ボニピンのEven Soを、ここのとこずっとよく聴いているのだけれど、なんかもどかしい。
この人は、 J-POPの田口壮かってかんじで……。
飛び抜けてところはなくても、すべてがバランスした、「安心できる」タイプのアーティスト、なのかなあ。
歌よし、コトバよし、楽曲よし、ということで、文句はないんだけど、聴いていて、もう少し染みこんでくるものがあるんじゃないかといい気がして耳を澄まし、でも、ぎりきり「来ない」かんじで、もどかしくなる。
何度繰り返して聴いても、このもどかしさは同じ。
どのアルバムでもそれを感じる。
あ、田口壮は別にもどかしくない。彼はすがすがしいい。
あの体格で、できる以上のことを、さりげなくやってしまう仕事人だからだ。
たぶん、ぼくはボニピンにもって期待している。期待値の大きさが、もどかしさの根源だ。
コトバ的にもボニピンは、まったくソツがない。
Even soの最初の曲は、Private laughterで、この曲の中で、彼女は恋人とのあいだにある「笑い」が、心と体をつないでいる、という認識を示している。
ぼくは、へえっ、なるほどっ、と膝を打った。たしかにそうだ、笑った時、ぼくは、たぶん、ぼくらは、心と体がひとつにつながっているような気がしないだろうか。ぼくらの意識の中で、心身が統合されていないように感じられる瞬間があったとしても、笑っている時は、絶対につながっている(あ、絶対ではないか、な?)。それって、大事なことだ。
こういうのは、歌の中にちりばめられる「小ネタ」なのだけれど、その小ネタをタイトルにまで持ってこられるだけの、観察の細かさと、腕力の両方をボニピンは持っている。これは希有なこと。
英語もきれいだ。発音がという意味じゃなくて、言葉遣いが。ちゃんと英語で歌っている意義を感じるような内容を歌っている。
でも、もっと染みこんでくるべきものがあるはずなのに、来ない。
もちろんは、その理由の半分はぼくの側の問題。ぼくの方に、ボニピン受容体がないってことか。
ひとつだけ、お願い(?)があるとしたら、英語と日本語について、ちょっと深く悩んでいただいたりしていただきたいってことかな。
たぶん、彼女の中で、英語と日本語の腑分けはきちんとできていて、英語で歌うべきところで英語になっている。そういう信頼感がある。
でも、受け手の側の言語感覚は違う。英語になった瞬間に、コトバの意味作用の機序が変わってしまって、伝えたいコトバが伝わらなくなることすらある。
その辺の計算。
ぼくは普通はこん注文、したくなったりしない。
でも、彼女ならできるんじゃないだろうか。そう思ってしまう。
やっぱり、ボニピンは格別にもどかしい。
この人は、 J-POPの田口壮かってかんじで……。
飛び抜けてところはなくても、すべてがバランスした、「安心できる」タイプのアーティスト、なのかなあ。
歌よし、コトバよし、楽曲よし、ということで、文句はないんだけど、聴いていて、もう少し染みこんでくるものがあるんじゃないかといい気がして耳を澄まし、でも、ぎりきり「来ない」かんじで、もどかしくなる。
何度繰り返して聴いても、このもどかしさは同じ。
どのアルバムでもそれを感じる。
あ、田口壮は別にもどかしくない。彼はすがすがしいい。
あの体格で、できる以上のことを、さりげなくやってしまう仕事人だからだ。
たぶん、ぼくはボニピンにもって期待している。期待値の大きさが、もどかしさの根源だ。
コトバ的にもボニピンは、まったくソツがない。
Even soの最初の曲は、Private laughterで、この曲の中で、彼女は恋人とのあいだにある「笑い」が、心と体をつないでいる、という認識を示している。
ぼくは、へえっ、なるほどっ、と膝を打った。たしかにそうだ、笑った時、ぼくは、たぶん、ぼくらは、心と体がひとつにつながっているような気がしないだろうか。ぼくらの意識の中で、心身が統合されていないように感じられる瞬間があったとしても、笑っている時は、絶対につながっている(あ、絶対ではないか、な?)。それって、大事なことだ。
こういうのは、歌の中にちりばめられる「小ネタ」なのだけれど、その小ネタをタイトルにまで持ってこられるだけの、観察の細かさと、腕力の両方をボニピンは持っている。これは希有なこと。
英語もきれいだ。発音がという意味じゃなくて、言葉遣いが。ちゃんと英語で歌っている意義を感じるような内容を歌っている。
でも、もっと染みこんでくるべきものがあるはずなのに、来ない。
もちろんは、その理由の半分はぼくの側の問題。ぼくの方に、ボニピン受容体がないってことか。
ひとつだけ、お願い(?)があるとしたら、英語と日本語について、ちょっと深く悩んでいただいたりしていただきたいってことかな。
たぶん、彼女の中で、英語と日本語の腑分けはきちんとできていて、英語で歌うべきところで英語になっている。そういう信頼感がある。
でも、受け手の側の言語感覚は違う。英語になった瞬間に、コトバの意味作用の機序が変わってしまって、伝えたいコトバが伝わらなくなることすらある。
その辺の計算。
ぼくは普通はこん注文、したくなったりしない。
でも、彼女ならできるんじゃないだろうか。そう思ってしまう。
やっぱり、ボニピンは格別にもどかしい。