goo blog サービス終了のお知らせ 

星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

健一さんから正子さん、、

2025-04-21 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前回の 夜明けのお星さまが何か教えてくれていたかのように… 

いろんなことが つながって つながって… とっても今 面白いのです。。

 ***

吉田健一さんが 吉田茂首相の息子だと知ってびっくりした、、と先日書きましたが… 年譜を見ていて、 健一さんのご結婚の媒酌人が 野上豊一郎&弥生子夫妻だったとのことで (英文学つながりか、お能つながり・・?)   

健一さんの随筆には、 外国や英文学のことと共に 日本の古典や漢詩や、お能の筋書きのことや、 当時の帰国子女であられるのに日本文化にもとても詳しくて、、 昔のかたはさぞ勉強なさったのだろう… と思い

並行して内田百閒先生の戦後の随筆も読んでいたのですけど、、 そしたら (あら?)と 破顔してしまうような愉しいつながりも見つけて… (それはいずれ書くかもしれませんが…)

そのあと 久しぶりに白洲正子さんの随筆を読みたくなって、、(お能や古典のことも想い出したので) それで、アンソロジーのような文庫が出ていたのでそちらを読んでいたら、、 白洲さんが河上徹太郎のことを兄さんのように慕って書いていらっしゃる。。 河上徹太郎と言えば 吉田健一の読書でつい先日 健一さんが英国から帰って弟子入りのように教えを請うたとの経緯を読んだばかり。。 てことは、 白洲正子さんと吉田健一さんもつながるの…?

白洲正子さんと言えば 同時に浮かぶのが夫君ですよね。。 あの有名な白洲次郎さん、、(あの)と、つい付けたくなるのは その端正な風貌、 スポーツカーと白いTシャツとジーンズ、 そしてGHQに対峙した恐れぬ日本人、、などなどの有りあまる尊崇のかずかず…。 私もそんな表面的な部分しか知らないので、 特に触れまいと思ってきましたが… (白洲次郎は吉田茂の側近中の側近だったでしょ?) と家族に言われ、、 とつぜん吉田健一さんとの繋がりに興味が湧いてしまいました。。

白洲正子さんはお酒や食も好んだかたでしたしね。。 白洲次郎さんは英国紳士風にスコッチウィスキーを嗜まれたようで、 吉田健一の短編に出てくる「百鬼」を見るような泥酔なぞは決してなさらなかっただろうと想像しますが、、 
白洲正子さんの随筆に名前のみられる河上徹太郎も 小林秀雄も、 お酒抜きには語れないような人たちのようですし…


(小声で)個人的には、、 昭和の文壇とお酒と女性関係、、というものごとと その方たちの書いた作品のことを一緒くたにして語るのが大キライだったので、 文壇バーの裏話みたいなものには興味を持たなかったのです。 けど、、 白洲正子さんの書かれたものならば、、

というわけで

これから読みたい本が つながって つながって、 いっぱい増えてしまいました。 嬉しいことです。。 それとともに また古代文学やお仏像や いずれはお能のことも、 もっとよく知りたいなと思うのです。



『精選女性随筆集 白洲正子』 文春文庫


 ***


すっかり初夏の陽気になってきましたね



君を夏の日に喩えん…  の眩しい季節がやってきます


夜の陰翳…

2025-04-17 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
一昨日の朝 4時くらいにいちど目が覚めて、 カーテンの透き間がもう明るんでいたので 夜明けが早くなったことにおどろいてそっと外を覗くと…

東の空にとっても綺麗な星が瞬いていました。

金星…? と思ったけど、 あまりにもきらきらと、 ほんとうに星が何か言っているみたいにふるえながら瞬いているので、 人工衛星? 宇宙船…? なんて思いながら しばらくじっと見つめてしまいました。

ジグザグに飛んで消えて…は行かなかったです 笑

 ***

先月、 古い本からの引用をしました。。 「蔭が何か言い始めるという風な…」と… (>>

あの本は 吉田健一の1971年出版の『瓦礫の中』という小説からの引用でした。
本の内容についてはまた改めて書こうと思っていますが、、 とても興味深く面白く読み終えました… が、 私の乏しい理解力と表現力では、 「その蔭が何か言い始めるという風な感じがする」女の人のことをひと言で説明できるほどには解りませんでした…

そのあと、 何冊かの吉田健一の随筆や小説を手にとり、 独特の 指示語ばかりが並ぶ息の長い文章にも慣れましたけれど、、 慣れたとはいえ難物です。。

さきほどの 「蔭が何か言い始める…」を読み解く助けにもなるかも… と私が思った箇所を、 別の本『言葉というもの』という随想集の中から引用してみます。 吉田健一の文の特徴も少しわかると思います…

 (略)…林檎を赤いと見るのはそこにあるものをあるとするだけのことでそれならば林檎とその林檎が載っている皿の区別も付かず、その影に意識が及ぶことで始めてそれがその林檎という何かになった。・・・略・・・
 それは世界を初めから見直すことでもある。その世界が地球である時にその影は夜であって我々は夜を昼間よりも陰翳に富むものとして愛した。それは陰翳というのが分析に際限なく堪えるものだからで白昼の光はそれに乏しくも夜はこと毎に人間に眼で確かめることを許す。…略  「素朴に就て」


、、「それ」「その」「それを」「そこに」、、という指示語がひじょうに多いのがこのかたの最大の特徴で、 それが示すものがひとつの文とか前の文では収まらずにずーーっと関係していくこともあって、、

上記の引用でも 林檎の「影」に気づくことによって林檎というものが確かになる…という感じはまだ分かると思うのですけど、 夜は昼よりも「陰翳」に富むから「眼で確かめることを許す」って、、 昼のほうが明るくて眼で見やすくない? 夜の陰翳を眼で確かめるって…??

、、なんだか逆説のように感じられます。。 この文章は「素朴に就て」語っている章なのですが、 「影」や「陰翳」を「分析」する態度と 「素朴」がいったいどう繋がるんだろう… と、、 話は詩から小説、 日本とヨーロッパの近代、 ひとの人生や時間、と繰り広げられます。「素朴」について…? ・・・やがて認識は引っくり返されていく感じです… ちゃんと理解できたとは言えないんですけど。。

 ***

話を 「その蔭が何か言い始めるという風な感じがする」女性のことに戻して…

さきほど挙げた引用の中にも 「夜を昼間よりも陰翳に富むものとして愛した」とありますし、、 ともかく 小説のその女性のことをとても愛している、ということだけは良くわかりました。 そして、 たぶんこの女性は 「素朴」でもあるのだと、 そんな風にも読めました。






一昨日の明星…

今朝も5時少し前に目覚めたので、 急いで窓辺をのぞいて見てみたのですけど、、 その時間にはもう空はすっかり白んでしまって 星はどこにも見つけられませんでした。

やはり 陰翳があってこそかがやくものが見えるのですね…



健一さんの御本はあたまがウニになるのでおやすみして…


愉しい週末にしましょう…☆彡

戦後80年の今年読んでいる本②:『酒宴/残光 吉田健一短篇小説集成』

2025-04-09 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
今年の初め、、 第二次大戦が始まる頃の 野上弥生子の渡欧記『欧米の旅』や、 パリにいた藤田嗣治が帰国して従軍画家となり戦地へ赴くという日記などを読んでいた時期に、 これから書く作者の本を見つけました。

私は 不勉強ゆえか、 世間でよく知られている人のことを何も知らなかったり、という事が結構あります。 それで後になって (ええーー⁉)と驚いたりするのですが・・・

吉田健一、という方は 私は仏文学者? としか思っておりませんでした。。 このブログにも以前に ジュール・ラフォルグの『ラフォルグ抄』の詩を紹介したことがあります(>>) 詩の翻訳をなさるのはふつう 大学の外国語の先生でしょうし、だいたい吉田健一という人の経歴も何も知りませんでした。。 その方が、どうやら小説も書かれていたと分り、 あの憂愁をうたう象徴派詩人ラフォルグのような感じかな… と短篇集を読んでみました。

その中に、 戦後の焼け野原が舞台の「百鬼の会」という短篇がありました。

 麹町の曽ての住宅地は今でも焼け野原になったままの所の方が多いが…

とはじまります。。 先に書いたように大戦前夜の文学を読んでいた時期でもあったのでその関心のまま読み進めました。。 麹町の焼け跡にぽつぽつと家が建ち始め、、 占領期なのでしょうか、、 「表札が外国人の名前なのが珍しくないのは…」とのあり、、 主人公はその麹町の家に住む英国人だかアメリカ人かもしれない「スミス君」の家の「カクテル・パーティー」に呼ばれます。

焼け野原とカクテル・パーティー、という対比にも面食らったのですが、、 主人公とスミス君はそのパーティーの後、さらに飲み直そうと 電車通りまで歩けば「円タク」が拾えるだろうと

 …我々はその積りで焼け野原に出た。空襲の後の焼け野原と言えば、古戦場のようなものである。少くとも、兵火に見舞われた跡であって、その中を夜歩いても別に何も感じないというのは、考えてみれば不思議なことである。必ずしも、人が死んだからというのではない。麹町のような大きな屋敷が並んでいた所は、その持主は逸早く疎開していて、留守番を頼まれたものも、そういう家の留守番をすることになった事情は解っていたのだから、いつでも逃げられる支度をしていたのに違いなくて、その辺りは誰も死にはしなかったかも知れない。…略

、、このくだりを読んだ私は衝撃を受けました。 書いてある内容(焼け野原のなかでパーティーをして大騒ぎをしたり…)も、ですが この飄々とした語り口も驚きでした。。 この人、なぜこんな風に空襲や焼け跡を書けるのだろう・・・

今年3月、 東京大空襲から80年ということもあり、 新聞やTVでは 二度と戦争を繰り返さない為に、と戦争の体験談などがしばしば語られていました。 そのさなかに私がこの作品を読んでしまったせいもあり、、 (いったいこの吉田健一という人は…)と、経歴をウィキで見て、さらに驚くことになったのでした。

 ***

外国文学の先生、としか思っていなかった吉田健一は、 戦後の日本を背負った総理大臣、吉田茂の息子さん。 戦前は吉田茂は外交官で海外におり、そのため母方の祖父の家で育つ。 その祖父という方はなんと大久保利通の息子で 戦前から大戦期までの外交や政府にとって非常に大きな任にあたっていた牧野伸顕というお方なのだと… 

吉田茂首相とお顔がまったく似ていない事にも驚きましたし、、 ご一族の役割のすごさの一方で、幻想や死や耽美の詩の訳者という まったく政治や軍事から遠い世界に浸っていらした吉田健一という人にあらためて驚きと関心をいだきました。

、、先ほど引用した部分を読んで私は ある意味 目から鱗でした…

大空襲でも死なない人はいるのだ… お屋敷に住んでいたお金持ちはすぐに疎開できて、家など焼けてもまた新しく家を建てれば暮らせるのだ… 戦争になっても困らない人というものがいるのだ…

そういう私の読み方は 半分は正しかったかもしれませんが、 吉田健一のこの短篇集を読んでいくうちに、 半分は間違っていたのだと… あとで分かる事になります。


 ***


短篇集のなかの「残光」という作品では 「三平爺さん」との思い出や三平爺さんから聞いた話などが書かれていますが、 その「三平爺さん」のモデルは祖父、牧野伸顕氏のことのようです。 「百鬼の会」と同様の飄々とした語り口で、 三平爺さんが海外での外交の場でしていたこと、、 ほんとうかどうかよくわからないような 機密や諜報にも関係しそうなこと、、

読んでいくうちに、 この半分ふざけたような語り口は、 大戦前夜から戦争へと突き進んでしまった余りにも異常でシリアスな局面の当事者であった身内に対して、 このようにしか書くことが出来ないのだ、と気づかされていきました。 そんな書きぶりでも 三平爺さんの人柄やどのような思想を持っていたのかということは伝わってきました。

2月に『真珠湾の冬』という小説のことを書きましたが(>>)、 その中に戦争回避へ動こうと努力したコスモポリタンで平和主義者の外交官のことが出てきます。 おそらく牧野伸顕という方もそのような一人だったのでしょう。 軍部の意にそぐわなかったためか何度も暗殺の危険にも遭ったのだと…


 ***


吉田健一氏の本は、 短篇集以外にも 英国や英文学についての評論などもありますが、 もっともよく知られているのは美食とお酒にまつわる本のようです。 全然知りませんでした…(笑) すごくたくさん出版されています。 今で言うなら 呑み鉄とか グルメ旅、という感じでしょうか。。

大変な上流家系に生まれた文化人の 軽妙な食や酒肴のエッセイ・・・ そのように読むことも可能だと思いますが、、 戦前~大戦~終戦~復興 という日本の歩みを、 政治・外交の内側からと、外国の文化や文学という外側からとの、 両方の眼を持つ吉田健一という人が、日本をどのように見つめてきたか… そこを読みとってみたいと読書をつづけています。 読むほどに ふたたび驚かされたり 唸らされたり… しています、、


このつづきは またいずれ…




『葡萄酒の色』は吉田健一の翻訳詩集。 ほんとうはとてもロマンチストなのだと思います… ☽

キミのよろこびはワタシのしあわせ…

2024-12-26 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
・・・ 年末のお掃除、 水回り終了~。。

ひとやすみ… 今日はここまで。 無理しない… 疲れを残すとかならず後でダウンするから・・・

 ***




エコール・ド・パリの時代の藤田嗣治のエッセイを読んでいます。 大正2年、 27歳でフジタはパリに渡ります。 翌年、 第一次世界大戦が始まりますが 帰国せずに絵を描きつづけて、、 その頃の思い出…

このころのフジタの文章はとても饒舌で 立て板に水の如く言葉があふれ出ているようです。 アーティストらしく 自己演出にも長けた人なのでしょう、、 パリの思い出は苦労話も 女性の話も どこか短篇小説のような演出というか、 盛ってあるような語りに思えます、、 読んでいてそれが楽しいのですけど…笑
 
「春の女」というエッセイから…

  ベルリン生れのこの娘は、巴里を憧れて、自転車で北から南へと、野に寝、山に宿って只白い路をフラリフラリと何日も何日も小鳥の様に、子羊の様に、春の野を、春の畑を、花の香を吸い、空の雲を追って巴里のカッフェに飄然と現れたのであった。・・略・・
   (『腕一本 巴里の横顔』藤田嗣治 講談社文芸文庫)


自転車ひとつでドイツから旅して来たこの娘は すぐにカフェで評判になり、 つぎつぎに画家たちのモデルとなって 「秋のサロンを占領してしまった」とあります。

今から百年余り昔に 自転車と身ひとつで欧州を縦断して女の子がパリにやってくるなんて…(年は21歳と…) ほんとうにそんな子がいたのかしら・・・

以前に読んだアンネマリー・シュヴァルツェンバッハの本の肖像が ちょっと頭を掠めました。。 でも時代も年齢もちがいます、 ベルリンでの生活や自転車で事故死したというアンネマリーの記述に ただ連想してしまっただけで…

フジタの語るベルリンから来た娘が、 サロン出品のたくさんの絵にどう描かれたのか、 名前もなく記述もなく 誰の絵ともわかりません。 本当にそんな娘がいたのかさえも… でもフジタの「春の女」は まるで短篇小説のように美しく儚いエッセイでした。 フジタは乳白色の女性の絵を描くとおなじ気持ちでエッセイも書いたのでしょう…

 ***

このエッセイを読んで、 この小鳥のような春の娘がすこし羨ましく思えました。。 こんな風に身ひとつで生きて旅して 身ひとつの糧を得ていけることに…。 たとえどんな若さに戻れたとしても、 そこらじゅう手術の痕だらけの身では画家のモデルにはなれませんもの、、笑

身ひとつを頼りに、 まさに微動もしないまま数世紀のちの世にまで残る芸術作品になれるなんて、 それはなんとすばらしい才能であり 羨ましいひとつの生き方かと… そんな百年前の巴里の女性たちを、 フジタは言葉でもみずみずしく残してくれています。。


同じ本の 華やいだ巴里の記述のすこし後には、、 帰国した藤田嗣治が帝国海軍委嘱の戦争画家となる従軍記に変わるのです。。 が、それは今日は止します 気持ちが乱れてしまいますから…

 ***

今年のブログは 年内これでラストになると思います。 このあとの年末年始の日々は、 無理せず 楽しく(←ラクとも読めます) 

私と私の周囲のみんなが 心地良く愉しく、 それだけを願ってはたらきます。。

以前、、 パリの読書記で 「どう? 君の幸せが見つかった?」 という言葉を引用しましたね(>>) あの言葉をこのところよく思い出すのです 日々の暮らしのなかで…。 美味しいチョコをみつけた、、 ひさしぶりの友からの連絡が元気そうだった、、 頭痛のない日々が一カ月以上つづいている、、 新年の予報までずーっと晴れ、、 家族の誰も風邪ひかない、、

「どう? 君の幸せが見つかった?」



あなたが愉しそうにしてること、、



君の歓びは わたしの幸せ





どうぞ素敵な日々を… 

百年前の「ファッション・ショオ」

2024-12-12 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先月書きました 昭和初期の日本の文学についての読書のつづき・・・

仏文学の翻訳者そして詩人として有名な 堀口大學さんが昭和10年に出版した第一随筆集『季節と詩心』が、 講談社文芸文庫にあるのを知り、 まさに戦間期の欧州と日本の両方を知る最適の文学者と思い、早速読むことにしました。

エリュアアル(と大學さんは書いてる)や、 ヴァレリイや、 コクトオや、 マダム・コレットの同時代、、 でも今日は文学の話ではなくて、 この『季節と詩心』という本の冒頭に、 堀口大學さんの1933年(昭和8年)3月16日の「日記」が載っていて…

  目がさめると雨の音。春雨らしく、しっとりしたひびき。・・略・・
  三越の洋書部へ電話でエリュアアルの詩集”LA VIE IMMEDIATE” を頼む。・・略・・


このあと午後の記述になり、、 「朝日講堂のファッション・ショオを観に行く。満場立錐の余地なし…」

そのあとは 紀伊国屋書店で洋画展を見て、 松坂屋で舞台芸術展を見て、 銀座の街で永井荷風先生に出くわして 一緒に珈琲を飲み、 先生と別れてさらに夜は 日比谷公会堂の雅楽演奏会へ、、 など 忙しい一日の「日記」が記録されています。。

ファッションショーに美術展に演奏会に、、 昭和8年の銀座・丸の内界隈はこんなにも華やかに様々な催しがあって人々が繰り出していたのね… と少しおどろきました。

、、先月の室生犀星の昭和10年の記述(>>) 「今のようにトゲトゲしい時勢」…というのに較べると この堀口大學の日記は2年前なのだけれど、 とても華やいで穏やかそうにみえる、、 でも昭和8年のできごとをウィキで見れば、、 1月、2月には大学教授や教員が検挙され、 小林多喜二が獄中で殺されている。 そして3月には M8.1の昭和三陸地震があって、 それは上記の日記の2週間前の事、、

そういう諸々を考えると 人の暮らしも世界も、、 一面では決してわからないもの、、 ひといろではないことを痛感します・・・

 ***

上記の日記の 昭和8年の「ファッション・ショオ」 いったいどんな感じだったのかしら… と、いちおう動画で検索してみたのですが やっぱり日本のものでは残っていないようでした。

でも、 1920年代や 1930年代のファッションショーの映像は youtube にも載っていて、 あの鐘のような形をした女性の帽子や、 ストンとした形のワンピースなど、 映画のなかでしか見たことのない20年代のお洋服を着たモデルさん達がランウェイを歩いていました。 20年代にはまだレコードや音響設備は普及していなかったのか、 弦楽の楽隊がランウェイのそばで演奏している様子になるほど~と・・・

堀口大學さんがご覧になった「ファッション・ショオ」では どんな音楽が流れていたのでしょう、、




第一次大戦のことを(とうぜんまだ第二次は始まっていないから…) 堀口さんは「欧州戦争」とお書きになっていますが、、 その欧州戦争が終結したあとに新しい文学や舞台芸術や絵画がうまれ開花して来たようすが この本からも読みとれます。

あの鐘のような形のお帽子とワンピース、、 そっくりそのままの20年代ファッションを一度してみたかったな。。



それで永井荷風先生と珈琲をいただきましょう…
 


読書展望…

2024-11-25 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
おだやかな晴天のつづく東京です。

このような11月、12月の時間が あと5倍くらい長かったらいいのに。。 そうしたら、本もたくさん読めて 美術館へも行って 色づいた樹々のなかをお散歩もして やりたいことがみんな出来るのに。。

今年もあとひと月すこし…だなんて、 短すぎます…

 ***


『深夜の人・結婚者の手記』室生犀星 講談社文芸文庫 2012年

「犀星文学の大正六年から昭和初期までの作品群の中から構成した」(解説)という、詩や随筆、日記、書簡、小説など、、とくに芥川龍之介との交流に関するものが第二章にまとめられている。

犀星さんといえば、『愛の詩集』や『抒情小曲集』など、詩人としての方面しか触れたことがなかったので、 芥川さんとの交流のことも殆ど知らずにいました。 この文庫のように ひとつの時代とテーマに沿って作品がまとめられているものは 当時の事や文壇の変遷のことなど知らない者には有難いです。


 芥川龍之介君が亡くなってから八年経つ、早いものだといいたいが漸と八年しか経っていないのに驚く、もうだいぶ昔のような遠い気持になる。経済界や政界の重要な人物がこの三四年の間に暗殺された数だけでも、十人をかぞえるくらいまでに時勢が変り… (略)
 芥川君の生きていた時分の世は実に太平であった。死んだのは夏ではあったが桜がさいているような平穏な年だった。今のようにトゲトゲしい時勢ならもちろん自殺なぞしなかったであろう、あと一年遅れてもまず止めていたかも知れぬ。…
    「澄江堂忌」室生犀星 『深夜の人・結婚者の手記』所収



芥川の自死は昭和2年。 関東大震災が大正12年。
上記の文中で犀星さんが 「太平」「平穏」とあらわしている昭和2年の時代の様相のことは私には明らかに実感することは出来ないし、「あと一年遅れてもまず…」と室生さんが思われるのが はたしてそうなのかどうなのかというのも何とも言えないけれど…

一昨年あたりから、、芥川さんについて (戦間期のパリにでも行ってしまえば良かったのに…)などと感じた想い(2月の日記>>)は、 あれからもずっと頭のなかに漂っていて、、 今回ふと室生犀星さんのこの文章に出会ったこともあって、、

それでこの「トゲトゲしい時勢」、、大戦へ向かって急速に変化していく時代に書かれたものを もっとなにか読んでみたいと思うようになりました。 関東大震災以後~昭和十年代くらいまでの。。 ほんとうに何も知らないのです、この時代の日本の文学のこと、、

ここ数日 そのことでいろいろ検索したりしていました。 そうしたらいくつか興味深い本が見つかってきました、、 ここ数年なんとなく関心の続いていた戦間期の外国文学にも若干結びついてくれそうな… そんなリストがいくつか、、


 ***

晴れた朝…

外気に冷やされて曇った窓硝子に、朝陽がキラキラと乱反射している。。 そんな時間にいただく熱い珈琲がとりわけ美味しく感じられる季節です。 ほんとうに、 この季節があと5倍、10倍も長くつづいたらいいのに…

そしたらゆっくりと本が読めるのに…。 これからの師走は文字通りいくつかの用事にさいなまれそうで 読書の時間もままなりません。。 でも 気持ちはゆっくり こつこつと… 
これから来年へ向けての読書の展望がみえてきたことを励みに…


できるだけ 元気でいることも大事…



風邪ひかないでいましょうね。

ケアレスパワフル… 『イーサン・フロム』のその後…

2024-10-31 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
10月が終わります… 今日はまぁ なんて良いお天気なんでしょう…!

長いながい夏、がいつまで続くの?と思ったら、 秋雨&台風ですっきりとした秋の青空がちっとも望めない日々… だから漸く、 ほんとにようやく、 今日みたいな秋の日がほんと恋しかったです。。 

秋の日は恋しい… 

 ***

10月のはじめに書いてあった 新訳の『イーサン・フロム』イーディス・ウォートン著(白水Uブックス 宮澤優樹 訳)の事、 すこし書いておきましょう。。 新訳本の感想というより、最初に読んだときに感じていた事、 確かめるというか 考えてみたかった事、、 のその後… (以下、内容にも触れていますので未読の方はご注意ください)

最初に読んだ、95年荒地出版社発行の『イーサン・フローム』のことなど、 過去の日記はこちらに>>

新訳での感想は、、とてもすっきりとストーリーが理解しやすく感じました。 勿論、 二度目に読むわけですから内容を知っているせいもありますが、 登場人物の印象もずいぶん雰囲気が異なると感じました。 イーサンとマティの若い日の物語は まだ二十代という若々しいときめきや恋の熱情を前よりもくっきりと感じさせてくれましたし、
イーサンの妻ジーナの様子などもありありと…。。 彼女の棘のある言葉とか振る舞いが まるでホラーのように迫ってきます。 確かに、怪談なども沢山書いたイーディス・ウォートンなので、 ジーナの存在がホラーみたいな効果を示すのも作者の狙いのひとつかも知れないと思ったり、、

一方、 会話などは(出版された)百年前の日本語ではなく現代語の話し言葉なので 1911年という時代感はほとんど感じられなくなっています。 イーサンが自分のことを(52歳になっている部分でも)〈僕〉と訳してあるのには最初 それはちょっと違うんじゃないかな…と思いましたが、 考えればイーサンの過去、 本来持っている(農夫というよりも)学者的な性質を表現するには〈僕〉も良いかもしれないと思い直して、、 それはこれから書くことにも繋がるのですけど…

 ***

この物語は、 ただラストの〈衝撃的な展開〉へ導くためにこういう構成になっている、 それだけではないと思えて、、 まだ他にも〈語らせていないこと〉が沢山あるようにも思えて…

小説の冒頭は この村に派遣された技術者の語りで始まります。 そこで見かけた52歳のイーサンの印象を技術者は語るのですが、 でもそれは〈現在〉ではなくて〈数年前〉のことなんですよね、、 この物語を技術者が書いている(語っている)のは、 イーサンが馬橇で彼を送り迎えした冬の〈数年後〉なのです。 だから52歳より数年経った今のイーサンがいて、 その家族がいて、 それが〈現在〉で、、 でも技術者はそれは語っていない。。 読者にも知らされない…

その構成についてはひとまず置いて…
荒地出版社の『イーサン・フローム』を読んだときに引用した部分があります。 もう一度載せますと…
 
 鎖に引かれるように一歩ごとにひっかかる足の不自由さにもかかわらず、屈託のない力づよい表情をしていたせいだ。 

あのとき私は、 「屈託のない力づよい」… この部分を手掛かりに… この物語を考えてみようとしました。。 何故かと言うと、 語り手の技術者は このイーサンの表情に引き付けられて彼に興味を持ったのですし、 この表情こそがイーサンという男を表しているからだろうと私も思ったから、です。 だから 新訳の本でもこの部分がどう書かれているのかをとても興味深く思って読みました。 新訳の文章は出版されたばかりなのでここでは載せません。 さらに私は原文がどうなっているのだろう… と興味を持ったのでした、、 (Project Gutenberg を参照しました) 原文では…

 it was the careless powerful look he had, in spite of a lameness checking each step like the jerk of a chain.

え…? とびっくりしました。。 私は英語が堪能なわけではないので、 〈the careless powerful look〉、、 ケアレス? 不注意な…? ケアレスでパワフル…??

何度も辞書を見ながら読み返して、、 結局、 この「ケアレス」を「気にしない、無頓着な」というような意味だと考えました。 引き摺っている不自由な足、 その足の事など全く気にかけていないような、 身体の不自由さを全く気にしていない=無頓着な、 そういうパワフル=生気に満ちた〈顔つき〉。 look はやはり〈表情、顔つき〉だろうと思います。 身体を含めた見た目、外見、ということなら looks になるみたいなので…。 だから此処では、 イーサンの身体の不自由さと それとは裏腹の力づよい表情との〈対比〉に技術者は眼を奪われたのだろうと…。。

だらだら書きましたけれど、 じゃあ そのイーサンの「ケアレスなパワフル」を支えているものって何なのだろう…。 そう考えると、 作者があちらこちらにしのばせた〈学問〉への繋がり、、じゃないかと。。 技術者が置き忘れた科学の雑誌。 イーサンがふと漏らした科学への関心。 家屋の一部を処分しなければならないほど困窮しているにもかかわらず残してあるイーサンの昔の勉強部屋。 もっと深読みすれば、 毎日今でもイーサンは新聞を郵便局まで受取りに来る。 そんなに困窮しても新聞だけは読み続けているイーサンの外部への関心。

ここからは 私の勝手な想像というか 願望…。
この技術者が有能な人物であればきっと、 嵐の夜にイーサンの家(その勉強部屋)に泊めてもらった事でイーサンの能力を知り、 ストライキを続けている労働者などよりイーサンを雇った方が 自分もわざわざこんな村に滞在しなくても済むし、 毎日イーサンに送り迎えしてもらうより イーサンにちょっと指導すれば彼なら仕事が出来るだろう… そう考えるのが当然じゃないかと…。。 あくまで想像(妄想)ですが…

そこに私はこの絶望的な物語のかすかな〈救い〉を見出したいだけで…

時代の変遷や、 都市と村の格差、 広い世界を知る者と閉ざされた知識との差異、、 そういうテーマに敏感だったと思えるイーディス・ウォートンだからこそ、 単に辺境の村に住む貧しい男の悲劇という物語のほかに、 外の世界との接点や新しい時代の兆し、 そんな仄めかしを読み取っても良いのではないか、と…。 それが科学知識への関心とか、 発電所とか、 些末なキーワードに過ぎないけれども…。 こじつけかな…?  

 ***

さらに、 先ほどの「ケアレスパワフル」から、、 イーサンの「プライド」という事を考え直してみました。 この小説には「プライド」という語が何度か出てきました。

若き日のイーサンは、 プライドの使い方というか 示し方というか、 それを間違えてしまっていたと…。 プライドゆえに追加の借金も言い出せず、 プライドが彼をいつも躊躇させた。 52歳のイーサン、、 今もプライドの高い男ではあるだろうけれど、 もうあの生活では見せかけのプライドなど示しようもない。 でも何も投げ出してはいないし、たぶん恥じてもいない。 52歳のイーサンは自分の貧しさを技術者に隠すこともしなかったし、 技術者が雑誌を貸そうか?と聞いた時、 昔のイーサンなら必要ないと言ってしまったかも…。 叶えられなかった過去の学問のことなど技術者に話さなかったかも。。

それらを含めての、、 careless powerful 無頓着な力強さ。 それがイーサンをさらに強く支えている…


ケアレス、 という単語から いろいろと考えさせられました。 よかったです。

 ***

しばらく前からじぶんが願望としてきた 〈ノンシャランな〉老女になりたい…。 それってイーサンの〈ケアレス〉に近いのかも… などと思いました。 気にしない… 頓着しない… でも、 自分なりの美意識や価値観は手放さない… やっぱり そうでありたい。。 やっぱね…


ひとりごとみたいな読書記になってしまいました…

今は、、 ずっしりと重い犯罪小説と(ちょっと内容から逃げ出したくなって)、、〈猫〉の本を読んでいます。。




美しい秋の日、、 雨が近づいているのが心配ですが



素敵な週末&連休をお過ごしください…

言葉の翼がはこんでくれる…:『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』キルメン・ウリベ著

2024-10-01 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
   きらめく飛行機の翼は、まるでトビウオのようだ。
                         (p.98)



『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』キルメン・ウリベ著 金子奈美・訳 白水Uブックス 2020年


夏のあいだに読んでいた本です。 
ことしは何故だか〈飛行機〉のでてくる物語が 私をつぎの読書へとつないでくれているようです。

前回の読書記に書いたカナダの『ノーザン・ライツ』(>>)に出てきた郵便飛行機。 6月に書いた女性飛行家アメリア・イヤハートの『ラスト・フライト』(>>)、 今まで知らなかったアメリアという人へとつないでくれたのは、4月に書いたエルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』(>>)でした。 あぁ そのとき書いたように  「飛行機がまゐりました。」という言葉のでてくる片山廣子さんの随筆もありましたね…。

『ビルバオ・ニューヨーク・ビルバオ』という本は、 スペインのバスク自治州の作家によるバスク語で書かれた小説とのこと。。 小説、、といって良いのかな… どうだろう…

著者キルメン・ウリベさんは詩人としてデビュー。 この本は彼が講演のために自分の住むスペインのビルバオからアメリカのニューヨークへ向けて旅立つ、 その旅の過程で彼の脳裡に浮かんでくるさまざまな思索や思い出を(一見、思い浮かぶままにとりとめなく)つづったエッセイ、のようにも読める本です。

自分の父や叔父や、 祖母や大叔母たちが昔語りにきかせてくれた記憶のかずかず、、 そこにはスペインの内戦の歴史や、バスク地方という言語も民族も異なる今や失われつつある昔ながらの文化の記憶がいっしょに語られていく。。 そして現在に生きる彼がたまたま旅の途中で出会う人のスケッチや、 かつて出会ったひとびとの思い出などを振りかえりつつ、 これから自分が書こうとしている〈小説〉について思いを巡らせている。。 (でもじつはその小説そのものがこのエッセイみたいな旅物語なんです)

とりとめのないエッセイのようでありながら、 じつは本当によく考えられて、慎重に構成された本なのだとわかります。 なのに、ひとり旅のお供として飛行機や列車の座席でふっと開いて数ページを読む、、 そんな読み方もとても似合いそうな、肩の凝らないやさしさのある文章です。

昔のひとはじぶんの物語をたくさん持っていましたね。。 この本の漁師だったお父さんにまつわる物語のように、 自然や戦乱に翻弄された本当はとても困難であったろう人生の記憶も、 のちに語って聞かせるときには不思議さをまとった〈物語〉になっている。。 この本にも書かれているように、だいじなのはそれが本当にあったことかどうか、ではない。 お父さんや大叔母さんの心のなかに本当にあった、ということ。。 記憶はいつしか豊穣な樽酒のような物語になる…


冒頭にあげた文章と、 そのあとで本文中に書かれていたのを読んで、 トビウオは100メートルも空中を飛ぶのだと知って、信じられない気持ちで動画をさがしたりしました。 ほんとうにビューーンと波の上を何十メートルも飛ぶんですね、、鳥みたいに。。

そして、 かつて大陸間をむすぶ船の上からトビウオが飛ぶ姿を見た昔のひとの言葉と、 いまその同じ行程を数時間で移動してしまう飛行機の窓から、光る翼を見ている著者の思いが結ばれて、 そのようにして、 過去と現在のたくさんの物語が結ばれて、 ビルバオというバスク地方の港町と世界の今、とが結ばれていくのです。 さすが言葉と言葉を結びつけて普遍の驚きへといざなってくれる〈詩人〉がつむいだ、 とてもゆたかな物語世界なのでした。

それがこんなちいさく軽やかな〈Uブックス〉、というのも良いです。



携えて どこか旅に出かけたくなります。





でもなかなかそれも儘ならない私は、 物語の旅や音楽の旅にこころを舞い上がらせるのです…



 

カナダ建国の歴史と家族の物語(その3):『ノーザン・ライツ』『バード・アーティスト』ハワード・ノーマン著

2024-08-20 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
7/24 に カナダ建国の歴史と家族の物語(その2)を書いて以来 ほぼ1カ月経ってしまいました。 立秋も過ぎましたけれど まだまだ猛暑に台風にゲリラ豪雨に…

そろそろ暑さから逃れて 移住したくなってしまいますね(笑 ・・・それはムリなので せめて物語で秋の似合う大自然のなかへ。。



『ノーザン・ライツ』ハワード・ノーマン著 川野太郎・訳 みすず書房 2020年


舞台は1950年代の カナダ マニトバ州北部。 前回のトロントがあるオンタリオ州の西隣。けれども五大湖に面した前回の地方とはまったく逆で、 ずっとずっと北、北極海につながるハドソン湾に近い地方の話です。

内容はみすず書房のページにリンクしておきます(>>

たった1軒だけの村。 母と息子のノア、 父は地図製作者なのだけれど、常に家を留守にしていて帰ってくるのはクリスマスとほんのたまに予告も無くふらり、と。。 

この本を読みはじめた時、(日本て北緯何度まで?)(北緯60度って北極圏?)とか私が質問するので煩かったのか、 家族に昔の地図帳をほいと渡されて、、それでカナダのマニトバ州を見たのですが、そこには南にウィニペグという都市と 北のハドソン湾沿いにチャーチルという町と、たった二つしか町が無い。 ウィニペグ以北へ通じる鉄道も書いてない。。 マニトバ州の北部って人いるの? 住めるの…? それで google mapを見てみたのですけど、 マニトバ州を拡大、拡大、、いくら拡大しても次から次と大小の湖が浮かび上がってくるばかり、、

上記のみすず書房のページに 本の目次が載っていますが、そこにある「パドゥオラ・レイク」という湖も(あまりにも湖が沢山あって)ついぞ見つけられませんでした。。

湖ばかりの地で鉄道も見当たらなく、、 この本では交通や物流の手段は「郵便飛行機」。 水上にも着水できる郵便機がいくつもの湖をまわって集落ごとに荷物を届ける。 時には人を乗せて別の集落へ連れてってくれる。 

『ノーザン・ライツ』の冒頭で、母とたった二人で暮らしていたノアの元へ、ある日 両親を亡くした従妹がやって来て新しい家族として暮らし始める。 少年になったノアは、同年代の子がいる別の集落へ夏のあいだだけ行ってその子の家で暮らすようになる、、 でもその子を育てているのはほんとの両親ではなくて、、。

7月に書いたカナダの物語『優しいオオカミの雪原』(>>)も、 『ライオンの皮をまとって』(>>)も、 産みの両親以外のひとと暮らす家族関係が描かれていましたが、 『ノーザン・ライツ』でも〈家族〉とは何だろう… と考えさせられます。 
ほとんど不在のノアの父親、 父と母の夫婦という関係、 親を亡くした従妹、 友だちの村で過ごすノアを育ててくれる人々、 狩猟をし、デコイを作る男、 村の商店主、 先住民の教え、、。 極北のちいさな村では みんなが少しずつ繋がって 少しずつの家族のように支え合っている。 

ある時 ふいに無線機を持って帰って来た父(そしてすぐにまた行ってしまうのですが…) 無線機をラジオの周波数に合わせて都市トロントのラジオを聞く。 本の朗読の時間、 音楽の時間、、 ラジオはノアの学校にもなる。。 村で唯一の商店で開くパーティー、 無線機から流れるラジオの音楽。 パーティーにはやって来てもダンスには加わらず、 でも共に時を過ごして帰っていく先住民の人たち。

ノアの成長と、 極北の暮らしと自然、、 悲劇も起きるのだけれど でも物語はどこかあたたかく、 登場人物はそれぞれに真摯で、 うつくしい。

後半の物語は、 村を離れるという母の決断、 大都会トロントに舞台を移して、 潰れかけた映画館を買い取って そこで家族の新たなスタートをするノア達の物語になります。 消えた父親のその後や、、 ラストには ノアの少年時代の記憶とのちょっとしたミラクルな出会いも。。 

読み終えて温もりの残る読書でした。

 ***


『バード・アーティスト』ハワード・ノーマン著 土屋晃・訳 文藝春秋 1998年

同じハワード・ノーマンの小説。 当初は『ノーザン・ライツ』だけ読むつもりだったのですが、 その紹介文に 「デヴィッド・ボウイが「人生を変えた100冊」に選んだ長編小説『バード・アーティスト』の作者ハワード・ノーマン」と書いてあって、 ノーザン・ライツの紹介なのに何故わざわざ『バード・アーティスト』の作者、と書いてあるんだろう… と気になって、、 

こちらの舞台は、 1910年代の まだイギリスの植民地だった時代のカナダ東海岸、 ニューファンドランド島。 本の目次と、 物語の冒頭部分が紀伊国屋書店のページに載っていますので そちらにリンクします(>>https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784163180502

『ノーザン・ライツ』と同様に、『バード・アーティスト』も ファビアンという男の少年時代からを描く、 ファビアンとその家族の物語なのですが、 物語の冒頭で 「私は灯台守りのボソ・オーガストを殺したが…」という告白があり、 それによって読む者はこの小説が穏やかなものではない、 ファビアンの闇の部分にも触れる心の準備をさせられます。

ニューファンドランド島は美しい島。 パフィンをはじめとする水鳥の宝庫。 ファビアンは幼い時から鳥を描くことに魅せられ、 ただひたすら鳥の絵を描きながら成長します。 、、大自然はとても美しいはずなのに なんとなくファビアンに寄り添えない印象なのは、 ファビアンには主体性が感じられないこと。。 鳥をみつめて描く、、 そのままに ファビアンは周囲の出来事をただ見つめている。 言われるまま、というか流れのまま。 恋人とも、家族とも、 結婚までも、、 特になにかを主張するでもなく言われるまま…

(理解できない…)と思う部分がとても多くて、、 ファビアンの主体性の無さもそうですが、 ファビアンの母の行動も、 家族の崩壊を招いたその後の生き方も、、。

『ノーザン・ライツ』のノアの物語の穏やかさは それはリアルな物語ではなく、 どこか夢物語なのだとでも作者は言おうとしているかのように、 『バード・アーティスト』では不可解な心理や不正やあやまちが描かれます。

その一方で、 この村に生きる人物のなかには、 ひとすじの真っ当さを感じられる登場人物もいて、、 作者は 罪を背負うことになる主人公のほかに、 誰にかえりみられることもない代わりに自分にとっての真実を保って生きている人間をも書こうとしたのかな、とか思ったり。。 

「デヴィッド・ボウイが「人生を変えた100冊」に選んだ…」というのも含めて (わからない…よくわからない…) と思いながら読んでいました。。 それが人間のリアル、 人の生き様のリアル、、 なのかもしれませんけれど…。

 ***

ところで…

昨夜の満月 スタージェンムーンでしたが、 カナダのトロントにほど近いところに スタージェン湖というのがあるそうです。

このSturgeon Lakeに限らず、 トロント近郊にもたくさんの湖があって、 湖畔にはコテージなどがあって、 大都市トロントに暮らす人たちは休日にコテージを借りて キャンプをしたり、 湖でカヌーを漕いだり、 フィッシングをしたり、、ですって。。 羨ましいな。。

、、なんて言う私も 子供時代には湖で遊んだ記憶があります。 全面結氷した湖でスケートしたことも何度も。。 森のなかの湖と真っ青な冬の空と真っ白な湖の雪とアイスリンク。 それは今まででもっとも美しい記憶のひとつ。 どこまでも透明な空気。 氷のちょっとした凸凹と、 そこに引っかかるスケート靴のエッジ。 ゴゴゴ…と湖の氷が軋む幽かな音。
温暖化のすすむ地では これから先もう二度と体験できない〈湖からの恩恵〉でした。



あぁ… 湖に行きたくなりました…









 何年も前の写真…

カナダ建国の歴史と家族の物語(その2):『ライオンの皮をまとって』マイケル・オンダーチェ

2024-07-24 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
土用丑です。 暑いですね。

朝、お洗濯を干しにベランダへ出ただけで焼け付きそうに熱いですが 蝉が力いっぱいに鳴いてます。 お昼になるともう余りの暑さに蝉も鳴くのをやめて木陰で身を潜めてますが…

お身体だいじょうぶですか…? 今年は梅雨が短かったせいか、 わたしは思いの外まだ元気です。 昨年よりも確実に元気。 だから検査数値などより自分の感覚を信じて、 このまま楽しく だけど無理せず 夏を乗り切っていこうと…。

 ***

17日のつづき。 2冊目はこれまでにも何度か書いていますが マイケル・オンダーチェ著の『ライオンの皮をまとって』を再読しました。 1910~1930年代くらいまでの カナダ、トロントの都市の建設に携わった移民たちの物語。

カナダ建国の歴史、ということに視点を置いて今回は読んだので、 以下 小説の内容にも触れていきます。 この小説を初めて読んだときのブログはこちらに(>>2019年10月) ⇦こちらの後半に小説からの引用を載せてありますが、 オンダーチェさんのこのような非常に詩的な文章に浸っていると 物語に陶酔するのが精一杯で、 この小説がカナダ建国と移民の歴史であるという側面は忘れてしまいがちです。

この物語の主人公パトリックはカナダ生まれだけれども、 父親はどこから来たのだろう… 母親の姿は最初から書かれていない。 のちに(『イギリス人の患者』にも登場し)パトリックの親友になるカラヴァッジョは名前からしてもイタリア系移民だろう。

パトリックの幼少期の記憶に登場する 冬場だけ木を伐採する季節労働者たちはフィンランドからの移民。 フィンランドにも森林などいっぱいあるのに何故カナダへ来るのだろう…と思ったりしましたが、 前回書いた『優しいオオカミの雪原』のなかにも、 雪原の北の果ての誰も住まないようなところに フィンランド人の共同体がありましたね。

上記2019年の日記に引用した部分は、 マケドニアからの移民テメルコフの場面でした。 この小説を読むまで、わたしマケドニアが何処に位置する国かもよく知りませんでした。 物語中のテメルコフがマケドニアを発ち、 カナダへ入国するまでの記述は苛酷です。 そのような苦労をしてまで仕事を得る為にカナダへ渡ったマケドニア人の移民たちは、 物語のなかでは同郷人が集まる町をつくって暮らしています。 主人公パトリックがマケドニア人共同体に受け入れられていく場面は優しい気持ちになりますね…

命知らずの男テメルコフは、 カナダ トロントの都市で鉄道橋の建設に携わります。 橋の上からロープでぶら下がり 宙づりで橋脚にリベットを打ち込む、 彼以外には出来ない仕事。。 そして或る夜、 橋の上から尼僧が誤って落下してくる。 片腕で受け止めるテメルコフ… 前に引用したのはそのあとのふたりの場面です。。

頭上から尼僧が降って来るなんて、 どうしてこんな鮮烈な場面をオンダーチェさんは思いつくのだろう…と、 何度読んでもくらくらしてしまいそうに鮮やかな場面ですが、、 この落下をきっかけに、 尼僧は別の人生を歩み始める。。 テメルコフもまた 橋の作業員からトロントに暮らすマケドニア人として生活を変えていく。。 そしてパトリックにとって重要な友となる。。

、、 このように『ライオンの皮をまとって』に登場するのは みんな移民たち。。 そしてのちにパトリックが暮らす クララ、アリス、アリスの娘ハナ、、 それからカラヴァッジョ、 テメルコフ、、 誰も血が繋がっていない者同士が支え合い、 (詳しくは書かないけれど) 誰かが不在のあいだは別の誰かが、、 そうやって不思議な《家族》を形成する。。 

移民が創り上げた国(そして、奥地へ追いやってしまった先住民との 融合とも分離とも言えない共生の国)カナダには そのような血のつながりを超える包容力というか柔軟性が蓄えられたのでしょうか、、 『優しいオオカミの雪原』にも血のつながりのない《家族》が複数えがかれていました。。 そして次回の『ノーザン・ライツ』にも…。

***

『ライオンの皮をまとって』で移民たちが創り上げていくトロントの都市を 現実の写真を見て場面を思い浮かべてみると、 オンダーチェさんの描く詩的で静かな物語が、 じつはとてもダイナミックで壮大な舞台背景を持っていることに驚かされます。

テメルコフがぶら下がっていた橋脚の場面は プリンスエドワード高架橋
 https://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Edward_Viaduct

物語にも登場する ハリス氏が手掛けていた水道施設は R. C. Harris Water Treatment Plant
 https://en.wikipedia.org/wiki/R._C._Harris_Water_Treatment_Plant

物語終盤の、 この施設への湖からの潜入などは、 実写化したらまるで映画「ザ・ロック」並みのアクション大作でしょう。。 ほんとうにこの巨大な水道施設にダイナマイトが仕掛けられたりしたことがあったかどうかは、、 存じませんが…

 ***

『ライオンの皮をまとって』の物語は、 舞台を第二次大戦中のイタリアへ舞台を移して『イギリス人の患者』へと続きます。 『イギリス人の患者』の終盤で(ネタばれになりますが) ハナがカナダにいる(血は繋がっていない)母に手紙を書く場面があります…

 ・・・略・・・
 ヨーロッパはもういやです、ママン。私も家に帰りたい。ジョージアン湾に浮かぶピンクの岩と、あなたの小さな小屋へ帰りたい。私はパリサウンド行きのバスに乗りましょう。本土からパンケーキ島へ短波でメッセージを送りましょう。そして、待ちます。カヌーで私を救出にくる、あなたの影が見えるのを待ちます。 ・・・

         (『イギリス人の患者』土屋政雄・訳)


ハナは、 この物語のあと ママンのもとへ帰ったでしょうか。。 ママンがいるのは、『優しいオオカミの雪原』の冒頭にも登場したジョージア湾。そこに浮かぶ島。。 カラヴァッジョおじさんは… (この推測は以前にもちょっと書きましたが…) カナダへは帰らなかったようですね。。

ハナの育ったトロントには、、 もう誰もいなくなってしまったでしょうか。。 いいえ、マケドニア人の町はきっとあるはず、、 きっと テメルコフもそこにはいるはず。



マケドニアのパン、って どんなだろう…


いま 検索したら・・・


マケドニアという国土も紆余曲折あって、 今は北マケドニアという国家として残っているそうですが、、 山崎製パンのサイトにこんな素敵なマケドニアの朝食のお話が載っていました。。 『ライオンの皮をまとって』の物語にもつながるようなお話…♡
 山崎製パン 世界の朝食コラム(北マケドニア共和国)



では またね



食卓を囲むのが それが家族…

カナダ建国の歴史と家族の物語(その1):『優しいオオカミの雪原』『ノーザン・ライツ』ほか

2024-07-17 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
カナダ建国の歴史にまつわる物語、 家族のつながりの物語、 を三作品つづけて読みました。 

最初に読んだのは、19世紀半ばの物語。 殺人事件の犯人を追うミステリー小説の筋立てなのですが、 登場する家族の いくつもの愛のかたちを描いた物語であり、 厳寒の地の壮大な自然と人間ドラマの物語でした。


『優しいオオカミの雪原』上・下  ステフ・ペニー 著 栗原百代・訳 ハヤカワ文庫 2008年 

この本を手にしたきっかけは、 この春 オーストラリアのハードボイルド小説2作を読んだ後(4月の日記>>) 今度はどこの国のミステリを読もうかしら… とあれこれ調べているうちにこの作品を見つけ、 カナダ… 19世紀半ば… なんだか未知の世界だわ…と思って選んだのでした。

  ダヴ・リヴァーはジョージア湾の北岸にある。夫とわたしは十二年まえに、ほかの多くの移民たちと同じようにスコットランド高地から追われ、ここに移り住んだ。・・・略
 十二年まえのここには木のほかになにもなかった。・・略・・ 鼻につんとくる静けさは、空のように深く果てしなく感じられる。この光景をはじめて目にしたとき、わたしは火がついたように泣きだしてしまった。ここまで自分たちを運んできた軽馬車が音をたてて走り去り、どんなに大声で叫ぼうとも、答えるのは風だけだ、という思いを頭から押しのけられなかった。・・略・・ 夫はわたしのヒステリーの発作がおさまるのを穏やかに待っていて、そのあと、凄みのある笑みをうかべて言った。
「ここには神より偉大なものはない」



物語のはじめのほうの描写です。 主人公の女性がカナダへ入植した時のことをふり返っているところ。。 この辺りを読んで、自分がカナダの移民の歴史のことなど何も知らないことに気づきました。カナダはおもにイギリス系とフランス系の人がいて公用語が二つある、というそれしか知らない。。 この引用のように、木のほかに何もない土地に置き去りにされて、さぁ今日からここで暮らしなさい、なんて・・・
この部分での女性のパニック、、 夫の凄みのある覚悟、、 短い描写でそれらを表現する作者さんの文章にも感心しながら読んでいきました。

ストーリーは、 この主人公の女性が、村の隣人が殺されているのを見つけた後、 犯人の足取り、 この隣人の謎、 主人公女性の家族や、判事一家の家族、 犯人追跡の捜査に来る男たち、 など この入植地の村に関係する多くの人を巻き込んで、 まるで映画のようにいくつもの場面と人物の視点を変えて展開しつつ、進んでいきます。 

殺人のあった晩に、 同時に姿をくらましてしまった主人公の息子を追って、 母である主人公は先住民の血を引く男と二人、 北の厳寒の地へ向かいます。 その雪原と湿地と森、 夜空とオーロラ、 といった自然の描写がとても美しいです。 ここでも自分がカナダの事、 何も知らないと気づきました。 カナディアンロッキーの風景ではないのです。 

本を読んだ後で、 たぶん「カナダ楯状地」という場所なのだろうと…。 五大湖から北極海まで広がる岩盤の地。 山は全然無く、至るところに大小の湖や湿地。 ウィキ(>>)に載っている写真とこの小説の風景は近いのだと思います。 ただし季節は冬に。 岩盤は一面の雪原と凍った湿地になっています、、 命がけの道程。

もうひとつ、 物語にたびたび出てくる「会社」という言葉、、 これが何なのか分らず、途中で検索しました。 「ハドソン湾會社」(wiki>>)というのは カナダの毛皮の独占取引から始まった会社だそうで、 この物語のなかでも、 先住民や罠猟師たちは毛皮用の獲物をとらえることで生計を立て、 鉄道も何もないこの時代の雪原のはるか奥地にも「交易所」という場所が設けられていて、 そこに「会社」の人間が駐在している。 金よりも高価な毛皮のために捕りつくされていく動物たち… 

カナダ建国の歴史と、 知らなかった自然の美しい描写と、 入植者や先住民の「会社」をめぐる現実、、 殺人事件の謎を追ううちに 次第にそのような歴史や暮らしのようすが見えてくるのがとても面白かったです。 

そして、 女性主人公の家族の複雑な愛のかたち…。 ここではあまり触れませんでしたが、 胸がせつなくなるような愛の物語も展開していきます。 主人公以外の登場人物たちの、 いくつもの愛と人生の物語も。。 これだけのドラマを詰め込んでも それぞれの人物の個性やドラマの道筋が、ごちゃごちゃにならずに描けるのは見事です。 ドラマがありすぎて、あの人はあれからどうなったのだろう… あの家族はその後… など続きを想像したくなる余韻もありました。

 ***

『優しいオオカミの雪原』ですっかり カナダの建国の歴史に興味をいだいて、 そういえばこちらもカナダの都市を建設する移民たちの物語だった、、 と 前にも読んだマイケル・オンダーチェさんの『ライオンの皮をまとって』を急に読み返したくなりました。 こちらは20世紀の初め、、 都市化の進むトロントが舞台でした。



『ライオンの皮をまとって』マイケル・オンダーチェ著 福岡健二・訳 水声社 2006年
『ノーザン・ライツ』ハワード・ノーマン著 川野太郎・訳 みすず書房 2020年

そしてもう一冊。 『ノーザン・ライツ』は、 さきほどの「カナダ楯状地」のさらに極北に近いマニトバ州北部が舞台。 たった一軒しかない村、 そこに住む少年が成長していく物語です。 こちらも複雑な家族の愛の物語でした。。


過酷な原野で生きるには ひとりでは決して生きられない。 だけど家族の繋がりとはなんだろう・・・


わたしたちは… というか、 今の日本では、、 固定された家族の有り方に縛られ過ぎていないだろうか・・・


そんなことも考える読書でした。



つづきはまた、、ということにしましょう…



すこしは雪原の冷気がとどけられたでしょうか…

あらたな翻訳で出版されました…(嬉)

2024-07-16 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
梅雨明けの声もきこえてきた中、 気温はわりと低めですが爽やかとはいかず、、

なんだかしんどいな~ 夕ご飯作るのだるい~、、と思ったので すかさず甘酢らっきょうを食べました。 歯ごたえもシャキット、ですが 身体もしゃきっとしました。 お酢は人体のすべての根元、 アミノ酸たっぷりですし、、
昔の人の 気候と体と食べ物の知恵はありがたいですね。

連休はのんびりしてたけれど、 ちょっと坂をのぼって筋肉痛になったので焼き鳥を食べました(笑)。 心臓が疲れたな~というときは ホタテやタコが効きます(私の場合)。。 これも栄養学的にも理にかなっているようです。 半夏生にタコを食べる習慣も、ちゃんと理由があるのですものね。
 
 ***

今朝、 うれしいものを見つけました。

昨年の10月に読書記をこちらに載せた(焔の消えたあとで…>>) イーディス・ウォートン (1862-1937) の『イーサン・フローム』(1911) いまは入手困難で、、と書きましたが 新訳がこの7月にあらたに出版されたのですって。

下に出版社の紹介ページにリンクをしてありますが、 紹介文を読んでみると 物語のかな~り後半のほうまでストーリーがわかってしまうので、 紹介文を読んだ方かいいのかどうか、、 でも私もあらたな翻訳でもう一度かならず読んでみたい、心に残る小説です。

『イーサン・フロム』白水社Uブックス 宮澤優樹 訳 
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b643254.html


もうひとつ、、 検索の関連で出てきてびっくりしたのが、 デルモア・シュワルツ (1913-1966) の新刊の小説集『夢のなかで責任がはじまる』(1937) 
こちらはず~っと昔にルー・リードさんのお師匠、ということで書いた事がありましたね。 絵本のはなし。(デルモア・シュワルツの偶然。>>

あのあと、 『とっておきのアメリカ小説12篇 and Other Stories』(文藝春秋 1988年)という短編集に デルモア・シュワルツの最も有名な短編が「夢で責任が始まる」(畑中佳樹訳)というタイトルで収載されていると知り やっと読むことが出来たのでしたが、 こんどの本にはなんと ルー・リードさんの序文が載っているそう、、 こちらも読んでみたいです。

『夢のなかで責任がはじまる』デルモア・シュワルツ 著 ルー・リード 序文 小澤 身和子 訳 河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309209081/

もともとは、 「In dreams begin the responsibilities」 というのは 詩人 イエイツ先生の言葉なのですよね。。 そこまでは知っているんですけど、 この意味がわかるようでまだよくわかっていない、、。 村上春樹さんの小説にもこの言葉が出てくるそうなのですが 村上作品を読んでいないのでそこはわかりません。。 長いこと忘れていましたけど、 デルモア・シュワルツの本を通して またこの言葉の意味、 考えてみたいです。



いろんなこと繋がって、 いまになってまた新しい楽しみができる。。




今週も げんきで。



暑さにまけないで 身体慈しんで。

最良の芸術だけが…

2024-06-27 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
『生き延びるために芸術は必要か』森村泰昌・著

先週、 この本のことを少し書き(>>)、 別のもうひとつの本を読んでから続きを書くと記しました。 パンデミックについての本のことだったのですが、 自分が考えていた内容とは余り関係しなかったので、 森村さんの本のことだけ続きを書きます。

森村さんの本を読み終えて 今、、 この3年余り コロナ禍のあいだに考え続けていたもやもやの事は、 そろそろお終いにしてもいいかな… と思い始めています。

この本の目次は前回のほうにリンクを載せました。 森村さんのこの本のもとになっている 大学での講義、 その最も古いものが 第五話「コロナと芸術」2020年7月の大学のオンライン講義です。 そして、そのほかの章も コロナ期間中の講義だったり、 書きおろしだったり、 それらがまとめられ、 「あとがき」が書かれたのが今年2024年1月となっています。

おそらく、 森村さんもこのコロナ禍のあいだずっと もやもやされていたのでしょう。 パンデミックと芸術のあり方、 芸術の必要性、 芸術とはそもそも、、 この3年余りのお考えがこの本にまとめられたと思っても良いのでしょう。

読みながら 森村さんはとても正直な方だと思いました。 そして優しい方だな、と。 決して決めつけようとはしない、 芸術家としてのご自分のスタンスというもの(それらは文章のそこかしこにきちんと提示されつつ)、 その考えを押し付けようとはしない。 

特に私が興味深く感じたところは、 コロナ禍でいろんなイベントや展覧会が中止に追い込まれた時に、 芸術と鑑賞者(お客さま) について考える部分。。 森村さんがどうお考えになったかを此処で書くのはよしますが、 「お客様」についての部分はある意味 眼から鱗でした。

私も、 2020年の法隆寺展が中止になった時、 百済観音様は誰もいない国立博物館に会期中ずっと立っておられるのかしら…などと考えましたが、、 訪れる人がどれだけいようと誰ひとりいなくとも、 百済観音さまの価値が変わるわけもなく・・・

 ***

この数年の、 私のもやもやの一部には 「不要不急」とされたものの存在価値と、 経済的価値とが、 並列で語られてきたことがあります。 コロナ禍で中止にされたイベントや展覧会やコンサートや映画館や、、 それらを止めてしまったことで 「文化が失われる」とまで叫んでいた声もありました。 「コロナによって失われた」「コロナの犠牲になった」等の声・・・ 犠牲になったのは 文化か、 経済か、、

もちろん経済的な損失の重さはわれわれ鑑賞者(お客)の立場でも理解はできます。 けれどもそれによって芸術(文化)が損なわれてしまうのか否かの責任も 鑑賞者が共に負うべきなのか、 そもそもコロナ禍でその存在が、その価値が、失われる芸術(文化)とは? 

 ***

単なる一般人の私でも なかなか出口の見えないこの3年余りの生活の間、 世の中の経済、 医療、 「不要不急」と見なされたもの、 必要不可欠なもの、 家族の健康と仕事、、 それらのあいだで精一杯考えたり心を痛めたりしてました。

芸術に携わる当事者の森村さんが やはりこのコロナ禍の間、 どんなことを思って迷っておられたのか、、 それが読めたことが何より良かったと思っています。 結論が出たわけではないし、 何が正しい、正しくない、そう森村さんは言っておられるのではない、、 それでも。。

 ***

昨日、、 思わぬところから 私に(私にとっての)答えにつながる言葉がみつかりました。 まったく別の意図で読んでいた本、、 カナダの移民について思い出して読み返していた本 マイケル・オンダーチェの『ライオンの皮をまとって』の中から


  最良の芸術だけが、 出来事の混沌とした乱雑さをまとめることができる。 最良のものだけが混沌を並べかえて、混沌とそれが持つだろう秩序の両方を示すことができるのだ。

 これは、小説中の登場人物のことばでもなく、 登場人物が考えたことでもなく、おそらくオンダーチェ自身の思いのあらわれている部分(訳者あとがきにあるが、このゴシック体の文は詩人アン・ウィルキンスンのノートからの引用らしい)で、 オンダーチェはつづく文章のなかでこう付け加えている、、 まるで自身が小説を書く意味を述べているかのように・・・

  (略)どんな小説も、最初の文はこうなるべきなのだ。「私を信じなさい。この本は時間がかかるが、ここには秩序がある。とてもぼんやりとだが、とても人間的な秩序が」 (略)


ここでいう「秩序」とは、道徳的な意味でも、社会規範的な意味でもないと私は思っています。 森村さんの本のタイトル「生き延びるために芸術は必要か」と問われた時に、私は「必要」と答えるしかない、、 なぜ? 必要だから。。 なぜ必要になるの? なぜ欲するの?

そう自問した時に このオンダーチェさんの言葉が響いたのです。 そう、 混沌のままでは苦しくて堪らないから。。 この世界の、人間の、自分の、、カオスに 一条の道すじを見つけたいから。。 

「最良の芸術だけが・・・混沌とそれが持つだろう秩序の両方を示すことができる」から。


オンダーチェさんの(アン・ウィルキンスンの)言う 「最良の芸術」、、 ただの「芸術」じゃない、、 なにが「最良」の証しなのか、、 どうやったら見極められるのか、、


、、よくわからない。。 でも、 ふたたびパンデミックがきて、 「不要不急」と叫ばれた時、、


自分をささえてくれるものは きっとそれなんだと思う。。

現在地から歩んで…

2024-06-18 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)

『生き延びるために芸術は必要か』森村泰昌・著 光文社新書 2024年4月


この本のことは たぶん新聞の出版社広告のなかで見たのだと思います。
森村泰昌さんはTVなどでお話になっているところはよく拝見していましたが、 そういえば文章を読んだ事がなかった、と気づきました。 

21年11月の日記に「現在地」ということを書きました(>>) そのときに森村泰昌さんと横尾忠則さんのその当時の(コロナ禍での)お仕事をTVで見たと書きましたが、、 そのことも想い出しました。 だから、 森村さんのこの本のタイトルを見た時に、 なにかその頃のこと(自分もふくめて)と通じるものを感じたのです。

本が先週末に届いて、 (タイトル以外なにも知らないまま)目次を開いて見て、 びっくり、というか思わず笑ってしまいました。。 目次が載っているサイトにリンクしておきます(紀伊国屋書店>>

「コロナと芸術」、、コロナと不要不急といわれたエンタメ、芸術、音楽、展覧会のこと、、 そういった、当時(上記の日記のころ)の私のもやもや(苦悩と言ってもいいかもしれない)とも通じますし…

さっき、笑ってしまった、と書いたのは、 夏目漱石、青木繁、坂本繫二郎 についての章があったからです。 森村さんが漱石について語っておられる、、 そして青木繫と坂本繫二郎というのは、 コロナ禍で森村さんの「M式「海の幸」展を観に行くことができなかった私が、 22年にやっと外出して観に行った美術展が「ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展だったのでした(そのときの日記>>

あのころ、 そしてコロナ禍から脱した今にいたるまで、 ずっと考えてきたこと、 考え続けていること、と 森村さんがこの本のなかで語っておられることがどう結びつくのか、、 目次を見ただけでなんだか不思議なくらい (まるで私に用意されてたみたいな)そんな気持ちになりました。


本は ほぼ読み終わっています。 が、 もうひとつ一緒に読もうとしている本があるので、 この先はまたいずれ書くことにします。


お天気が急変したり 気温も湿度も激変で、 ちょっと頭痛に悩まされています




お元気でいてくださいね

花水木の似合う女性…:アメリア・イヤハート著 『ラスト・フライト』

2024-06-04 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)

 「オーケー! 出発するわ」
  ・・・ 略
 わたしは夫に、これから大急ぎで飛行服と地図を取りにライに帰らなければならないからと話し、午後二時にジョージ・ワシントン橋の、ニューヨーク市側のたもとで落ち合うことにきめた。 ・・・略・・・

 交通巡査もなんのその、わたしはライまで二五マイルの道を全速力でぶっ飛ばして家へもどった。持っていく物をまとめるには五分間で十分だったが、その後ほんの二、三分間だけ、思わず足を止めて、わたしが日ごろ大好きな、美しい眺めをもう一度つくづくと見なおした。寝室の窓ぎわや、窓の下に、ドッグウッド(ハナミズキ)の茂みがあって、その花がいまを盛りと咲き誇り、えも言われぬ白やピンクの花群のそこここに春の日射しが輝いている。・・・



アメリア・イヤハートの手記の中でとても好きな部分を引用させていただきました。 これは〈ラスト・フライト〉となる赤道上世界一周飛行に出発する場面ではなくて、 それ以前に単独大西洋横断飛行を成功させたことを振り返っている部分ですが、、 天候が回復するという報せに即座に出発を決め、 その慌ただしいさなかに、自宅へとび帰り、自宅の一番好きな光景を眼におさめようとしている場面がとても愛おしく感じられました。 
そして、 アメリア・イヤハートという女性には、くっきりと可憐な白やピンクの花が咲くハナミズキがとても似合うとも思いました。 風にひらひらと翻って咲く様子はまるで小さなプロペラのようだし…



『ラスト・フライト』アメリア・イヤハート著 松田 銑・訳 作品社 1993年

アメリア・イアハートという女性飛行家のことを知った経緯は、 この春 エルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』の読書記を載せたときに触れました(>>

アメリアの伝記や、 失踪の謎について、 そういう本はいろいろ出ているようですが、 この本はアメリア自身が書いた飛行記録と アメリアが飛行士としてのこれまでを自分で振り返っている文章で構成されているので、 彼女自身の言葉を読むことが出来てとても良かったです。

遭難したあと、飛行機さえ見つからなかった彼女の飛行記録がなぜ残っているのだろう… と、 この本を知った時に不思議に思ったのですが、 それはこの本のなかにも書かれている通り、 アメリアは飛行中にも機体からアンテナ線を外に垂らして、それを地上のラジオ局や 洋上の船に電波を拾ってもらって逐一飛行の経過を知らせていたからなのでした。

そして、 給油などで地上に降りた時には、 追加の記述をまとめて追々送り返していたのでした。 だから、赤道上世界一周飛行のほぼ最終段階、 ハウランド島へ飛び立つ〈ラスト・フライト〉の前日の7月1日の記録までが載っています。 この本は、アメリアのその飛行記録を のちに夫のジョージ・パットナムがまとめて出版したものです。

さきほど書いた飛行機からアンテナを垂らして通信する様子とか、 飛行機本体のタンクに入りきらない予備の燃料を空を飛びながらどうやって給油するのかとか、、 そういう技術的な内容もとても興味深かったです。 

飛行機の事をなんにも知らない私だけど、 アメリアの手記は本当にわかりやすく、 空から見る風景のこと、 知らない場所へ着陸した時の現地のひとびとの面白い反応、 女性飛行家に向けられる当時の注目や、彼女自身が想い描いている目標、、 包み隠さず ユーモアにあふれて、 時には反発も込めて、、 じつにアメリアらしいと思える生き生きとした手記でした。 なによりその前向きな精神、 不安や怒りもユーモアに変えられるそこにこそアメリアという人の本質があるように思えました。

アメリアが眺めた自宅のハナミズキ。 花水木(dog wood)の英語の花言葉を検索すると、 厳しい気象に耐えることから、 耐久性、とか永続性という意味や、 逆境に耐えて続く愛、 という意味があるそうです。 そんなところもやっぱりアメリアに似合っている気がします。。

 ***

だけど、、 この本を読んでいて思った事・・・

アメリアの赤道上世界一周飛行への挑戦は、 計画通りにすべてが進んだのではなかったのでした。 大きな計画変更を余儀なくされていたことがいくつか・・・ 出発前の突然の機体の事故、、 それによる出発の延期、、 そのあいだにも世界の気候・気象条件は移り変わってしまう、、 そのために計画を曲げて当初の西回りコースから逆回りへと変更。。

私は飛行機や気象のことなど何もわからないけれど、 でも そういった幾つもの変更が良い方向へ作用したとは思えない。。 手記のなかでアメリアは持ち前の前向きな思考で解決策を手にしていくけれども、 すべての条件が最初の計画のままだったら・・・ と思わざるを得ない。

そして、、 ほんとに世界一周飛行がもう達成目前だったラエの地点で、 アメリアもその他のたぶんすべての関係者が、 7月4日の独立記念日にアメリアがカリフォルニアへ到着することを強く望んでいた、、 そのプレッシャーは無かったか…?

 ***

アメリアは優秀な人だと思うし、 どんな時にも どんな困難が生じても、 その時点での最善を尽くしたことは間違いないと思う。。 だけど本を読むと、 その過程にはやはり〈兆候〉というものがあったように思う。 いろいろな変更とか、 あらかじめ決定されている期限とか、 予定とか、、

、、そして これをどうとらえるかは人それぞれだし、 私の解釈に過ぎない部分もあるけれども、、 〈報せ〉というものもあったんだ…と思う。。 私は神さまがいるとか、 予知能力とか、 何も確かな事はわからないと思っているけれど、 説明できない〈不思議な報せ〉も、、 あったんだな… と思ってしまう、、 それに気づくことが出来るのは たいがいは物事が起こってしまってからなのだけれど…

、、当初の計画が すべて計画通りにすすんでいたならば… やっぱりそう思ってしまうし 計画通りに達成できたアメリアであって欲しかった…


どんな冒険でも、  どんな挑戦でも、、


なにか予期できない困難に直面した時にどう行動するか。。 前向きなチャレンジャーであるべきか、、 石橋を叩いて しかも渡らないという決断ができるものなのか、、 歴史はチャレンジした者だけを崇めるものだし…

 ***

ハナミズキは 葉が芽生える前に、先に花だけが咲く

アメリアはやはりハナミズキのようなひとかと思う…



じぶんはどんな花なんだろう…


どんな花になりたいんだろう…





もうすぐ 雨の季節ですね…