風の無い昼下がり、「うつろ庵」から4キロほど離れた観音崎京急ホテルまで、虚庵夫人と共に遠足をした。この時節には珍しい野草が、可憐な花を咲かせて二人を迎えて呉れた。
本来であれば春から夏ころよく見かける草花だが、風が遮られた陽だまり故に、真冬でも花を付けたのであろう。郷里の信州の河原にはこの花が沢山咲き乱れていたが、虚庵居士の記憶では、花は赤味が鮮やかだったようだ。花の色がいくぶん冴えないのは、気の毒にも寒さの為だろうか。
花茎の色濃い辺りは、べとべとの粘液を分泌しているので、花茎を小さく千切っては、洋服にくっつけて遊んだ子供の頃の記憶が蘇ってきた。
「虫取り撫子」の名前も、この特徴ある粘液によるものだろうが、か細い花茎の粘液で虫が捕まるのだろうか。虚庵居士の勝手な推量だが、撫子は自分の花を虫から守るために、野原から這い上ってくる虫を、粘液で防ごうとの作戦ではないかと思われる。
自らの「花を護る」備えだとすれば、敬服だ。
翻って我々人間社会では、どれほどに「自己防衛」の備えが出来ているのだろうか。例えば、沖縄に駐留する米軍の働きについて、怪しげな認識で国内のみならず日米同盟をも混乱に陥れた、総理がいた。「虫取り撫子」の訓えを、とくと咬み締めたいものだ。
歩み来れば虫取り撫子微かにも
花を揺らして挨拶するらし
陽だまりに時節を超えて咲く花の
健気な姿に足をとどめぬ
図らずも虫取り撫子咲くを観て
子供の頃の こと共 想ほゆ
歩みきて我妹子と二人道草を
愉しむ齢になりにけるかも
素敵なブログ素敵な