日本百名山 13、岩手山(2038m)
今回は、深田久弥さんが実際登られたルートが示されていたので、
それを追ってみました。
「私は 南側の網張温泉から登った。・・・
温泉から背後の尾根に登り、それを辿って大倉山、姥倉山を越えると、西岩手の旧火口に入る。
それを貫いて道が通じている。・・・
(樹木の)切れ間に気持ちのいい湿原が展がっている。・・・
夏期にはこの湿原帯は高山植物の咲き乱れるところで、天然記念物になっている。
その原を通り抜けて東岩手へ登って行くと、山頂を形作るドームの下へ出て、東麓から来る表登山路と一致する。ここを不堂平と呼び、表口から登ると九合目にあたる。・・・
(多分、この辺りで一泊?)
外輪山を一周し、御釜に下って妙高岳の社を拝してから、往路を引き返した。
姥倉山まで来て、網張道と別れて、今度は松川温泉へ下った。・・・
松川温泉からバスで下る途中、岩手山の西側を見る事が出来る。
盛岡側から見た端麗な姿と打って変わって、西側は凄惨と云いたいほどの峨峨たる風貌である。」
設定:カメラ:PRO、レンズ:35mm、風景:残雪の山々、仰角5度・・・
二つのカシバード画像からわかるように、岩手山は複雑な山で、
「南部富士」と称されるのは東側から見た岩手山で、西側から見た岩手山は、まさに「凄惨と云いたいほどの峨峨たる風貌」である。
そのため、「南部の片富士」とも言われています。
「その複雑さは、この山が数回の爆発を繰り返したことによる。
初めに西岩手の噴火があった。
現在その火口壁が、北側の屏風尾根、南側の鬼が城尾根として残っている。
そしてその中央の凹地は、東西三粁、南北二粁のほぼ楕円形の旧噴火口であって、そこに御釜、御苗代と呼ぶ二つの火口湖がある。
その後、その東部が爆発して、現在の最後部を形作った。・・・」
(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用)