「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「うつろ庵の自然薯」

2009-08-24 10:33:47 | 和歌

 「うつろ庵」の庭で「自然薯」が採れた。

 テラスの先に植えてあった「金の生る木」は、子や孫も増え、いつの間にか嵩だかになりすぎたので、整理することにした。狭い庵の庭ゆえに、時には大胆に整理をしないと、植木や草花が溢れて息が詰まりそうになるのだ。「金の生る木」は根が張らないので、ごく簡単に整理作業は捗ったが、思わぬ副産物が採れた。「自然薯」である。

 かつて、近くの山歩きをした際に、自然薯の「むかご」を摘んで来たが、それを庭先にばら撒いて放置したら、自然児の逞しさとはこのことを言うのであろう。「むかご」が芽を出して、自然薯の蔓は何年かのうちに、葡萄棚を占拠するほどに繁茂した。根が張らない「金の生る木」の根元に、自然薯は逞しく根を下ろしていたのだった。

 横須賀のこの辺りは、半世紀ほど昔は遠浅の海岸であったが、三浦半島の山を削った岩や土砂で埋め立て、大がかりな造成工事を経て宅地化した地域だ。黒土の下には、三浦半島特有の泥岩が埋まっているので、自然薯の根は自由奔放な成長を妨げられ、その姿は艱難辛苦の歴史を物語っていた。

 「うつろ庵」の庭先に根を下して拾余年。貴重な自然の恵みをたまわったので、早速、晩酌の肴として味わった。栽培品種の長薯と比べ、極めて爽やかではあるが格段に凝縮された滋味は、白ワインと程よく響きあって、言葉を失った。

 老境に足を踏み入れた虚庵居士には、傘寿を超えた兄と姉が健在だが、「うつろ庵の自然薯」を食べさせたいと念じ、ごく僅かづつではあったが、宅急便に託して送り届けた。封を切って驚いたことであろう。ねじれ曲がった自然薯が転がり出てこようとは、想像すらしなかったに違いあるまい。
何時までも元気でいて欲しいものだ。





             山採りのむかごは庵に根を下ろし

             斯く逞しく育ちおるとは


             たまきわる尊き命を凝りたるや

             艱難辛苦の痕をとどめて


             うつろ庵の自然薯召しませふる里の

             老ゆる兄姉 永らえたまえや