さらば ゆとり教育 A Farewell to Free Education (光文社ペーパーバックス) 価格:¥ 1,000(税込) 発売日:2008-01-24 |
けれど、なんだか、ぼく自身、感じていた、「あの頃」に決定的に我々が失ってしまったものというのに思いをいたす。
あの頃というのは、学力低下の危機感が社会に浸透し、教育基本法が変わり、ふたたび、学校が詰め込みベクトルの方向に乗りつつあった頃。
今から考えると、藤原さんの和田中も「ゆとり」と同じベクトルに乗っていたのだなあ。「よのなか科」なんて、自由な時間の使い方をしていたわけだし。
知識を詰め込むのではなく、フリーハンドを増やすこと。そして、たとえ、3カ国しか外国のことを習わなくても、徹底的に「調べ方」を深めていく。って、この前までいたニュージーランドの学校も結構、この方式だ。
しかし、「考え方」を身につけさせるにあたって、統計を高校数学からなくてししまったり(これは「ゆとり」ではなかった? この件、本文中には言及なく、ぼくの記憶に頼って書いています)するのは、どうか、という思いも強くした。統計学は、今のサイエンスの基本言語であって、統計学の基本概念なしには、たとえば、リスクコミュニケーションすら難しくなってしまう。
ちなみに、ニュージーランドでは、初等教育の算数が「算数と統計」と題されていることに衝撃を受けた(あ、ほこれもぼくの個人的体験)。
もっとも、著者は本書の後半で、「ゆとり批判」として投げかけられた多くのことが、実は、年代的に「ゆとり世代」ではなく、的外れだったことを指摘しており、それは説得的。
がっつり読む人は検証してみるといい。
それはそれとして、ぼくが面白くてならなかったのは、PTAについての記述。
ぼくより5年、いや10年くらい「先輩」のPTA役員経験者で、みょうにPTA大好きな人がいる理由がわかったかも、というキモチになった。
ぼくは1990年代に、PTAの黄金期があったのではないか、と勝手に想像してきた。
それは、学生運動経験者などが、ちょうど親世代で、PTAをひとつのチャネルとしてうまく使ったから、とか、いろんな仮説があったのだけれど、寺脇さんの回顧によって、少なくとも「黄金期」だったことは確認できたような気がする。
週休二日、ゆとり教育。
そんなことがガチで話し合われた。
寺脇さん自身、2001年の秋田大会まで、5回連続で出席したそうで、そこで、保護者たちと膝をつき合わせて対話してきた。全国大会だけでなく、各ブロック大会にも足を伸ばして、対話を続けた。
これかは彼に限らず、省としてPTAといっしょにやっていこうという機運が高く、課長クラスがあちこちに顔を出して意見交換するなど普通だった。
そして、2001年秋田大会にて、ゆとり教育をPTA(日P)が支持するところまで、熱気に溢れた議論の現場があったということなのだ。
へえっ、と驚くし。
ある日P経験者が、「日Pがひどい部分があるのは本当だとしても、使いようでもある」という主旨のことを述べたこともちょっと納得できる。
しかし!
残念ながら、その頃の日Pも、実は、保護者を代表しているように見えて、代表していなかった(自動加入で、ほとんどの保護者がじぶんが日P会員だと知らない)わけで、その架空の代表性をもって、熱気溢れた秋田大会を手放しで賞賛するわけにもいかない。
こういった「黄金期」を経験した後で市民運動系の活動をしているあるPTAの役員経験者の先輩と話をした時に、P連だってきちんと議論をして行政にノーを突きつければいいというようなことを言われたのだけれど、その時に感じた違和感と同じ。
本当は代表していないマスを代表していることになってしまう、PTAの連合体の構造はとても危険だ。
行政がうまく使うのも危険だし、市民活動家がうまく使うのも危険だ。
いわば、指輪物語の指輪みたいなもの。大ききすぎる力だ。
映画で、フロドが、エルフの女王に指輪を託そうとするシーンを思い出すんだよね。
エルフの女王が急に、こわーい、顔になって、ああ、この人に指輪を託したら、悪ではないけれど、徹底的に冷酷な正義な束ねられる、とんでもなくこわーい未来が待っているのだ、と。
結局、指輪は滅びの山に捨てなきゃならないのだ、と。