我が家の花
今日もお天気は良かったのですが、冷たい風が吹いており定例の散歩もとり止め。
我が家の花も前にも掲載したカランコエですが、小生の部屋の中で満開です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/0f/393e26e39fe692a11b12ff65d5ddad5f.jpg)
自分史その一 総括
自分史を書き出すために今までを振り返ると、小生の人生は次の様に大きく四期に分けられそうです。
第一期:幸福な時期
諏訪で生まれてから中学2年の終戦迄で、戦時中の食糧難はありましたが、
父母と兄の4人家族で比較的恵まれた環境で育ち、更に素敵な幼友達にも恵まれて幸福な生活を送った時期
第二期:苦難の時期
終戦で父親が進駐軍の命令で教職を追われ長野の実家に移ってから大学卒業迄の時期。
父の収入は少なく、一方兄は既に東京の大学にいっていたため生活は苦しく
小生は奨学金をもらっての学生生活で、楽しかるべき学生時代でありながら、
勉強も学生らしい楽しい生活も二の次となって、初めて農業を経験した父母とともに、
専ら生活のために農作業に追われた苦難の時期
第三期:充実の時期
東京に出て就職。中央官庁、企業、財団と3ヶ所で、素敵な上司、同僚、後輩に恵まれて
68歳まで常勤として思う存分働き、サラリーマン生活を楽しむことが出来た時期。
その間には結婚して男女一人ずつの子供が生まれ、その子供達も結婚して5人の孫も生まれ、元気に育った時期。
またこの間、東京に10余年住んだ後は柏に家を建て、柏の生活が現在40数年間と人生の中で一番長くなっており
仕事面でも家庭的にも恵まれて充実した楽しい生活を送ることが出来た時期。
第四期:至福の時期
人生50年と言われた時代に生まれながら既に83歳迄も生き長らえており、
今は第一期から三期までの仲間達との幾つかの会に出たり、本ブログで皆さんとお付き合いさせて頂いたり、
孫達が来たりで、色々の方との交流を楽しんでおり、また趣味のガーデニング、美術鑑賞、写真撮影、
変わった事では現役時代には殆どしなかったマージャンを幼友達夫婦と定例的に行ったり、
家では家内と二人マージャンを楽しんだりしており、申し訳ない様な気ままな楽しい生活を送っており、
後はあの世からのお迎えを静かに待つという至福の時期
以上の四期について、一期より順に書くことにしますが、
小生にとっては自分史を纏める事が出来るという楽しさはあっても
皆さんにとってはつまらぬ内容が多くなると思いますので、お許し頂くようお願い致します。
今日もお天気は良かったのですが、冷たい風が吹いており定例の散歩もとり止め。
我が家の花も前にも掲載したカランコエですが、小生の部屋の中で満開です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/0f/393e26e39fe692a11b12ff65d5ddad5f.jpg)
満開のカランコエ
自分史その一 総括
自分史を書き出すために今までを振り返ると、小生の人生は次の様に大きく四期に分けられそうです。
第一期:幸福な時期
諏訪で生まれてから中学2年の終戦迄で、戦時中の食糧難はありましたが、
父母と兄の4人家族で比較的恵まれた環境で育ち、更に素敵な幼友達にも恵まれて幸福な生活を送った時期
第二期:苦難の時期
終戦で父親が進駐軍の命令で教職を追われ長野の実家に移ってから大学卒業迄の時期。
父の収入は少なく、一方兄は既に東京の大学にいっていたため生活は苦しく
小生は奨学金をもらっての学生生活で、楽しかるべき学生時代でありながら、
勉強も学生らしい楽しい生活も二の次となって、初めて農業を経験した父母とともに、
専ら生活のために農作業に追われた苦難の時期
第三期:充実の時期
東京に出て就職。中央官庁、企業、財団と3ヶ所で、素敵な上司、同僚、後輩に恵まれて
68歳まで常勤として思う存分働き、サラリーマン生活を楽しむことが出来た時期。
その間には結婚して男女一人ずつの子供が生まれ、その子供達も結婚して5人の孫も生まれ、元気に育った時期。
またこの間、東京に10余年住んだ後は柏に家を建て、柏の生活が現在40数年間と人生の中で一番長くなっており
仕事面でも家庭的にも恵まれて充実した楽しい生活を送ることが出来た時期。
第四期:至福の時期
人生50年と言われた時代に生まれながら既に83歳迄も生き長らえており、
今は第一期から三期までの仲間達との幾つかの会に出たり、本ブログで皆さんとお付き合いさせて頂いたり、
孫達が来たりで、色々の方との交流を楽しんでおり、また趣味のガーデニング、美術鑑賞、写真撮影、
変わった事では現役時代には殆どしなかったマージャンを幼友達夫婦と定例的に行ったり、
家では家内と二人マージャンを楽しんだりしており、申し訳ない様な気ままな楽しい生活を送っており、
後はあの世からのお迎えを静かに待つという至福の時期
以上の四期について、一期より順に書くことにしますが、
小生にとっては自分史を纏める事が出来るという楽しさはあっても
皆さんにとってはつまらぬ内容が多くなると思いますので、お許し頂くようお願い致します。
我らの世代 戦争を挟んでの学生生活
小生は小学4年だったのと 母方の田舎に疎開した為
そんな苦労はありませんでしたが
兄姉たちは苦労があったらしいです
少しの間でしたが新松戸に住んだことがありますよ
もっとも時代をさかのぼればすべて苦労の連続ですが・・・
僕は第一期が一番不幸だった?
当時で言う小作のせがれ、
終戦後、大胆な農地改革で地主から田畑を少し分けて貰い、両親が喜んでいた記憶が。
同じような時期を共に過ごしているので理解できるところが多いかと思います。
会社のOB会(支部)で「自分史」を作る提案があったので、
愚生も人が悪いですね、それって「自慢史」の間違いじゃないのかといい、
結果は取り止めになってしまいました。
手入が良いのでしょうね満開ですね
私は東京育ちで戦時中から戦後と食べ物に困ったと
父母は言ってました、母は着物を米に替えたと聞いてます
母親の着物で育ったようです。
春ですね~
激動の時代を過ごされ振り返りまとめることはいいですね~
戦後生まれの私は戦争の悲惨さは見聞きするだけですが
東日本大震災の時避難所にいたお年寄りがあの大変な状況の中「戦争を経験してますからそれに比べたら何でもない」と、言っていたことに驚きました。
自分史…楽しみにしています。
総括だけでもかなりのことが理解できます。
国民学校の第一期生で小学校を卒業していません。
新制中学校、高校、大学まで制度が変わり影響を受けました。
委託を受けて長野で5年間働き第二の故郷が出来ました。
出張で異国情緒に興味がわき古希を迎えて一人旅を楽しみました。
想い出の旅を書きたいと準備しています。
新松戸にも住まわれたことがあるのですね。
家内の妹が現在新松戸にすんでおり、時々
出かけています。