「酔芙蓉のかんばせ」の仄かな「酔」は、どの様な変化によるものなのか、以前から気になっていた。呑兵衛の虚庵居士ではあるが、父祖伝来の体質としては「下戸」ゆえに、ほんの少々のご酒を頂いても、忽ち顔に出る体質なのだ。
「酔芙蓉」の「酔」は、一般的には陽が西に傾く頃に、仄かな変化が観られる様だ。
ところが、場合に依れば早朝から「酔」の花に出逢うこともあるのだ。虚庵居士は、流石に早朝から呑み始めることは先ずないが、ランチに合わせてビールやワインを頂くことは、珍しいことではない。リタイアしてお勤めの制約が無くなったこの頃は、気分次第で「酔芙蓉」を地で行くことになるのだ。
しかしながら、本物の「酔芙蓉」はご酒を頂くのでもなく、「酔」状態になるのが誠に不思議だ。時間的に午後になればというだけでなく、早朝であっても「酔」状態の花に出遭うのは何故だろうか。ひょっとすると日差しの量が少なめになれば、夕暮れに限らず雨模様の朝なども、仄かに色づくのかもしれない。
どうやら虚庵居士が夕暮れの雰囲気になれば、グラスが恋しくなるのと何処か相通じるものがありそうだ。
それにしても、こんな美人の「酔芙蓉」と共に酌み交わすご酒は、さぞや美味かろう。お酒であれ、ビールもワインも泡盛の古酒も、或いはコニャックであれ何でも結構だが、「うつろ庵」の庭に「酔芙蓉」が咲いていないのは、不幸中の幸いなのかもしれない。
「うつろ庵」に咲いていたら、これ以上のヘベレケの毎日となること請け合いだ。
パソコンに向かって夥しい数のメールを読み、キーボードを叩きながら講演の準備や執筆中も、お遊びのブログに書き込む現在も、虚庵居士は横になるまでグラスを手から放さぬ毎日なのだから・・・。
何やら支離滅裂の酔っぱらいエッセーになったようだ。ご無礼をご勘弁願いたい。
酔芙蓉を相手に呑めばうまからむ
口に含めばひろごるご酒なれ
かんばせを染めなばグラスを手放すに
い寝る際まで重ねて呑むとは
かんばせを仄かに染める酔芙蓉は
酔とは何かと呑兵衛諭しぬ
酔芙蓉の花無き庵は救いなれ
花咲きぬれば酔い醒め知らずも
酔芙蓉はかんばせ仄かに酔湛え
明日には花を閉じる君かも
酔芙蓉の仄かに酔を湛えるは
閉じる命に捧げるご酒なれ