川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

感動の再会を踏みつぶす

2007-06-30 06:36:39 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
コンビニでお茶を買う。
レジの前で財布を握り……、ふと下を向くとやつがいた。
オケラ。
みんなみんな生きているんだ、のオケラ。
首を傾げて、こちらを見上げていた。

うわーっ、なんでこんなとこに!と感動。
そういえば、ここしばらくオケラを見ていなかったなあと思う。
いや、そんなんじゃなくて、なんでコンビニの床の上にいるわけ?
ちょうど玉川上水ぞいにあるコンビニで、きっと土手のあたりに棲息中だったのであろうと納得。
つまみあげて、オウチに返してあげたいけど、ちょっとまってくれ支払いが……。

財布をポケットに戻し、下を見ると……踏みつぶしてた。
ごめん、オケラ。
失望。というか、自責の念がふつふつと……。
指の間をぐいぐい押し開けるあの力強い動きを感じてみたかったのに。
なんか指の間がもぞもぞするかんじを振り切って、外へ。
走って帰る。

やっぱ、ごめんオケラ。


最安値が最良

2007-06-28 18:07:18 | 日々のわざ
 わざわざ来るなと心ある仲間に拒絶していただいたおかげで、一日、自由に使えた日。
 午前中はめいっぱい仕事して頭がくらくらしたので、懸案だった掃除機を買うことにした。
 
決めていたのはもうサイクロンタイプはいやだってこと。
フィルターをしょっちゅう洗わなければすぐに吸引力が落ちるし、おまけに、透明プラスチックのサイクロン部分(?)が立体パズルめいたつくりになっているものが多い。
これは、ぼくの母なんかには扱えない。
そこで、従来型の紙パック方式のものを所望する。これなら、フィルター掃除はあまりいらない。

さらに吸い口のローラーブラシに不満がある。
あれって、よく髪の毛がからまりませんか?
特にうちなんて、つれあいの髪が長いので、それをとらずに放置すると、そのうち「髪の毛の塊」みたいな不潔感ただよう吸い口になる。そして、それをきれいに取ろうとすると、掃除するより時間がかかる。
ローラーブラシが取り外しできて簡単に掃除できそうなやつを選ぼうとした時に、はたと気づいた。
ブラシがないタイプというものあるんだ。
ぽっかり穴があいていて、そこにひたすら吸い込むやつ。
うちはほとんどフローリングで、カーペットの部屋はないから、これで充分。

紙パック+ローラーブラシなしの吸い口、という組合せは何社かでていて、シャープのものが7980円@ヨドバシカメラ。
サイクロンが5万円とかする中で、これがぼくにとってのベスト。
ほんと、今の掃除機、いらんものがコテコテつきすぎてるんじゃないですか。
などと思った午後。

すごいぞ丹波竜。わくわくしてきた。

2007-06-27 06:58:31 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
asahi.com: 丹波竜の頭骨の一部発見 化石はイナバウア
見つかったのは、脳を収容する脳函(のうかん)と呼ばれる部分の後半部で、縦横15センチ、厚みは8センチほど。中央部に、背骨の先端がつながっていたくぼみがある。

とのことで、ぼくなんぞ素人がみると、頸椎の一部?と思うような部位。もっとも「先」の方、つまり、頭骨らしい頭骨はでてくるのかな。「近く」にある可能性はあるから、「今回発掘した岩石」に期待。

ところで……

すでに見つかっていた尾の部分の骨の尾椎(びつい)の近くで発見されており、死後に筋肉が収縮し、フィギュアスケートの荒川静香選手の「イナバウアー」のように、反り返った状態で化石になったとみられる。


って、どうなんでしょう。
死後の筋肉収縮でこうなるの?
むしろ、靱帯の収縮なんじゃなかったっけ?

校長先生になろう!

2007-06-27 05:59:30 | ひとが書いたもの
校長先生になろう!校長先生になろう!
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2007-03-21

これは本当におもしろい。
現役の校長が書いた本だから、すごくライヴだ。最初の何十ページかで、「教育委員会」と「教育委員会事務局」の違いが分かったのも非常に大きな収穫(笑)。なるほど、そういうことだったのか。
さて、和田中のことは意識していたけれど、「リクルートの人が校長になった学校」「時々新聞に出る」くらいのことしか知らなかった。本書の主旨は、「民間から中学校の校長先生をどんどん出そう!」というこなのだけれど、たしかにこういう人がたくさん出てくれば「現場」(学校)は変わるに違いない。
そもそも、校長になるために、教員免許は特にいらないというのはセンスオブワンダーだった。

いろいろな読み方がありうるけれど、ぼくはつい最近、気になっている「地域」のことに引き寄せて読んでしまう。
和田中には「地域本部」なるものがあって、土曜日学級(土曜日寺子屋、通称ドテラ)や図書室開放などを仕切ってくれている。
年間数百万の予算がついていて、地域から出た事務局長には若干のお金が出る。また、講師(教員ではない)にも一日2000円くらいの交通費(?)みたいなお金がつく。
実質ボランティア。
ここでどんな人がかかわるかというと、もちろん「地域」ではあるのだけれど、町会や商店会などとは別ルートで人が集まっている気配がある。

つまり、「卒業しない親」や「学生」だ。
子どもが卒業しても、自分は卒業せずに、地域の子どもの学びと育ちに寄与したい人。そして、そのことを通じて、自分も成長できるのだと知っている人。
あるいは、将来、子どもにかかわる仕事につきたくて、ひとつのステップとして、かかわってくる学生。
こういう人たちを「つかまえる」のは、町会ルートではむずかしい。
秋津の場合も、結局は「卒業しない親」がコミュニティの中心になったのだった。

別に地域がらみだけの本じゃなく、本当のフォーカスは「校長先生なろう!」そのものです。
今、教育に興味を持つすべての人たちにお勧め。

岸裕司さんのところにいってきた

2007-06-21 09:11:40 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
久々に(3ヵ月ぶりくらいかな)岸さんのパンゲアにお邪魔してきた。
何号か先の婦人公論の取材で、ロングインタビュー。対談ふうにまとめるつもり。
それにしても、「学校を基地に」は何度読んでも味がある。
というより、読むたびに味が変わる。
自分も深くPTAにかかわってみると、行間が読めるようになってしまうのだ。わずか1行に書かれていることが、実に1年、2年かかって実現したことだったりする。
ぼくもやりたないPTA談話室。あれはいい企画だ。テーマを決めてとにかく話す。自由にものを言える雰囲気。すごくいいと思う。やろう。いつか。いつだ??
学校を基地に「お父さんの」まちづくり―元気コミュニティ!秋津学校を基地に「お父さんの」まちづくり―元気コミュニティ!秋津
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発売日:1999-03



治安はほんとうに悪化しているのか

2007-06-20 20:53:13 | ひとが書いたもの
治安はほんとうに悪化しているのか治安はほんとうに悪化しているのか
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:2006-06
東京都の治安対策担当部長だった著者による、「治安に関する言説を解き明かす」本。
なんだか居心地の悪いまま、治安対策を推し進めてきた経歴の持ち主らしい。
今となっては標準的になった、「治安が悪化しているということは、公になっている統計からは言えない」という「事実」を詳説する。

まず最初の二章を通じて、認知件数の問題など、犯罪統計を読み解く基本的なすまを勉強。
次に、少年犯罪が増加して、凶悪化しているのか、公になっている統計から言えるのか、検証。
さらに、外国人犯罪はどうなのか、ということも検証。

そして、そんなことまったく言えない、という結論。

もと行政側だから、行政系の統計や報告書・白書のたぐいに遺漏がないと信頼を持って読めるのが最大のメリットか。

とはいえ、本書全体のまとめとして、こう言われてしまうと、暗澹たる気分だ。
「治安は悪いのか/よいのか」などという問いは、ほんとうはどうでもいいこと、無意味な問いなのかもしれない。「治安は悪い」に決まっており、それ以外の言説はあり得ようもないだろう。なぜなら、「治安」が問題にされるのは、「治安が悪い」というテーゼから、さまざまなBio-Politicalな操作を抽き出すための手段でしかないのだから。


でも、たしかに、そうなのだ。
治安が問題にされる時、すでに結論は決まっている。

さらに、あとがきのこの部分が、はっとさせられる。
それでも、なおわたしには、謝らなければならない相手がいます。こうした気持を抱きながら、日々、平静を装って出していた指示に諾として同調してくれていたチームのメンバーたち。ごめんなさい。あの頃の私には、「王様は裸だ」という勇気も、その理由を表現するだけの言葉も持ち合わせていなかったのです。


行政マンというのは、自分の意にそぐわないことでも、黙々とやらねばならないのですね。もちろん、会社員だって同じだけれど、「公の顔」をして職務を遂行しているわけで、つらいだろうなあと想像。
きっと、面白い人なのだろう。おまけに誠実でもある。

で、類書としては、やはり、こちらということになる。
まずは芹沢・浜井本を読んだ後で、別の知性が同じ統計を見たらどうなるか、微妙な分析の違いを楽しみ、かつ、理解を深めるというのが正しい読み方だと思いました。
犯罪不安社会 誰もが「不審者」?犯罪不安社会 誰もが「不審者」?
価格:¥ 777(税込)
発売日:2006-12-13


「滝山コミューン」についてのコメント(気合い入れたわりにはまとまらない)

2007-06-18 18:50:46 | ひとが書いたもの
滝山コミューン一九七四滝山コミューン一九七四
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2007-05-19
鮮明に思い出した記憶。
あれは下校途中のバスだったから、きっともう高校生になっていたのだと思う。
たまたま小学校が一緒だったミカ(仮名)と同じバスになった。卒業後、二人で言葉を交わしたのはそれが最初だったし、以降、また、どこかで会った記憶もない。

強烈に覚えているのは、その日、呪縛がとけたこと、だ。
ミカは、優等生というわけではないが、精神的な成熟が早い方で、女の子の中でも「話せる」やつだった。

その日ぼくらが話題にしたのは、小学校の最後の二年間のこと。
一学年一クラスの学校だったから、ずっと一緒だったのだけれど、最後の二年会は特別だった。
新任で、リベラルで、バイクで登校する先生に教えてもらった。
当時、管理教育千葉と言われた場所で、押しつけ的な管理には盾になってくれた気配はあるものの、クラスでは独裁者として君臨した。それも、「民主的」なやり方と、スポーツを活用して。全員参加のサッカーやら、バスケやら、水泳やら。
地元にあった野球チームに子どもたちが通うのを嫌い、サッカーをやらせたがったっけ。
社会や国語では、どんどんプリントを配り、それが面白かった(それが、かなり左よりとされる歴史観に基づいたものだと、ぼくが気づくまで少し時間がかかった)。

保護者のウケはとてもよかった。若く、熱心な先生なのだ。それこそ、熱中時代に出てくるような。
けれど、彼の学級は、結局、中心になる何人かの生徒と、異質なアウトサイダーを生んだ。
アウトサイダーは常に、肩身が狭く、それでも、教師が持っている圧倒的な磁場の中で、しばしば、陶酔的な感覚も味わった。たとえば、クラスをあげてのスポーツ大会の参加での一体感や演芸会での「自分たち」で創り上げるお芝居など……。
また、そういう一体感が気持ち悪くもあって、相反する二つの感情がいつもせめぎあっていた。

そういう話を、ミカとしたのだった。
熱心な先生だったけど、時々、押しつけがましかった。
全員参加しなければならないことが多くて、息苦しかった。仲間であることを強いられていると感じることがあった。
息苦しく、暑苦しいなりに、よかったこともあるのたけれど、やっぱり、負担があった。

ミカもまったく同意見だった。
と同時に、お互いに「こういう話ができたのは、卒業後はじめてのことだ」(在学中ももちろん、言えなかった)と言い合って、かなりすすっきりして帰った。ミカはなぜか目に涙を浮かべていた。

すごくながい前置きになったけれど、「滝山コミューン1974」は、ぼくが今書いたような経験をしていたのとほぼ同時期の小学生が、その30年後に「あの頃」の体験を掘り起こしたもの。ぼくの場合は高校生の時に解決できたものの、こちらではさらに時間がかかり、卒業後30年以上たって、一冊まるまる本を書かねばならなくなったケース。それだけに根は深く、なまじっか、善意と理論に支えられている分、たちが悪い。ミンシュシュギなるものにおいて、平等や自由を強調しつつも、結局それらがひっくり返って、相互監視と事実上の不自由になってしまうメカニズム。それを、小学生に対して、大々的に押しつけてしまった、ある小学校の話。

しかし、全生研の「学級集団づくり」とはそういうものだったのか、と、まったく知らなかったぼくは、知らなきゃよかったとすら感じる。ぼくが子どもだった頃、クラスで「班」を作るのは当たり前だったし、それは今も受け継がれている。それは全生研の考え方が、多かれ少なかれ受け入れられたからなのだろう。

全生研が推奨していた「班競争」など、今のセンスではおぞましいとしか言いようがない。
班の数よりも係の数が少なく設定して、役にあぶれる班を出す。そういう班は「ボロ班」「ビリ班」として、ダメな班としての烙印を押される。そうならないために、班どうしがきそいあう。プレゼンをして、よいプランを出し、モチベーションも高いところが選ばれる。その際、弱い班を徹底的に追及し、返答できなくなったりした時点で、「ボロ班」「ビリ班」として競争から落とされる。
なんと野蛮なことか!

生徒の代表委員会も、徹底した民主教育の観点から、代表委員会ではなく、総会を重視するスタイルになり、それがむしろ、「意識の低い者」を排除する構図になっていく。ここでも大々的に行われる班競争、そして「うた」を使って集団のまとまりを強化する手法が、やはり、おぞましく見えるのは、この著者の書きっぷりにもよるのだが、やはり、怖い。
むしろ、その頃、これが公教育の場で正当化された(わずか30年前なのに!)、理由が知りたい。あの頃と今の断層がどこにあるのか知りたい。そんな歴史的な興味をかき立てられるほどだ。

著者は自分自身の体験だけではなく、こういった「学級集団づくり」の中心だった特定のクラスの同窓生にインタビューをして、当時起こったことをそれこそ「何月何日」レベルで追っている。当時、著者の目には、まったく理不尽に映ったことの中心人物に、卒業30年たってインタビューした時のエピソードが印象的だ。実は彼女(中心人物だった女の子)自身が、この小学校での特異な体験を「トラウマ」として捉えており、はじめて人に話せたことで、著者の前で涙を流したりする。
ちょっと規模が違うけれど、ぼく自身の高校時代の経験かここでちょっとつながる。でも、まったく、量も質も違う圧倒的ななにかを滝山コミューンは著者に、この女の子に焼き付けた。

著者は、自分の体験を通してみる(あるいは、インタビューを積み重ねて透かし見る)滝山コミューンの体験から、このようなことを言う。終章だ。

2006年12月に教育基本法が改正される根拠となったのは、GHQの干渉を受けて制定されたために「個人の尊厳」を強調しすぎた結果、個人と国家や伝統との結びつきがあいまいになり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが果たして、旧教育基本法のもとで「個人の尊厳」は強調されてきたのか。問い直されるべきなのは、旧教育基本法の中身よりも、むしろこのような歴史観そのものではないか。

 また「滝山コミューン」は、成年男子を政治の主体と見なしてきた日本の、いや世界の歴史にあって、児童や女性を主体とする画期的な「民主主義」の試みだったのではないか。(中略)こういった観点からも、実は見直されるべきものが含まれているように思われる。

たぶんどちらも本当のことだ。

まとまらないまま言葉を連ねたけれど、ここまで引っかかりが強かったのは、若干ながら自分自身の体験と重なる部分があったことと、あとは……やっぱりPTAかな。

「GHQの干渉を受けてできた」PTAって、上に引用した、著者の文章が、かなりのところすっぽりと重なると感じる。
プラス面とマイナス面の位相が似ている、というか。

あと、民主的だろうが、なんだろうが、自然発生してしまう特権性に無頓着だと、やはり、ひどいことが起きてしまう実例でもあって、PTAの役員ってまさにそういう立場だよなあと思う(本著の中でも、最初のセクションの主役はPTAのお母さんたちなのだ)。

系統だった紹介になっていないけれど、もろもろ、引っかかりがあって、一筋縄では解きほぐせない。
別にまとめる必要もないので、このあたりで投げ出すけれど、その投げ出し具合が、凄い本なのだと了解していただければよし、です。


白丸ダムなど(追記あり)

2007-06-17 20:08:18 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Rimg0030きょうのカヤック練習は白丸ダムにて。
ダム近辺にはオイルフェンスが張られていて、これは、カヤックの安全対策でもあるのだろうと、推察。
このフェンスのところで、1.5リットルのコーラのペットボトルを発見した。
ほとんど一口くらいしか飲まれていなくて、それでも、ぷかぷか浮いて漂流していた。

Rimg0057もうすこし上流。
水面からみる光景って、道路から見下ろすものと、まったく違う。
それだけでも、カヤックで川に出る意味はある、といつも感じる。

追記
一点、補足すると、二枚目の写真は、左側に奥多摩街道が通ってます。
見上げる視点だと、木々にカバーされて見えなくなるわけです。
やっぱり、素敵だ。

ちなみに、撮影に使ったカメラはこいつ。ごっついですが、頼りになります。
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読んでる途中に報告したくなる本

2007-06-16 20:42:22 | ひとが書いたもの
滝山コミューン一九七四滝山コミューン一九七四
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2007-05-19
そういうものは、なかなかないのがこれ。わずか70ページ読んだだけで殿堂入りだ。突き刺さる本。「放送禁止歌」以来かも。PTAな人も、そうじゃない人も、必読と言いたくなる。読み終わったら、再度報告します。
放送禁止歌放送禁止歌
価格:¥ 680(税込)
発売日:2003-06-06



別にトンデモネタではないのですが

2007-06-15 20:50:35 | トンデモな人やコト
ITmedia News:「ネット・ゲーム中毒を精神障害に分類」??米学会が推奨

このニュースは納得できるわけですね。ゲーム脳の議論とは根本的に違う。ゲームが持つ嗜癖性ってのは、やはりあるだろうし、それを節度ある立場からコントロールするのは必要だと思うので。

実際ぼく自身、ゲームやらないのは、やめられなくなるからだし、子どもにもあんまりやらせないのは同じ理由。先日、平日のゲームは一度だけで(五日間のうちの)で一時間までってルールを、息子が破ったので、今、取り上げ中だったりもする。
ちなみに、元ネタはこちら。
Results for 'MMORPG'

ただ一点、このニュースで不可解なのは、AMAを、米医療情報学会と訳していること。
これ、普通には、米国医師会とか、訳されている団体のことではないでしょうか。
ちなみに、日本医師会は、JMA。

母が怒ったこと、とか

2007-06-15 19:16:47 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
さて、最近、母が二泊でうちに来てくれていて、びっくりしつつ、怒っていたこと。
放課後、五、六人の息子の友達がやってきた時、挨拶ができないってこと。
「あいさつは!」と促しても、だれも言わなかった、そうな。
知らない人とはいえ、友達の家の人だとわかるんだから、言えばいいのにね。
あいさつ教育は崩壊しているのか、それとも、不審者教育が行き届きすぎているのか、どんなもんでしょう。
まあ、むかしから、挨拶というのは、年長者と子どものとの間のトラブルの代表格なので、昔あることが今もある、ということなのかもしれないけれど、これについては、ぼくは珍しく「最近、悪くなっている」と感じるなあ。

とにもかくにも、今度、やつらが来たら、ぼくからもう一度、あいさつ!と言っておくことします。

それはそれとして、最近、気づいて、びっくりしているのが「PTAさん」という呼び方。
うちの、PTAの会員って(保護者ですが)、役員のことを「PTAさん」と呼ぶ人が多いのだ。えっ、あなたもPTAなんですけどっ、と思わず言いたくなる。この前、学校公開週間でたくさんの保護者が学校に来た日、わずか三時間の間に、5、6回、そう呼ばれてびっくりしたのでした。
やっぱり、自分も会員だという意識が希薄なのかなあ。



ゼロ・トレランスの本

2007-06-13 05:04:23 | ひとが書いたもの
君を守りたい―いじめゼロを実現した公立中学校の秘密君を守りたい―いじめゼロを実現した公立中学校の秘密
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2006-09
いじめを犯罪として定義し、ばしばし警察力をもって取り締まればよいとする本。小気味よいまでに立場は明確。途中まで読んで、なるほどゼロ・トレランスの本だと気づいた。
弁護士として「現場」に近いところにいる著者なのだろうから、やはり、特有のとんがった危機感にドライヴされていると感じる。
こういうのは、論点が明確で、すっぱりしていているがゆえに、魅力を感じる人もいるだろうけれど、適用した時の副作用を考えなければならない典型的な議論でもあると思う。

ちなみに、表紙にもある「いじめゼロを実現した公立中学校の秘密」は、実は著者が掲げるゼロ・トレランスの方針でいじめをなくしたのではなく、誤解を招く売り方だ。
もちろん、生徒たちによる自主的なパトロールによっていじめを感知する仕組みなど、「パトロール」という点で、著者が導入したいらしいスクールポリスのそれと、行動面では重なるのだけれど、とはいえ、生徒は警察ではない。
そして、なによりも、いじめが発見された場合にも、ゼロ・トレランスで例外なしに処分ではなく、著者が批判する人間教育的な配慮をもって対処される。おまけに、今ではパトロールもやめてしまって、生徒にいじめをゆるさない意識付けをすることでよい結果を得ているという。

著者が主張し、持っていきたいとする方向と、まったく違う方向の事例を、あたかも自説を支持するものとして提示しているのだけれど、この部分はどうなんだろう。正直、論理構成がよく分からなかった。