星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

おのおの 違った時間に… 或は違った時空で…:堀辰雄『菜穂子』から、片山廣子『燈火節』へ

2023-04-28 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
さて、、 ふたたび読書の生活に戻ります。。

先々週に 芥川龍之介と堀辰雄のこと、 堀辰雄が芥川との思い出を題材にした小説「聖家族」のこと などを書いた後、 自分が今まで名前だけは記憶に留めていながら何も知らずにきてしまった女性 片山廣子/松村みね子について考えるようになりました。

、、正直 わたし、このお名前の人のこと 同一人物とは思っていませんでした。。 殆んど知識は無かったですが アイルランド文学の翻訳者である松村みね子の本はうちにもあります、、 イェイツの『鷹の井戸』など。。 J.M.シングの戯曲や 『アラン島』なども大好きでしたし。。 でもそれらアイルランド文学の紹介者が芥川と同時代の女性で 芥川が心を寄せた未亡人の女性片山廣子であることなど考えたことも無かったのでした。

それでやっと、 先々週の『聖家族』の後、 堀辰雄の小説『菜穂子・楡の家』を読んでいました。 菜穂子の母親の三村夫人のモデルが片山廣子、 三村夫人と交流のあった作家 森於菟彦のモデルが芥川と言われています。。 半ばそんな現実の人間関係を思い描きつつ、 半ば芥川亡きあとの新時代の小説を味わうという読み方で、 この本を読み終えました。





読後感として、、 芥川や彼が心を寄せたという片山廣子を思い描いてこの本を読もうとすることは意味を為さないと感じました。。 さきほども書いたように私は片山廣子という人のことを何も知らないけれども、 堀さんの小説のなかの三村夫人はべつにアイルランド文学や短歌など文学者の側面はぜんぜん書かれていないし、 それに森於菟彦という大作家についても(小説を読むかぎり)どんな作家か余り書かれておらず、 北京で急死したとあり、 自殺したことにはなっていません。 モデル小説として考えるにはこの点は決定的な違いだと思うのです。 自死に至る苦悩なくして芥川を表現することは出来ないだろうし、 (想像ですが)片山廣子に惹かれたのも彼女が文学に携わっていた事が重要だと思うからです。

だから、 『菜穂子・楡の家』をモデル小説として読むことは私には出来ないと思ったけれども、 でも此処に登場する若い青年 明は 堀辰雄そのものじゃないかと…。 小説家の作品はおしなべて作者そのものであるのは当然なので それは当たり前のこととして、、 もう なんと言ったらよいか つい苦笑してしまうほどこの明青年のロマンチシズム、 悪く言えばロマン的懊悩がそのままに描かれた小説でした。。(ごめんなさいこんな言い方で)

でも、 心理状態と行動の微妙なズレや、 自分で自分のほんとうの心の裡というものがわからず苦悩するという内面の描写はとても(時代的に)新しいものだと思えて、 そういう点では20世紀のヨーロッパ文学を吸収した世代の、 しかも日本的な自然主義文学や私小説とは異なる、 理知的な堀辰雄さんらしい小説でした。

菜穂子は 明とは軽井沢の夏を隣人同士として過ごし、 年少のころには二人でサイクリングなど楽しむ活発で勝気な少女だったのが、 母から逃れるように結婚して離れていった後は 夫と姑との平凡な暮らしのなかで次第に本来の自分を見失っていく。。 その様子が描かれていくのだけど、 どうもそれさえも明から見た(想像・創造した)菜穂子像、 という感じがしてならない。。 明にとってはまず喪失することありき、 恋が叶わない事ありき、 傷つくこと、傷をかかえながら生きることありき、 のロマン派の青年そのものの明のために設定した菜穂子、 のように思えてしまうのでした。

物語は菜穂子が自分自身のために一歩を踏み出そうとする場面で終わっているのだけど、、 作者にはそこから先の人生を創出することが出来ない。。(物語のなかの三村夫人も心筋梗塞で急死してしまうし…) 堀さん自身が病を抱え、その先を生きていくということを想像しにくかったのだろうけれど… 
現実には、、 芥川亡きあとも片山廣子さんもその娘さんも70代後半まで長生きされた…

 ***

先も書いたように、 文学というものを間に置かずには芥川と片山廣子との心の交流を考えることは出来ないと私は感じるので、 結局 堀さんの小説はそのことの参考にはならないのでした。 それで片山廣子さんが晩年になって書かれたという随筆を読んでみたいと思ったのです。。

でも 随筆集『燈火節』は今では入手はほとんど不可能なのでした、、 残念に思っていたところ 青空文庫で読めると知り、、 つい昨日くらいから数編を読んでいるのです。

どこから読んだら良いのか、と思い… 筆を折っていた片山さんが晩年にどんな想いで随筆を書こうとしたのか、、 そう思って先ず「あとがき」から読むことにしました。 この随筆集の出版は1953年。 片山さんが75歳のこと。 、、芥川の死は1927年、 片山さんは49歳。。

 「燈火節」あとがき (青空文庫)>>

、、 ほんと、、 このようにして読めることを感謝します。 できたら再出版して本として読みたい。。 アイルランド文学の翻訳者、 貴重なイェイツやシング、 フィオナ・マクラウド(ウィリアム・シャープ)の紹介者としての、文学と人生に対する回顧録もこのエッセイに書かれているようですから。。

その「あとがき」の末尾に こんなくだりが…。 思わず胸をつかれました…

  ・・・この世界に生きてゐない彼が・・・

と。。 《彼》とは誰を示すのか、、 終戦の年 終戦を待たず急死された息子さんのことをそれまで念頭におきながら ここでは 《せがれ》と書かずにいる… あるいは 片山さんの《夢》とは… 。
なんだかこんな風に短く切り取ってくるのが著者に対して失礼で気がひけますので、ぜひぜひ「あとがき」を冒頭からお読みになって下さい、、 


他には ここで片山さんが最初に書いたエッセイだという「過去となつたアイルランド文学」や 「アラン島」なども読みました。 それから、、 「菊池さんのおもひで」や「花屋の窓」も、、

これらのどの文章のなかにも 強く胸を射す箇所がありました、、 「文学夫人でなくなつて普通の家の主婦になつた」と書く片山さんの心の一端が わたしには堀さんの書かれた『菜穂子』の文章よりも強く、深く、、 伝わってくるように思えました。

「花屋の窓」というエッセイでは芥川龍之介の作品にも触れ、、 

  ・・・静かなおちつきの世界を芥川さんも私もおのおの違つた時間に覗いて見たのであつたらう・・

と。。 これも短いこの部分だけを切り取ってくるのは良くないことだと思うので、 ぜひこれも全文を読んでみて欲しいです。。 


人生の晩年になって、、 このように書くということ… 、、どれほどの深い想いをかかえつつ 生きて来られたのだろうと、 心が抉られるように感じました。 日々、 普通の家の 普通の生活を繰り返しながら…

でも、 人生の終わりに近づいてなお、 このように書くことが出来るという事。。 その確信…。 そこには 文学という言語、、 いえ 言語というもの以上の 通じ合う者のあいだだけに理解可能な共通の世界観、、 それを共に感じとっていたという確信が片山さんにはあるからなのでしょう…

あ、 長くなってしまいました… このくらいに。。



わたしも… 片山さんのように静かに暮らしつつ、、 ひとすじの確信を持ったまま生き抜いていくことが そんなことができるかしら…



片山廣子さんの随筆、 知る事ができてよかったです。



 ***

明日からGWです。 カレンダー通りの普通の生活です(笑

ほんのすこしだけ… 朝の珈琲がゆっくり淹れられるかな…



どうぞ愉しい日々を。


お健やかにお過ごしくださいね…



 

無音の美と躍動の美:クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 名曲全集第186回

2023-04-24 | LIVEにまつわるあれこれ
先週につづいてのウルバンスキ指揮の東響さんの公演に行ってまいりました。 幸せ。
(いつものようにクラシック素人の感想ですのでむずかしいことは書けませんが…)

今回の曲目は…

東京交響楽団 名曲全集第186回  ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
ピアノ:ヤン・リシエツキ

メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」 序曲
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21
 アンコール ショパン:夜想曲第21番 ハ短調 (遺作)

ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」



先週は 黒Tシャツにジャケットを羽織っての指揮だったウルバンスキさん。。 「今日はネクタイかしら…」 「ショパン振るんだからネクタイでしょう」 という予想はあっさり覆され、今日も黒Tシャツでした。

最初は「真夏の夜の夢」 序曲。 先週の「ロメオとジュリエット」につづいてシェイクスピアです♪

冒頭、、 (あれ? 管さん緊張してる…?) なんだか先週と違う、、 伸びやかさがちょっとありません。。 でも弦さんの美しい響きが奏でられだすと良くなりました。 今日のコンマスはニキティンさん。 今日の3曲の感じでは(勝手に)ちょっと意外な感じがしてたのですが、 (前に拝見したコンマスさん 椅子から立ち上がらんばかりに動きのある、あのイメージを「真夏の夜の夢」に持っていたので…)
でも、ニキティンさん率いるヴァイオリンさんの軽やかな響き! 美しい~~。。

次の ヤン・リシエツキさんのショパンピアノ協奏曲2番。 クラシック素人の私にはただもう好きかそうでないか、という好みの基準しか持ち合わせていないのですが、 (ショパンで気持ちよく寝てしまわないようにしないとね…) なんてお友だちに言っていたそのイメージが全く覆される演奏でした。

お写真で見ただけだと繊細な感じのしたリシエツキさん、 すらりと背の高いかたでした。 膝はピアノに着きそう、 手も大きい。。 そして弾き始めたらその音色の力強さにまず驚き。。 強く弾いているのではないのにクリアで力強い微音。。 なめらかな部分とダイナミックな部分のドラマ性と確実さ。。 
オケとの第一楽章 やはりなんだか緊張してるように思えた管さんも、 リシエツキさんのピアノが入ってからは俄然、 オーケストラ全体が変わりました。

ゆっくりと溜めて弾く部分と躍動する部分と 緩急のあるリシエツキさんのピアノに、 指揮のウルバンスキさんはぐっと身体を傾けて様子をうかがい、 絶妙にオケを導く。。 このピアノとオーケストラの呼吸をぴったり合わせるのはさぞ集中力を要すだろうなぁ… と思いつつ、 じっと眼を凝らしていましたが オケとピアノの呼吸が重なり合った瞬間のうつくしさは感動的でした。 こんなにショパンの楽曲で(良い意味の)緊張感とスリリングさと高揚感につつまれるとは思っていませんでした。
リシエツキさんも ウルバンスキさんも オケの皆さんも見事だった。。

じっとオケの皆さんを見てタイミングを合わせるリシエツキさん(時には嬉しそうなにこやかな表情でオケの皆さんとアイコンタクト)と リシエツキさんを見てオケを導くウルバンスキさん。。 確かに楽譜をめくっている一瞬の時間も無駄にしない、凝縮された時間がそこにありました。。 

無知な話なんですけど 私、ショパンがポーランド出身て知らなかったんです、、 フランスの音楽家のような気がしてて。。 楽曲のイメージも。 だけど今回のリシエツキ&ウルバンスキのピアノ協奏曲では なんか全然 今までのイメージとは違った、 もっと湿度のある叙情性というのか、 民族性というのか、 ダイナミズムというのかな、、 そういう迫力を感じました。 全然イメージが変わって、、 リシエツキさんのショパン 素晴らしい演奏でした♪

 ***

さて、、 ウルバンスキ氏が振る シン「新世界より」。

ウルバンスキ氏ファンの私は 昨年の夏、The Dresden Philharmonic の演奏をウェブで試聴してしまったために 驚きのシン!「新世界より」というのではなかったのですけど… 

ここでもオーケストラさんの感じは最初堅いかんじがしてたのですけど 楽章が進むごとに良くなって 最終的には最高潮! な感じになりました。 ドレスデンでの公演よりも 楽章ごとの輪郭がもっとくっきりして、 緩急も変わって、 ウルバンスキさんの出したいものがはっきり音に表れているようにも思えました。

とにかく素晴らしかったのが、 音の最小の響きの美しさと すべての音が消える瞬間の 無音の美しさ。。 その瞬間 すべての楽団員さんもお客さんも、 全員が呼吸を止めているんじゃないかと思うほど ぴたっと音楽が静止する無音の美。。 まさに シン! 新世界より だったんじゃないかと思うほど。。

ウルバンスキさん&東響さんの演奏ではピアニッシモの美しさのことをずっと前から感じていましたが、 今回も涙がでるほど美しかった。。 そして楽曲の盛り上がりだけに頼らず 微細な響き 各楽器の音色のすみずみまで気を配るマエストロの姿勢にはつくづく頭が下がるというか 尊敬する思いです。

だからこその最終楽章の あの疾走感が活きるというか。。 新大陸の発見、というよりもっと 壮大な宇宙まで行ってしまうような…

帰り道でお友だちと (最後のほうスターウォーズみたいだったよね)(やっぱり思った? 私もジョン・ウィリアムズに繋がってると思った)(ウルバンスキさんも ライトセーバー振ってるみたいだったし…笑)と大いに盛り上がったのです。。 そして ラストの消え入るような、 ゆっくりと ゆっくりと、、

そう 宇宙の果てに 遠くとおく消えていく ちいさな光のような管さんの音… ♪


そして まだ見ぬ新たな世界へ…。。


 ***

ウルバンスキさんを初めて観たのが 2016年のアレクサンダー・ロマノフスキーさんとの公演でした(そのときの日記>>)。 あのときも30代前半のイケメンふたりの共演。 今、あのときの写真を見返すと ウルバンスキさんもロマノフスキーさんも、若い…

何の知識もなく公演を観て、 明晰かつ新鮮な指揮ぶりに魅了されてずっとウルバンスキさんの公演を楽しみに見てきました。 ふ~ん イケメンだね… と頷いていたお兄様がたにも自分の耳は間違ってなかったと自信をもって言えます、、 ウルバンスキさん 素晴しい指揮者さんになられました。
今 40歳とのことですので これからの10年の充実ぶりがさらに楽しみです。 アクティブで反応のすばらしい東響さんとの演奏も これからもきっと続けてくださるでしょうね。。 今回、 ニキティンさんとのコンビもすごく良くて なんだかニキティンさんが楽しそうに弾いてらしたのも良かったなぁ。。


今回の公演、 ニコ生の配信が29日まで見られることになっています。 私もこれを書き終えたら あらためて ヤン・リシエツキさんのショパンと 大地から宇宙への シン・新世界より、 ふたたび感動を味わいたいと思います。

ノット監督が前にやってくださったように、 ウルバンスキ氏のコメント返しなどもあったらいいですね。。 ウルバンスキさんが公演をやってみてどう思われているか、 いつも知りたいなと思っているのです…





指揮者クシシュトフ・ウルバンスキについての日記一覧>>




 ***

(ちょっとだけ追記)

上記で ショパンがポーランド出身だと知らなかった、と恥ずかしいことを書いていますが、『戦場のピアニスト』でなぜショパンが流れていたのか、とか 考えれば判る事なのに(恥)。。 それに、ピアニストのお友だちから以前、 ショパンは亡くなってから心臓だけ故郷に帰ったのだと聞いていたことも思い出しました。 ショパンさん、 リシエツキさん、 ごめんなさい。。

もうひとつ、
アレクサンダー・ロマノフスキーさんの事を書いたので少し付け足し。。

ロシアによるウクライナ侵攻後、ウクライナ出身のロマノフスキーさんの動向も気にしていて… でも昨年の秋 破壊されたマリウポリの街で(ロシア側の立場で)ピアノ演奏をしたことが理由で 英国の王立音楽大学の教授を解任されたとか、、 そんなニュースにやりきれない思いでした。

今日(26日) ちょっと検索をしたら 昨年11月には ロシア・ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団の公演でモスクワで演奏もしている。 LIVE映像がMoscow Philharmonic Societyの動画にあがっている。 曲目は ショパンのピアノ協奏曲第1番とシューベルトのザ・グレート。 ロシアプログラムではなかった…。 指揮者はイグナット・ソルジェニーツィン。 あの(ソ連から追放され、のちにロシアへ帰還した)作家ソルジェニーツィンの息子さんだそう…

複雑な気持ちでさきほどロマノフスキーさんの演奏映像を見ていた。。 とても良い演奏だった、、 やはりこの人のピアノは好きだといまも思う… でも本当にどう考えたらいいのかわからない。。 演奏後、たくさんの花束をもらって、、 アンコール曲は ショパン夜想曲第20番 嬰ハ短調。 日本でのリサイタルでも弾いていた曲だったし、 『戦場のピアニスト』で有名な曲。 これもとても良い演奏だった、、 悲痛とも思えるような…。。  どんな思いで弾いてらしたのかはわからない… ただ、じっと眼を閉じて天に顔を向けるようにして弾き終えて、、 そっと指で眼をぬぐっていた。 胸がつまりました…

ほんとうに、、 こんな戦争 早く終わりになって欲しい。。 早く…


そう願うだけです…

歓びと感謝…♪:クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 川崎定期演奏会 第90回

2023-04-17 | LIVEにまつわるあれこれ
昨日はミューザ川崎で東京交響楽団さん 川崎定期演奏会 第90回 聴いてまいりました。 プログラムは…

プロコフィエフ:バレエ組曲 「ロメオとジュリエット」より
 モンターギュ家とキャピュレット家
 情景
 朝の踊り
 少女ジュリエット
 仮面
 ロメオとジュリエット
 踊り
 タイボルトの死
 朝のセレナーデ
 百合の花を手にした娘たちの踊り
 ジュリエットの墓前のロメオ
 ジュリエットの死

コネッソン:Heiterkeit (合唱とオーケストラのためのカンタータ)
シマノフスキ:スターバト・マーテル op.53

東京交響楽団
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
ソプラノ:シモーナ・シャトゥロヴァ
メゾソプラノ:ゲルヒルト・ロンベルガー
バリトン:与那城敬
合唱:東響コーラス



ウルバンスキ氏いつもながらの一挙一動一挙手一投足、 全身で踊るようなきめ細かな指揮に 即応する楽団さんとの鮮やかな演奏の美しさ・・・

今週予習でずうっとスターバト・マーテルに意識がいってましたが、まず「ロメオとジュリエット」にやられました。 東響さんの各パートさん、 全楽器さんの素晴らしさ! キレッキレの指揮と一体化する演奏、、 言葉にすると 何? なに?… と考えてたのですけど、 鮮烈、、 鮮明、、 あざやかさ、、

生で聴くの初めてのくせに(こんなロメオとジュリエット きっともう二度と聴けない!)と勝手に確信しながら聴いていました。 バレエ音楽の楽しさ、躍動感も。 悲劇にはちがいないのだけれど、 すべての曲がきらきらと輝いて、 一曲おわるごとに(うわっ…)という叫びと拍手をしそうになるのを必死で堪えて見てました。

ウルバンスキ指揮では タコ4、ツァラなど記憶に刻まれている名演があったけれど 今や伝説となっているハルサイの頃は私は知りません。。 昨日のバレエ音楽ロメジュリを聴きながら、 (あぁ、ハルサイもさぞや驚きとワクワクに満ちた演奏だったろう…)と想像されました。

オーボエさん、フルートさん、ティンパニさん、、管さん弦さん、、 みなさんすばらしかった。。

特に打楽器連はタイミングが命、、 ウルバンスキさんの振り降ろされる手と膝(!)の動きと一体化する寸分の隙も無いティンパニさんの15連打!! すごい、のひと言。。 音のスタイリッシュさといい、 こんなの東響さんでしか聴いたことありません。

管楽器さんの優雅かつキラキラの躍動感あふれる響きも美しかったなあ、、 ヴァイオリンさんの微音のさざなみも、、 低音弦さんの深さも、、 あ! 初めて聴いたオルガンさんの入った曲も、、 懐かしい感じの牧歌的な曲調で、、

最後に消えゆくような 小さくちいさく終わっていくジュリエットの死まで、、 ほんとうに鮮烈かつ叙情的なロメ&ジュリでした。 すばらしかった。。

 ***

後半の コネッソン:Heiterkeit (晴れやかさ 静穏)
行く前にいろいろ検索してみたけれど、 この曲の情報が得られずに何の予備知識もなく鑑賞。。 もっと現代音楽ぽい難解さを想像していたけれど、 穏やかさを感じる曲調で 短い中にもドラマがあって、、 それから東響コーラスさんの美しさにびっくりして・・・

その驚きと感動は 次の スターバト・マーテルへ。。
ここでも東響さんの各パートさんの演奏がみごとで… そしてソプラノのシモーナさんの歌がながれだすと その透明感に感動。。 そして何より東響コーラスさんたちの圧倒的な響き!!

ウルバンスキさんは今まで 爆音というかあんまり最大限に音を響き渡らせるという感じはなくて、 どちらかというと静謐な、ピアニッシモの美しさが印象に残っていたのですが、 昨日のミューザの響き渡ること! 

コーラスさんと楽団さんとソリストさんとの音色がホールいっぱいに響き渡ったときの感動。。 音でいっぱいになった、というのではなくて 美でいっぱいになった! と思いました。 なんてなんて美しいの、、って。

このポーランド語の美しい合唱と演奏の一体感を、 ウルバンスキさんは指揮しながら体感なさって今どう思われているかしら…と訊いてみたい気がしました。 まるでミューザがひとつの大聖堂のような、 その中で美しい祈りの声を聴いているような、 ほんとうにそんな気持ちに私は包まれていました。

圧倒的な第5章の盛り上がりのあとで 第6章がはじまると、 もう涙腺崩壊しそうに…

スターバト・マーテルはけっこう聴き込んで行ったのです。。 いろんな楽団さんの録音を聴きながら、 自己流に、ソプラノさんはこの位すなおに歌ってくれたらいいな、とか メゾソプラノさんはもうすこし張りが欲しいな、とか バリトンさんもこのくらい響き渡る声だったらいいな、とか 自分勝手なことを感じて聴いていて、、 でもその希望がすべて叶えられた素晴らしいソリストさん達でした。

前回のカルミナ・ブラーナもほんとうに幸せな体験でしたけど、 昨日のロメオとジュリエットにスターバト・マーテルもぜったいに忘れられない体験になりました。 


ただただ… この日は他の楽団さんの公演ともかぶっていたようで、 空席がたくさんあったことが何より勿体ないばかり・・・ おそらく年間チケットなどお持ちのかたも多いのでしょう、、 私が予約しようとした時にはバルコニー席とか埋まっていたはずだったのに、、 う~~んもったいない。。

東響コーラスさんもとにかく素晴らしかったので、 東響コーラスさんとの第九、、 聴いてみたくなりました。。 いつもノットさんの第九 なかなか都合がつかず、 チケットもすぐ売れてしまうので観た事ないのです。。 いつか必ず~~ ☆彡





永遠に守らんとするもの…

2023-04-15 | …まつわる日もいろいろ
芥川の最晩年の著 『西方の人』のなかで、 龍之介は聖母マリアについてこう書いています。


  マリアは唯の女人だつた。が、或夜聖霊に感じて忽(たちま)ちクリストを生み落した。我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであらう。同時に又あらゆる男子の中にも――。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶(かめ)や巌畳(がんじょう)に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであらう。マリアは「永遠に女性なるもの」ではない。唯「永遠に守らんとするもの」である。クリストの母、マリアの一生もやはり「涙の谷」の中に通つてゐた。が、マリアは忍耐を重ねてこの一生を歩いて行つた。世間智と愚と美徳とは彼女の一生の中に一つに住んでゐる。ニイチエの叛逆はクリストに対するよりもマリアに対する叛逆だつた。
       (『西方の人』より 2、マリア 全文)


、、このなかの「炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶や巌畳に出来た腰かけの中にも」マリアを感じる、、という部分がとても好きです。 それは日本人だから感じうる、いわば《東方の人》としての感覚ならばこそ…だからです。。 

また、 『西方の人』の終わりのほうでは 磔刑に処されたイエスを抱く母マリアについて こう書いています。

  クリストの母、年をとつたマリアはクリストの死骸の前に歎いてゐる。――かう云ふ図の Pietà と呼ばれるのは必しも感傷主義的と言ふことは出来ない。唯ピエタを描かうとする画家たちはマリア一人だけを描かなければならぬ。
      (『西方の人』より 33、ピエタ 全文)


、、龍之介はミケランジェロのピエタを見ても同じことを思ったかしら… それはわかりませんが 《母マリア》への龍之介の想いはよく窺うことができるような気がします。


なぜ こんなことを書いているのかというと、 「悲しみの聖母」を聴きに参るからなのです。。



龍之介の言う 「炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶や巌畳に出来た腰かけの中にも」存在するマリア… とは?


やすらぎ…


聖性…


慈愛…



生命(いのち)…





どう思われます…?

死があたかも一つの季節を…:漱石から芥川、そして堀辰雄

2023-04-10 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
前回、 芥川龍之介の晩年のエッセイ「彼 第二」に続いて…

龍之介の死後に発表された「或阿呆の一生」をつづけて読んでいて、、(この作品は 冒頭の久米正雄宛ての文からも判りますが芥川の遺書と言って良いものですね)

その中に 「先生」という語、つまり夏目漱石について書いた文が3つあります。 「十 先生
」、「十一 夜明け」、「十三 先生の死」です。 そのなかの「先生の死」にこうあります。

 彼は巻煙草に火もつけずに歓びに近い苦しみを感じてゐた。「センセイキトク」の電報を外套のポケツトへ押しこんだまま。

、、「歓びに近い苦しみ」、、 ってどういう意味だろう…

「或阿呆の一生」ははるか昔に読んだきりで 漱石作品に親しむよりも前のこと、、 この箇所については全く記憶にありませんでした。 先生の危篤の電報を受け取り、 「午前六時の上り列車」を待っている時の気持ち、、 それが 「歓びに近い苦しみ」…

どういう意味だろう… とふと思いつつも、 心のどこかではなんだか分かる気がしていたのです。。 何故かというと、、 その後 漱石作品をたくさん読み、 芥川と漱石との師弟関係のことなどもいろいろ知った今だったから。。

漱石の『こころ』で「私」が「先生」からの分厚い手紙(遺書)を受け取ったあと、 危篤の父親のもとを離れ列車に飛び乗ってしまいます。。 そういう想いの小説を芥川青年は読んでいたでしょうから。 『こころ』の「私」が「先生」に心酔したと同様に、 芥川も自分の作品を認めてくれた漱石を全面的に信頼したでしょうから。。

「或阿呆の一生」のこの二つ前の「夜明け」は、 「先生に会つた三月目」とあり、 「空には丁度彼の真上に星が一つ輝いてゐた」と、そんな輝かしい、喜びと希望に満ちた「二十五の年」だったのでしょう。。 でも年譜から想像するに 龍之介が漱石に作品を褒められてから漱石の死までは一年にも満たないはず、、 その間に龍之介は大学を卒業し(夏)、 冬に海軍機関学校に英語教官として就職する。 「先生の死」の一つ前の文章が「軍港」だから 多分その順番でいいのだろう。。 とすると「先生の死」で列車を待っている駅は横須賀のほうかと想像する…

この夏(8月)、 漱石は龍之介と久米正雄宛に 有名な 焦ってはいけません 牛のように押して行くのです という内容の手紙を送っている。 漱石の弟子への手紙はいつも丁寧だけれど、この手紙も実に心が籠っていて優しい。。

龍之介の 「歓びに近い苦しみ」という想い、、 想像するに たとえ危篤の報せとはいえ、 漱石のもとへ駆けつけることが出来るよろこび、 横須賀(たぶん)での仕事も放り出して漱石の枕元へ行ける嬉しさ、、 死がどれだけ間近かどうかなんてこの瞬間には問題ではないのだろう。。
そんな気持ちとして私はとらえたのだけど… どうだろう…

 ***

そして 芥川が漱石の弟子だったように、 芥川には自分を慕う「堀辰雄」という若者がいた。

芥川の25歳ごろの思い出(「彼 第二」や「先生の死」のころ)を読んだためか、 堀辰雄が芥川龍之介の思い出をつづった作品はどうだったろう、、 とあらためて堀辰雄の年譜などを見直して、 それで『聖家族』を読み直すことにした。 (堀辰雄が芥川龍之介と知り合うのが19歳頃の事)

 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。

という印象的な一文で始まる短篇。 私が『風立ちぬ』から堀辰雄を知った中学生の頃には 芥川と堀の関係など知らずに、 軽井沢や富士見のサナトリウムを描いた小説群はどこかヨーロッパの小説を読むようで不思議な浮遊感と、 死への甘やかな幻想を感じていた。

でも、、 あらためて「聖家族」を読むと、 もうこれはまさに芥川の死へのトリビュート作品なのだということがわかる。

「聖家族」は「九鬼」という男の葬儀から始まるけれど、 九鬼が作家だとか 九鬼とこの物語の青年「扁理」とどういう関係なのかはまるで書かれていない、、 けれど堀辰雄がこの作品を雑誌に発表した頃は 当然この「九鬼」の死は芥川の死として読まれていたんだろうと思う、、 オマージュとして…

芥川に「蜃気楼」という作品がある。 鵠沼の浜辺で蜃気楼を見ようとする話。 これも晩年の作品だが この中に「大学生のK君」が出てくる。 この人物が堀辰雄かどうかはわからないけれど、 堀の「聖家族」では青年「扁理」が海岸の町をおとずれる場面がある、、 そこで扁理は 
「九鬼」の死が自分のなかにどれだけ深く刻み込まれ、 どれだけ自分が九鬼の存在から離れ難いかを認識する。。 そういう重要な場面…

 そうして扁理はようやく理解し出した、死んだ九鬼が自分の裏側にたえず生きていて、いまだに自分を力強く支配していることを …略…
 そうしてこんな風に、すべてのものから遠ざかりながら、そしてただ一つの死を自分の生の裏側にいきいきと、非常に近くしかも非常に遠く感じながら、この見知らない町の中を何の目的もなしに歩いていることが、扁理にはいつか何とも言えず快い休息のように思われ出した。

                 「聖家族」


、、九鬼の死をこうして 「非常に近くしかも非常に遠く感じながら」 扁理は「貝殻や海草や死んだ魚」などが打ち寄せられている浜を歩く。 この部分は芥川の「蜃気楼」で 夜の浜辺でマッチをすり、海藻や貝殻の散らばった浜が浮かび上がる というシーンを思い起こさせもするし、、

「聖家族」ではこの続きに、浜辺の漂流物の中に「犬の死骸」を見つける。

 その漂流物のなかには、一ぴきの小さな犬の死骸が混っていた。そうしてそれが意地のわるい波にときどき白い歯で噛まれたり、裏がえしにされたりするのを、扁理はじっと見入りながら、次第にいきいきと自分の心臓の鼓動するのを感じ出していた…… 「聖家族」

この場面は、 前回読んだ芥川の晩年のエッセイ「彼 第二」のなかで書かれた、 早世したアイルランド人の友人の思い出を反映させている気がする。 上海で再会した芥川と友人は、海岸を歩きながら犬の死骸を見る、、

 彼はちょっと歩みをとめ、顋で「見ろ」と云う合図をした。靄の中に仄めいた水には白い小犬の死骸が一匹、緩い波に絶えず揺すられていた。そのまた小犬は誰の仕業か、頸のまわりに花を持った一つづりの草をぶら下げていた。それは惨酷な気がすると同時に美しい気がするのにも違いなかった。 「彼 第二」

芥川が死骸に対して 「惨酷な気がすると同時に美しい気がする」と書いた感性を、 堀辰雄は敏感に読み取っていたのだろう、、 「九鬼」という男の「死を自分の生の裏側にいきいきと」 一心同体のように実感した扁理の眼には、 犬の死骸を発見したこともまた九鬼とつながるものであり、 「いきいきと自分の心臓の鼓動」を促す 魂の感応をもたらすものだったのだろう…


そうやって 芥川の晩年のエッセイから 堀辰雄の「聖家族」までつづけて読んできてみて、、 そうしたら 漱石の危篤の報を受け取った芥川の 「歓びに近い苦しみ」とは、、 (この文章が芥川がすでに遺書として書いている文章だということを考え合わせれば)、、 漱石のもとへ自分が行けること、 ふたたび先生に会えること、、 そのことのよろこびを示していると考えていいんじゃないかな… と。。 やはりそう思えてきた。

 ***


私は 自死を認める気持ちは無いし、 前回も書いたように芥川にピカソと同じくらい長生きして書いていて欲しかったと思うし、、 芸術家は作風が変わろうが、 批評家からあれこれ言われようが、 芸術家としての命が尽きるまで全うすることのほうを尊びたい。 

でも、 漱石の死が芥川に伝えたもの、、 芥川の死が堀辰雄に伝えたもの、、 その死がつぎの作家の生命のなかに宿ったもの、、


その命の連鎖は認めていいと思う。。




 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった…



自分でこのことを認識して作品化できる 堀辰雄はすばらしい理知の人ですね…


 


読書はまだつづきます…






「彼 第二」の追憶… 芥川龍之介

2023-04-07 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
先月からの流れで、、 (芥川龍之介の「死後」という作品を読んでから…) 
ここのところ龍之介の後期の作品を読んでいます。

、、作品、というか 私小説的なエッセイに近いものたち。。 「河童」や「歯車」などの有名な作品の間でつい読み逃がしてしまっていた小品を…

大正15年に書かれた「彼」「彼 第二」の二篇は、 早世した友人の思い出をつづったもので、 「彼」は中学時代の旧友のこと、 「彼 第二」は二十三歳ぐらいからの付き合いのある、アイルランド人の友人のこと。 彼は新聞社の通信員として日本に駐在したのち、 上海へ転任し その地で亡くなる。

アイルランド人の彼との、青春の日々の描写がとてもみずみずしくて、 龍之介の心が記憶のなかから掬い上げた場面の、せつなさ、美しさ、そして痛み。。 これを龍之介が書いたのが自死の8カ月前だというのを想うと、、 (こんなにも美しいエッセイが書けるのなら死なずとも良かったのに…)と勝手なことを考えてしまいました。

或は、 龍之介の心がすでに死の領域に引き込まれ、 喪った友の近くに引き寄せられているからこそ、 思い出でありながらこんなにも親しげな、心安い書きぶりになっているのか…

、、 それでも 生きていて欲しかったな… と思う。。 

「彼 第二」の中で、 アイルランド人の友だちが 谷崎潤一郎の『悪魔』を読み、 「あれはおそらく世界中でいちばん汚いことを書いた小説だろう」と言ったのを、 龍之介がのちに、 当の谷崎に語ったそのときの谷崎の反応が書いてあって…

 するとこの作家は笑いながら、無造作に僕にこう言うのだった。――「世界一ならば何でも好い。」!

、、さすが谷崎潤一郎です。。 このくらいの作家魂というか したたかさが芥川にあれば…

 ***


こんなことを考えています… できれば戦争の時代を越えて生きて、、 そして 芥川を師とした堀辰雄が病気で死んでしまった後も生きて、、 「彼 第二」を書いたように、 堀辰雄と自分の軽井沢の日々などを追憶してもらいたかった、、 などと。。

どんなことがあろうと (つまり… 彼らを取り巻いた男女の事件やら不幸やら…) 芸術家の身の上に起こるこもごもであれば いずれは消え去る。。 過去になる、、 そう思うのです。 芸術家はそれを作品に変えられる。

龍之介は死の二カ月前に、 ピカソとマティスを比べてこう書いています

 若しどちらをとるかと言へば、僕のとりたいのはピカソである。兜の毛は炎に燒け、槍の柄は折れたピカソである。
          「二人の紅毛畫家」

、、その意味の全文は青空文庫で読んでみてください(>>


ピカソみたいに、、 91歳まで書いて欲しかった… したたかに。。 そんなのは芥川龍之介じゃない、と言う人もいるかもしれないけれど。。


美しいノスタルジアで良いではないか…



まなざしが曇りさえしなければ…





『河童・玄鶴山房』 芥川龍之介  角川文庫
 (昭和54年版だからボロボロだ…)

4月になりました。

2023-04-04 | …まつわる日もいろいろ





桜が風に舞うと…


あとには



あざやかな花の季節がやってきます…














星はめぐります…



 ***


 山吹の にほへる妹が はねず色の 赤裳の姿 夢に見えつつ
           (万葉集 よみ人知らず)



「はねず色」とは 「朱華色」と書くのだそうです。

赤裳とはスカートのような衣装。。 万葉の時代、 夢に現れるのは その相手から思われ、夢にやってきてくれるのだと考えられていました。 とすると、 歌を詠んだ人は こんな美しい衣装の妹が自分を思ってくれていると嬉しかったのかもしれませんね…