星のひとかけ

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Winterreise『冬の旅』:第七章「流れの上で」Auf dem Flusse

2018-12-14 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
第七章「流れの上で」  旅人は凍てついた川の (実際は流れていない)氷の流れの上に降り立ちます。


(全面凍結した川のフォトなど持ち合わせていないのでそれっぽく…)


ボストリッジさんはこの章で 気象学の歴史の話をなさいます。 文化史の博士ですもの。。

気象学的な発見の時代、 また地理学・地学的な自然の歴史や地球の成り立ちの発見の時代があり、、 航海・航路の発見の必要性もあって辺境の地・極地探検への関心へ、、 それらの情報が 芸術家や文学者のイマジネーションを搔き立てていく……

、、 ピクチャレスクという美学とロマン主義の想像力、、 ということについて多少なりと読んだ記憶があれば ボストリッジさんのお話は非常によくわかります。。 ピクチャレスク自体、 英国から生まれたものですし、、 でも それが シューベルトにつながっていくとは思ってもみませんでした。。

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(なんてタイムリーなんでしょう… 『フランケンシュタイン』にも氷の世界が…)

《氷》の世界というロマン主義的関心について ボストリッジさんが熱心に語られることに頷きつつ、、 ただ、、 この第7曲の音楽の趣きは 意外とさほど荒々しい崇高美の世界は感じられません、、

たどたどしく雪と氷の道を進んできた旅人は、、 川べで立ち止まり、、 やはり思い返すのは この川がゆたかに流れていた夏の日々のこと(5月に彼女と出会ったのでしたね) …

彼は凍りついた川の表面に下り立ち、、 いや、 きっとひざまずくのだと思います。。 その光景が伴奏ではなぜか長調の甘い調べに……  なんだかノスタルジック。。 聴けばたぶんわかりますが、、 少し滑稽なほどにノスタルジック。。

そして彼は 川面の氷に 愛する人の名と 出会った日 別れた日、、 を石で刻むのです。。
おそらく川面の氷には雪だって多少積もっているのではないかしら…? 雪に指で文字を描く、、 普通ならこれくらいは 誰でもしそうに思えます、、 だけど 石で《氷》を傷つけて文字を書く…

、、 これぞロマン主義なのかも。 この瞬間、 旅人はきっと自分自身に酔っているはず… 自己憐憫、、 自己陶酔も 芸術家には必要。。

その背後でピアノが ダダダ・ダダダ・ダダダ… と連打されるのが最初 ??と思ったのでしたが、 これ 《氷》を石でガリガリやっている行為なのですね、、きっと。。

そして 感情が爆発する最終連……


旅人はおそらく 《氷》に刻み付けた二人の愛の記録を冬のあいだ中 そこに留めておいて、、 そして 雪融けの季節を迎えたころに 奔流となって一気に押し流されていくであろう光景を 旅人自ら想像して 感情のクライマックスに浸っているんです、、 きっと。。 やっぱり酔っているんです、 自分に。。

 ***

ボストリッジさんがそう書いているわけではありませんので 本書を読みつつ音楽を聴いた私のあくまで私的な想像です。。

きょうは少し 意地悪な見方をしてしまったかも…


でも 《氷》に彼女の名前を刻む、、 なかなか氷に文字を削るの大変そう… 、、 …そういえば『嵐が丘』では樫材の寝台にキャサリンの名前が刻まれていましたね、、 

名を刻む(削る)行為は男の人のもの…

そして その行為は 彼女の為、、というよりは 自分の為、、 という気もする。。


女の人なら たぶん 紙に書く…… あるいはロマンチックに考えれば 糸で縫う…


ちがう…?   偏見かしら…… ?