一昨日の朝 4時くらいにいちど目が覚めて、 カーテンの透き間がもう明るんでいたので 夜明けが早くなったことにおどろいてそっと外を覗くと…
東の空にとっても綺麗な星が瞬いていました。
金星…? と思ったけど、 あまりにもきらきらと、 ほんとうに星が何か言っているみたいにふるえながら瞬いているので、 人工衛星? 宇宙船…? なんて思いながら しばらくじっと見つめてしまいました。
ジグザグに飛んで消えて…は行かなかったです 笑
***
先月、 古い本からの引用をしました。。 「蔭が何か言い始めるという風な…」と… (>>)
あの本は 吉田健一の1971年出版の『瓦礫の中』という小説からの引用でした。
本の内容についてはまた改めて書こうと思っていますが、、 とても興味深く面白く読み終えました… が、 私の乏しい理解力と表現力では、 「その蔭が何か言い始めるという風な感じがする」女の人のことをひと言で説明できるほどには解りませんでした…
そのあと、 何冊かの吉田健一の随筆や小説を手にとり、 独特の 指示語ばかりが並ぶ息の長い文章にも慣れましたけれど、、 慣れたとはいえ難物です。。
さきほどの 「蔭が何か言い始める…」を読み解く助けにもなるかも… と私が思った箇所を、 別の本『言葉というもの』という随想集の中から引用してみます。 吉田健一の文の特徴も少しわかると思います…
(略)…林檎を赤いと見るのはそこにあるものをあるとするだけのことでそれならば林檎とその林檎が載っている皿の区別も付かず、その影に意識が及ぶことで始めてそれがその林檎という何かになった。・・・略・・・
それは世界を初めから見直すことでもある。その世界が地球である時にその影は夜であって我々は夜を昼間よりも陰翳に富むものとして愛した。それは陰翳というのが分析に際限なく堪えるものだからで白昼の光はそれに乏しくも夜はこと毎に人間に眼で確かめることを許す。…略 「素朴に就て」
、、「それ」「その」「それを」「そこに」、、という指示語がひじょうに多いのがこのかたの最大の特徴で、 それが示すものがひとつの文とか前の文では収まらずにずーーっと関係していくこともあって、、
上記の引用でも 林檎の「影」に気づくことによって林檎というものが確かになる…という感じはまだ分かると思うのですけど、 夜は昼よりも「陰翳」に富むから「眼で確かめることを許す」って、、 昼のほうが明るくて眼で見やすくない? 夜の陰翳を眼で確かめるって…??
、、なんだか逆説のように感じられます。。 この文章は「素朴に就て」語っている章なのですが、 「影」や「陰翳」を「分析」する態度と 「素朴」がいったいどう繋がるんだろう… と、、 話は詩から小説、 日本とヨーロッパの近代、 ひとの人生や時間、と繰り広げられます。「素朴」について…? ・・・やがて認識は引っくり返されていく感じです… ちゃんと理解できたとは言えないんですけど。。
***
話を 「その蔭が何か言い始めるという風な感じがする」女性のことに戻して…
さきほど挙げた引用の中にも 「夜を昼間よりも陰翳に富むものとして愛した」とありますし、、 ともかく 小説のその女性のことをとても愛している、ということだけは良くわかりました。 そして、 たぶんこの女性は 「素朴」でもあるのだと、 そんな風にも読めました。

一昨日の明星…
今朝も5時少し前に目覚めたので、 急いで窓辺をのぞいて見てみたのですけど、、 その時間にはもう空はすっかり白んでしまって 星はどこにも見つけられませんでした。
やはり 陰翳があってこそかがやくものが見えるのですね…
健一さんの御本はあたまがウニになるのでおやすみして…
愉しい週末にしましょう…☆彡
東の空にとっても綺麗な星が瞬いていました。
金星…? と思ったけど、 あまりにもきらきらと、 ほんとうに星が何か言っているみたいにふるえながら瞬いているので、 人工衛星? 宇宙船…? なんて思いながら しばらくじっと見つめてしまいました。
ジグザグに飛んで消えて…は行かなかったです 笑
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先月、 古い本からの引用をしました。。 「蔭が何か言い始めるという風な…」と… (>>)
あの本は 吉田健一の1971年出版の『瓦礫の中』という小説からの引用でした。
本の内容についてはまた改めて書こうと思っていますが、、 とても興味深く面白く読み終えました… が、 私の乏しい理解力と表現力では、 「その蔭が何か言い始めるという風な感じがする」女の人のことをひと言で説明できるほどには解りませんでした…
そのあと、 何冊かの吉田健一の随筆や小説を手にとり、 独特の 指示語ばかりが並ぶ息の長い文章にも慣れましたけれど、、 慣れたとはいえ難物です。。
さきほどの 「蔭が何か言い始める…」を読み解く助けにもなるかも… と私が思った箇所を、 別の本『言葉というもの』という随想集の中から引用してみます。 吉田健一の文の特徴も少しわかると思います…
(略)…林檎を赤いと見るのはそこにあるものをあるとするだけのことでそれならば林檎とその林檎が載っている皿の区別も付かず、その影に意識が及ぶことで始めてそれがその林檎という何かになった。・・・略・・・
それは世界を初めから見直すことでもある。その世界が地球である時にその影は夜であって我々は夜を昼間よりも陰翳に富むものとして愛した。それは陰翳というのが分析に際限なく堪えるものだからで白昼の光はそれに乏しくも夜はこと毎に人間に眼で確かめることを許す。…略 「素朴に就て」
、、「それ」「その」「それを」「そこに」、、という指示語がひじょうに多いのがこのかたの最大の特徴で、 それが示すものがひとつの文とか前の文では収まらずにずーーっと関係していくこともあって、、
上記の引用でも 林檎の「影」に気づくことによって林檎というものが確かになる…という感じはまだ分かると思うのですけど、 夜は昼よりも「陰翳」に富むから「眼で確かめることを許す」って、、 昼のほうが明るくて眼で見やすくない? 夜の陰翳を眼で確かめるって…??
、、なんだか逆説のように感じられます。。 この文章は「素朴に就て」語っている章なのですが、 「影」や「陰翳」を「分析」する態度と 「素朴」がいったいどう繋がるんだろう… と、、 話は詩から小説、 日本とヨーロッパの近代、 ひとの人生や時間、と繰り広げられます。「素朴」について…? ・・・やがて認識は引っくり返されていく感じです… ちゃんと理解できたとは言えないんですけど。。
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話を 「その蔭が何か言い始めるという風な感じがする」女性のことに戻して…
さきほど挙げた引用の中にも 「夜を昼間よりも陰翳に富むものとして愛した」とありますし、、 ともかく 小説のその女性のことをとても愛している、ということだけは良くわかりました。 そして、 たぶんこの女性は 「素朴」でもあるのだと、 そんな風にも読めました。

一昨日の明星…
今朝も5時少し前に目覚めたので、 急いで窓辺をのぞいて見てみたのですけど、、 その時間にはもう空はすっかり白んでしまって 星はどこにも見つけられませんでした。
やはり 陰翳があってこそかがやくものが見えるのですね…
健一さんの御本はあたまがウニになるのでおやすみして…
愉しい週末にしましょう…☆彡