鮮明に思い出した記憶。
あれは下校途中のバスだったから、きっともう高校生になっていたのだと思う。
たまたま小学校が一緒だったミカ(仮名)と同じバスになった。卒業後、二人で言葉を交わしたのはそれが最初だったし、以降、また、どこかで会った記憶もない。
強烈に覚えているのは、その日、呪縛がとけたこと、だ。
ミカは、優等生というわけではないが、精神的な成熟が早い方で、女の子の中でも「話せる」やつだった。
その日ぼくらが話題にしたのは、小学校の最後の二年間のこと。
一学年一クラスの学校だったから、ずっと一緒だったのだけれど、最後の二年会は特別だった。
新任で、リベラルで、バイクで登校する先生に教えてもらった。
当時、管理教育千葉と言われた場所で、押しつけ的な管理には盾になってくれた気配はあるものの、クラスでは独裁者として君臨した。それも、「民主的」なやり方と、スポーツを活用して。全員参加のサッカーやら、バスケやら、水泳やら。
地元にあった野球チームに子どもたちが通うのを嫌い、サッカーをやらせたがったっけ。
社会や国語では、どんどんプリントを配り、それが面白かった(それが、かなり左よりとされる歴史観に基づいたものだと、ぼくが気づくまで少し時間がかかった)。
保護者のウケはとてもよかった。若く、熱心な先生なのだ。それこそ、熱中時代に出てくるような。
けれど、彼の学級は、結局、中心になる何人かの生徒と、異質なアウトサイダーを生んだ。
アウトサイダーは常に、肩身が狭く、それでも、教師が持っている圧倒的な磁場の中で、しばしば、陶酔的な感覚も味わった。たとえば、クラスをあげてのスポーツ大会の参加での一体感や演芸会での「自分たち」で創り上げるお芝居など……。
また、そういう一体感が気持ち悪くもあって、相反する二つの感情がいつもせめぎあっていた。
そういう話を、ミカとしたのだった。
熱心な先生だったけど、時々、押しつけがましかった。
全員参加しなければならないことが多くて、息苦しかった。仲間であることを強いられていると感じることがあった。
息苦しく、暑苦しいなりに、よかったこともあるのたけれど、やっぱり、負担があった。
ミカもまったく同意見だった。
と同時に、お互いに「こういう話ができたのは、卒業後はじめてのことだ」(在学中ももちろん、言えなかった)と言い合って、かなりすすっきりして帰った。ミカはなぜか目に涙を浮かべていた。
すごくながい前置きになったけれど、「滝山コミューン1974」は、ぼくが今書いたような経験をしていたのとほぼ同時期の小学生が、その30年後に「あの頃」の体験を掘り起こしたもの。ぼくの場合は高校生の時に解決できたものの、こちらではさらに時間がかかり、卒業後30年以上たって、一冊まるまる本を書かねばならなくなったケース。それだけに根は深く、なまじっか、善意と理論に支えられている分、たちが悪い。ミンシュシュギなるものにおいて、平等や自由を強調しつつも、結局それらがひっくり返って、相互監視と事実上の不自由になってしまうメカニズム。それを、小学生に対して、大々的に押しつけてしまった、ある小学校の話。
しかし、全生研の「学級集団づくり」とはそういうものだったのか、と、まったく知らなかったぼくは、知らなきゃよかったとすら感じる。ぼくが子どもだった頃、クラスで「班」を作るのは当たり前だったし、それは今も受け継がれている。それは全生研の考え方が、多かれ少なかれ受け入れられたからなのだろう。
全生研が推奨していた「班競争」など、今のセンスではおぞましいとしか言いようがない。
班の数よりも係の数が少なく設定して、役にあぶれる班を出す。そういう班は「ボロ班」「ビリ班」として、ダメな班としての烙印を押される。そうならないために、班どうしがきそいあう。プレゼンをして、よいプランを出し、モチベーションも高いところが選ばれる。その際、弱い班を徹底的に追及し、返答できなくなったりした時点で、「ボロ班」「ビリ班」として競争から落とされる。
なんと野蛮なことか!
生徒の代表委員会も、徹底した民主教育の観点から、代表委員会ではなく、総会を重視するスタイルになり、それがむしろ、「意識の低い者」を排除する構図になっていく。ここでも大々的に行われる班競争、そして「うた」を使って集団のまとまりを強化する手法が、やはり、おぞましく見えるのは、この著者の書きっぷりにもよるのだが、やはり、怖い。
むしろ、その頃、これが公教育の場で正当化された(わずか30年前なのに!)、理由が知りたい。あの頃と今の断層がどこにあるのか知りたい。そんな歴史的な興味をかき立てられるほどだ。
著者は自分自身の体験だけではなく、こういった「学級集団づくり」の中心だった特定のクラスの同窓生にインタビューをして、当時起こったことをそれこそ「何月何日」レベルで追っている。当時、著者の目には、まったく理不尽に映ったことの中心人物に、卒業30年たってインタビューした時のエピソードが印象的だ。実は彼女(中心人物だった女の子)自身が、この小学校での特異な体験を「トラウマ」として捉えており、はじめて人に話せたことで、著者の前で涙を流したりする。
ちょっと規模が違うけれど、ぼく自身の高校時代の経験かここでちょっとつながる。でも、まったく、量も質も違う圧倒的ななにかを滝山コミューンは著者に、この女の子に焼き付けた。
著者は、自分の体験を通してみる(あるいは、インタビューを積み重ねて透かし見る)滝山コミューンの体験から、このようなことを言う。終章だ。
2006年12月に教育基本法が改正される根拠となったのは、GHQの干渉を受けて制定されたために「個人の尊厳」を強調しすぎた結果、個人と国家や伝統との結びつきがあいまいになり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが果たして、旧教育基本法のもとで「個人の尊厳」は強調されてきたのか。問い直されるべきなのは、旧教育基本法の中身よりも、むしろこのような歴史観そのものではないか。
また「滝山コミューン」は、成年男子を政治の主体と見なしてきた日本の、いや世界の歴史にあって、児童や女性を主体とする画期的な「民主主義」の試みだったのではないか。(中略)こういった観点からも、実は見直されるべきものが含まれているように思われる。
たぶんどちらも本当のことだ。
まとまらないまま言葉を連ねたけれど、ここまで引っかかりが強かったのは、若干ながら自分自身の体験と重なる部分があったことと、あとは……やっぱりPTAかな。
「GHQの干渉を受けてできた」PTAって、上に引用した、著者の文章が、かなりのところすっぽりと重なると感じる。
プラス面とマイナス面の位相が似ている、というか。
あと、民主的だろうが、なんだろうが、自然発生してしまう特権性に無頓着だと、やはり、ひどいことが起きてしまう実例でもあって、PTAの役員ってまさにそういう立場だよなあと思う(本著の中でも、最初のセクションの主役はPTAのお母さんたちなのだ)。
系統だった紹介になっていないけれど、もろもろ、引っかかりがあって、一筋縄では解きほぐせない。
別にまとめる必要もないので、このあたりで投げ出すけれど、その投げ出し具合が、凄い本なのだと了解していただければよし、です。