先日、ロケットのジャンク屋であるノートンセールスを訪ねて、記事を書いた。
なかなか好評で、その日の日経ビジネスオンラインでは終日、トップを張っていた。
新年のネタが薄くなる時期とはいえ。
写真は、その絶好調時(?)のキャプチャー画像。
そして、元記事のリンクはこちらから。
このジャンク屋はなかなか自分にとって感慨深いところで、その理由は、ロバート・トゥルーアクス氏と野田昌宏氏、だ。
自分が知った時系列的には、故・野田昌宏氏が先。
テレビ局に勤めていた1990年前後、当時、日本テレワーク社長だった野田さんを訪ねた。
野田さんは、「SFの人」よりも、むしろ「テレビの同業者」として出会ったのだった。もちろん、大元帥としての野田さんのことは知っていたし、読んでいたし、遠巻きに見たこともあった。
でも、直接、言葉を交わしたのは「同業者」としてだった。
毛利衛さんが宇宙へ行く直前の時期、テレビ局のニュースでも扱うため、カメラマンやビデオエンジニアを連れて、NASAの各センターへ、下見&リポートの出張に行く機会があり、当時、NASAといえば野田さんだったため、人づてにご紹介いただき、いろいろ相談に乗っていただいた、そんな経緯。
野田さんは、「いいなあ、いいなあ、おれに行きたいなあ」と言いつつ、情報を出し惜しみすることなく、「ここみてくるといい」「ここ自分は見られなかったか、見たら教えて」というふうにいろいろ助言をくれた。
そして、その時に野田さんがくれたNASAのムック(野田さん編)で、ぼくはロバート・トゥルーアクス氏のことを知ってしまったのだ。
個人で有人ロケットの開発業者?
裏庭のロケッティア?
とにかく、払い下げの小型ロケットエンジンを使って小型ロケットを開発。サブオービタル飛行を請け負うという、最近ではよく聞くビジネスを80年代後半にすでに構想し、ロケット開発していた、という。
ロケットって、自分でつくっちゃっていいんだ。
そういう新鮮な驚きがあって、それがのちのち、「夏のロケット」を書くモチベーションのひとつになった。
そういう意味で、野田さんも、トゥルーアクス氏も、「夏のロケット」の親みたいなもの。
ほかには、ロシアにも親がいるけど。
そして、めぐりめぐってロケットのジャンク屋。
ここは、今は亡きトゥルーアックス氏が、日々、いりびたったところなのである。
現店主のカルロスとも彼の話でもりあがった。
「ミスター・トゥルーアクス、もう閉店時間から30分過ぎましたよ」
「ミスター・トゥルーアクス、奥さんが家で心配していますよ」
などといって、注意喚起しないと、夜中まで倉庫に籠もって部品を探していたという。
とてもお茶目なおじいさんだったそうだ。
そんなわけで、ロケットのジャンク屋にいる間、なんかゆるーいかんじで、懐かしいような切ないような気分にとらわれた。
野田さんや会ったことがないトゥルーアクス氏の思い出と微妙にかさなりあって、胸にしんしん響いた。
なかなか好評で、その日の日経ビジネスオンラインでは終日、トップを張っていた。
新年のネタが薄くなる時期とはいえ。
写真は、その絶好調時(?)のキャプチャー画像。
そして、元記事のリンクはこちらから。
このジャンク屋はなかなか自分にとって感慨深いところで、その理由は、ロバート・トゥルーアクス氏と野田昌宏氏、だ。
自分が知った時系列的には、故・野田昌宏氏が先。
テレビ局に勤めていた1990年前後、当時、日本テレワーク社長だった野田さんを訪ねた。
野田さんは、「SFの人」よりも、むしろ「テレビの同業者」として出会ったのだった。もちろん、大元帥としての野田さんのことは知っていたし、読んでいたし、遠巻きに見たこともあった。
でも、直接、言葉を交わしたのは「同業者」としてだった。
毛利衛さんが宇宙へ行く直前の時期、テレビ局のニュースでも扱うため、カメラマンやビデオエンジニアを連れて、NASAの各センターへ、下見&リポートの出張に行く機会があり、当時、NASAといえば野田さんだったため、人づてにご紹介いただき、いろいろ相談に乗っていただいた、そんな経緯。
野田さんは、「いいなあ、いいなあ、おれに行きたいなあ」と言いつつ、情報を出し惜しみすることなく、「ここみてくるといい」「ここ自分は見られなかったか、見たら教えて」というふうにいろいろ助言をくれた。
そして、その時に野田さんがくれたNASAのムック(野田さん編)で、ぼくはロバート・トゥルーアクス氏のことを知ってしまったのだ。
個人で有人ロケットの開発業者?
裏庭のロケッティア?
とにかく、払い下げの小型ロケットエンジンを使って小型ロケットを開発。サブオービタル飛行を請け負うという、最近ではよく聞くビジネスを80年代後半にすでに構想し、ロケット開発していた、という。
ロケットって、自分でつくっちゃっていいんだ。
そういう新鮮な驚きがあって、それがのちのち、「夏のロケット」を書くモチベーションのひとつになった。
そういう意味で、野田さんも、トゥルーアクス氏も、「夏のロケット」の親みたいなもの。
ほかには、ロシアにも親がいるけど。
そして、めぐりめぐってロケットのジャンク屋。
ここは、今は亡きトゥルーアックス氏が、日々、いりびたったところなのである。
現店主のカルロスとも彼の話でもりあがった。
「ミスター・トゥルーアクス、もう閉店時間から30分過ぎましたよ」
「ミスター・トゥルーアクス、奥さんが家で心配していますよ」
などといって、注意喚起しないと、夜中まで倉庫に籠もって部品を探していたという。
とてもお茶目なおじいさんだったそうだ。
そんなわけで、ロケットのジャンク屋にいる間、なんかゆるーいかんじで、懐かしいような切ないような気分にとらわれた。
野田さんや会ったことがないトゥルーアクス氏の思い出と微妙にかさなりあって、胸にしんしん響いた。