遠く南半球に身を置きつつ、時々、ふと思い出すジャポンですが、役員選出なるものがPTAで始まりつつあるという話を友人に聞く春なのでした。
というわけで、PTAってなんでこんなんなの?というふうな人たちに、あらためて、また、しつこく、お伝えします。
こういう本を出しました。
一緒に、ジャポンのPTA、変えませんか?
もっというと、ニッポンの、息の詰まるような教育風土を風通しよくしませんか。
と、なんだか、つよく思った土曜日でした。
というわけで、PTAってなんでこんなんなの?というふうな人たちに、あらためて、また、しつこく、お伝えします。
PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ) 価格:¥ 819(税込) 発売日:2008-10 |
こういう本を出しました。
一緒に、ジャポンのPTA、変えませんか?
もっというと、ニッポンの、息の詰まるような教育風土を風通しよくしませんか。
と、なんだか、つよく思った土曜日でした。
高学年の子の中でやる気のある子が組織するスチューデント・カウンシルというのがある。
いわば、生徒会。
日本の中学生相当の年齢の子がいるわけだから、そのような組織があるのは不思議ではない。
で、活動はなかなか活発。
ミーティングは授業を抜け出してささっとやっているようで、こんなイベント(昼休み開催、一週間ぶっ通し)も企画する。
先日のショーケースイブニングでは、会長と副会長が立派なスピーチを披露していた。
その会長、実は息子と同じクラスの優等生君だった。
いやみがなく、さりげなく優秀な子。お父さんはボードのメンバーで、お母さんは地域側として学校をサポートするファンドレイジング・コミッティのメンバーだというのも、すごくできすぎなような……。
いわば、生徒会。
日本の中学生相当の年齢の子がいるわけだから、そのような組織があるのは不思議ではない。
で、活動はなかなか活発。
ミーティングは授業を抜け出してささっとやっているようで、こんなイベント(昼休み開催、一週間ぶっ通し)も企画する。
先日のショーケースイブニングでは、会長と副会長が立派なスピーチを披露していた。
その会長、実は息子と同じクラスの優等生君だった。
いやみがなく、さりげなく優秀な子。お父さんはボードのメンバーで、お母さんは地域側として学校をサポートするファンドレイジング・コミッティのメンバーだというのも、すごくできすぎなような……。
ショーケースイブニングと称して、校長から学校から1時間程度のプレゼンテーションを保護者に対して行う。未来を学校とは、というのがテーマ。
最初、マオリのことを勉強している「ハカパカグループ」が、ダンスと歌を披露するところから始まる。これが、どうもお約束みたいだ。
校長は今学期に就任したばかり。
学期途中に就任というのがおもしろいが、たまにあるそうだ。
keynoteとしては、現在が変化の早い時代であり、子どもたちが生きる21世紀の世界で、社会に参画して、貢献できるための教育とはどういうものか探求しなければならない、というふうなことを述べる。
そして、未来をめざすためには、今どこにいるのかを見極めるべき、という話になる。
保護者、地域、スタッフへのアンケートから、キーワードを拾ってきて、この学校で大事にされてきたもの、大事にしていくべきものを、ピックアップする。
Respectだとか、communicationだとか、頻度が高かったものほど大きな字。
三者の中で、Respectは一貫して大きな字で示されていた。
つづいて、子どもたちのインタビューも。これはうける。
そして、学校がすでに達成しているものとして、様々な分野が挙げられ、そのうちの一つのアートパフォーマンスとして、choirやオーケストラの演奏を紹介する。
集会所はすごい動員で、夜6時半からなのによくも集まるなあと感心していたら、つまり、子どもがでるから、というのが大きいのだった。
ふたたび校長の話。
では、どんな変化が未来に待っているのか。
まず、校舎の改修について。
けれど、これは物質的な面であって、もっと教育上本質的な問題として、ICT PDにとりくむという。
インターネット回線のアップグレードも含めて、情報インフラと、教員の情報教育能力アップに取り組み、将来的にはeLearning的な、児童の進度管理を行えるようにしていくという。
ICT PDについはて、日本語で読める。
http://202.8.6.239/berd/center/open/berd/backnumber/2008_14/ren_takahashi_02.html
英語なら、こちら。
http://www.tki.org.nz/r/ict/pedagogy/schools_new/index_e.php
すでにこの動きは1999年にはじまっていて、2010-2012に向けて参加するうちの学校はちょっと遅れていたのだろうか。
Wel come to our future と校長はプレゼンを終える。
しかし、にぎにぎしい夜だった。
内容の深みはともかく、校長がpresentationがうまいというのはいいな。
最初、マオリのことを勉強している「ハカパカグループ」が、ダンスと歌を披露するところから始まる。これが、どうもお約束みたいだ。
校長は今学期に就任したばかり。
学期途中に就任というのがおもしろいが、たまにあるそうだ。
keynoteとしては、現在が変化の早い時代であり、子どもたちが生きる21世紀の世界で、社会に参画して、貢献できるための教育とはどういうものか探求しなければならない、というふうなことを述べる。
そして、未来をめざすためには、今どこにいるのかを見極めるべき、という話になる。
保護者、地域、スタッフへのアンケートから、キーワードを拾ってきて、この学校で大事にされてきたもの、大事にしていくべきものを、ピックアップする。
Respectだとか、communicationだとか、頻度が高かったものほど大きな字。
三者の中で、Respectは一貫して大きな字で示されていた。
つづいて、子どもたちのインタビューも。これはうける。
そして、学校がすでに達成しているものとして、様々な分野が挙げられ、そのうちの一つのアートパフォーマンスとして、choirやオーケストラの演奏を紹介する。
集会所はすごい動員で、夜6時半からなのによくも集まるなあと感心していたら、つまり、子どもがでるから、というのが大きいのだった。
ふたたび校長の話。
では、どんな変化が未来に待っているのか。
まず、校舎の改修について。
けれど、これは物質的な面であって、もっと教育上本質的な問題として、ICT PDにとりくむという。
インターネット回線のアップグレードも含めて、情報インフラと、教員の情報教育能力アップに取り組み、将来的にはeLearning的な、児童の進度管理を行えるようにしていくという。
ICT PDについはて、日本語で読める。
http://202.8.6.239/berd/center/open/berd/backnumber/2008_14/ren_takahashi_02.html
英語なら、こちら。
http://www.tki.org.nz/r/ict/pedagogy/schools_new/index_e.php
すでにこの動きは1999年にはじまっていて、2010-2012に向けて参加するうちの学校はちょっと遅れていたのだろうか。
Wel come to our future と校長はプレゼンを終える。
しかし、にぎにぎしい夜だった。
内容の深みはともかく、校長がpresentationがうまいというのはいいな。
おかしな科学―みんながはまる、いい話コワい話 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:2009-07 |
マイナスイオンやら、ゲーム脳やら、水からの伝言やら、血液型性格判定などに、心痛めたことがある人なら、かゆいところに手が届く内容になっています。
と同時に、こういう肩肘張らない本は、「とことん信じちゃっている人」には効果がないかもしれないけれど、カジュアルビリーバーな人たちには、案外、説得的なんじゃないかと想像するので、身の回りで、「六さん」(本書の研究員の一人)的な人がいたらじゃんじゃん読んでもらいましょう。
ちなみに、これ、今、ニュージーランドで日本語に飢えている息子が先に読みました。
それでこの本をテキストに、血液型正確性格判定のどこがいかんのか、渾々と諭してしまいました。
実際のところ、性格との関連はほとんど分かっていない。
もちろん、多少、関連かある可能性はあるけれど、これまでの経緯を考えれば、とうてい、「B型だからあなたはこう」と一刀両断に言えるほどの強い結果は出てこない。
むしろ、B型が1万人いれば、「こういう傾向の人がA型よりもちょっとばかり多い」程度の違いとして検出される程度であろう。
だから、B型だからこう、とか決めつけると、それは簡単に差別にもつながる。
それは、日本人だからこう、外国人は信用ならないとか、そういうくくりで物事を見るのととってもつながっている。
云々。
てなわけで、非常にリクツをこねてしまったわけですが。本当によいテキストになりました。
あと、あれだ。
波動の項目のところで繰り返し出てきた波動コンドームの件。
息子が、コンドームとなんぞやと疑問に思っているので、やっとこさ、こういうことを彼に語る機会を得ましたね。
人間も生殖をするわけだけれど、じゃあ、性器というのはどれとどれなのか。
セックスは生殖のために行うものだけれど、人間の場合別に生殖のためではなく、感情的なつながりとか、キモチイイとか、そういう理由ですることも多く、そのため、今、赤ちゃんできると困るときには避妊ってやつをしなければならない……うんぬん。
これは長年の懸案だったので、言えてよかったです。
ほうっておいても、きっとそのうち知ったのだろうけれど、基本的なことは親か子へってのが「正しい」家庭教育なのでは、と思っていたが故。
追記
後で思ったのだけれど、「正しい」家庭教育というのは、なんか違和感があるな。
いかに括弧つきとはいえ、なにが正しいのかわからないし。
もともと、こういうテーマって、いわゆる「ななめの関係」のおじさんなんかが教えてくれたことなのかもしれない。
親が教える必然性というのは、別にそれほど高くないかも。
単に、聞かれたら、きちんと答えたいよなあ、というレベルでの話かもしれないと、今にして思うのでした。