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星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ロウソク1本の祈り

2005-04-30 | アートにまつわるあれこれ
 小さな幸せ。
 電車の中の人々の、いつもとは違うやすらいだ表情。
 お堀端を彩る新緑と花々。
 
 上野公園前は、小さなリュックを背負った子供たちでいっぱい。
その一群と離れて、西洋美術館へ、、、。混雑を想像していたけれど、案外GWは遠くへ出かけてしまうものだし、それに明日の日曜美術館が、この「ジョルジュ・ラ・トゥール」の特集のはずだから、その後は急に混むかも知れない、、、そんな予想が当ったのか、とてもゆったり鑑賞できた。

私の知っている「ラ・トゥール」は、お花の絵をたくさん描いたファンタン・ラ・トゥールだけだった。でも、「ロウソク1本だけの光源に照らされた人物像を描いた画家」と教えられ、レンブラントや、カラヴァッジョのような光と闇の効果を思い浮かべて楽しみに見に行った。

・・・それはとても静かで、敬虔な祈りのような絵だった。
中でも、ラ・トゥールが多く描いたという「マグダラのマリア」をテーマにした、物思いの姿の1枚や、そして、、、
私が最も心惹かれたのは、ほんの12年前に発見されたばかりだという、「荒野の洗礼者聖ヨハネ」(写真)
マグダラのマリアも、洗礼者聖ヨハネも、ポーズは似通っている。聖ヨハネの子羊に向けたまなざし。性差を超えたような、優しい表情。なめらかな胸や手にも、中性的な美しさがあるけれど、でも、堅い肩から首は、若々しい男性のもの。その美しさ。

総てを見終わって、もう一度この絵の前に立って、「あの膝頭は、右脚だろうか、左脚だろうか」と話をしていた。
ふと見れば、前屈みに子羊の方を向いているので右脚に見える。けれど、絵の左端に向かう影が、もう片方の脚を包む衣服であるから、膝は左脚のものだとわかる。そうすると、子羊の前に屈んでいるしなやかな身体が、両脚を大きく開いて上半身を大きく捻った、若々しく逞しい、凛々しい姿であることに気づく。

この絵のA4版のものを買ってきて、家に帰って、今までずっと飾ってあったオフィーリアの絵と交換した。オフィーリアの美しさももう充分に堪能したから。。「荒野の洗礼者聖ヨハネ」と、小さなポストカード版の「書物のあるマグダラのマリア」が、リビングの片隅に置かれた。。。いつまでも見飽きないその絵を見ていて、、、この美しさが何かに似ていると感じていた、、、、そう、、弥勒菩薩のお姿、、。前屈みの、なめらかな胸と腕の、、、半跏思惟坐像。、、半跏ではないけれども、その静かな思索と祈りのようすが、私たちの祈りの対象になるのだろう、、、そんな風に思った、、、。

、、、夜、、、、。
クルマの少なくなった街では、いつもより街灯りが、ずっとずっと遠くまで、キラキラと見渡せることに気づいた。空気がいつもより透明なのだ。地平のはるかまでずっとずっと、無数に散りばめられた街の光は、宝石のように輝かしい。でも、そのひとつひとつはちっぽけな人間ひとりの生活の明かり。それが集まっているだけ。。だから華やかなようでも、じつはとてもささやかな光なのだと思う、、、、1本のロウソクのように。

恋人に会いに行くようです。

2005-04-17 | アートにまつわるあれこれ
高校生の頃から絵を見に行くのが好きだった。
たいがいは独りで、、あるいは、きっと好きになって貰えそうなお友達を誘って。
新しい絵との出会いに心躍らせながら。
田舎から東京へ遊びに来るたび、何かの美術展を見て帰った。
何の知識もなかったけど、、、
出会ったのは、ビュッフェ、デューラー、ヤンセン、シーレ、、etc
そして、芸術の<縁>で、、ここで暮らすことになった不思議。。

今年の春は、貴重な美術展がいっぱい、、、うっかりしていると見逃してしまう。
いちばん好きな画家、野生児のようなサロンへの反逆者、クールベがまた見られるのは嬉しい! クールベを好きなのはたぶん彼の故郷オルナンの山と湖の風景が、自分にとって近しく感じるからなのでしょう。

写真は「ベルギー象徴派展」、、英国のラファエル前派の作風、とくにバーン・ジョーンズの影響が感じられます。初めて見る作家ばかりだと思うので、とても楽しみ。

そして横浜美術館では、ダヴィッドの「マラーの死」という絵を観たいし、、、
そしてそして、
2005~6年は、<日本におけるドイツ年>ということで、美術展のみならず、音楽祭、映画祭、と素晴らしいイベントが続きます。今、ドイツ映画に注目してる私は映画祭もすご~く楽しみ!!(これはまた書くので、、ひとまず置いといて、、)

ドレスデン国立美術館展には、またフェルメールがやってきます。今度は「窓辺で手紙を読む若い女」
小説「ハンニバル」でしたか? 世界に点在するフェルメールを1点ずつ観に行くのが夢、、、という刑務所の看守が出てきましたが、日本にいながら、フェルメール作品を幾つまで見られるでしょうか。。。もちろん、世界を旅して、その国の美術に触れられるのが一番、、、だけど、、身体的なリスクを背負って長旅をするのは私は大変だし、、、貴重な文化遺産が海を越えて日本を訪れてくれる事に感謝して、、また双眼鏡もって観に行こう。。

これから論文で忙しくなるばかりだけど、、素敵な楽しみを心の拠り所として!

国立西洋美術館 ラ・トゥール展 (~5/29)

三鷹市美術ギャラリー クールベ美術館展 (~6/5)

bunkamuraザ・ミュージアム ベルギー象徴派展 (~6/12)

横浜美術館 ルーヴル美術館展 (~7/18)

ドレスデン国立美術館展 (6/28~9/19)

the end of the world

2005-04-12 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
昨日の日記がまるで読まれたかのように、
BXから夜、メールが届いていた。
 [ Last night at CBGB was only the beginning. ]ですって(笑)

 ***

CBGBがなかなか繋がらないので読みたかった本が読めてしまった。
デイヴィッド・アーモンド著 『火を喰う者たち』。
前にも書いたとおり、やはり主人公は少年だった。イギリス北部の寂れた町に暮らす、中学生になったばかりの男の子。時代は1962年秋。TVがキューバ危機のニュースを伝えている。

キューバ危機の年。ウチでは兄貴が赤ん坊。私はまだ生まれてない。
読みながら少し不思議に思ったのは、、登場人物(英国の人たち)に、戦争の記憶がとても強いこと。
第2次大戦に出征したお父さんと、その友人、戦争の後、おかしくなってしまったらしい「火喰い男」、、、彼らの間で、「また戦争がはじまるのか・・・」という不安が募る。
'62年の日本、、、高度成長の真っ只中で、、父親たちがそんな風に戦争の恐怖に脅えていたのかどうか、、、。原爆を体験した国民でも、、日本人は忘れる事が得意なのかな。。父がいないから、キューバ危機の時、何していたか聞く事も出来ないな。。

アーモンドの作品、この前に読んだ『肩胛骨は翼のなごり』でもそうだったな、と感じたのは、不可思議で恐ろしい「異質な者」と、守られなければ存在できない「最もか弱い者」の両方が登場すること。前者は、翼を持つ男だったし、今度は火喰い男。後者は、心臓の病気を持つ赤ちゃんで、今度のでは、、仔鹿かな、、。子供の眼を通して、不可解で恐ろしい存在と、か弱い命の両方が、自分と分け隔てのないたいせつな命、として描かれる。

それにしても・・・。世界が最後の戦争を始めるかも知れない時に、
  「もしどうしてもだれかを召さなくてはならないとしたら、このぼくを」
と祈れる少年の美しさが、いまの、日本の私たちは理解できるといえるだろうか、、、。自分の恋人や、子供の為にだったら、「自分を身代わりに…」と言うだろう、、けど、、「すべての生き物」のために祈れるかな、、、。祈れるようでありたいな。。たとえ救い主などいなくとも。。

でもこの物語は、キューバ危機にまつわる重い話だけではないです。
映画『リトル・ダンサー』も、英国の炭鉱町の物語だったけど、あの時の父ちゃんと同じ、不屈の魂を持った父さんと、、それから、これはちょっと出来すぎとも言える位の、素敵な母さん。いつも歌を歌い、周りを愛で一杯にする「天使」。
こんな素敵な母さん、、、映画にするなら誰?、、と考えたけどわからない。。でも、、今の私は・・・英国人じゃないけど、コートニー・ラブをちょっと想像してる、、、。このところさんざん書いてきたR.E.M.のことも、<世界の終末>も、<火喰い男>も、コートニーも、みんな繋がっている世界だと感じてるから、、、それはまた。。
父さんは、、誰? ロバート・カーライルじゃ細すぎ。。彼には「火喰い男」をやってもらおうか。

・・・かつて、吉井さんが「外国で飛行機が落ちました、、、僕は何をおもえばいいんだろ」と歌った気持ち・・・見知らぬ他者や、遠い世界と、自分とが等価になること、、、それが、愛することだし、人間としての成長だと思うしね。。そんな世界観が好きです。

同じくキューバ危機を描いた映画『13デイズ』
あのラストで、ケヴィン・コスナーが言った台詞が忘れられないんだ。。「人間と悪魔を分けるものは、○○だ」と。。確か、、、そう言ったと思う。あの映画もまた見たいな。JFケネディを演じた俳優さん、見事でした。

デイヴィッド・アーモンド著 『火を喰う者たち』
『肩胛骨は翼のなごり』
映画『13デイズ』(DVD)
映画『リトル・ダンサー』(DVD)