川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

日本人って集団主義なの?

2009-05-31 22:35:13 | ひとが書いたもの
「集団主義」という錯覚―日本人論の思い違いとその由来「集団主義」という錯覚―日本人論の思い違いとその由来
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日本人は集団主義的である。
この言明は、だいたい事実だと思われていて、その一方でアメリカ人は個人主義的であり、西欧の多くの国の人たちも、やはり個人主義的であると言われる。

ぼくはこのことについて、ある程度のリアリティを感じつつも、程度の違いや分布の違いであり、そんな決定的な差として語るのは適切ではないと思ってきた。

また、実際、911直後のアメリカでの愛国の嵐は報道を通じてではあるけれど目の当たりにしたし、マッカーシズムの吹き荒れた頃には、反全体主義の名のもとに、集団主義的な行動が社会の主流を占めたのではないかとも感じてきた。

アメリカ人は個人主義ってういうけれど、ちょっとボタンを押してあげれば簡単に集団行動になっちゃうじゃないって。

けれど、本書では、ぼくが感じてきたことをはるかに越えて、「日本人は集団主義、アメリカ人は個人主義」というのが錯覚だという。

痛快だ。


まず、過去の日本人論を論じ、日本人は集団主義とする議論のほとんど、というか、遡上にのせられたものすべてが、実証的な証拠に基づかず、著者自身、あるいは非実証的な文献からの引用、伝聞のたぐいで構成されていることを指摘する。

そして、いざ実証的な研究に目を向けると、心理学的な研究でも、社会学よりの研究でも、こぞって、両者に差がないか、しばしばアメリカ人の方が集団主義的という結論か導かれることをあきらかにする。

通説として、英語の"I"のように、一人称の主語を明確に使わないことが多い日本語は、自我の発達が未発達な日本人のありようとつながっている、というような言説がある。

また、いじめのような現象があるのも、日本的な集団主義が原因だ、という考えもよく聞く。

さらに、集団主義の帰結として語られる「日本的経営」「年功序列」「系列取引」「日本株式会社」といった「現象」もある。

これらのことが、ことごとく、「日本人は集団主義的」とする証拠として不適切であることが示される。いじめにせよ、経済関係の通説にせよ、実証的な研究をすると、まったく根拠がないというのだ。

いや、まいった。

もちろん、著者の見解への再反論というのもありえるのだろうが、もともとの日本人論が、まったく実証をベースに語られていないがゆえに、それも限定的だろう。

億を超える人口を持つ複雑なコミュニティの中から、自説に都合のよいエピソードを選んで物語を紡ぐなら、なんだっていえてしまうのだ、と痛感させられる。

著者は一歩進んで、みずから、「エピソード主義」の手法で、「アメリカ人は集団主義で、日本人は個人主義」という説を、説得的に提示してみせるのだから念が入っている。もちろん、著者の意図は、その説が正しいとすることではなく、エピソードによる印象論はいかん、ということを説得的に述べることにつきるのだが。

では、なぜ、こんな通説がまかり通るようになったのか。
著者の分析は、ぜひ、本書をごらんください。

ぼくとしては、著者が指摘している、「性格より状況に人の行動は左右される」という分析。国民性というのがあったとしても、それは、その国の人たちの性格がそうであるというよりも、その国の人たちが置かれている状況に依存しているという話。

こういった異文化誤解の事例には、決定性・両極性・斉一性・不変性といった4種類の誤解がついてまわるという指摘がなされる。まあ、このへんも、興味のある方は本書で。

ぼくとしては、この本を「単純な二分法による理解を警戒せよ」とするものとして読んだ。
かりに、そういう二分法が、問題の系を適切に切り分けるとしても、かならず二つ間には「中間」があり、グレーゾーンがある。つまり、常に分布を意識せよ、ということ。

それにくわえて、二分法があまりにしっくりする場合、むしろ、疑問視して、別の座標軸を持ち出し、せめてデカルト座標で考えてみようよという思考の癖をつけておきたい、ということ。

ことPTAについて語る場合など、とくに要注意。
日本は集団主義だから……というのは、あまりに分かりやすすぎて、むしろ、本質を捕まえ損ねていると思ってきたがゆえ。


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なお、PTAについては、この本の後に新聞連載した「PTA進化論」も配布しています。
くわしくはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/kwbthrt/d/20090515



キタアカリです

2009-05-30 23:03:35 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Img_1501Img_1503別に種イモとして入手したわけではなく、スーパーで売っていたキタアカリをそのまま埋めたら、大いに成長してくれております。
ほんとは、何週間か光に当てたり、いくつかのブロックにカットしたりする方がいいらしいけど面倒だったので。

それにしても、葉っぱの付き方が楽しい。
茎から小さい葉が直接いくつも出てきて、飽きさせないってかんじで。
最近では、小さな青虫やら、テントウムシやらが、つくようになりました。



津田さん@東京経済と、藤原さんカワバタ@産経新聞

2009-05-29 18:21:27 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
R0010864ドクダミも、雨に濡れるととてもきれい。
どこかの国では、観賞用に植えているなんて話を聞いたこともあります。

それはそれとして、津田敏秀さんの東洋経済でのインタビューがネットにアップされています。
情報提供sionoiriさん。
題して、「なぜ公害・薬害を繰り返す、医学界の暗部を告発する」。
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3c3c2de85e19bfe96b6d08f9b2e31f97/
さらに、けさ、藤原和博さんと、ぼくの二人が、それぞれPTAについて語るインタビューが産経新聞に掲載されました。
「金曜討論」という枠です。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090529/edc0905290807001-n1.htm


2009年11月はリーマン祭り?

2009-05-28 21:10:26 | 自分の書いたもの
R0010779R0010765東工大の黒川信重さんの研究室へ。
アリメトの完結をとても喜んでくださって、恐縮することしきり。
指摘されて知ったのだが、実はことしはリーマン予想150周年の節目なのだ。
1859年11月というのが、リーマン予想が世に出た年。

奇しくも、アリメトの単行本化は、そのぴったり150周年の11月近辺になりそうな予感がしていて、うれしい。

さらに、この1年半くらいの間に、リーマン予想をめぐって、急に事態が動き始めた感があるという。


黒川さんがかねてから主張している絶対数学(一元体F1上で考える数学)に、アラン・コンヌの非可換幾何学が合流したことに端を発するという。

いや、ぼくも、ここんとこ、どういうことなのかよく分かってないんですが。

アリメト出版後、急転直下で予想解決なんてことなったら……と夢が膨らんだりいたしました。

以下、アリメトのインスピレーションの源泉となった数学一般書。
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なお、黒川さん情報によると、この秋には何冊かの新たなリーマン予想本であるとか、テレビ番組!まで予定されているらしい。

たのしいおおくぼようちえん

2009-05-28 08:26:37 | 日々のわざ
R0010627R0010632先日、とはいっても、かなり前、新大久保から新宿まで歩いてみたことがあって、その時に発見した幼稚園。
なつかしいなあ。
ぼくも兵庫県明石市のおおくぼようちえんに通ったのだった。
「たのしいー、おおくぼ、よーちえんー」という園歌(?)はよく覚えている。
単に同名ってだけだけれど、小学校併設なのも同じで、つーんと胸が甘くなったのであった。

ちなみに、現実の兵庫県明石市大久保町は……
元なでしこジャパンの川上直子さんの出身地。
ぼくが住んでいたのよりも山よりの新興住宅街らしい。

そして、なによりも、明石市大久保町がすごいのは、今の日本では希有ともいえる、「ガンマンの町」であることだ。
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栗本薫さんがなくなったことについて

2009-05-27 23:23:03 | ひとが書いたもの
リアルでお会いしたことは数回なのだけれど、大きなインパクトを受けたという意味では、ジンセイにおける大恩人の一人。

相変わらずですが、ご冥福は祈らない。
「冥」の世界など、ぼくは知らないから。

ただ、感謝するのみ。

こういう本が出ていたことすら知らず、不明を恥じる。
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未完に終わったグインがむしろ愛おしい。
完結なんてしないでいいんだ。


妙に忙しいぞ??

2009-05-27 22:38:46 | 日々のわざ
R0010810R0010764_2昨日は朝、読み聞かせのサポートで学校に行ってから、新宿でハリウッド関係者(これがまた、本当にハリウッドな人たちなのだ。自分の「人脈」にこのような人たちが混入していることを喜びに思ったり)と今は雲を掴むような打ち合わせの後で、戸山の感染症研究所でブリーフィング。
これは厚労省のフィルターを通る前の、「現場」に近いところだけれど、現状、人権重視の方向へ舵を取りたいようなニュアンス。一部の報道が、大阪・神戸で不安心理や、魔女裁判的状況を招いてしまった話を聞く。感染症対策の「現場」の声として重いと同時に、今、こういう場で、感染症対策の専門家がメディアを相手にこのことを強調しなければらないこと自体、もっと経験値をあげなければ、と思うことしきりなのだった。

そして、きょうは午前中、駅前で打ち合わせをしたあと、いったん家に戻ってから、玉川学園へ。
何年か住んだことがある町だけれど、学生さんがいっぱいの時間帯にはいないような仕事をしていた時期だから、非常に新鮮。こんなに若者の町だったとは……。

もっとも、みんな寄り道せずに、まっすぐ小田急線なのだが。

で、訪ねた五号館では、ニュージーランドの教育制度にくわしい福本みちよさんの話をうかがう。
保護者が教育にかかわることについて、ニュージーランドは大いなるヒントに満ちた国だというのは、薄々気づいているとおり。

明日は歯医者と東工大だ……。

 



0.1ミリと100万人

2009-05-26 11:12:44 | ひとが書いたもの
0.1ミリのタイムマシン―地球の過去と未来が化石から見えてくる (くもんジュニアサイエンス)0.1ミリのタイムマシン―地球の過去と未来が化石から見えてくる (くもんジュニアサイエンス)
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ちまたで評判の本を、やっと入手。
大変おもしろかったです。

分類が難しく(ぱっと見てすぐに分かる特徴に乏しい)、これまで放置されてきた、あるタイプの珪藻化石をひとりで分類に成功した若手研究者が、子どもたちにむけて研究の醍醐味を語る。

研究対象は「お休みケイソウ」とこの本の中で述べられるキートケロス属。とはいっても、属名は重要なことではなくて、ほんの小さな微化石から広がって行く世界(科学的な知見も、著者の研究者人生も、そして、読者の知識も)が述べられるのがよい。

著者の研究者人生としては、だれも手をつけていなかったところに学生が挑み、パイオニアとして一線に立ち、そして、フィールドを遠く北極海にまで伸ばして行くのが、実に発散的。子どもには、「宇宙飛行士の体験談」に等しいくらいのインパクトを持つのではないか。
科学的知見の広がりとしては、微化石が時代を特定する示準化石として役立ったり、当時の地球環境を理解する鍵になったり、ひいては、我々の住むこの星の理解につながったりしていくさまがよくわかり、さらに、読者の体験として、その「広がり」を時間軸としても空間としてもイメージできるのが、とてもよい構成だった。

0.1ミリのタイムマシン。
ふさわしいタイトルだ。

あとがきに、住田さんとか、毛利さんとか、知っている人たちの名が出てきてうれしい。

と、この本を読み終わった直後、読み聞かせへ。
本日は、「サブ」の役割なので、読む必要はなく(実は、無理に行く必要もないのだけれど)、ほかのお母さんたちが読むのを聞いてきた。

あるクラスで読まれていた、こいつがツボにはまる。
アメリカの数のえほん―100万ってどれくらい? (アメリカの数のえほん)
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100万人が肩車するとどこまでいけるかとか、100万匹の金魚が入る金魚鉢はどれくらい大きいかとか。
100万というのを具体的にイメージできるのがすごかった。
よい絵本でした。

もちろん、読んでくれたお母さんの間のとりかたも絶妙で、感心することしきり。

PTA脳の恐怖!

2009-05-25 12:42:56 | トンデモな人やコト
R0010771R0010782PTA枝葉剪定委員会によると、「各地に点在するPTA(Peanut butter Toast for Asagohan・ピーナーッツバタートーストを朝食に!)という謎の団体で、長年所属しているメンバーの脳に異変をきたす場合がある」という。

非常に恐ろしいリポートは下のリンクで読むことができる。
http://www3.kcn.ne.jp/~tomate/shuho/2009/20090523.html

この「ピーナッツバタートーストフォーアサゴハン」(PTA)という団体は日本各地に浸透しており、学齢期の子を持つ親なら会員である可能性が高い。「わたしももしかしたら」と心配な方はページの下の方にある、PTA脳判定テストを活用するとよい。

実はぼく自身もこの団体に属しており、判定テストの結果、脳に変質をきたしていないことが分かり、胸を撫で下ろした次第だ。
さて、ぼくは、本委員会によって指摘される前より、なぜ、「ピーナッツバタートーストフォーアサゴハン」(PTA)では、世の常識と思えるものが、通用しないのか疑問に思ってきた。

たとえば、この団体は多くの場合、ある学校に入ってきた児童・生徒の保護者の意志を確認することな自動的に会員にする。会員は、自由な入退会ができる事実を知らない。

そもそも、「ピーナッツバタートーストフォーアサゴハン」(PTA)は、戦後の食糧難の時期に、子供たちを栄養障害から守るため、GHQの主導のもと、文部省の旗ふりで実現したもの。
結成時に文部省が配布したパンフレットでは、「子どもたちのために、志を持った保護者、教員が参加し、教育民主化にも役に立つ」とされ、自由意志に基づいて集まった会員により任意に結成された社会教育関係団体と位置づけられた。

実際の活動としては、団体名「ピーナッツバタートーストフォーアサゴハン」(PTA)に象徴されるとおり、落花生栽培が有名である。
痩せた土地でも育つ落花生などを学校周辺の荒れ地で栽培し、朝食に高カロリーの食材を提供するため、保護者と教員がともに額に汗して畑を耕したという逸話は、各地で聞かれる。金のピーナーッツ、黒いピーナッツなど、様々な品種改良に成功し、地場産業の育成に貢献した例もある。

もっとも、戦後の復興が進み、初等教育での完全給食が実現して以降、形骸化が指摘されるようになり、今では、役員決め、委員決めの負担のために、保護者があえぐ構図が定着した感がある。

そこで、ぼくは「ピーナッツバタートーストフォーアサゴハン」(PTA)は、全員参加の義務があるわけではなく、自由に入退会できるのだと説き続けている。著書『PTA再活用論──なやましきメタボを超えて』や、新聞連載『PTA進化論──落花生栽培から校庭芝生化へ』などを参照のこと。

で、やっと本題なのだが、そういった議論をする際、非経験者がわりと普通に「そりゃあそうだよね」と納得しがちなのに対して、深くかかわったことがある人ほど、すんなりと受け入れられず、様々な程度、様々な形の拒絶反応があるのである。

その背後に、PTA脳、という現象が全国的に広がっているのだとしたら、まさにぼくのこれまでの経験を裏付けるものになる。
今この時点で、ぼくは非常にリアリティを感じており、このエントリで紹介するとともに、『PTA脳の恐怖!』と続編『脳内ピーナッツ汚染』という著作の企画書を某出版社に提出した。

ぼくが「ピーナッツバタートーストフォーアサゴハン」(PTA)とかかわりはじめてすでに6年目。
実際、もう面倒なことはごめん、という気分もある。しかし、いまだ謎の多いこの団体をめぐって、大変なことが起きているかしれないという客観的な可能性について、現場に身を置くものとして、またこ問題について考え、取材し、考察し、論述してきた者が、口を閉ざしていることは、やはり不誠実だと思うのだ。
なにしろ、このままPTA脳がふえてしまったら、日本からまともな保護者かいなくなり、亡国の危機にすらなりかねない。

とりいそぎ、ブログにて警鐘を鳴らし、今後の言論活動においても問題にしていく所存。

以上(ネタですからね)

********************

ネタじゃなく、付け加えておくとすると……やはり、「自由な入退会」について、「なぜすんなり伝わらないのか」、ずっと不思議に思っている。

PTA(保護者と先生の会、ですよ(笑))が自由な入退会ができることは規約になんと書いてあろうと事実なので、焦点はそれを周知するかどうかなのだが、それすらうまく伝わらないこともあって、コミュニケーションの難しさを感じる。

その人なりの重要な理由があって、「任意加入にすべきではない」「しない方がいい」「周知しないほうがいい」というようなトーンの議論成分が入ってくるわけだけれど、その際に、ぼくがいつも分からないのは、

自分の価値観を普遍化して、他人の行動を制御することに、なぜ、そこまで無頓着でいられるのか。

ということ。
PTAの意義について、高く評価するのはもちろん、その人の考え。
しかし、「わたしはPTAはすばらしいと思う」「自分は強制でも入って、結果的によかった」「わたしもやったのだから、あなたも」といった理由から、違う考えや事情や感覚を持っているかもしれない人に「網をかける」ことがなぜ正当化されるのか、本当にぼくには分からない。

とすると……

PTA脳って実在するんじゃあ……

なんて、単純すぎる結論には飛びつきませんってばっ。

ただ、PTAが思考の自由さや柔軟さを奪うメカニズムについては考え続けていて、いずれ書くと思う。

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思わぬ言及

2009-05-24 22:11:48 | ひとが書いたもの
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ちょっと興味をもって読み始めた。
裁判の背景には、スポーツマンシップがある、という不思議な結論に(しかし、興味深い)至る「父と息子」の対話。本筋としても、大変おもしろかったのだが、びっくりしたことに、「銀河のワールドカップ」が言及されていた。ルールの調整をめぐるあれこれを議論する章。

**********
父 おもしろかったのに、あまり評判にならなかったのが残念だったね。
子 まあ、川端さんの小説は、凝りすぎのところがあるからね。

**********

という一節に大爆笑。
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SFが読みたい! 2009年版―発表!ベストSF2008国内篇・海外篇 (2009)SFが読みたい! 2009年版―発表!ベストSF2008国内篇・海外篇 (2009)
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すごく旧聞に属しすぎているはずなのだが、いまさらこの本に目を通した。
びっくりした。
「エピデミック」が、 年間15位に入っているではないか!
いやあ、ほんとにびっくりした。
こういうのに、まがりなりにも、ランキングされるのってはじめてかも。
選んで下った方々ありがとうございます。

エピデミックエピデミック
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慌ただしい土曜日

2009-05-24 21:27:54 | 日々のわざ
Img_1400日は前後するけれど、土曜日のこと。
早朝、真鶴で、堤防釣り。
キスのちょい投げは不調。まわりの人もまったくあたりがないとぼやいていた。
そこで、トリックサビキにきりかえてアジがかからないかなあと思いつつ、いわゆる外道ばかりだった。
ネンブツダイに、アイゴが多数。
釣った魚は食べてみるの精神のもと、とりあえず持ち帰る。
昼過ぎに帰宅して、杉並まで片道30分かけて出かけて行き、金融関係で知識豊富なKさんとミーティング「百年後の世界」というテーマをめぐって、大いに興味深い話を伺う。
そして、急いで帰って、学校の保護者仲間と小劇場の台本を書いている若い男の子と談話会。
いやー、わかいっていいっすね、と加齢を思うことしきり。

Img_1556そして、帰ってから、とりあえず、アイゴを背開きにしてみる。毒のある背びれを切り取ってからささっと。しかし、小さい。一番大きかった2尾でもこんなスケール。

さらに……生では匂いがすごくて到底食べものと思えないのだが、翌日、日曜日、この小さな開きをやいたら、実によい風味だった。
地方によっては外道中の外道扱いされて、また地域によっては珍味とされる。その理由がわかった気がする。日本酒にもあいそう。

ネンブツダイは、ふつうにフライにしてしまったけれど、今度、数がとれたらフードプロセッサでミンチにして、じゃこ天にしてみようと思う。


クライミングコンペが中止、気持ちを切り替えて沼津へ

2009-05-24 18:35:27 | 日々のわざ
Img_1536Img_1549息子のクライミング大会が雨のために中止。
神奈川県山岳スホーツセンターの壁は屋外だったのだ。びっくりした。
こっちもびっくしたけれど、2日かけてルートセッティングしたスタッフの苦労が無に帰したわけで、非常に切ない。

我々は気分を切り替えて、沼津漁港まで走り、食欲の旅。



江守正多さんに会ったり、いろいろ

2009-05-22 22:08:11 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
Img_1522Img_1525霞ヶ関まででかけて、江守正多さんに会う。
今、構想している小説のヒントをたくさんいただいた。
江守さんは、以前にも紹介した(と思う)、地球温暖化本の著者。
温暖化シミュレーションの専門家。
温暖化についての様々な議論が飛び交う中で、「じゃあ、シミュレーションってどれくらい確からしくて、どれくらいいい加減なの」という問いについて語る希有な著作をものした。
科学的探求の現場は「どの程度」についてとても敏感だ。白と黒にはっきり線引きできることの方が珍しい。
それについて非常によく書いてくだっている。
地球温暖化の予測は「正しい」か?―不確かな未来に科学が挑む(DOJIN選書20)地球温暖化の予測は「正しい」か?―不確かな未来に科学が挑む(DOJIN選書20)
価格:¥ 1,785(税込)
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前日には駅前にて、東京大学教育学部の博士課程の学生さんと意見交換および情報交換。
彼は、地域運営学校だとか、学校支援地域本部のごときものが、導入されるにつれて、「開かれた学校」というかけ声とは裏腹に、「地域による保護者の教育」であるとか、「保護者が地域の嫁になる」という現象が実際に起きている現場をすでにフィールドにしている。

取材とはちがって、アカデミックな考察にするためたには、どのような「材料」が必要なのか、ぼくにはよく分からないので、身の回りで起きている、それ類似の現象を伝えておいた。

しかし、地域による保護者の教育の実例はすさまじい。
PTA活動を保護者の義務と断じたり (これは学校にも行政には絶対できないことだし、PTA本体でも言いにくいことだ)、あいさつ・食育・宿題・早寝早起き、といった家庭教育ともいえる分野に、「地域」が高圧的な態度で介入しようとする。「学校運営協議会・会長」名で、彼らの価値観にてらした「子どもによかれ」を実現しようとする。

ぶるぶる。本当に怖い。
この件については、いずれまた書く機会があるでせう。

*******
なお、一番目の写真では、上のほうの雲の前で、低いちぎれ雲がすごいスピードで流れてます。

PTA進化論の直接反響3(九州在住Mさんの驚き)

2009-05-22 09:10:42 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
R0010783南九州在住のMさんは、PTAの非経験者。
けれど、町会、ボランティアの仕事などで、公共性の高い空間にも身を置くことが多い人でもあって、PTAの問題を身に引き付けて感じてくださったよう。
Mさんにかぎらず、「非経験者」で身近ななにかを「似たもの」として言及してくれる人は多くて、代表格は自治会(町会)と労組。
Mさんは、町会とボランティア組織にかかわっている点で、複眼を持っているともいえて……というわけで、生の声を紹介します。

**************
さてさて私の最近は…というと「音声訳」「要約筆記」「いのちの電話」といったボランティアに関わっていて、役員や委員とは切っても切れない関係。
私も総務委員とかやったりしてますが、いろいろ企画したり準備したりするのは楽しいです。
ただ不思議なのは、なり手がないということは全くなく、むしろ喜んで引き受ける人が多いこと。
好きでそのボランティアに関わっているのだから、役員でも委員でもなんでもひっくる
めて引き受けちゃおうという人が多いのか…。ひとの役に立つことに喜びを感じる人が多いのか…。
そのあたり、やっぱりボランティアとPTAの違いを強く感じるわけです。


自らすすんで選び取った役割というのは、喜びでもあるというのがよくわかる一文。もちろん、PTAでも、みずから選びとり、その場所を心地良い居場所できる前向きな人はたくさんいるのだけれど、そういう人たちの存在が、「やりたくない人」の自由な意思を蹂躙してしまう構造になってしまっていて、そこが大きなちがいだとぼくは感じるのでした。

*************
だって、子どもがその学校に通っているからというただそれだけの理由で、半ば強制的に関わらざるを得ないなんて、たぶん納得できないですよね。
仕事なら仕事で、お金もらってるからと割り切れるし、もちろんボランティアならボランティアで、好きでやってるからと割り切れる。
でもPTAにはそれがないんですよね。きっと。
それって、私が知っている組織では、町内会が近いのかなぁって思います。
引っ越してきてすぐ、まだ何もわからない状態で、勧誘される。「ゴミステーションは町内会が管理しています」なんて聞くと、「入らなくちゃダメ? ゴミ出せないの?」みたいな圧力を感じたりして。
入ったら持ち回りで班長になったり、町内会費集めたり、回覧板をまわしたり。ボランティアの時とは大違いで、自発的な気持ちは全くなく、ただただやり過ごしてます(笑)
PTAはそれをさらにさらに大変にした感じでしょうか。


町会は場所によっては、いまもPTAなみの組織率をほこり、抜けるという発想がゆるされないところもあるようですね。一方で、崩壊状態のところも多い。
「強い」町会とPTAはどことなく似ているのかもしれません。
*************
入会の自由は大前提。
そして、組織の一部に組み込んで義務を増やすのではなく、それぞれの学校のPTAを独立させて自由度を高くして。
PTAに多くのことを望んではいけないと思うのです。
役員も委員もすべてなくしてシンプルな原点に立ち返ったら、何が必要なのか見えてくるのかもしれないし、やりたいことも見えてくるのかも。
それでPTAがなくなっちゃうのなら、それまでの存在なんだと思います。
必要があれば生まれてくるし、必要なカタチで生き残るはず。


なんて力強いお言葉。
こういう人にはぜひPTA会員になって、いっしょに「お仕事」したいと願ってしまうのでした(笑)。

****************

以上。
なおPTA進化論、読みたい方にはお配りしています。
くわしくは、こちら。
http://blog.goo.ne.jp/kwbthrt/d/20090515



二日連続こもりっきり、数学セミナー西浦連載と「再活用論」の発送

2009-05-21 09:00:46 | 日々のわざ
R00107632日連続で、ひたすら直し作業。
「いってらっしゃい」と言った後で、次に言葉を発するのが「おかえりー」だったりする。
そういうとき、「ただいまー」が本当にうれしいものだ。

そうこうするうちに、しおのいりさんの指摘で、数学セミナーににしうらさんがパンデミック関連の連載をしているのを知った、ぜひ、手に入れなければ。下の号では、まさに検疫について語っているよう。
数学セミナー 2009年 06月号 [雑誌]数学セミナー 2009年 06月号 [雑誌]
価格:¥ 980(税込)
発売日:2009-05-12

そして、この本を、世田谷区のすべての小学校PTAの役員あてに一方的に寄贈。
PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)
価格:¥ 819(税込)
発売日:2008-10


だれか「響く」人がいますように。
去年は、若干名いて、とてもうれしかった。

今年は……世小Pについての「見直しについてのメッセージ」を同封してしまったから、ちょっと「爆弾」のように受け取る人もいるかもしれない。
その反面、より強く食いついてくれる人もいるかもしれない。

どうも、この本、もらった印税より、自分で買った額の方が多くなりつつある気がする。