鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  近つ飛鳥を訪ねて

2016-06-05 13:01:30 | 古墳
「飛鳥」と言えば高松塚古墳で有名な奈良県の
明日香村の辺りをイメージされまっしゃろ。

今回は、そことは違う「近つ飛鳥」のお話でっせ。

我が街の東部からお隣の太子町にかけての一帯を
「近つ飛鳥」または「河内飛鳥」と呼びまんねん。

現在の大阪城の付近に難波津(なにわのつ)と
呼ばれる古代の重要な港がおましたんや。

そこには難波宮(なにわのみや)もあり中国や
朝鮮半島との外交の入口だったようでんな。

そんな訳で、難波宮(なにわのみや)から見て
近くに在る飛鳥を「近つ飛鳥」と呼び、片や
奈良県に在る飛鳥を「遠つ飛鳥」とも呼びまっせ。

それでは「近つ飛鳥」に行くことにしまひょ。

(金剛バス)




運転免許を返納した鉄ちゃん爺やには不便な場所で
平日でも1時間に1~2本・土日なら1時間に1本。

近鉄電車の喜志駅から金剛バスで片道260円。

我が家から自転車でも行けそうな距離でっけど
標高140mぐらいの丘陵地帯になりまねん。

やっぱり電車とバスで行くことにしましたんや。

(近つ飛鳥博物館 無料入場券)




大阪府立の博物館で、鉄ちゃん爺やの大嫌いな同期生
安藤忠雄という建築家の設計した無駄な箱ものですわ。

バブル期に数百億円を掛けて、こんな不便な山間地に
大阪府民の税金をつぎ込んだバカげた施設でおます。

そんな訳で、お金を払って行く気はおまへんでしたわ。

無料の入場券が手に入ったんで出かけました次第。

だから~ 初めての入館ということになりまっせ。

(風土記の丘)




この辺りは6世紀~7世紀ごろの終末古墳が約150基
一須賀古墳群と呼ばれる遺跡で有名な所でしたんや。

鉄ちゃん爺やの息子達が幼い頃は「わらび取り」など
ハイキングに来るような場所でしたんでっせ。

今は遺跡が調査され遊歩道から見えるようになってまぁ。

(一須賀古墳群 説明掲示板)








確か、下の画像の周辺で「わらび取り」をした記憶。

現在は「わらび」など生えてないような芝生になってまぁ。

(大阪府立 近つ飛鳥博物館)






バス停から約600mぐらい山道を歩いて到着ですわ。

4月に紹介した「狭山池博物館」も同じ安藤忠雄でしたな。

わてから言わしてもらったら、コンクリートの塊を巨大に
積み重ねて、大きな入れ物にしただけにしか思えまへんがな。

この建物で芸術大賞を取ったとか、やらせのような話でっせ。

完成は1994年(平成6年)だったような気がしまぁ。

今回の特別展ですら入場者は見た感じで約100人前後。

普段の土日なら、50人すら訪れないような不便な地。

それなのに駐車場は300台も停められるような規模?

まあ~ 文句はこれぐらいにして見物させてもらいまひょ。

(近つ飛鳥博物館 案内パンフレット)








修羅(しゅら)ってご存じかしら?

古代に重量物を積んで運んだ「ソリ」のような機材でっせ。

我が家から北へ約2kmぐらいの藤井寺市の三ツ塚古墳を
調査中に、偶然に見つかった大発見でしたがな。

数ある古墳の中で、注目もされない小さな古墳でしたんや。

古墳が多く造られた5世紀ごろの遺物なんだって。

約1600年も前の木造の遺物とは驚きでっしゃろ。

(保存処理が完了した 大修羅=だいしゅら)






1978年(昭和53年)3月の出来事でしたかな。

世紀の大発見と言われ、鉄ちゃん爺やも自転車で現地へ。

桜も散った4月中旬だったと記憶しますんやけど。

当日の現地説明会には約2万人が訪れたと報じられましたで。

大小の二つが発見され、大きい方を大修羅(だいしゅら)と
呼び、小さい方を小修羅(しょうしゅら)と呼びまぁ。

大修羅はここの博物館に常設展示されてるそうですわ。

因みに小修羅の方は発見された藤井寺市の図書館で
展示されていると聞いてますんや。

(大修羅を背景に撮影)(国の重要文化財に指定)


鉄ちゃん爺やには38年ぶり修羅との再会でっせ。

大きくて全体がポケデジでは収まりまへんがな。

確か全長が大修羅(だいしゅら)では8.8mでしたかな。

(大修羅=だいしゅら 部分撮影)








この修羅(しゅら)を保存処理をするのには困難が伴い
奈良県の元興寺文化財研究所へ持ち込んで、約14年間。

巨大な浴槽を造り、ポリエチレングリコールとかいう
特殊な樹脂に浸して劣化を防ぐ保存加工をしたんだって。

この修羅は「アカガシ」と呼ぶ保存が難しい材木だとか。

空気に触れると劣化が激しい材質のようでんな。

(アカガシの 大木図)


二股に成っているアカガシの一木で作られてるそうで
劣化せずに地中に残っていたことすら奇跡的だとの話。

この修羅を切断せずに「阿知波組」と呼ばれた重量物の
運送業者が奈良県の生駒市まで運ぶのも話題でしたな。

(修羅保存処理の ビデオ画像)




保存処理中に大阪の朝日新聞社が修羅を復元するとし
徳之島から「カシ」の大木を持ち込んで半年ぐらいで
完成させましたんや。

見物客が約4000人も見守る中でのイベントでんな。

実際に大きな石を積んで河川敷で約400人がかりで
見事に動かして、修羅の使用が再現されたんですわ。

現在はこのレプリカの修羅は道明寺天満宮の境内で
保存されて、常時見ることができますんや。

今日はこれぐらいにして、次回は「近つ飛鳥博物館」の
常設展示品を紹介させてもらいまひょ。

ほんなら、これで、さいなら~♪












コメント (15)
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