日本百名山 16、月山(1980m)
「どんな山でも頂上のあたりはいくらか鋭く立っているものだが、月山にはそれがない。
撫でたような緩やかな線であった。」
下は羽黒山から見た月山のカシバードです。
設定:カメラ:PRO、レンズ:28mm、風景:地図との合成マッピング、高さ強調1.5倍、
「かってはここの修験道がいかに盛んであったかは、羽黒山の、杉の大木を両側に並べた長い石の坂や、広壮な出羽神社の社殿を見ただけでも納得できる。」
(2.5万分一地形図より 赤線の距離は約4km)
「羽黒から月山に登り、奥院の湯殿に参拝するのが、昔からの順路であった。」
芭蕉も奥の細道の途中で、この三山を巡礼しています。
その道のりは、次の地図の赤線です。
余り登山を経験したことのない芭蕉にとっては、羽黒山から月山までの22Km 余りの行程は
きつかったろうと想像します。
奥の細道には、その時の様子を次のように書いています。
「木綿(ゆふ)しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、強力(ごうりき)というものに導かれて、
雲霧山気の中に氷雪を踏んで登ること八里、
さらに日月行道の雲間に入(い)るかとあやしまれ、息絶え身こごえて、頂上に至れば日没して月顕はる。
笹を敷き、篠(しの)を枕として、臥(ふ)して明くるを待つ。」
ここを訪れたのは7月22日とか。距離は22Km余。それを「氷雪を踏んで登ること八里」とは?
ちょっとオーバーではないか。
しかし、当時はそんな感じだったのでしょう。
筆者も古例に従って三山の順路を辿っています。
羽黒に泊まって、
「翌日 登山バスに乗ると六合目まで行くので、たいした苦労もなく月山の上に立った。
途中に行者返しとか、阿弥陀ヶ原とか、普陀落とか、信仰の山らしい名前が残っている。
何合目ごとにある小屋も、芭蕉時代を偲ばせて『笹を敷き 篠を枕とする』(奥の細道)ような笹小屋である。・・・
頂上は実に広々とした高原であった。」
(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用)
私にも登れそうですね。
月山から湯殿山に下って、お湯を楽しみながらの一杯もいいですね。芭蕉の想いを辿りながら・・・。
日本百名山の訪問が終わったら、奥の細道を辿ってみようかな。
なかなか、あの世とやらへは行けないね!