星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

今年のライヴ予定…

2016-02-28 | MUSICにまつわるあれこれ
、、たいへんなことになりそうです。。

THE YELLOW MONKEY の復活のせいもありますが、、 そればかりではなく、 ピアノリサイタルにも、、 交響楽団にも、、 行かなくっちゃ!



アレクサンダー・ロマノフスキーさん。 (Alexander Romanovsky)

昨年TVで放映されたのをたまたま見ていて、、 その時は、ラフマニノフについて語っていて、、 「手が大きいところが自分と似ている」と。。 本当に手の大きなかたで、、 で、、 その演奏で聴いたラフマニノフの音色が、 なんとも端正で、、

、、クラシック音楽については ろくな知識もないので、 自分の好き嫌いでしかものが言えないのですが、、 いわゆる情熱的、 情念のピアノ、というタイプのものが余り好きでない私には、 彼のまことに端正かつ音粒が際立ったピアノがとても好みだったのです。 それでお名前を覚えて CDを聴いてみて、 やはり気に入って、、。

ラフマニノフやチャイコフスキー、 プロコフィエフといった ロシアの作曲家の音楽が好きなせいもありますが。。。 ロマノフスキーさんは ウクライナ出身だそうです。

で、、7月にはピアニストのお友達と一緒に、 彼のピアノリサイタルに行く予定。
アレクサンダー・ロマノフスキー ピアノ・リサイタル 曲目は…

シューマン:アラベスク Op. 18
シューマン:トッカータ Op. 7
シューマン:謝肉祭 Op. 9
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

 ***

加えて、、 5月の東京交響楽団との公演にも行こうかなぁ、、と画策中。

第640回 定期演奏会
指揮者は、 クシシュトフ・ウルバンスキさんという(Krzysztof Urbański ) 、、まだ34歳の、 こちらはポーランド出身のまさに気鋭のコンダクター。 

演目は ロシアの組み合わせ
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

ロマノフスキーさんが32歳? まさに新進気鋭の実力派同士。 この顔合わせ、、とてもとても楽しみです。 


、、イエローモンキーの公演だけでも数回は行きたいと思っているのに・・・ こんなにチケット代どうしましょう・・・ なんとか、なる? ・・・ いえ、なんとかする! きっと あと数年もしたら この二人の公演なんて 簡単には観たくとも見れないような大物になっている気がするし。。。

 ***

、、ロマノフスキーさんのリサイタルに行く話を、 先日 クラシック好きの知人に話したら、、 まだ聴いたことなかったそうで 彼は早速スマホで検索・・・ ロマノフスキーさんの麗しいお写真を見て (ふふ~ん…)と意味ありげに鼻を鳴らしておりました、、

、、 だから 美形ゆえに聴きに行くんじゃありません、、 断じて。。 
ホントよ!

(でもね、公演後のサイン会には 女性陣の長蛇の列なんですって。。 でしょうね。。 出来れば私もその大きな手でサインして下さるのを見てみたいんだけどな、、 だから、 手、ですよ、 ピアニストの手! 笑)


今年の春から夏は、、

大好きな音楽で胸いっぱいにするんです・・・
 

ボウイの 'Heroes' で想い出した小説 イアン・マキューアン『イノセント』

2016-02-19 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先月以降、 'Heroes' の歌詞のことなど少し触れてきましたが、、 そんななかで記憶にのぼってきた、 イアン・マキューアンの小説 『イノセント』 (宮脇孝雄訳・早川文庫)



もとの出版は 1990年で、 私が買った邦訳は 94年版文庫ですが、読んだのはだいぶ後だったような。。 

第二次大戦終結から 10年後、 1955年のベルリンが舞台で、 私は現代史に疎いので ベルリンの壁は終戦と同時に東西にベルリンが分割されたときにすぐ出来たものかと思ってましたが、、 1961年以前は、ソ連側が統治する東地区と、 英・米・仏が統治する西地区とは、 交通や通勤が可能だったのですね、、(詳しくはウィキとかで)

小説の背景、55年当時は冷戦が深まる時期で、 英米側、ソ連側、互いの動きを探る諜報活動に躍起になっている時代。。 ソ連の通信を傍受する任務につくために軍に派遣された 25歳のまだ恋もしたことのないような うぶな英国人青年と、 占領下のドイツ人女性(30歳、離婚暦あり)との物語。

前に読んだときは、 その政治的背景がなかなか呑み込めず、 恋愛模様には惹かれたけれども、 諜報活動の実態がよく理解できなくて いまいち入り込めなかったのです、、 が、、 ボウイが77年に、 作ったばかりの「ヒーローズ」をせつなそうに歌う姿を 今一度観てからは、 急にこの小説を読み返してみたくなって、、、

今日は、 ボウイのベルリン三部作含め、 ありったけのボウイ作品をかたっぱしからかけながら(持ってないものはネットの力を借りて聴きつつ) 、、一気に読んでしまいました。

 ***

、、 べつにボウイの歌となにか関係があるわけではないんですけどね、、 ベルリンの壁の傍らでキスを交わす恋人たち、、 その映像だけはなんとなく頭に浮かべつつ・・・

小説のふたりの出会いの場面が面白いんです。 25歳の青年は、 新しく任務についたばかりで何も知らず、 先輩アメリカ人に連れられて飲みに出掛け、 その酒場には、 各テーブルごとに「配送管」が通っていて、 メモとかをカプセルに入れて圧縮空気で飛ばすことができるの。 「エアシューター」ってやつですね。 すでにべろんべろんに酔ってしまっている25歳坊やのところに、 その女性から 「こちらに来て私と踊ってくださらない?」 ってメッセージが届くのです。

、、 私事ですが、、 私この「気送管」というやつを知ってます。 物心ついた時から大学病院とか行ってたので、 そこでは「カルテ」をカプセルに入れて 圧縮空気の通った管へ〈シュパッ…〉と送るんです。 フロアを越えて 外来から病棟とかへカプセルが飛んでいくの。。 で、、また戻ってくると〈ゴトッ!〉って管から落っこちて来る。。 どうやって行き先を変えるのか、、 今でも謎・・・ さすがに最近は見たことありません。

、、話逸れました。
なんだか そんないかにもベルリンぽい緊張と狂騒が混沌とした酒場での出会いから、 このうぶな青年と 5歳年上の女性とが親密になっていく過程の描写は、 とてもどきどきさせられるし、 さすがマキューアン、描写も濃密です。

それなりに長い小説ですから、 ボウイの歌のように 「たった一日だけはヒーローになれる」 という熱い想いにかられたのちも、 二人は大変な事に巻き込まれていくわけですが、、 ボウイの歌の 「for ever and ever」… という歌詞も、、まったく関係がないわけでは。。。 

 ***

小説のラストシーンは、、 それから30年余り経った 1987年6月のベルリン、なんです。 これって、、(!) ・・・今日気付いた、、

デヴィッド・ボウイが ベルリンの壁の近くで野外コンサートを開き、 その音楽を東側へスピーカーを向けて 東の青年たちも聴きに集まった、という、、 まさにその同じ月なんですよね。 マキューアンの小説には 「ボウイ」の事はまったく出てこないけれども、、 この小説の出版は90年だし、 マキューアンは英国人だし、 ベルリンが舞台の小説の構想をしていたのなら、 ボウイのニュースも耳に届いていたのでは、、と思うし、、 何より 東西冷戦下のベルリンの恋人たち、という構想が そもそも「Heroes」から来ているんじゃないかとさえ 勘繰りたくなってしまいます。。

マキューアンはボウイより1歳年下。 そして、 マキューアンの小説には、 音楽のタイトルやアーティスト名がよく出てくる。 この小説にも、 50年代後半に流れたポップスがいっぱい。。 私には「ロック・アラウンド・ザ・クロック」や、 プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」くらいしかわからなかったけど、、。 
今日は、 ずっとボウイを聴きながら読んでいたけど、、 小説に登場する歌をどんどん検索して聴きながら、 50年代のベルリンに流れていた曲を味わいつつ読んでみるのも良いと思います。 、、だから、、ね、 きっとボウイの「ヒーローズ」も マキューアン聴いてないわけがないし。。

小説の後半は、 サスペンスの要素が強くて、 グロテスクな部分もあり、、 「好きな小説」というわけにはいかないけれど、、 でも再読できて良かったかな。。  特にラストシーンが 87年6月、だったという発見は、 ものすごい現実感をもって迫って来ますね、 時代背景をあらためて知ると。。

 ***

あ、、 だいじなこと。。
さきほど書いた、 ベルリンでのボウイの野外コンサートの事など、、 日曜日の NHK『映像の世紀』で放送されるそうです。 私も絶対見ないと、、

ボウイ、ビートルズらの貴重映像も。NHKスペシャル「新・映像の世紀」第5集、2/21放送(RO69)


、、上の写真に一緒に写した 『レコードコレクターズ』ボウイ追悼特集、、

買ってきたけど、、 まだ開いてません。。


すごく良い内容だって たくさんツイートされていたので、、 またじっくり読んでいこうと思います。 、、 まだまだ、、 ボウイのことばかり、、 考えてしまっている…  お馬鹿さんな私。。。

 

for ever and ever

2016-02-13 | MUSICにまつわるあれこれ
あの日からひと月目の日、、 ★をふたたび聴いていました。

、、あらためて凄いアルバムだと思う。。。 
何よりすばらしく感じるのが Bowie の「声」の多彩さ。。 ベルリン時代のアンニュイな声、 アメリカ時代のソウルフルな声、、 80年代以降のプラスティックな声、、 Heathen の頃の優しい声、、 Starman の頃の声さえ聴こえる。。。

過去のボウイの歴史の「声」が ぜんぶこの★の中に詰まっているような気さえする。。 トニー・ヴィスコンティもすごい頑張ってこの音を創り出したのかもしれないけど、、 ボウイの渾身の「贈り物」を聴いている気がする。

 ***

ボウイに恋したのは、 嘘じゃなく彼の「声」に、だもの。 もちろん「ヤングアメリカンズ」のジャケのように美しいボウイの姿にも見とれたけれど、 こっちはほんの子供だったし、 ボウイは余りに素敵な大人で、、 だからボウイをアイドルのように恋した事ってなかった、、(本当よ)

こないだ書いた 「Black Tie White Noise」からのヴィデオ、、 
I Know It's Gonna Happen Someday 、、 何度も観てしまったんだけど、、 高らかに歌い上げる途中で、 Ziggy時代の声でちらっと歌ってみせて カメラに向かって 「この声だろ?」 って顔してニヤって笑う。。。 ロンソンへの懐かしいメッセージとして、、 きっと、ね。

 ***

9・11以降、 「Heroes」の歌の意味が変わってしまったような気がする、、 と前に書いたけれど、、 9.11だけが原因ではないのかもね、、

何より名曲だし、 愛されている曲だし、、

2004年のワイト島や、 リアリティツアーでの ヒーローズの映像を見ると、 ボウイこんな嬉しそうな顔して歌ってたんだね、、と。 We can be,,, の We は、、 もう ボウイとオーディエンスの歌、、 そのくらい大きな歌になってる。。 でもそれもとっても嬉しそう、、 このときのボウイは。


、、9・11やオリンピックで流されたような、 国家の英雄を称える歌でないのは確かだけど、、 でも、 ↑の映像みたいに、この歌がこんなにも愛されて、そうやって 意味が変化していくのは仕方がないことだよね。 「仕方がない」というマイナスな言葉じゃなくて、 「必然」、、とでも言おうか。。

、、でも 70年代の「Heroes」、、 ボウイは こんなにもせつない眼をして 歌っていたんだよね。。 
この歌の歌詞、、 大好きなんだけど、、 本来の、 胸が苦しくなるような せつない恋人たちの歌、、。 この歌詞が書かれた経緯は たぶんウィキとかに載っている事なのかもしれないけど、、 歌う姿、 その表情とか見ていると、、 ボウイ自身がすごくせつない恋をしていたんじゃないかとさえ 思えるような歌。。。


 ***

明日は、、 Valentine's Day

、、貴方に ずっと ずっと 恋していよう 


for ever and ever


They say everything can be replaced...

2016-02-10 | MUSICにまつわるあれこれ
、、ごめんなさい 最初に謝っておきます。 ちょっと嫌味な年寄りになります。。

今日のお昼、 The Yellow Monkey の新曲解禁で、 ラジオで一斉OAされるというのを待っている間、、
(… 以下はモンキーにはひとまず関係無い話です …)

ネットでFM局をあちこち回っていて、、そしたら The Band の 「I Shall Be Released 」がかかって、、 選曲したミュージシャンのかたが、 ビッグピンクでディランと共同生活しながらこの曲がつくられたといういきさつを話して、、 そこまではよかったんですが、、

曲の後だったかな…?  「お昼のひとときに…」 「癒される感じの…」 という紹介をしていて、、 (ん~~ ちょっと待って) と引っ掛かってしまったわけです。。 「自分のルーツにある音楽」、、という意味の説明もしていたかな…

、、そんなに深い意味で語ったのでは無いかもしれない。。 でも、、 どうしても引っ掛かってしまいました。 この歌の持つ意味、 この歌が歌われてきた経緯、、 この歌がどんな状況で どんな人たちに歌われてきたか、、 

もちろん 「お昼のひとときに」流してはいけない曲とは言わないけれど、、 音楽の「ルーツ」を大事にしたいと考える プロのミュージシャンであればこそ、 自分が大事にする歌のひとつひとつに対する意識は きちんと持っていて欲しい。 それは全ての日本のロックミュージシャンに願うこと。

 ***

「時」が、 いろんな 毒や、 罪や、 傷や、 痛みを、 時間のオブラートで包み込んで、 甘やかなノスタルジーの悦びに変えてしまうのは、、 少なくとも 大好きな「ロック」の中では止めて欲しいと願ってる。。

こないだ書いた Bowie の 「Heroes」の意味のこともそうだし、、。

なぜなら、、 身にふりかかる「傷」や「痛み」や「毒」にぎりぎりの状態で耐えながら、 その「歌」を頼りに必死で生きている子(あるいは大人)がどこかにいるはずで、、 その子にとっては 歌の「痛み」や「毒」こそが、、 今自分から流れ出ている「血」と同じものだと感じるから、、だと思う。 時のオブラートに包まれた「思い出」なんかじゃない。。。

、、 そこのところに 少なくともロックは脚を据えていて欲しい。。 優しくしてくれるだけの音楽なら、 他にもたくさんあるのだから。。 40年以上聴いてきても、 まだそう思ってる。

 ***



グレン・フライさんも亡くなってしまいましたね。
イーグルスが表紙の↑は、 1976年2月号。 『呪われた夜』One of These Nights が出た後。 うわ、、 ちょうど40年だ。。

水上はるこさんによる、 グレン・フライさんへのインタビューが載ってる。 グレンさんが西海岸に出てきて、 J・D・サウザーや、 ジャクソン・ブラウンのアパートに転がり込んだ頃の話なんかが書かれてて、、

ジャクソン・ブラウンさんは (見た通り)可愛いから、 (女性はもちろん)言い寄る男たちもいて・・・ ですって(笑)




同じ本に、 ディランのローリング・サンダー・レビュー・ツアーの記事も。 
この写真は、 ルービン・"ハリケーン"・カーターの無実を訴えるコンサートでもあった、 刑務所でのライヴの模様。

、、アレン・ギンズバーグも歌っている・・・!