星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

月に眩暈 (+o+)~~*

2018-09-26 | …まつわる日もいろいろ
中秋の名月 見られましたか?


携帯で撮影すると こんな程度になってしまうので…

中秋ではありませんけど、 先日の山とススキを添えて…

、、満月のせいか、、 昨日 眩暈してふらつき 頭を打ちました(泣) 
気をつけないと…

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お休みに 銀座の画廊で 藤田嗣治の個展を見ました。
ギャルリーためながhttp://tamenaga.com/top.php?lang=jp

今、東京都美術館で「藤田嗣治展」も開催されていますが、 ギャルリーのほうでは大規模展とはまた違った、 初期の小ぶりな作品や、 デッサンや、 フジタが奥さまを楽しませるために創ったという可愛らしいガラス絵(アスパラガスの空き瓶にアクリル絵の具で描いたもの)などもあって、 40点ほどを静かにゆったりと楽しむことができました。

フジタのデッサンの素晴らしさは、 昨年見た『ランス美術館展』(>>)での宗教画の大作の下絵で、 そのデッサン力の見事なことに圧倒されましたが、

今回 ギャルリーで小さな素描を見ても、 やはりその確かなデッサン力に惹かれました。 有名な子供や女性の油彩や、 猫の油彩などよりも、 私はフジタの素描のほうが好き。
大人の女性がふたりならんで描かれている小さな素描があって、 たった一本の線がなにも迷いなく女性の輪郭を描き出していて、 その細い線によって存在している女性の眼、、 素敵だったなぁ、、。 あんな眼の女性になれたらいいな、、と思わせる 意志とか艶とか情熱をそっと見せている眼だったなぁ。。

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日曜の晩は 今年の4月にサントリーホールで見た ジョナサン・ノットさんの演奏会をTV放映で… (演奏会の時の日記>>

演奏会のときも、 ノットさんの気迫、 東響さんのエネルギッシュな演奏に感激して見ていましたが、 TVで見てもこちらが再び緊張するような気迫ある演奏でした。 東響さんの演奏力、、 ますます高まっているように思いますので、 また観に行こうと思っています。

2019シーズンのラインアップがそろそろ上がって来ているので楽しみ。。 来年はノットさんの第九というのも、、経験してみたいかも…

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話はちょっと変わりますが…
、、私はどちらかというと 80年代、90年代、とか 西暦で時代の雰囲気を思い返すことが多いので、 「平成」という元号に特別な想いは持っていなくて… (昭和、という言葉はまた別ですけど)

そしたら、ビジネスの世界で「平成最後の」というキーワードで今年の商品開発だの、 広告だの、という話を友人から聞いて、、(平成最後、なんて そんな風に思っている若い子がいるのぉ??)と不思議だったんだけど…

平成生まれの人(つまり若者の殆んど)にとっては この平成の30年間に人生のすべてが詰まっているというわけで… あぁ、そういうことなのか… と。。

、、それで 「平成最後婚」とか「平成最後バレンタインデー」とか、、 はぁ… そういう区切りもあるわけなのね… と納得したわけですが、、

ここへ来て、、 あぁ、平成が終わっていくんだな… と思わざるを得ない淋しい出来事を感じることが多くなって、、 安室ちゃんとか、 ジャニーズの今年とか、、 名優さんたちとか、、 それから角界とか、、 野球界とか、、ね。。 平成の30年間というのは、 経済的には決して潤い続けた時代では無かったのだけど、、 その中で輝いていた人達がいなくなってしまうのは、、 やっぱりなんだか淋しいな。。 何かが終わっていく、、という感覚が 今、しています…

、、前に書いた ミステリー小説のヴァランダー警部の台詞ではないけれど、、 次の時代に自分はもはや居場所は無いような… いえ、 居場所は自分で創れば良いのだけれど、、 それはもはや時代の流れとは同調しないような、、
それでも良いんだけど、、ね。 自分は…  でも同調傾向とか同調圧力というのが ますます息苦しい狭いニッポン。。。


でもね、、 秋だから お洒落してどこかへ行こう…


秋だから、、 自分だけの「愛・Eye・逢い」 大切に…


生き還る…

2018-09-19 | …まつわる日もいろいろ
旅のフォトを…


マチュピチュへ行くんだよ…… 嘘



小雨…  緑、、 黄色、、 空気、、



朝靄…



ホテルの朝ごはん、、ごろごろ野菜の豚汁がとにかく美味しい、、



森へ



山へ



菱田春草の絵みたい…



オフィーリアの水辺と名付けました…



いつも此処へ帰りたい…



アルプスを越える飛行機雲はどこへ行くのかな…





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今年は夏の消耗が激しくて、、 体重も限界まで落ちていて、、 歩くのはもうムリかな… と、、 ならば ホテルで身体を癒すだけでも良いと思って出かけました、、

、、なのに、 なんだろう…

車の無い本来の地球上の空気は こんなにも身体に優しいのかしら、、と思えるような…
酸素も高地のほうが薄いはずなのに、 まるで酸素吸入してもらっているみたいに身体じゅうで空気を吸って、、

一日平均1万3千歩ずつ、歩いて来ました。。 ほんとうに、、真夏の間 死にかかっていた身体の細胞が活きて生まれ変わって来たみたい。。 


、、毎年、、 これが最後かと思う…


でも、、 命が尽きる時が来るなら、、 此処で行き倒れても良いと思う…

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都内に戻ったら、、 何事?! と思うような豪雨で、 山で濡れなかった荷物がたった2分程度歩いただけでずぶ濡れになりました… 悲

、、 でも、 ようやく秋の風に入れ替わりましたね。。 目覚めた細胞を眠らせないように、、 これからが私の季節、、 と思って 秋を楽しみたい。。 、、やっとそう思えるだけの元気が出てきました…


栗色のワンピース、、 今年は着よう…

深まる秋に…:『深い森の灯台』『夜を希う』マイクル・コリータ

2018-09-14 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
長かった夏も終わったようです…

この夏はミステリーだけを読んでいました。。 現実から逃避するためと、 世界中を旅するためと、、。。 
前に、 ある土地で起こる犯罪についても、 その土地の歴史や文化や人が生きて来た土地の記憶と無縁ではない、、ということを書いた気がしますが、、 エンターテイメントの犯罪小説の奥に見える その国その土地ならではの自然の営みや暮らしぶりや 人々のものの考え方を味わうのが好き。。 たとえ 拳銃の弾がとびかっていても、、 それはお話の中だけだとわかっているから。。。 その悲劇が現実化している場所が確かにあることを 読み終えて我に返って思い出し、、 やりきれない思いに沈むこともしばしばだけれど、、

でも、、 ミステリー好きの友と、 (ヴァランダーの女への迫り方ってほんとダメよね…)とか、 (ウールのセーターにフラノ地のスラックスで海岸散歩するダルグリッシュには 草の種=バカ とかいっぱいくっついちゃってるのよ、きっと) なんて妙なところで話が盛り上がったりして、、 (意地のわるい楽しみ方デスね…)

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今回は 北米の 深い森と湖のミステリーをふたつ。



『深い森の灯台』マイクル・コリータ 原題 The Ridge
『夜を希う』    同上      原題 Envy The Night
 (青木悦子訳・創元推理文庫)

二冊載せましたが べつにシリーズものではありません。全く別のお話。

先に読んだ方が 『深い森の灯台』で、書かれたのはこちらのほうが新しく、 2011年 コリータ29歳での作品。 
『夜を希う』は2008年 26歳での作品。。 早熟のミステリー作家なんです。

『深い森の灯台』はケンタッキー州ソーヤー郡の 山深い森に独り住み、 森の中に灯台を築いて周囲に煌々と夜の光を投げかけ続ける奇妙な男、、 その死から始まるサスペンス。

この地でかつて起こった事件に関わった保安官代理、 このソーヤー郡の百年余りにわたる歴史を伝え続けてきた地元新聞の記者、 この地に自然動物保護施設をつくった女性、、 などなど次々に登場し、 森の灯台の周囲に謎と恐怖が満ちていく…

森の灯台、、という設定も興味深いように、 この作家さん 冒頭の話のつかみがとっても巧い。 状況の描写、 自然描写もうまいし、 登場人物の会話も おもわせぶりな台詞を小出しにしながら 何が起こっているのか明かさず引っ張る、、 

8歳くらいからミステリー作家にお手紙を出し、 スティーヴン・キングを大変尊敬していたという早熟の少年だったらしく、 どんどん読ませる文章力も。。 それで巧いなぁ… と思って、 ただ『深い森の灯台』は スーパーナチュラルな要素が強い、 ホラーに近いミステリーなので、、 私としては超自然的要素の無い事件のほうを読みたく、、 『夜を希う』を手に取りました。

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『夜を希う』は、 ウィスコンシン州のウィローフローウィッジ(Willow Flowage)という湖をめぐるたいへん美しい場所が舞台の、 ハードボイルドサスペンス。

主人公が作家さんの当時の年齢とほぼ同じ、 25歳くらいで若々しくてかっこいい。。 でもその出生と育ちには重い重い血の継承が…。 あとFBIやら、 プロの殺し屋たちやら、、 最初はいったい何が起こっているのか、 この青年にまつわる過去に何があったのか、、 ぜんぜんわからないまま次々に人物が絡んでいくのは 『深い森の灯台』同様、、 話のつかみは最高なんだけど… 
ただ、 こちらの方が若書きというか こなれていないせいか、、 話の順序が混乱しやすく、本当はずっしりと重いものを抱えた人物たちなのだが、 その理由が明かされない
がゆえに苦悩の深さが今一つ読み手に伝わりにくい。。

読み終えて、、 もう一度振り返って やっと積年の苦悩の謎が解けるのですが…

でも、 美しい自然描写も良かったし、 心になにか抱えて生きてきたこの青年の、 この年代らしいほのかなラブストーリーもあって、、 血なまぐさいわりには瑞々しい読後感でした。

 ***

『深い森の灯台』の舞台でもある ケンタッキー州の自然動物保護区のサイト。
小説にも出てくる、 Mountain Lions 、、ほんとうにいるのですね⤵
https://fw.ky.gov/Wildlife/Pages/Mountain-Lions.aspx

この小説 The Ridge を検索していたら、 作者さんのインタビューが npr で見つかりました。 いつも音楽紹介で聴いているインディペンデントラジオ局でこういう若手作家さんの紹介もしていたのですね
Sanctuary Of Suspense: A Lighthouse On 'The Ridge' 

『夜を希う』のほうは、 ウィスコンシン州の The Willow という湖と森の美しい場所
https://dnr.wi.gov/topic/lands/willowflow/
↑こちらの picture gallery で美しい湖やフィッシングの写真が見られます。 小説の舞台はまさにこういう場所でした。


、、 自分も 生まれ育ちがわりと自然児なので、 全面結氷した湖まで徒歩で山を登ってスケートをしたり、 キャンプをしたり、、 針葉樹の森や湖の朝靄や 夜の嵐や、、 いろいろ体感としての記憶があります。 そのことが 何十年も経って大人からもう老境に近く(?)なりつつある今、 その記憶があることがすごく嬉しい。。


山はもう すっかり秋、だろうな…


自分は…此処にいて…

2018-09-06 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)



、、 今朝は こんなに青空が澄んでいて、

お洗濯物が風に揺れていて…

、、 だけど、 台風、 大雨、 そして地震… 、、満身創痍の日本列島。。



悲しいな…


 ***

、、 もっと楽しいことも書きたいのだけれど、、 今はこころを落ち着かせてくれる音楽を。。

Steve Jansenさんと Thomas Feinerさんらの新しいプロジェクト EXIT NORTH が10月にアルバム「Book of Romance and Dust」を出すそうです。

元JAPANのスティーヴ・ジャンセンさんについては ソロアルバム「SLOPE」などとても気に入っていたので このブログにも書いた気がしていたのだけれど、 過去検索をしても出てこないようなので 書いてなかったのかも…

Steve Jansenさんのbandcamp でいくつもの作品を聴くことができます
https://stevejansen.bandcamp.com/

スティーヴ・ジャンセンさんとトーマス・フェイナーさんは 過去の作品でもたびたび一緒に組んでいて、Thomas Feinerさんについては以前に書きましたね、、 映画『青い棘』のサウンドトラックのことや、 Anywhenというバンド時代のこと… 


今度のプロジェクト EXIT NORTH のbandcamp で聴いてみました。 トーマス・フェイナーさんの変わらない深い声… 今の私のこころもとない気持ちを少し落ち着かせてくれます。。
https://exitnorth.bandcamp.com/releases

、、Anywhen のアルバムタイトルが「The Opiates」、、でしたからね、、 少しラクにしてくれる音楽… かつて何度も聴きました、、 いろんなときに。。

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小説のことはまた別の機会にもしますが、、 ヘニング・マンケルさんのヴァランダー警部シリーズ三作目、、 すばらしかったです。 スウェーデンの地方警察の話でありながら、 一作目は移民流入の問題、、 二作目は92年出版の、東欧の自由化の問題、、 三作目のこれは 南アフリカのアパルトヘイトの問題~ネルソン・マンデラ氏が釈放された93年の出版、、。 移民問題は30年近く前の日本では誰の頭にもほとんど無いことだったし、、 東欧の自由化やソ連の崩壊や 南アのマンデラ氏の釈放と自由選挙への流れは (少なくとも当時の私には)希望が先に見えるような世界として感じていた。。 でも、 マンケルさんの作品を読むと、 まったく知らなかったことがたくさん見えてくる。。

東欧がすぐ近くにあるスウェーデンだと この時代の変化が自分たちの社会を直接揺るがす 地殻変動みたいにマンケルさんには受け止められていたのだろうと ちょっと愕然としました。。(それにしても、まさにデクラーク大統領の時代にこの小説を発表してしまう力量と勇気は凄いなぁ、と) 私たちが国際的な問題にやっと目が向くのは、 その後、 9・11があって・・・ 、、 日本の隣国との問題なども現われてきて、、 やっと(30年くらい遅れて)移民や人種や、 世界規模の犯罪や、 そういったものがやっと自分たちの時代のこととして見えてきたような気がするのに…

ヴァランダー警部が、、 「この国はいったいどうなってしまうのか」 「自分はもはやこの時代についていけない過去の人間なのではないか」 、、 といつもいつも どの作品の中でも悩む…

その問いが黙示録のように 今年のいろいろな出来事と自分の気持ちのうえに重なっていきました…


、、 もはや この地上の変化に わたしはついていけないのではないか… と。

 ***


、、自然はたくさんの傷を負ってしまったけれど、、 いつか旅へ行きたい…。 、、チェックのネルシャツを着て…


いまは

河のせせらぎが聴きたい…


葉擦れの波に 黙って身をゆだねていたい…



ノワールなモノローグが流れる…:『ピアニストを撃て』デイヴィッド・グーディス

2018-09-01 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
 「どうかピアニストを撃たないでください」

・・・この本の解説(ミステリ評論家 吉野仁)の冒頭に、 上の言葉が書かれている。。 アメリカ西部開拓時代の酒場には、 こう書かれた紙が貼ってあった、と。

吉野氏の解説のつづきにも、 オスカー・ワイルドがアメリカを旅した時、 この言葉の張り紙を目にした事が書かれている。 、、ここを読んでいて、 私もこの文言を前に読んでいた事を思い出しました。


『ピアニストを撃て』 デイヴィッド・グーディス著 真崎義博訳
ハヤカワポケットミステリ 2004年

原題 'Down There' (Shoot the Piano Player)

 ***

先の解説では 西部開拓時代、「当時はピアニストを東部からわざわざ招いており、彼らは貴重な存在だったからだ」 と説明している。

…あ、 そういうことだったんだ、、 と私はやっと納得しました。 どうしてかと言うと… オスカー・ワイルドの講演記 「アメリカの印象」(『ユリイカ』所収)で読むと、


「ピアニストを撃たないで。 最善をつくしているのですから」

という張り紙をワイルドは見た、、と書かれていたので、 だから、私は 酒場の酔っぱらった荒くれ男が ピアニストが下手だとかいちゃもんをつけて それで撃ち殺してしまうのかなと思っていたのです。
、、でも、 上記の吉野氏の解説を読んで、 どうやらピアニストに腹を立てて撃ち殺す(のもあったかもしれないけれど)ほかに、 荒くれガンマン同士の喧嘩のとばっちりで、 流れ弾に当たってピアニストが犠牲になるのを避けようと、 そういう意味らしい、と。。 

だいたい酒場のピアノは壁際に置かれて ピアニストはその前に坐るので、 お客たちに背中を向けているのです。 だから、 客同士の騒ぎに咄嗟に気づかないかもしれない、、 それに東部から来ているピアニストは拳銃だって持ってないかもしれない、、 だから 
 「どうかピアニストを撃たないでください」 、、って事だったんだ。。 成程。



 ***

本書『ピアニストを撃て』は、 西部開拓時代の物語でも 西部ガンマンの話でも無くて、 時代は1950年代のフィラデルフィア、 ポート・リッチモンドの労働者たちが集まる酒場の物語。。 でも、 先の開拓時代の「ピアニストを撃たないで下さい」という文言はきっと有名な文言なのでしょうね、、 それを知っていると踏まえての上で このタイトル、、 『ピアニストを撃て』

、、この小説は フランソワ・トリュフォー監督の映画で有名なのだそうです。
「ピアニストを撃て」(1960年)Wiki>>
… でも映画のほうは見ていないし、 舞台がフランスに変わっていたりするので、 あくまで小説の感想だけ書きます。 ただ いかにもヌーヴェルヴァーグの仏映画に似合いそうな、 そんな小説だというのは間違いないです。

、、 物語は、 二人組に追われた男が逃げ惑いながら酒場に飛び込んでくる場面から始まります。 金曜の夜、 労働者たちでテーブルは満員の酒場、、 追われてきた男はへとへとになりながら音楽のするほうへ… ピアノの音色のほうへ…


 「おれだ」男はミュージシャシンの肩を揺すった。「ターリーだ。お前の兄貴、ターリーだ」
 ミュージシャンは音楽を奏でつづけていた。ターリーはため息をつき、ゆっくりと首を振った。彼は思った、こいつには聞こえない。 まるで雲のなかにいるようだ、こいつを動かせるものは何もない。


、、 この追われている兄貴と、「雲のなかにいるよう」な 無関心な弟=ピアノ弾き、 そして酒場の喧騒、、 そういった描写がとてもいいんです。 モノクロームな画面、 切羽詰まっている兄貴がまくしたてる言葉、、 無関心に、 穏やかに笑って、、 あるいは肩をすくめて、、 ピアノに向かいながら兄貴の言葉を遣り過ごしている弟…

 「だめだ」エディは静かに言った。それが何にしろ、おれを巻き込まないでくれ」

 ***

この小説の要は 文体なのだと思います。 事件=サスペンスの筋書きを追っているだけだと何てことは無いストーリーに思えるかもしれないけれど、、 大事なのは台詞と、 心の中の言葉=モノローグ。 それが全て。

、、 とにかく、 このピアノ弾きの空虚感がとても際立っていて… それはきっと、 厄介ごとの種ばかり重ねてきた兄貴達と縁を断って、 酒場の隅っこに居場所を見つけ、 闇に紛れるようにしてピアノを黙って弾く、、 そうしていれば何にも巻き込まれずに済む、、 兄貴だけでなく、 酒飲み達の喧嘩やもめ事にも。。 とばっちりを受けずに生きていくこと… 「ピアニストを撃たないでください」 、、そういう風に危険から逃れて生きていく術を、 エディは身につけたんだ、、たぶん、、 きっとそれが唯一の方法、だったんだと思う。。。

ピアノ弾きエディは言葉に出さず、 心の中で思いを反芻する。 兄貴のこと、 それから女のことも、、 同じ酒場で働いているウェイトレス、、

 「…なのに、どうしたんだ? 何で、こんなふうに考えているんだ? 関わらないほうがいい。 カーヴの多すぎる道路みたいなものだし、第一、おまえは自分のいる場所もわかっていないじゃないか。 それにしても、彼女があまり話したがらないのはなぜだ? それに、滅多に笑顔を見せないのはなぜだ? …」

 ***

、、 そんな空虚な 「雲のなかにいるよう」な ピアノ弾きエディが 否応なく事件に巻き込まれてしまう物語なんだと思って読んでいったら、、 じつは そればかりではなかったのですよね。。。 エディ自身の過去… つづきは書けないけれど…

ピアノ弾きの名はエディ、、 エディ=本名はエドワード。 そう! エドワードなんです。 (ここからは小説と離れた話になってゴメンなさい)

上の西部劇風の酒場の写真。 クイックシルバー・メッセンジャー・サービス(Quicksilver Messenger Service)の1969年のアルバム 「Shady Grove」のライナーにあった写真を借りました。 そこにいるピアニストは ニッキー・ホプキンスさん。 ニッキーの代名詞は《エドワード》 

どうしてニッキーのニックネームが《エドワード》なのか、というのは この「Shady Grove」のウィキに載っていますが、 ストーンズとのセッションの中でブライアン・ジョーンズがニッキーに発した言葉 「Eの音をくれ!」が聞こえなかったことから来てるみたいですね⤵
https://en.wikipedia.org/wiki/Shady_Grove_(Quicksilver_Messenger_Service_album)

「Shady Grove」にも収録されている ピアノインスト曲「Edward, The Mad Shirt Grinder」 この副題の The Mad Shirt Grinder がどういう意味なのか、 私知らないんですけど、、 いつも大人しく隅っこでピアノを弾いていたエドワード(ニッキー)のイメージと 《The Mad Shirt Grinder》、、 なんだかこの二面性が…

、、こじつけですけど 『ピアニストを撃て』のエディ=エドワードにも繋がっていくイメージなのです、、 これ以上は書けませんけれど…

、、 カートゥーン雑誌が大好きだったというニッキー・ホプキンスさん、、 スタジオで出番を待っている間ずっと隅っこで大人しく漫画を読んでいたというニッキー。。 もしかして、パルプフィクション出身のこの作家のペイパーバック「Down There」(1956)を読んでいた… なんて想像したら、、 ちょっと面白いな。。

 ***

思いきり話は脱線してしまいましたが、、 『ピアニストを撃て』、、 ピアノの黒鍵と白鍵のごとく白黒のフィルムノワールな世界観。 
エドワードのモノローグと 女との会話(ダイアローグ)の対比や、、 夜の闇に包まれた街と そこに降ってくる雪の白…

そして、、 この物語に出てくる女がまた良いんです。。 場末の労働者ばかりが集まる酒場に普通こんないい女(ウェイトレス)はいないよ… そればかりか、 エディが住む同じアパートにいる女(娼婦)だって こんな理想的な女は普通いないよ… って思うんだけど、、 (理想的、というのは 見た目だけではなくて、 自分の境遇に対して強くて信念があって、 だけど優しい)
、、パルプフィクションだから、、ね。。 有り得ないくらいいい女でも良いよね、、


ところで、 この作家 デイヴィッド・グーディスさん、 いろんな作品が映画化されているらしいです、、 Wiki>>
↑上記の日本語のウィキには載っていないけれど(翻訳本が出ていない)、、 ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画 『溝の中の月』(ウィキ>>) の原作 「The Moon in the Gutter」もこの人の本らしい。 ナスターシャ・キンスキーとジェラール・ドパルデューのこの映画、、 たしかビデオで見てるはずなんだけれど全く内容が思い出せなくて… ナタキンの美しさだけが朧に残っているだけ…

『溝の中の月』も 小説の言葉で読んでみたいなぁ…

だって、、 ナスターシャ・キンスキーみたいな美しい(しかも強さのある)人はもうなかなかいないもの、、 『ピアニストを撃て』に出てくるウェイトレスも、 娼婦も、、 ナタキンだったら どちらを演じても …たぶん 理想的だと思う。。

 ***

9月になりました。 夜が次第に長くなっていきます。。


夜のモノローグに 

耳を澄ませましょう…