

第二次大戦前夜の南太平洋に消えたアメリア・イヤーハート…

そして、 月を夢見つつ、 現実世界の《戦争》という渦中に消えていった『ルナ=パーク』のブランシュ…


現代、、
ふたたび人類は月をめざすのだそうですね。。 2026年には 日本人初の月面着陸も計画されているのだとか… 夢のような、、 その一方で、 月の資源獲得競争みたいな覇権争いも見え隠れしますが。。


GWにかけてのいくつかのイベントを無事に乗り切ったら(これも私にとってはおおきな冒険のようなもの)、、 アメリア・イヤーハートに関する本をいくつか読んでみたいと思っています。 先日、 エスクァイアのサイトにこんな記事も載っていたようです⤵
  アメリア・イアハート失踪の謎、ついに終止符か|無人潜水機の画像が話題に>>.esquire.com


失踪の謎にも興味はないわけではないけれど、、 彼女がどんなことを考えて、 感じて、 空を飛んでいたのかを読んでみたいです。




青空 見上げて…



きょうも あしたも




元気でありますように…

エルザ・トリオレのゴンクール賞受賞作『最初のほころびは二百フランかかる』

2024-02-22 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
昨日書いた 『今晩はテレーズ』につづいて、 今回はエルザ・トリオレが第二次大戦中に書いた『最初のほころびは二百フランかかる』についてです。

前作につづいて 何の知識もなく、 この変わったタイトルの小説についても 何も知らないまま読み始めました。 昨年11月に、この小説について一度書きましたが、 そのときに引用したのが 小説のいちばん最初の文章でした。 同じものをもう一度引用します。

 この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
    (エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 新日本出版社 1978年)

 このページの終わりのほうには つぎの文章があります。

 「上陸だと言っても、結局、大したことはないんじゃないかな?」と誰かが言った。六月になっていた。……


歴史に詳しい人なら、上記の部分を読んだだけで何を意味しているのかきっとお分りになるのかと思うのですが、 戦争史も、戦争映画も、ちっとも知らない私は、小説のほとんど最後まで読み終える頃まで、 何について書かれているのかろくにわからないまま読んでいました。

最後のほうになって、 記憶の奥の方から 《ノルマンディー上陸作戦?》ということばが浮かんできて、 それのことなのかな… と。 そうして Wikipedia (>>)でその日付などを見て、 あぁ…‼ と驚いたのでした。


 …だが、そうは言っても、いろいろと曖昧な私設情報の中に紛れこんで、「最初のほころびは二百フランかかる!」という暗号が流されたのはありがたかった。ああ! この言葉はなぞなぞではなく、おとぼけでもなかった。…略… 外国語のスピーチに挿入されたフランス語さながらに。その意味はこうだ。「行動に移れ!」

上記は冒頭2ページ目の文ですが、これを読んでいた私にはまだ何もわかっていません。。 ノルマンディー上陸 といったら、写真でみたことのある あの巨大なホバークラフトみたいな船で兵士たちが海岸から上陸してくる、 それしか知りませんでしたし、 フランス国内でなにが起きていたかなど これまで想像したこともなかったのです。

この『最初のほころびは二百フランかかる』という小説は、 1944年の11月に書かれ、1945年度のゴンクール賞を受賞しました。 ドイツ占領から解放されたのは1944年8月。 そのころのフランス国内での文学活動や、 レジスタンスの文学については、 エルザ・トリオレのパートナーである ルイ・アラゴンの Wikipedia (>>)のほうに書かれていました。 

前回書いた エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』のなかで おもむろに描写され私が驚いた 巡視隊や警官隊の暴力、ファシズムの影… そこへ向けたエルザの眼は その後、 弾圧に抵抗する文学へと向かっていき、 第二次大戦中も地下出版の活動をつづけ、1944年のパリ解放とともにおそらく堰を切ったようにこの『最初のほころびは二百フランかかる』を仕上げ、発表したのでしょう。

レジスタンスの文学・・・ たしかに内容は《ノルマンディー上陸作戦》に向けて密かに行動を進める市民・農民らを描いているのですが、 まったく説明のない文章と短いセンテンスで、 いきなり酔っ払いの場面になったり、 とある農家の寝室が描かれたり、 いったい何がおこっているのか分らないまま読者を先へ読ませていくという手法は 先の『今晩はテレーズ』と同様で、その点がエルザ・トリオレの巧みさのひとつなのかもしれません。

翻訳が収められている『世界短篇名作選 フランス編2』では、 このエルザ・トリオレの作品の直前に 夫であるルイ・アラゴンの『一九四三年の告解者』という短編が載っているのですが、 (絶版なので少し内容を明かしてしまいますが) 或る教区の司祭がいつものように信者の告解を聞き終えたところに 警官とドイツ人がやって来る。教会に逃げ込んだ者を探しているという。司祭は懺悔室に見なれない男の足がのぞいているのに気づく・・・ さて司祭はどうするか。。 という なんというか非常に率直なレジスタンスの文学作品でした。 

アラゴンの作品と比べると、 エルザの作品はとても分かりにくい小説ではあるものの、イマジネーションの広さ、場面展開の意外性、、 実際に起こった出来事を書いていながら事実の羅列に終始しない、 作家としての力量を感じます。


 …空の物体は依然として宙をただよう。それが徐々に下降し、近づいてくる。頭の上にやってきた。みんなの頭を圧し潰しそうだ!…

 …さあ、探し出さなくては。 …略… こっちへ走り、あっちへ走り、やっと蒼白く光る、くらげのようなその影が、くねくねとした巨大な形で地面に落ちている地点までたどりつく。…

 …終った。コンテナーは全部からっぽになった。積み重ねてあるパラシュートを分配する。…略… 明るいところで見ると、変なものだ。全部が全部、白いわけではない。薄い緑色のや、ピンクのもある……絹のすばらしいブラウスやドレスになるだろう。タオル地なら、布巾類になるだろう。それらは、チョコレートやたばこも含めて、協力者たちへの景品なのだ。


 
少し長い引用をしてしまいましたが、エルザの短文による映像表現の巧さや、 レジスタンスの市民らの様子を女性ならでは視点で切り取っているのがよくわかります。
占領から解放された直後にこれを読んだら フランスの人々はきっと涙してしまいそうです。 ゴンクール賞をとったのも成程、と思いました。

ところで、、 ノルマンディー上陸作戦の《暗号》は、 ウィキによるとヴェルレーヌの詩「秋の日のヴィオロンのためいきの…」 が使われたそうなのですが、エルザが書いている「最初のほころびは二百フランかかる」というのが どこかで使われた暗号なのかどうなのかは ちょっと調べたもののよく判りませんでした。 もし本当だったら、「秋の日の…」よりもセンスの良い暗号だと思いませんか?


 …だから、もう言わないことだ。「われわれは弱すぎる。武器がない。黙って皆殺しになるしかない」などと。それは間違っている。…略… 無抵抗は戦争を長びかせ、もっと血を流すことになるだけだ。めいめいが自分なりにレジスタンスを支援していただきたい。その手段がどんなささやかなものでもいい。つまらぬ任務などは存在しない。…


本文中の 家々に撒かれたレジスタンスのビラの文言の一部です。 エルザ・トリオレの小説から80年後の今、 これを読んでいるということがとてもつらいです。
なぜこんな戦争が起きるのだろう…という戦争が起きていることが 今、とてもむなしいです。

エルザ・トリオレの 『最初のほころびは二百フランかかる』について、 現在読もうとしてもなかなか読めませんし、 この作品について検索しても殆んど何も出てきません。 世界がずっと平和なら、忘れられてしまっても良かったかもしれませんが、、 残念ながら世界はそうではありません。

私はこの作品の内容をまったく知らずに読み始めたので、 最初に書いたように何の事を書いているのかちっともわからず、、 そして読み終えて、 それから現実の今に戻って、、 悲しい溜息がでる思いでした。 その想いが多少なり伝われば… と、たくさんの引用をしてみました。



エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 『世界短篇名作選 フランス編2』 新日本出版社 1978年




エルザ・トリオレの この15年後の作品『ルナ=パーク』については またの機会に。。




エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』

2024-02-21 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
エルザ・トリオレの本について 最初に書いたのが昨年の11月。 あれから5カ月近くになろうとしています。

1896年ロシアに生まれ、 フランス人の将校と出会い ロシア革命の騒乱の時期にロシアを離れた。(前々回書いた作曲家のプロコフィエフもエルザと同じ1918年にロシアを脱出して日本へ渡っていました)
その後、エルザはフランス人将校の夫とは離れ、 シュルレアリスムの詩人ルイ・アラゴンの妻となり やがてフランス語で小説を発表していく…

エルザ・トリオレの本は結局4作品を書かれた時代順に読んでいきました。( )はフランスでの出版年。
 『今晩はテレーズ』(1938)
 『月の光』(1942)
 『最初のほころびは二百フランかかる』(1944)
 『ルナ=パーク』(1959)

ほかにも翻訳されている作品はあるのですが、 現在入手困難なものが多いです。

当初は 昨年読んでいたコレットやイーディス・ウォートンの読書の流れでたどりついたわけですが、、 ロシアからパリに移り住んだ裕福な生まれの女性作家、というイメージで読み始めたものの 読んでいくうちそうした印象は覆され、 なんだか読書記を書くのはとても難しく思えて… というのも、 この本はどういう本、この人はどういう作家、とまとめることが私には出来そうもなく…

それでも4つの作品を読んでいくうちに、 エルザ・トリオレという作家の発展の様子が面白く、 詩人ルイ・アラゴンが生涯ミューズとして崇めたのも頷けるような、 不思議な想像力と筆力をそなえた作家だったのだなぁ…と感じることができました。 難しい読書でしたが、 拙い感想だけまとめてみようと思います。

 ***




『今晩はテレーズ』広田正敏・訳、創土社、1980年

エルザが初めてフランス語で書いた小説です。 書き始めのころはロシア語で書いていたといいますから、 自分の言い表したいことをフランス語で表現する為に とても努力が必要な時期だったのだと思います。 そのことがかえって 短い文で、詩的な想像を展開する効果になっていて、 例えば以前書いたイーディス・ウォートンの 連綿と続く精密な描写とは対照的なものでした。

小説は冒頭、 夫と一緒にその列車に乗らなかったが為に独りフランスで暮らすことになった女性(=エルザ自身)が、 望郷の想いや異国でひとり暮らすことへの想いをエッセイ風に綴る、という形で始まるのですが、、

エルザ・トリオレに特徴的なのは それが現実か空想か判別がつかないような、 どこかシュールな場面がそこかしこに現れることで… たとえば、南仏で出会った女性とともに連れて行かれたダンスホールで、 美貌の二人そっくりなアメリカ人スパイ兄弟に紹介される、などというような、 そんな現実離れした描写があって… これは大戦間の南仏でほんとうにあったことなんだろうか? と。。

章が変わり、 物語はパリで一人暮らしを始める女性へと移る。 「香水の名前」を考える仕事を得て、 夜のパリを彷徨いながらあれこれと香水の名を考えもとめる女性… 

ある晩、 独りのアパートでラジオの音楽を聴いていると 男の声で 「今晩は、テレーズ」 と不意にラシオが呼びかける… それをきっかけに、 ここから未知の《テレーズ》なる女性をさがす(=想像する=創造する)物語がはじまる… 
ここまでが本の約前半。 後半は、ラブサスペンスのような展開もみせて、 なんだか映画のような結末に。。 

リアルともファンタジーとも言えない、、 でも女性の繊細な視点と意外性に富んだ表現、、 そしてどこかシュール。。


 描写することも、愛することさえも容易に許さぬパリ、灰色の灰燼と焔の味をたたえ、パリはあなたをその胸に抱きしめ、やさしく絞め殺す。夢遊病者を目覚めさせてはならない。今、彼らが歩いている屋根の縁から墜落させることになるだろうから。パリの住民よ、眠りつづけるがいい。 (第二部 夢みるパリ)

このような文章を夢うつつの気分で読みながら1ページ後ろへめくると、、

 巡視隊が広場へ通じる街路の一つを塞ぐ。さらに一つ、また一つ。広場全体を黒い杭の冠がとり囲んでしまう。黒いヘルメット、黒く、堅く、つやつやした脛当て、馬蹄の金属的な響き。鋳造された警官、鋳造された頭脳、そして鋼鉄の弾丸……。

いきなりのこうした文章にぎょっとする。。 一体これは何の話…? 何が起ころうとしているの…?

  護送車が通る。その一台が停車した。警官がパラパラと飛び降り、通行人を警棒でなぐりつける。倒れた男を三人がかりでなぐる。・・・


この本には、 冒頭に「一九四九年の序文」という序が付いており(作品発表は三八年)、 そのなかでエルザはこの最初の作品には 「その後私が書こうとしたことの予兆のようなもの」がある、と驚きを述べています。 そしてこの『今晩はテレーズ』は

 これは、彼女自身のものの見方、幻想の迷宮のなかで現実に導かれていくその仕方によって描かれた物語なのである。

と締めくくっています。 少々わかりにくい表現ですが、 のちのトリオレの作品を読んで気づきました、 これこそがエルザ・トリオレという作家の特色だと。 このシュールな幻のような物語をつくっている源は、 ファシズムの影が迫る1930年代のフランスの現実だということなのです。

また、この本には終わりには 「ルイ・アラゴンによる序文」が載っていて、そこでアラゴンは 「『今晩はテレーズ』と十二年後の『廃墟の視察官』、二十年以上も後の『ルナ・パーク』とのように、非常に異なった作品にひとつの繋がり」がみられることを指摘しています。 

この「幻想の迷宮のなかで現実に導かれていく」エルザ・トリオレの視点が、 第二次大戦下で書かれた作品 『最初のほころびは二百フランかかる』ではどう変化していくのか… 

それはまたつぎの機会に…

 
 ***


昨日は25度ちかくあったというのに

きょうはまたなんて寒いのでしょう…



風邪と花粉に どうぞお気をつけて




(あれから2年になるのですね… >>

片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』から 「黒猫」のこと…

2024-02-14 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前回書きました 片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』、 あのあと注文してすぐ10日に家に届きました。

さきほど、 片山廣子さんの経歴(1878年2月10日 - 1957年3月19日)を見ていて気づいたのですが、 本の発行日の2月10日は片山さんのお誕生日だったのですね。 何故とはわからないけれど、 片山さんはなんとなく冬の生まれのような気がしていたので あぁやっぱり…と。。



『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』ちくま文庫 早川茉莉編

この本をゆっくり読めることをとても嬉しく思っています。 本の中の活字で読むのと パソコン上の文字を読むのとではやはり感じ方が異なります(もちろん青空文庫に入力くださった方々のお陰でこれらの随筆に出会えたことは感謝に堪えません)

すこしずつ… ゆっくりと読もうと思っています。

それで、、
昨夜読んでいた一篇、 「黒猫」という随筆、、 

片山さんの家の庭に来る黒猫の話から 「Aさん」「Mさん」と共に「軽井沢」で月見をした時に出会った「黒猫」の話へ、、

、、 この随筆をどうも読んだ記憶がなかったのでちょっとびっくりして、、 Aさん、Mさん、軽井沢、といえば、 芥川龍之介と室生犀星のことに違いありません。 だけど青空文庫の「燈火節」のなかで この随筆を見かけた記憶がなかったので、 ちょっと不思議に思って調べたら、 2007年出版の『新編 燈火節』のほうに収録されていたことがわかりました(>>月曜社) 新たに8篇の随筆がここに加えられていたようです。

青空文庫で公開されていないので詳細はよしますけど、 この「黒猫」の随筆のなかで片山さんは 「Aさん」が猫にちょっかいを出す様子やそのとき交わした会話を綴っています。 

・・・ これはいつ書かれたものだろう・・

非常に残念なことに、 ちくま文庫の『ともしい日の記念』には それぞれの随筆が書かれた年や初出が載っていないのです。 すごく素敵な、 今読めることがありがたい随筆集なのですが、 その点だけがなんとも残念、、。 『新編 燈火節』を参照すれば載っているのかもしれませんが…

この「黒猫」の随筆では 片山さんは娘さんと共に生活しているようだし、 片山さんの「母」の事も書かれていて、、 片山さんが軽井沢で芥川らと月見をしたのは大正13年の夏の事で、 そのときに同行したお嬢さんは17歳くらい。 だとするとこのエッセイが書かれたのは(娘さんの描写からみて)そんなに年月が経っていないような気がする、、

片山さんの家の庭にくる「黒猫」、、 軽井沢でAさんがたわむれた「黒猫」、、 そして アラン・ポーの「黒猫」についても 片山さんは連想をしている。。 エッセイの読後感は どこか淋しい… 

さびしい… けれども

『燈火節』を発表した70代の片山さんではなく、 軽井沢の月見の晩の思い出が(たぶん)そう遠い過去のことではない時期、 片山さんのなかでまだ遠い過去にはなっていないはずの、 ある痛みをともなった記憶、、 自分の家の庭をおとずれる「黒猫」と「Aさん」の思い出を重ねあわせる その想いの、 非常に鮮烈なものをも、、(ポオの小説の壁に塗り込められた黒猫の生々しささえ思い起こさせるような…) 

そんな鮮烈なものを 時に片山さんには感じるのです。。 きっとこのかたは 心に激しいものをお持ちのかただろうと…

 ***

「黒猫」のエッセイのなかには、 軽井沢で月見をした日付けも書かれていましたので、 たわむれに月齢をしらべてみましたら、 その翌未明が満月という晩でした。 きっと綺麗な月が碓氷峠のうえにかかっていたことでしょう。。

けれども片山さんのこのエッセイには お月さまのことは何ひとつ書かれていないのでした…




・・・ 恋人たちの守護聖人の記念日に・・



 


燈火節は過ぎましたが…

2024-02-08 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先月、 トゥガン・ソヒエフさん指揮の、 プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」を聴きに行って以降、 ラジオやなにやらで何度か「ロメジュリ」を聴く機会があり、 プロコフィエフの音楽の新しさを 今更ながら驚きつつ楽しんでいました。

「ロメジュリ」の初演は、プロコフィエフがロシア革命のあと 日本を経由してアメリカへ渡り、 その後 パリでディアギレフと仕事をしたり、という 20年近い海外生活を経て、 1936年にモスクワへ戻ったその年のこと。 

だからか、、 「ロメオとジュリエット」の組曲にはとってもアメリカ音楽ぽいところがたくさん感じられる。 「モンタギュー家とキャピュレット家」を聴いていると、 なんだかディズニーアニメの中でキャラクターがのっしのっしと歩いて登場するような動きをいつも想像してしまうし、 ところどころ ガーシュウィンみたいな旋律も感じられるし、、 「朝の踊り」のにぎやかな市井の人々のリズムなどは、 二拍子のまるで「スカ」のビートみたい。。 そういえば、 プロコフィエフは当初、 日本を経由してアメリカ大陸を南米へ向かおうとしていたのでしたっけ… なんて思い出したり、、

そんな風にして かつて読んだことのある『プロコフィエフ短編集』(以前の日記>>)をふたたび読み返したりしていました。

そうしていて気付いた事があります。(単に私の興味で、たいしたことではありませんが…)

プロコフィエフと芥川龍之介は1歳しか違わないんです、 龍之介が1歳年下。 それでプロコフィエフが日本に滞在した1918年には、 龍之介は26歳で横須賀の海軍学校で英語教官をしている頃。。 でもすでに新進の作家として活躍していて朝日新聞に「地獄変」の連載などもしている。 一方、プロコフィエフはこの年の初夏、横浜や京都に滞在して 横浜グランドホテルでピアノリサイタルを行ったりしている。 こんな風に同じ時代に、 こんな風に近いところで活動していたことを思うと、 なんだか面白いなぁ…って。。 べつに龍之介とロシア音楽となにか接点があるわけでは無いのですけど、、 

プロコフィエフが日本でもせっせと書いていた一風変わった短篇、、 芥川と較べたらそれこそ稚拙なものかもしれませんが、 どこか軽みのある不思議な想像力。。 芥川は多少ロシア語も読めたかしら…? 日本で読んでもらえば良かったのにね… 笑

そして、、 昨秋にも書きましたが、、 龍之介のこと、、 (パリにでも行ってしまえば良かったのに…)とふたたび思いました。 (そう書いたのは11月の日記です>>) 戦間期のパリ。 コレットがいて、 イーディス・ウォートンがいて、、 芥川が上海に行った1921年には プロコフィエフもパリに来ていました。 ますます思います、 日本でもしプロコフィエフと知り合いにでもなって、 龍之介が上海に行ったあの後、 日本になど帰らずにパリにでも行ってしまえば良かったのに… (ほんのつまらない空想です)


そんなことを考えている私に、 嬉しい知らせが…

上記11月の日記のなかでも触れている、 片山廣子さんの随筆集が 新たな編集となって出版されます。 
 『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』ちくま文庫 (Amazonのページには目次も載っていました>>https://www.amazon.co.jp

いままで青空文庫でしか読むことができなかったので とても嬉しいです。 文庫で手元に置けるのもとてもうれしい。



「燈火節」は過ぎましたが、 うれしい春の贈り物です。



なにかのことを想っていると



なにかしらキミはたすけてくれる…



妖精さんがいますね…

復刊や、あらたな翻訳が出たらいいな:19世紀アメリカの社会と文化を描いたイーディス・ウォートン

2023-12-13 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
このブログに読書記を書きはじめて20年ほどになります。

私の場合、 本との出会いは 誰かの紹介とか評判になっている本とかそういうのではなくて、 日頃の関心事のなかで検索したり、 読書を通じて新たな作家や書名を知ったりして、 そうやって次に読む本を選んできたものです。 

心をとらえた作品については此処に書きのこしたりしてきましたが、 その中には、 絶版により入手困難だった本や古書を取り寄せて読んだ本もいくつかありました。 それらの本がのちになって、 新しく翻訳出版されたり、 あらためて復刊したり、、 そうやって読めるようになったことを知ると なんだか埋もれていた宝が知れ渡ったようで 嬉しくなったものでした。

たとえば、、
『椿實全作品』読書記>>)は、 幻戯書房から2019年に 『メーゾン・ベルビウ地帯: 椿實初期作品』として復刊されましたし、

ノルウェーの作家シランパアの『若く逝きしもの』>>)は、 フランス・エーミル・シッランパー 著 『若く逝きしもの』として2022年に ‎ 静風社から出版されました。

イエンス・ペーター・ヤコブセンの『ニイルス・リーネ』については何度か書きました。山室静さん訳の『死と愛』を読みおえたことまでは書きましたが(>>) その後、2021年にルリユール叢書『ニルス・リューネ』イェンス・ピータ・ヤコブセン著 奥山裕介・訳が幻戯書房から出版となりました。

漱石先生を通じて知った レオニード・アンドレーエフのことも何度か書きましたね。『悪魔の日記』>>)は今も絶版のままだと思いますが、 2021年に未知谷から『イスカリオテのユダ L・N・アンドレーエフ作品集』岡田和也・訳 が出版され、 表題作のほかに「天使」「沈黙」「深淵」「歯痛」「ラザロ」が収録されています。

 ***

今年の読書の収穫を振り返ると、 シドニー=ガブリエル・コレットや、 イーディス・ウォートン、 エルザ・トリオレといった20世紀前半の女性作家の作品に出会ったことでした。 3人とも戦間期のパリに住んでいたという共通点で知っていったわけですけれども、 コレットは生粋のフランス人、 ウォートンはアメリカ生まれ、 トリオレはロシア生まれ、 とそれぞれの小説も全く雰囲気が違っていました。

とりわけイーディス・ウォートンの作品は、 女流作家とか女性作家という括りにとらわれない、 19世紀から20世紀にかけてのアメリカの社会や文化を 物語のなかに緻密に記録しているという力量を感じて、 特に、建造物の様式や美術品や調度品に関する知識、 ファッションの趨勢などにとても詳しいことにも驚きました。

イーディス・ウォートンは幼い時から両親とともにヨーロッバ各地をなんども旅行して暮らしたそうですけれども、 そうやって見聞を広めて文化芸術の知識を得て、 外側の世界から故郷のニューヨークそしてアメリカ社会を見るという独自の視野が備わったのでしょう、 彼女の作品にはつねに 「格差」とか「差異」といったものがテーマにあるように思います。

NYの上流社会を描いた『無垢の時代』では 過去と現在、NYの内側しか知らない者とヨーロッバ帰りの人との隔絶を描き、、 ニューイングランド辺境の村を舞台にした『夏』『イーサン・フローム』>>)では、 貧富の差や村の外の世界との格差、 そして主人公たちがその「格差」をなんとか乗り越えようともがき、 新しい世界を夢見、 打ち崩される…
その憧れや抗いの気持ちが 読んでいてとても胸にせまるのでした。

 ***

ほかにもイーディス・ウォートンの作品を読んでみたくて、 この本を取り寄せました⤵



『偽れる黎明・チャンピオン』イーディス・ウォートン, リング・ラードナー 著 皆河宗一, 大貫三郎, 菅沼舜治 訳 1981年 南雲堂

この本にはイーディス・ウォートンの3つの作品が載っています。 「偽れる黎明」(原題 False Dawn) 、「隠者と野性の女」( The Hermit and The Wild Woman) 、「芸術を売った絵」(The Pot-Boiler) 

特に「偽れる黎明」は ウォートンの美術への知識が下敷きになっている作品でした。 絶版なので簡単にあらすじを書いてしまいますが、 NYのある上流階級の子息が2年間のヨーロッパへの見聞旅行に出ることになり、 父親は自分の美術館をもつという夢のために、古典絵画の名画を購入してくるように息子に言い渡す。 息子は周遊の途上でひとりの英国人と知り合い、 その人物をつうじて新たな絵画の美に開眼して、その助言と自分の審美眼を信じて得た絵画をアメリカに持ち帰る。 ところが息子の持ち帰った絵画は父親にはまったく受け入れ難いものだった。 その絵画とこの一族の顛末が描かれているのですが…

興味深いのは、 当時のNYとヨーロッパの美術史の事情がよくわかる点なのです。 これはウォートンの美術への知識がなければ書けなかったことでしょう。 簡単にいえば、 富豪の父親のもとめたのはラファエロに代表される古典主義の絵画で、 息子が出会った英国人というのがジョン・ラスキン。 息子はラスキン、 ハント、 ロセッティというラファエル前派の芸術家に出会って、当時はまったく評価されていなかったカラヴァッジョ、 フラ・アンジェリコ、 ジョットの作品を持ち帰ったというわけなのです。

その絵の顛末を読むと、、 えーーーー‼ となるのですが、 1840年代当時 カラヴァッジョとかが全く無名だったということにも驚きました。 アメリカの美術史の黎明期が「False」だったという、 タイトルにウォートンの皮肉が込められています。

解説によると、この「偽れる黎明」という作品は 「それぞれ一八四〇年代、五〇年代、六〇年代、七〇年代のニューヨークの生活を描いた中篇四つを集めた『古いニューヨーク』 Old New York (一九二四)所蔵の第一篇である」 ということなので、 そうなれば他の3作品、 50年代、60年代、70年代のNYも同時に読んでみたいものです、 ウォートンにはそれぞれの年代の「変遷」「差異」を記録することこそが主眼だったのでしょうから。。

それに、 この本の翻訳は60年も前のことで、 たくさんの画家のカタカナ表記も今とは違っていて 「カルパッチオ」などと書かれています。 出来たら新しい注釈と翻訳で復刊して欲しいものです。 

そして とても心を打つ小説 上流社会ではなく貧しい村の暮らしと悲しい愛の物語『イーサン・フローム』なども、 ぜひ復刊されると良いなと思っているのです。



長くなってしまいました


もうひとりの女性作家 エルザ・トリオレのことはまた今度。。



戦間期のパリへ…

2023-11-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
11月になりました。 暖かいですね… 笑

昨日、 ハロウィンから一夜明けた街に もうクリスマスツリーが輝いていたと、お友だちが知らせてくれました。。

この時期になるといつも加速度的に年末感が押し寄せてきて、 もう少しゆっくりとこの美しい季節を楽しんでいたいのに そろそろ~を、、 いつまでに~を、、 と追われる感じに…

そして思うのは 今年はあと何冊本が読めるのかしら…

 ***

読むのが遅い私には 週に何冊もなどという読書はできません。。 月にせいぜい3冊くらい? もはや生涯で読める冊数にも限界が… でもそれは考えないようにしていますが、、

今年 ちゃんとした読書ができたかしら… と不安まじりに先程ふと振り返ってみましたが、 それでもなんとなく貴重な本、 今まで思いもしなかった本、 に今年も出会えた気がします。 そして、 意図したわけではないけれど読書の流れに不思議な共通項も…

昨年、 パトリック・モディアノさんの読書をきっかけに (パリのアパルトマンに棲んでいるような老女をめざそう…)などと思いついて、 そんな憧れが頭のどこかにあるせいか、、 今年はふしぎとパリと女性作家さんとの出会いがありました。

コレットの『軍帽』の時にも書きましたが(>>)、 自分がコレットの本などに興味を持つとは思いもしませんでしたが あの後、 コレットの代表作『シェリ』も『シェリの最後』も読みました、 とても面白かったです(現代の新訳はなんだか言葉ががさつで時代的に合っていない気がして、 古い訳のものを探して読みました)





その後、、 芥川龍之介や堀辰雄の読書をしていた春。。 片山廣子さんの『燈火節』を知り、 菊池寛さんがパリからロンドンへ洋行したい、と片山さんと話している「菊池さんのおもひで」という文章に出会いました(青空文庫で読めます>>)。

あの文章を読んだとき、 私も片山さんと同じ事を考えていたのでした、、 片山さんが「世界じう歩かせて上げたい」と感じていた《文学者》の事、、 誰とは書かれていませんが、 私も春、芥川龍之介の「彼 第二」を読んだときに、 (日本になど帰らずにパリにでも行ってしまえば良かったのに…)と思っていたのでした。 

芥川が上海に行ったのは1921年? 戦間期のパリは… コレットのいるパリです。 芥川はフランス語より英語の方が堪能だったでしょうけれど、 1920~30年代の世界中から画家や芸術家や小説家などが集まっていたパリの喧騒は 案外、芥川にも合っていたのでは…なんて勝手に想像していたのです。

そして先日読んでいたイーディス・ウォートン。 NY生まれの彼女が離婚後パリに移り住み、『無垢の時代』を出版したのも1920年のパリでした。


今は・・・
エルザ・トリオレというロシア生まれの女性作家の本を読んでいます。 彼女もまた パリに移り住み、 生涯をフランスで暮らした作家。 フランスの詩人ルイ・アラゴンの妻になったというのも知りませんでした。 (現在読める翻訳書がほとんど無いのが残念です)

 ***

なぜ 戦間期のヨーロッパやパリの文学に関心が行くのか 説明できるほどこの時代のことを知っているわけではないし… 

ちょっと検索していたら 国立国会図書館の「近代日本とフランス」というページが見つかりました。 その中の「1. 文学者の見たフランス」に、 この時代にフランスに滞在した文学者の著作などの紹介がありました。
https://www.ndl.go.jp/france/jp/part2/s1_1.html

でも画家レオナール・フジタのように、 生涯をフランスで暮らすような文学者も作品も日本では現れなかったようですね。。

、、この読書がどこへ繋がっていくのか… 自分でも予測はつかないし していませんけれど、、 パリのアパルトマンで暮らす代わりに 戦間期のパリと 戦乱のいまこの世界とを往還しつつ、、 慌ただしい年末のときのなかで自分の居場所を保とうとしているのかもしれません…


11月も 心しずかに…



げんきでね…

焔の消えたあとで…:『イーサン・フローム』イーディス・ウォートン著ほか

2023-10-26 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前々回に少し書きました イーディス・ウォートンの『無垢の時代』という小説を読んだ後、

とても心を揺さぶられるものがあり、 続けてイーディス・ウォートンの本『夏』と、 『イーサン・フローム』の二冊を読みました。 前々回に書いたときにはまだ『無垢の時代』の読み始めで、 1870年代の同時代の『続・若草物語』と較べてみたりしていますが、 こんなにもイーディス・ウォートンという女性作家の作品に心揺さぶられるとは思っていませんでした。

岩波文庫の『無垢の時代』は今年の6月出版。 彩流社の『夏』は昨年の10月出版、ということですから、 いまイーディス・ウォートン再評価の時期なのでしょうか。 大戦前のアメリカ文学しかも女性作家については殆んど知らないということにも気づき、 イーディス・ウォートンのこれら三冊をほんとうに興味深く読みました。

『イーサン・フローム』は95年に荒地出版社から出ていますが 入手困難なので図書館から借りました。 この作品も再出版されて多くの人が読めるようになればと思います。




『夏』イーディス・ウォートン著 山口ヨシ子、石井幸子・訳 彩流社 2022年
『イーサン・フローム』  宮本陽吉、貝瀬知花、小沢円・訳 荒地出版社 1995年



 ***

一体なぜ、 イーディス・ウォートン作品のどこに惹きつけられたのでしょう…

これら三作品は共に「ひとときの恋愛の物語」です。。 『無垢の時代』は映画(エイジ・オブ・イノセンス)にもなったNYの上流階級の社交界の物語。 『夏』はまったく違ってニューイングランドの忘れられたような小村の物語。 親を知らない複雑な出自の娘がたまたま村に滞在した都会人の青年に恋をする物語。
一方『イーサン・フローム』もまたニューイングランド辺境の村が舞台で、貧しい男の家庭の物語。

三作品とも予想外の(『夏』『イーサン・フローム』はとりわけ衝撃的な)結末をむかえる、という構成にも驚かされましたが、 その結末がもたらす余韻、、 その結末によって考え込まずにはいられない主人公のその後や、人生の意味というもの、、 自分の年齢のせいもあるのでしょうが、 ひとときの恋の行く末も興味深いテーマではあるけれども、 その恋が成就あるいは別離、 あるいは諦めなど、 燃え盛っていた焔を失ったあとも 人はそれぞれに生きていくのであり、、 物語の結末がもたらす主人公の生き様のほうに深く深く心が揺さぶられたのでした。

そして三作品とも、 主人公がみずからの置かれた境遇にあらがい、 (見つけた恋の力を得て) 新しい生き方、新しい夢を必死に追い求める その精神的葛藤の物語という点でも共通していました。 

 ***

三作品のなかでも『イーサン・フローム』は最も悲痛な物語、と言って良いでしょうか…。 誰もが逃げ出したいと願うような貧しい村で 病身の妻と暮らす男の物語。

ストーリーを詳しく語るのはきょうは止します。 物語の冒頭ではイーサンが52歳になっているところから始まりますが、、 「人間の残骸」…と描写されているようなイーサンの、これまでの人生にさかのぼって物語は書かれていきます。

先に書いたように『イーサン・フローム』も「ひとときの恋愛の物語」であって、 その恋から24年後のイーサンは物語冒頭で52歳の「人間の残骸」と描写されている…  確かに絶望的な、衝撃的な物語なのだけれど、、 物語を読み終えてしばし呆然となったあとで、 もう一度最初の52歳になったイーサンを描いている箇所を読み返した時、 こう書かれているのに気づきました…

 鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。

「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに、 イーサンの「現在」を感じ取ってみようとすると、、。 悲劇と悲惨の人生を送ってきたイーサンの、、 矜持というのか、 屈してはいない精神というものが見えるような気がして…

作者はべつに物語が終わったあとの、イーサンのこのような「現在」を想像させようなんて意図はないのかもしれません。。 私がたんに物語の絶望ゆえに一筋の救いを見つけ出したいだけなのかも… でも、、

若き日、 イーサンは工業学校で研究を夢見る若者でした。。 その夢は家庭の不幸や貧困のなかで消え去ったけれども、、 (これも書かれてはいないけれど)、、 52歳のイーサンは 荷馬車で送り迎えをする雇い人の本、、 (雇い人が置き忘れた生化学の本)、、 あれをきっとイーサンは読んだだろう…。 もしかしたらそこからまた別の… もしかしたら…


作者イーディス・ウォートンは イーサン・フロームという男の悲劇的な人生の末路だけを描きたかったのではないかもしれない、、 そう想わせる余韻が、 ほかの作品 『無垢の時代』と『夏』にも共通して存在していて、、 


人生はいっときの焔のようなものではなく

燃え尽きてしまったように見える灰色のなかにも 幽かな熱は存在していて、、




このあとも人生は続くのだと、、。



三作品を読み終えたあともずっと、、 そんなことを考えていました。。 まともな読書記にはなっていませんけれど、、 イーディス・ウォートンの三作品、 いろいろ考えさせてくれる良い読書でした。



世界情勢もいろいろなことも、、 しんどいことがいっぱいです。。 



せめて自分を保って、、

永遠の…:イーディス・ウォートン著『無垢の時代』と『続・若草物語』の時代

2023-10-12 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
秋晴れの日々… 気持ちのよい青空がひろがっていますね。

先週のワクチン接種の後、 腕の痛みや頭痛の副反応が消えていったのに なんだか妙な気怠さとしんどさが続いて、、 インフルワクチンを打った時もなんとなくそうでしたが、 感染と似たような状態に身体がしばらくなるのかしら…

副反応なのか、 溜まっていた夏の疲労が出たのか、 それとも単なる老化現象…? なんだかわからないけど… というあたりがそれが老化なのかも…? 笑

まぁ 気にしないきにしない。。 そんな時こそ 今年の目標(ノンシャラン)という魔法のことばを思い出しましょう… 拘泥しない、 惑わされない…  nonchalant…

だいじょうぶよ、、 …昨日あたりからは動けるようになって、 夏じまいと冬じたくのお洗濯 たくさんしています。。 読書もようやく…


 ***




『無垢の時代』イーディス・ウォートン著 、、この本のことはちゃんと読み終えてからにしますが…  、、このタイトル 最初なんのこと? と思って あたまの遠くに「エイジ・オブ・イノセンス」という映画があったな… と浮かんできたら その映画の原作だったのでした。

ダニエル・デイ=ルイス主演の、 華やかな上流階級の社交界を描いた映画、、 30年近く前の公開のころ たぶん観ているはずなのだけど 殆んど何もおぼえてない… 読み始めて、 舞台が(はじまりは) 1870年代のニューヨークだというのもぜんぜん記憶していなかったです。。

でも、 あらためて文章で読みはじめて、 そのオールド・ニューヨークという社会があのマンハッタン島に存在していたことにも驚き、、 だって「ギャング・オブ・ニューヨーク」で描かれた移民の島NYと、 とにかく厳格で品位ある上流階級の暮らしを守りつづける「無垢の時代」のNYが結びつかなくて、、

それで、 1870年代…? といったら、 私のとぼしい知識のなかでは 『若草物語』の第二部で、 ジョーが物書き修行と(ローリーの愛から距離を置くために) 家庭教師として下宿するのがニューヨークではなかった? そこでドイツ出身の貧乏教師ベア先生に出会う、 あれも同じ時代のNYだったはずでは…?

そう思い立って、 『無垢の時代』と『続若草物語』と ルイザ・メイ・オールコットの日記とを見比べて、、 いろいろ驚きながら読み進めているところなのです。。

そうすると 『無垢の時代』で描かれる一部の上流階級の、 夜な夜なオペラや晩餐会や舞踏会にあつまって華やかな社交を繰り広げている人々が ほんの一握りの社会で、 いかに閉鎖的なちいさな社会なのかが見えてきて、、(でも資産はうなるほど持っていて)

同じマンハッタン島の、 彼らの言う(いかがわしい)とか(下等な)とかいう地区には 若草物語のジョーが暮らしたような労働者も教師も学生もごっちゃに住んでいる下宿があったり、 新しい芸術家や作家たちが集まる場所ができたり、、 (それが今につながるNYのイメージだと思いますが) そういう新しい階層の進出を、 オールド・ニューヨークの御仁たちがいかに脅威を感じていたか、 というのもリアルに感じてくる。。 

じっさいオルコットは ニューヨークで 「過激主義者」(とか書かれている。トランセンデタリズムのことなのかな…)の集まりに参加したりしていて、、 それが当時どんなに進歩的というか過激なことだったのか、 『無垢の時代』と並べて読んでみると あぁ… なるほどとよく解ってくるのでした。

 ***

「エイジ・オブ・イノセンス」は 上流階級の若き弁護士(ダニエル・デイ=ルイス)が、 婚約のお披露目をした矢先、 ヨーロッパ帰りの自由な考えをもつ伯爵夫人(ミシェル・ファイファー)と出会い惹きつけられていく、、というストーリーですが

(手前勝手に…)『若草物語』と較べてみると、、 ジョーに想いを寄せるローリーは まさにこのデイ=ルイスに近い上流階級の立場であって、 ジョーたち姉妹は貧しくとも ローリーには上流階級なりの「社交界」での生活もあったはずなのです。。 …そう思ったら、 物語には描かれていないローリーの(大学生活とか実業家としての社交の)世界、というのも読んでみたいな~ と。。

ローリーはやがて 自分にふさわしい貴婦人となった末っ子エイミーを妻にするのですが、 そんな時になっても 「僕は君を愛することをやめようとは思わない」とジョーに語ったりする、、 兄として 友人として、 またそれ以上の存在として、、。 これって『無垢の時代』の青年ニューランドと同じ立場なのかも。。 『若草物語』では少女小説らしく深くは描かれませんけれど…


  あなたは現にまじめな良識ある実業家になって、お金を有意義に使い、富を積む代わりに、貧しい人たちからの祝福を積んでいます ・・・略・・ 私はほんとうにあなたを誇りと思っているのよ、テディ。 あなたは年をとるたびにりっぱになっていくわ・・・

『続若草物語』の最後のほうで ローリーはジョーからこんな言葉をおくられますが、 篤志家となってジョーの設立した自由学校をささえていくローリーと、 『無垢の時代』の弁護士ニューランドとを 合わせて読んでみるのもいいかな、、と興味深く思っているところです。


上流階級のローリーのことを べつに穿った見方をしているわけではないですよ。。 ローリーはジョーの自由な人となりを心から愛したのだろうし、 物語を書いたオルコットは、 現実にはそんなことは難しいのを知っていたけれども、 永遠の友そして永遠に誰よりも愛してやまない間柄としての二人を、 自分の理想として書きとどめたかったのでしょう… 


だから私も 永遠にローリーを愛するのです…


ローリーの愛した自由な精神や…


オルコットが苦しみながらも明るく描きつづけた少女たちのひたむきさを…




  ・・あなたが帰ってきたら、私の苦労なんかみんなどっかへ飛んで行っちまったようよ。 あなたはいつだって私の慰め手だったのね、テディ・・
           (『続若草物語』吉田勝江・訳)




憂愁の人の物語:『慈悲の糸』ルイ・クペールス著

2023-08-31 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
今夜はスーパームーン、 ブルームーンとも呼ばれる8月で2度目の満月の夜ですね。

しばらく前に読んでいた 月の姫さまの物語。。 百年前のオランダ人作家が著した、もうひとつの《かぐや姫》の物語から、、


 「お父さま、わたしはだれなのでしょう?」
 「おまえの名は〈憂愁〉だ!」嵐の神が娘に向かって叫んだ。 「またの名は〈物思い〉だ!」

   (「銀色にやわらかく昇りゆく月 憂愁の日本奇譚」より)


、、なんだかこの部分だけ読んでも、私たちが知る《かぐや姫》の物語とはぜんぜん違った趣なのですが 竹取の翁に育てられるお話は一緒、、。 日本の竹取物語に西洋の神話のモチーフを合わせたような感じです。



   『慈悲の糸』 ルイ・クペールス著 國森由美子・訳 作品社 2023年

今年出版された本なので詳細に触れるのはよしますが、、 いつか月に帰らねばならない定めの 月の姫さまの〈憂愁と物思い〉、、 そして、 日本の霊峰 富士山が〈不死の山〉とよばれる謂れ。。 オランダの文豪の想像力と日本への憧れが生んだとてもファンタジックな文章を読んで、 あらためて《かぐや姫》の物語が持っていた《想い》の意味について教えられた気がしました。

 ***

この『慈悲の糸』は、 大正十一年にオランダから来日し、5カ月間日本に滞在して各地をめぐった作家 ルイ・クペールスが帰国後に書いた小説集です。 クペールスは日本滞在中には新聞社の依頼で日本についてのエッセイを書き送っていたそうです(そちらも『オランダの文豪が見た大正の日本』という本になっています)。 そのエッセイは大正当時の日本についての紀行ノンフィクションですが、 こちらの『慈悲の糸』は大正期の日本が舞台ではありません。 その当時もうすでに失われてしまった古典の世界や、失われつつある古来の文化を素材に、 ガイドブックで読んだり、浮世絵や日本画からヒントを得て、クペールスが独自に想像して書いた短篇集になっています。

ほんの5カ月間の滞在にしては、 日本の古典や仏教についてよくいろいろな知識を得たものだなあと感心してしまうのですが、 やはり正確でない部分は作家の想像力で補っていて、、 小野小町が雨乞い呪詛をする巫女さんのようだったり (追記:これについては「雨乞小町」という伝説に基づいているのだそうです。存じませんでした・お詫び)、、 歌麿の描いた吉原の浮世絵を題材に ふしぎな桃源郷のような世界が想像されていたり。。 利休の茶の湯の世界も ???だったり、、 その妙ちくりんな部分もふくめてクペールスの古き日本への幻想というか、妄想のような憧れを読むことができます。

ちなみに 本のタイトルの『慈悲の糸』については、 出版社の紹介文に載っているので こちらを>> 作品社

阿弥陀さまの首にある三本の筋、、 あれは すがる人を救い上げる「慈悲の糸」だったのか… と感じ入ったのですが、 どうやらこれもクペールスの創作なのかも。。 あの三本の筋は「三道」というのだそうですが、「糸」という記述はネットで探せませんでしたから。。 想像力のみごとさに感心です。(それとも当時そういう教えがあったのでしょうか)

歌麿や広重の浮世絵など、 クペールスの作品の源になったものについても訳者さんの解説が詳しくされていて、 百年前にこんな風に日本についての物語がオランダで出版されていたことに とても興味をひかれる本でした。

 ***


ところで、、

クペールスが大正期の日本で 紀行エッセイをオランダの新聞社へ書き送っていた、というのを知り、 その頃より少し前の大正2年ごろ、芥川龍之介の友人だったアイルランド人の新聞記者さんのことを思い出しました。 (以前に書きました>>「彼 第二」の追憶… 芥川龍之介) 

芥川が「彼 第二」のなかに書いた〈彼〉は、 Thomas James といい、ロイターの通信員として東京に滞在していたそうなのですが、  アイルランドの文学にも詳しく 万葉集の歌を引用するほどだった彼が、 日本についてどんな事をロイターに書き送っていたのだろう… 日本の文学や芥川のことなども何か書き残していなかったのかしら…と、 急に気になってしまいました。

吉原ではないけれど、 柳橋の花街のどなたかに指輪を贈ろうとしていたジェームスさん。。 はかなくも上海で天然痘で亡くなるのですが、 芥川の書いた思い出の記はほんとうにみずみずしくて、 ジェームズさんの書きのこしたもの、 日本で暮らした証、 なにか発掘されたらいいのになぁ…と 思うのでした。



 「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」


ジェームスさんが芥川に呟いた 万葉集の歌。 貴方も憂愁のひとだったのですね。




クペールスの書いた《月の姫》の名も「憂愁」






今宵はお月さまを見上げながら 百年前の憂愁の人の魂をおもうことにしましょう。。




こちらはブルームーンイヴ 30日の月です

ミラン・クンデラ『不滅』のつづき… 

2023-08-29 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
8月もまもなく終わろうとしていますね。 前々回に書いたミラン・クンデラの『不滅』、 先週読み終えました。


30年近くぶりに読んで、、以前はほとんど気に留めなかった部分が強く心に響いたり、 逆に たぶん前に面白いと感じた部分が今ではどうでもいいようなことに思えたり、 それは時間の流れ、世界の流れ、あるいは自分の年月の流れ(老い…?) 何からくるのでしょう。。

読み終えてずっと気にかかっていることが。
おそらく、『不滅』を読んだ多くのひとがもっとも印象に残るであろう箇所、、


  彼女は考えた。いつの日か、醜さの襲撃がまったく耐えがたいものになったら、勿忘草を一茎、勿忘草をただ一茎だけ、ちっぽけな花を頭にのせた細長い茎を一本だけ花屋で買うとしよう。その花を顔の前にかざして、彼女にはもう愛せなくなってしまった世界から保っておきたい究極のイメージである、その美しい青い点より他のものはなにも見ないようにするため、花にじっと視線を定めて街へ出てゆこう。 


この部分は、アニェスというこの女性の繊細さや敏感さをもっともよく表している部分だと思いますし、勿忘草の可憐なちいさな青い花とこの世界の醜さとの対照が強くひびいてくる箇所です。 世界が耐えがたいものになっていくなかで、 美しさの最後の象徴であるような勿忘草を一茎かざして歩くアニェス。 とても心に残る箇所です、、 でも

なぜ「忘れな草」という名の花をクンデラは選んだのだろう、とどうしても気になって。。 ただこの小さな青い花の可憐さ、 ただそれゆえだったのか? それとも勿忘草という花だから? この花の名の意味や伝説をクンデラは知らなかったとは思えないし、、 文章がいろんな国の言葉に翻訳された時、たとえば英語だったら 文字通りの「forget-me-not」という花の名なのだから、 アニェスは自分の顔の前に「forget-me-not」をかかげて街を歩く、という文章になってしまう。。

アニェスが嫌悪した世界の醜さ、それを簡潔に言い表すことは難しいけれども、 めいめいが声高に自我をひけらかし主張し合っている世界、、 (少し後に書かれている、沈みかけた船の上で救命ボートめがけて押し合い圧し合いしているような世界) 、、そんな世界の醜さから逃れたいと「勿忘草」の小さな花のかげに身を隠して歩こうとするアニェス。

だけど、、 彼女を見る他者の眼には 「forget-me-not」(私を忘れないで)とやっぱり自我を主張して歩いているに過ぎないのだ、とクンデラは残酷な皮肉を加えているのだろうか。。 そうだろうか… わからない…

それで、、 クンデラが最初に執筆したチェコ語版を調べようとしました。。 チェコ語は全く読めないので多分、なのですが 「勿忘草」の部分は「Pomněnka」と書かれているみたい。 
アニェスは幼少期に父からドイツ語を習ったとされている。 ドイツ語の「勿忘草」=Vergissmeinnicht も文字通り「私を忘れないで」というドイツの伝説から生まれた言葉だという。 チョコ語の「Pomněnka」にも「忘れる」という語が含まれているみたいだから語源は一緒?…(それ以上はわからなかった)

 ***


でも、、

アニェスは結局、 勿忘草を花屋で買うことはなかった。 もう一か所、とても大事な部分を少しだけ引用させていただきます。


 (略) アニェスはこう考えた。
  生きること、生きることにはなんの幸福もない。 生きること、世界のいたるところに自分の苦しむ自我を運びまわること。
  しかし、存在すること、存在することは幸福である。 ・・・(略)



つづく文章はストーリーに重要だと思うので省略しました。

「生きること」と「存在すること」
ここには二種類の「不滅」がある。 この世界(社会)で人として生きていくという不滅(死なないこと) もうひとつは、 この世界に自然や光や水とおなじように「在る」という不滅。


・・・ドイツの伝説をふり返ってみましょう。。 
忘れな草を手に「forget-me-not」と叫んだのは若者(人間)。 愛すればこそ、 愛する人とこの世界でともに生きていたいからこそ、 忘れないで、と叫んだ人間の想いを、 醜い自我だとは私は思えない。。 でも、 その小さな青い花は、みずから「forget-me-not」と主張したりはしない。 名前があろうとなかろうと、花はそこにただ咲いている。。


 ***

『不滅』でクンデラが描く世界の醜悪さのことも理解できるし、 前々回に書いたように、 SNSの世界になってますます「私を忘れないで」と主張するひとびとはひしめき合って、 アニェスのような繊細な魂をもつ人の生きづらさは増すばかりかもしれない。。 けれど

著者(『不滅』のなかでこれを書いている著者)を魅了したアニェスの一瞬の仕草、、 その一瞬からアニェスという主人公が生まれたわけだけれども、、 そんな風に魔法のように一瞬で人を理解する、 ひととひととがわかり合える、 そんな魔法もこの世界には確かにあるんだと、、 やっぱり私はそう思っていたい。




お月さまが大きくなってきました…



秋ですね。


30年後のお盆にミラン・クンデラの『不滅』を読んでいます

2023-08-17 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
お盆も過ぎましたね。 
台風の傷痕と世界中の猛暑の影響はまだつづいているけれども 気持ちのうえでは夏の終わりを感じる日々です。 八月になるといつも 亡き人や戦禍の跡をおもう月ですから…

先日、 ミラン・クンデラさんの訃報に触れ、 書棚から取り出した『不滅』をずいぶん久しぶりに開いて、 お盆のあいだ少しずつ読み返していました。





クンデラさんの訃報と お盆のあいだに わたしの父の命日もあり、 40代で逝った父がクンデラさんと同じくらいの年齢だったのだとも気づきました。

それで、、 というわけでもないのでしょうけど、『不滅』を読み返していくうちに、 なんだか 今この本を読むことが父からのメッセージのような、、 メッセージというほど強いものでなく ふっと空の父から手渡されたような、 そんな風に思えるのでした。 以前、なんども挫折しながら読んで、 わかったようなわからなかったような…

ひとりの女性の日常と愛、 その家族の物語を、 人間の歴史や思想や、世界がどのように動いているのかを同時に語りながら小説をつくりあげていく見事さに、 前に読んだときはただ感嘆するばかりだったけれど、、 90年に刊行された『不滅』を 30年以上経って再び読み、 いたるところ腑に落ちる部分ばかりなのを 今ごろになって驚いたり納得したりしています。。 


先程の 父からの… という意味では、 亡き父と母のそれぞれの晩年を想った時、 ふたりのあまりの違いに二人はなぜ結婚したんだろう、とか(見合いではあったけど) 結局ふたりは解りあえていたんだろうか、とか 感じていたことがあって…

『不滅』での 主人公女性の父と母にもおなじようなものを感じたり…

    そのとき、アニェスは父もまた環を締めくくったのだと考えた。 母、結婚を通過して親族から親族へ。 父、結婚を通過して、孤独から孤独へ。


これについてはごく個人的な感想なので措くとしても、 クンデラの語る人間論、 文明論の(かつてあまりよくわからなかった)部分が、 いまのSNSの時代での自我のあり方だとか、 承認欲求のことだとか、 推し活の心理だとか、 同調圧力とか、、 クンデラの時代にはまだインターネットさえ普及していなかった時に書かれた『不滅』を読みながら、 こういうことを意味していたのか… と現代の状況が想起されて納得することばかりなのを、驚きながら読んでいるのです。

 ***


  ・・・さまざまなものはその意味を九〇パーセント失って、すっきり軽くなるだろう。その希薄になった雰囲気のなかで、狂信は消えるだろう。戦争は不可能になるだろう」 …略…

 「祖国のために闘う覚悟をしているフランスの若者たちが想像できるかね? ヨーロッパでは、戦争はもう考えられないものになっている。 政治的にでなく、人類学的に考えられないものに。 ヨーロッパでは、人間はもう戦争をやれなくなっているよ」



 …軽薄さの時代についてある登場人物が語っている部分だけど、 これについては現在、 ある部分で正しいしある部分で正しくなかったと思います。。 たぶんヨーロッパの、 EUやNATOの国々の若者は誰も戦争なんかする気はないはず。。

だけど、、 ヨーロッパと国境を接した某国の指導者の、 狂信的な《不滅》への欲望のためにいまも戦争はつづいている。。 誰もしたくない戦争が。

「不滅」への欲望…  自分の死後も永遠に残る名声、栄光。 歴史上の燦然たる1ページをのこすこと。 


あぁ、、 不滅とはそういうことだったのか… と実感としてこの夏を感じています。。 そして、 もっと狭い意味での不滅への欲望、、 ひとを巻き込む殺傷とか、 ひとに知らしめるためのSNS上の暴力とか、、 自らの不滅を希う欲望。。 この国ばかりでなく、 同じような不滅をねがう欲望が世界じゅうに…


 ***


『不滅』の内容はもうずいぶんと忘れてしまっているので、 このあと後半部分を読んでいって 感想がどのように変化していくかはわからないのですけど、、 病の晩年にあって不滅への欲望とは対極にあったように私には見えた 亡き父から、 ふっと手渡されたような、 この夏に手にした『不滅』を


晩夏に向けて読んでいこうとしています。



個の不滅など願うことのない蝉の声…

風のなかに消える蝉の声…



そちらのほうが 永遠を感じるのは 何故…

美しいポートレートと共に読む…:『雨に打たれて』 アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ作品集

2023-07-19 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)

『雨に打たれて』 アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ作品集  酒寄進一・訳 2022年  ‎ 書肆侃侃房


とても想像をかきたてられる本に出会いました。


もともとは、 ドイツ語のミステリ小説などを数多く翻訳している 酒寄進一先生の本を検索していて見つけたのです。 ミステリ小説ではなさそうな…

表紙の写真に一気に引き寄せられてしまいました。 いわばジャケ買いです。。 美しい人… アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ作品集とあります、、 誰なんだろう… 

本の紹介、 著者のことについては 出版者のページにリンクしておきます>> 書肆侃侃房『雨に打たれて』


第二次大戦前の1930年代、 中近東を旅したアンネマリー・シュヴァルツェンバッハの短篇集。 小説、ということになっていますが おそらく彼女が旅で出会った出来事や人物、事物にもとづいた旅のスケッチのようでもあり、 旅で出会った異色の人々を素材にした短篇など。。 

アラビアへの船旅での船長との一夜や、 トルコ~シリアの列車内で出会ったパスポートを持たない少年や、 砂漠の遺跡を調査する旅で、死にかけている若いフランス軍少尉を救出する話や、、 短いながらもドラマチックな旅の一場面が切り取られます。 その背景に見えてくる当時のヨーロッパの様子やナチスの影、、 文章も簡潔で、フォトグラファーらしい場面の切り取り方も鮮やか、 鋭い観察眼を感じさせます。

私がまず最初に表紙に魅せられたように、 アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ(Annemarie Schwarzenbach)で検索して見られる彼女のポートレートにはおそらく誰もが惹きつけられてしまうでしょう。 男性的な衣装に身を包んだ凛々しい美貌には男性も女性も魅せられたようです。 同性愛者だったそうですが、 フランス人外交官の(彼自身も同性愛者の)男性と結婚していたのは 自由に各国間を行き来できる外交官パスポートのためだったと。。(夫クロードとは良い友人関係であった、と)

アンネマリーのwiki を読むと、 若き日にベルリンでトーマス・マンの子姉弟と出会い作家を志すようになったことや、 奔放な生活と薬物中毒、 ナチスの台頭によってベルリンを去り、 ナチスの信奉者だった両親との断絶、 さまざまな女性たちとの関係やうつ病、 など 激しい生き様が読みとれるのですが、 『雨に打たれて』の文章からはそのような激情や混乱は見出せません。 むしろこの世界(とヨーロッパ)がいまどういう方向へ動いているか、 そのなかで人々(と自分)がどう生きようとしているか、を見極めている冷静さがうかがえます。

この時代のアラブやアフリカの砂漠を旅した人には、 『イギリス人の患者』のモデルになったハンガリーのアルマシー伯爵や、 『アラビアのロレンス』なども想い出されます。 やはり両者とも考古学者として砂漠を旅していました。 その近い時代に、 アンネマリーも考古学の調査隊に混じってベドウィン族の砂漠などをめぐっていて、 こんな凛々しく博士号も持つかたとは言え、この時代に女性が砂漠を軍人らと旅するのはどんなかと…) そんな歴史上のいろいろも想像されます。 

時代は違いますが、 やはり旅の文学をのこしたブルース・チャトウィン、、 彼も誰の目からも魅力的な人で 出会った人からとっておきの話を引き出してしまう才があったと言われていますね。 アンネマリーもチャトウィンのように、自身の魅力をよくわかっていたのでは? 船旅で船長からの誘いをうまくあしらう様子などを自分自身で描いてしまうところなどは(小説という形ではあるけれども) 作家・フォトグラファーとして彼女自身の魅力をうまく武器にしていたのではないかなと… もちろんそれが出来てしまう才能を持っていたのでしょう。

34歳で事故死してしまったアンネマリーですが、 夫となったクロードは外交官として生きつつのちに作家としても小説も出しているようですし、 共に旅もした女性エラ・マイヤールはスイスの思想家・冒険写真家として晩年まで数多くの著書があるそうです。 アンネマリーもその後の人生を生きていたらどのような著作や写真をのこしただろう… と早世が悔やまれます。 

『雨に打たれて』 一篇、一篇が 遠い時代、遠い世界と、 今のヨーロッパ、中東、ロシア、、 時代をつないで想いを馳せる余韻を残してくれますし、 アンネマリーの現在残っている写真作品や他の小説にもとても興味がわきました。 日本で出版されると良いな… 

Annemarie Schwarzenbach 英文wiki>>

Achille-Claude Clarac(夫クロード・クララック)>>

エラ・マイヤールの本 『いとしのエラ―エラ・マイヤールに捧げる挽歌』>>Amazon

ミラン・クンデラさん 

2023-07-13 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
猛暑がつづいていますね。。 

きょうは32度という予報が (ちょっと涼しい…) というおかしな感覚に陥っています。 大雨も心配、、 竜巻みたいな突風も心配、、 もうかつての日本の気候じゃないみたいな毎日。 冷房に頼りたくはないけれど 使わないわけにはいかないし… 体温コントロールがおかしくなりそうなので 無理せず体調ケアのストレッチだけは欠かさず。。

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つい先月 コーマック・マッカーシーが亡くなった時に 同時代の作家(>>)、ということで話題にしたミラン・クンデラさん、 どうしているだろう… と書いた矢先、 94歳でご逝去されました。 

明らかに偉大な作家でありながらノーベル文学賞を取らなかった作家は何人もいますが、 クンデラもたしかにそのひとりと思います。



『集英社ギャラリー 世界の文学 (12) ドイツ3 中欧・東欧・イタリア』 1989年
『不滅』菅野昭正訳 集英社 1992年

世界の文学の帯に 映画「存在の耐えられない軽さ」の写真が使われてますが 日本では映画が先で88年の公開、 千野栄一訳の本邦初訳がこの『世界の文学』 に収載されて、 「存在の耐えられない軽さ」は当初この本でしか読むことはできませんでした。

OLのお給料で一人暮らしをしていた私にはこの本を買うのはなかなか難しくって、 山本容子さんの美しい表紙にあこがれつつ、、 ちょっと経ってから古本屋さんの店頭でみつけて(それでも高かった)やっと手に入れたのでした。 でも、 重くて寝転がって読めるような本ではないし、 『存在の…』も映画のように2時間ほどで読みこなせるような作品ではなく、 哲学的思索や時代の考察を積み重ねながらトマーシュとテレーザの愛の物語がすすんでいく、、 なんども中断を繰り返しながら クンデラの読書はまさに「永劫回帰」なのでした。

『不滅』Immortality は88年に書かれたけれども 本国チェコでは出版されず 90年にフランス語訳のものがフランスで出版されたのが最初なのですね。 この菅野昭正訳もフランス語版からの翻訳です。 だとすると92年邦訳出版というのはとても早かったのがわかります。 クンデラが当時いかに重要な作家さんだったかがわかります。 この『不滅』でノーベル文学賞を取っても良かったのかも… 

『不滅』も何度もなんども挫折をくりかえしながら読んだ本です。 日常の出来事を描いていながら その背後の世界と歴史を同時に読み込んでいく。。 素晴らしい作品、とわかっているのにじっくりと考えつつ読まなければ解らないのでとにかく時間がかかって それで他の本に手を出してしまう。。 クンデラの読書にはのめり込める時間が必要。。

ほかにもいくつか読みました。 『笑いと忘却の書』『微笑を誘う愛の物語』、、 いまは文庫になって読めるのは良いことです。 亡命後の20年後を書いた『無知』がもっとも最近、というか最後に読んだ小説なのかな、、 『無知』の読後感はなんだか悲しかったです。 国を追われる、 国を捨てざるを得ない、という決断をしてまで守ろうとしたものが 世界の流れのなかでいかに脆く儚いか、、

クンデラのこれらの著作から30年、40年、、 ヨーロッパの地図が変わり、 西欧・東欧の境界も変わり、、 『世界の文学』では中欧・東欧に分類されていたこれらの国々の文学、、 いま、 ヨーロッパからロシアに至る世界がこのようになっている今、 あらためてゆっくりとクンデラが築いてきた文学を読んだら 昔よりももっとよく理解することができるように思います。

クンデラをじっくり読む時間を また持ちたいと思っています。


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そういえば…
ポーランドも、、 かつて東側といわれた国でした。。 そのポーランドのウルバンスキさん指揮 PMFのオープニングコンサートは無事に終わったようです。 北海道、、 いいなぁ、、
本気で北海道まで行こうかと 飛行機代やホテル代やら計算しかけてやっぱりムリと諦めました… 笑

今度の三連休にもPMFのコンサートあるのですよね、、 すばらしい夏になりますように。。


わたしの三連休も音楽の夏のひとときを…  



猛暑に負けませんように…

人生を振り返るくそオヤジの物語二篇:『ピエールとクロエ』アンナ・ガヴァルダ/『スウェーディッシュ・ブーツ』ヘニング・マンケル

2023-06-27 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
タイトルにひどい言葉を使ってゴメンなさい。。 でも本の中で実際に登場人物がそう言っているのでそのまま使わせていただきました、、笑) どちらも数カ月前に読んだ本なのですが、 時間が経ってからもなんだか忘れられない。。 くそオヤジと言うか くそジジィと言うか、、 その語り口と人生のこと。。

・・・自分が父親を早く亡くしたせいか、 自分が大人になってから、 ひとりの大人同士として父親と人生を語りあったという経験がありません。 父親の口から 自分の過去を打ち明ける、、 知らなかった人生の一面をかいま見る、、 そのような経験が実際にある人はたくさんいるのかしら… 一緒に暮してきた親子でも(実の親子なら尚更)あらためて人生を語る、 なんてなかなかしないのかもしれませんね。。 

でも 老人になった父を知らないからかな、 しみじみそんな話をしてみたかったな… なんて思うことも…。

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『ピエールとクロエ』アンナ・ガヴァルダ著  飛幡祐規・訳 新潮社 2003年


『ピエールとクロエ』はフランスの話。 
ある日とつぜん 夫が自分と子供を捨てて別の女のもとへ奔り 置き去りにされたクロエ。 物語は唐突な展開ではじまります。 クロエは夫の実家に来ている模様、、 夫に出ていかれて行方を知ろうと訪ねて来たのか、 それとも茫然自失して頼る所がなくて来たのか、 それはわからないけれど そのクロエに対し、 夫の父親であるピエールは、 クロエと幼い娘たちを今すぐ田舎の別荘へ連れて行くと言う。

、、どうやら田舎ののどかな場所でクロエの気持ちをなだめよう というつもりらしいのだが、この展開にまず私は吃驚。。 しかも行くのはピエールだけでその妻は行かないみたい。。 舅とクロエと孫娘ふたり、、いきなり車に乗せて、もう夜だというのに3時間ほど離れた別荘へ連れて行きます。。
何? この舅、 もしかしてクロエに気があるとか? おばあちゃんが一緒じゃないって何の為? 強引な展開にわたしはヘンな風に考えてしまいました、、

が、、 そんな話ではなく、 ここからクロエと堅物の舅ピエールとの ぎこちないながら時にホロっとくる長い長い語り合いが始まるのです。。 まずは冷え切った別荘の暖炉に薪を入れて…

フランスの小説らしく ふたりの会話だけで見事に読ませてくれます。 こんなふうにフランスの人たちは互いに心のうちを語り合うのでしょうか。。 義父と息子の妻、、 普通なら他人行儀になりそうだけれど、 舅をピエールと呼べるのも日本人の私にはなんだか眩しい。。

素敵なのは、 失意の底にある今のクロエが 自分の日頃の想いや舅への感情を素直にピエールにぶつけるさま。 ウィットもあり、可愛さもあり、 こんな女性を捨てるなんて。。 
ある程度上流の 模範的父親像として振舞って来たピエールが、 どんなふうに堅物のくそオヤジなのかをクロエが言ってのけても 二人の会話が全然醜くない。 きっとピエールはこんなクロエが可愛くてたまらないのだろうな…

コチコチの体裁ばかりにとらわれた人間だとクロエに思われているピエールは、 やがて自分の過去の愛を語り始める。。 


、、後はよしておきます。 ピエールの打ち明け話が、 ただ本当の自分をわかってもらいたいだけの押し付けがましい昔語りなのか、 この会話で果してクロエの悲しみの感情が癒されていくことになるのか、、 感じ方はいろいろかもしれません。 心温まる結末、というのでもないし…  でもそこが良い。。 

作者のアンナ・ガヴァルダさんのデビュー作、 短篇集『泣きたい気分』も読んでみました。みじかい描写や会話でハッとするような展開の物語を創造するのがとても上手な作家さん。 短篇集のほうは、 日常のさまざまな境遇のひとが、 いろんな意味で(嬉しい、悲しい、おどろき、絶望…etc)、 もう泣きたい!! という瞬間に至る物語をあつめたもので、 誰もが楽しめる小説だと思います。

でも、 じっくりと、 そうかなぁとか そうじゃないとか そうかも…とか いろいろ感じながら読み進める長編小説を、 ぜひまた読んでみたいなぁ。。 『ピエールとクロエ』はもう20年も前の出版ですがフランスでベストセラー作家だというアンナ・ガヴァルダさん。 他にも作品がきっとあるはず。

『ピエールとクロエ』、 読み終えてあとからじわじわくる良い小説だと思います。 

ちなみに映画化もされているようです。
Je l'aimais (imdb)


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『スウェーディッシュ・ブーツ』 ヘニング・マンケル著  柳沢由実子・訳 東京創元社 2023年


こちらは今年の4月に日本で翻訳出版されたばかりの本です。
刑事ヴァランダーシリーズを書いた、ヘニング・マンケルさんの最後の小説。

この物語は前作『イタリアン・シューズ』の続編ということになっており、 『イタリアン・シューズ』はミステリ小説ではなく 初老の孤独な男の人生再生の物語でした。 とてもユニークな物語でしたが 続編ということなら登場人物も舞台も固定されてしまうので、 一体あの続きがどう描かれるのかなんだか想像できなかったのですが、 今作の『スウェーディッシュ・ブーツ』には住宅放火というミステリ要素も加わって新たな作品としての味わいがありました。

、、ん~~ でも、 この小説は ヘニング・マンケルさん自身も人生の終末を覚悟して書かれただろうということを どうしても意識せずには読めませんでした。 その意味もあって、 私には『イタリアン・シューズ』と、ヴァランダーシリーズの最後の『苦悩する男』と、 この『スウェーディッシュ・ブーツ』の3作品はどうしてもばらばらに考えることは出来ないのです。。

『苦悩する男』のときに書きましたが(読書記>>)、 孤独な男の老後というテーマで 先に『イタリアン・シューズ』を書いてしまったが為に、 ヴァランダーの結末はそれとは違ってあのようにせざるを得なかったんだろう…と思いましたが、、 そのうえに今度はヘニング・マンケルさん自身が病に冒されて ご自分の終末というものと向き合わなければならなかった時に、 この『スウェーディッシュ・ブーツ』をどう書くか… きっとすごくすごくお考えになって、 きっとものすごくいろんな想いを込めてこの作品を書かれたのだろうと、、 そう思わずにはいられません。。

だけど… そんな私の想像をよそに
この物語の主人公は、 やっぱり、というか見事なまでにやっぱりダメな《くそオヤジ》なのでした。。 はい、実にもう。。

前作のときに書いたのをそのまま引用します… 「実に 身勝手で、 ダメで、 弱くて、 でも強がりで、、 孤独を選んだくせに 心の中には消すことの出来ない何か 悔いや おさまりのつかない抗いや… 云々」 ぜんぜん変わっていません。。

スウェーデンの群島の小さな島に独り暮らす70歳の男、、 真夜中のとつぜんの火災で焼け出され  所持品の一切を失ったうえに 自宅を自分で放火した疑いもかけられる。 前作よりさらに意固地さや偏屈さも増した気がする。。 そして、 不審火のニュースを取材に来た女性ジャーナリストに対しては いきなり老人の思慕が暴走…

、、最後の作品になるかも知れないとわかっていても美談などにしない、 人間の弱さ身勝手さどうしようもなさと向き合って、 とてもではないけど感情移入は出来ないよ、という困ったジジイを書ききったヘニング・マンケルさんは偉いと思います。。 そして そこかしこで語られるこの男の思い出話は、 おそらくマンケルさん自身の思い出と重なっていて、 それが人生の置手紙のようにたくさん散りばめられている。

ヴァランダーシリーズでずっと取り上げてきた社会問題や 世界の貧困や格差の問題なども、 書かずにはいられなかったんだな…と感じられ、、 小説の仕上がりという意味では少し詰め込み過ぎな感じもあるかもしれません。 でもひとりの男の人生ですもの、、 こんなもんじゃない様々が書ききれないほどあるはずですよね。。

放火犯人のミステリは… あれは何故だったんだろう、、 と 人間というものの不可解さとして残ります…  とてもヘニング・マンケルさんらしい作品だったと思います。 やはり書ききれなかったヴァランダーのもうひとつの老後、、という感じもするかな…


タイトルのスウェーディッシュブーツ、、 主人公がこだわったトレトン社製のゴム長靴というのも検索してみました。 ほんとうに丈夫そうで、 北欧らしくシンプルでもどこかしらおしゃれ。 永遠に受け継がれる名品、なのでしょうね。。

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このところよく聞く言葉で タイムパフォーマンス、 略してタイパ。 いかに効率良く、 短い時間で効果や結果を手にするか。。 今はそういう時代。

そんな時代には読書などというのは最も不効率なものかもしれません。 何時間も読んでみなければどんな本かもわからない。 読み終えてみなければそれが自分の心にどう響くかもわからない。。


きょうの2冊はタイパの意味では 効果や結果につながるような物語じゃないかもしれません。 だから忙しいひとにはそんなにオススメできないかも、、。



ピエールの言葉…

  私はね、 自分にこの『間違う権利』を許さなかったんだ……。





ふと立ち止まってみることが



人生をふりかえることが



できるようになったら




くそオヤジにも微笑んでみては…。。