近い将来、遅くとも、8月の中旬、日Pの全国研究大会(@千葉)の前に、「新しい公共+地域社会+PTA」の三題噺で、シンポジウムを開こうと思う。
内諾を得ている得ている演者は、寺脇研さん、岸裕司さん、など。もちろん、日程調整は必要なわけだが……。
今、考えているのは……。
都内での開催。日程は8月中旬まで。
それほど大きなハコでなくてもよいので、USTREAM中継などを視野に入れた展開。
現役PTA会員だけでなく、未就学者の保護者や学生にもアピールしたい。
といったところ。
イメージだけ書いていても仕方ないので、もう少ししっかりした企画書は急いで書きます。
その上で、予備的にスタッフ募集。一緒にやってくださる方いませんか。もちろん、どこかの団体が引き受け手になってくれる可能性もあるので、その場合は、そっちに乗っかってしまうと思いますが。
ちなみに、カワバタはこの手のことのノウハウはゼロ。
*********
さて、なんでこんなことになったかというと……土曜日に、東大五月祭のイベントで、寺脇研さんや岸裕司さんらが登壇するのを聞いて、足を運んだ。直接の目的は寺脇さんとの意見交換。
「新しい公共」の円卓会議で、PTAでの扱いに不安を覚えており、それについて意見交換したかったわけ。
ちなみに、円卓会議の「宣言」はここで読める。
http://www5.cao.go.jp/entaku/shiryou/22n7kai/pdf/100514_01.pdf
そして、その中にこのような文面が。
◇PTAの活性化によるコミュニティ・スクールへの道
PTAを活性化するため、役員の過重な事務負担をサポートする NPOを設置するか既存の地域組織に委託する。行政が委託事業予算や教育一括給付金から予算を支援し、行政の監査委員会を設置してガバナンスをチェックする。PTAに誰も参加しやすくなり、結果として保護者世代の社会参画が促進され、地域社会の担い手が育成される。また、全国の公立学校をコミュニティ・スクールへと発展させていく。
この文面が、ぼくにはとても微妙に響くわけ。
コミュニティスクールへ至るために、PTAを活性化しなければならない、と。
役員の負担をサポートするために、NPOを設置というのは、具体的にどういうイメージなのか。
かりにそれがうまく働いたとしても、今の「PTAは義務」という風潮の中では、「新しい公共」は花開かないのは明らかで、「旧来のきつーい公共」の上に、新しい外装をかぶせるだけになっしまうのかもしれない、と懸念する。
だからこそ、PTAをコミュニティスクール化への鍵と位置づけるなら、今のPTAを本当の意味でのボランティアとして再構成するプログラムが必要だし、旧来のPTA階層構造の中で、クィーンやキングとして地域に君臨するような人達が、「既存の地域組織」として負の側面(現役保護者が地域の嫁になる現象)をふせぐようなセーフガードも必要なんじゃないか、と。
そのあたり、円卓会議ではどんなふうに想定しているのか、というのは知りたいし、ぼくやぼくのPTA問題仲間が認識しているようなPTA悲劇続発体質と「新しい公共」は、正反対の方を向いているんじゃないか、という指摘もして、ぽくなりの「新しい公共にふさわしいPTA」へのプログラムも示したい、というイメージ。
まあ、企画書書きます。
書かないと前に進まず、だね。
内諾を得ている得ている演者は、寺脇研さん、岸裕司さん、など。もちろん、日程調整は必要なわけだが……。
今、考えているのは……。
都内での開催。日程は8月中旬まで。
それほど大きなハコでなくてもよいので、USTREAM中継などを視野に入れた展開。
現役PTA会員だけでなく、未就学者の保護者や学生にもアピールしたい。
といったところ。
イメージだけ書いていても仕方ないので、もう少ししっかりした企画書は急いで書きます。
その上で、予備的にスタッフ募集。一緒にやってくださる方いませんか。もちろん、どこかの団体が引き受け手になってくれる可能性もあるので、その場合は、そっちに乗っかってしまうと思いますが。
ちなみに、カワバタはこの手のことのノウハウはゼロ。
*********
さて、なんでこんなことになったかというと……土曜日に、東大五月祭のイベントで、寺脇研さんや岸裕司さんらが登壇するのを聞いて、足を運んだ。直接の目的は寺脇さんとの意見交換。
「新しい公共」の円卓会議で、PTAでの扱いに不安を覚えており、それについて意見交換したかったわけ。
ちなみに、円卓会議の「宣言」はここで読める。
http://www5.cao.go.jp/entaku/shiryou/22n7kai/pdf/100514_01.pdf
そして、その中にこのような文面が。
◇PTAの活性化によるコミュニティ・スクールへの道
PTAを活性化するため、役員の過重な事務負担をサポートする NPOを設置するか既存の地域組織に委託する。行政が委託事業予算や教育一括給付金から予算を支援し、行政の監査委員会を設置してガバナンスをチェックする。PTAに誰も参加しやすくなり、結果として保護者世代の社会参画が促進され、地域社会の担い手が育成される。また、全国の公立学校をコミュニティ・スクールへと発展させていく。
この文面が、ぼくにはとても微妙に響くわけ。
コミュニティスクールへ至るために、PTAを活性化しなければならない、と。
役員の負担をサポートするために、NPOを設置というのは、具体的にどういうイメージなのか。
かりにそれがうまく働いたとしても、今の「PTAは義務」という風潮の中では、「新しい公共」は花開かないのは明らかで、「旧来のきつーい公共」の上に、新しい外装をかぶせるだけになっしまうのかもしれない、と懸念する。
だからこそ、PTAをコミュニティスクール化への鍵と位置づけるなら、今のPTAを本当の意味でのボランティアとして再構成するプログラムが必要だし、旧来のPTA階層構造の中で、クィーンやキングとして地域に君臨するような人達が、「既存の地域組織」として負の側面(現役保護者が地域の嫁になる現象)をふせぐようなセーフガードも必要なんじゃないか、と。
そのあたり、円卓会議ではどんなふうに想定しているのか、というのは知りたいし、ぼくやぼくのPTA問題仲間が認識しているようなPTA悲劇続発体質と「新しい公共」は、正反対の方を向いているんじゃないか、という指摘もして、ぽくなりの「新しい公共にふさわしいPTA」へのプログラムも示したい、というイメージ。
まあ、企画書書きます。
書かないと前に進まず、だね。