星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

「小さな球の上で…」 いま…

2024-11-19 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
日曜日の朝…

ときおり届くことばの風…





谷川俊太郎さんが亡くなられました。

17日の朝 眼にした詩は 「目が覚める」という言葉ではじまり、  庭に眼をやる自分の生命を感じ、、 そして 「どこも痛くない」とつづいていました。

それはよかった… とそのとき私は微笑みました。 朝起きて、 どこも痛くない… お年を召してからのその単純なことの幸せ、、 そのことが(あちこちと痛い事ばかりの)私にもよくわかると同時に、、

谷川さんはその命の平静にも詩人なりのかすかな疑いのような、 ささやかな懐疑を投げかけておられました。 まだまだまだ… 詩人でありつづけておられるのだな、、と 読み終えてもう一度私はほほえんだような気がします… すでに旅立っておられたとは知らず・・・

 ***

十代の時に買った『谷川俊太郎詩集』は、 昭和53年十七版と書かれています。 この表紙の谷川さんのお写真のように、 青年らしい、 あたらしい、 新世代の… そういう輝きをもった言葉が満ちていました。

「二十億光年の孤独」 だなんて、 ただそれだけで背伸びがちな思春期未満の脳みそはうっとりさせられたものです。。 シリトーの『長距離走者の孤独』を読んだのも同じころです、、 「孤独」とついているだけで惹かれたんです、きっと… 笑

  万有引力とは
  ひき合う孤独の力である


至言なり…

いつのまにか 谷川さんはおじいさんになられ、、 私ももうじきおばあさんの仲間入りをするでしょう。。 新聞のお写真のようにおだやかな、 優しそうなおじいさんでありながら、 ときおり届く言葉たちには、 ふっとこちらのうなじがざわめくような、 脳の回路がぴっとうずくような、 詩人の鋭敏さがかならずありました。

 ***

谷川俊太郎さんと 武満徹さんがつくられた素晴らしい歌のかずかずを 今日は聴きたくなりました。 ずっとずっと大好きな『石川セリ/翼〜武満徹ポップ・ソングス』を、、


「死んだ男の残したものは」 という歌は60年代のベトナム戦争の時代に書かれたものということですが、、 その第六連


  死んだ歴史が残したものは



  耀く過去と また来る歴史…



にならなければ良いが… と思っています、、、



一会…

2024-11-17 | …まつわる日もいろいろ
昨日はサントリーホールへ。



「音」と 「楽」と 「愛」と 「喜」と

そのほかの何ものも入る余地のない特別な時間…



溶け合って  「美」になる…






我が人生は愛と喜び…


まさに。。

なんだか ひと足先にニューイヤーを迎えてしまったような…






ネルソンスさん 楽団員のみなさん しあわせをありがとう




本編のことは また書きます。。




うつくしい時間をとどめておけないもどかしさ…


それさえも 愛しさ…




良い休日を… ♪

おとづれを待って…

2024-11-12 | …まつわる日もいろいろ
このところ 
ひさしぶりに日本の現代作家さんの小説を読んでいたのですが、 日常をありのままに描くためでしょうか、、 会話の言葉が余りにがさつで読むのにうんざりしてしまい… せっかくの美しい秋の日も 気持ちまで騒々しくなってしまいそうで…

それで、 ひと昔まえに おそらくとても時間をかけて 丹精をこめて日本語に移されたであろう物語を開くことにしました。。





 …日がくれて高い帆の船がラフレイの方からそうっと入江に這入って来れば、家の南の窓に角(つの)の灯を掛けるのが彼の仕事であった。こうしてその報知(しらせ)はドウレンの島に伝わり、そこから、また別の角の灯によって、ロッセスの村にも伝えられるのであった。この微光(あかり)の音信(おとずれ)よりほかには彼が人間との交渉は稀であった。…
    (「うすあかりの中の老人」イエーツ 
        『火の後に 片山廣子翻訳集成』幻戯書房2017年)



きょうは作品のお話ではありません、、 上記の箇所を読んでいて、 「音信=おとずれ」と書かれていることに、はっとしました。 「灯(あかり)」のバトンタッチで船の到着(おとずれ)を知らせる という事と相まって、 報せ=便りのことを「音信(おとずれ)」とあらわしている事に 成程とあらためて気づかされたのです。

そして、、「音信(おとずれ)」とは、 音が次第にずれていく=伝わっていくことだろうか… それとも 音に連れられていくこと(おとづれ)だろうか… と気になりました。 ふりがなは(おとずれ)でしたけれども、、。

、、調べてみると、、
古来 神さまがいらっしゃるのを(姿が見えないので) 「音」として感じていたそうで、、 それで 神さまを招来する際には声をあげたり、鈴を鳴らしたりするのだと… そういえば、、と思い当たりました。 かつて大学で『延喜式(えんぎしき)』などの古代の儀式などを纏めた本などひも解いて、 言葉と祭礼の関係など少し調べたこと思い出しました。 

うまく説明も出来ませんので、 「音」と「神さま」のおとずれ(音連れ)のことについて幾つかの神社のサイトの説明がありましたのでそちらを…
 神戸・平野 祇園神社「神社の中のモノ・コト」>>
 出雲記念館「神社コラム・059◆神社の音・壱 」>>

、、そういえば 巫女さんが神さまを招来するために舞う際に、 手に鈴を持ったり腰に鈴をつけたりしているのも、 音によって降臨をねがっているとともに、 鈴というのは中が空洞で音がするわけですが、 「中空」というのは何かがそこから生まれる場所、という意味で 誕生や再生の意味もあるのだとか。。 鈴の代わりに古代では「蛹(さなぎ)」を腰に下げて舞ったのも誕生や再生を願うからだとか。。 これは確か、松岡正剛さんの『日本という方法 おもかげ・うつろいの文化』 (NHKブックス) という本に書かれていました。


「おとずれ」から話がひろがってしまいましたが…
わたしたちが日頃使っている「訪れ」という漢字を調べてみると、 「言」と「方」で あちこちと聞いてまわるという意味だそうですから、 自分が先へ出かけていくのは「訪れ」で、、

あちらからいらっしゃる、というのは「おとづれ」(音連れ・音信)なのかもしれません、、。


  君待つと 吾が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く

学校で誰でもが習う万葉集の額田王の歌ですが、、 この歌の「風」の気配もまさしく「音連れ」を願うものですね。


 ***


やはり 秋の日に騒々しいお喋りは似合いません。。 耳をすませて待つ風のたより、、 彼方からのおとづれ、、



どんな音とともに…




音信ありて…?

Adagio…

2024-11-08 | …まつわる日もいろいろ
ようやく体調も戻って、 ようやくの衣替えをしていた昼下がり…

郵便屋さんがポストに入らないから、と包みを届けてくださいました。 静岡へ旅したお友だちからの海の幸みやげでした(嬉) 温泉にも行かれたようで、 お湯の暖かさが恋しい季節に変わりましたね、、 

木枯らしの報せ、 色づき始める山々、、 北の方からはとつぜんの雪のたより、、…

一週間も経たないうちに慌ただしく季節がうごいていきます。。 早くも冬へと、 年末へと、、 追い立てられるような気もするけれど、 でも 街の色 光の色が優しく変化していくことを 日々嬉しく感じている自分もいる…


今朝、 ARTE Concert で アヴィシャイ・コーエン・トリオのライブが公開されているのを知りました。 以前たしか書いたことのある 若い女性ドラマーさんとのトリオ。 先月、来日されていたのですね、、 オーケストラとの共演もされるという話題を以前に見て、 行けたらいいのに… と思っていたのでした。

でもトリオのライブが観られるのは嬉しいです。
 Avishai Cohen TrioLeverkusener Jazztage 2024(ARTE Concert)

こんどの日曜日には、 ニコ響でノット監督&東響さんの演奏会の中継もあります。 こちらも行きたかったけれど(今月の予定では…と)諦めていた公演、、 中継で見させていただけるのもほんと嬉しいです。
 ニコニコ東京交響楽団>>


お部屋でライブ…


あたたかい飲み物と ひざ掛けを用意して…

足早の季節が すこ~しゆっくりと流れるように…


Adagio…



よい週末をお過ごしくださいね

11月…ちょっと待って…

2024-11-06 | …まつわる日もいろいろ
ぷれいばっく プレイバック…

…は出来ないのですよね(笑 …人生の時間は。。 早、11月も6日です 明日は立冬。

今年は空気の澄んだ秋晴れの日がとても少なかった気がします。 気温も真夏からあっという間に初冬の気温に急降下、、 大好きなニットのカーディカンの出番がありません… って、 たしか昨年の今ごろも書きましたね… 
(日本の気候も確実に変わってきていることを感じます…)

だけど昨日は 少し風が冷たかったけれど、 ニット一枚にベレー帽という格好で お薬いただきにクリニックへ行って来ました(←たいしたお出掛けではありませんが…(^^;

先月の病院での心臓エコーの結果を先生にお見せして、、 でもいつもポジティブな言葉をくださる先生曰く (あなたの場合はこんな感じで穏やか~に推移していきそうな気がするよ…)って。。 (わたしもそうなら良いなとオモイマス…)

 ***

ほんとうは先週末の連休ずっと、 体調が悪くてご飯もあんまり食べられなくて、 本も読めず 音楽も聴けず なんにも出来ない日々がつづいてしまいました。。 お天気が回復したのでどうしても、と思ってお洗濯だけはなんとか動いて、、

大好きな秋の日になにも出来ないのは本当に悲しくなるけれど、 そんなことは悔やんでいられません。 何日間か無為に過ごしてもまた動ける日がくれば途絶えてた事、 大好きな事、、 始めるだけ。。




いま 大好きなもの。 だいすきな音…


ぽーん… ♪



まずはチューニング、、 こころも。  からだも。