川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

「バギー」の見本が来た

2008-07-29 22:26:04 | 自分の書いたもの
R0018358_2「みんな一緒にバギーに乗って」の見本が来た。光文社文庫から、8月7日前後に配本。ぼくは北京に行っている時期だけれど。
解説は日本テレビでの元同僚、永井美奈子さん。なかなかレアなエピソードも織り交ぜつつ、素敵な文章を書いてくださいました。
ちなみに、「ハチオオカミ」を表紙に使おうと思っていたのだけれど、結果的にこの装丁になりました。



地図の会社の水族館本

2008-07-27 20:56:23 | ひとが書いたもの
日本全国海の友達に会いに行こう! (なるほどkids わくわく!水族館・動物園探検 Part)日本全国海の友達に会いに行こう! (なるほどkids わくわく!水族館・動物園探検 Part)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2008-03
しのぶんよりご恵贈。昭文社といえば地図のイメージだけど、これもなんとなく地図的なつくり。全国水族館マップがあるということより、網羅的なところが。
しのぶんは、イラストとかなり文も書いているのね。
ペンギンが妙にキュートなんですが……。
さっそく子どもに読ませ中。

水族館つながりで……。
あと、モーニング2がすごいことになっている。
号をあげてのペンギン特集。これ、漫画誌なのか??
「天才柳沢教授、ペンギンの生活にお邪魔」(タイトルは不確か)みたいな企画では、長崎ペンギン水族館に柳沢教授が突撃取材しちゃうし……。


ジャイアントセコイアを見た話

2008-07-25 21:21:12 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
これは、2004年だったか2005年に息子とジャイアントセコイア国立公園にいった時の話。長くて読みにくいですが。

言及される本はせいぜいこれくらはい。

はじめてのシエラの夏 (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)
価格:¥ 1,631(税込)
発売日:1993-08

 世界樹にむせかえる旅(初出・野生時代)
 
 セコイア国立公園とキングスキャニオン国立公園を訪ねたのは、ジャイアントセコイアを見るためだ。地上のあらゆる樹木の中でも際だって巨大で、「地上最大の生物」とさえ言われる樹種。アメリカ・カリフォルニア州であり、また標高もそれほど高くはないから、旅行としてはお手軽なもので、小学校二年生の息子も一緒につれていくことにした。
 
 なぜ巨木かというと……どうもぼくはマニアとはいわずとも、巨木好きの気があるようだ。二十代後半から三十代前半にかけて、やたら旅をしては生き物関係の取材をしていた時期、「巨木」は隠れテーマとして組み込まれていた。
 
 大きな樹種があると知るとふらりと出かけ、たたずまいを確認し、許されれば幹に触れて、耳をつけたり、ごろんと横になって見上げてみたり、へえっ、とか、ほうっとか、声を漏らして帰ってくる。ただそれだけのこと。
 
 日本では当然のごとく、屋久杉を見にいったことがある。九州で仕事があった後の土日、東京に戻らずそのまま屋久島に入り有名な縄文杉まで上った。折しも雪が積もっていて、最後は腰までの雪をかき分けて到達した。そこまでしたからというわけではなく、縄文杉はやはり素晴らしいたたずまいだった。雪のおかげで根を踏みつける心配をせず幹まで近づけたのもよかった。横になって見上げた枝っぷりときたら!
 
 海外で心に残っているのはマダガスカルのバオバブ、ニュージーランドのカウリと、西オーストラリアのカリー、といったあたり。バオバブはまさに星の王子様に登場するあのバオバブだし、カウリはずんぐりした樹型が独特で神秘的だった。カリーの自然木に鉄杭を打ち付けてつくった地上六十五メートルの火の見櫓に早朝一人きりで登った時の爽快感は、鉄杭の冷たさに手が痺れてこのまま落ちて死んでしまうんじゃないだろうかというドキドキとともに今も鮮明に覚えている。
 
 つまり、ジャイアントセコイアを見にいくのはぼくにとっては既定のことではあった。問題は、いつ、ということだけで、それが様々な巡り合わせによって「今」なのだった。

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 シンガポール航空で、現地の午後二時すぎにロスアンジェルスに入る。空港から近い従姉の家に向かい、その日はそのまま泊。従姉はもう17年ほどロスアンジェルスに住んでおり、一年半前、ぼくと息子が南米のフォークランドに行く際、一泊して以来の再会だ。あれからの最大のトピックといえば、市民権を取ったことだという。だから従姉は、今は日本人ではなくアメリカ人である。
 
 ニュースではしきりとハリケーン・カトリーナの被害について伝えている。ブッシュ政権の対応の遅れについて、議会【コングレス】から追及の声があがり、憤ったアフリカンアメリカンが「差別だ」と述べ立てている。
 
 翌朝、国立公園に向けて出発。まだジャイアントセコイアを見たことがない従姉と、その六歳の娘と母(つまりぼくの伯母)の母子三世代も参加して、総勢五人の旅となる。ひたすらハイウェイを北上してかつて製材業でさかえたフレズノから東へと方向を変える。ここから先は「下の道」をひたすら走り、出発からだいたい六時間くらいでキングスキャニオン国立公園に到着。
 
 セコイア国立公園とキングスキャニオン国立公園は、ロッキー山脈よりもひとつ外側(海岸側)を南北に貫く海岸山脈シエラネバダ南部の一角にある実質上ひとつの国立公園だ。入場料も共通。同じシエラネバダで有名なヨセミテ国立公園に比べると標高が低い。そのため「入門編シエラ」というかんじもしないでもないのだが、巨木ジャイアントセコイアを数多く見ることができるのはここだけなのであって、やはり巨木好きにとっては聖地だといえる。
 
 国立公園内のグラント・グローヴという拠点に「テントキャビン」(壁はログ、天上はテント)を借りた。息子と従姉の娘は、さっそく周囲に転がっている巨大マツボックリに夢中になる。長さが三十から四十センチ、下手をすると五十センチ級のものまである。それらをあちこちから集めてきて、組み上げて山にしたり、崩したり、飽きもせずにやっている。
 
 ぼくはぼくで、子どもたちの遊びに参加はするものの、すぐに鼻がむずむずしてきた。以前、ニュージーランドの針葉樹の森で、いきなり強烈なアレルギーに悩まされたことがある。抗ヒスタミン剤を持ってきてあったので、さっそく飲んでことなきを得る。それでも、くしゃみは出るわ、目は痒いわ。

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 午後に設定されているパークレンジャーのガイド・ウォークに参加した。
 白いあごひげを豊かにたくわえた独特の容貌の男性レンジャー。実はこれがすごく多い。園内のあちこちにレンジャーの制服を着た「白いあごひげ」おじさんを見かける。子どもはサンタみたいだと喜ぶが、ウケを狙っているのではない。ジョン・ミューア以来の由緒正しい伝統なのだ。
 
 ジョン・ミューアはシエラネバダの魅力の「発見者」でもあり、アメリカの国立公園の概念の「発明者」でもある。現在の環境保護運動の源流のひとりであり、『はじめてのシエラの夏』など日本語で読める本も多い。セコイア国立公園はミューアが主導した運動で創設されたものの一つなので、今もレンジャーたちは精神的なつながりを感じているようだ。
 
 予定の時間をすぎると、レンジャーは人々を引き連れて歩き始める。このあたりの森に見られる代表的な針葉樹について、ああだこうだと教えてくれる。
 
 いきなりさっきの巨大なマツボックリに行き当たった。ジャイアントセコイアのものだと誤解している人も多いが、実は違って、シュガーパインという種類なのだそうだ。
 
「ジョン・ミューアが『食べたら甘い』と書いたのでシュガーパインと呼ばれるようになった。そこでわたしも食べてみた。苦かった。彼は嘘つきだ」
 というようなネタで笑わせる。
 
 夜のレンジャートークにも顔を出してみる。キャンプファイヤーを炊いて、屋外シアターでのスライドショー。
 
 ジャイアントセコイアの実を食べる甲虫がいるらしい。巨大なナナフシがいるらしい。カブトムシはいないのか……などなど。さらに、毎年、多くの来園者を蜂が刺しているという物騒な話をしてくれる。息子が眠り、途中で帰る。
 
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 翌日は朝一番に公園内で目玉、「ジャインアント・フォレスト」という地域へ車を走らせた。途中、斜面に巨木が立っているのを見つけた。それが、ぼくたちにとっての最初のジャイアントセコイアだった。固有名詞で呼ばれない小振りのものだったが、それにしてもこれまで目にしたいかなる樹木よりもおおきく、圧倒される。おそらく根元の周囲は二十メートル以上、高さも六十メートル以上はあっただろう。それでもこの場合は、「小振り」と呼ばなければならない。
 
 子どもたちは、山火事で燃えて出来たうろに入って遊ぶ。超巨大なトトロの木といった雰囲気で、子どもたちはこういうのが好きだ。樹皮はふかふかで温かく、もたれかかると心地よい。大人は巨大さに圧倒されて感嘆するわけだが、子どもは手に届く範囲の部分のディテールを存分に楽しむ。
 
 さらに車を走らせると十分ほどで、ジャイアント・フォレストだ。最大の個体である「シャーマン将軍の木」があるところで、それはすなわち「地球上で最大の生物」の「棲息地」ということなのだが、とりあえずその「おいしいところ」は後回しにして奥に進んだ。
 
 ここにおいてジャイアントセコイアは「どこにでもある」日常的な樹木になる。「ジャイアント・フォレスト博物館」をぶらりと覗いたり、倒木の一部をくりぬいて車が通行可能にしてあるトンネルツリー、同じく倒木の上に車が停まれるよにしてあるオートログなど観光名所(?)を通過しつつ、最初の軽トレッキングのスタート点に到着。
 
 出発前にランチをと思い、地面にシートを敷いた時、いきなりぶーんという異音がした。シートにごろりと横になった息子が「痛い、痛い」と叫ぶのを最初は冗談だと思ったほど唐突だった。
 
 蜂なのだった。きっと近くに巣があるに違いなので、とにかくその場所から体を抱えて離れた。もちろんぼくもその際に刺された。
 
「博物館」にあるレンジャーステーションまで戻って三十分ほど待機。アナフィラキシーショックはやはり怖い。二人とも予防的に飲んでいた抗ヒスタミン剤が功を奏したのか、大事には至らず。それでも、痛いことは痛いので、トレッキング気分は吹き飛んでしまう。

 ちなみに、刺されたのはアメリカ人がYellow Jacketsと呼ぶ小型のスズメバチ科の種だ。レンジャートークで紹介されていたのもたぶんこれ。後で調べたら日本でクロスズメバチと呼ばれるものに近い。ミツバチサイズながら、スズメバチってところが嫌な感じだ。
 
 今さらトレッキングする気分でもなく、拠点であるグラント・グローヴに戻った。痛い痛いと泣いていた息子は、アイスクリームを食べてなんとか気を取り直す。甘いものは、こいういう時、偉大だ。
 
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 夕方、ごく近辺にある「グラント将軍の木」を見にいく。これは二番目に大きなジャイアントセコイアで、拠点に近いがゆえに「あとまわし」にしていた。
 
 実際に見るととんでもなくでかい。これまでに見たいかなる巨木とも桁違いだ。根の保護のために近づけないよう柵があるのだが、それでも圧倒される。
 
 幹の地上数十メートルのあたりから、いきなりいくつも枝がつきだして空に向かうさまは、宇宙を支えているようにも見える。こういうのをまさに宇宙樹・世界樹、というのだろう。
 
 人は大きな木を見ると、たいてい世界やら宇宙やらに思いをはせる。たぶん人間の歴史に匹敵する時間を生きてきた生命であること、そして、単に空間的な意味で巨大で空に突き抜けんばかりのベクトルを持つこと。そういった属性が、宇宙全体を担いかねないほど特別な性質を巨木にはりつける。
 
 アメリカ人は、この「グラント将軍」を、全米で唯一の「生きている聖堂」に選んだ。つまり、戦争で命を落とした者たちのメモリアル・ツリーなのだそうだ。聖堂というのはshrineで、ぼくらが一番よくこの単語を見るのは、日本の神社の訳語としてなのだが、この場合、「魂を祀る場所」というような意味らしい。どことなく、アニミスティックな香りがする。単にぼくが持っている非一神教のバックグラウンドのせいなのかもしれないが。
 
 さらに、「グラント将軍」は「合衆国のクリスマスツリー」でもある。百年くらい前に、ある少女が「これをクリスマスツリーにして、アメリカじゅうで祝えたらいいのに」と言ったのがきっかけだとか。いいアイデアだ。なにしろ、ここでならサンタクロースには不自由しない。
 
 巨木が必ず持つ聖的オーラを放ちながらも、「グラント将軍の木」は、強烈に俗なる「観光地」でもある。アメリカンな観光客たちが、舗装された順路をめぐり、大声で話をしながらこの周辺の巨木をめぐる。基本的に白人で、時々、東洋人が混じる。アフリカンもラティーノもあまり見かけない。
 
 何か大事なものがスポイルされる。そして、自分もスポイルしている一員だ。
 
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 静かに歩きたくなって、すこし外れたところに起点がある「ノース・グローヴ・ループ」に足を進めた。ループというからには環状になっていて一周で一時間くらい。ただの「森」なわけだが、静謐な雰囲気を味わうことができる。中央にある湿地のまわりにはところどころジャイアントセコイアやシュガーパインがある。
 
 ジャイアントセコイアの森は明るく、心地よい。下生えが少ないのは、定期的な山火事のせいだということで、最近は人工的に小規模な山火事を起こして管理しているらしい。しっとりとして苔むした森も良いが、こういったからっとした明るい森は歩いていて別種の歓びがある。
 
 ジャイアントセコイアの倒木が、まだまだ元気な若い個体のとなりにでんと横たわる景観に出会う。倒木の下には小川が流れており、倒木が天然の橋になっている。しばしその場に立ち止まり、ぼんやりと見入った。理由は分からないのだが、胸に強く訴えるものがある。
 
 ぼくが感動して足を止めている間、息子と従姉の娘は、拾った木の枝を振り回して蛮声を挙げている。きのこを見つけたり、蟻の行列を見つけたり、ぼくよりもっと地面に近いあたりで別の感動を見いだしている(らしい)。
 
 帰り道、ふたたび「グラント将軍の木」の前を通るが、最初に受けた生の印象がぶれ始める。ただの「でかい木」ではなく、いろいろな「肩書き」やら「能書き」をはりつけられた木として、意識の焦点がぼやけてしまうのかもしれない。
 
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 従姉と伯母が、携帯コンロで食事を作ってくれる。これは本当にありがたい。ぼくと息子の二人だったら、パンに何かを挟んで食べておしまいだ。
 
 ご飯を炊き、うどんをゆでる。「白いお米+うどん」というのは、関西ではけっこう定番で、これに何種類かの総菜でよし、ということになる。
 
 伯母も従姉も関西人だ。けれど、従姉はアメリカ人だ。従姉の娘は少し崩れた関西弁をしゃべる。
 カツオ出汁の香りがキャビンの周囲に広がっていく。
 
 となりも東洋人の家族だ。姿は見えないのだが、キャビンの前できっちり靴を脱いでいる。

 ビジターセンターで、何冊か本を買った。十九世紀、"Big Tree"つまり、ジャイアントセコイアを材木用に切り倒していた頃の記録、また、ジャイアントセコイアの自然史についてのもの、などなど。
 
 夜、カリフォルニア・メルローのワインを飲みつつ、とりあえずは自然史系の読み物に目を通した。ジャイアントセコイアは、おそらくもっとも速く成長する樹木のひとつであり、最初の六百年間はそれこそ爆発的に巨大化する。千年を超える成熟個体になると成長は鈍化するが、それでも死ぬまでの間、大きくなることを決してやめない。
 
 ちなみにマツボックリは、拳よりも少し大きいくらいでシュガーパインを見てしまうと巨大というほどではない。樹齢十四年くらいからマツボックリをつけ始め、三千年の老齢でも衰えない。巨木になると、いっときに四万個のマツボックリをつけるという。とんでもなく長い間、再生産にたずさわる。
 
 ジャイアントセコイアの「死因」は比較的単純だ。以前は、森林火災だろうと考えられていたが、実は火には強い。ふんわりした樹皮が六十センチ、時には一メートルもの厚さに発達し、多少、焼けても「生身」の部分は無事だ。何度も森林火災に晒されて、それをものともせずに成長する。
 
 では、なにが主要な「死因」かというと、人間に伐採されないかぎり、「倒壊」だそうだ。立ち枯れというのはほとんどない。自分自身の重みに耐えきれなくなって、根こそぎ倒れる。冬季、枝に雪が降り積もった時、あるいは大雨で地盤が緩んだ時などに、いきなり、あっけなく、たぶん厳かに傾きを増し、速度を増して、地面にたたきつけられる。その時の衝撃で、粉々になる老木もある。
 
 きっとすごい音がするのだろうと想像する。例えば「グラント将軍の木」なら、地上八十メートル超のちょっとした高層ビルが倒れるようなものだ。音だけでなく、地面が揺れるだろう。何十キロ離れたところでも、「今、倒れた」と分かるだろう。
 
 残響は量子論的確率の範囲内で今も響いている。だから、耳を澄ましてみる。
 
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 国立公園のレンジャーについて書いておこう。ぼくがはじめてrangerという単語にふれたのは、『指輪物語』の中の「馳夫」(アラゴルン)だ。彼の職業(?)がrangerだった。日本語では「野伏」と訳されている。もともと、特定のエリアを歩き回り監視する者のことを呼ぶらしい。
 
 今の世の中でレンジャーといえば、たいていの場合は国立公園などに配置されている監視員を指す。とはいってもただの監視員ではない。公園内の自然を維持し、施設を管理しつつも、レンジャーは来園者に対して、自然の翻訳者【インタプリター】としての役割を担う。
 
 たとえば、ぼくたちが到着して最初に参加したガイド・ウォークやレンジャー・トーク。あれらは、まさに自然を「翻訳」して、ぼくらに伝える行為だった。
 
 国立公園にレンジャーがいなかったら、素人にとってはただの森だ。「見方」を示してもらえるからこそ、安全に、存分に楽しんで帰ってくることができる。
 
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 三日目の朝、懸案のままだった「最大のジャイアントセコイア」を見にいった。
 
 車を停めたところから、舗装された幅広の立派な階段を延々と下る。谷底と言ってもよいくらいの距離を降りて、目的の「シャーマン将軍の木」にたどり着いた。昨日の「グラント将軍」と並んで、南北戦争時代の「将軍」(る、ジェネラル)の名を冠した巨木だ。
 
「最大」とはいえ根本部分の周長は、「二番目」の「グラント将軍」よりもわずかながら短い。何をもって最大とするかというと、「枝を除いた樹木としての体積」なのである。根本部分だけは、「グラント将軍」に負けるものの、全体として太く高く、見上げるととてつもない質量感だ。

 前日訪れた「博物館」には、この木の隣にスペースシャトルのオービターを置いたらとうなるかイラストで示されていた。「シャーマン将軍」の高さは八十三メートルで、オービターの全長は三十七メートルくらい。半分にも満たない。ちなみに、「シャーマン将軍の木」の一番低い枝のある高さは三十九メートルだから、そこにも届かないことになる。
 
「観光地」の度合いは、「二番目」の「グラント将軍」の比ではない。のべつまくなしに人が訪れ、歓声を上げたり、記念写真を撮ったりで、あわただしい。

 ぼくと息子は、従姉たち三人といったん別れて、森の奥のトレイルに分け入る。
 
 コングレス(議会)トレイルと名付けられた小道で、リンカー・ツリー、上院【セネート】グループ、下院【ハウス】グループ、大統領【プレジデント】ツリー、といった木々に次々と対面する。それぞれ、"President Tree"とか、"The House"(五本からなるグループ)といった木製の看板が立てられていて、地図を持っていなくてもそれぞれの木の名前が分かるようになっている。
 
 違和感を覚えるのは、ぼくだけだろうか。
 
 昨夕に訪ねた、「グラント将軍の木」近辺は、カリフォルニア・ツリー、オレゴン・ツリー、ミズーリ・ツリー、テネシー・ツリーといったふうに州の名前がつけられた木々がたくさんあったっけ。あれらにも等質の感覚を抱く。
 
 どうも、アメリカ人は、巨大なものを見つけると、自分自身を重ね合わさずにはいられないらしい。
 
 日本では、巨木にわざわざ議会の名前や都道府県の名前を付けたりはしない。屋久杉にもそのような例はないと思う。
 
 ニュージーランドの巨木カウリの場合も、一番の巨木タネ・マフタは「森の神」の意味だし、二番目のテ・マツワ・ンガヘレは「森の父」だそうだ。原住民であるマオリ族の神話と重ね合わせて、そう呼ばれている。その方が、より素直で普遍性のあるネーミングである気がする。
 
 じゃあ、アメリカ人はどんな神話を重ね合わせればいいのか。
 
 それではたと気づく。彼らには有効な神話がない。ここを訪れるような比較的裕福なホワイト、すこしの東洋系が共有する神話などない。その真空に、こんなふうにして「国」が入り込むのか。
 
 アメリカ人ではないぼくは、どことなくいたたまれない気分で、コングレス・トレイルを離れた。すると途端に道は細く険しくなり、木々の前に看板もなくなる。さよならアメリカ、こんにちは自然、というかんじだ。
 
 森が時々開けて、草地になっている場所があちこちにある。Meadowと呼ばれており、大抵は湿地だ。そして、湿地のまわりの斜面にはジャイアントセコイアが多い。
 
 息子と二人でてくてく歩く。あちこちにいるイエロージャケットが近づいてきたら、「ゆっくり」逃げたり(急ぐと襲ってくるらしい)、シカの足跡や何者かのタメ糞を見つけたり(アライグマは、タヌキのようにタメ糞するのだろうか)、聞こえてきた物音に「クマかも」とあたりを見渡してみたり。それくらいのワイルドさなら、このあたりにもある。そして、適度にワイルドで、にもかかわらず林床は開けて明るく、風通しもよく、ととても快適だ。
 
「無印」のジャイアントセコイアに近づいて、背中を樹皮につけて見上げる。樹木の息づかいが分かる、というのは嘘だ。自分自身の体温が柔らかな樹皮にふんわり広がる感覚がある。

 そして、確信する。
 
 ジャイアントセコイアは世界樹だ。
 
 森にあってもっとも巨大で、この世界全体の柱となり、天空を支える。
 
 様々な場所で、様々な巨木がこの世界樹のイメージを担い、神話や民間伝承の中に根を下ろしている。カウリやカリーや屋久杉がそうであるように。
 
 だから、今、厳粛な気持ちになるのはごく普通の精神的な反応だ。
 
 もっとも、この厳粛な気分は子どもには分からない。
 
 とにかくでかい木がいっぱいあって、アメフトボールみたいなマツボックリがごろごろしていてそいつで遊ぶと面白く、森の中を歩くとキモチイイ。
 
 それくらいのことが伝われば十分か。
 
 子どもの視線は低い。高いところよりは、低いところ。形而上よりは、形而下。走って、転んで、跳びはねて、世界を自分のものにする。
 
 などと思っていると、息子がたまたま切り倒されたジャイアントセコイアの若木の年輪を数え百二十四歳だったと判定する。そして、感嘆する。
 パパのじーじよりも、年寄りだね。
 上出来だ。
 
 軽トレッキングの終端点は、実は昨日、息子とぼくがイエロージャケットにやられた場所。従姉たちにピックアップしてもらった後で、それを息子に明かす。「今回は蜂にやられなかっただろ」と、変なトラウマが定着してしまうまえにリベンジ成功。たぶん。
 
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 四日目の早朝、国立公園内の稜線「パークリッジ」を目指して、息子と軽登山する。軽登山ということすらちょっと憚られるほどイージーな山道だが。
 
 早朝だから生き物たちが活発だ。鹿のグループがゆうゆうと、小道を横切っていく。
 
 それなりに登りが続くがものの一時間で稜線にたどり着く。ジャイアントセコイアの森をはるか見下ろして、良い気分。人気はまったくなく、ジョン・ミューアがはじめて歩いた時のシエラはこんなだったのか、などと思う。
 
 とはいえ、背後から足音が響いてくる。
 
 白人の若者が二人、かなりの斜面をものともせずに駆け上がってくる。ひとりは上半身裸でつややかに汗をかいている。もうひとりは少し年配で顎髭をたくわえ、Tシャツを着ていた。Tシャツの胸には、"Sequoia Fire rescue"だったか、それに類することが書いてあった。
 
「消防団の人? それとも、レンジャー?」と聞くと、「両方」と短く言ってさらに駆け上っていった。

 つい最近、山火事が起きたエリアにさしかかる。Planned fireというやつで、無意味に大きなものにならないように、当局が計画的に火を入れる。心地よい森が維持できる秘密でもある。さっきの消防レンジャー(?)たちは、このあたりの火も大きくなりすぎないようにコントロールしたのだろうか。
 
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 公園を去る直前に、"Park Rager"という本を買った。ぱらぱらめくっていると、レンジャーというのが、アメリカ人にとってひとつの「理想」に近いライフスタイルなのだと主張する一節に出会う。いわく、「自然を守り、将来のために保つ。教育者であり、啓蒙者である。孤高であり、ひとりの生活を満足できる……」。最後の項目は、Self-sufficientを訳したのだが、うまい訳語は日本語にはない。
 
 さらに読んでいくと、レンジャーとは、「ジェダイの騎士であり、愛すべき教師であり、スモーキーベアである」などという記述もある。なぜ、レンジャー自身がスモーキーベア(山火事から助けられた子熊で、国立公園の象徴的存在)なのかよく分からないけど、ジェダイの騎士というのは笑えた。たしかに、スターウォーズも宇宙を舞台にした「アメリカ物語」なのだ。
 
 翻訳者・教育者としてのレンジャーの役割が、重視されている。自然というのは、解釈され、翻訳されるまでは、ただの混沌なのか。
 
 公園の出口ゲートに詰めているのもレンジャーだ。手を振ってくれたおじさんは、やはり白いあごひげだった。
 
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 ロスアンジェルスで二泊する。
 くしくも、従姉の娘が小学校一年生の入学式で、それにも一緒についていってみた。滅多に会えるわけでもいし、晴れがましい瞬間を、みておいてやろう、というわけ。
 
 ところが、あっさりしたもので、式典があるわけじゃない。先生やクラスメイトと顔合わせ程度。
 
 普段の方がもう少し儀式ばっていると従姉がいう。なにしろ、朝一番に「星条旗よ永遠なれ」を歌って、そのあとでみんなで「わたしたちはこの国に忠誠を誓う!」と宣誓するのだそうだ。
 
 レンタカーを借りて、市内の博物館や航空宇宙館を息子と二人でまわり、恐竜やロケットを見る。これらもでかい。
 
 サンタモニカをふらふらしてチュロス(これを息子はアメリカ・カリントウだと呼ぶ)を食べ、それで一日が終わる。
 
 海岸通りからは、たくさんのサーファーの姿が見える。彼らも自然と相対する人たちだ。レンジャーとも、国立公園の観光客とも違うやり方の「翻訳」。
 
 従姉の家に帰ると、テレビではやはりブッシュ大統領が議会(る、コングレス)に追及されていた。
 
 
 十九世紀、発見されたジャイアントセコイアの種子がヨーロッパに送られて、樹齢百年を超えた今も元気に育っているという。
 
 スコットランドのインバネス近郊では、直径二メートル半で、高さ四十五メートル。スペインまマドリッド近郊のガランハでは直径四メートル、高さ四十メートル。
 
 別の土地に根付いたジャイアントセコイアをいずれ、この目で見てみたい。
 



おわった……

2008-07-24 11:49:27 | ひとが書いたもの
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ふー、終わったー。この何週間か、バックナンバー(?)を一気読みしてきたかいがあって、緊密に、タイトに、一気に読めました。
結局、最後は「力を捨てる」モチーフが締めになるわけですね。
指輪物語ほどシンプルじゃないけれど、ぼくはこれも強くなり過ぎた力を自ら放棄する話として読みました。




日経アソシエに動物園本の紹介。

2008-07-23 15:39:48 | 自分の書いたもの
種の保存や行動展示 動物園の「昔と今」が分かる本:NBonline(日経ビジネス オンライン)
こういうのが、今、読めます。
ずいぶん前に、アソシエ本誌に書いたものだけれど、時間をおいてウェブに採録。
語っている本についてのリンクもこっちにつけときます。
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発売日:2006-09-22
どうぶつえんにいこうどうぶつえんにいこう
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発売日:2001-03


なんだか最後のふたつ、この前の鮨屋ミーティングのメンバーだなあ……。

廣田班批判について

2008-07-18 08:12:10 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
みなさん、先刻ご承知のとおり、こういうニュースがあって、
タミフル、10代への使用禁止見直しも…厚労省部会(読売新聞)

どうも、あきらかに、はっきりと、誤分類の結果、廣田班は間違った結論を出しているらしいという話が、あちこちで広がっています。
タミフルで異常行動が半減するという厚労省解析は誤り - NATROMの日記
タミフル再び(追記7/14)

今度ばかりは、ひょっとすると厚労省も、見解を取り消さねばならないかもしれない、という話もちらほら。
ぼくは今、別件にかかりっきりであまり追いかけられないけれど、意欲のある方は、NATROMさんのはてなとか、きくちさんのキクログあたりから、読んでみてください。

本来、ああだこうだ言いたいのだけれど、今はなんにもできない。フラストレーションですが、目の前のものを片付けてます。


非ショートショートの星新一

2008-07-16 21:53:55 | ひとが書いたもの
明治・父・アメリカ (新潮文庫 草 98-17)明治・父・アメリカ (新潮文庫 草 98-17)
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発売日:1978-08
人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)
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発売日:1978-07
明治の人物誌 (新潮文庫)明治の人物誌 (新潮文庫)
価格:¥ 700(税込)
発売日:1998-04
息子がショートショートを読みふけっているのを片目に、こちらも別系統の星新一を。
星一、という得難い人物のフィルターを通じて見る明治。一番読みやすいのは、「明治・父・アメリカ」で、これはまさに「西国立志編」を地でいく物語。努力がきちんと実を結ぶ古き良きアメリカが描かれている。
「人民は弱し……」は、たぶんこの中では一番売れた本で、高校時代に読んでいた。星一の帰国後の話がメインだから、つまり続編。やるせない部分がたくさんあって、胸がきゅんきゅんする。
「明治の人物誌」は、星一フィルターごしの、後藤新平やら、新渡戸稲造やら、伊藤博文やらが語られる訳で、興味深し。大物過ぎないけれど、小物すぎもしない星一のことも、すーっと胸に入ってくる。
天ハ自ラ助クルモノヲ助ク―中村正直と『西国立志編』天ハ自ラ助クルモノヲ助ク―中村正直と『西国立志編』
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2006-09

西国立志編西国立志編
価格:¥ 1,365(税込)
発売日:1981-01

そういえば、これは今まで読む機会がなかった。
この際、次の読書に。

アリメト3回目。

2008-07-14 14:34:03 | 自分の書いたもの
月刊 J-novel 2008年 08月号 [雑誌]月刊 J-novel 2008年 08月号 [雑誌]
価格:¥ 550(税込)
発売日:2008-07-15
「アリスメトリック! 算数宇宙の冒険」が掲載された号が出ます。あした発売、なのかな。

告知とともにおわびを。
出てくる数式に間違いを発見。168ページ上段にある二つ目の数式で、右辺の級数の中、1/18という項を消してください。うっかりしてました。

ちなみに今回の掲載文が数式Maxです。これ以降、難しいことはごまかす、というようり「信じてもらう」方針で、言葉であらわします。微分積分は数式では書きません。


にわかに忙しい(PTA本も本格スタート)

2008-07-11 18:58:25 | 自分の書いたもの
R0018086「ニコチアナ」と「ふにゅう」(仮)のゲラをひたすら読む。「ニコチアナ」はかなりばっさりやったので、手術跡の最終チェック。
いわゆる念校。あまり大きくは手を入れられない。
「ふにゅう」の方は、いまだにタイトル問題が解決せず。頭を悩ませる。なんだかノンフィクションみたいなタイトルばかり思いつく。
諸々が解決ししだい即座に、婦人公論の連載のまとめに入る。かなり書き直す。認識が深まったところが多いし、きゅっと絞まったものになる予定。

あとこの本の4刷が出る。静かに売れているみたいだ。
バカ親、バカ教師にもほどがある (PHP新書 515)バカ親、バカ教師にもほどがある (PHP新書 515)
価格:¥ 756(税込)
発売日:2008-03-15



ふにゅうのタイトル

2008-07-09 10:46:23 | 自分の書いたもの
R0017978「ふにゅう」の新タイトルを考えることになって、四苦八苦。もっと作品群全体にかぶさるようなタイトルにしたいのだけれど……難しい。思いついた方、コメントください(笑)。
「ニコチアナ」のゲラは三巡目。最初にたくさん赤を入れたので、念入りに。それでも、まだ一ヵ月以上あるから、なんとかなるでしょう。



難しい医学用語

2008-07-08 09:13:53 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
Wakaran国語研究所が「言い換え」を提案している、難しい医学用語。引用もとは朝日新聞。こちら
寛解とか、浸潤とか、たしかにわかりにくいよね。
ぼくとしては、ここに、侵襲的とか、適用とか、転帰とかもいれてほしい。
あと、リストにある「リスク」は、リスクコミュニケーションを通じて、言い換えるのではなく、むしろ定着させてほしい言葉と感じる。
すばらしい言い換えがあるなら、それでももちろんいいのだけれど。