星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

寒~い一日でしたが

2024-03-25 | LIVEにまつわるあれこれ
土曜日はサントリーホールへ出かけました。

前回の日記で、 来週は桜の花も… と書いて、 例年ならこの時期にアークヒルズへ向かう道すじの桜が美しかったから とても楽しみにしていたのだけれど…

とっても寒い寒~~い真冬のような一日でした。 桜の蕾もまだまだほころぶ気配もなく…。 土曜日にはカラヤン広場ではマルシェが開催ということで、 この日もお店が並んでいたのですが、 ゆっくり見て歩くには余りにも寒すぎて… 残念。。

傘いらずの晴れ女のワタシなのに、、 なんだかサントリーホール行く時に限って 雨だったり寒かったりの記憶が…。 たしかにこの日も家から駅まで《傘いらず》だったんですが 何故かホール前では雨模様。。 もしやカラヤンさんが雨おとこでいらしたとか…?

コンサートホールにドレスコードはありませんけれど、 静寂をたいせつにするクラシックコンサートでは 衣擦れの音の大きな素材や、カチャカチャ金具のついたライダースなどは控えます。 座席を埋めるような大きなコートも。。 この日はショート丈のアンゴラウールのジャケットでしたが寒かったわ~~(ホール内は暖かでしたよ) はやく暖かいお洒落がしたいです。。

 ***

1月のソヒエフさんのN響以来 2カ月ぶりのコンサート。 
この日は日フィルさん。 日フィルさんは二度目なのですがオープニングがちょっと不思議、、 開演前のステージに、ぽつぽつ音出しの団員さんが登場して 一旦はけるのかな~と思いきや、 そのうちにだんだん楽団員さんが増えてきて全員集まったところで始まる~~ というのがなんだか不思議でした、前回もそうでしたし、 今回も…

しんと静まったステージに開演アナウンスが流れて、 扉がひらいて拍手とともに団員さんたち入場~ コンマスのチューニングA音♪ そして静寂。 緊張して待つ… と、指揮者さん登場。 というのに慣れているので。。
登場のしかたは楽団さんによって違うのですね…

曲目は

三善晃:魁響の譜
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番 Op.35
 ヴァイオリン 辻彩奈さん

シューマン:交響曲第3番「ライン」 変ホ長調 Op.97

指揮 アレクサンダー・リープライヒ
日本フィルハーモニー交響楽団 第758回東京定期演奏会
2024年3月23日 サントリーホール



魁響の譜ははじめて耳にする難解な でも壮大な楽曲。 混沌としているようでどこか《和》というか 《雅》というか そんな響きを感じる曲でした。

シマノフスキは ソリストの辻彩奈さんのヴァイオリンがじつに幽玄かつ豊かな音色で素敵でした。 はじまりはなんとなく幻想的で、 その音楽にふるえるような揺らめくような 艶めかしい弦の旋律が加わって、、 とても陰影ある辻さんの音色に魅了されました。

少~しオーケストラが大きかった気も。。 バルコニー席で見ていたのですが、 指揮者のリープライヒさんが ここは抑えてという感じの仕草を何度もされていたようなのですがあまり微音にはならず、、 でも辻さんの音色は埋もれるようなことは無く、 美しく歌っていました。

楽しみにしていたシューマンの「ライン」 指揮のリープライヒさんは楽章の合間をじっくりと時間をとって それぞれの楽章の気持ちの準備を(楽団さんに)ととのえていた印象。 とても丁寧な指揮をされていました。 …なんだけど、、 その指揮の指示に対してそれほどオケ全体の音色が変化していない感じがもったいないような… 

打楽器陣、金管セクション、 それと弦楽器陣とが うまくハーモニーになっていない感じもしました。 それぞれ力を込めて演奏しているのだけど 全体が融け合っていないような…。。 あくまで素人の耳で感じた印象ですが、、

リープライヒさんの指揮で違う楽団だとどう変わるんだろう… とついそんなことを考えてしまうのでした。 あ、そうそう リープライヒさんの長めのジャケット、 内側の赤い裏地がちらりちらりと翻って、 ちょっと東欧的な? ゴシック風な? 伯爵のようで素敵でした…

 ***


やっぱり ホールで聴く音楽は嬉しいです。 心にひびきます。 わくわくします。

昨日の日曜日、 6月のリサイタルもお友だちと行く約束をして、、 GWにはラフォルジュルネにも行きますし、 東響さんの秋の公演や、 これで随分たくさんの今年の公演チケットが揃いました。 あとは明日、 サマーミューザの日程が発表されるそうですし、、

新シーズンはどんな音楽と出会えるでしょう。。 とても楽しみ。 それには元気でいなくては…



新しい週の始まり。 早く春らしくなって欲しいな…




これは十日ほど前の綺麗だった辛夷の花 大好きな花です。


遠き日のシバの想いに…

2024-03-15 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
前回書きました 「幻影の盾」の片山廣子さんによる現代語訳がおさめられた本はもう手元に届きました。 が、なかなか本が読めません…

先週からのはげしい寒暖差のせいなのか せっかくお天気の良い日がつづいているのに、 今週は眩暈におそわれたり 閃輝暗点の発作が起こったり、、 自分のからだがままなりません。。

加えて あちらこちら痛いところも一杯…(泣) 古傷が痛む、とよく言いますけれど、 ほんとうにそういう事なのね… と。 あちこち昔に痛めたところが沢山あるから…


2日の日記に don't waste... という言葉を書いたけれども、 それは 時間を無駄にしないで という意味ではなく、、 自分を摺り減らさないで ということ。 これからは、、 限られた時間のなかで その時間の流れを超えようと頑張るというより、 心も 肉体も、、 これ以上 擦り切れてしまわないように…(でも年々、加速度的に擦り減っていくのです せつないことにね…) 


 ***


フィオナ・マクラオド 著 松村 みね子(片山廣子)・翻訳の『かなしき女王』という本もここのところよく参照しているのですが、 巻末に アイルランド幻想文学・妖精物語の大家でいらっしゃる井村君江先生の詳しい解説があって、 それによって翻訳者としての 松村みね子さんのことをずいぶんと知る事ができました。

「松村みね子翻訳年譜一覧」というものも載っていて、 イェイツの詩「ソロモン王からシバの女王へ(Solomon To Sheba)」を片山さんが翻訳し「三田文学」に発表されていたことも知りました。

それで、 芥川龍之介が書いた「三つのなぜ 二 なぜソロモンはシバの女王とたった一度しか会わなかったか?」 についてと、

片山さんがのちに『燈火節』に載せた 「乾あんず」という随筆のなかで語っているイェイツの詩、 それからソロモンとシバの「恋」の記述について、

それぞれが書かれていった順序もわかりました(青空文庫で読むこともできます)。 いろいろと二人の間柄を詮索する気持で読んだわけではないけれども、 両者のこころの「ずれ」といったものも感じて…

イェイツが詩に込めた想い(当然 モード・ゴンというイェイツが何度も求愛しつづけては拒否された年上の女性への暗示や)、、 片山さんは当初からモード・ゴンについての知識もあったのではと想像されるけれど、

芥川の文章にはただ己の苦しい想いが吐露され、 ここではイェイツが詩に込めた想いとは違った方向に熱情がうごいている。。 それには片山さんとの微妙な相違があるような気がする。 もっと堅実な、 知的な、 純粋に文学的な、 ただし心のなかでのみ通じうる神秘的な交流を、、 片山さんはイェイツの詩に感じていたのでは と想像されるから…

それが晩年に書かれた 「乾あんず」という 少しさみしく、 遠く、 しかし決して消えない香気に満ちた回想へと繋がっている…


Said Solomon to Sheba,
And kissed her Arab eyes,
'There's not a man or woman
Born under the skies…


男もなく 女もなく…




『かなしき女王: ケルト幻想作品集』フィオナ・マクラオド著 松村みね子・訳 沖積舎 2002年
『片山廣子幻想翻訳集 ケルティック・ファンタジー』未谷おと・編 幻戯書房 2020年



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ようやくすこし 体調ももどってきたかしら…



来週には 桜の花もほころびそうですね…




良い週末になりますように

なんてうれしい驚き。。

2024-03-07 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
先月 片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』を入手して… 

(正確に言えば 芥川の読書をしていた昨年の春以降…) つい 片山さんの話題になってしまうのですけど、、 『ともしい日の記念』の「むかしの人」という随筆のなかで 「大塚楠緒子」さんの思い出をつづっていらっしゃるのを読んでちょっとびっくりしました。

私が勝手にびっくりしただけのことですけど、、 片山廣子さんと大塚楠緒子さんに交流があったことが知れて、 しかも随筆のなかで片山さんは 楠緒子さんを「あの方」と書き、 なんというかまるで女学生の乙女が憧れの上級生のことを語るかのように 楠緒子さんの美貌、知性、佇まい、、 声をかけられることさえ畏れ多いみたいにその憧れを綴っているのに驚きました。。 ほんとうに、 胸ときめかす乙女のように…

、、私がおもうには 片山廣子さんだって(遺されたお写真からは) 品が良く清楚な白百合のような方だとお見受けするのですが、 片山さんは随筆のなかで楠緒子さんを「クリーム色の薔薇」に喩えていらしゃいます。 たしかに楠緒子さんのお写真からは 百合よりも薔薇に近いイメージが感じられますね…

片山廣子さんは 芥川龍之介がひそかに愛した女性として堀辰雄の小説などでは書かれているわけですが、 大塚楠緒子さんは夏目漱石がひそかに愛した(?)とかそのように言われる女性でもあります(…私はあんまりそう思ってませんが)。 片山さんの随筆「むかしの人」にも、 楠緒子さんが急逝されたときに夏目漱石が詠んだ句
 
  「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」

が引用されていました。 漱石先生が菊と書いたのは 楠緒子さんが亡くなったのが11月だったからかと思いますが 漱石先生なら楠緒子さんを何の花にたとえたでしょう…

 ***

この随筆を読んで、 片山廣子さんは楠緒子さんより3つ年下と知り、 では片山廣子さんと漱石先生との繋がりはなかったのだろうか…と。

漱石先生は、 ギリシャ・ローマの神話を翻訳出版した野上弥生子さんに宛てて 「あなたが家事の暇を偸んで『傳説の時代』をとう/\仕舞迄譯し上げた忍耐と努力に少からず感服して居ります」 というお手紙を送っています(青空文庫でも読めます >>『傳説の時代』序)

野上弥生子さんは 漱石先生の教え子の野上豊一郎の妻だという繋がりがあり、 大塚楠緒子さんは漱石の友人の美学者、大塚保治夫人だという繋がりもあるのですが、 両夫人とも外国文学の翻訳をしたり、小説の世界に入ったり、、という文学の世界に身を置くことになった女性たち。。 では、アイルランド文学の翻訳を(漱石が生きた時代にも)雑誌などに発表していた松村みね子=片山廣子さんと漱石先生との繋がりは無かったの・・・?

おこがましいようですが… 大学で漱石先生について学んで そのころ漱石全集はほぼ全巻に目を通したつもりでいる私ですが 片山廣子(松村みね子)さんについて漱石先生がなにか書いているというのは記憶がありませんでした。 

でも検索していて、、 なんと! というか やっと… 片山廣子さんが漱石先生の小説『幻影の盾』の現代語訳を雑誌に発表していた、と。。 えーーーー‼ 驚き。。。 なぜ? いつ? ぜんぜん知らなかった…

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小説『幻影の盾』というのは 漱石先生が英国留学から帰国後、 英国のアーサー王伝説に材をとった「薤露行」などと同時期に書いた短篇で、 アーサー王の時代の話 として漱石が創作したファンタジックな物語。 騎士ウィリアムと 敵の城の姫クララとの悲恋の物語(だったと思う…)

青空文庫でも読めますが 文語体で書かれているのでちょっと難解、、 それを片山廣子さんが現代語にして発表なさっていたなんて・・・‼ どんなふうに書かれているのだろう… どきどきどき…

、、すこし調べましたら 片山さんが「幻影の盾」を訳されたのは漱石先生の没後だということがわかりました。 (漱石先生がそれを読んでいたらお手紙とかなにか書かないはずはありませんもの)

2020年に 幻戯書房から『片山廣子幻想翻訳集 ケルティック・ファンタジー』という本に収録されて出ていることもわかりました。 早速読んでみるつもりです。


、、 私が漱石先生の文学に親しむきっかけとなったのも、 アーサー王伝説のおかげでした。 そこから漱石先生と英文学にまつわる 長い、長い旅がはじまりました。 大学を卒業して、 病気の手術をしたりして、 学業はそこで終わったけれど、、 

こうして 何年も経ってからでも 新たな発見や 新たな出会いが訪れるなんて…


なんてうれしい驚き、、



「幻影の盾」現代語訳の感想は またいずれ…


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寒い日がつづいていますね



今度の週末は暖かくなるといいですね… 

春へ…

2024-03-02 | …まつわる日もいろいろ
3月になりました。

きょうはルーリードさんのお誕生日。 82歳になられます…

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すこし前から  人生には15年ずつくらいの区切りがあるように思って

15歳で子供期から脱し、 30歳くらいで若者期から脱し、、

それでも、なんでも出来そうな若さも頑張りも残っていて… 45歳くらいまでは 奔れる気もする。。

それから ひとつの転換期がやって来て… 

思うがままとは、、 すべてがそのようにはいかない時代がやって来る… その15年間…

思うがまま、、 とはいかないけれども この時代を逃したら 人生の集大成は難しい気もする…

 ***

そして 60歳からの15年間。

この期は大きく分かれるんだろう… 走り続けるつもりでいる人と、 しずかに ひそやかに 人生をまとめあげていく人と…

その先の15年間が あるかどうかは誰にもわからない。 あったとして、、 それが行動できる15年間か 誰かのお世話になる15年間か…

 ***

自分のあたえられた時間、。  誰にも予測は出来ないし、 誰もが 欲しい時間。。 


、、 ルー・リードさんは走り続けていた… けれども その先の15年は 訪れなかった。


これは ルーリードさんについての話ではないし、 わたし自身の話でもなくて、、 わたしが ただ思っていること


追われる焦燥や 時間切れと闘う日々のなかで、 自分のほんとうの、 そうありたいと思うじぶんの姿を 見失いたくない…






don't waste...





春が そこまで