涼さんが先日くださったコメントの中に、25年くらい前には、小学校で、男の役割と女の役割を区分けするテストが学校であって、「掃除」を、父親の仕事の方につけたら、×をくらった、という話がありまして……結構、衝撃を受けています。
それって、ぼくが中学生だった頃のはずなんだけど、ということは、ぼくもそういう教育を受けたのだろうか……。
たしかに、そんな気もしないでもない、と。
今はこういう役割分担が固定したものとして支持されているわけではない、そもそも、それを学校でテストする(学校教育の中で役割分担を固定化しようと努力する)なんて発想ないですよね。でも、当時はそれが正しいと多くの人が感じていたから、そういうことになるんでしょうね。
教育って、なんだ、と思います。
唯一無二、こうあるべき大人像がまずあって、そこに向かって子供を育て上げることが、教育、というわけじゃなさそうです。
ぼくの考えでは、教育の第一の目的は、「大人になった時に、自分たち(今の大人たち)と対話可能な、つまり似た世界観を持った人間を育てる」ことなんじゃないかなあ、と思うのです。
役割分担があたりまえの社会の人は、それをあたりまえだと思う新規加入者=子供を得ようとする、とういことです。
ぼくはぼくが対話可能な大人たちが増えてほしいです。特に自分の子供はそうなってほしいです。
そのための教育です。
もしも、違う価値観を持った人たちが同じ社会の中にいて、自分たちの子供を同じ教育のシステムに託さなければならないとしたら、その時には、教育の現場での価値観の綱引きが始まります。
これはどっちが正しい、というものではなく、どっちにとってどっちが心地よいか、と言う問題です。
こういうのを政治、といいます。
元来の意味での。
たぶん、ジェンダーフリーをめぐる教育の現場でも、そういう綱引き=政治のが行われています。
などと、ふと考えました。
それって、ぼくが中学生だった頃のはずなんだけど、ということは、ぼくもそういう教育を受けたのだろうか……。
たしかに、そんな気もしないでもない、と。
今はこういう役割分担が固定したものとして支持されているわけではない、そもそも、それを学校でテストする(学校教育の中で役割分担を固定化しようと努力する)なんて発想ないですよね。でも、当時はそれが正しいと多くの人が感じていたから、そういうことになるんでしょうね。
教育って、なんだ、と思います。
唯一無二、こうあるべき大人像がまずあって、そこに向かって子供を育て上げることが、教育、というわけじゃなさそうです。
ぼくの考えでは、教育の第一の目的は、「大人になった時に、自分たち(今の大人たち)と対話可能な、つまり似た世界観を持った人間を育てる」ことなんじゃないかなあ、と思うのです。
役割分担があたりまえの社会の人は、それをあたりまえだと思う新規加入者=子供を得ようとする、とういことです。
ぼくはぼくが対話可能な大人たちが増えてほしいです。特に自分の子供はそうなってほしいです。
そのための教育です。
もしも、違う価値観を持った人たちが同じ社会の中にいて、自分たちの子供を同じ教育のシステムに託さなければならないとしたら、その時には、教育の現場での価値観の綱引きが始まります。
これはどっちが正しい、というものではなく、どっちにとってどっちが心地よいか、と言う問題です。
こういうのを政治、といいます。
元来の意味での。
たぶん、ジェンダーフリーをめぐる教育の現場でも、そういう綱引き=政治のが行われています。
などと、ふと考えました。