星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ヴァランダーは寅さん?或は妖精さん?:『ファイアーウォール』ヘニング・マンケル著

2020-07-29 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
今、この状況下で大事なのはそれですか??

いまやるべき事ってそのことなの??

、、と 毎日のニュースや世の中のいろいろに接して、 日々 心の中で叫んでいる言葉ですが、、 ヘニング・マンケルさんの『ファイアーウォール』を読みながらも 同じ言葉を何度も言いたくなってしまいました。。

とうとう来月 刑事ヴァランダー・シリーズの最新で、最後の作品 『苦悩する男』が出版されるというので、 今まで勿体なくて読まずに我慢していた シリーズ第8作の『ファイアーウォール』を読みました。(『霜の降りる前に』はヴァランダーの娘リンダが主役なのでこれもまだ読んでません、こちらも今後の楽しみに…)



『ファイアーウォール 上・下』 ヘニング・マンケル著 柳沢由実子 訳 創元推理文庫

タイトルからわかるように、 今作はITの世界の物語。。 
でも書かれたのが1998年だということを考えれば、 ネット社会のセキュリティ問題を取り上げたこの作品は すごく先進的なテーマだったんでしょう、、 98年、 わたし 自分のパソコンまだ持ってなかったな… 職場の上司が 「インターネット! これからはインターネットだよ。 インターネットなら何でもすぐ調べられるんだよ」って騒いでいて、 「インターネットって何ですか?」って話をしてたのが 96,7年ごろだった気がする…

ヴァランダーのいるスウェーデンの地方都市スコーネでも 警察署でIT化が進み、 パソコンで書類作成やメールを打つようになって、、 でも ヴァランダー 50歳、 メールも打てないし、 インターネットの世界のことも解らない、、 容疑者のデータとかも 調べてくれ、って部下に頼むしかない、、

(自分のような人間はもうこれからの警察に必要ではないのか…) という 今までも少しずつヴァランダーを苛んでいた不安が、 今回の作品では それが主要テーマと言っていいくらい、 すべての根底にある、 事件に関しても 個人の問題でも。。

自分は足を使って捜査し 自分の勘を頼りにしてきたという自負、、 だけど パソコンを前に、 独りはずれて後ろから覗き込んでいると、 もう自分は必要ないのかと不安が押し寄せる。。 さらには 部下たちがもう自分の古い能力を認めていないのかも と疑心暗鬼が募る… 
役に立たない中年以上の社員のことを 「たそがれ社員」とか、 「妖精さん」と呼ぶのが 最近の日本ではありますが(ヒドイ言葉ですネ…)、、 そんな姿に見られているのか、 という焦りがヴァランダーの言葉の端々から感じる……

だけど 心の底では負けてない。。 仕事への炎も、 この孤独感を誰かと分かち合いたいという燠火のような恋心も、、

ただ、、
ヴァランダーが困りものなのは、 その自負心の強さ、 それに加えて思い込みの激しさ、 さらには淋しがりや疑心暗鬼という弱さも人並以上、、 もう、、 それらが急に とつぜん いきなり 意識に表面化して暴走するから ほんと困りもの……

今に始まったことではないので、 (第一作から)苦笑しつつ読みますが、、 でもねぇ 今回ばかりは ヴァランダーに同情する気持ちもある一方で、 (今それですか!?)と本に向かって叫んでしまいそうになる場面も…

だって、 明らかに貴方の行動が 人命の大きな危機を招いたんですから、、、


 ***

サイバーテロの危機を描いたミステリ小説としては、 22年も前の作品だから もう古くなってしまったコンピューターの世界 という感じは否めないです。 (サイバーテロがテーマという点では、 先日読んだ『カルニヴィア』三部作の 第三作密謀 は、 SNSやスマート家電を通じた情報収集やサイバーテロのことが書かれていて面白かったです、、がこれでも時代はどんどん先へ行っているのかも…) 
でも、 ヴァランダーシリーズは 事件解決へのプロットの巧みさ、斬新さや、 犯人捜しのトラップとかが主題ではないですものね、、

ヴァランダーという人間の物語だし、 スウェーデンの片田舎のスコーネと 世界の危機とが結びついているその問題提起がいままでも主題だったのですから、 パソコンが使えず 職場での疎外感におたおたしている姿、、(だけどつい違う方面の欲に負けてしまう情けなさとか) それが痛々しいほどよく描かれておりました。。


今度のヴァランダーは 59歳になってるそうです。。 そして タイトルは『苦悩する男』 、、 これがヴァランダーのことかどうかは判りませんが、、 刑事人生の最後に向けて 悔いなくまっとうして欲しいです、、 そして 出来れば幸せになってもらいたいです、、 誰かと。。


たぶん、 また勿体なくて なかなか読み出せないだろうと思うけれど……


 ***

余談ですが (ちょっとネタばれですが)

この『ファイアーウォール』の中に書かれていたある部分が、 ヘニング・マンケルさんの別の作品のモチーフであることに気づいて感慨深かったです。。 

そういう気づきがあると、 作家さんの創作の奥にある気持ちとか、 創作に込められた人生観とか、、 そういう大切なものに触れられた気がして……


ヴァランダーの人生は、 ヘニング・マンケルさんの人生でもあるのかも…


作品を創るひとって、、 きっと そういうものですよね…


人生のすべてを作品にこめて きっと そうやって届けたい、、 のでしょうね……


窓からの

2020-07-27 | …まつわる日もいろいろ



朝陽で目が覚めるのって


いつぶりだろう...





カミナリ鳴ったり


すぐに晴れたり


雨雲ひろがって


真っ白な雨降ったり


昨日も目まぐるしい天気だったけど






少しずつでも日の射す日々へと...



裏返しの世界… :レオニード・アンドレーエフ『悪魔の日記』

2020-07-23 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
4連休のはじまりです。。
読書記はまたあらためて書くつもり、、 なので 今日はほんの少しだけ、、


前回の終わりに書きました レオニード・アンドレーエフの 『悪魔の日記』




1972年に白水社から出ている本で、 古書も少なくてなかなか読むことが出来ないのですけれど、、 

読んでいて だんだんに気づいていったんですが、、 この作品は ゲーテの『ファウスト』の 《裏返し》になっているんですね…

『ファウスト』、、 25年前くらいに少しかじっただけで、 しっかり読んだ事がありませんでした。。 それでまた引っ張り出してみています。



悪魔メフィストフェレスと契約を結んで、 この人間世界のあらゆる楽しみを味わってみようとするのが『ファウスト』でしたが、、 『悪魔の日記』は 人間の姿を借りてこの人間世界の中で面白そうな芝居を一緒に繰り広げてみたい、、と 悪魔が人間界の一員となってさまざまな体験をする、、 という 『ファウスト』を裏返しにしたような物語。。

…だと 気づいたのですが、 本の解説にも何も書いてないし、 そういうコメントとか検索してもどこにも『ファウスト』との繋がりの事が書いてないので、、 合っているのかどうか分かりません。。

人間に混じって暮らし始めた《悪魔》、、 自分以上に悪に通じた存在は無いと思っているし、 人間たちの間で自由に立ち回れると思って来てみたものの、 欲にまみれ 神をも畏れない人間たちにうんざりし、 だんだん鬱になっていく なんだか人間以上に人間ぽい《悪魔》…

しかも、 悪魔が一目惚れをしてしまい、、 その恋心のピュアな事…!!  初めて恋という気持ちに目覚め、 そのひとを想っただけで世界に光が、 星が、 歌が、、 溢れ出るのを感じてしまう、、 恋を知った《悪魔》さんが 詩人になってしまう……


絶版なので ほんの少しだけ 引用させてもらいます⤵




この《悪魔》のピュアなつぶやきを読んで、、  人はなぜ「音楽」を愛し、 歌をうたい、 もの思いにひたるのか、、 私も考えさせられました。。 

人間だけが 歌い、 奏で、、 

そして、 音が 楽が 消え去ったあとまでも、  想い出すことが出来る。。  余韻というものを、 聴くことが出来る。。  人間だけが…


でも、 この物語では 悪魔だけが物思いにひたり、 苦しく恋心に揺れているのです。。

人間たちは 世俗の欲にまみれ 金銭や名声や眼前の物事しか見えない…  《裏返しの世界》


そして 可哀想な悪魔は 人間界でさんざんな目に遭うのです。。

 ***


『悪魔の日記』は もう先週以前に読み終えているので いつかちゃんと読書記を書きたいと思います。。 いまはまた 面白いミステリ小説にひたっています。


四連休のはじまり。。


世界は気懸りなことがいっぱい。。 考えると苦しいことがいっぱい。。


何が正しくて、 何がいちばん大事なことなのか、、  わからないことがいっぱいで。。



明るい日々が待っててくれますように…


元気でいてください

芥川の悪魔、漱石の悪魔… ☽

2020-07-17 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
最近、、 悪魔の形状について興味があって…

5月の入院中に、若き日の芥川龍之介(夏目漱石のお弟子だった頃から作家になりたての頃)の初期作品集を読み返していました、、というのは前に書きましたが


『羅生門・鼻・芋粥』 芥川龍之介、角川文庫クラシックス


この中の 「煙草と悪魔」(大正5年 龍之介24歳)という作品に出てくる《悪魔》がなんとも可愛いくて、、 
この悪魔、 聖フランシスコ・ザビエル宣教師が 日本にキリスト教を伝道しに来るその船でいっしょに日本に来たそうなのですが、、 航海途上、 ザビエルの従者の修道士(いるまん)が船に乗り遅れたのをいいことにその男の姿に化けて… (その部分を⤵)

 「正物のその男が、阿媽港(あまかは=マカオらしい)か何処かへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁へ尻尾をまきつけて、倒(さかさま)にぶら下りながら、私(ひそか)に船中の容子を窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた」

、、この 《尻尾を巻きつけてさかさまにぶら下がっている》姿を想像して、 (可愛い!!)と 妙に気に入ってしまい… (芥川は書いてないけれど、その尻尾はやっぱり矢印の形をしてるのかしら…?)とか、、

後半では 悪魔の姿の描写もありました。
 「…もぢやもぢやした髪の毛の中には、山羊のやうな角が二本、はえてゐる」

、、この《悪魔》修道士クン、、 ザビエル師と共に日本に来ても まだキリスト教のなんたるかもまるで知らない土地で布教もままならず、 やることがない。。 暇を持て余して《園芸》でもやろうと、 畑を借りて西洋から持ってきた《煙草》の種を撒いて栽培を始める、、 あげく、、 通りかかった牛商人となぞかけ遊びをして…… という、なんだか呑気な ちょっとまぬけなカワイイ悪魔のお話、、
 (青空文庫でも全文読めます)

 ***

ところで、 《悪魔》と言えば、 芥川の師 夏目漱石作品にも登場します。 『三四郎』のなかで、 美禰子が三四郎に送った絵はがきに、二匹の迷える子羊と悪魔(デビル)の絵が描かれている、、

 「小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある」

漱石先生の言う「西洋の絵にある悪魔」って、、 西洋画の美術展もほとんど無くて アニメも漫画本も無い時代、、『三四郎』が書かれた明治41年当時の日本で、普通のひとは「西洋の絵にある悪魔」をどの程度知っていたのかしら…? とか。。
 ロンドンに行って美術館めぐりをしたり、 美術雑誌ステューディオをとっていた漱石ならまだしも、 龍之介もどんな本や小説や絵画のなかから《悪魔》の形状を知っていったのかしら…? と 興味が湧いて。。

龍之介の《悪魔》は「山羊の角」と「尻尾」があって、 ウィキを見るとどうやら黒魔術に関連する「バフォメット」(wiki>>) の姿に近いようです。

一方、 漱石の《悪魔デビル》は「獰猛」な顔で 「ステッキ」を持っているそうで、 バフォメットはステッキ持って無いようですし、 ギュスターヴ・ドレが挿画を描いたダンテの『神曲』の悪魔なども、 ステッキも持っていませんし、 山羊の角も生えてません。。

で、、いろいろ検索してみたところ、 中世の写本に描かれている《悪魔》には 角が生えていて尻尾があって そして「杖」を持っているのもいる、、 でも「ステッキ」かなぁ……

漱石先生はほかにも《悪魔》について書いていて、 漱石や芥川龍之介らが 東大でドイツ哲学の講義を受けた師、 「ケーベル先生」の思い出にも《悪魔》の話が出てきます。 

 「烏のついでに蝙蝠の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎のような答をした。余は蝙蝠の翼が好だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負っている」 「ケーベル先生」

、、 これには笑ってしまいました… 漱石先生 コウモリの羽の形が好きなのですって。。 意外に 悪魔好きなのかもしれません。。 現代ならデビルマンとか、、 バットマンとか、、 (バットマンは悪魔ではないけど 笑)


 ***

知らなかったのですが、 芥川龍之介は もうひとつ 「悪魔」という小品を書いていて全集に収載されているようですが 青空文庫でも読めます。 この中で 悪魔の姿かたちについて描写しています

 「古写本の伝ふる所によれば、うるがんは織田信長の前で、自分が京都の町で見た悪魔の容子を物語つた。それは人間の顔と蝙蝠の翼と山羊の脚とを備へた、奇怪な小さい動物である」

、、 こちらは角ではなくて 山羊の脚なんだ…… それで 「小さい」とある。。 今までちっちゃな悪魔、というのは余り図像でも見てなかったので 芥川はどこから小さいと想像したのでしょう… このちっちゃな《悪魔》がせつなくて可愛らしいのです、、 短い作品ですからどうぞ読んでみて>> 青空文庫 芥川龍之介 「悪魔」

織田信長の戦国の世にあらわれた悪魔、、 姫君を堕落させようと思ったものの その清らかな魂を前に 堕落させたいという想いと堕落させたくないという想いの二つに引き裂かれて苦悩している 《美しい顔をした悪魔》、、。 どうやら龍之介も このちいさな悪魔をシンパシーをもって書いているようです。 大正七年 龍之介は塚本文と婚約中。 この翌年結婚します。 

 「堕落させたくないもの程、益堕落させたいのです。これ程不思議な悲しさが又と外にありませうか。私はこの悲しさを味ふ度に、昔見た天国の朗な光と、今見てゐる地獄のくら暗とが、私の小さな胸の中で一つになつてゐるやうな気がします」
 芥川龍之介 「悪魔」


ちいさな悪魔の苦悩、、  おそらくは姫君に恋をしてしまった悪魔の胸の痛み、、

文に書き送った手紙のなかで、 龍之介は自分のこれからの仕事のことを 「金にならない仕事」と綴っています。 まだ少女のような文に生活の苦労をさせてしまうかもしれないという怖れや迷いの気持ちも込められているのかもしれませんし、、

『羅生門』などの作品にみるような、 人間の魂の闇と光の双方に同時に共鳴してしまう 龍之介自身の心の裂け目をも 感じているのかもしれません、、 

 ***

人間の世界にあらわれて 人間を破滅の道に誘惑しようとする悪魔が恋に落ちてしまう物語、、

、、芥川が「悪魔」を書いた大正七年とおなじ時期に書かれた 別の悪魔の小説のことを思い出しましたので、 悪魔について考えたこの機会に、 今度はそれを読むことにしました。 (じつはもう読み終えました) 
 夏目漱石も、 芥川龍之介も読み影響を受けたとされるロシアの作家 レオニード・アンドレーエフの 『悪魔の日記』、、 アンドレーエフの遺作となった作品です。(この作品を漱石、龍之介が読んでいたという記録は残念ながらありませんが)

『悪魔の日記』は 以前にも一度、途中まで読んでいましたが、 ようやく全部 読むことができました。 

アンドレーエフの悪魔には 蝙蝠の翼や山羊の角は生えてるのでしょうか… それとも 天使の翼をもつ堕天使ルシファーとして描かれているのでしょうか… 


その話はまたいずれ……



So if you meet me

Have some courtesy

Have some sympathy, and some taste


  The Rolling Stones - Sympathy For The Devil



 「うるがんよ。悪魔と共に我々を憐んでくれ」 芥川龍之介 「悪魔」



宇宙に電話したい人に…:『さようなら、いままで魚をありがとう』 ダグラス・アダムス著

2020-07-08 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
昨日は七夕でした。

夕方 空を眺めたけれど、 お星さまは望めそうになかったので 心の中でそっと宇宙に電話してみました…

この本に依れば、 何百光年も離れた宇宙でも 地球と電話つうじるみたいですし…⤵


『さようなら、いままで魚をありがとう』 ダグラス・アダムス著 安原和見・訳 河出文庫 2006年
(原著は So Long, and Thanks for all the Fish  1984)

 ***

この本のことは前回少し書きましたが、 この『さようなら~~』は、 『銀河ヒッチハイクガイド』という大人気SFコメディ三部作の、続きになっている第4作目だということで、 本当なら第一作の『銀河ヒッチハイク・ガイド』(The HitchHiker's Guide to the Galaxy 1979)から読んだほうがよいのでしょうけれど、 今回はこの『さようなら~』だけを読むことにしてしまって、、 (その理由も前回書きましたね)

この本のタイトル 『さようなら、いままで魚をありがとう』So Long, and Thanks for all the Fish は、 a perfect circle というバンドが2018年に出した曲のタイトルにもなっていて、 イルカがひたすら泳いでいくMVを見て、 そして歌の中に デヴィッド・ボウイが創り出したキャラクターで有名な《トム少佐》Major Tom という言葉が出てくるのを聴いて、(ボウイは2016年に亡くなっているので) ボウイへの追悼の意味も込めてこの曲を創ったとしたら、 この歌のタイトルってどんな意味なのかな…、、と 調べようとしたのがきっかけなのです。。 その頃はこの歌のWikiもまだ書かれていなかったので、 ダグラス・アダムス著の 『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズのことだったんだ、、と分かるまでには 少し時間がかかりました。。

(ゴメンなさい、 これ読書記になってませんね、、 (^^;

 ***

『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズの 第4作目の 『さようなら、いままで魚をありがとう』 、、読んでいる間、 ずっと幸せな気分でたくさん笑いました。 (と言ってもほんの二日半くらいで読んでしまいましたが…)

英語のSFコメディを翻訳するのって きっととても難しいと思うのですが、 訳者さんの言葉づかいがキュートで 愛に溢れてて、 主役の青年 アーサー・デントの気弱そうな、 でも打たれ強いというのか動じないというか、、 読み始めてすぐにキャラクターも大好きになったし、、 (キャラに感情移入できるかどうかというは読むのにとっても重要ですよね) それもこれも著者の愛情や訳者さんの素晴らしさゆえ、だと思います。

銀河をめぐるヒッチハイクの旅から地球へ戻って来たアーサー・デント君の、 この第4作は《愛》の物語。。 ひたすら《愛》の物語・・・笑 
、、だから その前の三部作の『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズで 宇宙をめぐっていた物語とはおもむきはちょっと違うのでしょう、、 でも 今 世界中が新型ウイルスの脅威にさらされていて、 3月以来 すっかり日常が変化させられてしまって、、 会いたい人にも簡単には会えない暮らしになってしまっている、、 そんな時間を過ごして この本を読めて本当に良かったし、 嬉しかったです。。 
『銀河ヒッチハイク・ガイド』にも 地球の危機はおおきく関係しているのですものね、、

なんだか 日頃の感情が抑え込まれ続けていたせいか、 ちょっとした幸せオーラの漂う場面でも涙腺がこわれ気味になってしまって、、 読んでいてきゅんきゅんしっぱなし、でした。

 ***

それで、、 (すみません ここからは音楽ネタに…)

最初ナゾだった 歌の中に出てくる《トム少佐》のことも、 《イルカ》がひたすら泳いでいるのも、 『さようなら、いままで魚をありがとう』というタイトルの意味も、、 読んでいていろいろわかりました。。 (書きませんので詳しくは興味があればウィキなどで)

  「デヴィッド・ボウイをふたり用意して、 いっぽうのデヴィッド・ボウイを……」
            (212ページ)


著者のダグラス・アダムスさんは 音楽がすごくお好きだそうなので、 『さようなら~』の中にもいっぱい音楽ネタが出てきて 60年代以降のUKロックが懐かしい世代には楽しい部分がいっぱいでした。 、、あ これはピンクフロイド…? とか思った部分も、 たぶん著者さんはフロイド大好きだそうですし、、 ケンブリッジ出身ですものね。。

それで、 すご~~っく ロマンティックな場面で登場する ダイアーストレイツの曲、(およびマーク・ノップラーさんのギターに対する著者さんのご意見はまったく同感です、私も…) 、、その曲名が書かれていなくて、 アルバム『Dire Straits』のなかの曲のことかな… 何だろう… 、、って思っていたのも ウィキに書いてありました。

さっき上に引用した 「デヴィッド・ボウイをふたり用意して…」の部分、、
、、 ボウイは言うまでもなく変幻自在の人なので、 どの時代のボウイを想像するのが良いんだろう… と思って、、 書かれたのが84年だから そのちょっと前くらい? 『レッツ・ダンス』期? いえ、 《トム少佐》が再登場する 『スケアリー・モンスターズ(Scary Monsters....and Super Creeps』80年 を想像すれば良いのですね きっと、、 ベルリン期を経て、 再びアメリカへ行ったボウイ、、 

《トム少佐》はただのジャンキー… と歌った 「Ashes to Ashes」の入っている 『スケアリー・モンスターズ』を聴きながら読むのが良いのかもしれません、、 そして 「キングダム・カム」Kingdom Come が流れてくるのを聴いて(この言葉の意味も…)、、 とか、、 (あぁ そうか、、 それでここでボウイが登場するのかな)とか、、 気づきました。

昨日は七夕。。 お空を想いながら、 そして 大好きな人のことを想いながら、 この本を読めたこと、、 とても良かったです。 (前々回の日記の 夕陽の街にもちょっと繋がっていて、 ほんと今この本に呼ばれていたんだなぁ、、って思いました)

 ***

すごくすごく楽しくて 愛に溢れた物語なんだけれど、、 いまのこの世界の大変さ、、 この惑星《地球》の状況、、 いつも頭のなかにはそのことが離れないから、、 楽しくて笑いながら 泣きそうになってしまって、、


この第4作目の終わりに出てくる 《世界の創造主》についての部分、、 


そこを読んだ時も、  笑っちゃうんだけど、、 やっぱり泣きそうになってしまった。。


、、 そして 終わりはあまりにあっけなくて、、


このあとの 第5作目も (そしてこれまでの『銀河ヒッチハイク・ガイド』3部作も)、、 いつかまたいっぱい笑いたくなったら 読むことにします。 (すぐに読んでもいいのだけど、また泣きそうになっちゃうからね、、甘えちゃうから… 別のいろいろ控えてる本に挑むことにします)


ダグラス・アダムスさん、、 素敵な物語を ありがとう。。


それから 大好きなAPCのビリー・ハワーデルさん、、 素敵な曲と素敵な物語との出会いを ありがとう。。



この惑星の...

2020-07-04 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)

7月になりました

外出自粛も解除になっていろんなお店やイベントも動き始めて、ひとびとが街をそぞろ歩く笑顔が戻ってきたのもつかの間、、

わたしたちの次の行動を まるで試すかのようにウイルスがまた触手を拡げはじめて、、

つらいですね。。


お天気も心配な地方がいっぱいです💧


***


そのせいか 少し体調も不安定なので フォトだけを、、。



イタリアはヴェネチアを舞台にしたミステリー三部作『カルニヴィア』 は読み終えて、


今は SFコメディ 『さようなら、いままで魚をありがとう』 ダグラス・アダムス著 を読み始めています。
ずっと読みたかったの、これ。




この本は、ほんとは『銀河ヒッチハイクガイド』という大人気SFコメディ三部作の、続きになっている第4作目なのだそうですが、 私は三部作読まずにこの『さようなら~~』だけを読んでいるのです。
、、 この作品だけでもストーリーは楽しめるらしいので。。 (ヒッチハイクガイドファンの方には叱られそう、、ゴメンなさい)


あのね、この『さようなら、いままで魚をありがとう』というタイトルは、 a perfect circle の曲のタイトルにもなっていて、 イルカがひたすら泳いでいくMVを最初見たとき、 このタイトルってどういう意味だろう、って思って

SO LONG, AND THANKS FOR ALL THE FISH って。。


それで今やっと 読んでいます。 『カルニヴィア』三部作の、世界を巻き込む陰謀やサイバーテロの物語でとっても疲れた頭を やさしく和ませてくれるキュートな文章です。 訳者さんがすばらしいのね。

この『さようなら、いままで魚をありがとう』はラブストーリーだそうですし、、。


今わたしたちの暮らす、 傷つき 苦しんでるこの惑星の上で、 それでも今日を笑顔でいられるかな...?

って思えるような


まだ読みはじめだけれど、 そんな気がする物語。