星のひとかけ

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フロイト、リルケ、そしてバルテュス…

2023-03-15 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
先月、 文学の先輩からのメールに 「フロイトがエッセイに書いた《無常》について」 という記述があり、

それは 第一次大戦前年のこと、 フロイトとルー・ザロメと詩人のリルケの3人で散策中、 リルケは この美しい風景も、人が創り出した美も、所詮消え去ってしまう儚いものだと言い、 対してフロイトは いずれは失われてしまう無常にこそ、限りある時間の中で享受する価値があると述べたという。。

、、ここからメールの話はリルケを離れ フロイトのことに続いたのですが、、

私はフロイトのこともリルケのことも殆んど知らないけれど、、 リルケが上記のように すべては消え去ってしまう儚さを嘆いた、というのがなんだか引っ掛かって… というのも、 私がリルケで思い浮かべられる事と言えば 堀辰雄が『風立ちぬ』のなかで引用した詩「レクイエム」の 

 帰っていらっしゃるな。そうしてもしお前に我慢ができたら、
 死者たちの間に死んでお出(いで)。死者にもたんと仕事はある。


という死者への呼びかけ。。 生命も美も所詮消えてしまうと嘆く姿勢とこの「レクイエム」の死者への呼び掛けがどうも同一に繋がらない気がして、 それでリルケが《死や死者》に対してどのような考えを持っていたのか、、 なんだか知りたくなってしまったのです。

先のフロイトとリルケのことを検索していたら、 表彰文化論学会のサイトのエッセイに行き当たりました。 こちらにも同様のフロイトとリルケの散策のことが書かれています
 「100年前の悲嘆と希望──フロイトの無常論に寄せて」
 https://www.repre.org/repre/vol45/greeting/

 ***

そもそも リルケという詩人について 私はなんにも知らないのでした。。 ドイツの詩人だと思っていたら オーストリア=ハンガリー帝国(当時)のプラハ生まれなのだと。。 でもその後 (リルケの妻のクララが女性彫刻家だったことから?) 彫刻家のロダンと出会い、 「ロダン論」執筆のためにパリに移り住む。 
先のフロイトとの散策の時期はwiki と照らし合わせると、 リルケが『マルテの手記』を書き終えて虚脱状態におちいり一時ベルリンへ戻ったという頃(?)なのかもしれない。

『風立ちぬ』で引用された「レクイエム」の詩は、 リルケのパリ時代、 妻クララとの共通の友人である画家パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの死を悼んで1908年に書かれたものだそう。。
 パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(Wiki)

 「鎭魂曲」堀辰雄 (青空文庫) 
 

第一次大戦後はリルケはスイスに住み、 そこでリルケの最後の愛人となった画家バラディーヌ・クロソウスカとともに暮らしたそう。。 この女性、 なんと画家バルテュスのお母さん、、 バルテュスの父とは1917年に離婚している。 そして若きバルテュスをリルケは大変かわいがり バルテュスが飼い猫ミツとの別れ(突然いなくなってしまった…)のことを描いた画集『ミツ Mitsou』の序文をリルケが書いている。
 
こちらの記事は バルテュスののちの奥さま、節子夫人の娘さんが語ったもの、、 この中にもバラディーヌ・クロソウスカのことや スイスの家の暮らしのことが語られています⤵
 画家バルテュスの娘ハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ、スイスでの夢のような少女時代を語る(New York Times Style Magazine)

画集ミツはバルテュス展で見た記憶があります。 でもバルテュスのお母さんとリルケの事とか全然知らなかったな。。

 ***

こんな風に リルケという詩人は生涯 たくさんの詩人や思想家や画家や音楽家といった人々と密接に関わり、そのなかで詩作をして 自らの思想を築いていった人なのですね。。

最初に書いた、 リルケが死や死者に対してどのような考えを持っていたのか、、 については ネットで読めるいろんな論文などを参考にさせていただいて(ほんといい時代になりました…) リルケが「世界内部空間」と呼んだ理念というものに辿り着きました。

すべての存在をつらぬいている「世界内部空間」というものの概念、、 そのことをちゃんと理解できたわけでもないし、 うまく説明することも出来ない。 だけど 其処では、 或はそのことを想う自分に於いては、 生と死、 生者と死者、 などという境界も存在せず、 過去や現在という時間の隔たりもなく、 それらは融合して在るのだという…

まだよく分かったわけではないけれど、、 でも 最初のフロイトとの会話で感じた違和感は (やっぱりな…)に変わりました。 やはりリルケは喪われることを嘆いただけではなかったのです。 それはバルテュスの画集『ミツ』への序文でもわかる気がしました(ここに載せられませんが…) 失うことによって共に在った存在が全きものになる、ということを。。

堀辰雄さんは「世界内部空間」という概念については何も書かれていないようですが、 でもリルケの死者に対する考えは確かに把握されていたのだと思います。 だからこそ

 けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
 しばしば遠くのものが私に助力をしてくれるように――私の裡(うち)で。


という詩句が 「死のかげの谷」の「私」に響いたのでしょう。。


リルケの後期の詩、 そして「世界内部空間」という概念、、 


今年はもう少し 追及していきたいと思っています。




あたらしい発見をさせてもらいました…  感謝…




「死のかげの谷」…雪、風、、そして落葉…:堀辰雄『風立ちぬ』 (過去の読書記)

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