川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

教育ってなんだ

2004-09-11 18:03:02 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
涼さんが先日くださったコメントの中に、25年くらい前には、小学校で、男の役割と女の役割を区分けするテストが学校であって、「掃除」を、父親の仕事の方につけたら、×をくらった、という話がありまして……結構、衝撃を受けています。
それって、ぼくが中学生だった頃のはずなんだけど、ということは、ぼくもそういう教育を受けたのだろうか……。
たしかに、そんな気もしないでもない、と。

今はこういう役割分担が固定したものとして支持されているわけではない、そもそも、それを学校でテストする(学校教育の中で役割分担を固定化しようと努力する)なんて発想ないですよね。でも、当時はそれが正しいと多くの人が感じていたから、そういうことになるんでしょうね。

教育って、なんだ、と思います。
唯一無二、こうあるべき大人像がまずあって、そこに向かって子供を育て上げることが、教育、というわけじゃなさそうです。
ぼくの考えでは、教育の第一の目的は、「大人になった時に、自分たち(今の大人たち)と対話可能な、つまり似た世界観を持った人間を育てる」ことなんじゃないかなあ、と思うのです。
役割分担があたりまえの社会の人は、それをあたりまえだと思う新規加入者=子供を得ようとする、とういことです。

ぼくはぼくが対話可能な大人たちが増えてほしいです。特に自分の子供はそうなってほしいです。
そのための教育です。

もしも、違う価値観を持った人たちが同じ社会の中にいて、自分たちの子供を同じ教育のシステムに託さなければならないとしたら、その時には、教育の現場での価値観の綱引きが始まります。
これはどっちが正しい、というものではなく、どっちにとってどっちが心地よいか、と言う問題です。
こういうのを政治、といいます。
元来の意味での。

たぶん、ジェンダーフリーをめぐる教育の現場でも、そういう綱引き=政治のが行われています。
などと、ふと考えました。


日々のiPOD mini3

2004-09-11 05:27:52 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
Orange Range の1st Contactを聴いていました。
きのうとは、オレンジつながり、ね。

ぼくはモンパチのすごさがわかんないのです。
HYは心地よいけど、それほどぐっとはきません。
それに対して、Orange rangeは、純粋に「おもしろい」です。タマシイ揺さぶり系ではないにしろ。

ゆえに、ぼくの中では
モンパチ→HY→Orange Rangeの順で、位が高くなります。沖縄な、ヤングな、人たちの中では。

なにが違うのかなあと思うのですが、たぶん、まず、「濃さ」の問題なんですね。
モンパチもHYも、ひどく薄く感じるんですよ。
サウンド強度も、コトバの強度も。沖縄発ということころで、ぼくが一方的に思いこむ土着度と普遍度、混合度(なにしろミクスチャーなんで)の濃密さを満たしていないというかんじがするんです。
あくまで印象です。
なぜ沖縄なのか見えない。東京で生まれ育ったやつらと変わらない。
そうぼくが感じたとしても、それはぼくの聴き手としての資質の問題かもしれないわけです。

でもね、Ornage Rangeに感じるのは、期待される濃さではなく、距離感、なんですよね。
自分自身に対する、沖縄に対する、日本に対する、ひいては、世界に対する距離感。
それが、彼らの場合、パロディとか、引用とか、いうカタチで表出します。
1st Contact で言えば、最後に入っている校歌、最高。
これって彼らの出身校なんですか?
アルバムのさいごにデンと居座るのは、もはや、洒落としかいえず、にもかかわらず、当事者たちにとっては、えらくツボにはまる曲でもあり……パロディ、韜晦を感じつつも、しっかり根を下ろした「なにか大切なもの」に直接つながる雰囲気も持っている。この絶妙かんじ、Orange Range以外では、感じないですね。
すごいやつらだと思います。
たぶん、明日も続けて聴いてます。延々と。


電車の中で携帯電話を使うと、車内は電子レンジになる!

2004-09-11 05:16:43 | トンデモな人やコト
以前書いた、津田敏秀さんの「医学者は公害事件で何をしてきたのか」のレヴューを読んで、東北大学の本堂毅さんが、連絡をくださいました。本堂さんは、物理学者で、携帯電話の電波の生体や医療機器への影響を心配されています。
そこで、本堂さんのメールやら、送っていただい資料を読んでの記事がこれ、というわけです。

本堂さんによれば、とりわけ問題が大きいのが、電車内での携帯電話の使用。
考えてみれば、当たり前なんですが、電車内で電波を発するのって、つまり電子レンジと同じなんですよね。もちろん窓から逃げる電波はあるわけですが、窓の面積は全体に比べると小さく、電車の車体から反射する集積効果の方が大きいそうです。
本堂さん自身、物性物理の学会誌、日本物理学会誌や、岩波の「科学」などに書かれているんですが(これらの雑誌は査読者やそれに準ずる存在がいるきちんとしたものです)、例えば朝のラッシュ時、中央線が電車事故かなにかで止まるとする。その時、通勤途中の会社員たちがメールやら通話やらで会社に遅刻すると連絡を入れるとする……。その時に、一車両の中でたくさんの携帯が同時に使われたとすると……、電車の中で反射し集積する電波は、優にCS放送の出力を超えるものになりえるものなのだそうです。

電磁波が人体に及ぼす影響は、いろいろ議論されています。発ガンとの関連も指摘されているのですが、これはまだ確定的なことが言える段階ではないようです(だからといって安全というわけじゃないです。もちろん)。
本堂さんがとりわけ強く訴えるのは、やはり、ペースメイカーの装着者や、補聴器の利用者といった、医療器具に依存する人たちへの影響なんですよね。
補聴器への影響は、補聴器メイカーが確認しているそうです。ノイズキャンセリング機能がついたヘッドフォンを使っている人はそれと同じ現象を電車の中で確認しているはずとのこと(補聴器と同じ原理なので)。
もっと深刻なのが、ペースメイカーですよね。これは、生命の危険と直結しかねない。そして、もしも、電車内で心臓発作を起こしたとしても、ペースメイカー自体は、電波の干渉が終わると正常動作に復帰するので(かつ異常動作のログは残らないので)、それが電波のせいだったとは分からないまま、埋もれてしまう……。
これまでにも、すでに、電波によるペースメイカーの不調で亡くなったりした方がいるのではないかと、つい勘ぐってしまいます。

さてさて、これに対する総務省の見解。

「携帯電話と反射する壁までの距離が遠ければ、電磁波強度は減衰するの」ので、問題はないということなんですけど、これはぼくでもわかる単純な間違いです。
最初に述べた「電子レンジ状況」なわけで、エネルギー保存則が成り立つ限り、電磁波強度は減衰するどころか、壁と発信源の位置関係によっては、強くなったりすることだってありえます。ましてや、数百の携帯が同時に使われるような自体になったら……。

ペースメイカーと携帯との距離は、22センチ離すべしというのが、総務省の指針です。
この22センチという数字自体、問題があることを本堂さんは指摘しているのですが、もしかりにその距離で問題ないとしても、電車の中では別です。22センチ以内に携帯電話がかりになかったとしても、数多くの携帯が同時に使われた場合、どう干渉して、「22センチ以内」に相当する電界強度になる可能性はとても高いわけです。
なんか、犯罪的な指針です。
おまけに、もしも、この指針にミスリードされた施策で、被害を受ける方がいても、それを証明することは不可能、ときています。
ため息が出ますね。
携帯電話の禁止車両をつくるべきと本堂さんは主張されているのですが。きわめてもっともです。

あ、ちなみにですね、この件で、薬害エイズの安部氏、水俣病の井形氏に相当するのは、おそらく、日本工業大学工学部の鈴木務氏だと思われます。こういったねじくれた、学問的には非常識なことを、まっとうな議論として国や企業に答申してきた、「不要電波問題対策協議会イミュニティ委員会医用電気機器作業部会」の部会長であられたりするもので……。

本堂さんは、津田さんが著作で主張したように、研究者によるオンブスマン制度を構想されているようです。
成功を、切に祈ります。