川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

日曜日のプレゼント、東アジア選手権北朝鮮戦

2005-07-31 21:34:00 | サッカーとか、スポーツ一般
ひとことでいえば、ミスすりゃあ、負けるよ。
ということですな。

失点シーンは小笠原のバックパスを奪われて、さらに中澤の変なクリアをさらに奪われ、目を覆わんばかりのミスが連発して生まれたもの。中澤のなんて、ほとんどパスだったもんな。

もうひとつ言うと、どんなに実力差があっても、また相手が疲れていても、ゴール前を固められたら簡単には点を取れない。

まったくその通りであります。

それ以上でもそれ以下でもありません。

でもさ、宇都宮一徹氏も言ってたよ。このチーム、今はいったん壊れるべき時なんだ。(いや微妙にニュアンス違う?)
壊れるなら壊れてもらおう。

そして、すぐに立ち直ってね。
できれば次の試合あたりから。



石綿金網の思い出

2005-07-31 00:16:22 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
ぼくらの世代だと、中学校、高校でおなじみだった、石綿金網だけど、今それを口にしても下の世代に通じない。

十年くらい下の人は「理科の教科書には出てるけど、実際には使わない、不思議な金網」だと思ってるし、さらにその下だと、まったく目にしたことがないらしい。

一応、全世代的に理解していただくために解説すると、石綿金網は、アルコールランプやガスバーナーで、ビーカーやらなにやらを熱する時に、炎の上に敷かれていたもの。石綿は燃えないので、便利だったわけですね。

で、この場合の石綿も、言わずとしれたアスベスト。
今回のアスベスト騒動で、我々の生活に満ちていたアスベストを、あれもそうだった、これもそうだった的にリストアップする記事が目につく。石綿金網もそんな議論の中で、よく持ち出される。

では、中学・高校で石綿金網をしょっちゅう使っていた我々は、どんなリスクを背負ってしまったのか。
そういうことになると、言及している人が見あたらない。

どんなもんだろう。
あと十年、二十年たったら、アスベストの「理科実験暴露」のせいで、病気になる人が出てくるのだろうか。あるいは高校の化学の先生などは、どうなんだろう。

よくわかんないだけに気持ち悪い。
実際のところ……よくわからないのだろうけどさ。


決定率5割をめざせ

2005-07-30 16:55:02 | 自分の書いたもの
今ここにいるぼくらの、書店での宣伝用POPを手書きで書くようにと、専用の厚紙が送られてきた。
枚数は20枚。

なにを書こうかというのはともかく、結構、プレッシャー。
書き損じはあっても、10枚はちゃんと使えるものを確保せよというのである。

つまり、決定率50パーセント以上が要求されているわけだ。
これをプレッシャーと思う自分も情けない。


会社を辞めるのを決断した時

2005-07-30 05:10:59 | 日々のわざ
ジンセイにおいて三回目の辞表を提出したばかりの全然寺さん依頼のエントリ、です。

会社を辞めるのを決断した時。

カワバタの場合。

かなりシンプルです。

もともと物書きでメシ食おうと思ってました。フィクションでもノンフィクションでもとにかく文筆でメシを食う以外のこと考えられなかったです。音楽でと思わなくもなかたっけれど、音楽に自分がなにかをもたらすことが出来るとしてもそれは言語を通じてだという気もしていて、結局、コトバ生業、というのがぼくにとっては自然だったわけです。

日本テレビに入る時「十年で辞める人材だとしても、採っていただけますか」と役員に言い放ったりして。バブル期のあの頃にしても、そういうことを役員面接で言っても採ってくれるのは、メディアでは実は日本テレビだけだったりして、かなり「滑り込み」で入社したわけですよ。

で、最初の配属は報道局、それから、ハイビジョンの制作、ケーブルテレビの営業(地味!)くらいまでは、それなりに楽しみを見いだして、なんとかやっていたわけですが、総務局施設管理部ってとこに異動になった後、軽くノイローゼ。取材にはいけないわ、隣も前も喫煙者だわ、仕事は変に拘束時間長いわ……十年宣言したわりには、八年しかもたず、やめたろーぜ、ということになったわけでした。

辞表を提出した時のあの爽快感。今も忘れられません。

てな具合。

さ、フリーなみなさん。どんな瞬間に、会社を辞める決断をしました?
コメントなり、トラバなりで、是非お知らせください。





三代目ユウユウがやってきた。

2005-07-29 17:01:58 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
「星と半月の海」を書いた時に取材させていただいた、かごしま水族館にあたらしいジンベエザメがやってきたとのこと。
2代目は体長5.4メートルにもなっていて、飼育の限界。
そこで、2代目を放流して、体長4.4メートルの3代目がきたわけですね。

リンク: 3代目ユウユウ.

思うに、3号クンは、最初から大きめなので、一年か一年半くらいで限界体長になってしまうのではないかな。短期政権になるかもしれませんね。

いずれにしても、捕獲・飼育・放流のサイクルを繰り返す、鹿児島方式は刺激的だなと思います。
飼い殺しにしないオープンな雰囲気がぼくら現代的な「美的感覚」にマッチするし、数年という短期間なら個体の健康管理も「一生」より簡単でしょう。また、代が変わる事に地元に話題を提供でき、地元としてもなんとなく誇りと愛着を持てるような気がするんですね。

さらに放流後のジンベエの遊泳記録を得られるというおまけもつく。
3号クンは放流後、はたしてどこまで泳いでいくでしょうか。それも楽しみ。


スペースシャトルは失敗したのか

2005-07-29 06:22:33 | 日々のわざ
耐熱タイルがやっぱり剥げてしまっていたというところで、かぎりなく不安が大きくなる。「帰還には問題ない」というセリフ、前にも聞いたことがあるぞ。

ちょっとぐぐっていたら、松浦晋也さんのこういう記事をみつけた。

リンク: いも焼酎 2004.9 No.282.

シャトルを失敗したテクノロジーと認識するのは、おそらく正しい。
氏の「スペースシャトルの落日」も読んでおくべきかな。
と思うきょうこのごろ。


動物園からアスベストへ、たらたら語る午後

2005-07-28 19:21:51 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
ちまたでは、動物園ブームというか、動物園特集ブームだ。
新聞や雑誌で「今動物園がおもしろい」「動物園に注目」的な特集がよく見られるし、しのぶん情報によれば、このたびLeeなんぞでも特集するのだそうだ。女性誌でまで、というとブームにも本格感が漂う。

この前、NHKからの連絡と前後して、読売新聞の記者さんからもコンタクトがあり、近所のファミレスで雑談した。
ぼくは動物園の専門家じゃないので、雑談的に知っていることを語るのはできるけれど、「動物園を紹介します」といようなナヴィゲーター的な立場で雑誌やテレビに登場するのはちょっとやりにくい。だから、記者やディレクターやライターが自分の頭で考えて動物園についてああだこうだ言うタイプの企画に関しては、できるだけ協力はしたいと考えてる一方、テレビ出演なんかはだいたい断ってる。

それはそれ、「自分の頭で」タイプの記者さんやライターさんと会うのって、それ自体楽しいということもある。
自分が情報提供をしつつも、新たな視点を提供してもらえる場合がある。話しているうちに、自分の中の情報が整理され、見通しがよいものになることがある。そうなるためには聞き手がある程度の知的水準を満たし、また、ある程度以上のコミットメントがあり、つまりはいろいろ勉強していて背景知識も広い、という条件が揃わなければならないみたいだけれど。

この前会った読売新聞の記者さんが、そういうタイプだった。実は感染症関係に強い方だと途中で分かり、最終的には鳥インフルエンザやら、新興感染症とメディアの疫学リテラシーみたいな話になっていた。
そして、アスベストについて、お互い、ため息をついた。

なぜって……。
ここ十年くらいの間に我々が「リスク」として大騒ぎしてきたものはいろいろある。
環境ホルモン、ダイオキシン、目下も大問題のBSE。
でも、アスベストほど、誰の目にも明らかな、人的な被害を大量に発生させていたリスクはない。

環境ホルモンだー、メス化だー、とか騒いでいた頃、やはり中皮腫で苦しんでいた方はたくさんいたわけで、我々のリスク・センスっていかがなものよ。目配りの悪さっていかがなものよ、とつくづく思ってしまう。大きな既存のものを見落とし、小さな新興のものを過大に取り上げる。
ほんとうに「正しく怖がる」ことは難しい。

というわけで、動物園→感染症→アスベスト→リスクセンス、というようなお話しになった午後だった。面白いというか、刺激されるという感覚。

すべては地続きだ。
動物園とリスクセンスだって、今のマスコミの取り上げ方ではまったく別のベクトルだけど、実を言うとさっきのような経由なしでも直結するし(動物を扱う仕事では、様々なリスク管理を日常的にしなければならない)、ひょっとすると「アスベスト」にだってつながっているかもしれない。
そもそもぼくたちは、小さく、ネットワークされた、世界に住んでいるのだからして。

台風と地震のせいなのか??

2005-07-28 16:19:59 | 自分の書いたもの
集英社の編集者Eさんから電話があって雑談。

装丁の評判がいいことに大喜びしてくださる。ぼくもわがことのようにうれしい。いや、ちがう。わがことなんだって。まちがいなく。

ところが! 「今ここ」は、いまのところ、「期待しているほど売れてない」とな。
なるほど、過大な期待をしてはいかんと思いつつ、最初は期待が大きいものですからね。

「たぶん、台風と地震のせいです」というのがEさんの分析。
台風と地震で、書店が閑散とし、売れるものも売れなかった、と。
ほんとかよ。

もしも本当なら、土日、動きますよね、Eさん。
きっとだーっとセールスアップですよね。
なんて。
無理?


さらばRoomba Discoveryのポチ

2005-07-28 06:29:09 | 日々のわざ
報告。
結局、ポチは、カリフォルニア在住のいとこにもらわれることになりました。
無償交換はしてもらえるものの、日本からではできないこと。
今後も故障は頻繁にあるだろうし、ここはいっそ、アメリカ在住のいとこに有効活用していただこうか、と。

というわけで、さらばポチ。
なんか悲しい。

ちなに送料4000円と少し。


PSG時代のロナウジーニョ

2005-07-28 00:22:45 | サッカーとか、スポーツ一般
リンク: Document sans titre.

あれこれぐぐっていたらこういうサイトを発見。フランスのもので、パリ・サンジェルマン時代のロナウジーニョの名場面を動画で見られる。小さな動画だけど、おもしろいのが結構ある。
Flip Flap(エラスチコのことだよね?)は、ロナウジーニョがやると本当にゴムがついているみたいに帰ってくるから楽しい。最近あんまりやっていないような気もするけど、あれって膝に負担がかかるから、かな。



タイトルは今まで一番いいじゃない、と母が言う

2005-07-27 17:21:04 | 自分の書いたもの
「今ここにいるぼくらは」というのは、母にとってなかなかナイスなタイトルに響いたらしい。悪いことじゃない。
「なかなかよろしい」と褒めてくれたわけだが、実は編集者のI氏がつけたタイトルである。
ぼくはタイトルつけ苦手。今も保育士もののタイトルで悩んでる。

I氏がぼくのテーマが「今ここ」であることを見抜き、提案してくれたのはなかなかありがたかった。
ほんと、興味があるのはいつも「今ここ」なんだ。
実はこれまで書いたすべてのフィクションもノンフィクションも、一見、まったく違ったものに見えたとしても、すべて「今ここ」について書いてきた。

というわけで、「今ここ」と短縮されて呼ばれるようになったりすると、それは自分の全作品に言及されているような感覚も覚えるだろう。

きょうはなんとなく気分で恐竜について書いてみている。もちろん「今ここ」の恐竜の話。



ゴルフの返品

2005-07-27 06:21:18 | きうらきら光ったりするもの
J.M.Westonのゴルフを結局、返品してきた。

これから先、苦痛をがまんしてはき続けても、ぴたっとくるとは限らないし、それ以前に苦痛をがまんして履きならすことじたいおかしなことだ。

というようなことを言ったら、二つ返事で返品はオーケイ。大変丁寧かつ、納得できる対応で、さすが老舗だなあと感じた。

いろいろ雑談。ウェストンのマネジャー自身、日本の靴好きの「痛いのをガマンしてでも履きならすのが靴好きの徴」みたいな風潮はどうよと感じているとのこと。
また、ウエストンでも、かつて大丸が代理店だった頃は、徹底したタイトフィッティング主義を貫いていたものの、最近ではそれではなく「心地よさ」を大事にする方針にかわりつつあることも説明を受けた。

ぼくが返品したのは6Dだったのだけれど、あえて大きめサイズで幅を細くすることでうまくフィットすることもあるとも教えてもらった。たとえは7C。足を通してみたら、たしかに6Dよりも、ずっと楽だし、なおかつ、フィット感もある。でも、こっちに交換してもらったとして、結果としてやはりダメだったりすると、ややこしいことになるので、とりえあずは返品・返金で対処ということに。

いずれ、また機会があったら、ということで。


野口さん、宇宙へ

2005-07-27 00:25:43 | 日々のわざ
とりあえず、無事に宇宙へ。もう一回ドキドキの瞬間があるわけだけど、これで半分はクリア。

コマンダーはアイリーン・コリンズなのね。実はきょうまでちゃんと認識していなかった。アメリカの良妻賢母であり、なおかつ宇宙飛行士、というなんだすごい人なのだ。

でも、気になるのは「事実上の検査基準緩和」というやつだなあ。最近、宇宙ネタはまったくフォローしていないので、なんともいいがたいのだけど、いいんだろうか。
安全よりも「大きなもの」のために、妥協が計られた、みたいな匂いがぷんぷんするのだが。
追記
毛利さんの時のように「日本人初」とか、夢がどうしたとか、そういう文脈では述べられない。テレビの中継でも、新聞の記事でも、宇宙へ日本人が行くのはかなり日常的な行動の延長になったみたいだ。もしも、「初」要素があったとしても、ことさら「初」ネタとして語ることはしないのだろう。

と同時に、宇宙開発のアメリカニズム的なところがことさら目につくのは、やはり9.11以降だからであり、ロケットの打ち上げの瞬間とはそれを誇示する瞬間でもある気がして、僕自身ものめりこめない部分がある。

「今ここにいるぼくらは」が書店に並ぶ(奇しくもバースデイ配本)

2005-07-26 05:41:13 | 自分の書いたもの
imakoko昨日から、首都圏の一部の書店に並んでいるらしい新作。きょうはほぼ全国的に行き渡る予定。
集英社の小説すばるにほぼ一年間にわたって隔月で書いたもので、ぼくの中の位置づけとしては、「川の名前」と一対をなす、川小説です。

「川の名前」の感想で、「自分も、小さい頃川で遊んでいて……」といった「ノスタルジー型」のコメントがたくさんあって、20世紀後半生まれの者たちの間で、ひとつの共通体験として「川」があるのだなあ、とはっきり感じられました。
ならば、今度はぼくたちが生きた川の物語を、今の子供たちに託すのではなくぼくたち自身のものとして語っておきたいという欲望が芽生えたわけです。

まあ、全体としてゆるい構成になっているので、別の読み方もアリ。
どんな読み方をされるのか、例によって興味津々なのだけれど。

書誌データ。
「今ここにいるぼくらは」1785円(税込み)
出版社: 集英社 ; ISBN: 4087747727

ちなみに、本日は、ぼくの誕生日です。
41歳ナリ。
なんか見事にキャリア折り返しみたいな年齢ね。
奇しくもバースデイ配本になったことだし、多くの人に届きますようになどと祈ってみたり。