星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

人のこえって

2002-11-29 | LIVEにまつわるあれこれ
房之助さんは目黒のBlues Alleyで。。房之助さんの声はハスキーだけどあったかい。それは昔と変わらなかったけど、steinway&sonsのグランドピアノの生音が本当に美しくって、それで叩き付ける様にファンキーなブルースや、メロウなバラードを聴かせてくれた小島さん、すばらしかったです。3曲目で「青い影」を・・アルバムではレゲエバージョンでやっていますが、今回はスローナンバーでしっとりと、、泣けました。

 唄、というもの。人のこえ、というもの。それだけにじっと耳を傾ける時間が少なくなってはいけませんね。。謡い、というのも最近耳にしなくなりましたが、人のこえって胸に染みますよね。

 先日見逃してしまってとっても悲しかったS&Gのセントラルパークライブが再放送されて嬉しかった♪ 私はS&Gの曲の記憶は彼らよりも高校の先輩の声のほうが強いのです。高校時代はギター部でした。学外ではバンドをやっていましたけど、学内では女の子だけでフォークトリオを組んでおりました。(学園祭ではかぐや姫なんぞを演る一方で、体育館でレインボーなど演っていて古文の先生に、おめーはエレキなんか弾くだか?!と驚かれました。笑)・・それはいいとして、1年上の先輩にS&Gだけを演奏するデュオの兄さんがいらして、それはそれは上手だったのです。何十回と聞かせてもらった「ボクサー」、追い出し会で涙々で聴いたこと、忘れられないなあ。

今夜、S&Gの「ボクサー」を、ガーファンクルとサイモンがほんの少しだけ顔を見合わせて、背中に手を回して歌っていたのを見ていたら、ふっっとその頃を想い出しました。先輩たちも、たとえもし今、いきなりふたりが会って歌ってもきっと歌えるんじゃないかと思う。歌をうたう、という記憶ってきっと身体中で覚えていると思うから。

裸木

2002-11-26 | …まつわる日もいろいろ
このところ、一方的な視点、あるサイドからの見方、そういうものが悲しく思えることがあって。

   冬の裸木は好きですか・・?

 雪景色、あるいは冷たく澄んだ青空、どちらでも私は葉っぱを落とした裸の枝が、空に向かって手を伸ばしているのを美しいと思います。レンガや、石の壁に、燃えるように色づいていた蔦の葉が、すっかり裸になって神経細胞のように茎だけを這わせているのも、冬の美しさをもっとよく感じようと、神経を研ぎ澄ませてしんと鎮まっているようで、それも私は好きです。

 でも、、たとえば裸木に誰かが吊るされるのを見なければならなかった人々は、、あるいは、裸木の下へ誰かを埋めなければならなかった人々は、、冬枯れの幹は心を突き刺すものになるでしょう。

 そう、人には背景があるのです。誰かの解釈が、ちがう誰かの識別には成り立たないことを、世界中にはそれだけの背景があることを、忘れようとしている国がたくさんありませんか。。だからといって、同じものを求めようなんて思いたくないのです。・・「裸木」・・たとえば共通の言葉、でも、言葉がひとつの意味をつたえるなんて、、たぶんそんなことは無い。

 人にも、国にも、背景があるのです。それがつらいことなんです、そうでしょう?
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 昨夜はほぼ10年ぶりに近藤房之助さんのBlues LIVEに行って来ました。このお話はまた、ね♪

夢見る頃を過ぎたんじゃなくて・・

2002-11-23 | …まつわる日もいろいろ
 現実を逃れたくて、夢幻や伝説の世界へ自分を連れて行こうとするのかと言えば、私の場合はそれは嘘。本当に現実が過酷なものであったら、夢見る余裕すらない。地を這うものとして自分の小さな家、小さな共同体、そこしか見なくなる。想像などというのは余りに虚しいものだから。。

妖精とか、神話の女神とか、ぜんぜん考える余地も無かった人間が、竪琴を奏でる女神に思いをめぐらせて、半人半獣のパーンはどんな暮らしをしてるのかしら、と空想できる。そのことを幸福だと思う。

 ロバート・プラントが自分が30年以上前に聴いていた歌を、50代も半ばになって歌っていることも、自分が表現したいものと表現できるものの間のギャップがそれだけの時間をかけて消えていったということなんだと思う。いつの日か表現したいもの、は、自分の中の酒樽の中でゆっくりゆっくり時を重ねていればいいね。

・・・なんて、かつてのコイツの口から出る言葉とは思えない・・? そうね、でも若き日にあがきつつ抉った穴なんて、きちんとその時代に置いてけぼりにすればいいのさ。

幽霊・・

2002-11-19 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
 昨夜は、夜明けまぢかまで洋書を睨みつつ辞書を紐解き格闘をしてゐた。俺の頭は元来脆弱に出来ているからこれでは堪まらん、休息だ、休息だ、と勝手に取り決め今日だけは電車の中で漱石でも読んでやらうと鞄に押し込め停車場へ急いだ。吊り革にぶら下り次第に墨色を深めていく空に時おり目をやっては頁をめくっていたが、こいつが存外面白い。江戸言葉の調子といふのが何とも臓腑に落ち着くのである。

 ・・なんてしょうもない文体演習してないで・・(笑)

 この前、漱石の英文学評論を読んでいたら、シェイクスピアの『マクベス』に出てくる幽霊のことを、「バンコーの幽霊は宴会の席に御馳走を食いに出る。尤も平人に近い幽霊である」とあって、もうおなかがよじれる位、笑った。ご馳走を食いにきたわけじゃあ、なかろうよ。。これは講義録なのできっと大学生相手に講義しながら、冗談のつもりで言ったんでしょうが、、世界広しといえども、バンクォーをそう評したのは漱石だけでしょう、面白すぎ。
さてさて、今宵の月はよき月かな、寝ましょ。


リアリズム

2002-11-17 | アートにまつわるあれこれ
 「美の巨人たち」という番組で(TV東京)W・ブレイクをやっていたので見ました。彼の幻想的な絵や詩は生前はまったく理解されなかったそうですが、彼には天使の姿が「見えていた」のでした。ブレイクの絵は、レクター博士が登場する最新作『レッド・ドラゴン』の中でも、背中のドラゴンの刺青がブレイクの絵なんですね。そんなこともあってか、ブレイク再発見なのでしょうか。amazonを検索したらブレイクの詩画集の豪華本などが今、予約受付中みたいになっていました。

 幻視の人ブイレクも好きですが、「私は天使の絵など描けない、なぜなら見たことがないから」(本当にいるなら連れて来い、とまで言ったとか?)とおっしゃったそうなリアリスト、ギュスターヴ・クールベの絵は、わたし一番のくらいに好きなんです。別にリアリズムだから、というわけでもなく、彼の「黒」の使い方が好きでね、『傷ついた男』という若き日の自画像があるんですが、そのちょっとナルシスティックな表情が最初のクールベとの出会いかな・・? 自然の動物の描写もとても巧いのですよ。そのクールベの作品展が八王子で始まりました。

in NY

2002-11-07 | 映画にまつわるあれこれ
 ちょっと前に素敵な夢を見まして、ブロードウェイあたりへ(行ったことないけど・・)観劇に出かけて、そこで座席を調べたら舞台のすぐ脇のボックス。嬉しい!と喜んでなおも座席表を見ると(なぜか名前つき)、ふたつ向こうがロバート・デ・ニーロ!・・でもデ・ニーロが来る前に覚めてしまったのでした。。

 デ・ニーロはマフィアのドンもハマリ役ですけど、中年のちょっとくたびれた格好をしている所なんかにとってもドキドキするのです。デ・ニーロがお金に困ったり、字が読めなかったり、中華街で普通の主婦とデートなんてするわけないのに、でもその時間の中ではデ・ニーロでなくなっちゃう。本当に凄い俳優さんです。

・・で、デ・ニーロと言えば眉毛ふさふさのスコセッシ監督。去年の9/11NY支援コンサートの中でスコセッシ監督が自分の育ったイタリア人地区に想いを捧げたフィルムがありましたが、ネットの生中継で見た時は全然理解できなかったけれど、字幕つきのDVDをお友達に見せてもらったら、とても感動しました。移民の眼から描いたアメリカの映画ではずいぶん考えさせられるものが多くありましたね、スコセッシ監督も、マイケル・チミノ監督も。・・たくさんの民族とたくさんの文化が入り混じって生まれた重みのある映画、なんだか最近少なくなっているような気がします。

 スコセッシ監督の新作、ディカプリオ君と一緒に、デイ・ルイスさん(久しぶりすぎるよ~)が出ています。なんと「ボクサー」以来4年ぶりの映画? 待っていたんだってば、ほんとに。