ブラインドサッカーのML経由の情報。
日本は韓国相手に初勝利。ただし、PK戦にて。ハードな試合だったんでしょうね。
(追記、2対2 PK4対3(8回中))
ちなみに、その前日のイングランド戦は、0対1で負けたとのことで、これをもって今大会での初勝利。
そして、総合順位は7位。
試合の写真はこちら。まだ韓国戦はアップされていませんが、イングランド戦を含む4試合はすでにみられます。
日本は韓国相手に初勝利。ただし、PK戦にて。ハードな試合だったんでしょうね。
(追記、2対2 PK4対3(8回中))
ちなみに、その前日のイングランド戦は、0対1で負けたとのことで、これをもって今大会での初勝利。
そして、総合順位は7位。
試合の写真はこちら。まだ韓国戦はアップされていませんが、イングランド戦を含む4試合はすでにみられます。
もう昨日なのだけれと、グローコムの「智場」のゲーム特集のインタビューを受ける。
The S.O.U.Pを今も気に掛けてくださる研究者がいるのは、実にうれしい。
執筆後、ほとんどオンラインゲームをフォローしていないので、心許ないのだけれど、最近の展開のリソースを読み込んで、インタビューに臨む。
インタビュアーは、井上明人、山根信二の両氏。
実は、この二人のおかげで、インタビューに至るまですごくわくわくしていた。
井上さんは、ゲーム脳関連で隣人。
リンク: 『ゲーム脳の恐怖』森昭雄.
なるほどこのページは読んだことがある。
そして、山根さんに至っては、スープを書くときに確実に参照しているこういった活動をしてきてくださった方。
リンク: YAMANE Shinji's Crypto Anarchist Page(in Japanese).
また、これなんて、せちやんの時に参照しまくっている。
リンク: SETI@home Personal Memo.
がっつりした小説を書く時、専門家が笑って許してくれる程度の精度がある記述を心がけている。
その専門家としての山根さんが、この作品を評価してくださっているのを知って、正直、「書いてよかった!」と快哉を叫んだ。
インタビューが終わってもだらだらと話し続け、本当にモチベーションが高まった。
ありがとうござました。
その一方で、自分のインタビューの内容、所々にそれなりに「使える」ところはあると思うものの、だいたい「ぬるい」反応が多くてすみませんでした。
やっぱり、入り込んで、書いて、忘れちゃう、タイプの書き手であるぼくは、時間がたつと潜在的なパフォーマンスの半分も発揮できなくなってしまうみたいで……もっといろいろ考え、言えたかもかれないのに残念であり、申し訳なく思っております。
おもしろいインタビュー記事なればいいなという、希望は充分にあるのだけれど(編集の腕前依存)。
The S.O.U.Pを今も気に掛けてくださる研究者がいるのは、実にうれしい。
執筆後、ほとんどオンラインゲームをフォローしていないので、心許ないのだけれど、最近の展開のリソースを読み込んで、インタビューに臨む。
インタビュアーは、井上明人、山根信二の両氏。
実は、この二人のおかげで、インタビューに至るまですごくわくわくしていた。
井上さんは、ゲーム脳関連で隣人。
リンク: 『ゲーム脳の恐怖』森昭雄.
なるほどこのページは読んだことがある。
そして、山根さんに至っては、スープを書くときに確実に参照しているこういった活動をしてきてくださった方。
リンク: YAMANE Shinji's Crypto Anarchist Page(in Japanese).
また、これなんて、せちやんの時に参照しまくっている。
リンク: SETI@home Personal Memo.
がっつりした小説を書く時、専門家が笑って許してくれる程度の精度がある記述を心がけている。
その専門家としての山根さんが、この作品を評価してくださっているのを知って、正直、「書いてよかった!」と快哉を叫んだ。
インタビューが終わってもだらだらと話し続け、本当にモチベーションが高まった。
ありがとうござました。
その一方で、自分のインタビューの内容、所々にそれなりに「使える」ところはあると思うものの、だいたい「ぬるい」反応が多くてすみませんでした。
やっぱり、入り込んで、書いて、忘れちゃう、タイプの書き手であるぼくは、時間がたつと潜在的なパフォーマンスの半分も発揮できなくなってしまうみたいで……もっといろいろ考え、言えたかもかれないのに残念であり、申し訳なく思っております。
おもしろいインタビュー記事なればいいなという、希望は充分にあるのだけれど(編集の腕前依存)。
サッカーネタ2つ(ブラインドサッカーとプレデター)
アルゼンチンで開催中の世界選手権。日本代表の戦績。現地から報告が入ってます。
日本 0-3 パラグアイ
日本 0-7 ブラジル
日本 1-1 フランス
これで日本は組で4位になってしまったわけですが、フランス相手になんとか一点とってドローに持ち込んで、やっと調子がでてきたかも。
大会は5位から8位決定戦もあって、次戦は対イギリスです。
ちなみに、日本代表の闘う姿は、こちらでみられます。現地入りしているカメラマンが開設しているサイトのようです。試合ごとに数十カットも。かっこういいですよ。
そのかっこうよさの源泉はと考えると、やはり「イメージのシンクロ」だと思うのです。
写真の多くはチームのコンビネーションプレーを写しているわけではないのだけれど、そのシーンに至るまでの道筋、コミュニケーションに思いを馳せてみてください。
ぴしっとスジの通った、美しさ、格好良さをかんじませんか。
それにしても……ブラジル、やっぱり強いんだなあ。
生で観たかったです。
ぼくのブラインドサッカーのイメージも、もう一段変わったものになったでしょうね。
そして、フットサルのプレデター。
「2007年9月に開幕する日本フットサルリーグへ参加する8チームが決定しました」
とのことです。
プレデターは、「銀河のワールドカップ」の時にお世話になった岡山さんがいたチーム。あの時は選手だったけれど、今はコーチをやってらっしゃいます。
最近、一緒にフットサルしてないなあ……。
アルゼンチンで開催中の世界選手権。日本代表の戦績。現地から報告が入ってます。
日本 0-3 パラグアイ
日本 0-7 ブラジル
日本 1-1 フランス
これで日本は組で4位になってしまったわけですが、フランス相手になんとか一点とってドローに持ち込んで、やっと調子がでてきたかも。
大会は5位から8位決定戦もあって、次戦は対イギリスです。
ちなみに、日本代表の闘う姿は、こちらでみられます。現地入りしているカメラマンが開設しているサイトのようです。試合ごとに数十カットも。かっこういいですよ。
そのかっこうよさの源泉はと考えると、やはり「イメージのシンクロ」だと思うのです。
写真の多くはチームのコンビネーションプレーを写しているわけではないのだけれど、そのシーンに至るまでの道筋、コミュニケーションに思いを馳せてみてください。
ぴしっとスジの通った、美しさ、格好良さをかんじませんか。
それにしても……ブラジル、やっぱり強いんだなあ。
生で観たかったです。
ぼくのブラインドサッカーのイメージも、もう一段変わったものになったでしょうね。
そして、フットサルのプレデター。
「2007年9月に開幕する日本フットサルリーグへ参加する8チームが決定しました」
とのことです。
プレデターは、「銀河のワールドカップ」の時にお世話になった岡山さんがいたチーム。あの時は選手だったけれど、今はコーチをやってらっしゃいます。
最近、一緒にフットサルしてないなあ……。
サイエンスアゴラ、「脳科学と神経神話~科学と社会の健全な関係を探る~」に出席して、うまくいえなかったことがいくつかあって、その中でもとりわけ困難を覚えたのは、「一般の人が統計学をもう少し知ることが、意外に大事ではないか」という指摘。
これは本当に大事なことだと信じているのだけれど、問題が大きすぎてうまく言えなかった。
そこで、家に帰ってから、ツンドクになっていたこの本を読み始めたら、いきなりまえがきに書いてあった。
ぼくがいいたかったこと。
まさにこの記述。
我々が、法則やらなにやら「客観的」と思えるものを追い詰めていこうとする時、このリアルワールドの特性なのか、我々の認知の様式なのか分からないが(あるいは、その両方なのか)、かならず「分布」が生じる。曖昧さから自由になることはできないし、にもかかわらず、そこからなにがしかの結論を確率的な言葉を使って導き出すのが「統計モデル」の妙味だ。
決定論的な世界観に対するものとして、最近ではよくカオスやら複雑系やらを持ち出すことがあるけれど、それよりももう少し根源的なレベルで、「統計的な世界観」を対置して考えてみるべきなのではないだろうか。どうも、我々の社会は、今のサイエンスの現場ではあたりまえになっているこの考え方になじめずに、それ以前の決定論的な世界観を受け入れたままに見える。
市井に流通する一般的な科学観では、「科学は何かの問題に対して白か黒か、真か偽かはっきりと決めることができる」というふうなことになっているらしい。
でも、実際に科学の現場で、そう信じている研究者は少ないだろう。
論理学的なレベルで、帰納法の扱いがどうした、ということを考えなくても、日々の実験やら観察の中で、研究者はデータのばらつきを経験している。自分が立てた仮説を、実験結果や観察結果が支持するかどうかは、統計的にしか語れない。
だから、科学は行き詰まっている、とか、信頼できない、というわけではないのだ。
むしろ逆だろう。
このやり方を多くの個別科学が取り入れた二十世紀、サイエンスは大きく進展した。
ところが、非・科学者たる「一般」の人々はこのことを知らない。
科学者が下す結論に、白か黒か、を期待してしまう。
実験一発で、なにかがわかったり、何かが否定されたりすると思っている。
そのあたりで、白か黒かをはっきりと言う、ある意味で非科学的な科学者の言葉を有り難く受け取ってしまう余地が生まれる。
具体的に言えば、統計的な処理を想定せずにただ水の結晶の写真を見せるだけの「水からの伝言」を、科学として真に受けるのは馬鹿な話だし、わずかなサンプル数でそもそも何と何とを比較しているのかよく分からない「ゲーム脳」理論も眉に唾をつけておい方がよい、ということが、理解できず、それらを「科学的に証明された」と信じてしまう人が続出するわけだ。
だから、高校で統計をあまり教えないというのは嘆かわしいことだ(理系の人は勉強することになっているみたいだけど、最後の方だし、あまり受験には出ないし、つい飛ばしがち、というふうな認識……間違ってますか?)。やはり、科学の共通言語であり、基礎的な部分でもある統計学は、教育の中で重視すべし、ではないだろうか。
というようなことを、言いたかったわけです。
さらにいうと、ここから先、疫学的な因果推論のことまで含めると、もっと大きな話になるのだけれど、それはあまりに大きすぎて、また今度。
おまけ1
「統計は嘘をつく」とよく言われるけれど、このことを言う時、二つの観点が抜け落ちていると感じる。
ひとつは、「かりに嘘をつくのだとしても、我々はこれ以上によい方法を今のところ手にしていない」(統計モデルを受け入れる限り)ということ。
もうひとつは、統計が嘘をつく時、統計学が嘘をついているというより、むしろ「統計学を知らないから、騙される」ということだ。交絡を考慮しない社会調査に注意が必要なのは当然。
また、本来、なんら結論めいたことを言えないレベルのデータを、高度な統計的手法を活用して、それらしく仕立て上げる類の論文があるとよく聞くが、そういうものは、研究者共同体内部では、「かなりきわどいことしてるなあ」というふうに、分かるものだ(そうですよね? ぼくは研究者ではないので想像で言ってますが)。
でも、統計リテラシーのない、「一般人」にはそれが理解できない。ころりと騙される。
おまけ2
統計に関連して……日常生活の中で「分布」について意識できることって、すごく大事であるというふうな気がしている。
たとえば、血液型の性格判定は、ぼくはすごく違和感があるのだけれど、ああいった類型が、かりに統計的にきちんと「違い」が見いだせるのだとしても、かなり裾野が広いだらーんとした分布になっているはずで、とすると、結局、「B型だからこうだ」という決めつけは成立しなくなる。でも、「分布」の概念をものにしていない信奉者は、「あんたはB型だからこうだ」と決めつけがち。あ、ちなみに、ぼくはB型じゃないけど。
分布について明確に意識するだけで、「おまえは日本人だからこうだ」とか、「男だから(女だから)こうだ」といった、決めつけをせずに済むことが多い。たしかに、国民性とか、性差というのはあるのかもしれないけれど(ある特定の事象について調べれば、日本人とアメリカ人、男と女、で有意な差が出ることはたくさんあるだろう)、中央値からかなり離れたところにいる個人もたくさんいて、結局、個々人と相対する際には、「日本人」とか「男」とか「女」とか、言うてる暇があったら、「その人をみよ」と謙虚に思うことができる。
ただ、「分布」という概念をものにするだけで!
おまけ3
カワバタ自身は、統計学にめちゃくちゃ詳しいわけではないです。
これまで読んだ入門書の数はたくさん。なぜかというと、その都度分かって、その都度忘れてしまうから。結局、実際に手を動かしていないからなんでしょうね。
理屈としては理解しても、しばらくすると忘れます。で、必要に応じて、また入門書を読む……というのの繰り返し。なんだかすごく無駄なことをしているかんじがする。
情けない!
今、中澤君のRのテキストも、並行して読んでいるところ。
MacのRを導入して、少しでも手を動かしてみようと。
おまけ4
ディスカッションの終了後、名古屋大の伊勢田哲治さんに声を掛けていたいただいた。
うわっ、聞いていてくださったんだ……。びっくりするとともに、やや赤面。
これは本当に大事なことだと信じているのだけれど、問題が大きすぎてうまく言えなかった。
そこで、家に帰ってから、ツンドクになっていたこの本を読み始めたら、いきなりまえがきに書いてあった。
ぼくがいいたかったこと。
統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀 価格:¥ 2,310(税込) 発売日:2006-03 |
まさにこの記述。
……19世紀になっても誤差は増え続けた。測定が精緻になればなるほど、さらに誤差が生じたのだ。時計仕掛けの世界はめちゃめちゃになった。生物学や社会学の法則を発見する試みは失敗に終わった。物理学や化学のような旧来の科学では、ニュートンやラプラスが用いた法則は、大雑把な近似にすぎないことが証明されたのである。徐々に科学は実在(リアリティー)の統計モデルという新しいパラダイムで動き始めるようになった。二〇世紀末には、ほとんどすべての科学が統計モデル使うようになったのである。
大衆文化はこの科学革命に乗り遅れてしまった。「相関」、「オッズ」、「リスク」のようないくつかのあいまいな考え方や表現は知らず知らずのうちに、日常表現になり、大半の人々は、医学や経済学といった科学の一部の分野では不確実性がつきものだと気づいているものの、科学者以外で哲学上の視点のシフトが生じたことを理解している人はほとんどいない……(略)……。
我々が、法則やらなにやら「客観的」と思えるものを追い詰めていこうとする時、このリアルワールドの特性なのか、我々の認知の様式なのか分からないが(あるいは、その両方なのか)、かならず「分布」が生じる。曖昧さから自由になることはできないし、にもかかわらず、そこからなにがしかの結論を確率的な言葉を使って導き出すのが「統計モデル」の妙味だ。
決定論的な世界観に対するものとして、最近ではよくカオスやら複雑系やらを持ち出すことがあるけれど、それよりももう少し根源的なレベルで、「統計的な世界観」を対置して考えてみるべきなのではないだろうか。どうも、我々の社会は、今のサイエンスの現場ではあたりまえになっているこの考え方になじめずに、それ以前の決定論的な世界観を受け入れたままに見える。
市井に流通する一般的な科学観では、「科学は何かの問題に対して白か黒か、真か偽かはっきりと決めることができる」というふうなことになっているらしい。
でも、実際に科学の現場で、そう信じている研究者は少ないだろう。
論理学的なレベルで、帰納法の扱いがどうした、ということを考えなくても、日々の実験やら観察の中で、研究者はデータのばらつきを経験している。自分が立てた仮説を、実験結果や観察結果が支持するかどうかは、統計的にしか語れない。
だから、科学は行き詰まっている、とか、信頼できない、というわけではないのだ。
むしろ逆だろう。
このやり方を多くの個別科学が取り入れた二十世紀、サイエンスは大きく進展した。
ところが、非・科学者たる「一般」の人々はこのことを知らない。
科学者が下す結論に、白か黒か、を期待してしまう。
実験一発で、なにかがわかったり、何かが否定されたりすると思っている。
そのあたりで、白か黒かをはっきりと言う、ある意味で非科学的な科学者の言葉を有り難く受け取ってしまう余地が生まれる。
具体的に言えば、統計的な処理を想定せずにただ水の結晶の写真を見せるだけの「水からの伝言」を、科学として真に受けるのは馬鹿な話だし、わずかなサンプル数でそもそも何と何とを比較しているのかよく分からない「ゲーム脳」理論も眉に唾をつけておい方がよい、ということが、理解できず、それらを「科学的に証明された」と信じてしまう人が続出するわけだ。
だから、高校で統計をあまり教えないというのは嘆かわしいことだ(理系の人は勉強することになっているみたいだけど、最後の方だし、あまり受験には出ないし、つい飛ばしがち、というふうな認識……間違ってますか?)。やはり、科学の共通言語であり、基礎的な部分でもある統計学は、教育の中で重視すべし、ではないだろうか。
というようなことを、言いたかったわけです。
さらにいうと、ここから先、疫学的な因果推論のことまで含めると、もっと大きな話になるのだけれど、それはあまりに大きすぎて、また今度。
おまけ1
「統計は嘘をつく」とよく言われるけれど、このことを言う時、二つの観点が抜け落ちていると感じる。
ひとつは、「かりに嘘をつくのだとしても、我々はこれ以上によい方法を今のところ手にしていない」(統計モデルを受け入れる限り)ということ。
もうひとつは、統計が嘘をつく時、統計学が嘘をついているというより、むしろ「統計学を知らないから、騙される」ということだ。交絡を考慮しない社会調査に注意が必要なのは当然。
また、本来、なんら結論めいたことを言えないレベルのデータを、高度な統計的手法を活用して、それらしく仕立て上げる類の論文があるとよく聞くが、そういうものは、研究者共同体内部では、「かなりきわどいことしてるなあ」というふうに、分かるものだ(そうですよね? ぼくは研究者ではないので想像で言ってますが)。
でも、統計リテラシーのない、「一般人」にはそれが理解できない。ころりと騙される。
おまけ2
統計に関連して……日常生活の中で「分布」について意識できることって、すごく大事であるというふうな気がしている。
たとえば、血液型の性格判定は、ぼくはすごく違和感があるのだけれど、ああいった類型が、かりに統計的にきちんと「違い」が見いだせるのだとしても、かなり裾野が広いだらーんとした分布になっているはずで、とすると、結局、「B型だからこうだ」という決めつけは成立しなくなる。でも、「分布」の概念をものにしていない信奉者は、「あんたはB型だからこうだ」と決めつけがち。あ、ちなみに、ぼくはB型じゃないけど。
分布について明確に意識するだけで、「おまえは日本人だからこうだ」とか、「男だから(女だから)こうだ」といった、決めつけをせずに済むことが多い。たしかに、国民性とか、性差というのはあるのかもしれないけれど(ある特定の事象について調べれば、日本人とアメリカ人、男と女、で有意な差が出ることはたくさんあるだろう)、中央値からかなり離れたところにいる個人もたくさんいて、結局、個々人と相対する際には、「日本人」とか「男」とか「女」とか、言うてる暇があったら、「その人をみよ」と謙虚に思うことができる。
ただ、「分布」という概念をものにするだけで!
おまけ3
カワバタ自身は、統計学にめちゃくちゃ詳しいわけではないです。
これまで読んだ入門書の数はたくさん。なぜかというと、その都度分かって、その都度忘れてしまうから。結局、実際に手を動かしていないからなんでしょうね。
理屈としては理解しても、しばらくすると忘れます。で、必要に応じて、また入門書を読む……というのの繰り返し。なんだかすごく無駄なことをしているかんじがする。
情けない!
今、中澤君のRのテキストも、並行して読んでいるところ。
MacのRを導入して、少しでも手を動かしてみようと。
Rによる統計解析の基礎 価格:¥ 1,890(税込) 発売日:2003-10 |
おまけ4
ディスカッションの終了後、名古屋大の伊勢田哲治さんに声を掛けていたいただいた。
うわっ、聞いていてくださったんだ……。びっくりするとともに、やや赤面。
早朝の三時間を使って、来週末の学童父母連による来年度の一年生の保護者への説明会のためのパンフの文章書き。
頭がうまく回転せず、効率悪し。
こういうのを書くたびに、ここにはいない誰かと「対話」をしている気分になる。
だいたい、前に作られたパンフの文面を参考にしたりするのだけれど、それを書いた時と今では事情が違っていて、同じことを表現しようとしても、違うニュアンスになってしまったりするので、いろいろ考える。
昔の人(とはいっても、きっとこの近所に住んでいる人だ)の気持によりそいつつ、「今」を表現する作業というのは、それなりにクリエイティヴだと感じる。
ちなみに、わずか三年前にかかれた前のパンフと今回作るものとの最大の違いは、保護者会と学童クラブとの「距離感」だ。
前のパンフは、保護者会=学童クラブというような意識がどこかである。これは、学童クラブというのが、そもそも保護者が必要に迫られて自主運営しはじめたのが始まりである(うちの学童はそうじゃないみたいだけれど、全国的にはそういうところが多い)こととも関係しているだろう。
でも、今はさすがにそうは書けない。
行政サービスとしての学童クラブ(正確には新BOP内学童クラブ)があって、それをサポートしたり、時には注文出したりする保護者会がある。
三年前までああいうふうに書けた「一体感」は失われたのだなあと感慨を持つ。もっとも、ぼくなどは「三年前」以降に学童に関わってきたので、今がむしろ当たり前に感じるのだけれど、自分よりもわずか一年前にはかくも違う「繋がり方」が当たり前だったことに感じ入る。
これって、去年くらいまで学童保護者会で活動してくれていた年長の子の保護者と話していてもよく感じていたことでもあった。
というわけで、過去との対話。
でも、現在進行形の過去。今に直接つながり、その流れが今もやんでいないという意味で。
頭がうまく回転せず、効率悪し。
こういうのを書くたびに、ここにはいない誰かと「対話」をしている気分になる。
だいたい、前に作られたパンフの文面を参考にしたりするのだけれど、それを書いた時と今では事情が違っていて、同じことを表現しようとしても、違うニュアンスになってしまったりするので、いろいろ考える。
昔の人(とはいっても、きっとこの近所に住んでいる人だ)の気持によりそいつつ、「今」を表現する作業というのは、それなりにクリエイティヴだと感じる。
ちなみに、わずか三年前にかかれた前のパンフと今回作るものとの最大の違いは、保護者会と学童クラブとの「距離感」だ。
前のパンフは、保護者会=学童クラブというような意識がどこかである。これは、学童クラブというのが、そもそも保護者が必要に迫られて自主運営しはじめたのが始まりである(うちの学童はそうじゃないみたいだけれど、全国的にはそういうところが多い)こととも関係しているだろう。
でも、今はさすがにそうは書けない。
行政サービスとしての学童クラブ(正確には新BOP内学童クラブ)があって、それをサポートしたり、時には注文出したりする保護者会がある。
三年前までああいうふうに書けた「一体感」は失われたのだなあと感慨を持つ。もっとも、ぼくなどは「三年前」以降に学童に関わってきたので、今がむしろ当たり前に感じるのだけれど、自分よりもわずか一年前にはかくも違う「繋がり方」が当たり前だったことに感じ入る。
これって、去年くらいまで学童保護者会で活動してくれていた年長の子の保護者と話していてもよく感じていたことでもあった。
というわけで、過去との対話。
でも、現在進行形の過去。今に直接つながり、その流れが今もやんでいないという意味で。
きょうは午前中、家庭教育学級の「親子で竹とんぼづくり」があって、そのあと、サイエンス アゴラ 2006へ。こういう やつに出てきます。「脳科学はなぜ擬似科学に利用されやすいのか」的なことが語られる討論会で、ゲーム脳講演に対応した時の経験をフィードバックせよ、ということだと認識しているのだけれど、かなり出たとこ勝負。
それにしても……ぼくってフリージャーナリストなんだろうか。最近、あんまりジャーナリスティックな活動をしているわけでもなし、看板に偽りな気が致します。
さらに言うと……こういうことがダブルで来たりするのが、これから先の自分の生活なのかもしれんと、先行きの展望が思いやられる(変な日本語!)なり、です。
それにしても……ぼくってフリージャーナリストなんだろうか。最近、あんまりジャーナリスティックな活動をしているわけでもなし、看板に偽りな気が致します。
さらに言うと……こういうことがダブルで来たりするのが、これから先の自分の生活なのかもしれんと、先行きの展望が思いやられる(変な日本語!)なり、です。
まず、呼吸器学会の声明。
社団法人日本呼吸器学会
ディープリンクができないのだけれど、声明の一番上をクリックする読めます。
さらに、禁煙学会のプレスリリース。
「受動喫煙の害」を否定するJT・財務省・知識人に対する日本禁煙学会からの緊急声明 日本禁煙学会
ここでは、ぼくのエントリも取り上げられていて、ワイネフさんとそろい踏み。
さらにこの中で言及されているフィリップ・モリス・ジャパンのサイト。喫煙の害について積極的に訴えている。
フィリップ モリス インターナショナル:喫煙と健康
フィリップ モリス インターナショナル:健康への影響
などというのは、ごく当たり前の判断だと思うのだが、JTは能動喫煙ですら、「喫煙者に肺がん、心臓病、肺気腫、その他重大な疾病を引き起こす」ことに合意していない。
まったくもって、はずかしい。
社団法人日本呼吸器学会
ディープリンクができないのだけれど、声明の一番上をクリックする読めます。
さらに、禁煙学会のプレスリリース。
「受動喫煙の害」を否定するJT・財務省・知識人に対する日本禁煙学会からの緊急声明 日本禁煙学会
ここでは、ぼくのエントリも取り上げられていて、ワイネフさんとそろい踏み。
さらにこの中で言及されているフィリップ・モリス・ジャパンのサイト。喫煙の害について積極的に訴えている。
フィリップ モリス インターナショナル:喫煙と健康
フィリップ モリス インターナショナル:健康への影響
喫煙と喫煙者の疾病について: 喫煙は喫煙者に肺がん、心臓病、肺気腫、その他重大な疾病を引き起こすというのが医学・科学上、圧倒的多数の見解であり、当社はこの見解に同意しています。 喫煙者が肺がんのような重大な疾病にかかる割合は、非喫煙者に比べてはるかに高くなります。 「安全な」たばこというものはありません。 これらは、世界各国の公衆衛生当局が発してきた一貫したメッセージであり、 喫煙者やこれから喫煙しようと考えている方は、こうしたメッセージを踏まえたうえで喫煙に対する意志決定を行うべきでしょう。
などというのは、ごく当たり前の判断だと思うのだが、JTは能動喫煙ですら、「喫煙者に肺がん、心臓病、肺気腫、その他重大な疾病を引き起こす」ことに合意していない。
まったくもって、はずかしい。
書店にくばるちらしの表紙です。きのうアップしたものが間違いだったので再アップ。なぜか、文字が乱れているところがあるのですが、本物はちゃんとなっています。
で、このちらし、A4を二つ折りにした四ページの小冊子(?)。ちょっとだけ「立ち読み」できるようにしてあります。
部数は潤沢。興味ある書店の方、ぜひ、講談社にコンタクトを!送ってくれると思います。
ペンギンのイラストは福武忍画伯です。
なお、乱れている部分には、
川端裕人公認 無料配布物
科学技術から子育てまで幅広いテーマの小説、そしてノンフィクション
も手がける人気作家・川端裕人が、初の動物小説集を完成させました。
パンダやサルにジンベエザメ、そして恐竜も登場する短編集です。
──ここにペンギンの話の一部を用意しましたので、忘れ去られた
そのせつないストーリーを、いっしょにたどってみませんか。
と書いてあります。
十五少年漂流記 痛快世界の冒険文学 (1) 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:1997-10 |
あえて志水訳を選ぶのは、訳文よさだけではなくて、実は「この痛快!世界の冒険文学」のシリーズにやられてしまった部分もある。
このシリーズ、ぜんぶ揃えたくなってしまうのだ。
バスカビル家の犬 痛快世界の冒険文学 (24) 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:1999-09 |
バスカビル家の犬は、大沢在昌訳。
ロビンソン・クルーソー 痛快世界の冒険文学 (19) 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:1999-04 |
さらに伊集院静訳のロビンソンクルーソー。
神秘島物語 痛快世界の冒険文学 (5) 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:1998-02 |
こんなところで佐藤さとるさんが! なんだか感動してしまうぞ。
というようなシリーズ。
さらに宗田理、橋本治、嵐山光三郎、藤本ひとみ、眉村卓……なんて豪華な執筆陣!
あ、十五少年でちょっとなーと思った訳が少しだけあるので、知りたい方がいれば、コメント欄でぼそっと書きます。
ブラインドサッカーの日本代表が、本日、アルゼンチンの世界大会に出発します。資金難を乗り越えて、なんとか世界の中で「ニッポン」をアピールしてきてほしいもの。
なにより、選手達が、みずからの力と思いをピッチの上で表現できますように。
多くのサポートスタッフのポジティヴな気持が、報われますように。
いってらっしゃい!
なにより、選手達が、みずからの力と思いをピッチの上で表現できますように。
多くのサポートスタッフのポジティヴな気持が、報われますように。
いってらっしゃい!
こんなかんじです。ルソーっぽく素朴な雰囲気に仕上げてもらいました。気に入ってます。
ちなみに、カバーおびなしは、こちら。
また、書店に置いてもらうちらしもできました。 こちらをごらんください。A4を二つ折りにして、ちょっとした冊子のように見えるようにして、書店にて自由に手にとってもらえるようにしようと思っています。
ちなみに、カバーおびなしは、こちら。
また、書店に置いてもらうちらしもできました。 こちらをごらんください。A4を二つ折りにして、ちょっとした冊子のように見えるようにして、書店にて自由に手にとってもらえるようにしようと思っています。
鋸山で新しい靴の足慣らしをするつもりが、雨。仕方ないので、千葉市動物公園で歩く、歩く。
風太とはじめて会いました。ブームが去った後で、それでも、名前は全国区で、ぱらぱらとやってくる来園者は、みんな「ふーた、ふーた」言うて……。ほんの一瞬、目があって、こどもたちも喜んで。
なんか特した気分になって……、つまりは、たいそううれしかったです。
あなたに、はじめてあえて。
以前、こんなことも書きました。
リンク: リヴァイアさん、日々のわざ: ケンカを売ってる旭山動物園。でも、ちょっと素朴すぎないか? いや、しかし…….
でも、あれから少し、考えも変わったな……。
それは「動物園にできること」に書いたのだけれど。
それはそれとして、風太、立たなかったけど、風格をかんじるレッサーパンダでした。
きょうはそれだけなり。
風太とはじめて会いました。ブームが去った後で、それでも、名前は全国区で、ぱらぱらとやってくる来園者は、みんな「ふーた、ふーた」言うて……。ほんの一瞬、目があって、こどもたちも喜んで。
なんか特した気分になって……、つまりは、たいそううれしかったです。
あなたに、はじめてあえて。
以前、こんなことも書きました。
リンク: リヴァイアさん、日々のわざ: ケンカを売ってる旭山動物園。でも、ちょっと素朴すぎないか? いや、しかし…….
でも、あれから少し、考えも変わったな……。
それは「動物園にできること」に書いたのだけれど。
それはそれとして、風太、立たなかったけど、風格をかんじるレッサーパンダでした。
きょうはそれだけなり。
息子の小学校の学芸会。
たまたま最初の演目だったので、それを見てさくっと帰ってきて、仕事。
でも、かなり後ろ髪を引かれる思い。
息子はこの手のことにはあまり気合いが入らないみたいで、村人その3、くらいの役をやって子と足れりなのだけれど、一年生の時にもやはり王様役をやったMくんが、今度は魔王役で、演技に磨きをかけていたり、保育園の時から知っているIちゃんやMちゃんが、すごく活き活きしていたり。
これって、自分の息子の学年じゃなくても、楽しいだろうなあと思いつつ……やはり、帰ってきて仕事している(いや、こんなことをわざわざ書いている)自分がイヤ。
というわけで、仕事します。
でも、きっと追記します。
たまたま最初の演目だったので、それを見てさくっと帰ってきて、仕事。
でも、かなり後ろ髪を引かれる思い。
息子はこの手のことにはあまり気合いが入らないみたいで、村人その3、くらいの役をやって子と足れりなのだけれど、一年生の時にもやはり王様役をやったMくんが、今度は魔王役で、演技に磨きをかけていたり、保育園の時から知っているIちゃんやMちゃんが、すごく活き活きしていたり。
これって、自分の息子の学年じゃなくても、楽しいだろうなあと思いつつ……やはり、帰ってきて仕事している(いや、こんなことをわざわざ書いている)自分がイヤ。
というわけで、仕事します。
でも、きっと追記します。