星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

夕陽の街から…

2020-06-27 | MUSICにまつわるあれこれ
すごく久しぶりに音楽ニュース記事を見ていたら、、 ポール・ウェラー兄貴の新アルバムが もうすぐ発売になるらしい…  早い。 前作から2年足らず…

、、 ゴメンなさい 前作まだちゃんと聴いてないよ… (^^;


アルバムのオフィシャルトレイラーを観てみたら、、 …… やばかった… 、、 嬉しいのに、、 とっても素敵なのに、、 やばぃ…… 泣きそう…

アルバムタイトルの 『On Sunset』 は、 LAの通りから来ているんだね。。 時おり映る街並み、 青空、、 樹々の影、、 コンバーチブルで通りを走る兄貴の姿、、 (どうして泣きそうになるのかは… 私をご存知のかたならわかってくれるかな…)


Paul Weller | On Sunset (Official Trailer)


、、兄貴、 オープンリールで録音してるのかしら…? 相変わらず煙草ばかばか喫ってるし… 

少し前の兄貴は 髪がグレーから白になりつつ、 頬の皺が目立って身体はマッチョで、 まるでドルフ・ラングレンみたいでしたが、、 真っ白くなった髪を伸ばした今は、 まるで キル・ビル2の時の デヴィッド・キャラダインみたいだよ。。 (フォトセッションの最後まで見て、、 あれ? LAじゃなかったの…?? 笑)

こちらに 兄貴の自宅での弾き語り映像が載ってます⤵
http://amass.jp/134292/

こちらにもめっちゃどきどき…♡  もともと アコースティックを奏でる時の ギッ… って弦が軋む音とかコイル弦に指が滑る音とか、、 なんだろう、、 原体験(弦体験? 笑)として反応してしまうのもあるけど、、 兄貴が髪を振り上げる仕草とか、 カメラをたまにちらっと見るところとか、 咳払いとか、、 

スタジオライヴの姿も良いけれど、 こういうプライベートな感じの弾き語りの姿を見せてくれるのは とても とても とっても 嬉しい。。 歌声も優しいな…


アルバム、、 買ってしまいそうだな。。


 ***

ここしばらく 音楽ニュースを見ないでいたのは、、 欧米でのコロナの猛威がおさまらないので、 よもや自分の好きなアーティストか誰かが罹ってしまったとか そんなの見たくない、、 という気持ちもあって、、

、、 ハル・ウィルナーが亡くなっていたことも 昨日知りました。



ハル・ウィルナーについては 特に詳しいわけではないけれど、 彼の関わったアルバムはかなり沢山聴いてきたし、 愛聴盤も、、

上のフォトに載っている ルー・リードの『The Raven』や、 その エドガー・アラン・ポーの詩をミュージシャン達が朗読するスポークンワードのアルバム 『Closed on Account of Rabies: Tales of Edgar Allan Poe』や、 そのアルバムでも素晴らしい朗読をしているジェフ・バックリーのデビューに深く関わったのも ハル・ウィルナーだったし、、 ジェフ・バックリーとゲイリー・ルーカスとのセッションをまとめたアルバム『Songs to No One 1991–1992』のライナーを書いているのもハル・ウィルナーだし、、

一番最初に出会ったのは、 マリアンヌ・フェイスフルの1987年のアルバム 『Strange Weather 』だろうな。。 その時はちゃんとクレジットとか読んでいなくて、 ハル・ウィルナーの名前を記憶してなくて、 あとから ポーの詩のアルバムで、 ハル・ウィルナーという人を認識したのでした。。

、、 今年は マーク・ボランのトリビュートアルバムの制作をしていたのだそう… こちらの参加者も 好きな人ばかりだ…⤵
http://amass.jp/136063/


、、 コロナウィルス感染症との闘いは 人類が背負って暮らさなければならない宿命のように言うひともいるけれど、 私にはそうは思えない。。 この根本の原因がどこから来ているのか まだちゃんとわかってはいないけれど、 どこかに人為的な間違いがあったからだと思ってる。。 つまり、 ヒトの何かの行為が原因だと…

だから 決して罹って欲しくないし、 こんな感染症で才能ある人たちの命が奪われるのはイヤ。 決して死んではいけないと思う。。

 ***

話が暗くならないように…


兄貴のLAの映像、、 もう一度 見よう。。 LAは夕陽が綺麗だね、、  そして 太平洋を挟んで こちらは昇る朝陽を見てるんだね…


 元気な週末をお過ごしください。。 

草を買いました…

2020-06-21 | …まつわる日もいろいろ
山国から都会へ移り住んで四半世紀…

お花屋さんから夏草を購入するようになるとは思いませんでしたゎ、、(笑




コロナの外出自粛期間と、 私の手術・入院期間を経て、 あんまり戸外へ出られなかった日々が長かったせいか、、 樹々とか葉っぱとかにとても飢えていたみたいで、、

通販のお花屋さんのサイトを見て、 季節の花束にしようか、 観葉植物にしようか、、 それとも… と、、 迷わず オススメのグリーンのセットに。。

届いたたくさんの夏草を見て・・・

(あぁ 懐かしい… みんなみんな近所の土手とかに生えてた草よね) って。。 田舎暮らしの生活ならば、 草刈りでいっせいに刈り取られてしまいそうな夏の草たち。。 

かつて、 東京へ来たばかりの頃、 お花屋さんの店先にコスモスの鉢植えがあるのを見て めっちゃ驚いて、、 故郷ならば農道沿いとか 田んぼの畔とかに 2メートルにもなって空に向かっているのがコスモスというものでしたが、 都会で売られているコスモスの鉢は30センチくらいのそれはちいさな花でした。。 吃驚してお友だちに話したものだけれど、 そのうちにちいさな向日葵の鉢などにも見慣れて…

今は、、 窓越しの光のなか、、 花瓶に活けられた名前も知らない夏草のやさしい緑がひたすら嬉しい……

ムラサキ色のしっぽのような花が 《クガイソウ》というのだけは、 さっき調べてわかりました。




、、 昨日書いた 百済観音さまと洗礼者聖ヨハネさまと、、 夏の野草。  猫じゃらしみたいなのは エノコログサでいいのかわからない、、 けど可愛い とても。

この青い花瓶をくださった方、、 じつは ひと月ほど前に天寿を全うされました。 もう一度 お目にかかることはかなわなかったけれど、 お姿をしのびつつ お香を焚きます。


、、 麦みたいな 稲みたいな 草の穂が エアコンの風に揺れている、、


それだけで しあわせ。。



よい 午後を…
 


わが家の百済観音さま…

2020-06-20 | アートにまつわるあれこれ
前回、 この春に中止になってしまったコンサートのこと 書きましたが、 もうひとつ、 チケットを用意していて中止になって行けなかった美術展が。。

国立博物館での「法隆寺金堂壁画と百済観音」展。
チケットは、 百済観音像のフィギュア付き(海洋堂製)のものを購入してあったのです。

展示が中止になってしまい 公開はされないのかしら… フィギュアはどうなるのかしら… それよりも 百済観音さまは誰もいない博物館の中で 展示期間が終わるまでずっと立っておられるのかしら… などと心配したまま 結局会期は終了してしまい、、 百済観音さまは無事に法隆寺にお戻りになったのでしょうか…

フィギュア付き鑑賞券は、 図録とのセット送っていただけることになり、 昨日手元に届きました。



百済観音さま、、 大きさは16センチと小ぶりですが、 このお仏像をとても《フィギュア》とは呼べません。。  本当に精巧で美しくて、 立派な観音様のお仏像です。





実物の百済観音さまには 三度?お会いしに参りましたし、 23年前(だったらしい)の東京での展示の際にも参りました。  あのしなやかで細身の、 飛鳥の人びともこの美しいお姿をどのように感じて見上げていたのかしら…と 遥か古代に想いを馳せずにいられない不思議な魅力あるお姿です。

私自身はなんの信仰も持ってはいませんけど、 好きなお仏像を前にすると 静かな穏やかな気持ちになることができて、 奈良や京都はもう幾度も行きました。 子どもの時の修学旅行で買って来た 広隆寺の弥勒菩薩像と 東大寺の仁王像は、並んで実家のお仏壇の中でご先祖様をお守りして下さっています。 
今度の百済観音さまは、 この東京の我が家でのご本尊? 守り神さま? としてずっと大事にしたいです。。

どこに置かせていただきましょうか…と迷いつつ、 結局 リビングのいつも目にしている ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「荒野の洗礼者聖ヨハネ」さまの額の前という、 西洋も東洋もまぜこぜの状態に、、 (どうかお許しを…)

決して信仰とか祈りの気持ちとか、軽んじているわけではないのです。。  洗礼者ヨハネさまも観音菩薩さまも この世を憂い、人びとに救いの手を差しのべ、導いてくださる修行者(行者・行人)である姿に魅かれるのです。 道を究めた方ではなく、 今もなお道を求めて歩きつづける途上にあるお方、、 。





ちょうどよい大きさの ちょっと厨子のようにも見える箱におさまっていただいて、 これから毎日毎朝、、 穏やかな気持ちでお姿を目にすることが出来ますように… 
あまりにも未熟で修養の足りない自分への戒めも込めて……


今朝は お香のよい香りも漂っています…



どうぞ よい週末を…

いつか同じ空間で…

2020-06-18 | MUSICにまつわるあれこれ
3月以降に行く予定だったさまざまなコンサートのチケット、、

東京ドーム、 サントリーホール、 ミューザ川崎、 NHKホール・・・
…今年は欲張って毎月 クラシックやロックコンサートなどチケットを用意して楽しみにしていました。 前にも此処にも書きましたね、、 でも コロナ禍によって全て中止や未定のままの延期に、、

都内の自粛要請が次第に解除になって、、 ようやく、 今月末の交響楽団公演の開催のご案内が届きました。 でも収容人数を抑える為に座席の再指定など行うとのことで…

これまで演奏会も出来ず、 海外から招聘の公演もキャンセルになって、 演奏家のかたたちはいろいろ大変な思いをされていただろうと思うと、 やっとお客さんの前で開催できるようになって良かったなと思う。。 その一方で、 客席を半分以下にとか 減らして採算がとれるのかどうかと心配にもなる…

今月末の交響楽のコンサートは、 私は病み上がりなこともあって、 座席の再指定はせずに払い戻しをしてその分 どなたか行かれる方にお譲りしようと思う。。

次はいつ、 コンサートに行けるのかな…

手元に確保してあるチケットは、 今年の11月の公演のもの。。 その頃には私も行けるだろうな。 コロナは、、 まだ終息せずにくすぶり続けているのかな。。 ワクチンは、、 まだ 無理だろうな、、

最近になって 短時間で検査結果が出る抗原検査とか、 二時間で5000人のPCR検査ができる機械とか 報道されていて、 そういうものが活用出来たら、 コンサート観客全員を入場前に検査することだって不可能じゃない。 そこまでのコストや時間を負担してでも 安全安心を得てコンサートやスポーツ観戦をしたいと思う人もいるかもしれないし、 でも実際にそれを行うのは難しいんだろうな、、

昔の貴族がサロンで演奏会を楽しんだように、 限られた人だけが限られた空間で楽しむ 贅沢なライヴの形もあり得るのかも。。   そういう形が生まれたとしても不思議じゃない、、
大型施設の公演やライブハウスにぎっしりのスタンディングのライヴなんて、、 今はとても考えられないし、 それがたとえ開催されたとしても、 身体的にリスクを感じる人は行くのを諦めざるを得ない…

どんな形になっていくのかな、、 今後のコンサートって。。


30年近く前の大昔、 駒ヶ根JAZZフェスティバルに出掛けたことがあって、 それこそ密とは程遠い、 青空のもと 高原にゆったりと人もぼちぼちで エリア指定も何もなく適当に腰を下ろして、 のんびりとライヴを楽しんだ…
あのときは近藤房之助さんを見に行ったんだ。。

あんな自然の中での 風通しのいい ゆったりとしたライヴが出来れば良いのだけれど、 、 採算とかいろいろ考えたら難しいことばかりなんだろうな…


でも、 毎年 ウイーンフィルやベルリンフィルが行っている野外でのコンサート、、 ああいう形はきっとまた復活するはず、、 いつか日本でも 出来る日が来たらいいなあ…
… 本当は今年、 行われるはずだったのよね、、 ドゥダメル指揮で ベルリンフィルで 新宿御苑で…… あぁ、、 本当に夢みていたのに… ぜったいぜったい観たい!って、、 もしたとえ自分が見られないにしても 実現したら素晴らしいコンサートになるだろうって、、 ほんと夢見てた。。。 (来週のはず、だったのよね…)


いつか きっと

いつかまた 空の下で音楽を楽しめる日を・・・



 ***

、、 さっきたまたま見つけた

今月10日に行われたらしい Austin Benefit というベネフィットコンサート、 あちらのローカルTVで放映されたらしいです、、(https://www.austinmonthly.com>>

オースティンのミュージシャン達なら必ずやるでしょうと思ってはいました。 私がずっと療養生活だったので 全然 アーティストの情報とか見ていないので 誰がどのような生活を送っているのかまったくわからないけれど、、

さっき Charlie Sexton と Doyle Bramhall II のリモート共演の映像、 見れた…♡ 
やっぱりふたりが一緒にギターを奏でている姿(アコースティックであろうと エレキであろうと)、、 離れた場所からの中継でもぴったり息の合った演奏と歌、、 いいなぁ、、 そして やっぱり胸ときめく…


素敵な演奏に触れことができると やっぱりどきどきする…… この気持ち、 まだちゃんと残っているんだな……


今、、 この困難な日々のなかで 誰かが心をこめて歌ってくれる、、 ギターを弾いてくれる、、


その姿 その歌声は きっと 今までには聴いたことのないものだと思う。。 音楽を奏でる人、 聴く人、、 共に同じつらさ、 苦しさを味わって、、 同じひとつの願いを抱いて 同じ想いを託して 向き合っているだろうから……


いつか きっと

いつかまた 同じ空間で 出会える日を・・・

痛ましさへの感受性…:「がま蛙とばらの花」ガルシン短篇集

2020-06-13 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
 
 ―― あの、いま頃、花壇はきれいかしら? ばらは咲いたかしら?


            「がま蛙とばらの花」


 『ガルシン短篇集』 中村融 訳 福武文庫 1990年


冒頭の、 この少年の問いかけと同じ想いを 私も先月5月の入院~自宅療養の日々のあいだに感じていました。

私ばかりではきっとなかったことでしょう。 今年は誰もが外出自粛の影響と、公園や公共施設の閉鎖のために、 美しく花が咲いているはずの庭園やバラ園も見に出掛けることもできず、 花たちは誰の目にも触れずにひっそりと咲いていたでしょうから。。

誰にも見られなくても、季節は移り、 花はただ人知れず咲いている。  その風景を思いながら、 ガルシンの美しくもせつないこのメルヘンを思い出していたのです。


「がま蛙とばらの花」のことは前にほんの少し触れました(>>)。
病の床に臥せっている少年と、少年が大事にしていた花壇、、 手入れのされなくなった荒れた花壇で 人知れずそっと咲いたばらの花。

少年も、ばらの花も、かよわくさびしい存在なのですが、

この短篇のなかでとりわけ不思議な、、そしていかにもガルシン作品そのものを象徴しているかのように感じられるのが、 花壇に住まう《がま蛙》の存在。

じめじめと暗い花壇の底辺からがま蛙はふと上を見上げ、 可憐なばらの花に目をつけ 「こんな香りの高い、美しいもののそばへ、もっと近づいてみたいと思いました」 その自分の「やさしい気持ち」をあらわそうとしても蛙には唯一つの言葉しか思いつかないのでした。 
がま蛙の口から出てくる唯一の言葉は、、

――待ってろよ!  お前をたべてやるからな!

というおぞましい言葉だけだったのです。
がま蛙が 美しいばらの傍へなんとか近づきたいと考えるその想いは、、 憧れとか、 思慕とか、、 おそらくは初めて心に芽生えた純粋な せつない恋ごころにちがいないと思うのです。
しかし悲痛にも がま蛙には他の言葉で自分の想いを表現するすべが見いだせないのです。

 お前をたべてやるからな!

恐怖におののくばらの花。。 けれども花は動くことが出来ません。 がま蛙はばらの枝によじ登り、 枝にはえたするどい棘に刺され、 手足を血まみれにしてそれでも少しずつばらの花のほうへと近寄っていきます。。


 ***

作家ガルシンは 精神の病に冒され、 精神病院に入院されられた時の体験をもとにした「赤い花」という作品が殊に有名で 岩波文庫のガルシン短篇集でも読めますが、 このメルヘン作品「がま蛙とばらの花」は福武文庫のほかは、 ガルシン全集でしか読めないと思います。

「赤い花」は 精神病院に収容されている男が 庭に咲いた赤い花(罌粟の花)を 世界中の悪の造化の象徴であると信じ、 その花をむしり取ることに執着し逃走を繰り返す話ですが、、 その赤い花への執着と 最後に花を奪って力尽きる様子は、 この世界に流れた災いや戦乱の血、 人間の罪を集約した血、、 それを自分の一身に受けて、 その花を抱きその罪をすべて抱えていこうとする贖いの行為にも思えて、、 ガルシンが生涯をかけて自身の文学作品に込めた痛切な《祈り》のようにも感じられます。


先の「がま蛙とばらの花」に登場する 病に伏す少年、 ひっそりと咲くばらの花、 そしてがま蛙、、 彼らの結末は書きませんが それぞれが痛ましさを背負った存在だと思います。 そういうか弱い存在の痛ましさへの共鳴、 共感、、 そして「赤い花」にみる 世界の罪悪 世の中の災厄に心が破れるほどの感受性をもっていたであろうガルシン。

ぜひとも 「がま蛙とばらの花」のメルヘンと 「赤い花」の狂気とを、 両方つづけてお読みいただけたら、 がま蛙のばらへの想いも、 精神病院の男の赤い花への執着も、、 両方が響き合って理解し合えるのではないかと、、 そんなふうに思います。


ガルシンのメルヘン、、 青空文庫で少し読むことができます。 「アッタレーア・プリンケプス」もやさしさに満ちた作品です。
(ガールシン フセヴォロド・ミハイロヴィチ 青空文庫>>

 
 ***




梅雨入りをして  すっきりとした青空はしばらくおあずけになるのかな・・・


雨のしずくを抱いた薔薇の花壇もきっと美しいでしょう、、 

ひっそりと咲く紫陽花にも会いたいな。。



ひと気のない 夜明けまもない時間に

そっと 紫陽花見に行ってみようかな、、 と思ってる…



できれば。。。

私も…

2020-06-05 | …まつわる日もいろいろ
そろそろ 次のステップに進めるでしょうか…

昨日の診察で 普通に歩いたりしてもOKとお許しが出ました。 術後の痛みももう全然無いし、、 ただ 3月以来 安静の日々が続いていたので もう筋肉が落ちておちて、、 どこまで痩せられるの? ってほど体重も落ちたので、 これを戻すのは容易ではありませぬ。。 でもがんばる。。 今年いっぱいかけても体力つけるように頑張ります。

、、そして、 必要かもと言われていた追加の手術は とりあえずやらずにいようという事になりました。

だから だんだん普通の生活に戻っていきます。


ん~~  よく耐えたね 自分。 (誰も褒めてくれないから自分でほめる)

 ***

昨日のタクシーの運転手さんが話していたけど、 緊急事態解除になって テレワークが終了になった会社員のかたが、 仕事用の大きなパソコンとかディスプレイをまた会社に戻すためにタクシーに載せて出社したそうで、、

、、 私の知人もまだテレワーク中ですが、 解除になって また会社へパソコン戻して、 また感染者増えて、 またテレワーク、、 なんてことにならないことを願います。。

でも 今度のことで いろんな面でのリモート化はさらに進んだり 定着したり するのでしょうね。 出社しなくても仕事は出来る、ということが分かったら たくさんの机を並べた大きなオフィスは要らなくなるし、 一等地にオフィスを構えるというステータスももう余り意味は持たなくなっているし、、

、、エンターテインメントの世界でも もう一ヵ所にいなくても 離れた所で画面を介して同時に楽しむ、 という方法でいろんな楽しみ方がどんどん生まれてきているみたいだし、、 それが当たり前になっていきそう… (私なんかはついていけなくても、ね)





すごく すごく 久しぶりにラジオを聴いています↑ ネットでKCRWを。。 何時ぶりだろう… 4カ月以上かな…?  
、、 手術の全身麻酔をすると ちょっと記憶喪失ぎみになるので、 KCRWが想い出せなくて困ったゎ(笑)

この(フォトの下にあるお名前) DJさんの声が好きなので、 このプログラムは前からよく聴いていました。。 選曲もわりと好みだし…


リモート化の時代になっても、 いえ、 対面とか 大勢集まるのが難しい今だから、、 ラジオ番組って新鮮、というか リモート化の基本形 のような気がします。 べつにラジオ局のラジオだけじゃなくて、 ネットとか、 SNSを使った形でも。。 

言葉を届けたり、、 歌を届けたり、、 ライヴ演奏もあったり、、 

、、日本のラジオDJさんのような やたらとテンションの高いお喋りをずっと聞かされるのは苦手だけれど、、 好きなひとの声を (そんなにたくさん喋らなくてもいいから) 一時間とか 聴いていられたらいいだろうなぁ…

村上春樹さんが先日そういうラジオ番組 やっていらっしゃいましたよね(ニュースで知っただけですが)、、 6月もあるのかな…?


こういう時だから、、

落ち着いた言葉の力と、 心やすらぐ音楽の力と、、 


そういうラジオの時間が もっとあってもいいかも。。



、、 なんて


今までは ラジオ聴く気分にもならなかったけど…



ラジオ聴いています。  (そして また ミステリ小説も読んでいます…)

 ***


たのしい週末を お過ごしくださいね