星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

若葉のころ

2024-04-15 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
週末、 先週行った桜の下を歩いてみましたら 薄紅の花びらたちは すっかり若葉に変わっていました。

街は色とりどりのツツジやサツキの季節になりつつあります。 きょうはいずこも夏日になるとか… 

 ***

みずみずしい新緑と木洩れ日のもとを歩いていたら、、 遠い日のことを想い出しました。 …というか、 このところ たびたび思い出していた、、 あなたのこと。。

新緑のもとを歩いていて 脳裡にきこえてきたのは 「若葉のころ」という歌。 ビージーズが歌って 映画『小さな恋のメロディ』の挿入歌になった歌ですね。 原題が 「First of May」というのだと それはさっき検索して知りました… 笑

この歌を思い出すとき、、 でも思い浮かべるのは『小さな恋のメロディ』ではなくて、 フランコ・ゼフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』なのです、、 1968年の映画。 「小さな恋~」のほうは1971年のようですね。

小学生のとき、 田舎の映画館でこのふたつの映画が一緒にリバイバル上映されることになって、 たしか高校生以上の付き添いがあれば観に行って良い、という学校の許可があって、、 それで親友のお姉さんが連れていってくれることに…

記憶がとても鮮明なのは、 その日の、、 まさにその日の写真が残っているから。。 映画に出かける時の バス停で親友と並んで撮った写真。 高校生のお姉さんが撮影してくれた写真。

明るい陽射しの下で 彼女は淡いピンク色の木綿のワンピース、 私はレモンイエローのワンピースに 同じ色のつば広の帽子をかぶって。 、、彼女はちょっとむつかしい顔をしてカメラを見つめている。 私はお姉さんに撮ってもらうので精いっぱいのすまし顔。

彼女は私なぞよりとびきり賢くて 文学少女で たくさんの本を読んでいて、、 お姉さまも学校で有名なくらい優秀で そのうえ美しかった…(撮影してくれたお姉さんの写真が無いのが残念)

映画のことを教えてくれたのも彼女。 観に行く前から『ロミオとジュリエット』の悲恋の物語を話してくれて、 ふたりが仮面舞踏会で出会うことや 眠り薬をつかって恋を成就させようとはかること。。 小学生の自分には彼女のすべてが大人びていて、 彼女が目を輝かせて話してくれるこの映画のすべてが未知の、 初めて知る世界だった…

夢を語り、 夢のような世界を思い描く楽しさを語り、、 小学校の中庭に寝転がっては青空を見上げた。 四つ葉のクローバーを探し、 花冠をつくり、、 スミレの押し花をノートに挟んでくれた…

 ***

小学校卒業と同時に転校して行ってしまった彼女とは 大人になるまでずっと文通をつづけて。。 彼女はとてもとても堅実に、 地元の大学を出て 国家公務員になって、、
いっぽうの私が バンドだのパンクロックだの、、 と(なにを手紙に書いたのか覚えてはいないけど…) そういう私を心配して、、 「お願いだから、 なにかの活動家とかにはならないでね…」なんて手紙で言われたこともあったっけ…

『ロミオとジュリエット』に憧れて、 たくさんの外国文学のファンタジーをじぶんの言葉で私に語ってくれていた彼女が そんな風に生真面目な大人に成長したことを、 すれっからしの私のほうは ほんの少しだけ残念に思ったこともあったけれど、、 それから何十年、、 そして ほとんど半世紀が経つ今、、 


あなたのすべてに感謝しています…




今朝、、 「若葉のころ」を聴きながら、 歌詞をずっと読んでいました。 子供のころに耳で聞いたきり、 ちゃんと歌詞を読んだ事もなかったから。。

歌詞の一行一行 ぜんぶがあの頃の私たちにあてはまる。。



あなたが逝って もう十何度目かの春がきて…




The apple tree that grew for you and me…



あの日 バス停で撮った写真



ふたりの後ろには ちいさな姫りんごの樹があったよね…




きっと今頃は  若葉のころ…





わたしはもう少しここにいるね…


コレットで女の子のお勉強…:『軍帽』コレット著

2023-03-31 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
桜の花 美しいです。 

でも これから地方で咲き始める同じバラ科の花、 林檎や梨やさくらんぼやプルーンや、 そんな果実のお花たちもほんとに美しくて大好きです。 そんな季節にコレットを読みました。

、、前に書きましたが 今年の目標は ノンシャランなパリの老女みたいになりたい… です。 パリのアパルトマンの上階に住んでいる読書とカフェを愛する老女。。

コレット、すなわちシドニー=ガブリエル・コレットは 1920年代の『シェリ』や『青い麦』で知られる女性作家。 作家でもあり、パントマイムのダンサーや、男女を超えた恋愛遍歴でも知られる美しく奔放な女性。。 ということですが私、コレットを読んだ事ありません。

以前 パトリック・モディアノさんの『失われた時のカフェで』を読んだ時に 15歳の少女についてちょっと書きましたが(>>) 毎日ギターをかついで学校とジャズ喫茶を歩き回っていた女の子が『青い麦』とか読むわけはありません…笑 、、ランボーやマンディアルグは読んでもコレットは別世界のもの。。

で、、 今さら少女には戻れませんが 老女になったコレットなら近づけるかも知れない、、と コレットが晩年に書いた作品を集めた『軍帽』という作品集を読みました。



『軍帽』コレット著 弓削三男・訳 文遊社 2015年

表題作の『軍帽』はコレットが22歳の頃の思い出話、という形で 年上の中年女性との友情と その中年女性がおちいった突然の恋の顛末の物語。 コレットははたちで既に結婚していたとは言え、 若さと美しさに満ちた語り手が描写する40代女性の姿かたちや、 すっかり落ち着いて人生を達観したかと思えば ”おぼこ”のように恋にうろたえ舞い上がる様をえがくのが なんとも的確なこと。。 おんなの友情に満ちた 愛ある視線のようでいて じつは容赦ない。。 
あぁ 女の友ってむずかしい… わたしには無理… こんな風に親身になってお化粧から着る物から心のうちまですべての相談に乗るのは…。。 コレットのところにふらりと夕飯におとずれて勝手なお喋りをしていくおっさんの男友達のほうがラクだゎ… と思いつつ、とっても楽しんで読みました。

『小娘』という短編は、 そういう男友達のおっさんが語る 15歳くらいの少女との恋の思い出。
コレットは登場人物の的確な心理描写や、 美しい風景描写でも有名だそうですが ほんとうに。。 『小娘』の舞台はフランシュ=コンテという地方ですが その描写が素敵。。

 …小粒の黒葡萄の房―が季節に先がけて農場の石垣や踏切番の家の壁に熟しはじめると同時に、青と薄紫の松虫草が、この燃える夏ももうじき秋と呼ばれるようになる、と告げていた…

 …林道のかなり急な坂を登り、白樺の林のなかを歩いていた。白樺の軽い小さな金色の葉はもう風にちぎられ、長い間宙を舞ってから地面に落ちていた。

 …古びた瓦の切妻の家で、ところどころばら色に染まった野葡萄の大きなマントがその肩を覆っている。すぐ隣には野菜畑、緑がいっぱいの庭、フランシュ=コンテ特有の青紫の靄のかかった並木道…


翻訳のフランス文学者 弓削三男先生のお力もあると思います。。 美しい。

そんな風景のなかで出会う 少女の描写になるとまた一転、匂い立つような人間性をさらけ出すのです。。

 …青地に白い水玉模様の既製品の上着に、不格好なスカートと革のベルト―外面はそれだけのことだが、その下には若い生きものが潜んでいた……〈むっちりとした〉という言葉はいまではすっかり忘れられているけれど、女の子の場合、それはまさに陶然とするような美しさをよく表しているよ…

、、〈むっちりとした〉という語の横には ロンドレット、とルビが振られています。 rondelette 、、この語が示す 15歳の女の子の身体、、 コレットのこの短篇集には他にも15歳の少女を描いた『緑色の封蝋』という作品もありましたが、 少女期とおとなが入り混じるるこの年代を描くのが上手。。 ロンドレットという形容は私の少女期とは無縁の(痩せぎすの)ものでしたけど…

コレットが描くと 白髪交じりの紳士と田園の少女との恋も いやらしくも醜くもならず、、 それを第二次大戦の迫る1940年5月に(コレット67歳)、 パリのコレットの部屋で思い出を語り合っているという設定とともに、 なんだかほろ苦く 年月の光と翳も感じとれる良い作品でした。


こんなにもコレットの文章がみずみずしいということが分かったので、 今度は 50代を迎えようとする元高級娼婦と20代の青年との恋を描いた『シェリ』、、 ぜひ読んでみましょう。

続編の『シェリの最後』は、 第一次大戦後のパリ だそうですから尚更 興味がわきます。



あぁ 白い梨の花が見たい… 


風にゆれるプルーンの花が見たい…




この週末は雨からのがれられそうですね。。 お健やかに…

春が生まれる日 Là Fhèill Brìghde:『香りの百花譜』熊井明子

2022-02-01 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
2月になりました。 

今朝 なんとなく やさしい気持ちになる本を読みたくて、、 ポプリ研究家でエッセイストの熊井明子さんの懐かしいご本を開きました。 古い本なのでカバーがどこかへいってしまいましたが、 花の美しいイラストが沢山あしらわれた素敵な本です。 
花の香りと、 さまざまな文学作品に登場する花のエピソードなど、 それから 熊井さんが育った信州松本市の思い出なども綴られていて、 こんな風に ご自身の研究された知識を季節に沿って いろんな文学と共にやさしく語れるのって なんて素晴らしいことでしょう。。 








 アイルランドの古い伝説では、タンポポは二月生まれの聖ブリジッドの花で、人々は二月二日を聖ブリジッドの日として、春を迎える祝いをしたらしい。
   (『香りの百花譜』 熊井明子著 主婦の友社 1991年
    現在は『新編 香りの百花譜 (熊井明子コレクション 1) 』千早書房 2010年)
 
きょうはアイルランドの女性聖人 聖ブリジッドの日なのだそうです。 貧しい人に小麦や乳を惜しみなく与え、 しまいには宝石のついた父の剣まで与えてしまったというキルデアのブリギッド、 父の怒りで修道院にやられたのちは、 アイルランド各地に修道院をいくつも建て、 そうしたことからアイルランドで女性唯一の守護聖人に加えられたそうです。

キルデアのブリギッド>>wiki

上記の熊井さんのエッセイにも書かれている《春を迎える祝い》 というのが 「インボルク」だそうで、 2月1日あるいは 2日に 聖ブリギッドをお祝いするそうです。 この「インボルク」の日からアイルランドでは春が始まる、 命が生まれ始める、と考えられているそうで、 もうすぐ訪れる日本の節分・立春と少し似ていますね。


インボルク>>wiki

「インボルク」のウィキにも書かれていますが、 聖ブリギッドは「太陽の光に加え、健康(医療)と鍛冶をつかさどり、芸術や収穫と家畜、自然にも関わっている」 とのことで、 「ヒツジが子を産む季節や乳に大きな役割を担っており、子ヒツジが生まれるとインボルクが近いと言われた」そうです。

英文の検索をしていたところ、 スコットランドの伝承では 「聖ブリギッドはたんぽぽのミルクで子羊を育てた」とあり、 それで たんぽぽと羊とが聖ブリギッドの象徴になったのですね。

 ***

聖ブリギッドを祝う「インボルク」には まだ続きがあって、 これもいくつかのサイトや本の記述で見たのですが、 聖ブリギッドに捧げる聖樹が 「ナナカマド」なのだそうです。

なるほど・・・!

昨年の暮れ、 「クイックン・ツリー」と呼ばれているナナカマドのことを書きましたね、 クレア・キーガン著の「クイックン・ツリーの夜」という短編小説に書かれていたこと (>>12月は雨とともに…) あの短編もアイルランドのお話でした。

七竈(ななかまど)= 「七回かまどで燃やしても燃えない」というくらい燃えにくい木、、 と日本では考えられていますが、 実際はよく燃えるそうで、 クレア・キーガンの小説では「ナナカマドの火にかなうものはないからな」と書かれていました。 その、とてもよく燃えて身体を暖めてくれるナナカマドの木が、 豊穣や光をつかさどる春の聖人ブリギッドに捧げられているのですね。 なるほど。。

そして 「子ヒツジが生まれるとインボルクが近い」という事も、 ナナカマドが《胎動》を意味する「クイックン・ツリー」と呼ばれていることと関係があるというわけです、、 いろいろつながっているんですね。










きょうは 春が生まれる日…


光が生まれる日…


命が生まれる日…



窓から差し込む朝陽も 日に日に力づよく 暖かくなってきましたよ。

ヨン・バウエル(John Bauer)の描く妖精:ラーシュ・ケプレル著 ヨーナ・リンナ警部シリーズの話

2021-02-26 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
前回(>>)のつづきです。

ラーシュ・ケプレル著 ヨーナ・リンナ警部シリーズの登場人物のなかには、 魅力的な女性が幾人もいます。 
ヨーナのアシスタントのアーニャ ―――元オリンピック水泳選手で元気で逞しく いつもヨーナにちょっかいを出すアーニャ。。 それからヨーナの秘密の恋人? 友人? ヨーナのひとときのやすらぎの相手ディーサ。。 そして、、 第4作『砂男』では特別な使命を受けて潜入捜査をする 公安警察の敏腕警部サーガ・バウエル。

サーガは第2作の『契約』から登場するのかな? 長い金髪に透き通った肌、 ほっそりとバレリーナのような体。。 彼女を見る誰もがその美しさに魅了され、 凶悪な殺人犯ですら彼女を特別視してしまうほど、、。

小説のなかでは 彼女を見る誰もが口々に同じことを言います、、 それが、、 (ヨン・バウエルの描く妖精みたい…) という感想。。

ヨン・バウエル (John Bauer)というのは スウェーデンの画家で、 20世紀初頭に活躍したイラストレーター、絵本挿絵画家なのだそうです。 小説の中ではサーガは なんとヨン・バウエルの末裔ということになっていて、 だからサーガ・バウエルという名前なのですね。

、、そんな風に書かれたら探してみないわけにはいきません。 ヨン・バウエルの描く《妖精》 、、でも 日本ではヨン・バウエルの絵本は出版されていないようです。 見つけたのが…


『北欧の挿絵とおとぎ話の世界』 海野弘 著、パイインターナショナル 2015年


本の表紙は以前にブログにも書いた(>>) デンマークの挿絵画家 カイ・ニールセンです。。 この本のなかにヨン・バウエルの描くトロルの物語や、 金色の長い髪をもつ王妃の物語などが紹介されていました。 ヨン・バウエルもカイ・ニールセンと同時代の画家なのですね。

ヨン・バウエルは、 36歳の若さで 船の事故でヴェッテルン湖に沈み 短い生涯を閉じました。 三歳の息子もその時いっしょに亡くなったということで、 だからヨン・バウエルの直接の子孫はいないのかもしれません。。 それとも サーガ・バウエルは ヨン・バウエルがどこかに遺した子供の末裔という設定なのかな……。 

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Bauer_(illustrator)

ヨン・バウエル ミュージアムのHP (とても沢山のアート作品が見られます)http://www.johnbauersmuseum.nu/

 ***

ヨン・バウエルの描く絵画では 大きなお鼻のユニークでどこか可愛らしいトロールの姿が有名だそうですが、 そのトロルと一緒に描かれる森の妖精や王妃は、 みな腰の下まである長い髪で、 全身をおおうような金髪の姿や、 長い髪を三つ編みにして背中に垂らした姿で描かれたりしています。 
ミステリ小説のなかのサーガは、 仕事にあらわれる時は 長い髪にきれいなリボンを編み込んだような姿で書かれたりしていますから、  ヨン・バウエルの Fairy Tale の挿絵を見ながら (サーガってこういうイメージなんだろうな)と想像しているのです。

、、でも 事件を追う公安警部としてのサーガは、 ボクシングで鍛えた格闘技や 優秀なスナイパーの腕前で犯人と闘う つよいつよい《妖精》さん、なんですよ。


小説を読んで こんなふうに知らなかった素敵な画家や 音楽家や 文学のいろいろに新たに出会えるのはほんとうに嬉しい事。。 北欧ミステリには陰惨な事件や重い社会問題や、 ダークな側面もたくさんあるけれど、 ヨーナの聴く音楽や、 ヨーナのつくるフィンランド仕込みのお料理や、 ちょっとした北欧らしい暮らしの描写が新鮮で、 それが読む楽しみにも繋がっていく・・・


上記の ヨン・バウエル・ミュージアムにあった 北欧神話のオーディンの物語の絵も素敵♡ (Fädernas Gudasaga by Viktor Rydberg)

北欧神話もまた読みたいなぁ…




春は夢見の季節です……


よい週末を。

『ルイーザ・メイ・オールコットの日記』に元気をもらって…

2020-08-31 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
前回の読書記と特段 関係はないのですけれど、、

およそ百年前のパリに漫遊していた若いアメリカ人女性のことから ふと思い出して、、 『若草物語』の作者 ルイザ・メイ・オルコットもパリやロンドンや、 欧州を一年くらい周遊していたこと、、 前回読書のパリが1929年だとしたら、 ルイザが行ったパリはそれよりさらに50年前、、 今から150年も前の19世紀半ばのこと。。 日本で言うなら幕末(!)

そんな時代に 独身女性が一人で(たった独りで、ではなくて 確か裕福な家庭の子女の付き添いとして一緒に行くことになったのでしたね) 、、ヨーロッパ各地を一年ものあいだ見て歩くことができたなんて、、 日本ではまだ考えられない時代だわ… と思って

そうしたら 以前、 図書館で借りたことのある ルイーザ・メイ・オールコットの日記をもう一度読んでみたくてたまらなくなって、、 図書館本ではなかなか読み切れないから 手元に置く為に取り寄せてしまいました。



『ルイーザ・メイ・オールコットの日記 ―もうひとつの若草物語―』 宮木陽子・訳 西村書店 2008年
(右は 『若草物語』 掛川恭子・訳 学習研究社 1974年)


ルイーザがヨーロッパに旅立ったのは 1865年(日本では慶応元年、 新選組が結成された年、だとな) 、、 ちなみに 勝海舟が咸臨丸でサンフランシスコに渡ったのは1860年とのこと。。 以前に書いたことのある 新島襄(>>)がアメリカ船に密航してボストンへ着いたのが、、 なんと! 今調べたら ルイーザが欧州に旅立った同じ1865年の7月。 ルイーザはボストンから、、 そして新島襄はボストンへ、、  奇遇ですね。。

ルイーザの日記は まだ買ったばかりでところどころ開いては拾い読みしているだけなのですが、、 一番興味があるのは、 ルイーザがヨーロッパで出会った ポーランドの若き紳士、 そののち 『若草物語』でジョーの永遠の友として描かれるローリーのモデルとなったらしい男性との出会い。。

彼の名は ラディスラス・ヴィシニェフスキというのだそうです。 「とても明るくて愛想のいい青年」(1865年11月の日記より) だそうで、、 翌5月にはパリで再会して二週間を観光やホテルでの団らんで共に過ごしている、、 ルイーザにとっては本当に楽しかったらしい、 そしてほのかなロマンスもあったらしいパリでの滞在。。

ラディスラス、、 どんな人だったんだろう。。 昨日から少し検索してみたのだけど、 詳しいことは何もわからない。 ルイーザとは その滞在で行動を共にしただけで、 その後は手紙のやりとりとか、 再会とか、、 何も無かったのかしら… ラディスラスはその後、 どんな人生を送ったのかしら… ポーランドへ帰ったのかな… そんなことを考えるときりがない、、(笑) ルイーザの日記は、 晩年に自分で処分したり、 一部を切り取ったりして残っていない部分も多いようで、、

ルイーザが生きた時代のボストンには、 ソローやエマスンや、 アメリカの文化、文学の歴史のなかでは著名な人物が多くいて、 だからかなり詳しい資料も残っているほうだけれども、 そういう有名人ではない人との出会い、、 ラディスラス・ヴィシニェフスキがどんな人だったのか、とか、、 前にも書いた新島襄がボストンに滞在していた時期に ルイーザはどうしていたのかとか、、 

またゆっくり ルイーザの日記を少しずつ読みながら、 いろいろ知りたい事、 考えたい事、 これからの楽しみです。。


 ***


1863年4月の日記より


南北戦争がはじまると、 ルイーザは従軍看護婦に志願して、 その体験が『病院のスケッチ』として出版されたことは 以前に書きました(>>
ルイーザの日記にも、 看護する奮闘ぶりが記されていました(↑) 


月曜日の朝、、 傷病兵たちの病室をかけまわって 換気のために窓を開けていく、、 ルイーザの姿が目に浮かぶようです。 その部分を読みながら、 今 このコロナ禍の世界に もしルイーザが生きていたら、、 やっぱり 窓を開けて換気をして回ったり、 マスクを配って歩いたり、、  同じように病人を守ろうとしたり、 家族を守ろうとして、 奮闘していたのだろうな、と想像してしまいました。 そして、 感染者が出てしまったお家があれば、、 バスケットにいっぱいの食べ物や贈り物やつめて玄関先に届けたり、、 きっと そんな風にしているのだろうな、、などと……

そんな想像をしていたら、 8月が終わる今、、 まだまだ終息の気配は見えなくて、 半病人の私のステイホームはこの先も続いていくけれど、、 気持ちは前を見て、 毎日を、 たいせつな家族とともに、、

なんだか頑張っていける気がしました。

 ***

今日の朝刊に、、 与謝野晶子がスペイン風邪流行のときに書いた評論のことが載っていましたね。。 感染防止の為に政府に物申す文章。。 子どもがたくさんいた晶子もまた、 奮闘していたのでしょう。。

その記事を見て、 ルイーザと晶子の肖像が どことなく似ている気がしました。 意志の強そうな口元のあたりが…。



ルイーザと 晶子に 元気をもらって、、


今週も、 そして9月も、 頑張って生きましょう
 

痛ましさへの感受性…:「がま蛙とばらの花」ガルシン短篇集

2020-06-13 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
 
 ―― あの、いま頃、花壇はきれいかしら? ばらは咲いたかしら?


            「がま蛙とばらの花」


 『ガルシン短篇集』 中村融 訳 福武文庫 1990年


冒頭の、 この少年の問いかけと同じ想いを 私も先月5月の入院~自宅療養の日々のあいだに感じていました。

私ばかりではきっとなかったことでしょう。 今年は誰もが外出自粛の影響と、公園や公共施設の閉鎖のために、 美しく花が咲いているはずの庭園やバラ園も見に出掛けることもできず、 花たちは誰の目にも触れずにひっそりと咲いていたでしょうから。。

誰にも見られなくても、季節は移り、 花はただ人知れず咲いている。  その風景を思いながら、 ガルシンの美しくもせつないこのメルヘンを思い出していたのです。


「がま蛙とばらの花」のことは前にほんの少し触れました(>>)。
病の床に臥せっている少年と、少年が大事にしていた花壇、、 手入れのされなくなった荒れた花壇で 人知れずそっと咲いたばらの花。

少年も、ばらの花も、かよわくさびしい存在なのですが、

この短篇のなかでとりわけ不思議な、、そしていかにもガルシン作品そのものを象徴しているかのように感じられるのが、 花壇に住まう《がま蛙》の存在。

じめじめと暗い花壇の底辺からがま蛙はふと上を見上げ、 可憐なばらの花に目をつけ 「こんな香りの高い、美しいもののそばへ、もっと近づいてみたいと思いました」 その自分の「やさしい気持ち」をあらわそうとしても蛙には唯一つの言葉しか思いつかないのでした。 
がま蛙の口から出てくる唯一の言葉は、、

――待ってろよ!  お前をたべてやるからな!

というおぞましい言葉だけだったのです。
がま蛙が 美しいばらの傍へなんとか近づきたいと考えるその想いは、、 憧れとか、 思慕とか、、 おそらくは初めて心に芽生えた純粋な せつない恋ごころにちがいないと思うのです。
しかし悲痛にも がま蛙には他の言葉で自分の想いを表現するすべが見いだせないのです。

 お前をたべてやるからな!

恐怖におののくばらの花。。 けれども花は動くことが出来ません。 がま蛙はばらの枝によじ登り、 枝にはえたするどい棘に刺され、 手足を血まみれにしてそれでも少しずつばらの花のほうへと近寄っていきます。。


 ***

作家ガルシンは 精神の病に冒され、 精神病院に入院されられた時の体験をもとにした「赤い花」という作品が殊に有名で 岩波文庫のガルシン短篇集でも読めますが、 このメルヘン作品「がま蛙とばらの花」は福武文庫のほかは、 ガルシン全集でしか読めないと思います。

「赤い花」は 精神病院に収容されている男が 庭に咲いた赤い花(罌粟の花)を 世界中の悪の造化の象徴であると信じ、 その花をむしり取ることに執着し逃走を繰り返す話ですが、、 その赤い花への執着と 最後に花を奪って力尽きる様子は、 この世界に流れた災いや戦乱の血、 人間の罪を集約した血、、 それを自分の一身に受けて、 その花を抱きその罪をすべて抱えていこうとする贖いの行為にも思えて、、 ガルシンが生涯をかけて自身の文学作品に込めた痛切な《祈り》のようにも感じられます。


先の「がま蛙とばらの花」に登場する 病に伏す少年、 ひっそりと咲くばらの花、 そしてがま蛙、、 彼らの結末は書きませんが それぞれが痛ましさを背負った存在だと思います。 そういうか弱い存在の痛ましさへの共鳴、 共感、、 そして「赤い花」にみる 世界の罪悪 世の中の災厄に心が破れるほどの感受性をもっていたであろうガルシン。

ぜひとも 「がま蛙とばらの花」のメルヘンと 「赤い花」の狂気とを、 両方つづけてお読みいただけたら、 がま蛙のばらへの想いも、 精神病院の男の赤い花への執着も、、 両方が響き合って理解し合えるのではないかと、、 そんなふうに思います。


ガルシンのメルヘン、、 青空文庫で少し読むことができます。 「アッタレーア・プリンケプス」もやさしさに満ちた作品です。
(ガールシン フセヴォロド・ミハイロヴィチ 青空文庫>>

 
 ***




梅雨入りをして  すっきりとした青空はしばらくおあずけになるのかな・・・


雨のしずくを抱いた薔薇の花壇もきっと美しいでしょう、、 

ひっそりと咲く紫陽花にも会いたいな。。



ひと気のない 夜明けまもない時間に

そっと 紫陽花見に行ってみようかな、、 と思ってる…



できれば。。。

2月になりました…:「世界でさいごのりゅう」『ムーミン谷の仲間たち』

2020-02-04 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
春になりました… きょうは立春。

、、今年は年が明けてから すでに春のような暖かさがつづいていて、嬉しいような、、 心配なような、、


お友だちがムーミン谷へ行ってきたそうで(新しくできた日本の、ね) 写真や動画をたくさん見せてくれました。 先週にも、 べつのかたから行って来たお土産を貰って、、 
それで、 そのパークには「おさびし山」もあるそうで…

その話をしながら、 「おさびし山」って本当に素晴らしい翻訳よね、って。。 最初に「おさびし山」と訳したのは 山室静さんだそうですが ほんと名訳だと思います。
「ニョロニョロ」も 原文では hattifnattar だそうですが、 あの形状や動き方とか ニョロニョロとしか思えない存在として、もう日本人ならみんなそう認識してるのではないかしら。。
「飛行おに」は Trollkarlen だそうですが、 飛行おに、も名訳だと思うわ。。 シルクハットの黒装束で空を飛んでくる、というのは やっぱり 魔術師、というよりも ちょっと「グール」っぽい(鬼っぽい)ような 「ガーゴイル」っぽような感じがしますもの…

それで さっき 『たのしいムーミン一家』を読み返しながら、 トフスランとビスフランの独特の(一文字を入れ替えてしゃべる)言葉の翻訳も ほんとクスクス笑ってしまう可笑しさで、、 (原文はどんななんだろう…) 

いろいろと ほんと名訳です。

 ***

『ムーミン谷の仲間たち』では、 「世界でさいごのりゅう」をムーミントロールが見つけて、、 でも その子(竜)はスナフキンだけにしかなつかなくて、 スナフキンを慕って追ってきて彼の帽子をねぐらにしてしまい… (どうしてスナフキンなんだろ…)

でも、 そんなに愛されているのに、(ひとりぼっちのちいさな竜なのに) スナフキンは どこかにすててくれ、ってヘムルに頼む。。 

スナフキンが誰も何者も連れていかないのはわかるけど、、 

、、 それとも その「世界でさいごのりゅう」の生き場所が此処じゃない、って スナフキンにはわかってて、なのかな、、

 ***

パークには行く予定は今のところないけれど、 今年も わたしだけの「おさびし山」には行くつもりです。

「世界でさいごのりゅう」にも、、 いつか逢いたいな。。



完璧なティアドロップの形の苺…


ここのところ毎日 いちご、 食べてるの、、


果物が年々好きになってるみたい。。 なぜだろ… 

 

重く難解、でも読むに値する孤児たちの物語:エーリク・ヴァレア著『7人目の子』

2019-12-24 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
この本に行き着いたのは、 先月 マイケル・オンダーチェの『ディビザデロ通り』を読んでいたからです(>>

あのとき引用した

 孤児の歴史感覚をもつ人間は歴史が好きになる。 
 …(略)… なぜなら歴史を掠奪しないかぎり、不在がわたしたちを糧にして生き残ってしまうからだ。


、、この《不在》という感覚、、 それがいつまでも自分の中に〈欠落〉とか〈不安〉として生き残る、、 しかし一方でそれらは 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉にもつながっているのかもしれない… と。 history は story 、、 わたしたちが物語をもとめつづける理由にも つながっているから、、

 ***

そんな繋がりを内心感じつつ、 でも本当はこんなにも重く、難解な、いろんな事を考えさせられる小説だとは思いませんでした、、年末だから 忙しい日々でも傍らで読んでいけるミステリ小説(エンターテインメント小説)にしようと軽い気持ちでピックアップした中の一冊でした。

エーリク・ヴァレア著『7人目の子』 長谷川圭 訳、ハヤカワミステリ文庫 2014年 >>Amazon



早くも絶版だとは残念です。 決して楽しくすいすい読める本ではないし、 (殺人は起きますが)殺人犯が誰か、刑事や探偵が追う話でもないですが、 北欧ミステリ界の《ガラスの鍵賞》受賞作。 この作品の〈何〉が北欧の読書人の心をとらえたのでしょう、、 
読後にあらためて考えてみると この小説の社会性とか現代性が見えてくるのかも… と今思っています。

 ***

物語の始まりは 上のAmazon の内容紹介を読んで頂ければ良いかと思います。
60年代のクリスマスに撮られた7人の幼子が写った写真。 とんがり帽をかぶったあどけない幼児たち。 《新年に新しいおうちが見つかるのを楽しみにしています》という文字。 デンマークのとある児童養護施設で写された写真… その子たちは養子縁組を待っている子供たちでした。

この写真を同封した匿名の手紙が 40年経ったある日、デンマークの国務省に届く。 他に入っていたのは赤ちゃんの靴下と、 養子縁組申請書。 書かれていた名前は「ヨーン・ビエグストラン」

一方で、 浜辺で身元不明の女性の遺体が見つかる。 女性の周囲にちらばった謎めいた「本」「ロープ」「木」「カナリアの死体」、、 しかし その日は海の向こうアメリカで9・11のテロが起きた日。 報道はテロ一色となり女性の死亡は事故として忘れられた…

、、 ここまでの導入部なら、 犯人捜しの推理小説がここから始まるんだな、と思って読むのですけど…


国務省に届いた40年前の養護施設の写真が、 国務大臣を始め、 政府を揺るがすようなどんな重要性があるのか…? 読んでいくうちに、 同じ写真が他の人へも送り付けられていたことがわかってきます… その意味は…?

写真に写っていた7人の子供たち(60年代生まれ)、今は40代になっている大人たちの、 その一人一人とは一体〈誰〉なのか、 彼らは養子として引きとられていったのか、 どんな生活を送ったのか。。 養護施設、 国務省、 かつての養子たち、、 ヨーンとは誰か、 そして殺人事件、、それらがどうつながるのか…

 ***

巻末の解説のなかに、 著者の言葉が紹介されていますが、、 デンマークでは養子縁組が盛んで、 誰でも身近に養子になった人や養子を育てている人を知っているほど当たり前のことなのだそうです。 それは福祉国家で子育て環境や制度が整っているからなのか、 それとも子供を社会的にとても大切にする国民性のようなものがあるのか、、 それについては書かれていなくてよくわかりません。 
でも、 小説の中で、 身寄りのない一人の難民の少年を入国させるか国に送り返すか、 それが メディアと政府と国民全体の大問題として取り上げられ、 その対処で政権支持率が左右されるとまで書かれているので、 《子供》に対する国民感情には(宗教的なのか道徳的なものかわかりませんが) とてもセンシティブな感情があるのかもしれません。 アンデルセンを生んだ国、ですから。

小説中にも、 とても重要な部分でアンデルセンの作品が出てきます。 「パンをふんだ娘」(Wiki>>

私、、 この童話を知りませんでした。 あらすじは小説中にも書かれていますが、 上のウィキで内容を読んでも この童話の意味するところを理解するのは難しいですし、 その「パンをふんだ娘」に言及して著者がその部分で何を言わんとしているのかも、すごくすごく難しいです。

『7人目の子』に登場する かつての写真の幼子たちは40代になっています。 写真が国務省に送り付けられたことをきっかけに、 彼らのそれぞれの過去も描かれていきます、、 が、そこには何とも言えない特異な《暗部》が存在します。 自分が養子であることを知らずに育った子も、 ある時期に打ち明けられた子も、、  それぞれが強烈な孤立感とか、 親と子の違和感とか、 人間関係の屈折とか、 読んでいて息苦しくなるような闇を抱えている…
それは何故なのか、、 ここには作者のなにか〈偏見〉が無いだろうか… 養子、だからではなく、 実の両親が揃っていても顧みられずに淋しい想いをする子もいるだろうし… 養子であっても愛情に恵まれる子もいるはず…
、、 でも わからない。。 ほんとうのところはわからない、、 当事者ではないから

著者は物語の中で、 たとえ養子であることを隠しても必ず子供は知るのだ、という。 自分とほかの子との〈差異〉を確実に感じとるのだ、と。

、、 そう書かれていることや、 子供時代の彼らの特殊な闇の記述に、 作者の意図がわからなくなってしまい、、 つい先に解説を読んでしまいました。 作者自身も養護施設にいた事が書かれていました。 この小説のなかの子供たちの深い闇は、 作者自身が幼少期に味わったものなのでしょうか… 
作者自身が背負ったトラウマが語られているとして、 それを〈偏見〉とみていいかわからないし、 体験に基づくから真実といえるのかもわからない。 でも この子供たちの複雑な精神状態や、 親と子の会話や、 子ども同士の関係性、、 傷をえぐるような記述は作者の経歴がなければ書けなかっただろうと思える、ずっしりと迫ってくるものでした。 

 ***

たぶん作者は どの子供の〈過去〉も〈特異性〉も おろそかにしたくなかったのかもしれません。 最初に 『ディビザデロ通り』の引用をしましたが、 自分の断ち切られた過去の〈洞穴〉、、血脈の〈不在〉が生き残り そのぽっかりと開いた〈洞穴〉に呑み込まれてしまわないように、 ひとりひとりの〈歴史〉をきちんと語らなければ、と。。 
彼らが養護施設に預けられ、養子として新しい人生を歩むことになった〈原因〉をも含めて、 彼らは誰ひとり、養子、孤児、という一括りの存在ではないのだという作者の強烈な葛藤がこの物語を書かせたのかなと考えもしました。

この 40年前の子供たちのそれぞれの〈過去〉と 現在の政府高官の過去の陰謀が絡み、謎が解き明かされていく過程には、 先にちらっと書いた難民受け入れの問題や、 国民の反応とメディアの役割と政府の操作、 さらには、外国人を受け入れる代わりの少子化対策として妊娠中絶を禁止せよ、などという政府案まで出てきます。 
そして、 何度か書かれるのが「デンマーク人は~を好む」 とか「デンマークは~こういう国」という記述。。 だから本国でこれを読む人は、お話のなかの問題としてではなく、 実際に幸福の国といわれ 福祉国家で養子縁組もさかんなデンマークの社会で子供を育てるということや、 親と子のあり方… これらのテーマが身近なもので 深く考えさせられる重要なテーマなのかも。 日本人が考える以上に…
 
この小説で作者が丹念に描く、 非常に重苦しく難解な孤児たちの深い闇の物語は、 それが孤児や養子の実態なのかどうかはともかく、 ひとりひとりの子供の〈幸せ〉の問題として 他人事ではないテーマなのかも、、 それだからこその「ガラスの鍵賞」なのかも… と、、 まだ解ったとは言えないけれども そう思うに至りました。

話は少し逸れますが…
もうすぐ 東京都美術館で 『ハマスホイとデンマーク絵画』という美術展が開かれます。 そのサイトに、 デンマークの独特の文化として 《ヒュゲ》という言葉が説明されています⤵
https://artexhibition.jp/denmark2020/

家庭のくつろぎや家族のつながりをたいせつにする文化、、 そこから生まれる国民感情、、 そのようなものもこの小説には関係しているのかもしれないな、、などと…
ハンマースホイは好きな画家ですし、 この美術展にはぜひ行ってまた考えてみようと思っています。

 ***

話をもどして
、、 私自身は〈血縁〉とか〈血族〉が生涯を支配するほど最も強いものだとは思っていないし、 むしろ 血のつながっていない他人との出会いによって そこから人間同士としての家族をいかに築いていけるのか、 が自分にとっての生きる課題と思っているので

40代を過ぎたかつての孤児たちのそれぞれの最後の場面を、 もう一度 ぜんぶの物語が終わった後で 彼らはどこへ行き着いたのか、 それをもう一度読み返したいと思っています。 殺人者は誰だったのか、がこの小説でだいじな部分では無くて、 あの写真の幼子たちがどんな成長過程を経て、 どんな大人になったのか、、 彼らはこの〈事件〉のあとで〈幸せ〉を見つけられたのか、、 それを考えてみたいから…


最初に、、 

自分の中にある〈欠落〉とか〈不安〉が 永遠の〈希求〉や〈憧れ〉につながっているのかもしれない… と書きました。
 
あの物語の養護施設にいた子供たちのなかで、 〈どこにも貰われて行かなかった子供〉がひとりいます。。 その子が感じる〈憧れ〉についての記述が… とても とても せつなかったです。。 


どんなに希んでも 手に入れられないものは、、 あるから。




完訳の アンデルセン 「パンをふんだ娘」、、 今度 読んでみようと思います。




(お友だちに貰った可愛らしいクリスマス柄の干菓子。 星のかけらみたい…)


、、 よき聖夜を 、、


『もう一つの彩月 -絵とことば-』中林忠良・著

2019-11-29 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
今月 О美術館で開催されていた中林忠良さんの銅版画展(>>) 

生涯をつらぬいて追及されてきたモノクロの世界は、 ギャラリーの空間に身を置いて背筋をぴんとさせながら向き合っていたい世界でした。 モノクロームの腐蝕銅版画の静謐な世界に混じって… ふっと心が安らぐような 手彩色を施した小さな銅版画があり そこに添えられた季節感あふれる中林さんのことばが とても印象的でした。 

ことばを添えられ、色を添えられた葉っぱや樹々の小さな版画は 手元にとって読み返したい気持ちになり…
、、展覧会の図録を買いそびれたので、 何か御本は…と検索したら、 この彩色版画とエッセイをまとめた本がみつかって、 とても読みたくなりました。



『もう一つの彩月 -絵とことば-』中林忠良・著 玲風書房 2012年

版画作品53点、 ことば51篇からなる御本です。

 ***


  …おもしろいことに、焔の前に坐る者の多くが自分の過去を語りだす。 過ぎ去った日々やそれにまつわる感慨を――。
       「山のアトリエ」より


季節のことばと共に彩られる版画は、 《腐蝕》という銅版画を専門とされている中林さんの美意識からか、 生命の真っ盛りというよりもどこか 過ぎ行く季節を感じさせます。 葉脈だけになった枯葉、、 枝に残った木の実、、 窓の水滴越しに見えるような、、 薄氷に閉じこめられたような、、

でも 淋しいのではなくて ひっそりと美しい。。

一方で、 一頁ぶんのエッセイでは 友人のこと、 家族のこと、 教え子のこと、、 ネコのこと、、 ぬくもりが溢れています。。 上でリンクした作品展の感想でも書いていますが、 優しい方なのだろうなぁ… と、本を手にしながらお仲間の語らいにそっと耳を傾けます。


  落葉松(からまつ)の丸い幹がはぜながら燃えてゆく。 外側から芯にむかって、晴れた年も悪い年も一つ一つ重ねた年輪を、老いた時代から若木の時代へと順に燃えてゆく。
        「山のアトリエ」より 


、、暖炉で燃える丸太の詩情を、 画家の鋭敏な観察眼と奥深いことばで表現されているエッセイに、 こちらも読みながら遠い日に心がさらわれたり、 懐かしんだり…


 ***

今朝はベランダ側の窓が 一面水滴がいっぱいでした。。 普段はあまり結露しないのですが、 今朝はとても冷え込んだのと、 キッチンでスープを煮込んでから寝たせいです、きっと。 でも今朝はとてもよく晴れたから、 小さな水滴の向こうで朝陽がきらきらしてとても美しかった…

昼間、 病院へ行ったのですが 春 園児たちがお花見をしていた場所がすっかり優しい落葉の色に変わって、 黄色や茜色の梢の向こうに真っ青な空がまぶしくて…


そんな季節にこの御本に出会えてよかったです。


冬ごもりのお部屋で 温かい飲み物を傍に…

今夜は、 arte.tv(>>)で ヤン・ティエルセン(Yann Tiersen)さんのコンサートを聴きながら書いてます。。



 どうぞあたたかい週末を…


ミステリ作家の童話:『少年のはるかな海』ヘニング・マンケル

2018-06-04 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
6月になりました。。 きょうは暑かったですね。

前々回、 「5月はミステリの月①」ということで、 アン・クリーヴスさんの作品を紹介し(>>) そのほかに5月中に読んだミステリ小説のことも書いておきたいのですけど、、 結構いろいろな予定が…
(明日もお友だちとお出かけするし…)

、、 というわけで五月雨のミステリ読書記は 梅雨入り後に書けたら…(笑) ということで、、 今日はその番外編、、 ミステリ作家さんの児童文学。
良かったんです、、これが。。

 ***


『少年のはるかな海』 ヘニング・マンケル著 偕成社 1996年

ヘニング・マンケルさんは ↑右の『殺人者の顔』の刑事ヴァランダー シリーズのミステリ作家。
先に、 『殺人者の顔』を以前、読もうとしたのですが、、 冒頭の殺害発見のシーンが凄惨で、、 (猟奇ものとかダメなんです…) 、、で、 読むのやめようかなぁと思いつつ、、 ミステリ好きの友に (これ残酷?)と尋ねたら、、 その後はそうでもなくて事件を追う《おっさん刑事》がいい味を出してる、と。。 女房には逃げられ、 見た目も冴えず、 生活ダメダメだし、、 老親の介護も抱え、、 それが《おっさん刑事ヴァランダー》との出会いでした。。

、、で ヴァランダーシリーズについては またにしますが…

そのヘニング・マンケルさんの著書を検索していたら児童小説があって、、 なんだか読んでみたくなったのです。。

 ***

11歳のヨエルはお父さんと二人暮らし。。 ヨエルはお母さんを憶えていない、、

お父さんは以前は船乗りだったけれど、 今は海の全然見えない町に住み、森で木を切る生活をしている。。 ヨエルは学校から帰るとすぐに 薪のオーブンに火をつけて 父さんが帰るまでにじゃがいもをゆでておく。 パンやじゃがいもや父さんが飲むコーヒー粉を買いに行くのもヨエルの仕事、、 母さんがいないから、、



 「こんな日は気をつけなければいけない。ドアをバタンとしめないこと。 どうでもいいことを質問しないこと。 ただ、だまってテーブルに皿をならべ、じゃがいもをよそい、父さんが焼いた肉を静かに食べること。 そして、すぐに自分のへやへ消えること。
  ヨエルには、父さんのふきげんの理由がつかめないし、どうすることもできない。
  でも、心の中で思っている。 うちに母さんがいて、そばに海があれば、父さんはきっとふきげんにはならないと。父さんがすてた海と、父さんをすてた母さん……」


―― ここ読んで 泣いちゃいました、、、  父さんも辛いのかもしれないけれど、、 子供にこんな風に気を遣わせてしまうのは切ない、、 余りにも切ない。。 でも子供って本当に敏感に、 大人の様子をうかがって、 子供なりの神経を擦り減らして 親に気を遣っているものなんです。。 それがすごく実感できるから その心の繊細さに泣けてきてしまう… (それと同時に、、 ヴァランダー刑事のダメダメさが、、 同じ人が書いているという事が なんだかわかる気がした…)

大人だって ダメなときがあるんだ。。 

父さんは、 母さんのことや 海をすてた理由を、 ヨエルには話してくれない。。 もう少しおおきくなってから、、 と。 だからヨエルは理由もわからずに我慢しなければならない。

、、 そんな或る晩、 窓の外を見ていると 灰色の犬がヨエルを見て、、 それから走っていった、、 ヨエルはあの犬を見つけなくちゃ、と思う。。 その晩から、 父さんが寝静まった深夜 ヨエルは家を抜け出して町を彷徨う。。

 ***

夜の時間を知り始める11歳の少年。。 父さんには言えない秘密の時間がだんだんに増えていく、、 淋しさと苛立ちと 何も教えてくれない父さんへの不信と、、

この小説、、 児童文学ではあるのですが、、 これを日本の同じ11歳の子が読んでだいじょうぶなのかな…  小学校の図書館とかに置けるのかな… と、 ちょっと思ってしまった理由は、、 父さんの「大人の事情」についても結構あからさまに書かれているからなのです。。 ヨエルが寝ている事を見計らって父さんも夜でかけていく、、 女の人の所へ…。 寝たふりをしているヨエルだから、 そのことも知ってしまう。 父さんの行った後をつける…

、、 この作品が スウェーデンのニルス・ホルゲション賞、ドイツ児童文学賞受賞 とのことなので、 あちらではそんな「大人側の事情」も子供向けの作品で描かれるのですね。 両親が離婚したり、 新しいパートナーがいたり、、 様々な家庭、家族のあり方が当たり前の現実になっている国々。。 

 ***

傷ついたり、 葛藤したり、 怒りをおぼえたりする少年の心。。 でも、 この作品の救いは その傷ついた心をちゃんと受け止めてくれる べつの大人たちに出会える事なんですね。。 その人たち自身も 心に傷を負ったことのある、 他者から余計者と見なされたことのある大人、、 でも ヨエルとちゃんと向き合って 大事なこと 話してくれる。 

、、 そして お父さんも、、
結局は ヨエルとちゃんと向き合って、 自分の弱さも、 心の中のことも、 話してくれる。。 
(日本流の子供との絆を深める という親密さを重視する向き合い方というよりも、 親子の絆の上に立ち、 親も一人の個人だし、 ヨエルも大人になりつつある個人、というそんな向き合い方、、)


・・・ 余談ながら、、
あとがきを読んでいたら、 著者のヘニング・マンケルさんは子供時代 父子家庭だったそう。。 だからヨエルの淋しい心の様子がこんなによくわかってあげられるのかな、、。 だから刑事ヴァランダーのダメダメなところも書けるのかな、、と。 大人も淋しいんだし、、 子供はもっと傷つきやすい、、 他者から排除されたアウトサイダーの苦しさも、尊厳も、、 愛するものを失ってなお生き続けていかなければならない悲しさも、、 

そういうものがわかっているから、 (解って欲しいから) ミステリを書くのかな、、とも。。

 ***

ところで、、

ヨエル少年が 最初に探そうと思った 「星に向かって走っていった犬」、、

なぜ ヨエルはその犬を探し出そうとしたのかな…  その犬ってほんとうは何をしていたのかな… ほんとうにいたのかな…  それとも、 何かの象徴だったのかな…

もしも、 子供と(子供でなくても) この本を読んだ誰かと話をするとしたら、、 その犬の意味を考えてみたいな、、。


きっとこの『少年のはるかな海』は、 ヘニング・マンケルさんがどうしても書きたかった、 児童文学という形でしか言えなかった 自分にとって大切な告白、、 そんなふうに読めました。。




第二十六夜 アンデルセン『絵のない絵本』

2017-12-26 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
きょうはお掃除をがんばろうと思ったんだけど…

心臓のご機嫌が麗しくないので 少し横になりながら、 なにか短いお話を、、と
アンデルセンの『絵のない絵本』を手に取りました。

この物語は、 お月さまが貧しい画家の屋根裏部屋の窓辺へおとずれて 毎晩ひとつずつ、 お月さまが見てきたお話を聞かせてくれる、、というもの。

きょうは26日だから、 と「第二十六夜」のところをふと開きました。




煙突掃除の少年。
、、 仕事を終えて 煙突のてっぺんへ顔を出して、、

「…お月様だって、 お日様だって、 ぼくを見ることができるんだ。 ばんざあい!」


、、「ぼくは」でなくて、 「ぼくを」。。



えらいね。 みんなが昨日 サンタさんに逢えたとしたら、 それはキミのおかげだね。



『絵のない絵本』(アンデルセン作 山室静 訳・いわさきちひろ 画)
童心社 フォア文庫



、、私のお掃除はもうちょっと持ち越し…  神さまごめんなさい。

(、、家族にもごめんなさい、、だと思う…)


カイ・ニールセンの挿画本

2017-05-28 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
前回 ちょっと触れた本のこと・・・




カイ・ニールセン絵 岸田理生訳 『太陽の東・月の西』1979年 新書館

北欧伝説に材をとった絵本。 、、いまは絶版です。


右の本は、『挿絵画家 カイ・ニールセンの世界 (ビジュアル選書)』 平松洋監修 2014年 KADOKAWA/中経出版

 ***

19世紀末からのイギリスに興った 美しい挿画本。 ビアズリー、 アーサー・ラッカム、 エドマンド・デュラック、、などは見たり読んだりしたことありましたが、 このカイ・ニールセンという画家については名前の記憶がありませんでした。 絵などは、 もしかしたら昔、見たことがあるのかも・・・

、、かも・・・ というのは、 先日、やっとこの本を手に取り 絵を眺めた時、 とってもとっても懐かしい感じがしたのは、、 それは 昔見たことがあったからなのか、、 それとも、 1970年代の日本の少女漫画家さん、 特に美大系の 内田善美さん、 山岸涼子さん、 そして前にも書いた(>>) おおやちきさん など、 自分が子供の頃に見た絵の記憶と重なるからなのかもしれません。

特に、 内田善美さん(wiki>>)が 漫画というより ポスターなどのイラストレーションで描いた、 すごく細密で 幻想的な絵の雰囲気にとても似ていると思って、 それですごく懐かしさがあって…

、、本当は 逆なのですよね。 70年代の日本のこれらの漫画家さんが影響を受けたのが、 ラファエル前派の細密画であり、 アール・ヌーボーの曲線であり、 アール・デコの様式美であり、、 その影響下の少女漫画で育ったかつての少女が、 原点となった イギリスの挿画本の作家に遡って 同じ系統にある美しさと懐かしさを発見しているのですから、、、

 ***

この カイ・ニールセンの1979年の本の扉には、 荒俣宏氏の推薦文が載っていて、、

 「…挿絵とは決して書物の下僕(しもべ)ではなく、活字の海の渡し守なのです。 なかでも、イギリスの挿絵黄金期は、夢の世界へ旅する筏を造る名匠たちの時代でした…」 と。


そして、 装丁を手掛けられた 宇野亜喜良氏による カイ・ニールセンの紹介文では

 「かくも多き混淆を生活したイラストレーターも少ないであろう。
  コペンハーゲンで演劇人の子として生まれ、パリで長い舞台生活していた母からはフランスやデンマークの古い唄を聴いて育ち、18歳のとき、パリで美術を学ぶうちビアズレーの様式美に感激し、北斎、広重、歌麿の版画に出会い、やがてニールセン独特の画風を完成させた後…」

、、と、 経歴が簡潔にまとめられています。 そうなのです、 演劇人の父の舞台美術の構図、、 それから 女優の母から聞いた伝説の物語の幻想、、 そして 貿易商だった祖父が持ち帰った日本の版画、、 それらが 1910年代のバレエ・リュスの舞台芸術などとも混ざり合って、 ニールセンの挿絵が生まれたのです。 絵を見ると、 まさにそのことがよくわかります。

北欧伝説の王子や姫は、 妖精族のようにすらりと長身で、 バレエ・リュスに似た衣装とポーズで立ち、、 背景の海は 北斎の富嶽三十六景の青い波、、 

 ***

上の写真の右に載せた本でも、 ニールセンの挿絵と、 北欧伝説の物語はあらすじとして読めるのですが、 挿画のサイズが小さいのと、 物語はあらすじだけなので、 どうしても「言葉」と「絵」の美しさをセットで味わうには足りません。

『太陽の東・月の西』には 6篇の物語が収められていますが、 訳者の岸田理生さんの「語り口」が美しく、、

 「さあさあ、ばあやの夜語りは、一人の兵士と姫君の、数奇な恋の物語。坊やも嬢やも、ねむうなるまで、おききなされ。」 (「青い山の姫君」)

といった感じに始まり、 途中には 物語が「詩」になり、、


 「馬にのって なん日すぎた?
  草の褥(しとね)にいく夜寝た?
  ようやくついた 風の家
  ・・・・・    」
     (『太陽の東・月の西』)

、、このように語られていくのです。 寺山修司などの舞台戯曲を手掛けられた 岸田理生さん(Wiki>>)ならではの言葉の効果的な構成なのかと思います。

 ***

、、と、、 いろいろ紹介しましたが、、 

ひとことで言えば、、 ただただ その絵と 王子と姫の恋物語に 心奪われただけ、、です。


こんな美しい絵と、 うつくしい物語の本が いまはなかなか読むことが出来ないなんて、、。


、、 あ、、 カイ・ニールセンという人は、 イギリスの挿絵本の時代やバレエ・リュスの時代が去っていくと共に、 仕事の場を失い、 ディズニー映画の隆盛の時代がやってきて 誘われてハリウッドへ行き ウォルトの元で働き始めましたが、 (想像しても明らかなように) 絵の傾向がまったく異なりますものね、、 意見の相違などでニールセンは去り、 晩年は忘れ去られて 大変困窮した生活だったと、、、。 悲しいことです。

でも、 日本の少女漫画家たちが 英国挿絵本の作家らの影響を受けた緻密で幻想的な漫画のブームを起こした70年代の終わりに、 こうして ニールセンの絵本が荒俣宏さんの紹介で復活していったというのも、 よくわかる気がしますね。


時代に取り残されても、 時代がどう変わろうと、、


自分が美しいと思う言葉を話し、、 美しいと思うものを求めて

そうして生きていたい。。


あ、、 前回の 「王子さま 助けにきてよ」、、 というのは わたしの独り言ですのでね、、

あの図像の姫さまは、、

 「ひとしきり泣いたあと、 娘はようよう起きあがったのでございます」

 「きっとまいります、 あなた」




、、太陽の東・月の西・・・へ


  強い姫さまなのでありました。。 



*こちらでカイ・ニールセンのイラストの一部が見られます。
Nielsen's Fairy Tale Illustrations in Full Color (Amazon.co.jp)

自由と美しい魂のために… : ポール・ギャリコ 著『スノー・グース』

2016-12-08 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
12月8日。

ジョン・レノンの命日、、 真珠湾攻撃の日、 ジム・モリスンの誕生日、、 山村暮鳥の命日、、 トマス・ド・クインシーの命日、、、

 ***

この前、 画像をちらっと載せました(>>)、 ポール・ギャリコ 著/アンジェラ・バレット 絵 の 『スノー・グース』

表紙および、内容は こちらの出版社のページをご覧ください↓
あすなろ書房 http://asunaro.bookmall.co.jp/search/info.php?isbn=9784751525036

閉鎖され、 無人になった灯台にひとり住む 画家のラヤダー。 背中に瘤のある 片手も不自由な 孤独な青年、、 町へ出てくるのは買い物をする ほんのたまにだけ・・・ 人々は 「灯台に住む変わりもんの絵描き」、、とよぶ。。

自然を愛し、 ひと気ない湿地帯の水鳥たちを見守るラヤダーのもとへ、、 ある日、 傷ついた鳥を抱いた少女が たすけを求めて訪れる。。



これは、 絵本の裏表紙、、 表の少女の絵から この裏の水辺の風景へとつながっています。
淋しいけれど、 美しい しずかな海。。。

、、、 孤独な そして異形の青年と、少女のふれあいの物語、、 といえば 『Beauty and the Beast 美女と野獣』 『ノートルダム・ド・パリ』? ・・・そんな想像もうかびますが、、

ギャリコが 画家ラヤダーを この町から離れた灯台 = 「塔」 に住まわせたのは、 きっとそんな古典作品を踏襲しての意味もあるのでしょう。。 だから、 読む人は ラヤダーの魂の中にある「孤独」と「やさしさ」そして 「美しさ」を、 読む前から理解しているようにも、、 それで、 このアンジェラ・バレットさんの絵が、、 どこか淋しくて 静謐で 決して明るさは無いのだけれど、、 その中には 「やすらぎ」も 「あたたかみ」も ちゃんと感じることができるのです。。

、、 私、、 ポール・ギャリコは余りにも有名だし、 だけど 以前ある本を読んで ちょっと自分に合わなかったせいもあって、 『スノー・グース』を手に取ることはありませんでした。 だからほんとうに イラストが素晴らしくて、 この美しい本で『スノー・グース』を読めたのは とても嬉しかったのだけど・・

後半、、 あぁ、、 そうだったのか、、、
これは 戦争の物語だったのか・・・ と。

のちに出てくる 「ダンケルクの戦い」 「ダンケルクの惨劇」 「ダンケルクの奇跡」、、いろいろな表現がされているようですが、、 その戦史については 私、無知なので全然知らなかったんです。。 家族に聞いたら 知ってる、と言っていたので、 世界史ちゃんとやっていれば知っているんですね。。

奇しくも、 クリストファー・ノーランが今度 撮った戦争映画が 「ダンケルク」
予告編はこちら↓
映画『ダンケルク(原題) / Dunkirk』特報

、、、 『スノー・グース』、、 結局 読み終えて、 わたしは・・・ 好きにはなれませんでした。。。 絵本もとても美しくて、、 ラヤダーもとても愛することができた、、 たしかにそうなのだけれど、、 ギャリコが描きたかったのは、 結局 「戦争」なのだと。。

、、 そう思って、 上の本の裏表紙を見ると、、 海(これは英仏の海峡)の彼方に見える 船の影・・・ このときはまだ もしかしたら ただの商業船かもしれない、、 だけど、 この船影が、、 戦艦に見えてきてしまう。。
 
 ***

ギャリコが 描きたかった意図は、、 それぞれ読んだかたが 受け止めたら良いのだと思います。。 が・・・

戦争で失われるのは、 かならず 美しい魂と 自由な精神。。 そして引き裂かれるのは 純粋な心と愛。。。

12月8日に・・・


クリスチャン・ベイル→若草物語→新島襄?というヘンな話

2013-09-08 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
昨今、、 新バットマンに ベン・アフレック、、という話題で、 そのキャストに反対する署名が1万人以上も集まってしまった、、とかありましたね。。

私もじつは そのニュースを知った時 「絶対ヤだ!」と思ったクチでした。 ベン・アフレックの映画は好きなの多いし、 全然キライじゃないけど、 ブルース・ウェイン役は イヤっ! 無理! 不可能! 、、というか ブルース・ウェイン=クリスチャン・ベイル がハマり過ぎてしまったから ベイル以外考えられない。。。

昨日も、、
我が家の男子に、 なぜゆえにブルース=ベイルでなければならないか、、というのを 切々と訴えていたのですが(笑)

私の無茶なロジックは、、 「ブルース・ウェインは『若草物語』のローリーだから」 ・・・・・ 

今までも『若草物語』のこといろいろ書いてきましたけど、、 理想のローリーは絶対 クリスチャン・ベイルなのです。 そういう映画もありました、、 ジョー役のウィノナが気に入らなかったけど…
(映画のワンシーンから>>iMDb)
髪の色や、 顔つき、 ユーモアと品性、、 どれもローリーにぴったり。 ・・・で、 そこからブルース・ウェインに繋がります。

ローリーは資産家のおじいさまと二人暮らし。 両親は早くに他界、、 孤独な少年時代を送ります。 そして、、 成長してからは、、 恵まれない子供たちのための学校を設立したジョー夫妻を援助し、 自分の資産を子供たちのために提供したりします。。 ね? ブルース・ウェインでしょ? いちばん、 いちばん 愛してた人と結ばれなかった点でも、 ローリーとブルースは同じなの。。。
(ダークナイト・ライジングでのブルース様>>

、、ということを滔々と訴えていたのですが(笑)、、 その時に、、 「あ、、そうだ。 ジョーはね、、 『八重の桜』の八重みたいな人なのよ、 木登りして読書するような…」と話がとんで、、

 ***

そこで はた!と気が付きました。。 密航してアメリカに渡った 新島襄は、、 もしかしたら マサチューセッツに行ったんじゃないか?? アメリカの大学を出たんでしょう? だったら…  新島襄がアメリカにいた時と、『若草物語』が執筆された時代は・・・ 同じころじゃない??

まさしく!! 新島襄がアメリカに渡ったのは 1864年、 1870年にアマースト大学を卒業 (Wiki↓) 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E8%A5%84

一方、 ルイザ・メイ・オルコットが 最初の『若草物語』を出したのが 1868年(Louisa May Alcott>>)。。 同じ時に 同じマサチューセッツの中にふたりはいたんですね。。。 ジョーと襄がつながりました(笑)

ローリーが出た大学はどこなんだろう(物語の中、だけど)。。 
出版社や新聞社に出入りしていたオルコットの耳に、 日本から来た「襄」のうわさは届いていたのかしら。。。 大河ドラマでは、 襄がアメリカの教会で演説をして、 日本に学校を創りたいんです! と訴えていたけれど、、 同じように、 身分にとらわれない自由学校の設立を目指したオルコットのお父様とか、、 この日本から来た若者のこと 知ってはいなかったかしら・・・

、、と、 いろんな興味がいっぱい。。 だって本当に、 『若草物語』のジョーは、 新島八重みたいな女性なんだもの。。。

面白いねぇ。。。 これから ちょっと新島襄さんのこと、 調べてみたいと思います。 オダギリジョーさんも大好きですから、、(笑

『若草物語』に関する過去ログ>>

 ***

ところで 「ターミネーター」の続編はないのかしら… ブルース・ウェインが無しなら、 せめてジョン・コナーをもう一度やって欲しいんだけど、、 ベイル様。。

林檎ものがたり

2012-12-02 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
今年もまた 玄関のUMAくんがクリスマス仕様になる季節となりました。 後ろの橇には、 こないだ故郷からとどいた林檎をのっけてみました。 かぼちゃの馬車ならぬ、 林檎の馬車です。

故郷の家から歩いて5分ほどの ○○さんのお家の果樹園でとれた林檎。 私が子供の頃には、 まだりんご園や、 ぶどう園や、 キャベツ畑などもそこかしこに残っていましたが、 すっかり住宅地に変わって、、 でも 今でもあのりんご園で育った まっかな林檎ちゃんたちを手にすることが出来るのはほんとに嬉しいことです。

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林檎といえば、、 今まで 島崎藤村の「初恋」の詩や、 『若草物語』のジョーのことなど、 ここに書いたけれど、、

林檎のものがたり、 と言えば 忘れられない1970年代の田淵由美子さんの漫画。



おおやちきさんの漫画のことは前に書きましたが、 ちき様のマンガは芸術品であったのに対して、 田淵さんのマンガは どれも胸がキュンとなる やさしくて せつない 青春の一ページという感じ。 時代で言えば かぐや姫なんかのフォーク全盛期で、 まだ小学生だった自分は意味もよくわからず「神田川」とか歌っていたけれど、 雰囲気としてはかぐや姫よりも イルカさんとかチューリップとかに近い気がする。 そんな胸がきゅんとなる物語たち。

田淵さんの作品は、 多くが大学生が登場人物だったのも特徴的で、 だから余計に70年代フォークの雰囲気とかぶっていたのでした。

上の写真の 『林檎ものがたり』に入っている、 りんごにまつわる短編3部作も好きだけれど、 りんごと呼ばれている女の子「林子」ちゃんが出てくる作品 「風色通りのまがりかど」や「菜の花キャベツがささやいて」は可愛かった。。 自分には考えられそうもない すてきな学生結婚のお話だったけど、、。

田淵さんの漫画には、 なぜだか秋から冬のものがたりが多かったような気がする。。 そして、 舞台は東京なのに、 よく雪の降るシーンがあったっけ。。 70年代くらいには、 東京でも雪がたくさん降ったのかしら・・・ 

林檎のまっかなおめめをした、 雪だるまがつくれるくらいに。。。

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今では 林檎といえば ふじやサンふじといった品種ですが、 記憶として70年代のはじめにはまだ多くなかった気がします。 だから、 田淵さんの漫画で描かれる林檎も、 蜜のたっぶり入った甘いふじではなくって、 きっと国光とか 紅玉といった 甘酸っぱい小さな林檎だったんじゃないかと、、 そう思います。


さむくなってきましたね、、

風邪ひきませんように。。