川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

「我々はなぜ我々だけなのか」の正誤表(臨時)

2017-12-31 22:26:02 | 日記

「我々はなぜ我々だけなのか」の初版の正誤表を出版社のサイトにて作成中です。ただ、年末年始を挟んでですので、公開はお正月休み以降です。

冬休み中に本書を読んでくださってる方も多いと思いますので、この場で、本質的な部分だけ、公開いたします。

 

103ページの図のキャプション

誤)年代が新しい標本群は☓で、古い標本群は○で示してある。

正)年代が新しい標本群はで、古い標本群はで示してある。

 

228 ページの図のキャプション

誤)原始的なジャイアントハイエナ(●)が、新たに侵入してきたブチハイエナ(□)

正)原始的なジャイアントハイエナ(□)が、新たに侵入してきたブチハイエナ(●)

 

熱心に図を見ていただいた方で、「あれ? これは逆?」というふうに疑問を持った方も多いかと思います。まさに、逆にしてしまっておりました。

確認が足りず、すみませんでした。

 

 

 

 

 


「我々はなぜ我々だけなのか──アジアから消えた多様な「人類」たち」について

2017-12-15 08:45:54 | 日記

〈↑窓辺に置いてみました。骨はドードーの嘴のキャストです〉

2013年から取材をはじめていたアジアの原人についての本をやっと上梓できました。
ほっと胸をなでおろしています。今回は国立科学博物館の海部陽介さんとの共同作業です。とても勉強になり、達成感に満ち満ちております。

ぼくにとっては2015年末に、ドイツのマックスプランク宇宙物理研究所の小松英一郎所長と一緒に作った「宇宙の始まり、そして終わり」(日経プレミアシリーズ)に続く、新書判型のノンフィクションであり、「ぼくらのはじまり」について探求する「起源本シリーズ」の第二弾になりました。

さて、本書のウリはなにかというと──
いくつか、類書にない部分があって、おそらくは「●●について詳述したはじめての一般書」という冠がいくつかもらえるはずです。


1)サピエンス以前の多様な人類の知識をアップデートして、アジアの「かつての隣人たち」を描こうとするはじめての一般書であるということ。
2)人類史の中のアジアを、明確に意識して書かれた初めての一般書。

ようするにアジアの多様な人類を詳述した上で、それを人類史の中に組み込んでみるとどんな景色、どんなタイナミズムが見えてくるのか語っています。

これは、21世紀になって分かってきた多くの新たな事実(知られていなかった人類の化石が見つかったりしたこと)を通じて、今、やっと語ることができるようなったであって、「はじめて」は日本でというわけではなくて、世界で、ということです。

もうちょっと具体的に書きますね。

まず前提として、
人類史の探求は、「どこから見るか」によって景色が違います。
ヨーロッパの人は地元でおきたネアンデルタールとクロマニヨンの交替劇に心を奪われがちだし、アメリカの人たちは、アラスカから侵入してきたサピエンスのアメリカ縦断の壮大な物語明らかにしたいと願います。オーストラリアの人は、サピエンスの海洋拡散に関心があるかもしれません。

じゃあ、アジアの人類史はどうかいうと、北京原人だとかジャワ原人だとか、誰もが名前だけは知っているわけじゃないですか。
これらは、ホモ・エレクトスとして、アフリカにいた原人といっしょくたになって100万年にわたって停滞していた連中だと思われてきたわけです。

でも、今世紀になって身長110センチの小型人類フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス、愛称ホビット)が発見されたり、なぜかネアンデルタール人と同じ洞窟を使っていたシベリアのデニソワ人が見つかったり、台湾の海底から「アジア第四の原人」の顎の化石が漁網にかかって引き上げられたり、超弩級の発見がアジアでいくつも起きて、事態は単純ではないと分かってきたわけです。

じゃあ、それらの発見を、地理的にも時代的にも整理して、アジアでどんなダイナミズムがあったのか明らかにするのは、アジアに住むぼくたちの「担当」だよね、というのがひとつ大事なところですね。

そして、その中心にいるのが海部陽介さんです。

今、アジアの人類史について、分かってきている範囲内で特徴がいくつかあります。

ヨーロッパで、サピエンスが古い人(ネアンデルタール)と入れ替わるみたいな「AがBに取って代わった」物語でもないし、アメリカでサピエンスが拡散していく1つの種のグレートジャーニーの物語でもないんです。

もちろんアジアはグレートジャーニーの一部であり、アメリカからみると通過点なんですが、でも、「アフリカを出た人類が、アジアを通った上で、アメリカ南端まで来ました」というのはあまりに単純化されていて、サイドストーリーや「前章」があるわけです。

アジアを語る時には、その前章が大事になって、活躍するのがジャワ原人やフローレス原人や北京原人やデニソワ人です。また、本書の中ではじめて登場するまだ発見されてまもない台湾の澎湖人も新たな別系統の原人集団で、彼らも重要なアクターです。

彼らもアフリカを出て「ジャーニー」してきた人たちなんですよ。もっとも彼らのジャーニーはアジアで多分終わったわけですが、それって、ぼくらアジア人にしてみれば、まさに歴史として語るべきことですよね。アメリカの人たちは「うちには来てくれなかった人類」として関心を持ちにくいかもしれないけれど、ぼくたちは「最初のグレートジャーニー」をはたした人たちに興味津々で語っていいわけです。

アジアでは、サピエンス以前に、原人がおり、それぞれの特殊化をはたし、そこにやってきた旧人が原人と出会い、その後でサピエンスが両方に出会った(かもしれない)というふうな複雑な過程を経るわけです。海部さん自身、サピエンスの拡散の話、日本に来たサピエンスの話については、すでにそれぞれ書いています。でも原人の話はまだだったのですね。

ぼくは、本書を書きながら、本当に胸が熱くなりました。
ややマニアックでありつつも、ちょっと見方を変えると、人類史のきわめて重要なピースであるとすぐにわかります。
こんな素敵なテーマで書くことが許されるのは、本当に書き手冥利につきるなあと。

いずれ、海部さんは、今回のアジアの原人に加えてサピエンスのことまで統合してグランドセオリーを樹立するでしょう。ぼくが、今、このテーマにアクセスできたのは、フィールドで活躍し、アカデミックにも充実していて超多忙な海部さんが、現時点で「書いている余裕がないけれどしかし大事なこと」を書くように託されたとイメージしています。

この本はしばらく「最新」であると思います。そして、やがて、海部さん自身が究極のアップデートを果たす時には、さらに鮮やかな「アジアの人類史」が目の前に浮かび上がるでしょう。

そして書き手としてもぼくにとっては、冒頭にも書いたとおり、これは「起源本」シリーズのひとつです。

「宇宙の起源」「人類の起源」。

 

こういった大きなテーマを、当代一流の研究者と一緒に探求できるのは本当に得難い体験です。とても大変な仕事になるけれどそれだけのことがあります。

次は、「生命の起源」かなんて思ってますが、実現するのは早くて2年後でしょう。
気に入ってくださったみなさん、待っててね!

川端からは以上です!