「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「呑兵衛と酔芙蓉」

2012-08-22 00:48:43 | 和歌

 「酔芙蓉のかんばせ」の仄かな「酔」は、どの様な変化によるものなのか、以前から気になっていた。呑兵衛の虚庵居士ではあるが、父祖伝来の体質としては「下戸」ゆえに、ほんの少々のご酒を頂いても、忽ち顔に出る体質なのだ。

 「酔芙蓉」の「酔」は、一般的には陽が西に傾く頃に、仄かな変化が観られる様だ。



 ところが、場合に依れば早朝から「酔」の花に出逢うこともあるのだ。虚庵居士は、流石に早朝から呑み始めることは先ずないが、ランチに合わせてビールやワインを頂くことは、珍しいことではない。リタイアしてお勤めの制約が無くなったこの頃は、気分次第で「酔芙蓉」を地で行くことになるのだ。

 しかしながら、本物の「酔芙蓉」はご酒を頂くのでもなく、「酔」状態になるのが誠に不思議だ。時間的に午後になればというだけでなく、早朝であっても「酔」状態の花に出遭うのは何故だろうか。ひょっとすると日差しの量が少なめになれば、夕暮れに限らず雨模様の朝なども、仄かに色づくのかもしれない。

どうやら虚庵居士が夕暮れの雰囲気になれば、グラスが恋しくなるのと何処か相通じるものがありそうだ。

 それにしても、こんな美人の「酔芙蓉」と共に酌み交わすご酒は、さぞや美味かろう。お酒であれ、ビールもワインも泡盛の古酒も、或いはコニャックであれ何でも結構だが、「うつろ庵」の庭に「酔芙蓉」が咲いていないのは、不幸中の幸いなのかもしれない。

 「うつろ庵」に咲いていたら、これ以上のヘベレケの毎日となること請け合いだ。
パソコンに向かって夥しい数のメールを読み、キーボードを叩きながら講演の準備や執筆中も、お遊びのブログに書き込む現在も、虚庵居士は横になるまでグラスを手から放さぬ毎日なのだから・・・。

 何やら支離滅裂の酔っぱらいエッセーになったようだ。ご無礼をご勘弁願いたい。


 


            酔芙蓉を相手に呑めばうまからむ

            口に含めばひろごるご酒なれ


            かんばせを染めなばグラスを手放すに

            い寝る際まで重ねて呑むとは


            かんばせを仄かに染める酔芙蓉は

            酔とは何かと呑兵衛諭しぬ 


            酔芙蓉の花無き庵は救いなれ

            花咲きぬれば酔い醒め知らずも


            酔芙蓉はかんばせ仄かに酔湛え

            明日には花を閉じる君かも


            酔芙蓉の仄かに酔を湛えるは

            閉じる命に捧げるご酒なれ







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