星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

『それゆえに愛はもどる』ロバート・ネイサン著

2018-10-29 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
一昨年、 ロバート・ネイサン著の『ジェニーの肖像』という本について書きました。
(ジェニーの肖像 過去ログ>>

あのとき、 創元推理文庫版の『ジェニーの肖像』には もう一作品『それゆえに愛は戻る』(大友香奈子 訳)も収録されていて… と書きましたが、 その作品については何も触れませんでしたね。

今回、 『それゆえに愛はもどる』を昭和51年 文化出版局版 矢野徹 訳のもので読むことができ、、 二年前の印象とはまた違った新鮮さと、 今の気持ちやたまたま今の状況と繋がりあう何かがあったのか、、 心につよく感じるものがありました。 翻訳のせいもあるのか、、 それとも、、 いまが10月のせいなのか、、 あるいは このところ頭の中にずっとずっと フレディの歌声が入れ替わり立ち代わり脳内再生されつづけているせいなのか…

Can anybody find me somebody to love... ♪ って…

 ***

『それゆえに愛はもどる』は ロバート・ネイサンによる一篇の詩から始まっています。 「いまは青い十月」と 矢野さんは翻訳されている詩。

原文は、、「Now Blue October Robert Nathan」で検索すれば どこかのサイトで読めると思います。 、、矢野さんの訳から、、 詩の最後の部分だけすこし…



最後の二行は…

 And love, before the cold November rain,
 Will make its summer in the heart again.

、、 だから、、 この十月のおわりに、、 どうしても読みたかった(書きたかった)のです。。

 ***

ストーリーは 少し『ジェニーの肖像』と似ています。 『ジェニー…』の主人公は若い貧しい画家の青年でしたけど、、 こちらは 妻を失った(4歳と5歳かな?)子供のいる売れない作家、、 暮らしているのは 「海を見はるかす岩棚のうえに立っていた… 砂漠かと見まちがう色をしたカリフォルニアの丘陵地帯」

トゥリシャとクリスという姉と弟の子供たちは 母を喪ったあとも天使たちのように愛らしく 貧しいながらも楽しそうにけなげにパパとの暮らしをおくっています。 作家は いつか自分の作品が有名に… 何かの賞を… そんな日をかすかに夢見ながらも 子供向けの物語を毎月出版社に送ってその小切手が届くのを待つ生活をしています。。 可愛らしい子供たち、、 裕福にはほど遠いけれども生活はしていける日々、、 目の前にひろがる美しい海岸、、 つつましくも穏やかな暮らしには違いないのだけれど、、 



 「…だが、喜びは分けられる。 愛もそうだ。」


、、 ロバート・ネイサンは詩人です、、 だから こういう 短いけれども心に突き刺さる一文が ところどころに出てきて、 はっと胸が疼くのです、、。

ストーリーだけを追っていったら 海の妖精を想像させる、 『ジェニーの肖像』を読んでいればなおさら想像されうる 大人のおとぎ話、、。 喪った愛の洞穴に 幻像のようにあらわれる不思議な女性… 

、、だから その物語の筋というか、 結末のあり方とかに 大きな意味を求めるのがこの書の読み方ではないような気がします。

 
 「男の人生には、 ひとつ以上の愛をうけ入れる余地があるんだ」


… こんな 台詞もでてきます。。 身勝手…? 本音…? 真理…? 嘘…?  、、笑


先に挙げた クイーンの歌と同様…

  Find me somebody to love
  Somebody somebody somebody somebody
  ・・・
  Can anybody find me somebody to love?


誰かを失っても、、 ふたたび 希わざるを得ない心 求めることのやまない愛…

そういう心の物語、、 なのでした。。


『それゆえに愛はもどる』 So Love Returns 1958年の本ですので、 「男は…」 「女は…」 「男の子は…」 「女の子は…」 というような記述が多くでてきて、 現代にはちょっとそぐわない価値観もあるかもしれないけど、、 「人は…」 「少年の心をもった人は…」 「少女の心をもった人は…」 というように読み替えることはできるかもしれない、、 人が人を求めること、、 少年の心が求める冒険、、 少女の心が求める優しさや夢、、 そこの普遍性は時代が変わっても変わらないものもあるように思う。。

ロバート・ネイサンの愛の物語、、 矢野徹さんの訳書でふたたび読めたらいいのに、、 

 ***



Now Blue October


今朝のカーテン越しの夜明けです…

映画『ボヘミアン・ラプソディ』最速マスコミ試写会いってきました♪

2018-10-25 | 映画にまつわるあれこれ
まさか当たると思わなかった 最速マスコミ試写会。 クイーン大好きなお友だちと一緒に行って来ました。 六本木ヒルズ TOHOシネマズ… 初めての場所なので時間までに迷わず行けるか どきどきしながら…




 ***

この映画『ボヘミアン・ラプソディ』の完成には本当に紆余曲折があって、、 もう完成には至らないんじゃないかとも思いました、、 最初、、フレディ役の俳優さんが Sacha Baron Cohen と知った時の驚き、、 ていうか (う~ん、ちょっとイヤ!!)って思った事…

そしてブライアン&ロジャー側との意見の相違からキャストが降ろされて、、 そのあとずーっと決まらず、 終いにはまさかの Ben Whishawくんの名前までが挙がって… ベン・ウィショー君は大好きだし 名優なのでもしかしたらフレディに化けてくれるかとも思ったけど、、 やっぱり外見的に違いが大き過ぎるし…

そのあと、、 とうとう Rami Malekくんに決まってブライアン達も今回はとても満足しているという話が流れてきて、、 でも 写真とか映像とかこわくてずっと見れなかった。。 だって、、、 フレディになれる人なんているわけないんだもの、、

、、でも、 映画の予告編を初めて見た時、、 もう、 もう、 そのときからどわーーっと涙が溢れてましたね、、 よくぞよくぞラミ君を見つけてくれた――!! って。 そして、 ブライアン・メイ役の Gwilym Lee さんに (こんなに似ている人いるのか!?!?)と驚愕。。

この映画を完成させてくれたことに感謝、 幾多の困難の末、素晴らしいキャストを揃えてくれた事に感謝、、 フレディの魂を蘇らせてくれた名演に感謝、、 ブライアン、ロジャー、ジョン、そのほかの俳優さん達・制作者の方々の努力に、、 もう感謝しかないです。。


(今回の映画パンフと、75年~78年当時の雑誌と共に)

映画『ボヘミアン・ラプソディ』公式サイト>>


オープニングの 「20世紀フォックス」のタイトルを見ている時からもう鼓動が高鳴って瞳がうるうる…、、 本編開始3秒くらいでもうタオルが必要になり、、 あとはずーーーっと泣きっぱなしでした、、 エンドロールが流れて照明が点いても 二人並んでヒックヒック… (やばい、 立てない…)って二人して笑い泣きしてましたね。。

 (後ろ姿の全員のお尻まで似てるってどういうの??)とか

 (レスペ弾くブライアンの指まで似てる…)とか、、 (…当時の雑誌まじまじ見ても似てる… ちゃんと小指に指輪してるし…)

 (LIVE AIDのボブ・ゲルドフとか、 再現度異常に高すぎない??)とか、、

…なんだろう、、 単に《そっくり》っていう事だけに感動しているわけじゃないんです。。 40年以上前から、 ずっとずーーっと見てきた、、 いい時も、 そうでなかった時も、、 映画はライヴエイドがひとつのクライマックスではあるけれど、、 そのあとのクイーンも知ってる。。 痩せていったフレディも、 病気の話が伝わって、 そしてメディアへのステートメントが出されて2日後の訃報… その日の事も覚えてる、、

フレディという人は 歌声も才能も存在もすべて、 もう二度と現れないものすごい特別なかけがえのない人だった。。 そのフレディが あんなにキラキラとチャーミングに愛しく力強く もう一度映画の中で生きてくれた… もうそれが嬉しくてうれしくて、、

そして、 ブライアン、 ロジャー、 ジョン、、 彼らだったからこそ、 フレディを受け入れてクイーンがクイーンとして在り続けることが出来た、、 ほんと、 バンドって《家族》、、それ以上のものかもしれない。。




クイーンへの想い、、 私の最初のギターヒーロー&片思いの人、、(前に、ブライアンへカードを送った、って書きましたけど、 あれは75年にブライアンが最初の結婚をした時、 幼かった私は片思いが破れたことに傷つきながらも、 精一杯の勇気を出して、 [congratulations!] という言葉を英辞書でひいて カードを送ったのでした… 笑) 

それからアダム・ランバートとの来日公演のこと、、 過去ログはこちらに>>

 ***

TOHOシネマズ六本木の音響もすばらしかったです♪ 

本当に 泣きっぱなしだったけれど、 絶対また公開中にまた行きます。 フレディとメンバーに、 会いに行きます。

試写会、、 ありがとうございました♪



ダン・エッティンガー指揮 東京交響楽団@サントリーホール

2018-10-23 | LIVEにまつわるあれこれ
20日(土)はお友だちと待ち合わせてサントリーホールへ。

ダン・エッティンガー指揮 東京交響楽団定期演奏会(写真右↓)

曲目 ワーグナー:ヴェーゼンドンク歌曲集
   ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14



ダン・エッティンガーさんは初めて。 イスラエル生まれの現在47歳。
経歴を見ると オペラが得意のようで「ウィーン国立歌劇場…ほか 世界の主要歌劇場に出演し国際的評価を確立…」とのこと。(プログラムより)

前半の「ヴェーゼンドンク歌曲集」は、ワーグナーとマティルデ・ヴェーゼンドンク夫人(当時のパトロンの妻)との道ならぬ恋から生まれた歌曲… 
プログラムには歌曲の詩 
 1.天使 Der Engel
 2.とまれ Stehe still!
 3.温室にて Im Treibhaus
 4.悩み(心痛) Schmerzen
 5.夢 Träume
がすべて載っているので、 今度よく楽曲を聴きながら詩も味わってみたいと思います。 Wikiを見ると、 この詩はヴェーゼンドンク夫人によるものらしいので、 マティルデのワーグナーへの想いも一緒に読み取れるのかもしれません。

演奏では さすが歌劇を得意とするらしく、 メゾソプラノのエドナさんの歌を引き立てるように、 速さの緩急、音の強弱、弦の揺れの感じまで両手で細かく指示を出します。 とりわけ 音をごくごく小さく抑えたまま ソプラノの歌声と演奏が消え入るように でも幽かな煌めきを残しながら長く響く美しさは格別でした。 自分の呼吸音さえも邪魔になりそうな静寂で そっと息を詰めるくらい、、、

 ***

そして 休憩のあとの「幻想交響曲」 これが凄かった~~♪

もう オーケストラの交響曲というより、 音楽による夢幻の劇場のようでした…。。 
「幻想交響曲」はベルリオーズの悲恋(片思い)に基づいたもので、 「若き芸術家が失恋し、 阿片を呑んで服毒自殺を図るが致死量に達せず、 その阿片夢の中で芸術家は愛する女性を殺害し、 そのため断頭台へ送られ処刑され、 冥界で魔女や妖魔や怪物の饗宴に導かれる…」 というじつにロマン派的な内容。 詳しくはWikiで>>

 第1楽章「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)
 第2楽章「舞踏会」 (Un bal)
 第3楽章「野の風景」 (Scène aux champs)
 第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)
 第5楽章「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)

今回の東響さんのステージでは、 「舞踏会」の楽章では4台のハープがオーケストラの最前におかれて、、 ハープ4台の響き、、 はじめて聴きました。 ハープって 本当に「夢」のような音色ですね。
ハープ4台が並んだ様子は壮観でした… ミューザ川崎のtwitterに写真が>>

ダン・エッティンガーさんの指揮は非常にダイナミック。 先にも書いたように緩急、強弱、弦のヴィブラート、あとパートさんへ思いきり指差し指示… 右へ、左へ…
同行の友いわく、、「応援団の三々七拍子みだいだった…笑」、、 ほんとに。。 指揮者さんというか応援団長ぽい、、

そして超びっくりしたのが まさかの「足ダン!」、、 指揮しながら指揮台を足で「ダン!」て踏み鳴らすのです、、 最初なにが起こったかと… 怒ったのかと思っちゃった…。。 第1、第4、第5楽章中だったかな?? 全部で3回くらい踏み鳴らしまして、、 指揮者さん自ら音を発するの初めて見ました…笑

第4楽章の最後で 断頭台の首が落ち、ウォーーーと観衆が沸くシーンでは、、 客席からまさかの「ブラヴォー」コールというアクシデント(?)も経て、、 魑魅魍魎が跋扈する狂乱の第5楽章へ、、
第5楽章で素敵だったのは、 鐘の鳴る部分に 大きな教会の塔にあるような鐘が2台用意されていて それが素晴らしい音で鳴り響いてました。 そして自在にリズムを変えながら楽団を煽りまくるダン氏。 リズムの緩急の指示にちょっとオケのコントロールが崩壊気味になるところがありましたけれど、、 まぁそれも含めて魑魅魍魎の怖ろしさということで…

、、私の好きなマルケヴィチのベルリンフィル盤だと 第5楽章のあのリズムが三連符みたいになるところなどびしっと決まってキレッキレの鋭さがあるのですが、 今回のうねるような混沌気味の第5楽章も 見ていて 聴いていて 大変面白かったです。

そして 東京交響楽団さんの木管さんのソロパートなども大変美しかったです。

 ***

ベルリオーズはこの楽曲を創るにあたって、 英国の文学者トマス・ド・クインシーの『阿片常用者の告白』の中の阿片幻想にインスパイアされた、、というのは 多分いろんな解説にも書かれていると思うのですけど、、 幻想交響曲の初演が1830年、 『阿片常用者…』の英国での雑誌掲載が1821年で、、 ずいぶん早いな(ボードレールが『人工楽園』で『阿片常用者…』を訳出したのが1850年代だから)、、と思っていたら

BBCで放送されたというこちらの記事を見たら、 ベルリオーズは アルフレッド・ド・ミュッセが最初に訳した仏語版の『阿片常用者…』を参考にしたらしいと、、
Opium and the Symphonie Fantastique

ミュッセ版は手元にないので ド・クインシーの『阿片常用者…Confessions of An English Opium Eater』に依りますが、、 確かにド・クインシーの描く阿片夢の描写と ベルリオーズの内容には共通するところが幾つもあります。 恋人を殺害はしないけれど、、 愛する人の死、 田園風景の夢の中での再会や、 阿片夢に現れる舞踏会、 そして最後の怖ろしい生き物たちに苛まれる恐怖、、
(その気も狂わんばかりの… という部分をほんの少し↓ 野島秀勝訳)



、、話はとびますが かつて ダリオ・アルジェント監督が撮り、 今度、音楽をトム・ヨークが担当してリメイクされた映画『サスペリア』は、、 もともとダリオ・アルジェント監督が ド・クインシーの『阿片常用者…』の続編である 『深き淵よりの嘆息 Suspiria de Profundis』にインスパイアされて制作したもの、、 
、、ということは以前から読んで知っていたのですが 一体『サスペリア』のどこが『深き淵より…』と関係があるのか 読んでもち~っともわかりません、、 が、 映画は次の『インフェルノ』や『サスペリア・テルザ 最後の魔女』との三部作をもって それらがド・クインシーの中の「レヴァナとわれらの悲しみの貴婦人たち」に出てくる「三姉妹」をモチーフにしているのですね(…と思って読んでもやはりサスペリアとの関連はよく読み取れないですが…)。。
 
ド・クインシーの幻想の文学、、 いろんなところに引き継がれているわけです、、 以上余談です。 (トム・ヨークのサントラにもちょっと興味があります)

トマス・ド・クインシーに関する過去ログ>>

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話を戻して、、 ダン・エッティンガーさんの指揮は大変ダイナミックで見ていて楽しかったです。

来年には 再び東京交響楽団さんとクシュシュトフ・ウルバンスキ君との演奏会を聴きに行くことにしています(上記写真左) 今度はショスタコーヴィチです。 楽しみ…

さきほど、 ドイツのエルプフィルとウルバンスキさんとの ホルスト「惑星」と「スターウォーズ」(?) という素敵なフルバージョン映像を見つけましたので また見てみたいと思います、、 相変わらずスタイルの好いウルバンスキ君です。。
Elbphilharmonie LIVE | »Star Wars« & »Die Planeten« von Holst mit dem NDR Elbphilharmonie Orchester


明日は 映画『ボヘミアン・ラプソディ』に行くのだーーー!!(狂喜♡)


フレディに会える…

ヘニング・マンケルさんの菓子パン…

2018-10-19 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
ついこの間まで半袖で汗かいていたのに そろそろ夜のひざ掛けが欲しいくらいになりましたね。。

ちょっと前、、読みたいと思って手にした本が (中身を見たわけではなかったけど) 10月の物語が3冊つづいて 思いがけない偶然でした。

その中の1冊

『タンゴ・ステップ』ヘニング・マンケル

ヘニング・マンケルさんの本はクルト・ヴァランダー警部シリーズふくめ、 全部を読もうと思っていて、、 ヴァランダーシリーズは5冊くらい読んだところかな、、 この『タンゴ・ステップ』は、 ヴァランダー刑事のシリーズ作品ではなく、 もっと若い 37歳の刑事が主人公で、 舞台もスウェーデン北部、、

作家ヘニング・マンケルさんはすでに亡くなってしまい、 新しい作品を読むことはもう叶わないのですが、 ミステリを余り読んでなかった私が 最近になってヘニング・マンケルさんを知る事が出来たのは良かったと思っています。 なぜなら、 マンケルさんの作品は21世紀の今現在の私たちが置かれた状況を予告するような、 現在を考え直すための20世紀現代史のおさらいをさせてくれるような作品だから。。 それも狭い日本の中で見ていたのでは全く知らずにいた現代史…

、、でも いまは読む方に忙しいので、 ヘニング・マンケルさんの作品について書くのはいつか改めて… としましょう。

昨日知ったのですが、 ヘニング・マンケルさんが亡くなったのは3年前の10月5日、だそうです。 翻訳者の柳沢由実子さんによる追悼記事をきのう見つけて、、 そこにマンケルさんについて自分が感じた事の参考になること いっぱい書かれていた貴重な追悼記事でした。

「無口な巨人」ヘニング・マンケルを偲ぶ。(東京創元社ウェブマガジン)

上にフォトを載せた『タンゴ・ステップ』は、 まだ若い37歳の刑事さんが「ガン」の宣告を受けるところから始まっていて、、 (でもそれは病状としては本当に初期のものらしいので 「宣告」というよりは「診断」と言ってもいいのだけど、、 やはり気持ちとしては「宣告」としか言いようが無い、、 そういう刑事さんの不安な様子が本当にうまく描かれていて…)

上記の追悼記事の中に、 マンケルさん自身が病気を知った時の 「動揺、否定、落ち込み、無気力、怒り…」という事が書かれていますが、 小説であんなにもリアルに病気に翻弄される感情を描いていた作家さんでさえ やはり揺れ動くのかな、、と思うと共に、 『タンゴ・ステップ』の刑事さんの感情の揺れを先に描き出していたマンケルさんはやっぱり凄いんだな、、とも思いました。 ストーリーは第二次大戦のナチスにまで遡る、 やはり瞠目の現代史だったのですが…

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でも きょう書きたかったのはそのことではないのです。。

ヘニング・マンケルさんの本を読んでいて(ヴァランダーシリーズも含めて) とってもとっても気になっているのが 翻訳の中で何度も出てくる スウェーデンの《菓子パン》

アメリカの刑事さんたちは 必ずといっていいほどドーナツと珈琲、、 マンケルさんの本には「サンドイッチ」は出てくるけれど ドーナツは見ない。。 代りに《菓子パン》が出てくる。 事情聴取に行ったお宅で手づくりの《菓子パン》が出されて、 「この菓子パンはうまいですね」とか言いながら食べたりする…

でも《菓子パン》というパンがあるわけじゃないから、 きっと何か名前があるはず… どんな菓子パンだろう、、 何種類もあるのかもしれない、、 「シナモンロール」という名前は見たような覚えがあるから シナモンロールはその《菓子パン》とは違うのかもしれない、、 知りたい、、菓子パン…

、、ということで ヴァランダー刑事が食べる《菓子パン》が気になってしょうがない…笑 いくつか検索してみるけれど、 あのスウェーデン語の不思議な〇とかついている言葉が読めないのでちっともわからない…

でもスウェーデンには伝統の《菓子パン》がいろいろとあるそうです。 「シナモンロール」はやっぱり代表的みたいだし、 「セムラ」というクリームを挟んだ可愛らしいパンも有名らしいし、 クリスマスシーズンには「ルッセカット」というサフランを練り込んだパンを食べるそうだし、、

ヴァランダー刑事のいるスコーネ地方では 「Spettekaka」スペッテカーカというバウムクーヘンみたいなお菓子も有名らしい、、(https://en.wikipedia.org/wiki/Spettekaka

そんなこんなの検索をしていたら、 「ヴァランダーのイースタ」という観光紹介ページをみつけました。 
https://visitsweden.com/wallanders-ystad/

TV映画になっているそうなので、 ヴァランダーのカフェまであるみたいです(リンクはしませんけど…) そこにもシナモンロールやいろんな美味しそうなケーキが載っていました、、 ヴァランダー警部、、ダイエット出来ないわけだ… 笑

、、 というわけで今日書きたかったのは《菓子パン》のことだけです。。 ヴァランダー警部の食べる《菓子パン》… 結局どれかよくわからなかった。。。 でもスウェーデンの美味しそうな《菓子パン》、、 食べたくなりました。。


食欲の秋のはじまり…

(上のフォトにあるのは コンビニの菓子パン……♪です)

上野の森美術館「フェルメール展」:わたしの 19/35

2018-10-12 | アートにまつわるあれこれ
先日の連休、 上野の森美術館「フェルメール展」に行って来ました。
公式サイト>>

昨年から フェルメール(美術館所蔵作の)全35点中9点が来日、、と大変話題になっていた美術展ですね。



入場日時指定制ということで 一体いつ行ったら一番ゆったり見られるだろうと頭を悩ませつつ、 でも自分の体調や友の都合など予期できない事もいろいろあるし… 前売り券を買うのをずっと躊躇していました。 が、 連休寸前になって(公開が5日からだったし) まだ前売りの余裕もあったので とつぜん「行こう!」ということになって…

時間指定とは言え、 入場開始時間には長い行列ができると聞いていたので 1時間ほど過ぎたころを狙い、、でもその時点でまだ人が並んでいました(10分程度で入場できましたが)
ただ、、並んで入った人たちがそのまま展示を順番に見ていくので 当然ぎっしりと列になったまま絵を見ていくことになり、、 そうこうするうちに次の時間枠の人達も入場してきます。
なので 少し鑑賞するのも工夫が必要… 中の係りの方も言っておられましたが、 「展示の順序に関係なくお好きな場所からご覧ください」とのことで、、

第1章から順に見て行ったのですが、 混んで来そうだったので4章のあと 最後の6章のフェルメールの展示のほうを先に… そのときはまだゆっくりと見られたのですが、、 もう一度4章へ戻って 順番に見ながら再び6章のところまで進んで来たら、、 フェルメール作品の前は4重か5重の人垣になってしまっていました。。 上野の森美術館は内部もあまり広くないので仕方がないですけど、 休日にご覧になりに行く方は 入場時間や鑑賞の順番にも少し工夫が必要みたいです。

 ***

以前、 自分が見たフェルメール作品のことまとめてありましたね、もう7年も前です(その時の日記>>

あの時点で わたしのフェルメール体験 14/35 になっていたと思います。
あれから、、

東京都美術館の 「マウリッツハイス美術館展」(2012年)で(そのときの日記>>
 *「真珠の耳飾りの少女」(15/35)

森アーツセンターギャラリー 「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」(2016年 公式サイト>>)で
 *「水差しを持つ女」(16/35)



そして今回の「フェルメール展」
 *「マルタとマリアの家のキリスト」(2008年と同じ)
 *「牛乳を注ぐ女」(2007年と同じ)
 *「ワイングラス」(17/35)
 *「リュートを調弦する女」(2008年と同じ)
 *「真珠の首飾りの女」(18/35)
 *「手紙を書く女」(2011年と同じ)
 *「赤い帽子の娘」(19/35)

 *「手紙を書く婦人と召使い」(2011年と同じ)
 
東京展の後期に展示される 「取り持ち女」と、 大阪展のみに出品される「恋文」も、、 見てみたいなぁ… とは思っているのですが、、、

あと、 2015年に国立新美術館で開催された「ルーヴル美術館展」での「天文学者」が見られなかったのはちょっと心残りです… (公式サイト>>) あのころ、、 身内に重病人がいてなかなか美術館へ行こうという余裕が無かったのでした、、

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今回初めて見たフェルメール作品の中では、 「ワイングラス」の絵の左上の淡いブルーの窓掛けが 光に透けながらふわっと風にふくらんでいる様子が本当に美しかったです。 フェルメールといえば ラピスラズリの「青」ですが、 この窓辺の光をはらんだ透き通ったブルー、、 光そのものを見ているようでした。

あと、、 二度目の鑑賞となった大きい作品の 「マルタとマリアの家のキリスト」、、 これ好きなんです。 フェルメール初期の作品で まだ細密な光の描写とか着ている衣装の質感の緻密さとかはみられないんですけど、 頬づえをつきながらキリストの話に聞き入っているマリアの仕草や表情が なんとも無垢というかのびのびしていて、 キリストも自分の家みたいにくつろいでいるみたいに見えるし、、 見ていてなんとも心がふんわりする絵。。

そのほかの画家の作品では、、
ニコラス・マースの「窓辺の少女、または『夢想家』」という絵がとても印象的でした。
アムステルダム国立美術館のサイトにリンクしておきますね>>
Girl at a Window, known as ‘The Daydreamer’, Nicolaes Maes, という絵です。

桃とアプリコットの枝がある窓辺、、 この位置で実っているということはこの窓は2階とか? だけど 画家の視点は少女の斜右上から見たように描かれていて、、 なんだか庭の木の枝にとまった鳥の視点みたいな不思議な構図です。。 でもそれゆえに物語を感じる、 物思いにふけった少女の薔薇色の頬も初々しくて、 少しむずかしい表情とのアンバランスも可愛らしく… ‘The Daydreamer’にふさわしい想像をふくらませてくれる美しい絵でした。

同じニコラス・マースの作品では 「糸を紡ぐ女」というのもあって(これもアムステルダム国立美術館に>>
糸車の糸や 束ねた糸のふわふわとした細かい描写が素晴らしい 巧みな画家だなぁ、と。

 ***

美術館であらたな絵に出会うのはとても幸せな時間です。。 出来たら何重もの人垣に押されるような場所ではなくて、、 自由に絵の前から離れたり近づいたり 行きつ戻りつ、、 たまに腰を下ろして遠くから眺めたり、、

そんなゆったりできる場所で絵を楽しみたい、、 
名画の鑑賞ではなかなかそうもいきませんけれど、、


「ムンク展」もたいへん混雑しそうですね…   パナソニックミュージアムでは ヴァチカンからの展示作品もあるというルオー展も(ルオーはもう幾度も見ているけれど) ちょっと見てみたいな、、 美しい「ヴェロニカ」、、見てみたい。。


気温が下がってやっと秋らしくなってきました。 あまりに夏が厳しかったから、10月のままでいて欲しい、、 永遠に とは言わないけれど。。


カサコソと落ち葉を踏む季節まで、、 大好きな秋がゆっくりゆっくりと過ぎていきますように。。 

10月の風…

2018-10-01 | …まつわる日もいろいろ
嵐の去った後の 朝空です。




昨夜は(いえ 今日に日付変わってから) 眠ろうとしても 荒浪打ちつける断崖に身を横たえているかのようで… 不協和音の無数の笛はどこから…? ビルの谷間から? 空から? 闇から? …甲高い叫びはまるでオルフェウスを襲うセイレーンの呪いのように…

、、それくらい恐怖をおぼえる風音でした。。

、、台風が越えていくにつれて風向きが変わっていって、、 そしてようやく窓側を吹きすさぶ嵐がおさまっていって…  ようやく眠りにつけたのは4時近く、、 一時間ほどでまた起きて、、



嵐は美しい夜明けに変わっていました 

 ***

話変わって…
、、究極の愛情とは、、 (純愛とは、、) そのひとの前から姿を消すことなのかもしれない、、と しばらく前からそんなことを想っています。。 そんな本を読みました…

前触れ無く、、 理由も告げず、、 眼に見えなくなること…

「髪結いの亭主」や、、 あるいは「ニキータ」にも似た、、。。


、、 目覚めて 思い出そうとしても思い出せない夢の断片のような、、 だけど たしかになにかを見たという記憶だけは残っているような、、


気配としてだけ存在しつづけるような…   不在の愛


今 これを書いていて気づきました、、 気配(けはい)とは  気配り(きくばり)と同じなのですね。。 、、 最上の思いやり、、 だから 目に見えてはならないもの、、


そうかもしれない…


エーテル、、 サイキ(psyche) としての恋人を詠い続けた Allan Poe を想う十月
でもあります。