川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

誤植情報、乞う

2006-04-28 17:54:55 | 自分の書いたもの
「銀河のワールドカップ」に誤植がいくつか見つかったと、中澤君のコメント。
具体的にどこか教えてくださると幸甚ナリ。
読んだ方で、見つけた方はぜひコメントを。
別に「銀河のワールドカップ」にかぎりません。ほかの本でも、重版や文庫化の時に直せますので。



上野と多摩のショップに「動物園にできること」が並んでいるらしい

2006-04-28 12:50:00 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
昨日会った文春の編集者からの情報。
上野動物園と多摩動物園のショップで「動物園にできること」を扱ってくださっているとのこと。
ある意味、少額商品で、利益率はそんなに高くないだろうに感謝。
ちなみに、動物園のショップでは本が、意外に売れるそうです。
たとえば、「動物園のデザイン」(イナックス)という本は、上野動物園のショップで売れた冊数が、単店舗あたりの冊数でいえば全国の書店の中でもトップクラスだったという話を聞きました。

というわけで(?)、上野や多摩以外の動物園や水族館にも「動物園にできること」が並べばいいなあ。
いろいろ取引の条件はあるのだろうけれど、興味のある動物園・水族館の職員の方は、是非、出版社にアプローチしてみてくださいませ。
間を取り持つことも、もちろんできます。
それに、手書きポップでもなんでも書きますぜ(字がヘタでもよければ)。


怒濤の木曜日、編集者と会ったり、夜は学童保護者会だったり

2006-04-28 09:26:45 | 日々のわざ
予定が重なってしまい、またもばたばたした一日になる。
文春の新しい書籍担当者は、同じ街に住んでいて、早朝(?)出勤前打ち合わせする。ケーキ屋さんの奥の喫茶スペース。11時前にはなかなか開いている喫茶店がない。

文庫のこととか、これから取りまとめる短編集のこと。なんだか一年くらい先の話をしている。とても気が長い業種だと我ながら思う。ちなみに、その短編集に入る最初の短編を書いたのは、五年くらい前かもしれない。ここまで遅くなったのは、単に塩漬け状態になっていたからなのだが。

学童保護者会は、なんとか無事におしまい。
会則の改正もすんなり通った。とにかく昔作られたものなので、すっきりさせる必要があったし、参加者が「自発的な意思にもとずいて参加する」という点を強調したものになっている。
実際のその条文をどう解釈して、どう運用するかはこれから、なのだけれど、とにかく、「強制ではない」ということを強調したかったということ。

それにしても、昨年度はいろいろあった。
区の「見直し」案のせいなのだが、今年は平穏でありますように、だ。

体調はやっと上向き。咳が抜けるのと同時に、気分もよくなってきた。
やっぱり風邪だったのか??

「パピルス」にインタビュー記事

2006-04-27 21:30:52 | きうらきら光ったりするもの
知る人ぞ知る(笑)サングラスフリークのカワバタの性癖(?)を暴く、インタビューです。
イニシウムのCocktailや、OakleyのMarsや、KaenonのJackなんぞが誌面にでております。
ちなみに、「お隣さん」は辺見えみりさん。彼女は自分のアイウェア・ブランドを立ち上げているんですね。知りませんでした。
あ、「パピルス」は幻冬舎が出している隔月雑誌。カラーページばかりなのに、半分文芸誌みたいなつくりです。知らなかったけれど、面白い雑誌です。


じたばた水曜日、汐見さん、岸さんとの鼎談やら、短編追い込みやら

2006-04-27 05:50:13 | 日々のわざ
東大の汐見稔幸さんと、秋津コミュニティの岸裕司さんとつくる本の中の鼎談部分の収録がメインイベントな一日。
午前中、区の教育委員会生涯学習担当者から、家庭学習関連予算の使い方の説明を受ける会があったのだけれど、それはわが委員長と会計さんが出ればことたれりということで、ぼくは免除。
すごく助かった。おかげで、懸案だった短編を一応最後まで追い込める。
でも、ぜんぜん追い込めていないんだなあ。
テーマと構成と、分量のバランスが悪い。整理して、最初から刈り込みかかる。

昼過ぎにいそいそと準備してお茶の水へ。
件の鼎談へ。
このところの体調不良で、なんかぼーっとしてしまう。
頭が回転し始めるまでにすごくアイドリングタイムが長い。本来なら、テーマをちゃんと頭の中に起きながら、逸脱すらコントロールしちゃうところがあるのだけれど、話している間、なんの鼎談なのか忘れてた(笑)。
ほんと医者にいって、血液検査くらいしておこうかって気になる。
倦怠感と、体感上の微熱(はかっても36度台)。
でも、この時期にいっても検査結果はゴールデンウィーク後だろうから、なんだかなあという気もするのだな。
もし、GWおわっても相変わらずだったら、ぜったいに病院に行きますと宣言。

とにもかくにも無事鼎談を終えて、自宅に帰ってまた短編に手を入れるが、時間がないから、あんまり進まない。
アマゾンに「銀河のワールドカップ」が登録されて、24時間以内の配送になっている。
しかし、いきなり、古本販売にも出ているのはなぜだ。
コンディションは「新品」ってことになっていて、つまり献本分、ということなのだろうなあ。
とすると、切ないことである。

きょうは学童の保護者会の総会だと気付く。
でも、夜だ。
まだまだ先ってかんじ。

どたばた火曜日、ファッション誌の取材とか息子のフットサルとか

2006-04-26 06:17:22 | 日々のわざ
午前中は某男性ファッション誌のインタビュー取材を受ける。
すごくノリのよいクルーであった。カメラマンさんと、「お互いに似ている」(顔が)ということで合意する。
それにしても、ファッション誌に読書欄って、あるのだなあ、と感動した。
白黒ながら著者インタビューでほぼ一ページ使っているのはすばらしい。若者よ、本を読め!というメッセージですね。

ライターさんは、カメラ雑誌の記事をよく書くということで、使いやすいコンパクトデジカメについて、話を聞く。逆取材。

夕方はフットサルスクールに息子をつれていって、つきそいで来ているほかのお父さんと会話。
息子さんは、FC東京が味スタでやっているサッカースクールに入ったということで、次回からは来なくなるとのこと。
親子フットサルに誘っておく。
とはいえ、本格稼働は体育館がとれるようになってから、だな。
実はまだ、区にサークルの登録とかしていないのですよ。

翌日に迫った鼎談のために、ほかの二人の共同執筆者の原稿に目を通す。おもしろい。
汐見さんといい、岸さんといい、ぼくより一回り年上の先輩なのだが、こういう先輩がいるニッポンは悪くない。

夜、銀河のワールドカップが、書店に並んでいるとの噂(?)をきく。


「銀河のワールドカップ」が書店に並ぶ

2006-04-25 20:46:35 | 自分の書いたもの
Img_6909拙著、 「銀河のワールドカップ」 が都内有名書店には並んだ模様です。明日には全国に行き渡る予定。
ちょっと高くて(1995円)申し訳ないですが、中身は充実。自信作ですよ。

タイトル通りのサッカー小説です。
サッカーが好きなら楽しんでもらえるはず。それだけではなくて、「好き」を通り越した専門家やマニアでもなにがしかの「発見」があるはずだし、また、サッカーを知らない人はなおさら楽しめるものに仕上がっているはずです。

内容はというと……
少年チームが主人公で、プレデター対エイリアンで、最後の最後は、みんなしっているあんな人やこんな人と戦います。

帯に岡田武史監督(横浜Fマリノス)が寄せてくれた言葉は、

次代をひらく、すべてのサッカー好きの人に読んでほしい!

そして、編集者が書いてくれたコピーは、

新時代の〈サッカー小僧〉小説
日本一、いやいや。世界一、まだまだ。ぼくらは宇宙一になるんだ。

章立ては
第一部 コパ・デ・ハポン
第二部 コパ・ムンディアル
第三部 コパ・デ・ラス・ガラクシアス
終章 コパ・ウニベルサル

これまでの作品でいえば、「川の名前」を楽しんで下さった方なら、入りやすいかもしれません。
扱っている内容は違いますが、文体の熱容量が近いです。
それに、実は、「川の名前」の隣町が舞台です。共通の登場人物はいないですけどね。

なんやかんや書きましたが、ワールドカップ・ドイツ大会も近づいてきたことですし、サッカーな気分になりつつある人は是非。確実にサッカー魂に火をつけちゃいますよ。

なお、当然、ですが、このタイトル川上健一さんの「宇宙のウインブルドン」のパクリです(さらに言うと、「銀河のワールドカップ」を掲載してくれた小説すばるの編集長は、川上さんの担当編集者として「宇宙のウインブルドン」を手がけた方です)。


ばたばた月曜日、垣根涼介氏と対談など

2006-04-25 07:34:24 | 日々のわざ
午前中は短編をばたばたと書いていて、それから吉祥寺で対談。
垣根涼介さんと会うのは五年ぶりくらい。
物書き同士、しょっちゅう会うというもんでもない。どうしても編集者とのつながりの方が密になる。
垣根さんは、「ゆりかごで眠れ」という、とてもごつごつした本を最近出したばかりで(とても面白いですよ)、ぼくは「銀河のワールドカップ」の配本直前。それで、対談ということにあいなりました。
某小冊子に掲載予定。なんだかすごいスケジュールを編集者は言っていたけれど、人ごとながら心配になる。テープ起こしとか、今頃、やっているのだろうか。

夜は感染症研究所のメディア勉強会。
感染症法がまた少し変わるということで、それについてのフログレス・リポート。さらに麻疹の最近の状況。
さらにさらに、ボツリヌスのアウトブレイクがタイであって、抗毒素をもって現地入りした職員のフィールドリポート(すごく面白かった。)。
タイにも、FETPがあるそうだ。規模も大きそうな話しだった。

構成論にもいろいろな立場があるものだなあ……

2006-04-24 06:05:54 | トンデモな人やコト
なんかああだとうごするうちに、ちょっと展開がありメモしときます。

リンク: 酔狂人の異説 - トンデモという決め付け(2).
リンク: 酔狂人の異説 - トンデモという決め付け(3).

いずれも、先日の「理科教育と構成論」のからみからの流れ。
(2)の方は、コメント欄もよんでいただけるとよいか、と。
ぼくは、最初は、この方は強い非実在論の支持者だと思っていたわけですよ。
でも、(3)くらいになると、決してそうでもなくて、自然法則の実在性はアプリオリに認めてらっしゃる。
にもかかわらず、「構成」「創造物」という言葉にはとても愛着があるようで、

「重力に関する「逆二乗の法則」もケプラーの法則などをもとに「創造」されたものだと思うが……。科学理論は、それ以前の科学理論などをもとに「創造」されたものである。それは、新しい曲や新しい小説がそれまでに書かれた曲や小説から影響を受けているのと同様、先人の知見を踏まえて、それらを肯定的、あるいは否定的に引き継ぎ、それに新しい何かを加えたものと言えるだろう。
自然法則が創造物であることを否定するのは、自然法則が先人の膨大な努力の結果として成り立っていることを否定することになるだろう」

とおっしゃるわけです。
これはぼくも合意ですよ。
まったく合意。
これは、科学の成果が、実在的であるから、非実在であるか、というのはまったく別問題ですよね。
科学は歴史をひきずってしいる。わざわざ言われるまでもなく、当たり前のことです。
ただ、ぼくは、創造とか、構成とか、いう言葉を使わないというだけです。

つまり、構成物・創造物という言葉が、使われる時、
まず第一に、「実在」と切れていることを主張しているのだ、とぼくは受け取っており、この方は、「歴史性」を述べる言葉だと受け取っている、ということなんでしょう。

たとえは、
「自然法則が創造物であることを否定するのは、自然法則が先人の膨大な努力の結果として成り立っていることを否定することになるだろう」とおっしゃるわけだけれど、
ちなみに、日本語としての「創造」は、

そう‐ぞう【創造】(サウザウ)
*新たに造ること。新しいものを造りはじめること。「?力」*模倣。
*神が宇宙を造ること。「?者」「天地?説」

と広辞苑がのべるとおり、新たに作る、ということに力点がくるので、むしろ、歴史との断絶を言い立てる時に使われがちな言葉だよ、とも指摘できますね。神様ニュアンスも当然あるので、この言葉はいろんな意味で「強い」言葉なんです。

一方で、構成論者がつかう時の「創造」は、実在に根ざしていないという意味がまず先に来るのだとぼくは認識しております。だから、先行理論に根ざしたりするのは充分にアリでしょうが、しかしながら、「創造」という言葉の中に、「先人の到達したものに何かを付け加えたりさっぴいたりしたもの」という含意は特にないんじゃないでしょうか。上記の通り、むしろ正反対の含意を持つことの方が多いのではないか、と。

とにかく分かったのは、この方は「理論の実在論者」です。「対象(原子とか電子とか)の実在論者」かどうは分からないけれど。

でも、とすると、ぼくが書いた最初のエントリに対するコメントが不可解にもなってくるんですよね。
「キーワードから探るこれからの理科教育」で紹介されている科学観(「 理科教育に入り込んだ(?)、「現代の科学観」という名のトンデモ」.を参照)は、「科学理論や法則、体系というものは、あくまで人間の構成物であり、それら自体が自然界に実在するということを前提としない」というものなんです。
つまり、科学法則すら、自然界に実在することを前提としない立場。
もちろん実在しないけれど、法則は成り立つのだという考えはアリなのだけれど、その立場って、はたして科学哲学的にどうよ、というとまた複雑な問題になっていきます。

まあ、少なくとも、この問題については、すごく理解の幅があって、同じ言葉を使っていてもまったく理解が違い、かなり合意できるはずのことも、鋭く対立しているように見えたり、逆に同じことを言っているようでまったく違ったり、ということが簡単に起きそうだ、というのがよく分かりました。

このあたりゆるりと頭の中で整理することといたしましょう。
お付き合いいただいた酔狂人さん、どうもありがとうございました。



10時間眠ってやる

2006-04-23 17:24:35 | 日々のわざ
調子がイマイチでない。
来週はすごく忙しいし、もう仕方ないので、きょうはたくさん眠ってやる。十時間くらいガツンと。

ほんと月曜日は対談だし、火曜日はインタヴュー受けるし、水曜日は鼎談だし、木曜日は打ち合わせいくつかだ。おまけに今週中にあげたい短編が、構想練り直しで、きょうからまた書き直していたり……。

とにかく眠る。
逃避が一番っす。


あわただしい土曜日。PTAでまずったり、フットサルが下手だったり

2006-04-22 17:38:03 | 日々のわざ
 PTAの成人教育委員会の顔合わせとか、調布のフットサル参加とか。
あわただしい土曜日だ。その間に、「キャプテン翼について」などというお題でエッセイも書いている。
 PTAではいきなり、まずったかも。

 成人教育委員会というのは、区から下りてくる予算で保護者対象に啓蒙活動を行う、というもの。いろいろ楽しいことができそうで、また、ためになることもできそうであるから、いいかなあと思って参加した。ただ、一番最初のところで、どうしても聞かなければ気が済まないのが性分なのだなあ。
「今年は特になにもやらないので予算いりませんとか言ったらどうなるんですか」などと聞いたら、「ただでさえ予算が減ってきており、一度なくなったらもう復活できないし、また、他の学校に対しても迷惑になる」というような主旨のことをかなり強い調子で、それも複数の方からおしかりを受ける。なんとなく、「権利が義務に転化している」みたいなイメージを抱く。やらされているのか、自分でやっているのか、というのはとても大事なことだと思うので聞いたのだけれど、あまりに強い反応が返ってきて戸惑った。その一方で、また強く聞き返している自分がおり、まったくもってこまったちゃんであった(ぼくが)。
 でも、ここには、すごく繊細で大事な問題が埋まっている。「みんなそう思っているんですよ。でも??」という語法がすごく多いのだ。いずれにせよ、前向きに、楽しく、充実した、ためになる活動をしたし、ということで、副委員長になってきた。6月と12月にいないことはかなり致命的なのだけれど、それ以外のところで貢献すべくがんばります。
 
 そうそう、この会合ではじめてPTAで男性に会った。その方も、今のPTAに違和感を抱いている様子。たぶん似たことを感じているのではと思った。でも、ぼくなんかよりずっと温厚で、実務的で、頼りになりそうでありました。
 
 フットサルは調布のサークル。
 地元のサッカーチームの練習がオフだったのか、かなり人数が多い。またレベルも高い。いやー、息子のことをああだこうだという前に、自分が下手くそだ。まいった。
 右足でボールを蹴れないというのがあるのだけれど(膝、まだ治ってません)、それ以上にボールをまともに扱えない。なんでこんなに下手なんだとびっくりするくらいだ。とはいっても、膝が完治しても、集まった「大人」の中では一番下手くそだ。まいった。
 でも、またいくぞって。
 息子が、前線のこぼれだまに反応して、無人のゴールにゆるゆるのシュートを決める。きみの方がなんぼかましやないか、と思う。
 来週、リベンジじゃ。知り合いの「時々フットサル」イベントに参加するつもりなので。
(注、参加していた大人たちは、調布では強豪の少年サッカーチーム、イーグルスのコーチ連中だと判明。強いチームのコーチって、やはり上手いのですね……)
 
 息子のピアノに付き合う。
 7月に発表会。去年はスルーしたけれど、今年は出そうか、と。
 どう転んでもこの子がピアニストになるなんてことはないわけで、ということはいつかはやめるわけで、それは遠からずやってきそうな気もしていて(高学年になってもやっているだろうか、疑問)、とすると、舞台は踏ませておきたい。緊張と快感、両方あるもんだし。それはわかってほしいものだ。
 

メディアの勉強。日経新聞の動物園記事

2006-04-19 21:15:54 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
4月8日土曜日の日経新聞に、「動物園人気再び??経営改革正念場」という記事が掲載されて、そこでぼくのコメントが採用されている。
その前日あたりに電話がかかってきて、30分ばかりはなした中からの「一言」の採録。

現在の動物園ブームが維持できるかどうかという主旨の記事で、その最後の最後のところで、このように、ぼくは述べていた。
「動物園にできること」の著者で作家の川端裕人氏は「指定管理者制度への移行で職員の専門性が深まり、現場の意見がさらに反映される可能性がある。ここ数年が正念場」だと見ている。

引用終わり。

この記事が出てからしばらくして、動物園の知人からメールがきて、「納得ならん」と述べた。
なるほど、読めば、分かる。
この文脈の中で、指定管理者制度が、「ブーム持続の鍵」のような書き方がされている。でも、実際問題としては、指定管理者制度への移行が、動物園がこれまで培ってきた専門性を崩壊させてしまう懸念の方がまず先に立つのが、動物園共同体の受け取り方であり、こんなこと書かれちゃかなわん、ということになるのだろう。たとえば、今、働いていく飼育者が「全取っ替え」になるような場合もありうるわけで、その場合、いったいどうなるのか不安であり、また、もしもそうなったら、展示以前の日々の飼育のレベルで問題が数限りなく噴出するのは待ちがない。

じゃあ、なんでこんなコメントなんだ、ということになるけれど、記憶によるとやはりこの引用のようなことを、ぼくは言った。

ただ、ニュアンスはかなり違って、
指定管理者制度への移行がはらむ問題点への懸念を表明した上で、場合によっては、指定管理者に委ねることで、現在のような役所の一部であるよりも現場の意見が直接的に「見せ方」や飼育の仕方に反映させやすくなることは原理的にはありえる。そのためには、まず東京や横浜にがんばってもらわねばならない、みたいなかんじであった。

もしも、これが指定管理者制度についてフォーカスをあてた記事だったら、記者は、「かくかくしかじかの問題があるが、実は、こういうプラスの面も原理的にはありえる」みたいな元のニュアンスに近い書き方をしただろう。でも、この記事は指定管理者制度そのもの是非を問題しているわけではなく、別の大きなストーリーの中に、ぼくの発言の一部がはめ込まれてこういうことになった。

ミスリーディングだとはいっても、言ったことではあるのでとりたてて抗議とかするつもりはなし。正反対の方向にミスリードされているわけでもないし。

でも、驚いているのは事実。

実は、ブームが持続するかどうか、という問いを聞かれて、ぼくは「かつてのようなカリスマ的な動物にたよったブームではないので、今回はこれまでとは違うと希望を持っていいのではないか」と述べた。むしろ、それが使われるのではないか、という気がしていたのだ。
指定管理者のことは、むしろ、本論とはずれたことだと認識していた。

いずれにしても、新聞へのコメントはストレスが大きい。前もこういうことがあった。
よほど論旨がしっかりと事前に分かっている場合を除いて、いっそやめるかと思う(実はずっと控えいてた)。

岩本昌樹が語るワールド・フットサルの壁

2006-04-19 05:29:31 | サッカーとか、スポーツ一般
インターコンチネンタル・カップに出場していたプレデターの岩本昌樹氏が帰国、息子のスクールのフットサルコーチに復帰。

それでちょっと言葉を交わしたのだけれど、とにかく「世界」は強かったらしい。
6チーム参加の中で、3チームずつのグループリーグで、スペインのチーム(ディフェンディング・チャンピオン)とブラジルのチームにぼこぼこにやられてしまった。

何がちがうかって、フィジカルだという。
とにかくでかい。ごいつ。190センチあるアドリアーノみたいなのがごろごろいる。
フットサルはサッカーに比べて身体接触が多い。チャージは禁止でも体を寄せて、ぐぐっと押されたりするのは反則ではないわけで、そういうのにことごくと負ける。セットプレイのポジション争いでも、いくら押しても動かない。

結局、スペインのチームが優勝して、プレデターは五位・六位決定戦で、アメリカ王者を下して五位。

スペースがない方が、フィジカル要素が重要になることは間違いないのだけれど、フットサルの場合、激しい当たりを禁止することでその要素を圧縮しているのだと感じていた。でも、単純にそうとも言えないわけですね。