川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

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EBMという宗教を告発する

2006-09-29 20:54:51 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
Wikipediaを漫然とみていたら、EBMについての項目で、こんな論文がリンクされていた。
BMJに四年ほど前に掲載されたもので、その名もズバリ、「EBMの醜い真実を曝露する」。著者は、「主体的診療の復興をめざす臨床医たち」を名乗る謎のグループ。

これがおもしろい、おもしろい。
そうか、EBMは宗教だったのか。

EBM信者に普及している十戒を曝露したり、EBM cubes なるものを脳内に挿入するために穴を開けられた医学生の頭蓋骨写真が暴露されたり、ベッドサイドで患者にエビデンスに基づいた聖油をほどこすEBM神父の姿が紹介されていたり。
法衣に身を包んだ、EBMドルイドの姿が秀逸。

いや、完全なジョーク論文なんです。
おまけに、EBMの牙城と思われている(そのように論文でも言及される)BMJに、この論文が載るのが愉快。

やはり、ゴリゴリに推し進めると、医師の経験智の部分を抑圧するかもしれないEBMについて「なんとなく」反省する雰囲気が英米医学界にあって、それをジョークとして自戒する、なんとも健全な論文だと思いました。
って、読み方、間違ってますか?


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これがカメムシ?写真追加しました

2006-09-29 08:39:03 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Kameうちの玄関前で死んでいたコウチュウっぽい昆虫。
息子はカメムシじゃないかというのだけれど、さすがに違うだろうと言ったところ……カメムシだった。
びっくりした。
アカスジキンカメムシの終齢幼虫らしい。
本当はこの状態で冬を越すらしいのだけれど、なんかの事情で力尽きて死んでいたってことか。

どことなく、SFチックな造形だ。宇宙船みたい。でも、ちょっとゴキブリぽくもある。もっというと、ルンバディスカバリーにも似てる(笑)。

カメムシ目って、当然だけれどコウチュウ目ではなく、セミなんかか同じ目の中にいる。そういう目でみると、顔つきがセミに似ていなくもない。

それにしても……知らないこと多いなあ。
以前のハナアブの幼虫にしても、コウガイビルにしても、この子にしても、いまだに身近なところで衝撃的な生き物が絶えないというのは、楽しいことではある。

Kame2で、要望に応えて(だれの要望だって?)、写真追加。まずは大きさ。一円玉よりは小さいものの、「そこそこ」だと分かっていただけますでしょうか。テントウムシよりもずっと大きくて、コガネムシよりは小さい。半端なサイズ。

Kame3そして、前からはこんなふう。さすがに、これは「おじさん」ではないでしょう? Kopさん。
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読書の日。でも、アクエリアスが腐ってる……。

2006-09-28 17:28:22 | 日々のわざ
急ぎの原稿もないし、いくつか「待ち」の案件ばかりなので、ひたすら、本やら資料やらを読む。
わりとすぐ飽きるので、いろいろなものを読み散らかす。
房総の歴史やら、和算の話やら、水俣病のことやら、カズオイシグロやら、十五少年漂流記やら……。

きのうS社の人とあって話をして、来年書くであろう連作の構想を練ったりはしているものの、年内は雑誌の仕事はこれくらいでいいやと思ってもいて、のんびり、まったりするつもり。
新しいのを書きたくて仕方なくなるまで、プチ充電期。

もっとも、その間に疫学小説の書き直しをなんとかしようとしているわけで、結局は、日々書いている、というシナリオもアリなのだけれど。

いずれにしても、ニュージランド行きまでは、なんとかゆっくりペースを維持したいぞ。

などと心の中で小さく宣言してみつつ、たまたま八月に開けたまま常温放置していたアクリエアスを飲もうとすると、ツンとさすにような匂い。飲まずに捨てる。やっぱ、こういうものでも腐るって、あるんだな。と妙に感心。

なんて、エントリをアップしたら、日本テレビで記者をやっていた頃に科技庁記者クラブで机を並べていた大手新聞記者さんから、「実はぼくも、喫煙がらみで似た体験を」というメールをもらった。レスをするまもなくお出かけ。とかいいつつ、しっかりこっちは更新したり。

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「駅キレ若者」エントリの反響について。

2006-09-28 06:22:47 | トンデモな人やコト
ざて、一昨日の「駅で若者をキレさせてしまった」エントリ、びっくりするくらい反応があった。
たぶんきのう一日で1万ヒットくらいいったんじゃないかな。
で、コメント欄もそこそこついたし、はてなブックマークやら、トラックバックを通じて、こういった話題について他の人たちがどんな印象、感想、感慨などなどを抱くのか、そのスペクトルがどんなあたりにどう散らばっているのかなんとなく見えた気がする。。
こちらとしても、へえっ、ほうっ、ぐさっ、などと感じつつ興味深く読んだので、以下、概観とコメント。

 支持、あるいは同情の声は、わりと多し。もっとも、コメントをするとところまでいくのにそういうバイアスがかかると思われるので、割り引いて考えた方がいいかも。
 
 馬鹿なやつ、危険だからやめとけ、という類のコメントもちらほら。すみません。その通りだと思います。特に、直接的に心配かけてしまった人々。
 
 正義ぶっていてイヤだ、という系統のコメント。これも仕方ない、これは近年、正義対悪の枠組みになってしまっている喫煙言説の中に、ぼくの言動がすっぽり回収されてしまった格好。個人的には、むしろ、その枠組みを問題にしたいにしても、こういう「読み」は避けがたい。「ニコチアナ」ですら、正義と悪の二元論の物語として読まれる余地があることを知っているので、これは予想の範囲内。いわゆる、想定内ってやつ。

 これよりは、一歩文意を理解してもらって、本当は喫煙をやめてほしい一心なのに、妙に喫煙者に理解のある態度をとっている部分にある種の不自然と偽善を感じるというふうな意見。これはとても鋭くて、ぼくがその場での喫煙をやめてほしいという強い気持が何よりも大きいのは事実。にもかかわらず、相手を悪者にしたくないというのは、それと同じくらい大事なことだと感じているので、常にそのあたりの葛藤はぼくの中にある。その葛藤を維持できなきゃおしまいよ、みたいなところがあって、譲れない。これは、ユーザ登録しないとコメントできない方のブログだったな。たしか。
 
 それ以前の問題で、とにかくこういうのは偽善と感じた人も多い模様。
 それにしても、なんで人はこんなに偽善が嫌いなんだろう。絶対的な善の方が、ぼくはもっと怖い。それに絶対的な悪は、もしあるとしたらすっごく怖い。だから、偽善やら偽悪やらの間でぼく(ら)は生きている。偽善ととられるのは、むしろ喜ばねばならないかもしれない。
 もちろん、このロジックでは偽悪的に取られるもの悪くないのだけれど、ぼくは偽悪者よりも、偽善者と思われる方が、まだ誇りを保てる。
 
 あ、そうだ、ぼくのエントリで偽善について考えた方、「ニコチアナ」なんて読んでみてください。たぶん、潜在的によい読書かもしれません。
 ここで偽善と感じられたものが、どのような思考から生まれてきたのか分かって頂けるかも。ここ宣伝。「ニコチアナ」は、わりと図書館にはありますよ。
 あるいはノンフィクションの「クジラを捕って、考えた」も。たぶん、はてぶなんかにコメントしている人ってぼくよりもずっと若い人が多いと思うのだけれど、同じ年頃にぼくが何をやっていたか書いてあります。その頃から葛藤を殺さずに、飼うことを心がけて参りました。こちらは文庫になっている。
 
 あと、「話しかけるスキル」と書いたことに、ある種の傲慢を感じたというふうなコメントもあったっけ。「マナーをお願いするスキルなど、存在しない」という意見については、ぼくは明確に異論を持っている。人の行動に口をしたり、出されたりする局面は社会生活の中ではたくさんあって、それを円滑にする技術やら、工夫やらは確実にあるから。とはいえ、今回の件で、わかったのは、わりと自信を持っていたはずの「喫煙者に話しかける」が、やっぱり、うまくいかんことがあるんだなあ、ということ。
 ちなみに敷衍しておくと、自信というのは、それなりに根拠があって、ぼくが話しかけたことから、ちゃんと喫煙をその場でやめて、「いやー、やめらんなくてさー」とか、「最近の嫌煙の人たちって……」「それにしても、たばこ税ってやつは……」みたいな会話に至るって、わりと普通にある。でも、そういうふうに「成功」するのが十回に一回くらいだったとして(残りもたいてい喫煙はやめてもらえる)、百回に一回くらい小突かれるとしたら、ことこの件については、分が悪すぎるというのも事実。そういう意味では、おっしゃる通り!ではあるのかも。
  
 それにしても、多くの人が表明していた「こわくて言えない」って、どうなんだろう。
 そんなに「言えない」ばかりで、閉塞感がないだろうか。ここでは(駅では)、こわいから言わないにしても、会社や家庭やPTAでは(笑)、ちゃんと言えているんだろうか。
 ぼくが対話の可能性を信じているのは、たぶんもって生来の性格に加えて、対話した方がよい結果をもたらすという、大小の成功体験があって、それが信念のレベルまでに達しているからだ。
 話しかけること、悪いことじゃないよ。「変な人」だと思われるリスクや、こと喫煙にかんしては今回みたいな「小突かれ」リスクまで、常にあるにしても、果実は大きい。喫煙がらみのことでは、ぼくは「よう勧めんわ」という見解になってしまったけれど、一般論として「話すこと」はブレイクスルーになる。
 
 その上で……こんなんで死ぬな、という批判(?)、ごもっともです。
 ぼくもこういうので死んだりするつもりは毛頭ありません。
 文中にそのようなことを書いたのは、このサガを発展させると、そういう局面に直面しかねない、ということです。
 自己満足?
 はい、その通りです。
 でも、それ、人生の最後の瞬間に自己満足できるなんて、最高かもしれないけど。
 しかしながら、家人に叱られるので、ぜったいにそんな死に方しません。しませんとも!
 
 さらに、かつて、声を掛けてキレられて、言い方が悪かったんじゃないか、言わなかった方がいいんじゃないか、と悩んだ方からのエールもいただく。
 あ、なんか、自分だけじゃなかった、とこれはただ純粋にほっとする。
 
 にもかかわらず、このエントリなどを読んだ「眼鏡君」が連絡をくれるつゆほどの可能性を、実は熱望している自分もいたりします。
 
 最後の最後に。
 なぜ、こんな話題が、一日に一万ヒット近く集めるんだろう。
 ぼくも含めて、この件にコメントしたり、エントリを書いた人たちの気持ちを泡立てたのものはなに? なんかその部分の「なぜ?」の方が面白いって、気がしてきた。
 単に喫煙対嫌煙、という枠組みのお話しだったら、こうなったかな(いや、もっとすごいことになったかも)。
 どっちでしょうね。
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「グーグル・アマゾン化する社会」と「人体 失敗の進化史」

2006-09-27 11:47:51 | ひとが書いたもの
きょうは余裕があるで、最近読んだ新書にコメント。次の二冊。はからずも光文社。

グーグル・アマゾン化する社会グーグル・アマゾン化する社会
価格:¥ 735(税込)
発売日:2006-09-15


人体 失敗の進化史人体 失敗の進化史
価格:¥ 777(税込)
発売日:2006-06-16

まずは、森健さんの方から。
やたら売れた梅田望夫氏の「ウェブ進化論」以来、「ロングテール」なんぞがキーワードになって、こと素人同士の会話でweb2.0がどうしたなんてことも飛び出すようになり……そんな中、若干感じていた違和感に答えてくれた本。

ロングテールは、たぶん、個人的にはありがたい。
たとえばぼくの仕事で、恐竜の頭のようなメガヒットはあまり出そうにない。よくて「首から肩」。悪いと腰まで振れちゃうかも。もちろん、過去作品は尻尾の彼方……。
とはいえ、この時、ロングテールをビジネスに取り込むのに成功しているのって、ぱっと見、アマゾンだけで、儲かっているのかどうか分からないけれど「続いている」対抗馬として、bk1やら楽天書店やらがある程度。

多様性の維持と一極集中がワンセットというのが、なんとも皮肉で、なんでこんなことになるんだろうと思っていた。
森健さんの回答は「スケール・フリーネットワーク」であり、そのこと自体は聴いた瞬間に膝を打つことなのだけれど、現状分析から丁寧に起こして、まわりを固めて展開しているので、ぼくみたいな「ネット使いではあるけれど、ネットウォッチャーではない」者にとっては、ありがたかった。

たぶん、ぼく的クラスター(?)の人にはお勧めできるか、と。

さらに、遠ちゃんこと、遠藤秀紀さんの本。

これは、また例によって、よい本。
遠ちゃんが書くものは、動物の遺体を扱って、数々の感動に満ちている。
今回の本では、生き物が進化の中で、さまざまな器官の設計変更を繰り返してきたことに焦点を当てている。

たとえば、人間(哺乳類)の耳の耳小骨は、祖先の動物の顎関節の一部で、さらにその顎関節は、もっと前を言うと、魚類の鰓弓だった可能性が高いそうだ。つまり、進化史上、呼吸器官→咀嚼器官→感覚器官というふうに転用されてきたわけで、なんとも凄まじい。

ただ、はじめて、遠ちゃんの本に批判的なコメントをするなら、「筆が立ちすぎる」。
この本の場合、「失敗の進化史」というコンセプトがまずあるので、そのコンセプトにストーリーをたえず関連づけつつ議論が進むのだけれど、それがあまりにすんなりすっきり進みすぎて(つまり、筆捌きがすばらしい)、逆に、え? ほとんうにそれだけなの?って気分にさせられた。

遠ちゃんは人間の体を「行き詰まった失敗作」と表現し、実際に語られるエピソードはそれを支持して余りあるのだけれど(どんなところが失敗作なのかは、読んでくださいね)、つい、本気でそう思っている? とも聞きたくなってしまう。
だって、遠ちゃんなら、「失敗の歴史」じゃなく、「進化ってワンダフル」という本だって、同じネタを元にして書けてしまいそうだ。

というわけで、とにかく推奨すべき本ですが、同時に、「パンダの死体はよみがえる」も読んでいない人はぜひ、なのでした。
パンダの死体はよみがえるパンダの死体はよみがえる
価格:¥ 735(税込)
発売日:2005-02-08

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「せちやん」文庫版、そして、動物小説集のタイトルに「ほか」をつけたかったこと

2006-09-27 06:04:08 | 自分の書いたもの
さてさて、昨日はべつに、ああいうこと(笑)ばかりしていたわけではなく……いくつか、報告ごと。

「せちやん」の文庫版は、10月13日配本。講談社文庫。背の色は著者が選ぶ仕組みで、若草色を選択。
装丁は、坂野公一さん。
解説は、松本侑子さん。これは乞うご期待。
何度か言及してきた動物小説集のタイトルが決まって、「星と半月の海」になった。
ちくなみに、これも講談社。小説現代で、時々、書いていたものをまとめるので。

内容は、獣医など動物にかかわる仕事をしている人たちが出てくる短篇集。

みっともないけど本物のペンギン
星と半月の海
ティラノサウルスの名前
世界樹の上から
パンダが街にやってくる
墓の中を生きている

という6編からなる。

本のタイトルは、二番目の短編から来ているのだけれど、じつは、これ、ぼくは「星と半月の海・ほか」とか「星と半月の海他」にしたかったのだ。

イメージとしては、古い短篇集。
たとえば、「マンスフィールド短篇集 幸福・園遊会 他」とか「小林多喜二短篇集 独房・安子 他」みたいなやつ。

「星と半月の海 他」とすると、とても正直なタイトルになるし、おまけにちょっと目立つかも、という色気もあったのだけれどな。ダメでしょうか。

あ、こちらは11月に刊行予定。
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実体験として「切れる」若者をはじめて見た(喫煙がらみです)。あるいは、「携帯は、待て」と知る。

2006-09-26 21:29:59 | トンデモな人やコト
きょうのこと。
京王線の某駅にて、二十代とおぼしき若者を「キレさせて」しまった。
いろいろ考えること、反省することがあったので、書きます。

まず、最初に書いておくと、ぼくはわりと「禁煙の場所での喫煙者」に、「注意を喚起」「やめてくださいとお願い」する人だ。

むかし、それを言ったら傘を突き立てられそうになった事件があったけれど、以来、話しかけのスキルも上達して、トラブルに発展することはまずない。

スタンスはあくまで「ここ禁煙ってご存じですよね」(注意の喚起)、「控えて頂けませんでしょうか」(お願い)の二点。
(追記、ここで「注意の喚起」にあまりに引っかかる人が多いみたいなので、コメント。このまま同じ言葉で言っているわけではないです。禁煙という情報を共有できていると思われる場合、「禁煙ってご存じですよね」って聞かずに済ますことは多いです。でも、実際に「知らない」人はいるのです。例えば首都圏のJRで完全禁煙のところってむしろ少ないし、路線や駅によってローカルルールは違います。禁煙である事実を認識しているのか、なんらかのカタチで確認した方がいい時って、あります。それくらいの意味。いずれにせよ、「禁煙」という情報は共有しとかないと、話は始まらないので、ここに書いてます)

なぜなら、たとえば駅構内でも、禁煙というのは、目下のところ「お願い」マターだと思うから。
だって、駅側も「お願いします」とか「ご協力願います」とか、あくまでお願いの態度でしょう?
もちろん、今は健康増進法ってやつがあるけれど、オープンエアの喫煙で、他の人にどれだけの健康被害があるか分からないし、かりに法を根拠にするにしても、その時、法的な力を行使するのは、ぼくではない。

だから、あくまで、おねがい、なのだ。

で、見かけるたびに、カジュアルに言うことにしているので、たぶんここ数年で百や二百では済まないくらい言い続けた中で、はじめてのトラブル。

若者は金髪、小柄で、眼鏡君。貧相とはいえ、わりと身なりには気をつかっている方……というかんじ。

たばこ吸うのを控えて頂けますか、という発言に対して、タバコをホームの外(路上ですね。当然通行人がいます)に放り投げた上で、いきなり体当たりしてきた。

その後の五、六回、平手で小突かれ、ああだこうだと非難される。

覚えている範囲で……。

☆うるせいな、税金はらってんだよ。もんくあっか。
☆おまえ、リーマンだろ。年収いくらだよ。おれより、税金払ってんなら話きいてやるよ。
☆仕事で疲れてるんだよ。明日金沢に出張なんだよ。ふざけんじゃねえよ。
☆おまえおかしいんじゃないの。おれがもっとヤバい奴だったらどうするわけ。
☆正義漢ぶってんじゃないよ。

駅員が止めに入った後は、たまたまホームに入った電車を蹴飛ばしたり、器物に当たり始める。
さらにその後、ふたたびぼくに張り手。
なんだか、駅員さん、腰砕けだったのだ。
ぼくと眼鏡君の「間」に体を入れようともしない。
それどころか、ぼくが一方的に「やられている」のをみて、「お互いに謝罪して、ことを収めて」などという仲裁をしてくれるくらい。

結局、警察沙汰になることになって、警官が呼ばれたのだけれど(だれが呼んでくれたのだろう)、ぼくはちょいと待てない用事があったので、十分ほど中座してそれをこなして戻ると、「逃げられた」。

駅員いわく、「相手のお客さんは、ついかっとなってしまい申し訳なかった、とくれぐれも伝えてくれるようにとあやまっていた」とのこと。
当然、住所氏名年齢など、わからずじまい。

なんか、張り手され損だったなあ。
あ、結局、警察は一応来ましたよ。
どうしたいか、などと聴かれて、別に実害はないし、捜査してもらうような話ではないから、ただ、そういう事件があったという事実だけをファイルしてもらいたいと伝えた。

というような経緯。

さてさて、これをあえて書いたのって、いくつかの理由があって、なにはともあれ……すごくショックだから。

ことを荒立てずに、お願いするスキルを磨いてきたつもりが、今度ばかりは通用しなかった。なぜだろう。

と後で考えたら、すごく単純な理由に思い当たった。

眼鏡君、携帯で話し中だったのだ。

場合が場合なので、声を掛けたけれど、話し中なら、こっちの言っている「お願いニュアンス」も伝わりにくい。それにくわえて、通話を妨害されて傍若無人に感じられたのだろう。

もちろん、そこから先、暴力に訴えるというのは個人の資質やら、彼がその時に感じていたストレスやら、もろもろのファクターが悪い方向に作用したというふうにしか言えないのだけれど、とにかく、ぼくが「声を掛ける」という基本線は譲らずに、できることといったら、携帯電話が終わるまで待つ、ことくらいだったのかなあ、と思った次第。

なんか、自分のサガが、悲しいような、申し訳ないような(ぼくのことを心配してくれる人に対して)。
対話なきところに未来なし。
もしも、人に殺されることになるなら、最後の言葉は「話せば分かる」でありたいと願っているぼくは、たしかに眼鏡君が言うとおり、「おかしい」のかもしれない。

そうそう、もう一点。
眼鏡君はカジュアルな格好で、ぼくのことをリーマンと言うあたり(ぼくもTシャツにジャケット+ジーンズ)、通常の企業社会での経験に乏しいと思われる。にもかかわらず、十歳以上年上の「リーマン」よりも、高収入を得ているという自負を持っているらしい。
さらに、風体などを勘案して、なんとなく、ある種のIT系だとか、ネットに明るい仕事をしている可能性があるんじゃないかと想像した。別にそうではなくても、ネットを公私にわたって活用するのが当たり前のクラスターである、と。
というわけで、このエントリ、まわりまわって、その眼鏡君の目に触れる可能性がある。

で、もしも、そうなったら、コメントいただけませんか。
ぼくも、あの時、何が起こったのか知りたいです。
別にあなたのこと、「もっとヤバい」奴だなんて、最初から最後まで感じませんでした。
きっと、大雑把にいって「普通」の人なんだろうし、仕事もそこそこやって、私生活も充実しているんでしょう。これは、なんとなくそう思ったレベルだけれど、最初からそう思ってました。さすがに、本当にヤバいと感じるような相手なら、話しかけることすらしなかったと思うし(それくらいの、リスク管理はするのです)。
にもかかわらず、そんなあなたが、キレて、人を小突く、電車を蹴飛ばす、罵詈雑言誹謗中傷を浴びせかけるという行為に出た。
たぶん、ぼくがそういうところに追い込んでしまった。
それって、何だったのか知りたいです。
もしも、駅員が言っていた「かっとなって申し訳なかった」というのが本当なら、ぜひ、対話に応じて下さいな。

以上。

追記
このエントリ、読まれている……。
というわけで、素早く過去のエントリにもリンク。ぼくの喫煙問題についての基本的な立場。
たばこ問題を考え直す(上)
たばこ問題を考え直す(中)
たばこ問題を考え直す(下)

さらに追記。
この事件から三日ほどすぎて、冷静になってみると、このエントリ単体でみると「だから最近の若者は」という、若者叩き言説にそのまま活用されてしまう可能性があると、今更気づいた。
そこで、明記。

書いた本人は、そのような意図はなく、また、この事件の前も後も、とりたてて「若者」が危ないとか、おかしい、とか一般化して考えておりません。
たまたま、この時、出会ったのが「若者」だっただけです。
エントリのタイトルに「切れる若者」という文言を用いたなら、文中でそれに対するフォローも必要だったろうに、そこまで気が回っておりませんでした。
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ブルータスの落ち穂拾い3

2006-09-26 05:07:46 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
 動物園と水族館、展示の違いについて。 とっても雑な議論です。
 起承転結なく、論理的でもなく、話が滑っていきます。それでもよろしければご一読を。
 
 イマージョン的な展示効果を、水族館がわりと容易に達成しやすいことは誌面に書いた通り。

 ただ、これは水族館人が「うちではイマージョンを実現しています」というふうに自ら意識しているというより、「動物園ではイマージョン、イマージョンいってるけど、あれがどうすごいのか分からない」みたいなニュアンスだった。
 
 もちろん、これは技術ドリヴンな特性であって、だから水族館はすごい、というのは違うとぼくもおもうのだけれど、そういうことは別に、とにかくピンとこないというかんじ。
 
 それに、水族館の展示が「景観」としてイマージョンを実現していたとしても、最後のところには超えられない一線がある、ということもかんじる。
 
 イマージョンのエッセンスの一つは、来園者・来館者が、棲息地にいるような気分になってしまえること、だと認識しているのだけれど、水族館では、人間を水の中に浸し込むことはできない。アクリルパネルに隔てられたところに、生息環境そのものがあってそれをワンクッションおいて見ることが前提とされる。
 その上で、来館者は水に囲まれ、お魚とともにある非日常の瞬間を、リラックスして楽しめるというのがキモだろう。
その時、来館者は、「ここが水の中ではない」ということは最初から最後まで知っている。
 
たぶん、これって、動物園でイマージョンをごりごりやりたかった人たちが実現したかったこととは、ずれているのかな、とも思う。まあ、ぼくは「その人たち」ではなかったので、よく分からないのだけれど。
 
 動物園の人って、「同じ空間にいる」ことを重視することが多いように思う。 
 視覚的なものだけでなく、匂いまで伝わってくるような「同じ空間」。同じ空気を吸っているという感覚。
 でも、あたり前だけれど、水族館でそれを強く言う人には出会ったことがない。
 
 もっとも、ある水族館人が、「理論的な危機意識」のようなものを語ったのが印象的だった。
 アクリルパネルの向こうに魚が泳ぐのを見せている商売を水族館はしているけれど、それは、アクリルパネル大の大きな液晶なりプラズマなりの高性能ディスプレイに魚たちを映しだして見せるのとどこが違うのだろう。
 
 これって、たしかに、映像技術がもうちょい発達すれば、現実的な問いかけになってしまう可能性がある。
 
 リアル・ヴァーチャルの対立軸でこれを語るのはナンセンス。リアルだからいいとか、ヴァーチャルけしからん、という話ではない。
 
 生きた魚そのまま展示するのがいいのか、映像で良いのか。あるいは世界のどこかの海をライヴで見せるのがいいのか、とか。映像が充分にリアルになった時に、それらに差はあるのか。
 このことを話し合った水族館人は、水族館は動物園にくらべても、先に「存在意義」を問われる時代がやってくるかも、と感じていた。
 
 これ、あくまでとても粗い議論。というか、議論ですらなく、こういう問題「系」があるという提起。
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古い地域、新しい人たち

2006-09-25 05:07:37 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
R0012377神社の秋祭り。仮面の子どもたちは踊る踊る。
とてもうまい。練習したんだろうなあ。
自分が住んでいる地域の「伝統」を見るのは、ふだんとは違う感慨でもあって、楽しい。
たぶん、こういうお祭りに参加するのって公募されていて、うちの子もこれに参加できたはずなのだ。
どこかで見逃してしまったらしい。
来年は子どもたちに勧めてみようかな。
祭、やってみたらって。

息子の学校のクラスメイトにあったら、彼は「商店街の子」であるらしく、こっそり踊りを練習していた。来年以降、「主役」を狙っているのか。

や、ただそれだけなんですけどね。
あとで書き足します。

で、書き足し部分。

なぜ、お祭りが心に響いたかというと……、昔、自分がガキだった頃、こういう地域のことって「うざい」系統のことだった。
それを、今、わりと豊かなことと捉えている自分がいて、それだけじゃなく、自分の子どもや、クラスメイトが、ポジティヴに捉えていることに驚きを禁じ得ない、というか。

思えば、高度経済成長を担った自分の親の世代って、地域社会を遠ざけようとした人たちでもあって、なんとなく根無し草な価値観が強かった。きっとそれが、子どもであったぼくたちにも伝わっていたのだと今更思うわけですよ。

地域、地域っていいすぎるとうっとおしくなる。
かといって、根無し草はしんどいぞ。
じゃあ、どうするかって、個人的な選択肢は、たぶん、いくつかのところに浅く根を張るってことなんだろうなあ、と思いつつ、目がキラリンとした子どもたちと一緒に御輿を追った夜なのでした。

まあ、結局、なんてことない話で恐縮。


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nikkiって名盤だった

2006-09-24 08:31:18 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
NIKKI(通常盤)NIKKI(通常盤)
価格:¥ 3,045(税込)
発売日:2005-11-23
去年出たCDなのだけれど、いまさら名盤だと気づく。
team rock的なポップさが前面に出たのが吉、ってことか。
Bus To Finsburyから、 Baby I Love Youを経て、Superstar(Album Edit)へと続く、最初のツカミは万全。
とはいえ、くるりの乾いた「洗練された泥臭さ」みたいなものは健在で、そのさじ加減が絶妙なのだ。
なんとなく、はっぴいえんどを想起させる、お祭りわっしょい、もいいし、冬の亡霊、赤い電車、と続く地味目の中盤も効いている。
ブルーハーツ、ビートルズといった、レガシーとの距離感も、思わずニヤリってかんじ。

なんていうのか、知らない間に、大人のバンドになっているのだなあ。
ぼくなんぞが聞いていても、気恥ずかしさがない。
たとえば、 レミオロメンなんて、良い曲でもどこか気恥ずかしいのだ。

というわけで、今更の紹介でした。
iPod nanoによる、「音楽を取り戻せ」プロジェクト、進行中なのでした。
前作、アンテナもよかったけどね……。


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仔猫殺しについてのコメント・追記あり

2006-09-23 07:28:15 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
まずリンクはこちら
坂東さんが、毎日新聞に寄稿した釈明。

なんか今更というかんじもすのだけれど、常々、町での捨て猫問題に関心を持っていた者として、やっぱり読んでしまう。
で、いきなり、追記。
エントリを書いたあとで、検索してみたのだけれど、あまりにもつっこみどころが分かりやすく、問題点は議論されつくされているようだ。
ぼくが書いたことも、たいして新しい観点でもないし、さらにいうと、残念ながら切れ味鋭くもない。
というわけで、あんまり深追いはしません。

ただ一点だけ、付け加えることができるなら、この「仔猫殺し騒動」で大事なことって、たぶん、坂東さんが自覚的にやってきたことを、多くの人たちがカジュアルにやりつづけていることだろうなあ(捨て猫問題のことを言っています)。坂東批判よりも、むしろ、そっちを意識化することの方が重要な気がする。

で、以下、もともとの本文です。

引用。

 ……子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
 

 結局、坂東さんの過ちは単純だ。
 ここで彼女は、自らの飼う猫の福祉を重視する。 と同時に、生まれた直後に殺される猫の福祉は無視する。
つまり、ある猫にとって、生殖能力を奪われて生きる悲劇は、生まれてすぐの仔猫が殺されることの悲劇よりも大きいと価値判断を下していることなる。
 仔猫の命を絶つことと、飼い猫の生殖能力を奪うことのうち、なぜ後者の方が重いのか、という説明がない。
 たぶん、彼女にとって、この重みづけは自明のことなのだろう。
 けれど、多くの人にとっては決して自明ではない。
 
さらに引用
 もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
 他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
 

 というと、「飼いきれないからと仔猫をがけの下に落とす行為」は、ナチスがユダヤ人を生かすに値しないとしてガス室に送り込んだこと比較されてしまう。
 結局、坂東さんは、自分の行為が「管理」であることに、気づきそこなっているのだ。
 
 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
 

 たぶん、誤解はされていない。この場合、事実関係とは、彼女が仔猫殺しをしたかどうかであって、それが法に触れるのであれば告発に値する。それは当然のことだ。なにしろ、そういう法律なのだから。

 その上で、彼女が自説を論じる場所が確保されることを、切に願う。だ、その場合も茨の道だろう。彼女が、仔猫の命を絶つことと、飼い猫の生殖能力を奪うことのうち、なぜ後者の方が重いのか説明できないなら、言論弾圧以前に、誰にも見向きもされない可能性すらある。
 
 できれば、告発に至らず、彼女が新たな作品を生み出す時間を得られますように。彼女の作品を常に「すごい」と感じてきた者として。
 
 しかし、告発され、追い込まれ、なおかつ、サバイバルした彼女が書く、さらに壮絶な小説を読みたいという気持も強い。ぼくは単なる残酷な読者だ。彼女の幸不幸は別に、すごい作品を届けてくれればそれでいい。
 
 たった一つ坂東さんが、将来にわたって、この管理の問題か解放される方法がある。
 それは単に……猫を飼うのをやめる、というとこだ。
 これはまじでそう思う。ぼくは常々、なぜ、人間により動物の利用を問題視するアニマルライツの人たちが「ペット廃止」を叫ばないのか不思議で仕方ない(ぼくは廃止論者、ではないよ。念のため)。

 いずれにしても、飼っている人たちは、程度こそちがえ、常にこの管理の問題に悩まされたり、考えさせられたりすることになる。それは宿命だ。
長年野良猫問題などで、活動してきた人たちにしてみれば、坂東さんの問題提起は、とっくの昔に悩み抜き、考え抜いて通り過ぎたことでもあって、今更この水準で不妊手術批判をされても、噴飯ものだろう。

しかし、考えない奴は常にいて、そういう連中が猫を捨てる。
自分で殺せないから、冬の寒さや飢えや病気に殺してもらう。
そういうやつは、あらためてこの坂東さんの文章を読めって気がする。

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パパ's絵本の安藤哲也さんと会う(そして、PTA改革についてエールをいただく)

2006-09-22 20:55:30 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
明け方、手を入れていたゲラでトラブルが発生し、きのう一日の仕事が「ほぼ」無駄になったことが判明。おまけに娘がぐずぐずで気がかり。でも、たまたま午前十時という、PTA時間みたいなタイミングで、打ち合わせがあって、それでちょっと救われる。
安藤哲也さんといって、パパ's絵本プロジェクト仕掛け人にして、楽天書店の店長でもある方。
人となりについては、 このあたりを。
安藤さんは、いつか、男性が運営に主体的にかかわる「パパによる保育園」のごときものを立ち上げたいと考えているとのこと。そのために、いろいろなアイデアだしの段階。すごく楽しそう。

二児の父親で、その年齢もどんぴしゃ一緒なので、子育て上の生活体験がとても似ている。
ただ、安藤さんは文京区の保育園でアスベスト被曝事件があった時の被害者でもあって、七年間にわたって区を相手取った裁判をたたかったというような、大変な思いもしてきたとのことで、教育委員会との付き合い方など、一日の長がある。

ぼくたちがやることで、教育委員会の手柄にしてもらえるようなポジティヴなことをやりたいなんて言うと、それを受け入れてくれるだけの度量とやる気のある人に巡り会えるかどうかがポイント、とのこと。
十中八九、あの人たち、やる気ないです、って。
いやあ、そうなのか。
だとしても、十中の一を、二か三くらいに引き上げる手はないものかと思案中。
もともとやる気のある人に巡り会えれば問題ないのだけれど、予備軍をいかに引き込めるか。

PTA改革についても、安藤さんは、イケイケgogo!だ。
彼自身は、やろうと思っていたら、たまたま区内の小学校の統廃合問題が起こってしまい、自発的にPTAが活性化した、ということで、PTA改革にはコミットしなかった。でも、うちの現状をはなすと、そりゃあ、ぼくなら今すぐやりますね、ってな回答。

今のうちの学校って、なんとなく風通しが悪く、ぼくの「仲間」たちは、「タイミングを待ってやるべき」という人が多い。
でも、ぼくのタイミングは、実は自分のタイミングでしかない。
来年から三年間、娘と息子が同じ小学校にいる。
その時にやるしかないでしょう。

かりにタイミングが合わず、潰れることになっても、その時は、別のタイミングで二列目から誰かが飛び出してくれればいい。
それに早めに一度目のトライをしておくと、セカンドチャンスもあるんだよね。
というのがぼくの考え。
というわけで、やります。やらせてもらえたら。

あ、安藤さんの本の紹介。

絵本であそぼ!―子どもにウケるお話し大作戦絵本であそぼ!―子どもにウケるお話し大作戦
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2005-03


読み聞かせ系の本だけれど、今、全国的にブームになっているらしい読み聞かせ活動の中で、なんか違うなあって感じている現場の人などに役立つと思います。
ぼくもさっそく、推薦の絵本などを取り寄せてみようか、と。
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戦闘少女のこと

2006-09-22 05:59:47 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
娘ネタをもう一点。
娘(六歳)は、プリキュアが好きで、ビデオ屋さんに行くと、セーラームーンを借りたがる。
いわば、戦闘少女ものがかなり好き。
なぜかと問うと、かわいいから、と答える。

かわいい、だけなら、別に「ふたご姫」とか「おじゃ魔女ドレミ」とかでもいいじゃないかと思うのだが、そうならない。好きは好きでも、プリキュアやらセーラームーンには負けるらしい。

なぜなのか。

こういう戦闘少女ものって、もともとは戦闘少年もの(?)やらなんやらの基本的フォーマットに、「女の子」を鋳こんだような印象がある。
でも、目の前の女の子が、きっちりはまっているのを見ると、なんともいえない。

いったいなんなんでしょうね。

と言いつつ、今年、というか今季最初の風邪をひいた。
喉が痛い。
あ、ぼくがです。
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いっぱい泣きましょうキャンペーン

2006-09-21 18:06:06 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
娘が久々に電池切れ。
保育園で、バイバイの時によく泣いていたのは五才児クラスの前半だから、もう一年以上前のこと。
でも、この数日、悪いと号泣、よくても堪え泣き。
家に帰ってきてからも、なんとなく不安定でよくぐずぐずになる。

ずいぶん長い間、元気ガールだったものなあ。
こういう時期もあるもんだと思いつつ、やはり、保育士さんからの大らかなコメントは心に響く。
だいたいこういう時のノートのやりとりって、保育士さん側も、マニュアルがあるとはいわずとも、だいたい書くことは決まっているわけだけれど、やはり、ありがたいものはありがたいのだ。

というわけで、しばらくは泣きたい時にいっぱい泣いてもらいましょうって気分で、親もいるべし、ですな。
早く保育園に迎えに来てもらいたがるので、応じられる範囲で応じつつ、充電完了を待つしかなさそうです。
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獣の数字

2006-09-21 06:20:27 | Macだし、親指シフトだし
我が親指シフトキーボードの調子が悪い。
けさは、いきなり666だ。
というか、もともとADB仕様のものを、imateを介してさしているので、ある程度の不調は覚悟の上。
時々、認識してもらえなくなると、USBのコネクタを抜き差しする。
たいていはそれでなおる。

でも、時々、というか、しばしば、抜き差してキーボードか認識された瞬間に、ある特定のキーがひたすらリピートされてしまうことがあって、これが困ったもの。

きょうは、

66666666666666666666666666666666

と延々と続いたわけなのだした。
これって、獣の数字、とか言われます?
オーメンなんかにも出てきた。

それとも、666って、みっつ並びじゃなければ、問題なし、なのかしらん。

いずれにしても、キリスト者じゃなくてよかった、と思ったり。

さ、きょうは久々に、PTAでガッコに行く日。
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