星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

2018 ありがとうございました。

2018-12-31 | …まつわる日もいろいろ
きのうの ホール&オーツの歌の頃のはなし…

私はRCサクセションのチャボさんが大好きで、、 清志郎さんも好きだったけどチャボさんの風貌も佇まいもギターも全部大好きで、、 チャボさんが語っている雑誌とかたまに買っていました。 
たぶんそれで読んだ記憶……




大晦日、、 だったと思う。。
まだ清志郎ちゃんは結婚していなくて、 それでチャボさんの家に遊びに行って、、
ひさこさんは大掃除をしているから 邪魔だって言われてどんどん隅っこのほうへ追いやられて、、 しまいに行くところが無くなって ベランダでチャボさんとふたりで酒のんでいたって。。

、、ベランダに燦々と降りそそぐ陽射しと真っ青な空を見てたら 急にそのこと想い出して、、 なぜだか泣きそうになってしまった。。。

 ***

田舎のお友だちからメール。。 昨日も今朝も、 マイナス8℃だったって。。 さぶいって。。

、、それで思い出した昔のこと、、 大晦日ではなかったと思うけど真冬のこと、、

ロックバンドの兄さん達とはよく集まって鍋をやってて、 そんな寒い地方だから水道が凍らないように夜中 細く水を出しておくということを皆やっていて、、 そしたら 水道は凍らなかったけれども シンクの方が凍ってしまって、 シンクから溢れた水が台所の床でアイスリンクになってしまっていた。。 鍋をやろうと出かけた兄さんの家がその状態で…

仕方ないからお湯を沸かして 台所の床の氷を溶かしてせっせと雑巾で拭いていたの。。 そしたら向こうの方で男連中がしゃがみ込んで頭寄せあってて、、
 (ちょっとぉ~~ サボってないで!) って怒ったら

 (〇〇子のパ〇ツ 見えそうで見えねえなぁ……) だと。。

、、 分厚いタイツ履いてるんだから 覗いたって見えやしないよ、、

 ***


そんな 遠い昔のことも想い出しました。。


記憶の中のすべてのひとたちに、、(現在進行形のひとたちも勿論)



今年もありがとう。  みんな元気でいてください。


よいお年を…


a piece of me...

2018-12-30 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
大掃除、、 というほどではなかったけれど お部屋も片付いてようやくお休みを過ごす準備が整いました。




この年末年始、 東京は晴天がつづきそうです

秋以降、 何度も台風の雨風にさらされてすっかり汚れてしまった大きな窓を 今日はすっかり綺麗にして、 ほら 部屋の中からでも 青空と飛行機がきれいに望めます。。 (心なしかいつもより大きい飛行機がとんでいる気がする…)




 ***

このあとは 明日までずっとお台所でのお仕事が待っています。。 美味しいお正月を過ごす為に…

そのまえにちょびっとお休みしながら 一曲音楽を検索していました。 、、それは、、 HALL & OATES  の Everytime You Go Away(1980)

ポール・ヤングの歌で大ヒットしましたよね、 素敵な曲です。 私もそちらは知っていたけれど、 オリジナルがホール&オーツだというのは知らなかったんです。 今ごろ何故か、っていうとね…

先日 『凍てつく街角』という本のことをちょっと書きました。 飲んだくれデンマーク刑事の奮闘ミステリ(>>
ミステリ作品の刑事、と言ったら 大概 心に傷を持つ 何かを喪失した男… と決まっているようなものなのですが、 あの飲んだくれ野郎もまた 癒されない傷を抱えたままの男で、、
…で、 殆んどアル中気味のそいつが バーのジュークボックスで必ず ホール&オーツの「Everytime You Go Away」を聴くのです。 ポケットに小銭がある限り、、 何度でも。。 ほかの客に煩がられて ボコボコにされてもなお、、その曲を聴こうとする…

ポール・ヤングの名前も出てくるんですが、 絶対にダリル・ホールじゃなきゃ駄目なんだ、って。。

この刑事もののミステリは このあとシリーズ化されているらしくて、、 この刑事の心の傷も、 ダリル・ホールの Everytime You Go Away の意味も、 たぶん後のシリーズにもきっと関係してくるんじゃないかと思うのですが、 今作ではその謎はわからない。。 今回の事件では語られない。。

、、そこまでこだわる ダリル・ホールの歌う「Everytime You Go Away」、、 聴いたことが無かったので、 読み終えて結構時間が経つけれど なんだか気になってさっき 聴いてみていたのです。

、、 聴いてみると 確かに良いですね、、 歌詞のせつなさがこちらのほうが伝わってくる気がします。 有名なフレーズ…

 Every time you go away you take a piece of me with you


、、これを聴いて酔い潰れていた刑事さんの 《失った心の欠片》は いつかシリーズの中で明かされるのでしょうか、、。 あの本を読んだ限りでは まだボロボロに壊れたままの心、 壊されたままの過去は、 いつか最後の1ピースが解明されておおきな図になる日が来るのでしょうか、、。 その日の為に彼は生きつづけているようにも思えるけれど、、 でも そのときが来て、 《心の欠片》が昔のままの 元のままの同じかたちに戻るとは、、 残念ながら そうは思えない。。 
だって、、 過去は二度ととりもどせないもの、、 ね。

、、 物語は酷い男たちと可哀相な女たちばかりのものだったけど、、 こうやってダリル・ホールの歌を聴いていると、 あの店で酔い潰れてこの歌を何度も何度も聴いていた刑事さんに ちょっとだけ気持ちが寄り添えます。。 物語の中でのこの歌の占める重要さ、、 それは、やっぱり聴いてみないとちゃんと感じられないものなのでした。。。

そういう (本の中では聞えないのに)音楽が語る物語というのもまた、 音楽が持つ力のひとつかも。。

 ***


ジュークボックス…


レコード…


コインを入れて1曲の音楽を聴きながら飲むお酒…


、、 2013年に書かれた小説でもそれが舞台になるからには、 たぶんデンマークにはまだそういうバーがちゃんとあるのでしょう。。 



《心の欠片》を求める人が居られる場所が、、 つぎの世にも残っていますように…


大掃除セトリ♪

2018-12-29 | …まつわる日もいろいろ


すばらしいお天気。

… 仕事納め、 年末年始休み!
なはずの世間に反しておさまっていない某業界…… ぬ~ん、、 ひとりで大掃除…






とりあえず雑多な大掃除セトリを用意して、、
(考えもせず持ってきたけど DAFT PUNK は失敗だったかな… 飽きる・笑) 



いいもん、、 後でサボってお茶するもん。。


いろいろな準備…

2018-12-27 | …まつわる日もいろいろ
きょうのお昼… おともだちからLINEが届きました

きょうが最終期限のコンサートのチケットトレード、、 かなしいな。。。 私もずっとトライしていたんだけれど、 年末の予定を確定しないといけなくなってクリスマス前に脱落… みんなの良い知らせを期待していたのだけど、、 最後の武道館への狭き門はついに 誰にもよいお知らせを届けてはくれなかったようです…

ずっとずっと それが頭の片隅の気懸りとして引っ掛かったままでね、、 でも! いろいろな準備はしないと時間は過ぎていくばかり……

 ***

きょうは 明日帰省する親友のお買い物に同行。。 

小田原蒲鉾をお土産にするというので 昭和の私は新聞折り込みチラシをスマホで撮って送ったり(新聞とらない人が今は殆んどでしょう?) 
「かまぼこ」が どうして年末になると「御蒲鉾」になるの? (おかまぼこ)っておかしくない…? などとぺちゃくちゃしながら 今年最初で最後の《苺のタルト》を一緒に…♡
(おかまぼこ ではありませんでした おん!かまぼこでした)





別のロッポンギ界隈で働くおともだちからは 昭和のデパートにあった風の男性マネキンがサンタ服を着ているミョーに妖しいフォトが届いていたり… (めちゃめちゃ可笑しいので載せたいけどやめときます…笑)

賑やかだった一昨日から 今日はもういろんな物が撤去されて 街はすっかり年越しの準備、ですね。


、、 今年はあまり特別なこと思わずに、 一年のけじめとか来年こそは とか思わずに、、 今日のつづきに明日があるように しなやかに年を跨いでいきたいな なんて思っております…  深い理由はべつに無いけど…


今年続けてきたことは来年も。。  今年しんどかったことはきっと来年もまた、、


今年愛しかったものはずっとずっと 来年も…


そうやって毎日を 毎日…





明日も…


明日からも…

描写音楽のはじまり…:『時計屋の店』レオン・ポップス・オーケストラ

2018-12-24 | MUSICにまつわるあれこれ
パパのレコード棚シリーズ 第6弾は、 パパの というより 私が小さい時にほんとによく聴いたレコード『時計屋の店』レオン・ポップス・オーケストラ キング・レコード




発売年は書いてないのですが たぶん60年代だと思います。 レオン・ポップス・オーケストラというのは キング・レコード専属の楽団で、映画音楽やクラシック音楽をポピュラー音楽としてアレンジして演奏していたようです。
このアルバムの編曲者は石川皓也さん。 有名な方なのですね。。

ほんとに自分では記憶に無いくらい小さい時から、 自分でレコードを出して針をのせることを覚えて聴いていました。 お人形遊びやおままごとなんかよりも レコードを聴く方が好きだったかも…

、、 最近、、 小さなお子さんにスマホ動画を見せるのが良いかどうか、、という話題がありましたが、 自分で操作をおぼえて 夢中になって見ている(聴いている)という点ではもしかしたら似ているのかも、、。 あの黒い丸い盤面から音楽が流れてくるんですから、、。

ただし動画と違うのは 絵が出てこない事ですね。 この『時計屋の店』の解説で 石川皓也さんが《描写音楽》という言葉を使っておられますが、、(さっき読んで初めてその言葉を知りました) 時計屋さんの時計たちが時を刻んで、 だんだんゆっくりになって時計が止まってしまって、、 ギーギーギーとネジを巻く、、そしてまた動き出す。。

口笛吹きと犬では、 少年と犬が軽快に並んで散歩している。。 どこにも《少年とは書いて無いのに、 でもあの歩くリズムと口笛の感じで きっと少年だと思うし、 今までずうっとそう思ってきました。。

ドナウ川がどこを流れているのかも、 ペルシャの市場がどこの国なのかも、 子供には何も分かっていなかったけど、、 でも誰に教えられたわけでもないのに《音風景》はちゃんと正確な像を頭の中に描いてくれて、、 不思議ですね… 

先日まで シューベルトの『冬の旅』を聴きながら イアン・ボストリッジさんの著書を読んでこの冬の旅人のことに想いを馳せて書いてきましたけど、、 そうやって音の中に風景を想像し 感情を読みとる、ということを もしかしたらずっと小さな子供の時から自然とやっていたのかもしれません。。


クラシックも 演歌も ラテン音楽も 映画音楽も 小唄も、、 (私と過ごした時間はとても短い年月だったけれど) いっぱいいろんな音楽を聴かせてくれたパパには 今更ながら感謝、、です。

パパのレコード棚シリーズ 過去ログ>>


 ***

きょうは クリスマスイヴですね。







今年のチキンレッグは自分で焼いたんです、、 ハーブ&ペッパーで 上出来♡
(家族の都合で一足早く昨夜いただいてしまいましたが…)

、、その代わり今夜はお鍋になります… 笑


サンタさん、、 鱈ちりと吟醸酒でおもてなししても宜しいかしら…?



 ☆ どうぞ よき聖夜を ☆

凍てつく街角の偶然…

2018-12-22 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
昨日読み終えた本の話…

、、なのですが、その本の話はそんなに重要では無いんです、、(笑) なんて言ったら作者さん等に失礼になってしまいますね、、 

しばらく前に読んだペレス警部シリーズの『空の幻像』は、、作者アン・クリーヴスさんが女性のせいか 登場人物が女性友だちの結婚で集まったメンバーという設定のせいか、 女性同士の心の中(つきあいの中では表れてこない) 羨望とか、比較とか、ちょっとした妬みとか、隠し事とか、、 そこから生まれるサスペンス。。 アン・クリーヴスさんはそういう女性ならでは視点が特色でもあり、、 でもちょっとそこが(私には)物足りないかつ鬱陶しい部分でもあり、、

ならば 男の人が書いた刑事もの、、 ということで 「酒浸りの生活を送るコペンハーゲン警察の捜査官…」 という紹介文だけで決めた作品、、 デンマークのミステリ小説『凍てつく街角』ミケール・カッツ・クレフェルト著 長谷川圭訳 ハヤカワポケットミステリ を読みました。

、、一気に読んでしまいましたし、 主人公のキャラも良かったんですが、、 今度は《酒浸り刑事》と《裏社会のギャング》と《そのギャングの食い物にされる悲惨な女たち》という、、 (クリスマスを前にしてなんでこんなん読んでいるんでしょう…)って思いながら読んでいました。。 デンマークとスウェーデン 隣国同士ってやっぱりどこか対抗意識というか 仲悪いんでしょうか、、 スウェーデン警察のヴァランダー警部シリーズの人道主義というか人間味というか、を鼻で嗤うように なぜか舞台はスウェーデンの裏社会の悲惨と警察の無能さ。。

おまけに 前にヘニング・マンケルさんの小説に出てくる《菓子パン》のこと書きましたけど、 スウェーデンの《菓子パン》までコケにしている辺りは 笑いのネタなんでしょうか、 本気なのでしょうか、、 そういう部分は悲惨な事件の中でクスっとさせる面白さはあったけど…

、、 ともあれ、 (ある程度優れた)各国のミステリ小説を読むのは 現代の社会事情が垣間見れるという点ではやっぱり面白いです。 来年も手ごたえのある作品を探して、ミステリ読みは続いていくでしょう。。

 ***

で、、 そのデンマーク酒浸り刑事VSスウェーデン裏社会 の最後の大団円で なぜか飛び出して来た文の中に、 『ニルス・リューネ』という小説の名が…



『ニルス・リューネ』とは、 デンマークの19世紀の小説家 イエンス・ペーター・ヤコブセン (Jens Peter Jacobsen)の唯一遺した長編小説。 リルケが大変愛した作家で、 『若き詩人への手紙』の中で、ヤコブセンの短編と、 『ニールス=リーネ』という小説をぜひ読むように、、 と書いている…と。 これは昨年末、 ヤコブセンの短編について此処に書いたために『ニルス・リューネ』を覚えていたんです(そのときの日記:印象主義と詩人の魂:「モーゲンス」J.P.ヤコブセン『ここに薔薇あらば 他七篇』より >>

、、 『凍てつく街角』の作者は、どうしてここで突然 1世紀以上も前のヤコブセンを出したんだろう… たぶん、日本で読むミステリ好きの人には『ニルス・リューネ』なんて全く聞いたことないだろうし、、 でも、 デンマークでは有名なのかな?? それとも、 案外 この作者クレフェルトさんの愛読書だったりして。。 それとも、『ニルス・リューネ』の青年とこの酒浸り刑事とを なにか結びつけるものが隠されているのかな…

、、独りで乗り込むハードボイルドな酒浸り野郎の物語はそこそこでしたが、 偶然にも去年の今日、 『ニルス・リューネ』やヤコブセンやリルケや山室静さんのことを書いていたのを想い出して、、 なんだか無駄な読書ではなかったな、、とちょっと嬉しくなりました。

、、 年が改まったら、 落ち着いて読書が出来る時期に 『ニルス・リューネ』山室静さん訳で読むことにしましょう。。 

、、 読書に限らず、 音楽もそうだけれど、、 不思議な糸で手繰り寄せられて 次の作品が見つかるのって面白い。。

 ***

おとといの夜明けは ちょっと北欧な感じの空でした。




この連休はお料理を頑張るのです。。 先日 寸胴鍋でつくった骨付きチキンのシチューは最高に美味しく出来て、、 あれを超えるものをクリスマスに作るのはハードル高いな… とちょっと困っているのだけど、、 。

、、今日は冬至。

部屋に低く差し込んでくる夜明けの光が愛おしいです。





、、 そろそろビストロのおかみに戻りますね…

BGMは 、、 シベリウスの二番で…

Winterreise『冬の旅』:第八章「かえりみ」Rückblick

2018-12-17 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


ボストリッジさんは この第8曲の解説にはたったの2ページしか費やしていません。。 この曲の演奏と音階と歌い手の関係、、 そしてほんの少しの解釈をくわえているのみです。

、、 あ、たったひとつ「振り返る」文学、 について言及していますが…

 ***

この章の題は「かえりみ」となっていますが、 CDでは「回想」となっています。 「かえりみ」「回想」、、 ともに過去の出来事を自ら思い起こして感慨に浸る… というイメージがありますけれど、 ここでの楽曲は そのイメージとはだいぶ異なり、 なんとも目まぐるしい演奏です。 そして ものすごい早口の歌唱です、、 
このような「かえりみ」とは…?

、、ボストリッジさんもほんの少しだけ触れていますが、 この第8曲は 前の「流れの上で」の続き、、 合わせて考える必要があるのでしょう。。

前の曲で旅人は 氷を石で叩いて《愛の記録》を一心に削っていました。 第8曲で始まる目まぐるしいピアノはその余韻なのでは…? 前回書いたように 堅く凍りついた川面の表面を石で削って 名前と年月日を彫って 碑銘を残すようにその記念を囲む輪を刻む、、 その作業は簡単なものではないでしょう、、 それを夢中でやり終えた男の身体は火照ったように熱くなっている、、 それが第一連の歌に繋がっているのですね、おそらく。。

この「かえりみ」は 実際に男が後ろを振り返るとか、 ひとやすみしながら思い出にふける、 という実際の行動はなにも伴っていない、、 石で氷を刻み終えて 立ち上がろうとした瞬間にでも不意に男を襲った 眩暈のような、、 走馬燈のような、、 火花が散るような一瞬の脳内の出来事なのだと思います。

だから この一瞬の「かえりみ」は 音楽的にも混乱しているし、 男の回想も町を出た今夜(昨夜?)の出来事から逆行して無秩序(のよう)に 街、 カラス、 ひばりとナイチンゲール、 菩提樹、 せせらぎ、 娘… と 記憶は瞬時に駆け抜けます。




、、 どうやら男は だいぶ疲れているようです、、 疲労とともに 精神的にも なんだか混沌の影が見え始めてきたようです…

でも 男は回顧して思いに浸っていようとはせず、 この場所で休もうともしていません。。 凍えた川の上、、 休める場所でもありません、、 先を急がねば……


「冬の旅」というタイトルのこの一連の歌、、
ここまでは常に 去ってきた娘の家、娘の町、ともに過ごした夏、、の記憶が男につきまとってきました。 この凍りついた川は、 その最終地点というか境界線、、 町と娘をこの男に結びつけていたものとの境界線になっているのではないかしら… と思っています。。 まだ先をちゃんと読んだり聴いたりしていないけれど。。

、、 旅人は この川を越えて、、 ほんとうに 本当の意味での 独りの「冬の旅人」になるのかもしれません。

 ***


、、 今年もあとわずか二週間。


「年」 というたった一日の違い、 たった一秒を越える、 というだけの《境界線》が、 なぜこんなにも人の意識にさまざまな想いを呼び起こさせるのでしょう、、。

、、 ボストリッジさんのこの御本、、 どこを区切りにして年越しをしようか… ちょっと迷っています。。 今日の章までにしようか、、 もう少し先まで脚を進めようか、、


いずれにしても 一年のうちで何故かもっとも濃密に感じられるこの二週間。。


… たいせつに ……
 

アドリアン・エッシュバッハーさんのベートーベン

2018-12-15 | MUSICにまつわるあれこれ
先日の ドイツ・グラモフォン創立120周年 Special Gala Concert、、 クラシック好きのお知り合いのかたにお話ししたら 「よくチケット取れたね~」と。。

、、自分は抽選運はからっきしダメだといつも思っているので、 今回ばかりは天国のパパのお蔭と感謝して、、 久しぶりの パパのレコード棚シリーズ 第5弾は グラモフォンレーベルのレコードにしました。



Ludwig van Beethoven - Adrian Aeschbacher ‎
A面 "For Elise" in A Minor op.33 No.1
B面 Ecossaisses in E-flat Major

発売元は日本ポリドール。 録音年月が書かれていないのですが、 同じ曲目で同じグラモフォンのドイツ盤は 55年録音と書かれていました。

アドリアン・エッシュバッハーさんはスイスのピアニストだそうです。Wiki>>
ベートーベンは得意としていたようですね(youtube などにもベートーベンの曲目がありました)

弟さんの ニクラウス・エッシュバッハーさんは 54年~56年に N響の常任指揮者をされたそうです。

ピアノ曲の 「エリーゼのために」と「エコッセーズ」、、 このレコードがあった事は小さい時からおぼえてました。 余りにも有名な「エリーゼのために」ですから ちっちゃい時、 自分でこのレコードを取り出して何度もかけていた記憶もあります。。

のちに音楽院の教鞭をとることになるピアニストさんとのことで、 もちろん上手です。。 でも「エリーゼのために」は聴き馴染み過ぎててどこがどう巧いとかよくわかりません、、 今聴くと 「エコッセーズ」の緩急強弱がかなり幅広い テクニカルかつ、とても表現豊かなB面のほうが聴いていて面白いです。 
たぶん子供の私が扱ったせいか 盤面の摩擦ノイズがかなりあって (キズや針とびはありませんが)きっと何度も聴いたんでしょう。。 (でも私、エリーゼのために弾けません…笑)


、、一体このレコード… 
子供が生まれる前のものだし、 もしかしたら結婚前のかもしれないし、、 なぜパパがこのベートーベンのピアノ曲を買ったのかはさっぱり判らず、、 まさかピアノを弾きたいなんて考えていたのかしら…?? (ちなみに見合い結婚の母のほうは音楽にまったく関心の無い女性で…)

ともあれ、、 パパ。 先日のグラモフォンコンサートは素晴らしい思い出になりました。
… ありがとうね…


パパのレコード棚シリーズ 過去ログ>>

 ***

先日買った フランソワーズ・アルディさんのレコード。。 こんな冬の日にはとても似合います。

、、 フランス映画に出てくるようなパリのアパートの上階に住んでいる、、 たとえばジャンヌ・モローのような 皺々の痩せたおばあちゃんになって、、 それで レコードを聴きながらいつでもお茶を飲んでいる、、 下の方の路上で デモとかやっているのを(騒々しいわね…)とか呟きながら、、


、、 そんなおばあちゃんになりたいの。。 と家族に言って笑われていた今朝でした…

 
よい週末を。。

Winterreise『冬の旅』:第七章「流れの上で」Auf dem Flusse

2018-12-14 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
第七章「流れの上で」  旅人は凍てついた川の (実際は流れていない)氷の流れの上に降り立ちます。


(全面凍結した川のフォトなど持ち合わせていないのでそれっぽく…)


ボストリッジさんはこの章で 気象学の歴史の話をなさいます。 文化史の博士ですもの。。

気象学的な発見の時代、 また地理学・地学的な自然の歴史や地球の成り立ちの発見の時代があり、、 航海・航路の発見の必要性もあって辺境の地・極地探検への関心へ、、 それらの情報が 芸術家や文学者のイマジネーションを搔き立てていく……

、、 ピクチャレスクという美学とロマン主義の想像力、、 ということについて多少なりと読んだ記憶があれば ボストリッジさんのお話は非常によくわかります。。 ピクチャレスク自体、 英国から生まれたものですし、、 でも それが シューベルトにつながっていくとは思ってもみませんでした。。

 ***



(なんてタイムリーなんでしょう… 『フランケンシュタイン』にも氷の世界が…)

《氷》の世界というロマン主義的関心について ボストリッジさんが熱心に語られることに頷きつつ、、 ただ、、 この第7曲の音楽の趣きは 意外とさほど荒々しい崇高美の世界は感じられません、、

たどたどしく雪と氷の道を進んできた旅人は、、 川べで立ち止まり、、 やはり思い返すのは この川がゆたかに流れていた夏の日々のこと(5月に彼女と出会ったのでしたね) …

彼は凍りついた川の表面に下り立ち、、 いや、 きっとひざまずくのだと思います。。 その光景が伴奏ではなぜか長調の甘い調べに……  なんだかノスタルジック。。 聴けばたぶんわかりますが、、 少し滑稽なほどにノスタルジック。。

そして彼は 川面の氷に 愛する人の名と 出会った日 別れた日、、 を石で刻むのです。。
おそらく川面の氷には雪だって多少積もっているのではないかしら…? 雪に指で文字を描く、、 普通ならこれくらいは 誰でもしそうに思えます、、 だけど 石で《氷》を傷つけて文字を書く…

、、 これぞロマン主義なのかも。 この瞬間、 旅人はきっと自分自身に酔っているはず… 自己憐憫、、 自己陶酔も 芸術家には必要。。

その背後でピアノが ダダダ・ダダダ・ダダダ… と連打されるのが最初 ??と思ったのでしたが、 これ 《氷》を石でガリガリやっている行為なのですね、、きっと。。

そして 感情が爆発する最終連……


旅人はおそらく 《氷》に刻み付けた二人の愛の記録を冬のあいだ中 そこに留めておいて、、 そして 雪融けの季節を迎えたころに 奔流となって一気に押し流されていくであろう光景を 旅人自ら想像して 感情のクライマックスに浸っているんです、、 きっと。。 やっぱり酔っているんです、 自分に。。

 ***

ボストリッジさんがそう書いているわけではありませんので 本書を読みつつ音楽を聴いた私のあくまで私的な想像です。。

きょうは少し 意地悪な見方をしてしまったかも…


でも 《氷》に彼女の名前を刻む、、 なかなか氷に文字を削るの大変そう… 、、 …そういえば『嵐が丘』では樫材の寝台にキャサリンの名前が刻まれていましたね、、 

名を刻む(削る)行為は男の人のもの…

そして その行為は 彼女の為、、というよりは 自分の為、、 という気もする。。


女の人なら たぶん 紙に書く…… あるいはロマンチックに考えれば 糸で縫う…


ちがう…?   偏見かしら…… ?

「読」んで「好」い……?

2018-12-12 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)


昨日は お友だちと二人で忘年会ランチ
先日の素敵な音楽会の話や お友だちの出かけた旅のお話や、、 景色のよい場所で。。

 ***

今年の漢字の発表は明日でしたか…?

わたしの今年の一字は紛れもなく 「読」、、かな。 いつになく読書に浸った一年、、 しかも 今まであまり触れて来なかった海外ミステリー、、 北欧やスコットランド、、 諸島の風景などと共に未知だった風俗や歴史を楽しみました。

、、 本心を少し語ると、、 国内のあちらこちらで起こる自然災害や、 信じられないような惨い そして理由もよく解らない事件、、 そのようなものが多すぎて、 正直 ニュースやSNSを読むのが精神的につらいと感じることの多い一年でした。 情報として報道には触れなければと常に思っているけれども、 痛ましい事件や災害で心を痛める一方で そのような出来事にすら え…? と眼を疑うような反応も寄せられたりする…… そちらのほうがつらかった、、

、、 だから いわば「逃避」としての読書の意味もありました。。 ミステリーならば どんな残虐な事件であっても架空の世界だし、 それに何より 事件は「解決」するから。。

そんな風にミステリーを読んでいくうち、 前にも少し書きましたが ヘニング・マンケルさんのシリーズでは 現在の世界そして特に 今の自分の国の状況のことが すでに80年代からの兆候として作品の中で危惧されていたことに驚きました。 「移民受け入れ」のこと、 「東西格差・南北格差」 「人種偏見」 「ヘイトクライム」、、 そして ついには 「理由のない攻撃」


これは 『目くらましの道』の中の一節だったかしら…? (間違っていたら御免なさい)

社会の中で「必要とされない」「歓迎されない」という疎外感が生み出す「攻撃性」と「軽蔑」…

、、今年の一字をさきほど「読」と書きましたけど、、その結果 どこへ心が向かったかというと 「異」という意識へ。。 自分とは異なる考え、 異なる民族・人種、 異なる思想・身体などを持つ人に対する攻撃や軽蔑、、。 そういうヘイト 同調圧力、、。 マンケルさんの作品では20年も前から描かれていたこと、、 理解しがたい事件を捜査しながら、、 いったい自分に何ができるのかと苦しみ、、 でも 少なくともそんな中で人の安全を守ろうとする警官でありたいといつも踏みとどまる… 
、、 いつも書くものは忘れるし ペンは無くすし 携帯の電源は入れないし 拳銃さえ車に置き忘れる もうどーしよーもない《おっさん》なんだけど、、 読んでいて本当に救われました。。
 

「読」むことで 「異」なるものの見方や 「異」なる世界を嫌悪するのでなく、 「異」でいいじゃないか、、 さらには「好(い)いじゃない」、、 へと心が向かえば幸せになれる。。

本の旅も 心の旅も、 ほんものの旅も、、 知らない世界に出会えること、、 ちょっとだけ真新しいことでも「異世界」への扉になる。。 その扉はずっと ずっと 限りなく遠くまでわたしを連れて行ってくれる、、。

 ***


私のスナフキン好きを良く知るお友だちから 昨日貰ったプレゼント
(スナフキンコレクションどんどん増えていきます…)


大好きな旅人 スナフキン。 誰にも染まらない孤独な旅人だけれど、、 誰をも拒絶しない 誰の自由も尊重する 大好きな人……

Winterreise『冬の旅』:第六章「あふれ流れる水」Wasserflut

2018-12-10 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
前章、、 菩提樹の葉のそよぎは 夏の思い出… 旅人が眼を閉じ そこに一瞬見た優しい記憶の風でした。。

でも今は冬。 旅人が辿るのは氷の道… ひととき夢を見せた瞼からは《涙》があふれ落ちます。。




第6章のほとんどを ボストリッジさんは楽譜と音符の説明に費やしています、、 シューベルトの自筆譜を示し、 この歌で反復されるピアノのリズムについてと 歌唱の関係について…

私は楽譜はたいして読めませんけれど、 音符の拍くらいは分かるので ボストリッジさんの説明を読みながら何度も繰り返してこの歌とピアノを聴きました、、、 

、、 すごい……


、、 ボストリッジさんの仰っている事がよく分かります。。 と共に、 歌う人 そして伴奏者は そのような綿密なことを考えていらっしゃるのか、、と。

 ***

楽譜のことはネタバレになるので省略して、、 リサイタルで歌う時のお話のことで、、
リート(歌曲)のリサイタルでは照明を落とさないという事を初めて知った無知な私でした。。 観客が歌詞やその翻訳を参照しながら 歌曲の詞を理解しながら聴くことができるように、、なのですね。

、、だから ステージからもまた お客さんの様子がよく見えるのだと…  そのお話のつづきも興味深いものでした。。

でも、 そういう意味では リートのリサイタルに行くのはちょっと緊張しちゃうな、、(笑) 普通は前の方にいる人しかステージからは見えないものだと思ってましたから、、。 ボストリッジさんが歌いながらどのようなことを(目で客席を見ながら)考えていらっしゃるかということも、、 とても面白かったです。。

 ***




旅人は雪と氷の道を 重い足取りで進んでいきます、、 うつむいた彼の顔から零れ落ちる涙…

、、《涙》、、 (氵戻)

、、「人が海に戻ろうと流すのが涙なら…」 と THE YELLOW MONKEY の吉井さんは名詩を創られましたが、、 (聖なる海とサンシャイン>>official video


… この旅人は 涙が雪を溶かして流れをつくり… そして 自分の涙をたどっていけば、、 小川はやがて愛する人のいる場所へと、、 (引きずるような歩みは雪を踏んで進んでも、想いは再び振り返ります)

、、 という事は 旅人は低い処から高いところへと、、 山へと向かって歩を進めているのですね。。 街から遠ざかり、 山のほうへ。。 山脈のような所かどうかは判りませんけれど、、 雪に閉ざされた峠に向かって 重く脚を進めているのですね。。 
楽曲の中にそのすべての景色があります……


今朝は冷えました。 大雪の便りもきかれました。


、、厳しい旅をする人を暖めることはできませんけれど、、 その姿に想いを寄せます。。

自分以上の自分の生命…

2018-12-09 | …まつわる日もいろいろ
気をつけているつもりでも、、

やりたいこと、やらなくちゃならないことが重なって せわしない気持ちを雪だるまみたいに膨らませて、、それで調子を崩している自分に気づいて苛立ったり、、 悲しくなったり、、

そんなことで苛立つ自分が悪いのだけど 人間が出来ていないので それでなおも悲しくなったりします…


そんな弱音を吐いてないで、 やるべきことを頑張ってしようかと思ったけれど、 それよりも今日は絶対レコードを聴くんだ、と… そうしよう… そう思って、 レコードを聴くことにしました。


Francoise Hardy - PERSONNE D'AUTRE

前にも此処に書いた事のある フランソワーズ・アルディさんの今年の春に出たアルバム。。 長い間まよっていたのですが(仏語がわからないので日本盤が出ないかしらとも思って…) 結局 秋深くなって、LPレコードで買うことにしました。 でもまだ一度も針を落とさずに……

、、 きょうはだからこれを必ず聴こう、と、、。

やはりレコードにしてよかったです。 ターンテーブルや針の様子を見て、 細かな塵をふき取って、、 レコードにスプレーしてまた拭き取って、、 そういう手順をしているだけでなぜか気持ちが少し落ち着く…

余計な伴奏の少ない、 言葉の発する口元の微妙な動きまで感じさせるように歌声が流れて、、 そのあとに控えめなドラムスや ミュートしたギターの音色などがそっと重なってくる。。 この空気感がやはりレコードにして良かったと思う。。

 ***

先日、 引用した『嵐が丘』のキャサリンの言葉がありますが、、 あの引用の前の部分も、 重要なキャサリンの意志というか 信念を示した名句として良く知られている部分で、、

  I cannot express it; but surely you and everybody have a notion that there is or should be an existence of yours beyond you. What were the use of my creation, if I were entirely contained here?

  あたしにはうまく言えないけど、おまえにしろ誰にしろ、自分以上の『自分の生命』がある、またはあらねばならぬ、という考えはみんな持ってるでしょう。 もしあたしというものが、ここにあるだけのものが全部だったなら、神があたしをお造りになったかいがどこにあるでしょう?
        (田中西二郎訳)


、、 そして、この数行後に前に書いた部分へとつながっていくのですけど、、
「あたしはヒースクリフ…」 という あの言葉だけだったなら、 恋におちた激情だけの叫びとも思えるかもしれません…
existence of yours beyond you(自分を超えた自分の存在)こそが the use of my creation だと思うことは、 この世界に生きて 誰かを愛することの真理だと そう私にも思えます、、

だから、 私が 私自身が思うように動けなかったりしんどかったりして悲しいのは 自分で自分を悲しがって(憐れんで)いるのではないのです。。 なかなかそれが分かってもらえないんだけど…
… 私はちっとも私が悲しいのではないのよ、、

 *** 

「You're My Home」で フランソワーズ・アルディさんの歌う

 “I would fight every day / Just to show you I am strong”

も、、 たぶん そういう意味なのだと思います。 自分以上の自分の存在こそが 私の日々生きている意味なのだと……


、、なんて

大仰な屁理屈を言っていないで あったかい紅茶を飲んで 今度はチェット・ベイカーさんをかけましょう…

夢のような…:ドイツ・グラモフォン創立120周年 Special Gala Concert

2018-12-06 | LIVEにまつわるあれこれ


昨夜は 夢のような時間を過ごさせてもらいました…

前半のサイトウキネンオーケストラのヴァイオリンの煌めく波… 

後半のムターさんの美しさ…(もちろん音色も)

そして
本当にお身体はちいさくなられたけれども、 小澤さんが音を操る姿は大きかった。。 

前半も、 後半も、、 何度も涙がこみあげました、、 幸せで…


小澤征爾さん 1年2か月ぶりにオーケストラを指揮(NHK NEWS WEB)

1年2カ月ぶりオーケストラ指揮 小澤征爾さんが復帰公演 FNN PRIME








時間があれば追記いたしますね、、

 ** 追記 **

ドイツ・グラモフォン創立120周年 Special Gala Concert
Presented by 小澤征爾 & サイトウ・キネン・オーケストラ
 @サントリーホール
(オフィシャルサイト>>

・チャイコフスキー:歌劇《エフゲニー・オネーギン》 作品24 ポロネーズ
・チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64
【指揮:ディエゴ・マテウス】

・J.S バッハ:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042
・ベートーヴェン:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス 第1番 ト長調 作品40
【ヴァイオリン独奏:アンネ=ゾフィー・ムター、指揮:ディエゴ・マテウス】

・サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28
【ヴァイオリン独奏:アンネ=ゾフィー・ムター、指揮:小澤征爾】


小澤征爾さん&サイトウキネンオーケストラはずっと観たかったんです。。 小澤征爾さんは 25年前くらいに一度間近で拝見(遭遇)したことがあって…  、、当時 私が働いていた職場に 小澤さんが所用でいらして、、 リハの途中のお姿だったのでTシャツ姿でにこやかで動きが素早くて、、 ほんの短い遭遇でしたけど 全身から発するエネルギッシュな魅力と人懐こい笑顔に職員全員魅了されました。

、、それでSKOはずっと観たかったんですけど…

毎年松本で開催されるようになって、、 ある年 お友だちの父君がお仕事関連でチケットを入手され でもその父君は多忙で他の人にあげてしまったと… それを後で聞き、 (なんでくれなかったの~~!)と。。 (だってお前東京にいるから)、、って、(チケットあったら東京からだって行きますよぉ~!!) と…(泣) 、、そんなことがあってのち、、 お父様はご病気され 友人も夏のSKOに出かけられる余裕も無く、、

、、 小澤征爾さんも近年ご病気を重ねられ 今年のSKOも降板されたと聞いていたので、 今回のグラモフォンコンサートを知った時 すぐに行きたいなぁと思ったのです。 友人と(もしチケット当たったら行こうね)って。。 最速抽選のチケット、、 でも当たると思わなかった。。

 ***

ホールに入った途端、 グラモフォンイエローの花々で埋め尽くされた会場に心が舞い上がりました。 まるで毎年TVで見るウィーンフィルの楽友協会みたいで…

コンサートの感想は、、私なぞにはろくなこと書けないのでユニバーサルのレポートをご覧になって、、⤵
公演レポート(UNIVERSAL MUSIC)

指揮者のディエゴ・マテウスさんは初めてでしたが、、 チャイコ5番。 素晴らしかったです♪ 今夏のSKOでも同曲を演ったのですね。
オケの編成については私まったく無知ですが、、 ヴァイオリンがステージの右から左までずらりと並び 弦楽器の音色の豊かさは サイトウキネンだからこそ? もう弦楽器の表情ある音色の波に感動でした。(その弦の波の合い間で光る、 木管部のソロや たった独りの打楽器ティンパニーの鋭さ)

音楽は身体で聴くもの… という事を実感しました。。 弦楽器の震え、 特にピッチカートは 本当に弦を弾くと空気の波動がこちらに伝わってくるんですね、、 ステージ左右いっぱいの弦奏者によるピッチカートは 音の波がびゅん! ってあちらからこちらへ波打ってくるのがわかるの。

今回ほど自分の片耳が聞こえないことが残念に思えたことは無いなぁ、、。 骨に振動として音が来ていることは判っているの、 でも 音として聞こえない。。 お友だちに訊いたら(左右に指揮で振り分ける音の波がすごかった)ってやはり言っていたから、 私にはこっちまで来ている事はわかるの、 でも片耳側まで行ってくれないの、、《半分暗い》の、、 それでも全身全霊で感動しました。 音って、身体で聴く波動とかヘルツがきっとあるんだな…って。 だから、きっと私 イヤホンで聴くの嫌いなんだな、って。。 レコードや昔の大きなCDラジカセの方が 音が楽しめるのはそんな理由もあるのかな、って。

 ***

話、逸れました。。

ムターさん、美しかった。。 指揮なしの弾き振りでやったバッハ。 振り返って指揮する姿も優雅。 かつてチェンバロをカラヤン自身が弾き、 ムターさんが独奏するのを映像でみたことがありましたが(まだ若くて緊張されていたような…)、 昨夜はムターさんの笑顔もさらに美しく、 音の優雅さと表情も豊かさがずっと増していたような気がしました。
 
でも その表情がさらに 小澤さんが登壇された瞬間からまた別の次元の豊かさに高まって、、 楽団の方々も、、。 それはもう小澤さんの力、 全身から発せられる力のせいでしょうね。。
ステージまで歩いて登場される姿は (腰椎圧迫骨折をされたので)背中がとても丸くなり お身体もすごくちいさくなって、、 あの夏のTシャツで小走りのお姿を思うと月日を感じてしまいますが、、
指揮をなさる姿は熱く とても力強いものでした。
 
両陛下もバルコニーでご観覧され、 最後は会場じゅうのスタンディングオベーション。。 ムターさんに手を引かれてそして抱き合って、 小澤さんは5度も!! ステージと袖を往復されました。 嬉しいやら、 (腰がお辛いでしょうに)お気の毒やら、、。 


何度も感極まって涙目になりつつ、、 今は亡きお友だちのお父君に(きっとあの時は悪かったな、とチケット届けて下さったのね)と語りかけ、、 ウィーンに行ったかのような花々を前にして 私の亡き父に (パパもこういいう場所でコンサート観たかったでしょう?)と、、 夢のような一夜に感謝をしたのでした。。
そして小澤さんの指揮を目にすることが出来て、、 自分もどんなに身体がつらくなっても、 年齢を重ねても、、 感動する歓びがある限り、、 先へ歩みを進める力と好奇心の泉はまだ尽きずに生きていられるのかも、、 そうでなくっちゃね、、 と思うのでした。


昨夜の演奏は 音源化されるそうです。 映像化もされたらいいな…

Doyle Bramhall II のスタジオセッション

2018-12-05 | MUSICにまつわるあれこれ


ここのところクラシック音楽の話がつづいていますが ロックもちゃんと聴いてます、、書く時間が無いの~~♪
ドイル・ブラムホール II の10月に出た新譜「shades」も もちろん聴いてます。。 当初、(鼻歌で曲つくってんじゃない?)なんて 失礼な感想も書きましたけど、 ドイル、 クラプトンさんへの提供曲にしても、 テデスキ・トラックスさんらへの曲にしても、 シェリル・クロウさんとのアルバムにしても、、 曲づくりが結構巧者なので なんだかさらっと作ってしまうのじゃないかな という 一見(一聴)耳馴染みの良い作品が今回のアルバムには多くて……

でもね、 一曲のうちでも歌い始めからだんだん曲が進んでくると やっぱり一筋縄ではないのです。。 新譜も 最初聴きやすいアルバムだなぁ、、と思ったものの じわじわ… じわじわ… きます。。 で、 これは前も書きましたけど ギターの音色は 良い! 当たり前だけど、、 良い。。

 ***

今 ドイルは盛んにライヴを重ねていると思うのですが(あんまり情報追えてませんが…) 今回、 なんだかプロモーションにも力を入れてくれているのか、、 ラジオ局とかでのスタジオセッション風景を公開してくれることが多くて、 それがとてもとても有難いです。

最初に見たのが Paste Magazine のスタジオセッション⤵
http://amass.jp/111510/

これを見て、、 うわぁ このメンバーよいわぁ… 誰だろう、、 誰たちだろう、、と調べて、、
、、このメンバーでツアーもしているのかしら、、 調べよう、 此処に書こう、、と思いつつ 時間なくてそのままになってて、、

ギタリストのクリス・ブルースさんは20年以上も前からのドイルの盟友ですし、 シェリル・クロウさんとのアルバムでも一緒、 クリスはエイミー・マンやミシェル・ンデゲオチェロのアルバムでもしばしばギターやベースを弾いているテクニシャン。。 クリスは勿論ですけど、、 ほかに今回 特にベーシストさんと ピアニストさん、、 巧いっ!! キーボードさん、ドイルのほうを一生懸命見てタイミング計って合わせる感じも可愛い、、そして上手い、、 なんだかニッキー・ホプキンスぽいところも感じる。。 
ドラマーさんはドイルのバンドメンバーで見た事がありましたがこの人も巧いっ。。 要するに全員すばらしいっっ

今朝、 もうひとつスタジオセッションが見れたので そちらも⤵
http://amass.jp/114259/

やはり同じメンバーです。。 これはもう書いておくしかない、、

サイドギタリストは Chris Bruce  オフィシャルサイトが無いので All Music の今までの参加アルバムのところへリンクしておきます>>

ベーシストは Andy Hess オフィシャルサイトはこちら>>https://andyhess.com/home
もうベテランさんでいらっしゃいますね、、

キーボードは Jake Sherman オフィシャルサイト>>http://www.thejakesherman.com/
本人のアルバムの優しい歌声も素敵…
この演奏 すごく素敵だから見てあげて>>Jake Sherman - We Will

ドラマーは Abe Rounds オフィシャルサイト>>https://www.aberounds.com/
トップページの写真に一緒に写っているのは James Gadsonさんですよね? ドイルのPVでもカメオ出演してらしたし、、(でも今回のアルバムにはギャドスンさんは参加してないみたいよ) 二人&ドイルはどんな関係なんでしょう、、

、、このバンドメンバーいいなぁ。。 


前のシェリル・クロウさんとのバンドもとっても見たかったんだけど来日は無くて、、 今回のドイルのバンドで来日してくれないかなぁ、、 見てみたいなぁ。。。
 
 ***

さて…!

今夜は 巨匠にお目にかかりにまいります。。  お洒落しなくちゃ…


よい一日になりますように…

Winterreise『冬の旅』:第五章「菩提樹」Der Lindenbaum

2018-12-04 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)

写真は菩提樹ではありません。。 菩提樹の写真 もってないので…

、、「菩提樹」という木について 殆んど何も知らないという事に気づき、 まずはそこから調べました。 私、 この歌で歌われている菩提樹という木を見たことがあるかしら…? と。

《ボダイジュ》…ウィキ(>>)にだいたいのことは書かれていますが、 お釈迦様がその下で悟りを開いたのは インドボダイジュ。 シューベルトに歌われているのは セイヨウボダイジュ。 そして、 私が故郷で目にしていたのは オオバボダイジュ、、 だったということが判りました。

では、 セイヨウボダイジュ(リンデンバウム)。 
都内ではどこで見られるのかしら、、と思ったら、 一番わかりやすい場所が 新宿御苑の入り口手前の街路樹。 そうでした、 春 御苑のつつじ山が綺麗になる頃、、 門に入らずとも入り口の前でこの薄黄色というか白と黄色と黄緑をわずかに合わせたような小さな花が たくさん零れているのでした。。

リンデンバウムはハーブとしてもよく知られ、、(といっても今わたしその香を蘇らすことが出来ません、、 今度アロマ屋さんで嗅いで来なければ…) アロマオイルやハーブティーがあるそうです。 早速ハーブティーも検索しました、、
 
 ***

シューベルトの「菩提樹」、、 この「冬の旅」曲集の中では最もよく知られ、 よく歌われている歌です。 だから私も知ってます、、

ボストリッジさんのこの第五章は、 有名な歌、 人々によく知られた樹 だからこそどの部分もネタバレできない貴重なお話ばかりです。 ほんと、、 この一章だけで、 シューベルトの「菩提樹」の比較文化史、 比較文学史、 の立派な論文として成り立ちます(でも 全然論文用語みたいな難解さはなくてほんとうにわかりやすい言葉で書かれていますが)。 

語られる文学は、 オウディウスの『変身物語』にはじまり、 ゲーテの『ヴェルテル』、 トーマス・マンの『魔の山』、 プルーストの『失われた時を求めて』など…

英国のロマン主義詩人 コールリッジの詩、、 すみません (- -); 今まで何度もコールリッジの事このブログに書いておきながら 、、「著名な」と書かれているこの詩をワタシ読んでません、、"This Lime-Tree Bower My Prison"

岩波の『対訳 コールリッジ詩集』にも、 彩流社の『幻視と恍惚 イギリス・ロマン派詩を読む』黒岩忠義 著 にも、 この詩のことが載っているようです、、 (もっと勉強しないと… と痛感するばかり、、)

、、と こんな風に ボストリッジさんの博学に誘われて リンデンバウム(英語ではLime-Treeなんだそうです)の事を検索したり、、 そのリンデンバウム(菩提樹)が重要な意味を持つ文学作品を教えられたり、、 ほんと、 音楽論でもある以上に 私には大切な文学史の教科書になりつつあります、、

 ***

もうひとつ、 この第五章「菩提樹」でやっと知った 《一音の違い》

、、私のよく耳馴染んでいた歌は そちらの《一音違い》のほうの歌っだったかもしれない… それは冒頭の写真にあるような、 光こぼれる初夏の葉のそよぎ、、 安らぎと郷愁をもたらす木陰、、

でも、 今は「冬の旅」。
プルーストではないけれど、 緑の葉のそよぎは もはや失われた時…… 

、、 そして 昨日書いた ロマン派のキーワードへと結びつくのですね。。





来春…

リンデンバウムの花を見に行ったら、、 雪の結晶とみまごうか、、


確かめてみなくちゃ…